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家守



 そりゃ、私だって子供の時は潔癖なんかじゃなかったし、外で遊び回っていろんなもの触ったりしていたズボラな部分もいっぱいあった。

 木に登ったり、木から落ちたり、ツツジの蜜を吸ってみたり、アリの家を作って遊んだり。

子供なんてなんでも触るし、バッチイから触らない、なんて事を気にして遊ぶ子なんていなかった。

 いつからだったかな、あちこち触るのは汚いんじゃないか?って感じ始めたのは。

 スーパーのカゴの持ち手を触るのに抵抗を覚えたり、パン屋のトング触った後は気持ち悪い気がしたり。

 おそらくその時点でもう潔癖の気配があったのだろう。


 私の家族だって別に潔癖だったり神経質なわけじゃない。母親は一人だと案外適当だし、兄もおおざっぱな性格で、衛生面を気にしているそぶりなんて見ない。

 他界した父親に至っては、死ぬまで部屋がグチャグチャに散らかっていた。かと言って不衛生だったわけじゃなく、毎日欠かさずお風呂には入っていたし、洋服もクリーニングにしっかり出し続けていた。

 そんな部分が私に極端に引き継がれてしまったのか。

 

 私が一般的な感覚の人より気にしすぎだという事は百も承知。だけど、普通の感覚の人が見ても、さすがにおかしいと思う、という人に出会ってしまった。




 出会った時は全く分からないものだ。至って普通の青年にしか見えない。一緒にいて楽しかったし、すぐに惹かれていった。

 何度もデートを重ね、彼の部屋に行った時も狭いアパートだったから、汚いかどうかの判別もあまりできなかった。そもそも1Kアパート暮らしの男性の部屋で、小綺麗なイメージなんてなかった。

 アパートに遊びに行った時は狭いながらも私が少し掃除機をかける程度の事はしていた。それ以外はいじっていいのかわからなかったし、外で遊ぶ事が多かったからあまり気にかけもしなかった。


 いずれ転職し、アパートを出てからは古い家を買ったという話しだ。

「話しだ」というのは一時期私は彼から距離を置いてた時期があり、実質別れていたからだ。


 あまりにも彼の仕事の都合やスケジュールに合わせる事ばかりになり、私は派遣などの仕事もしていたけど実家暮らしだったから、都合よく振り回されていたような気になっていた。

 挙句、私の誕生日も忘れられ、連絡が来ないまま誕生日が過ぎ、もう会うのはやめようと決断していた。


 会わない期間は3年続いた。

私は彼氏が何度かでき、楽しく過ごしていた時期もあった。その期間中に父親が倒れ、病で他界した。


 残念ながら、家族の事を顧みない父親だった。倒れてからはバタバタととにかく大変な日々の連続だ。

脳腫瘍だった為、徐々に会話ができなくなり、大事な書類や通帳などの場所も全くわからず、私と兄で方々探し回る日々が続いていた。

 母親は仕事に明け暮れ、父親が倒れても感情的にならず冷静でいたのが印象的だった。

 父は、元気な時は好き勝手遊んで浮気などをしていた事もあり、母親が感情的にならず淡々としている理由もよくわかる。

 父が他界した後は役所へ行ったり銀行へ行ったりと、手続きに追われる日々だった。しばらく派遣の仕事も全くできず、二ヶ月くらい全てが終わるまでかかってしまった。

 人一人いなくなるというのは、こんなにも大変な事なのか…


 自分が死ぬ時は、銀行に残ってる現金は全て手元に残すか、家族に渡すかして死にたいと思った。

が、死なんて突然訪れるものだ。今日明日死ぬかもしれないのに、現金がどうこうなんて無理に決まってる。せめて、死んだ時に兄に見つけてもらえるよう、通帳の場所などを書いたメモ書きくらいは残しておこう、そんな事を思っていた。



 3年間はあっという間に過ぎた。付き合っていた彼とも、父の入院を機に会う時間が減り、そのまま連絡も途絶えてしまった。入院中は介護で忙しく、正直他の事を考える余裕など全くなかった。

 そしてようやく落ち着いてきて、私と母親と二人の生活にも慣れてきた頃だった。



 彼から、突然連絡が来た。


 私は普段の日常を取り戻しつつあり、仕事も少しずつ行っていた。

やっぱり精神的には少し寂しさがあったのかもしれない、頼れる誰か、話せる相手がいて欲しかったのかもしれない。

 母親や兄と話すのとは違う空間の人、全く違う感覚の人。

 しばらく家族以外とのラインはしていなかった、そんな中での通知だったから少し浮かれていたのは事実だ。

 

 「こんにちは。将吾です。お久しぶりです、お元気ですか。」


 あっさりしている短文だった。そっけないように見えて、相手の事を勘ぐるタイプの人だから、当たり障りのない文章を送ったのだろう。私が返事を書かなければきっとこれで終わりだ。



 「お久しぶりです。こっちは元気です。将太くんはお元気ですか?」


 結局これだけの短文で返してしまった、お互い探り探りのラインが続いた。


 少しずつ相手の現状などが分かってきて、どうやら彼は体を壊してしばらく家で寝込んでいたらしい。

その間仕事も辞め、退職金で古い一軒家を買ったという話しだ。 

 私の事も少しずつ話し、父が他界した事、今は実家で母親と二人で穏やかに暮らしている事。


 「ずっと外に出ていなかったから、紫からの写真が嬉しいよ。」


 私は写真を撮るのが好きで、どこに行ってもスマホであちこちの風景写真や植物の写真などを撮り溜めている。

 そんな中、やりとりを繰り返していた彼にもお台場の写真などを送っていた。


 「レインボーブリッジ懐かしいなー。また行きたいな。」


 まるで子供のような文章が送られてくるので、ついつい私も優しく接するよう、無意識に気を付けていた。



 

 1


 他愛ない日常会話のような、世間話のようなやりとりがしばらく続いていた。

二週間くらい経過した時、ふと彼からのラインに書かれていた。


 「会って話しができないかな。」


 ドキッとした。

いや、予想はしていたのかもしれない、このままのペースだといつか会う事になるんじゃないか?って。

しばらく考えていた。会っていいものか、どうなのか。

 今の彼は文面ではかなり穏やかに見える、仕事に追われてギスギスしていた頃とは変わっているんじゃないか?という期待も正直かなりあった。

 なにより、ラインでのやりとりも楽しかったから会いたいという気持ちももちろんあった。


 さほど悩まずに会う事を決めた。


 この時の決断で、私の人生は大きく変わってしまった。この時、会わなければ今の私はいなかった。




 再会の日はすぐに訪れた。私はもう30を超えてしまった、出会った時は26だったのか。

老けて見られるんじゃないか、という心配もあったり、内心ヒヤヒヤしていた。


 待ち合わせの場所は昔よく行っていた品川のカフェだ。品川はお互いの家からの通過地点になる為、待ち合わせも品川が多かった。

 品川からお台場に行ったり、渋谷に行ったりしたなぁ。

そんな事を思い出しながら待ち合わせ場所に向かった。

 駅から少し歩く場所で、あまり目立たないところにひっそりとある落ち着いたお洒落なカフェはそのまま健在していた。


 ドキドキしながら自動ドアをくぐり、彼がいるのかどうかを探した。

奥から二番目のテーブルに座っていた彼は、3年前と変わりない様子で座ってこっちを見て手を振っている。

 私も笑顔で軽く手を振り、いそいそとテーブルに向かって行った。


 「お久しぶり。」

 「ほんと、久しぶり!」


 そんな会話から始まり、あっという間に3年前に戻ったような感覚に襲われた。

何も変わっていなかったように思えた。そう、見た感じでは何も変わっていないように思えていた。

 話す仕草や、甘いものが好きなところ、洋服の趣味。何も変わっていないように見えた。


 「紫は全然変わってないね。いや、むしろ成長したかな。」


 そんな事を彼は言っていた。3年のうちにいろんな事を経験し、3年のうちに30を超えたから多少変わっても不思議ではないだろう。

 褒め言葉と捉え、少し照れながらお礼を言った。


 彼の体調はすっかり良くなったように見えた。体調の事はあまり語りたがらなかったので、詮索するような事はやめた。今の彼が元気で過ごしているのであれば、それでいいと思うようにした。




 それから、会う頻度は次第に増して行った。

懐かしい場所巡りや、昔デートした渋谷のお店などに行ってみたりもした。


 楽しいと思う反面、何故か違和感も感じていた。

なんだろう?この違和感は。私はまだ浮かれていたのだろうか、何も気付かなかった。



 会う頻度が増してきていた頃、彼からのラインがきた。


 「明日会う約束だけど、俺のうちに来ない?」


 いつか呼ばれるかと思っていたが、とうとうその日が来た。家に呼ばれるという事は、二人っきりになってしまう。覚悟を決めていかなければ…


 彼の家は反町にあるという話しだ。反町と聞いてもあまりピンとこなかった。

降りた事もない駅で、横浜の近く?というぼんやりとしたイメージしかない。どうやら2年前に反町で一軒家を買い、そこで暮らしているという話しだ。


 品川からは、乗り換え一回、30分くらいの距離だ。

行った事もない駅なので、駅まで迎えにきてくれるという約束だった。


 当日になり、私は少し気合いを入れてお洒落をし、手土産に品川の駅でお菓子を買って反町に向かう。

一人暮らしなんだから手土産なんかいらないのかな、と思いつつも小さなワッフルのセットを買って行った。


 反町は小さい駅だった。横浜の近くだから栄えているのかと思っていたが、案外庶民的な雰囲気のある街並みに思えた。

 

 「横浜は出やすいし、渋谷とかも特急に乗り換えれば早いから便利だよ。」


 と、彼は嬉しそうに話している。

東急東横線はほとんど利用しないし、土地勘も全くないので、


 「そうなんだ、じゃあ買い物とかは便利そうだね。」


 曖昧な回答をしてしまった。

それでも彼はニコニコ笑顔のまま歩いている。

 駅から15分くらい歩いてもまだ着かない距離のようだ、思ったより遠くて不便なのかな?


 「もうすぐだよ。」


まるで私の心を察したかのように彼が言った。

ちょっと先に見えたのは、かなり古い二階建ての一軒家だった。


 なるほど、駅からそれなりに距離があって古い一軒家だからお手頃価格というわけか。

ついつい嫌な詮索をしてしまった。

 彼は今は職についていない。家は退職金と貯金の一括で買ったようだが、手持ちはおそらく苦しいんだろう。


 私もニコニコと笑顔を絶やさないようにしたまま、家に入る。

古い木戸がキィーと音を立てて開く。

 古い家特有の匂いが立ち込めている。男性だから特に気にしないのだろう。いずれ、私が行き来するようになったら消臭剤を玄関に置きたいと思ってしまった。


 家の中に案内されると、一部リフォームをしたようで、トイレやお風呂などの水まわりは綺麗だった。

古いままの部分と、新しくした部分が混同していて不思議な空間だ。


 「あまりにも汚い所は引っ越し前に業者に頼んで直してもらったんだよ。ここまで直すの大変だったけど、今は快適な空間になって嬉しい。」


 相変わらず子供のようにはしゃいでいる。私が来たのがそんなに嬉しかったのか、私もついつい笑顔になってしまう。

 偏見はやめよう、彼はこんなに喜んでくれてるじゃないか。


 「そうだ、お菓子持ってきたんだ、一緒に食べよ?コーヒー入れたりしてもいいかな?」

 

 私もにこやかに、彼と一緒の時間を楽しめるように言う。


 「台所はそっち、案内するよ。」


 案内された台所は、昭和の台所だった。

男性一人だから、台所は手付かずのままのようだ。


 「カップはこのへんのを使って。」


 ん?これはヤバい。カップが恐ろしく汚れている?

ちゃんと洗ってない?洗えてない?油が付いているようなカップを渡され、私は一瞬動きが止まってしまった。


 すぐに笑顔に切り替え、

 

 「わかった、あとは私がやるから将吾くんはリビングに戻ってていいよ!」

 「え?大丈夫?わかる?」

 「うん、平気。」


 どうにか台所に一人になり、あわただしく辺りを見回した。

ボロボロに茶色く変色している食器用のスポンジ。

 新しいスポンジはないものかと探してみるが、見つからない。

仕方なくボロボロのスポンジを念入りに洗剤で洗い、カップをしっかり洗って、コーヒーを淹れる。


 こんなにズボラな人だったのか…知らなかった。

これは幸先苦しみそうだな、と私はふと思った。



 

 2


 その後と言えば、めまぐるしく忙しい毎日になった。

平日は派遣の仕事をし、母親と二人暮しだから家事も分担していた。買い物や夕食作りは専ら私が担当して、掃除は場所を決めて分担し、母親との生活は安定していた。

 父がいなくなった事でやや情緒不安定だった母親も、私との女二人の生活を楽しんでいるように見えた。


 土日ともなると私は彼の家に足繁く通う事になる。

なぜなら、台所があの状態でいて、他の部屋がまともに保てているわけがない。案の定とにかく汚かった。

 せめてもの救いは、まだ住み始めて2年だったという事だ。もしも、5年10年このままの状態で生活していたと思うとゾッとする。

 そして、なにより驚いたのは部屋の広さだ。一階部分は1LDK、二階は二部屋あった。ほとんどが畳敷きの和室で、リビングはフローリングだった。二階はほぼ使っていない様子で、薄暗い雰囲気のまま放置されている。

 彼はなぜこんな広い家を借りたのだろう。将来を見据えてなのか、のびのびと広い家に住みたかっただけなのか。来たばかりの時に「広いね」と言った時「自由に使えるから快適だよ」というような返事が来た。家の値段は聞いた事がないが、古さからして築40~50年くらいは経っているだろう。

 

 まずは水まわりから片っ端から掃除をしていった。洗面所の床には髪の毛がびっしり落ちていて、洗面台も水垢だらけだ。

 床という床がホコリっぽく、部屋の隅には確実に髪の毛とホコリのゴミ溜まりができていた。

恐ろしくて聞く事はできなかったけど、寝室の布団はおそらく一度も干していなく、カバーの交換もしていない。湿った布団に、蓄積された汗の匂い…耐えられなかった。

 泊まりにおいでと言われた時は、すぐに布団の予備があるかどうかを探したくらいだ。

この家に不足しているものは、とにかく自腹でなんでも揃えて少しでも快適にしようと努力した。

 

 この家を買う時、古い家具の一部が残されたままの状態だったらしく、彼は気にせずそのまま古いソファーなどを使用していた。


 彼のこういう部分も知らなかった。古い家具なんてイヤじゃないのかな?新しいの欲しくないのかな。

どうやら彼は、使えるものはいつまでも使い続ける、いわゆる捨てられない人だ。

 部屋のあちこちに古いものがあった。就活の時に撮った証明写真や、昔勤めていた会社の名刺、このへんは思い出としてまだ分かるけど、学生時代に買ったのであろうどこかの郷土品のお土産やら、一度も使ってないであろう貰い物のネックレス、学生の時の本も大量に残っていた。


 あまりにも汚いものは、悪いけど処分させてもらった。本人も自分の棚や引き出しに何があるか把握していないので、私が片付けても気付かれる事はなかった。


 「お、コーヒーメーカーが綺麗になってる。」


 そんな事を言われる時もある。引っ越し前のアパートにいた時からずっと使っていたコーヒーメーカーだ。私も以前付き合っていた時に見ていたからよく覚えていた。

 台所でこのコーヒーメーカーを見つけた時は驚いた。よくもまぁ、こんなに長く使っていられたな、と。そしてコーヒーのシミだらけで、とても大切に使っているようには思えなかった。


 それだけじゃない、他の家電も見覚えのある物ばかりだった。どんなに汚くても、使い勝手が悪くても、全く捨てる事ができない人らしい。


 私は彼に気付かれない程度に物を少しずつ処分していった。古い本なんかはかなり多く捨てても全く気付かなかった。


 女性には特に多いのかもしれないけど、断捨離して物を減らしたがる。自分の身の回りがスッキリ整理されると気分も軽くなって、気持ちの整理もできる気がする。

 男性にはそういう感覚はないのだろうか?私は男性じゃないから分からないけど、少なくとも父親と、彼は片付ける事もできず、物を捨てる事もできなかった。



 彼との付き合いはすでに三ヶ月を過ぎていた。

 自然と二人の関係は恋人に戻り、一見幸せに思えたが、課題は山積みだ。


 部屋の汚さだけではない。彼自身の問題だ。

 彼は体を壊してしまったせいで、どうやら普通の仕事に就くのが難しくなってしまったようだ。さすがに心配になり聞いてみたところ、慢性的な胃腸炎だという事が判明した。

 会社を辞める直前までかなりのストレスを感じていたり、仕事に追われていた時期があったようで発症してしまったらしい。

 今は落ち着いているようで、特に不調を訴える事もない。


 以前はかなりの頻度で胃腸炎を発症していたようだ。彼の場合はストレスからきている精神的な部分が多く、私と会わない三年間は胃腸炎を頻繁に繰り返し、家に引きこもりのような状態になってしまったという話しだ。

 何度も繰り返し嘔吐し相当辛い時期が長かったようで、その間は家からも出ず人とも会わない、そんな生活が続き、ますます引きこもっていたという話だ。


 私にラインを送った時は、この先どうなるか分からないし、このまま動かず時間を過ごしてしまうくらいなら連絡とれる人にとってみようと決心した、と言っていた。友人数人にも同時期に連絡をしていたようだ。

 その後、私と会う為に外出が増え、今のような元気な彼になった。


 そして、彼はデイトレードを初めた。

 家にいながら稼ぐ手段として、デイトレードを勉強して、初めていた。


 私は株の事はほとんど分からない。彼は毎日朝からパソコンに向かい、株のチャートを見ている。私は、彼なら頭もいいし、素質があるのではないかと信じていた。

 ただ、彼は退職金はほぼ家の購入に使ってしまったので、手持ちの現金は少なかった。

 私はと言うと、父親が残してくれた保険金がわずかながらあった。いざという時の為に手をつけずに保管していた。彼は、資金があればもっと株で儲ける事ができると言い出した。私は彼を信じていた、私が持っていた200万を彼に貸した。

 彼はとても喜んでいた。いつでも必要な時は返すし、この現金を減らすような事はしないと誓ってくれた。

 私は盲信していた。



 

 3


 彼はとても賢い人だ。高校も大学もいい学校を出て、その後名だたる会社に入社し、エリート街道を進んでいた。それに比べ私は学校の成績はいつもギリギリ。高校も選ぶ余地はないくらいの所に入った。

 私はいつも彼に引け目を感じていた。テレビを見ていても、ちょっと歴史や文学の話題が出ると私はチンプンカンプンだ。なんとか彼に合わせる事ができるよう、話題に上がる度にスマホで検索して概要を読んで大枠だけ把握してみたりもした。

 もちろんそんな付け焼刃の知識なんて全く役に立たない。

 私ができる事、それは彼を支える事だろう。実家で家事もそこそこやっていたので、家の事は得意だった。父が他界した時には保険や相続の知識を多く得る事ができ、役所にも足繁く通っていたので手続きなどの知識は同世代の女性より遥かに上だった。


 逆に彼はと言うと、高学歴なのでとてもプライドが高い。自分の知識に絶対的な自信を持っている。

正直、記憶力は女性の方が強い場合が多い。女性脳は絵やシーンの映像で記憶が残る、というのを聞いた事がある。男性は平面的に判断するのだとか。

 実際、私も記憶力にはかなり自信があった。映像で覚えてる部分も多い。


 時折彼との会話でつまずく事がある。

彼は自分の記憶力に自信を持っているため、絶対に譲らない。私が訂正しても全く意見を変える事はない。

二人の思い出の記憶なら、私の勘違いかな?で済ませる事もあるが、映画のストーリーや歴史的な背景の話しなども、自分の記憶が間違いないと思い込んでいるのが厄介だった。

 あれ?って思った瞬間に私はスマホで調べて、正解を見せるけど

 「え?そうだったかな?じゃあ途中で変更になったのかな。」

というような回答ばかりがいつも来る。途中で内容が変わるってなに?自分の記憶違いでしょ?と思いつつも、口にはしない。とにかく彼は絶対に自分に間違いはないという頑なな性格だった。


 これも再会してから気付いた事だった。こんなに頑固な人だったのか…と疲弊する事もしばしばあった。

 

 そんな中、私は平日も空いた日には彼の家に行くようになった。

徐々に派遣の仕事を減らし、家でできる在宅勤務の仕事をするようになっていった。

 簡単なデータ入力がほとんどだ。派遣でやっていた仕事も入力作業が多く、簡単なエクセルを使うくらいなら問題なかったので、家でできる仕事を細々とやるようになった。


 というのも、私自身も体が丈夫な方ではない。派遣に就いたのもそういった理由からだ。

貧血や目眩などを起こしやすく、めまい症を患っていた。病院に通院して鉄の薬を飲み続けていた時期もあり、短期間の仕事しかできなかった。

 何度か倒れる事もあって、歩けないくらいの目眩に襲われて入院した時もある。

 そんな私だからこそ、彼を支えてあげたいという気持ちが高まるのかもしれない。


 しかし、突然急転直下に襲われた。


 彼は株で大きなミスを犯してしまった。

私が預けていたお金は全て失っていた。私はしばらく何が起こったのか分からなかった。

株というのは瞬時の判断で売買を行う、それ故にミスも多い。彼は一桁打ち間違えてしまったという事だ。

 覇気のない彼に問い詰めてようやく答えてくれた。

手持ちはごくわずかになってしまった。彼は早々に就職すると言い出した。とにかく働かなければ現金を手にいれる事はできない。

 彼の就職活動が始まった。



 しかし、プライドの高い彼の就職活動は難航した。学歴は高くても、ブランクがあるのでなかなか企業としても受け入れにくいらしい。しかも年齢的には34ともなると、なかなか採用されない。

 そのくせ会社を選ぶのにものすごく時間がかかり、ここは俺には向かない、などと言っている。

さすがに何社か受けた所で彼も少しずつ妥協し始めていたが、難航している事に間違いない。


 そんな中、どんどん反町の家に私の荷物が増えてきた。実家に帰る度に洋服などを少しずつ持ってきて、彼の家での寝泊まりに不便がないようにしていた。

 気付くと洗面所には私の化粧品が所狭しと並んでいる。

今まで彼氏はいたけど、同棲した事のない私にとってはそれもウキウキする光景だ。甲斐甲斐しく彼の為にご飯を作る事が私の喜びになっていた。


 彼の家での私の生活は、朝起きて部屋の掃除をして洗濯機を回し、時間があればお昼前に買い物に行って食材を買いに行った。安いスーパーに行くためにかなり遠出して頑張った時もある。

 午後はパソコンに向かい入力の仕事をする。夕方になるともう夕食の準備だ。

1日はあっという間に過ぎていった。彼はその間家にいてパソコンに向かっていたり、面接に行く事もあった。


 結局の所、彼はアルバイトで簡単な入力の仕事に就く事になった。

彼のプライドは許さないだろうが、それも致し方ない。今の決して体調が万全と言えない彼を雇ってくれる所はとても限られていたからだ。

 

 彼がバイトに行くようになり、私の生活はさほど変化はしなかった。彼にお弁当を作るために早起きし、夕食の時に翌日のお弁当の準備をするという作業が加算されたくらいだ。

 お弁当作りは楽しかった。自分の昼食用にも同時にお弁当の残りをタッパーに詰め、お昼に同じものを食べているのが嬉しかった。

 お昼の休憩の時に彼からラインが来る事が多かった。お弁当の感想や、仕事の内容などさまざまだった。


 すでに私は彼の家でほぼ毎日を過ごしていた。

 二階の一室を私の部屋にしていいと言われ、使わせてもらっている。階段を上がってすぐにドアが2つ横並びにあり、日当たりのいい奥の角部屋を選んだ。カーテンを明るくしたら雰囲気も少し明るくなってきた。


 私はとっても幸せだ。そう信じていた。 



 

 4


 しかし、現実は甘くはなかった。


 お金が全然足りない…


 気付くのにそう時間はかからなかった。彼のバイトと私の仕事だけじゃ、とても生活が成り立たない。

私は仕事を増やした事もあったけど、彼のバイトの給料がとにかく低く、生活費には程遠かった。

 なにせここは古い一軒家だ。間取りは広く、使っていない部屋もある。だけどとにかく古いのであちこちガタがきている。冬はとても寒く、隙間風が絶えない。防寒の壁や窓ではないので雪が降ったりする日には、部屋の暖房もろくに効いてくれない始末。

 光熱費がとにかく嵩むという現実を目の当たりにした。

 

 私は実家にたまに帰ると、真冬でも全然部屋の中は寒くなく驚くくらいだ。母親は一人でマンションに住んでいて、部屋は狭いけど、とにかく寒さを感じないのが羨ましくて仕方ない。


 彼の家に戻ると、家の中と外の気温が全く同じだと思った。玄関や廊下は外にいるのと同じくらいの寒さで、風が吹き付けないだけマシかな?という程度だ。


 古い家というのはとにかく苦労する。床の一部がヘコんでいたり、部屋のドアには隙間があるので隙間テープを貼り付けて風の侵入を防いだり。

 夏は夏で苦労もした。

 もちろん見たくもないGは出るし、アリの侵入も多かった。小さい黒いアリが列を成して部屋を行き来していた。大きいクモも何度も見たし、ダンゴ虫もよく入ってくる。

 とにかく隙間がある家というのはいくら対処しても小さな虫の侵入を防ぐ事は不可能だった。


 玄関はとにかく暗く、壁の色も暗かった。

私は少し大掛かりなリフォームをしようと考えた。壁の色がとにかく暗く、古い木の壁だ。

 フローリングのような素材だったので、ここに壁紙を一面貼り付ける事にした。ネットで色々見て、安くて素材の良さそうなものを探して購入。

 彼が仕事に行っている間に、私は脚立を取り出してきて、玄関の壁一面に壁紙を貼り付けた。

我ながらいい出来だった。昔から図工や美術の成績は良く、手先は器用だ。私にもできる事があるというのを発見する度に嬉しくなる。

 そして、明るくなった玄関を誇らしく思えた。


 彼が帰宅して、玄関を見て驚いていた。

 「こんなの一人でやったの?手伝うのに~」


 あれ?なんか思ってたのと違うな?

彼は相変わらず家の事はなにもやらない。私が来てから綺麗になったけど、自分から動いて積極的に掃除したりする事はまずない。

 仕事してようが、していまいが、家の事は一切手をつけないのが彼だった。

 そんな彼が「手伝う」と言いながら手伝った事は一度もなかった。

彼はとても不器用だ。その上、不衛生な身の回りにも気付かないし気にも留めない。だから私がやるしかない。そんな彼が「手伝う」というのはどうにも引っかかってしまう。


 まぁ、喜んでくれているみたいだし、気にするのはやめた。


 それよりも現実的には仕事をどうするべきかを考えなくてはいけなかった。

私は実家に戻るという手段もあるけど、金銭面だけ見るとあまり意味がなかった。

 

 彼は仕事を休みがちになっていた。

一度私が具合悪くして倒れてしまった時、「私は一人で大丈夫だから仕事に行って」と伝えても仕事には行かなかった。「紫が心配だから。」と言っていたけど、実際は休みたかっただけなのは目に見えて分かる。

 朝、何度も起こしても起きず、ギリギリに起きたと思ったら「今日は体調悪いから行くのやめる」というような日もあった。


 雲行きがどんどん怪しくなってきた。

生活費が足りないのに、仕事に行かない彼。

私は仕事を増やし、なんとか月に7万稼ぐ事もできた。この家の支払いは終わっているので家賃はかからない。光熱費と食費、あとは年金や保険に携帯料金など。

 どう考えてもやっぱり苦しい。


 彼が日に日に仕事に行かなくなり、ある日電話がかかってきた。

どうやら、彼はバイトをクビになったようだ。

 体調不良だけならまだしも、明らかに行きたくなかったのが見え見えだった。

彼は今後どうやって生計を立てていくつもりなんだろう?

 そもそも、私との生活はどうするんだろう?私ももう33になる、さすがに将来の事も考えてしまう。

 しかし、近くで見ていても分かるように、彼の体調は至って悪くなさそうだ。私が来たばかりの頃は胃腸薬を飲み続けていて、病院に行く事もあった。だけど今は薬も飲まなくなり、通院もしていない。かなりの回復ぶりだ。


 最近の彼はネットを見てばっかりだった。仕事を探しているのだろうか。



 ある時彼が突然言い出した。


 「仕事をするよ。」


 私は意味が分からなかった。どうやら起業する、という事らしい。ネットを見ていたのは起業する方法や段取りなどを調べていたという事だったようだ。

 どうやら、ネット通販などの小売をやろうと考えているらしい。

 なるほど、家でできるし彼の体の負担を考えるといいのかもしれない。私は大賛成した。二人で家で仕事ができる、これほど幸せな事はないじゃないか!と。



 

 5


 そこからは急展開だった。小売の事業をやるために必要な事を一から学び、調べ、二人で悪戦苦闘して進めていた。

 税務署で申請して許可を得て、卸などを見つけ仕入れをし、それを販売するためのサイトと契約をして展開する。

 私は主にネット販売のサイト構築などを担当し、彼は役所などの手続きを担当した。

彼もかなりアクティブに動いていて、ここから二人でしっかり生活の基盤ができると思い、二人とも疲れてはいたが、弱音を吐かず明朗に動く事ができていた。


 二ヶ月くらいかかり、ようやく仕事をスタートさせる段階に行き着けた。

 販売するのは文房具やお洒落なステーショナリーだ。実用性のあるもので、仕入れにあまりお金をかける事ができないので、文房具などを選んで販売する事にした。

 物販の小売はまずは広告費を上げて宣伝をし、お客さんをうまく誘導させなければならない。最初はもちろん何もわからず手探り状態だったけど、幸い二人ともネットには強かったので上手くお客さんを掴む事ができていった。


 徐々に売り上げが上がってきたが、私の不安は尽きなかった。

なぜなら手持ちの現金がかなり減っていたからである。売り上げは全て彼の口座に振り込まれ、私は彼から不定期でお金をもらえるだけの収入だった。

 最初は収入も不安定だから仕方ないと思っていたが、正直かなりの不安がよぎっていた。私はすでに彼との仕事がメインなので、今までの仕事は全て辞めている。

 派遣の時は実家暮らしだったから貯金はできていたが、それもどんどん減っていき、この家の補修などでもかなりのお金を浪費してしまっていた。


 ギリギリまではなんとか頑張ろう…彼を不安にさせるわけにはいかない。


 彼の体調は安定していて、病気に悩まされていた時が嘘のように思えるくらい元気だった。だけど、また不安やストレスを感じさせるような事をしてはいけないという感覚は常に私の中にあった。


 仕事を二人で始めると、喧嘩も増えた。

感性や感覚の違いから始まり、ささいな行き違いなどもあった。

 一番に感じたのは、彼は私を常に過小評価しているという事だ。とても悲しい事だった。

学歴や経歴は彼に敵うわけはない、それは自覚している。だけど一緒に仕事をしているのに、下に見られるのはとても屈辱だった。

 私には私の得意分野があり、この仕事は向いていると思っていた。実際サイト作りは彼よりも優れていたし、女性にしか気付かないような繊細な部分のフォローもしてきたつもりだ。


 私が時折感じる違和感はこれだった。

 いつも私を過小評価されている部分だ。彼は私に期待をしていない、何か特別な事ができるとは思ってもいない、自分の方が優秀だから、「紫に教えるよ」とか「紫はこれをやってくれ」と指示されるような事が多い。

 私が勝手に動くと怒る時もあった。良かれと思って動いていても、怒られる時がある。私は彼の指示がなくても動けるし、考える事はできる。何よりも彼より得意な部分も多く持ち合わせていると思っていた。


 だけど、彼には理解されなかった。




 仕事も少しずつ軌道に乗り、彼と暮らして一年が経過した。

 夏のある日、私は暑い中洗濯を終え、自分の洋服を二階の部屋に持っていく所だった。


 「やだっ!」


 階段を上がりきった所で、私は大きな声を出してしまった。

階段上にある小さな小窓に、大きなヤモリがくっついていたからだ。もちろん外から付いているので、こちらから見えるのはヤモリのお腹部分だ。

 真っ白いお腹と手足が小窓の角にしっかりくっついていた。

今まで見たヤモリの中で、一番大きなヤモリだ。15センチくらいの大きさに見える。真夏なのにゾッとして鳥肌が立った。


 外にいるから大丈夫だとわかっていても、物音を立てないように気をつけながら自分の部屋のドアを開け、急いで部屋に入り込む。

 しばらく部屋にいてから、そっとドアを開けて階段上の小窓を見てみる。まだヤモリはいる、ほとんど同じ体勢で窓にくっついている。

 上がってきた時と同じように静かに部屋を出て、静かに階段を降りて行く。


 「将吾くん!今すごいおっきいヤモリがいるよ!」


 リビングに戻り、パソコンに向かっている彼につい大きな声で言った。

 彼は笑いながら、「なんだそんな事か、ヤモリなんてどこにでもいるだろ」と返してくる。

男性にとってヤモリなんてその辺にいて当たり前なのかもしれない。


 ただ、私はとにかく怖くてゾっとしてこの日はなかなか寝付けなかった。




 そして、夏が終わろうとする頃に私達は入籍した。

ごく自然な流れだった。私は結婚願望があったからいずれと思っていたし、仕事も落ち着いてこなせるようになった時にどちらからともなく入籍するという話しが進んでいた。

 特別なプロポーズもなかった。役所からの帰りにケーキを買って家で食べて、ごく質素なお祝いをした。

 それでも小さな幸せを感じていた。



 

 6


 結婚してから、彼の事が色々わかってきた。

もちろん同棲していた時から、かなりルーズで不衛生だという事は分かってはいた。私がこの家に来るまで一度も掃除をしていなかったのを見てから覚悟はしていた。


 彼は、掃除というものを一切しない人だった。自分の部屋であっても、共有スペースであっても。テレビの埃を払う事すらしない。埃がいくら溜まっていても、目につかないようだった。気にならないらしい。

 だけど私は違う。綺麗な部屋で生活したいし、人が来た時に恥ずかしくないようきちんとしていたい。彼が掃除しない分は、私がひたすら掃除をした。彼に何度か言ってみても、ダメだった。掃除したと言っても、全くできていない。やはり汚れなどが目につかない人らしい。洗い物をしても、油汚れがビッシリ付着している。そんなお皿を平気で食器棚に戻してしまう。

 彼が洗い物をしても、私は全て洗い直すという繰り返しだった。


 そして、不衛生な上に、汚すのも散らかすのも得意な人だった。「出したらしまう」という当たり前の事ができない。どんどん物が身の回りに増えていき、散らかり放題になってしまう。

 カップを出したらしまわない、仕事の書類なんかもリビングのテーブルに置きっぱなしになっている。

試しに放置していた事もあった。何日間そのままなのか、を見るために。

 つくづく無駄な事をしたと思った。何日経とうが、そのままだったからだ。私が片付けない限り、永遠とそのままなのでは、と思うくらい放置されっぱなしだ。

 夜中にお腹を空かせてカップラーメンを作っている時が度々ある。ヤカンでお湯を沸かしたあと、鍋つかみでヤカンからお湯を注ぐ。そしてその鍋つかみをコンロの真横や、五徳にぶつかるくらいの距離で置いている事が多い。火事になりそうでとても怖い。

 私の部屋は台所から対角線上に一番遠い位置にあるが、彼が夜中に台所でコンロを使っている物音に敏感になった。遠くから聞こえるコンロの音で目を覚まし、彼が台所から自室に戻ったあと、必ずコンロ回りをチェックしに行く。

 彼の部屋は台所のすぐ横にある。お腹が減ったらすぐに台所に食べ物を取りに行き、部屋に持ち込んでそのまま放置するのが癖のようになっている。


 何度か、片付けて欲しい事や、コンロの回りは気をつけて欲しいという事を言ってみたけど、不満そうにされたり、「すぐしまうつもりだった」というような返答が来る。私自身とても気分が悪くなるので、彼に言うのはやめた。私が片付ければいい事だ、と自分に言い聞かせた。


 夏も終わりに近付いたある日、また二階の小窓にヤモリがいた。

おそらく同じヤモリだ、同じ体勢でジーっと窓にピッタリくっついている。私はまた「ひゃっ」と驚き、自分の部屋に駆け込んだ。

 部屋のドアをそーっと開け、ヤモリの様子を窺ってみた。ヤモリはピクリとも動かない、あの大きな体つきは、同じヤモリに違いない。恐怖感はあったが、私はしばらくじっとヤモリを見つめていた。

 だけど、ちっとも動く気配がない。私はだんだん見慣れてきた。大きな体つきのヤモリ、真っ白なお腹と手足。



 秋になり、少しずつ涼しさを感じる日もある。

仕事は順調だが、私の負担はどんどん増している。彼は元々仕事があまり好きではないのか、この仕事が性に合わないのか、あまり楽しそうではない。その分、私の負担が多くなり、日常的な業務の大半は私がこなすようになっていた。

 仕事をして、家事や掃除もして、私は休むヒマがなくなってきた。

それでもこの生活を守る為に、ひたすら頑張った。

 彼との時間にストレスを感じる事も少なくはない。でも、話している時や穏やかな彼と一緒にいる時は、幸せを感じていた。誰だって欠点はあるし、私にだって欠点なんて山ほどある。彼の欠けている部分は私が埋めればいい、そう思っていた。


 「将吾くん、ゴミ捨て場に曜日間違って捨てられてるダンボールがあるんだよー、あれ、間違えた人持って帰らないのかね」

 と、いつも通りの他愛ない会話をしていた。

 「うん、そうだね」

 彼はパソコンの画面に見入っているようで、ぼんやりした返事だった。

そんな日がどんどん増えているように感じた。彼は何かに夢中になっていると私の話しは聞いていない、同じ事を繰り返し言っても聞いていない時が多くあった。

 

 翌日に彼が言った。

 「ゴミ捨て場にダンボールいっぱいあるけど、あれなんなんだろうな」

と。

 やっぱり私の話しは聞いていなかった。こんな風に同じ内容を繰り返されるのは何度目だろう。些細な事だし、大事な用事でもないと分かっていたけど、私の話しは聞いて欲しい。例えつまらない夫婦の会話であっても、ちゃんとキャッチボールがしたい。最近は私自身、誰に話しているのか分からなくなる。空虚に向かって話していて、そして私の発した言葉はすぐにかき消されてしまう。


 少しずつ私は彼との接し方や彼との距離感を考えるようになった。

休みの日には、気晴らしに出かけるのが私の楽しみだった。一人で買い物に行って好きな時間を過ごしたり、実家に帰って母親とお喋りしたり、それが唯一の息抜きだった。

 だけど、彼は私が出かけようとすると一緒に来たがる事が多い。

私は一人で買い物がしたくても、彼がいると思うように動けない事が多い。彼のペースはとても遅い、考えるのも行動するのも、とにかく遅い。

 相反して私はテキパキと行動するタイプだ。買い物するにしても、できるだけ多くのお店を見て回りたい。彼と一緒だと、1店舗見るのにものすごく時間がかかり、予定通りに動く事は不可能だった。

 何かと言い訳を考え、私はできるだけ一人で行動するようになった。


 彼は彼で、パソコンに向かう時間が増えていた。何をやっているのかと思えば、ツイッターだのSNSをやっている事が多い。一言ツイートするにも、ものすごく時間を要している事が多い。

 ツイッターって、そんなに考えながら使うものなのかな?と私はいつも疑問だった。

 彼はとにかくのめり込むタイプだ。ゲームにしろ、ネットにしろ、のめり込んでとても多くの時間を費やす。

 私はそんな彼を不思議な気持ちで見ていた。私には全く分からない感覚だ、私もツイッターなどやっているけど、気軽に投稿して楽しんでいるからだ。


 日々の仕事に追われる毎日。

 そして、夜寝る直前まで家事に追われていた。彼は相変わらず掃除はしない。そして、最悪な事が続いていた。

 彼が全くお風呂に入らなくなっていたのだ。元々ズボラで毎日お風呂に入る人ではなかった。3日に一度入るくらいだったのが、ツイッターなどに夢中になっているせいで、全く入らなくなった。

 

 私はしんどかった。元々潔癖の気があったとは言え、ここまで不潔な人と関わる事になるとは思っていなかった。まして、自分の旦那になった人がこんなにも不潔だと思ってもみなかった。

 さすがに耐え切れず、何度か注意をした。言った時は「明日入る」などと言って入ってくれたりもした。

 けど、放っておくとまた入らない日々が続く。二週間入らない日も何度もあった。

私は彼の服の洗濯をする時、嫌悪感に満ち溢れていた。下着は何枚も捨てた。二週間履きっぱなしの下着を洗濯機に入れたくはなかった。

 こっそり捨てて、新しい下着を買った。

洋服は捨てるわけにはいかないから、洗濯機でしっかり二回三回と何回も洗った。


 段々と、彼から異臭を感じるようになってしまった。



 

 7


 私は苛立ちを感じる事が多くなった。幸いな事はと言えば、売り上げが安定していたので、生活費をもらう事ができるようになった。

 それは大体毎月、だった。もらえない月もあれば、もらえる月もある。という不安定な状態で、やはり金銭面での不安は常に付き物だ。

 過去を思い出し、あの時の200万が手元にあれば…と思い返す事も多い。

 実際彼はそのお金については一切触れる事がなかった。もちろん返済能力がない事は分かりきっているし、もう結婚したんだから、夫婦になったんだから関係ない、と思い込むようにした。

自分の判断でお金を渡し、自分の判断で結婚した。それなのにいつまでも思い出してイライラする自分に落胆していた。


 彼の不潔な部分はどんどん目に余るようになった。

リビングのテーブルの下や、ソファー回りにはいつもお菓子のカスが落ちている。彼の布団にもよく落ちている。あちこちでお菓子を食べ、ポロポロ落としているからだ。それだけではなく、髪も多く落ちていた。お風呂に入らないと、とにかく髪が多く落ちてくるという事を知った。枕カバーにもびっしり髪がこびりついている。できるだけ私は頻繁に枕カバーと布団カバーと取り替え、布団を干した。毎日のように髪の毛が至る所に落ちていたりしている。

 もちろん彼はそんな事気にもしていない。掃除機をかけるのも、彼の部屋の掃除をするのも全て私なのに。


 私は彼が羨ましくて仕方なくなっていた。

少ない時間仕事をし、早めに終わった後はのんびりソファーでスマホのゲームをしたり、寝たりしている。

 私は仕事が終わった後は少し休んでからすぐに夕食の準備に取り掛かる。夕食後の時間が私が心底のんびりくつろげる時間だ。

 彼は寝ている間に夕食ができ、そのあと寝るまでも彼にとっては自由時間だ。

彼が1日で仕事に費やす時間は平均すると三時間もないくらいになるだろう。


 私はなんでこんなに尽くしているんだろう。何の為にここにいるんだろう。


 実家に戻る事を考える時があった。

だけど高齢になる母親は私が結婚する時にとても喜んでいたし、仕事が順調だという事を話す度に、とにかく嬉しそうにしている。

 母親をがっかりさせたくはない、親を悲しませたくない。そんな思いだけで私はこの場所でもがいている。


 彼を愛しているのか分からなくなってきている。

彼は私がいなければ生きていけないだろう。身の回りの身辺整理や掃除、常に食料を補充して提供している私がいなければどうなろんだろう。

 コンビニに通って食事はどうにかする?仕事はどうする?今は私が動かなければ成り立たない状態になってしまっている。突然私がいなくなったらどうするのだろう?


 そんな事を考える事が多くなっていた。



 冬が来て、年末年始を越して新しい年になった。

冬の家はとにかく寒さが堪える。なにせ古い家だ、当然壁も床も窓も防寒対策などは施されていない。どんなに部屋を暖かくしても隙間風の冷たさや、床からの底冷えする寒さが身体中を冷やしていく。私はこの家に来て防寒用の服を多く買うようになった。


 そして、私はどうにか自分の時間を作りながら、楽しく過ごそうと前向きに努力していた。

あまり考えるのはやめた。昨年はストレスを溜めすぎて胃を痛める事も少なくなかった。考えるのをやめて、彼の身の回りの事をやるだけで、私は無機質になっていたのかもしれない。


 今でもたまに目眩が起きる時がある。

 一人で台所で酷く目眩をおこし、冷蔵庫にもたれかかる時もあった。だけど彼は自室にいたまま大音量でゲームをしていた。私の声は届かない。私は諦めに近い落胆を感じていた。



 春になっても、私の日々は毎日同じ事の繰り返しだった。

買い物に行って彼と私の食料を買い、仕事をして洗濯して夕食を作る。そしてわずかな時間で休む。

 母親や兄には心配させまいと、何も言わずにいた。仕事も順調、夫婦仲も順調、そう思い込んでいる事だろう。


 彼は相変わらずツイッターばかりだ。

最近は政治的な事に興味を持ち、やたらと政治の話しばかりするようになっていた。

私は政治には詳しくないので、彼の話しをきちんと聞こうと試みた。

 だけど、彼の話しはどうにもこうにも偏っている。「あいつは間違っている」「俺ならこうする」というような話しを聞かされるが、とにかく極端な内容ばかりだ。

 そして、有名なジャーナリストや政治家などをフォローしているようで、「俺の一言であのジャーナリストはおとなしくなった」というような事まで言い出した。

 私は危機感を持った。虚言癖?妄想?どう表現すればいいのだろう。

彼は一般人だ、著名人でもなんでもない。フォロワーだってせいぜい二桁だったし、彼のツイートを見ている人はごくわずかだ。

 彼がとにかく心配だ。猪突猛進で突っ走るタイプの彼、プライドが高く自分をとにかく過大評価する彼。その結果が今に至っている。


 私は少しなだめるように言った。

 「さすがに、一般人のツイートまでは見てないんじゃないの?」


 「いや、でも返事ももらった事があるし、ほら!見てみて!!それに、俺がツイートしてからあの人は変わったんだよ。」


 埒があかなかった。私は彼に何ができるのだろう。



 

 8


 また夏になった。これでこの家に来て三度目の夏を迎える事になる。

私はあまり何も考えなくなっていた。家事や仕事をこなして過ごすだけの毎日。お金を稼ぐだけの毎日を淡々と過ごしている。


 彼との時間は息苦しくなりつつあった。

 彼は私が選ぶ物事を評価しない。私が選んで購入した物や、私が通う病院など、私が選んだ物事は常に評価しない。「大丈夫なのか、その医者。怪しいな。」などと疑ってかかる。

 そのくせ自分が通う病院などはとても評価している、自分が選んだ物は全て正しい、ミスなどはない、と思い込んでいるようだ。

 私は何を選ぶにしても、彼には言わないようにした。否定されるのが目に見えている。私はどんどん自分の事を話すのをやめた。



 「あれっ?」


 私はふいに独り言を言っていた。

二階の小窓に、去年見たのと同じようなヤモリがくっついていたからだ。体の大きさといい、窓にいる位置といい、去年と全く同じ光景に思えた。


 「ヤモリの寿命ってそんなに長いのかな?それとも去年のとは違うのかな…」


などと言いながら、大きな体の白い内側をじっと見ていた。

気持ち悪いとは思うけど、去年始めて見た時よりは慣れている。至近距離では見れないけど、ある程度の距離から見ている事はできる。


 ヤモリは、お腹の面はこんなに真っ白なのに、背中側は色が全然違う。

背中が真っ白だったら目立ってすぐに捕食されてしまうから、当たり前だ。

 しかし、こんなにも色が違うのは不思議だ。まるで人間の裏表のようにも思える。一見いい人そうに見える人間だって、白いように見えていながら裏を返せば淀んだ色なのかもしれない。


 じっと窓に張り付いて耐えて耐えて耐え忍んでようやく一匹の虫を捕食する事ができるヤモリは、まるで私に似ている。どんなに長時間耐えても虫を捕まえられるとは限らない。その間他の動物などに自身が捕食されてしまったら一巻の終わりだ。ほとんど動かずにじっと同じ場所にいて、長時間待って耐えている。

 今は耐え忍ぶ時なのか。それとも永遠に耐え忍ぶしかないのか。


 窓の外には真っ暗な夜の闇が広がっている。その中に鮮明に浮かび上がって見えるヤモリの姿に自分を重ねて見ていた。



 翌朝、リビングに降りるとダイニングテーブルの上が散らかったままだ。こんなのは日常茶飯事だった。夏なのに調味料がテーブルに置きっ放しだったり、ポテトチップの袋も置きっぱなし。これじゃ虫がいくらでも侵入してくる。


 さすがに私も黙っていられない時もある。

何度かなだめるように注意を促す事もあった。彼はその時は「ごめんごめん」などと言っていたけど、改善される事はない。

 落ちたゴミも、出されたままの空き缶やお菓子も、全て私が片付ける。

彼にとっての私の存在ってなんなんだろう?家政婦?母親?なんでもやってくれる人?

 

 彼に何度か繰り返し注意すると、彼はあからさまに不機嫌になる。まるで子供だ。いや、子供なら学習能力がある。出した物は仕舞う、食べたらお皿を下げる、など成長と共に覚えて学んでいく。

 だが、彼は大人だ。もう生活の上で学ぶ事はないのだろう。私は常に諦めと共に生活していた。


 彼との暮らしで、楽しい時ももちろんある。仕事で休憩中にコーヒーを飲みながらケーキなどのスイーツを食べている時。彼はそういう時はとても優しく接してくれる。私をまるで子供のように扱う。

 だけど、その楽しい時間が過ぎると、彼はそのまま立ち去っていく。テーブルに置かれたお皿などは私が片付けるのが当たり前になっているから、基本的に彼は自分でお皿を並べる事も片付ける事もしない。


 私にももちろん思う所は多々ある。私のせいで彼はこんなに何もしなくなったのではないか、と。

私が最初から何もせずにいたら、彼は仕方なく自分で片付けをするようになったかもしれない。

 だけど、元々不潔な部分は変わらないのかもしれない。お風呂に入らないのは自分の意思だろうし、それで平気だから、面倒だから、と入らないわけで。私がどうこうしても変わらないかもしれない。そんな事を今考えても無駄だし、堂々巡りだった。分かっていながらも、考えてしまう癖がついていた。



 

 9


 「どんどん風が強くなってきたね。」


 「ふーん。」


 相変わらずスマホを見たままぼんやりとした返答だけが返ってくる。

かなり大型の強い台風が関東に接近していた日だった。関東直撃になりそうなルートで向かってきていて、私はものすごく怖かった。

 なにせ、ここは古い家であちこち弱っているだろう。事前に養生テープを多く買って、雨戸のない窓はしっかり補強したり、外側にはダンボールでカバーしたりもした。

 彼はそんな時も全く動こうとしない。この家が大丈夫だと信じているのだろうか。

 先日知ったが、この家は築59年だった。掃除をしていた時、家の登記簿謄本を見つけた。不用心に置かれたままになっていたので、彼にしっかり保管するようにと言った。

 かなりの築年数だと思っていたけど、もうじき築60年になるという事だ。お寺のように立派な家屋でもないし、古くても頑丈な作りの日本家屋でもない。一般的な木造の家だ、そうそう頑丈でもないのは見てとれる。

 雨戸を閉め切っているのに窓がガタガタ鳴っている。最接近は夜中になるというニュースを見ながら、停電に備えて懐中電灯なども用意しておいた。

 早めにお風呂に入り、スマホもしっかり充電し、恐怖と戦いながら夜を越す。彼はどんなに大きな物音や地震でも寝れるタイプだ。ちょっとやそっとの自然災害でもぐっすり寝てしまうんだろう。

 私は怖くて眠れそうにない。


 翌朝になり、台風一過の晴れわたった澄んだ青空が広がっている。


 「よかった、無事に一晩越せた。」


 安堵のため息をついて、家の回りをチェックした。思った通り家の回りは葉っぱやゴミが飛び散らかっていた。どこから落ちたのか分からない家の一部のような木の小さな柱。壁も少し剥がれていた。

 やっぱり小さな箇所はあちこち破損があった。この程度で済んだのは奇跡的だろう。

 家の回りをぐるっと見回して、玄関に戻りドアを開けようとした時に気付いた。玄関の上の方から繋がれていた電線が取れそうになっている事に。これはかなり危ないんじゃないのか、と思いすぐに彼に伝えようと思い家の中に駆け込んだ。

 だけど彼はまだ寝息を立てていた。やはり昨夜の轟音の中でもしっかり眠れたらしい。なんという呑気な性格だ。


 彼は本当に危機感がない。

電線に繋がれている部分を見ても、危ないとも思っていない反応だった。グラグラしていて、またもし台風が直撃したら電線が切れるかもしれないから危ない、という事を私が必死に訴えても聞く耳持たずという感じだ。

 

 「ま、すぐにどうこうなるもんじゃないし、しばらく様子見でいいんじゃん。」


 などと言っている。何か起きてからでは危ないのに、今すぐにでも直して欲しいと思っていても、私の訴えは聞き入れてくれない。

 相変わらずスマホを見て、自分のツイッターを眺めている。彼はとにかく自分の事が大好きなのだ。自分で発信したテキストに酔いしれていて、何度も何度も繰り返し読んでいる。もちろん私にも幾度となく見せ、誇らしげに語っている。

 大抵は政治の内容だ。政府のやり方やこれからの日本の方向性、外交など多岐に渡る内容だった。関心していた頃もあったけど、あまりにも自分に酔いしれているだけで、自分に発信力や発言力があると思い込んでいる事が分かってから、私はほとんど無関心だった。

 彼は自分がこんなにもすごい人間だ、という事を知らしめていたいようだ。たかだか数文字のテキストだけの広いようで狭い世界。単なる一般人がどんなにいい事を言っても埋もれてしまうだけだ。



 その夜、またいつもの場所にヤモリがいた。

あの台風の中、無事だったのか。と、私はホッとした。いつの間にかヤモリに親近感を抱いているかのような感覚になっていた。

 雨の後は虫も多いだろうし、エサには困らないだろう。


 なんて事を思っている時に、ふと異変に気が付いた。

ヤモリのお腹にうっすら円を描いて色が明るくなっている部分が2つある。楕円形の光を帯びているような感じだ。

 気になった私はすぐにスマホで調べてみた。


 ヤモリ お腹 白い 丸

 

 回答はすぐに出た。ヤモリの卵が光で反射して見えているという事だ。

このヤモリはメスで、妊娠しているという事だ。私は驚いた、こんな状況のヤモリはもちろん始めて見たし、2つの卵がまるで透けて見えるという事実にも驚いた。


 「そっかぁ、このヤモリ妊娠してるんだ。台風の中、無事でよかったね。ちゃんと生まれるといいね。」


 などと小声で呟きながら、昨日の睡眠不足がたたっていたのか、猛烈な眠気に襲われた私はすぐに眠りについた。



 

 10


 この家にいると、台風しかり地震しかり、とにかく自然災害が恐怖でしかない。

古い家はちょっとした事でガタガタ鳴ったり家のふしぶしが軋んだりする。普段からの備えを常に意識するようになったのもここに来てからだ。


 「そこです、その外壁から電柱に向かっている電線の所です。」

 

 結局私は自分で電力会社へ電話をした。幸いすぐに電力会社の作業員が来てくれて、修理してくれた。

それに関しても彼はあまり関心がないような反応しか示さなかった。

 以前から、私が勝手に動くのが気に入らないようだったし、私自身が積極的に行動しても彼は我関せずという態度だ。

 それを分かっていたから、必要とあらば私は一人で行動する事も多くなった。


 「危なかったですね、このまま放っておいたら電線が切れて感電する危険もありましたよ。」


 「え、そうなんですか?早く直してもらえて本当によかったです。ありがとうございました。」


 電力会社の作業員はテキパキと補修して直してくれた。


 彼は日曜大工なども全くしないので、古い家のあちこちを補修する事は全くなかった。DYIも興味なさそうだし、不器用だから恐らく補修しても上手にできるとは思えない。

 以前から壁紙を貼ったりするのは私だった。自分でできる部分はできるだけ補修などもしてきた。もちろん限度もあるから、簡単な事しかできないけれど。



 夜になり、彼が求めてきた。

彼は自分のタイミングで私を求めてくる。昔は優しく接してくれたし、丁寧に扱ってくれていた。

 今はいつも突然だ。突然で無理矢理なので、とにかく痛い。私はいつも痛みをこらえながら時間が早く過ぎればいい、と思って耐えていた。

 彼に何度か言った事もある。もっと優しく触れて欲しい、と。そんな時彼は「そういう事は早く言えよ!」などと語気を荒げて返してくる。

 言った後は少し優しくなったけど、結局またすぐ元に戻ってしまい、無理矢理挿入してくる。

私はいつからから、彼が求めて来ない事を望む毎日になっていた。


 今日も痛みを堪えて終わり、さっさとシャワーを浴びて寝ようと二階に上がる。


 「あ。」


 またいつもの場所にあのヤモリがいる。変わらずお腹には2つの卵の陰影がしっかり見えている。まだ生まれていないようだ。

 ヤモリを見ていると、涙が滲んで溢れてきた。

私はなんでここにいるんだろう、どうしてこんなに苦しい思いをしていなければいけないんだろう。実家に帰るべきなのか、こんなに我慢しなければいけないのならば帰るべきなのか。


 そこで初めて私は今までこんなに我慢してきた、という事を痛感した。

彼の事は好きだった。信じていた。だけど結婚してから変わってしまった。私が変えてしまったのかもしれないし、彼の本質かもしれない。

 ただ、彼は毎日とても楽しそうに自由に過ごしている。仕事を少しやった後はスマホゲームをしたりツイッターを見たりして、そしてご飯が食卓に並ぶ。

 トイレに入ればいつでもペーパーが補充され、毎日掃除されているトイレ内で用を足す。リビングのティッシュもいつも補充されて冷蔵庫も食材で満たされている。彼は黙ってそこにいるだけで何もかも整っている部屋で過ごす事ができる。


 もちろんそれは全て私がやっているから。

 

 私の立ち位置が分からない。私は本当にバカなのかもしれない。彼を好きだった、ただそれだけで彼と結婚した。そして彼は堕落して偏った考えの人間になってしまった。

 仕事と家事に追われ、毎日毎日変わりなく同じように過ぎていく。ゆっくり考える余裕もなくなってしまった。何もかも上手くいくと思っていたのが遠い昔のようだ。彼と再会した頃、彼が就職に精を出していた頃、未来への不安はあったけど、ワクワクした高揚感、ドキドキした彼との生活、輝きに満ちていた気がする。


 今は考えごとをするなら少しでも長く寝ていたい、心に全くゆとりのない生活を過ごす事になるとは、あの時の私には想像もつかなかっただろう。



 

 11


 今日も仕事を終え、夕食を作る時間まで少し休もうとした所で彼が声をかけてきた。


 「一緒にお茶して話そうよ。」


 大抵こういう時は、彼は自分の話しをしたい時だ。ツイッターの文面を見せたかったり、自分がさもすごい事をしたような語りをしたい時に声をかけてくる。


 今日の仕事中はとにかく酷かった。彼は全く仕事をしていない。

私がパソコンで仕事をして集中している傍らで、ずっとネットニュースなどを見ていた。政治や芸能のニュースを見て、あれこれ愚痴ったり文句を言い続けていた。

 私が真横で仕事をしているにも関わらず、ずっとネットを見ているだけだった。

そして夕方になり、キリのいい所で私はいつも通りに仕事を終えた。彼は結局今日は何も仕事をしなかった。

 彼のそんな日は少なくない。私が家事していても仕事をしていても、構わずネットに夢中になっている。全く悪びれる様子もなく、私が仕事や家事をしているのが当たり前かのようだった。


 そして今日も私が仕事を終えるまでそんな状態だった。彼は一体1日をどうしてこんなに無駄に過ごしてしまっているのだろう。ただでさえ行動が早い方ではないし、のんびり考えてのんびり行動している。慎重と言えば聞こえがいいが、私から見ると愚鈍にも見える。


 そして彼は案の定私にツイッターで書いたテキストを延々と見せ、俺にとっての使命感だ、というような事を言っている。彼の声は私には遠く聞こえる。全く現実とは乖離しているように感じる。

 私は日々の暮らしに追われ、1日1日を過ごす為に仕事を必死でこなし、家を綺麗にする。そんな現実を過ごしている私を目の前にしながらも、彼は夢見心地のような遠い世界にいるようだ。


 そして夕食作りの時間まで話しが続き、私は休めないまま夕食の支度に取り掛かる。これも毎日のルーティーン。彼にとっては私がご飯を作るのも当たり前なので、全く疑問など持たない。私がいくら疲れていようが夕食を作るのは私であり、彼はそこにいるだけで夕食が出てくる。


 そんな毎日を過ごし、本当に私は疲れていた。日々の暮らしに追われる毎日、お金の事を考え続ける毎日。もっと自分の自由になる時間が欲しい、友達とも会いたい、遊びに行きたい。


 夜になり、外の風が強くなった。二階の小窓がガタガタと音を立てている。風が強くても今日も同じ位置にヤモリがいる。まだお腹に卵を宿している。


 「今日もお疲れさま。私は疲れたからすぐ寝るよ。」


 と、ヤモリに話しかけるように私は自室に入り、布団に潜り込んだ。

今日は暑くて熱帯夜だ。エアコンを弱めに設定していると、じんわり背中に汗をかく。いつもより温度を一度下げて寝る事にした。


 「ガタッ。ガタガタッ。」


 夢うつつの中で遠くから物音が聞こえる。


 風の音かな、それともまた、彼が台所でカップラーメンでも作っているのか。今日はひときわ暑いのに、よくカップラーメンなんか食べれるなぁ。

 あ、コンロをチェックしに行かなきゃ。。。。

 

 体が眠気で動かない。相当疲れが溜まっていたようだ。

 今日はいっか、まぁ大丈夫だろう。


 

 どれくらい時間が経過しただろう。


 「うん?なんかすごく背中が暑く感じる。エアコン下げたのになんでこんなに寝汗かいてるんだろう。」


 異常な寝汗で私は目が覚めた。背中が暑く感じる。気温のせいじゃない?熱い?

 ようやく頭が覚醒してきた。空気がおかしい。こもった煙の匂いがする。


 私は一気に血の気が引いた。

体が動かなくなった。何がどうなってるのか分からない、どうしたらいいのかも分からない。逃げる?どこに?ここは二階。いや、電話?どこに?警察…じゃない、消防。

 頭がグルグルしていた。パニックで体が動かない、何も的確な判断ができなくなっていた。


 1分くらい経過しただろうか、ようやく頭が冴えて、立ち上がる事ができた。

部屋のドアをゆっくり開けてみると、そこには煙が一面に広がっていた。

 ますます血の気が引いて、真夏なのに背筋がゾっとした。煙があまりにも広がっていたせいで、窓の外は見えない。

 すぐさま危険を感じ、ドアを閉めた。

 そしてスマホを手にし、119番に電話をした。


 「はい。119番消防です。火事ですか、救急ですか。」


 「煙がすごいんです!今二階にいるんですけど、とにかく煙がすごくて、多分一階で火事です。一階に旦那がいます!」


 慌てながら早口でまくしたてるように言った。応対はほとんど覚えていない、焦ってろれつも回っていたかも分からない。住所と名前を伝えて、すぐに向かうからできるだけ煙のない所に避難していろ、というような事を言われた。


 一階はどうなっているのか、混乱した頭で考えるのも恐ろしかった。彼は避難しているのか、していたとしたら外に出てるはずだから、外の道路から私を呼びかけてもいいはずだ。


 咄嗟に窓を開けて、道路側を見た。

火事に気づいた近所の野次馬のような人が四、五人いる。

私は錯乱しながらも、大声で叫んだ。


 「助けてください!」


 その中の一人の男性が大声で返してきた。


 「窓の下は大丈夫だ!そこから外に出ろ!」


 窓の下?この真下は大丈夫って事なのか。立て続けに叫んできた。


 「窓の下の軒を渡って、囲いの塀の上を歩いてこっちに降りてこい!」


 煙で視界が悪い中、ようやく私は道筋が見えた。そうか、窓の軒…この真下なら歩けるのか。

私は手に持っていたスマホをパジャマのポケットに無造作に押し込み、恐る恐る窓の外に出て軒の上をゆっくり歩く。野次馬の人はどんどん増えてきているようだ。遠くでサイレンの音も聞こえる気がする。

 大丈夫、大丈夫。


 軒から塀までは1メートルくらいの距離だ。これなら足を伸ばせば届く。ゆっくり足を伸ばして靴下1枚の足を塀の上に乗せて移動し、少しずつ道路側に向かう。塀の高さは2メートルくらい。かがんで塀から道路へ飛び降りた。

 そこへさっきまで叫んで指示していた男性がすぐに駆け寄ってきた。よく見たら近所のおじさんだ、何度も挨拶をした事がある。

 私は腰に力が入らず、立てなくなっていた。おじさんが手を貸してくれ、ようやく私は立ち上がる事ができた。


 そこで私はゆっくり家の方を振り返って見た。



 一階部分が煙に包まれ、煙の奥は真っ赤になっている。家の前にいるだけで煙で咳き込んでしまう、ものすごい煙の量だ。一階はほとんど姿形が見えない。まるで地獄絵図を見ているようだ。これが現実とは思えない。


 消防のサイレンがどんどん近づいている。

 呆然と佇む私の真下で、足早に逃げていくヤモリに気付く余裕はなかった。



 

 12


 真っ白い扉を開けると、そこには点滴を交換している看護師さんがいる。


 「こんにちは。」


 「あら、こんにちは。今ちょうど点滴の交換をしていました。今日は安定してますね。」


 と、穏やかな口調で三十代前半に見える看護師が答えた。


 「奥さんが来ましたよー。」


 将吾くんの耳元で大きめにはっきりした口調で伝えている。


 「あとで先生が診にくるかと思います、よろしくお願いします。」


 「はい、分かりました。ここに着替えとか置いておきますので、必要な時に使って下さい。」


 と、私は持ってきた買ったばかりのパジャマやタオルを棚に置いた。

看護師が部屋から出ていくと、包帯に包まれて寝ている人がいる。彼は全く動く気配もないし、声が聞こえている様子もない。

 包帯で覆われた体は、ほとんど皮膚が見えない状態で、点滴などのチューブが体のそこかしこから伸びていた。顔もほとんどが包帯に覆われ、片目だけが見える状態になっている。その片目が開いた所をまだ見た事がない。

 信じがたいが、これが今の私の旦那の姿だ。


 彼は全身を火傷に覆われていた。あの時、台所からの引火で、彼は起きるまで時間がかかってしまった。そして玄関に向かう出口を火で塞がれ、気付いた時にはもう逃げ場がなくなっていた。

 私がちょうど塀を伝って逃げていた時に彼は火に取り囲まれていた。


 「将吾くん、来たよ。」


 返事はないけど、私は毎回話しかける。絶対安静なので個室での療養だったから、周りを気にする事もない。

 私は検査入院で3日間病院にいた。奇跡的にかすり傷程度と、ショックがあったくらいで済んだ。念の為と精神科の検査も受け、問題ないという事で退院できた。


 あの火事から二週間が経過していた。彼は一度も目を覚ましていない。


 ガラッという音と共に主治医の医師と、さっきまでいた看護師が入ってきた。

簡単に挨拶を済ませ、彼の経過などを伝えられた。症状は重いが、今は安定しているという事だった。

 そして医師が部屋を後にする時、看護師から話しかけられた。


 「奥さんのお身体の方は大丈夫ですか?」


 「はい、安定しています。さっきも検診に行ってきました。」


 「そうなんですね、それは良かった。お大事にどうぞ。」


 と、明るい口調で返して看護師は去って行った。

私は一人になると、彼にまた話しかける。


 「将吾くん、今日検診に行って来たよ。エコーを見たらね、ちゃんと見えたよ。まだ人の形っぽくはないけどね。」


 私は妊娠していた。


 検査入院の際に発覚した。今は妊娠二ヶ月になる。

最初は不安しかなかった、この先どうなるかも分からないのに妊娠だなんて。堕胎するしかないかとも考えた。


 しかし考えれば考えるほど、お腹にいる子供が愛おしくなり、手放すという考えが遠のいた。

 私はなんとしてでもこの子を育てる。そう決意するのに時間はかからなかった。


 私が退院した翌々日、主治医から彼の症状についての説明があるという事で話しを聞いた。

 私が身重だという事もあり、医師はゆっくり慎重に言葉を選びながら、私の様子を伺うように話していたのが印象的でよく覚えている。


 彼の状態からすると、も持って三ヶ月だと言われた。


 全身の火傷がひどく、皮膚の移植などもままならない。それに加え精神的なショック状態もあり脳の機能も低下しているという事だ。

それを聞かされた時の私は、何も感じる事ができなかった。医師の口から丁寧に言葉が発せられ、空を見ているような状態で聞いていたと思う。


 そしてそのまま彼の介護をする為に毎日病院に通っていた。

 医師から告げられた事を実感するのはなかなか時間がかかった。彼のパジャマを洗濯し、必要なものを持って来て、彼に話しをする毎日を繰り返していた。

 包帯で身体中ぐるぐるに巻かれている彼に私は何もできる事はない。医師に任せるしかない。


 彼に話し続けた。今までの事、結婚してから私が辛かった事もしんどかった事も、言えなかった事も全部。言わないと後悔しそうだったから、知って欲しかったから伝えた。

 非情に思われるかもしれない、情けも容赦もない人だと言われるかもしれない、だけど私は彼に伝えた。

 彼はずっと目を瞑ったままだ。身体が昏睡状態であったとしても耳は聞こえている、という話しを聞いた事がある。だから私は話し続けた。

 


 

 13


 「将吾くん、来たよ。紫だよ。

 今日は天気がいいんだよ、窓の外はすごい快晴。


 この棚に置きっ放しのパジャマ、使う日がくるのかなぁ。買う必要なかったかもね。


 やっとね、引っ越しが終わったんだよ。

引っ越し先は前にも言ったと思うけど、実家から二駅の所だよ。家から近いと安心だよね、この子が生まれてからはお母さんにも頻繁にお世話になっちゃうと思うし。

 引っ越しもなんだかんだですごく早く終わったよ。お兄ちゃんが物件探しを手伝ってくれたのは本当にありがたかったな。普段はめったに連絡取れなかったのに、今回すごく手助けしてくれて、落ち着いたらお礼でもしなきゃだね。


 元々荷物なんてあってないようなものだから、楽な引っ越しだったよ。火事で全部なくなっちゃったからさ、実家に残してあったわずかな洋服くらいだよ。

 パソコンは新しいの買い直したから荷物なんてそれくらいかな。今は新しいパソコンでしっかり仕事してるよ。一人でも全然大丈夫。そりゃそうだよね、ずっと私一人で仕事してたようなものだったし。

 少しずつ仕事も落ち着いて、家具も揃えていって、段々ちゃんと生活が成り立ってくる感じかな。


 あの家、築年数60年だったもんね。いずれ自然災害でダメになっちゃってただろうね。

今借りてるアパートはね、小さいアパートだけど築年数が15年で、すごく綺麗なんだよ。耐震構造とかもしっかりしてるし、ここなら災害に怯えて暮らす事もないって感じ。


 一人で生活してみるとね、すごく時間に余裕があるの。一人分の家事だけだと、こんなに楽なんだなーって痛感したよ。ほったらかしのカップやお皿もないし、洋服がちらかってる事もないし、買い物も一人分だとすごく楽。

 いつも嫌だったな、将吾くんはお風呂に入らないから髪の毛があちこちに落ちてたし、ソファーには髪の毛とフケがいつもくっついてたね。どんなにソファーカバーを洗濯しても、本人が汚れてるから全く意味なかった。トイレ行っても全然手も洗わないしね。

 トイレからダイニングに直行して、そのままごはん食べたりしてたよね。あれ、私ものすごく嫌だったよ。

 

 トイレ掃除もお風呂掃除もした事なかったね。洗濯機の使い方が分からなくて、いざ使おうと思った時に私に聞いてきたりしたね。自分で洗濯した後は、さぞかし大層な事をしたような態度だったね。

私が毎日当たり前のようにやってる事なのに。私は一度も洗濯や掃除で感謝された事なんてなかったんだけどな。


 将吾くんは私をいつも見下してたもんね。私はそれが苦痛でたまらなかったんだよ。気付いてないだろうね。私が話していても、話しを遮って否定してきたり、最後までまともに聞いてくれた事あったかな。結婚前はちゃんと聞いてくれてた気がするんだけど。


 私が出かけた時とかもさ、どこに行って何してたのかって聞いてくれた時少ないよね。私がどこに行こうが、何しようが興味ないんだろうな、って思った。たまに聞いてくれる時もあったけどさ、私がウキウキしながら今日の出来事を話しても、1分で飽きちゃって自分の部屋に戻ったりしてたね。私の話しは1分も聞けないんだな、って思ってからは私は出かけた時も何も言わなくなったんだよ。どうせ私の話しはつまらないから聞いてくれないって分かってたから。

 将吾くんは自分の話しばっかりだったね、自分の自慢話しや友達自慢とか。自分の周りにいる人はさぞかしすごい立派な人ばかりだ、って言ってたね。


 私はさ、勉強できなかったし、誇れる学校に行ってたわけでもないよ、だけど、暮らしていく分の知恵や努力は相当してきたと思ってるんだけどな。

将吾くんが見ていない所で、気付かない所で私はすごく動いていたよ。毎日夕食考えるのも作るのも大変だった。毎日のごはん考えるのって本当に大変なんだよ、贅沢できないし、買い物毎日行けるわけじゃないから、今あるもので考えてさ。

それで、無反応で食べてる時も多かったから、寂しかった。なんの為に毎日しっかりごはん作ってるんだろ、って思う時もいっぱいあった。

 1日でいいから、私と交代して欲しいって思ったりもした。将吾くんは家事をまともにできないから、交代したとしても私と同じ疲労度にはならないだろうけどさ。

 将吾くんみたいに、仕事終わった後に夕食の事を考えずにゲームして、買い物の事も考えずに寝て、エアコンのフィルター汚れの事考えたり、電球交換しなきゃとか考えたり、窓の汚れとか気にしないで生きてみたかったな。


 もし、今、逆の立場だったらどうなってたのかな。

そこに寝てるのが私で、将吾くんがここに立ってるの。将吾くんは一人でどうやって生きていくのかな。仕事も私任せにしちゃってたし、一人で暮らしても掃除も洗濯もできないよね。私が初めてあの家に行った時と同じように、汚しっぱなしになっちゃうだろうね。


 それにしてもさ、火災保険に入ってたのは本当に良かったよ。将吾くん一人の時は入ってなかったもんね、驚いたよ。結婚する時に火災保険に2つ入ったから、本当に助かった。

 将吾くんは自分の医療保険にすら入ってなかったね。体壊しがちだったのに、自分はなんともないって信じ込んでいたのかな。

 いるよね、たまにそういう人。事件や事故が起こっても、他人事って感じるだけ。ニュースで流れている内容は自分とは無縁だって思ってる人。

 私は心配性だからかな、医療保険は成人してから自分で入ったし、結婚したあと火災保険も急いで加入したね。


 やっとお金が戻ってきたって思ったよ。あ、将吾くんに貸してたお金がね。

この先この子と二人になったとしても、遺族年金が貰えるんだ。仕事しながら遺族年金貰えれば、贅沢しない限りはやっていけるよ。火災保険の残りはちゃんと貯金してるしね。

 これからはこの子の為だけに生きていくんだ、私。


 …っと、そろそろ帰ろうかな。


 また明日来るね。明日は多分夕方くらいになるよ、午後に検診があるんだ。じゃあね、おやすみ。」



 

 14


 病院を出ると、空が高くすっかり秋の空になっていた。

まだジワっと暑さが残る夕方の帰り道を、朗らかな気分で歩いていた。


 病院から駅までは少し歩く。何度も通ってるうちに近道を見つけた。小さな墓地の脇を通ると駅までの道が直線になる。

 石垣で囲われた墓地の横の、車一台ギリギリで通れる幅の道を歩いている時、石垣に小さなヤモリがいるのに気付いた。


 「あっ。」


 そういえば、あのヤモリはどうしただろう。あの火事の中、ちゃんと逃げる事はできただろうか。

今、卵は無事に生まれたのか、孵化したのか。生まれていたとしたら、ここにいる小さなヤモリくらいの大きさだろうか。


 家守、家を守る事はできなかったけど、あのヤモリは私を守ってくれていたのかもしれない。


 小さなヤモリはじっとしたまま動かない。私はそっと近付いてみる。


 「あのね、私ね、絶対誰にも言っちゃいけないんだけど、一生誰にも言えないだろうから、今、言うね。」



 「私ね、今、ものすごく幸せ。」



 ヤモリは少し首を動かした。聞こえてるのかな?まさかね。


 高い高い秋の空を眺めながら、もうすぐ涼しくなって快適に過ごせる日が来る。身重の体には、涼しい季節の方が楽だ。


 今夜の夕食は何にしようかな。


 軽い足取りで帰路につく。








 ※ヤモリ=家を守る縁起の良い生き物とされ、幸運や金運を運ぶシンボルとも言われている。


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― 新着の感想 ―
[一言] 彼はいろいろとダメな人でしたけれど、彼女が壊れてしまわなくてよかったです。火災保険、大事!
2024/09/16 16:40 退会済み
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