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蒼刻の魔術師ディランと白猫のジゼル

夢幻の彼方で。死にゆく君に、無償の愛を

作者: 雪月花


貴方(あなた)を救いに来ました」

 

 暗闇から突如声がした。

 その凛とした声は、会いたくてたまらない女性(ヒト)の声に似ていた。


 月のない夜空を見上げていた俺は、ハッとして顔を向ける。

 そこには見たことのない女が立っていた。

 俺と目が合うと、みるみるうちに瞳に涙を浮かべ、感極まった表情を浮かべる。


「やっと……やっと会えた! フォティオス様!!」

 彼女はふにゃりと表情を崩すと、笑顔のまま泣き始めた。

 透明な涙がハラハラと落ちていく。


 …………


 その様子を静かに眺めていた俺は、少しだけ()()()を綺麗だと思ってしまった。



 

 **===========**


 遠い昔、俺は神の1人だった。

 欲望の神として天界に住み、永遠の時を過ごしていた。

 

 けれど憎いネアルのせいで……

 降格されて、地上に住むように罰が与えられた。


 ーーーー

 


 幼い頃から、俺のそばにはいつもネアルがいた。

 天界に子供は俺たちだけで、自然と寄り添って育った。


 彼女は希望の神。

 その名を象徴するかのように、明るくて常に笑顔を振りまく彼女。

 対して俺は真逆の性格で、無愛想で大人しかった。


 その頃からずっと気に入らなかった。

 

 天真爛漫で太陽のようなネアルが。

 誰よりも美しい心を持った、純真無垢な彼女が。

 朗らかな笑顔を浮かべ、何かと俺を気にかける能天気なあの女が。


「フォティオス、何してるの?」


「今日はねー、こんなことがあったんだよー」


「あはは。フォティオスもそう思うでしょ?」


 彼女が笑うたびに、地面には色とりどりの花が咲き乱れた。

 ネアルは希望の女神であり、春を(つかさど)る女神でもあった。

 彼女の感情に呼応して、周りに花が咲き誇る。


 俺と話す時も大量に花を咲かせるものだから、気付けば花びらやら花粉やらに(まみ)れていた。

 そんな俺を見て、ネアルがクスクスと笑う。


 ……正直、鬱陶(うっとう)しかった。


 だから、ネアルが1番大事にしている人間たちも、嫌いだった。




「何で人間たちを、そんなに目にかけてるんだ?」

 大人の姿にまで成長した頃、俺は何気なく聞いてみた。

 ネアルは天界の雲の上から、下界を優しく見つめている。

 彼女はずっとずっと〝人間〟に夢中だった。


「人って神様に願い事を捧げてくれるでしょ? それがいつもキラキラしたものだから。頑張っている人たちを見ると、つい幸せにしてあげたくなっちゃうの」

 ネアルは白い歯をこぼして笑った。


「…………」

 俺は知っていた。

 人間たちはそんなに綺麗なものではなく、醜いことを。

 俺のもとには、欺瞞(ぎまん)、嫉妬、憎悪……そういったドロドロした願い事が届くからだ。

 

 ……美しい心を持った彼女のもとには、美しい願い事しか届かないのだろう。


 だから俺は、ネアルとは逆に、醜い人間の数を減らそうとーー

 間引こうとした。




「何でそんなことするの!?」


 それがネアルの大きな怒りを買ってしまった。

 彼女の方が神力は上だった。

 それを忘れていた俺は、怒り狂ったネアルにいきなり半身を吹き飛ばされてしまう。

 

 ……今思い出すだけでも忌々(いまいま)しい。

 なぜ、そんな仕打ちを受けなくてはいけないのだろう。

 あの時の俺も、当然ながら黙ってはいなかった。


「神様の俺が判断したんだ! 何が悪い!?」

「だからって、命を奪うなんて……いくら神だからって傲慢(ごうまん)過ぎる!!」

「人はそんなに尊いものじゃない! ネアルが可愛がりすぎだっ! そのせいで人が蔓延(はびこ)って……危険だと思った神もいた。だから俺に賛同したんだろうが!」

「!? 私のせいだって言うの!?」

 

 ますます逆上したネアルが、体の内に巡る神力を(たかぶ)らせる。

 

「だからって、ブチ切れていきなり攻撃してくるとかなんだよ! 話ぐらいしろ!!」

 そんな真っ当な恨みを抱いた俺は、神力ですぐさま右半身を再生させ、先に攻撃を叩き込んだ。

 怒りに染まったネアルも、すかさず反撃してくる。


 激情のままに神力をぶつけ合った瞬間、天地が揺れ、周囲が光に飲まれた。

 気がつけば、天界の一角が跡形もなく吹き飛んでいた。


 ネアルとのこの派手な喧嘩は、ついに最高神の逆鱗(ぎゃくりん)に触れた。

 他の神にも負傷者が出たことは重く受け止められたが、どうやら本当に怒らせたのは、彼の愛してやまない葡萄酒用の葡萄園を吹き飛ばしたことらしい。


 そうして喧嘩両成敗ということで、俺とネアルは神ではなくなったーー

 



 地上に堕とされた俺は、原因となったネアルが憎くて憎くてたまらなかった。

 しかも、一度吹き飛ばされた右の手足が(もろ)くなり、腐敗して崩れることもあった。

 そのたびに、腹立たしさを抱きながら再生させた。

 

 最高神は最後に言っていた。

『人間のように脆い身体で生きよ。残りの時間を、弱き者の気持ちを味わいながら反省しろ』

 

 ーーこれが、俺に課せられた罰らしい。


 結局は、最高神も自分が生み出した人間たちが可愛いのだ。

 害なす俺は悪であり、人間たちは弱くて守るべき存在なのだ。


「そんなのおかしい」


 神が作って失敗したものは、矯正(きょうせい)する責任もあるはずだ。

 

 俺はますます人間への恨みを募らせた。




 地上には、ネアルが血を分けて生み出した人間が何人かいた。

 彼らは彼女の力の一部を受け継ぎ、人々の願いを叶えることが出来た。

 

 蒼く輝く、不思議な月の光を力に変える彼らは「蒼の魔術師」と呼ばれ、その力を駆使して人々を守っていた。

 まるでネアルがしていたようにーー

 そのため「ネアル様の意思を継ぐ者」とも呼ばれていた。



 俺も血を分けた存在を地上に生み出した。

 地上に堕ちたばかりで、まだ神力が残っていた頃の話だ。


 ネアルみたいに力を加減することは出来ず、彼らは俺の神としての特性を色濃く受け継いだ。

 人間よりはるかに強靭(きょうじん)な身体を持ち、内に秘めた欲を抑えきれなくなる――理性が薄れ、本能に従うような連中だった。

 

 さらに彼らは独自の魔法を使い、魔力も高かった。

 人間の魔法とは系統が異なり、生まれつき俺に忠誠を誓っていたため、手下として都合がよかった。

 人間どもを始末するには、もってこいの存在だった。



 暴れ回る俺の手下どもは、人間から『魔物』と呼ばれて恐れられるようになった。

 彼らには面白い能力があって、そこらの動物に魔法をかけて仲間に出来た。

 当然、欲に忠実なその動物たちも人間を襲い始める。


 そうして魔物の中にも階級が出来ていった。

 人に近い者が上位、動物に近い者が下位。

 いつのまにか、勝手にそんな序列を作っていた。

 もはや俺の手に負える数じゃなかったから、好きにさせていた。


 さらに時が経つと、手下たちは子をもうけた。

 命を繋ぎ、勝手に繁栄を始めたのだ。

 その姿はまるで人間と同じで、皮肉にも感心するほどだった。


 そして、魔物による無差別な襲撃はますます激しくなっていった。

 俺がただネアルへの憎しみだけを燃やしていた間に、長い時が流れ――

 気付けば、魔物たちは一つの領土を築き上げ〝魔物の国〟と呼ばれるほどになっていた。




 深い森の中、不自然に開けた土地に、俺は大きな洋館を拠点として構えていた。

 今はわずかな配下と共に、静かに暮らしている。

 かつては多くの者で賑わっていたが、(わずら)わしい喧騒よりも、必要最低限の雑用係だけがいれば充分だった。


 そんな人気(ひとけ)の少ない洋館の一室で、俺は配下の一人と向かい合って座っていた。

 ずいぶん色が濃くなった革張りのソファが、深く座った俺に合わせてギシリと音を立てる。


「フォティオス様。今日はこの地域に住む人間どもを始末しました。次は何をお求めでしょうか?」

 定期的な報告をする役目のリーガが、(うやうや)しく聞いてきた。

 彼はコウモリのような翼を持った人型の魔物で、青白い顔は人形めいていて、生気を感じさせなかった。

 けれど冷たい印象に反して俺への忠誠心が高く、真面目な性格をしていた。


「…………」

 俺は返事をせずに、彼から視線を逸らした。

 薄いカーテン越しに注ぐ、柔らかい日差しに誘われて、何となく外を見やる。


 いくら人間を殺しても満たされない心。

 

 それどころか(むな)しさを感じ始めた頃、俺はネアルが亡くなったことを知った。




 ーーーーーー


「……本当、なのか?」

「はい。ネアルの意思を受け継ぐ者の1人から聞き出しました」

 いつもの定期報告の中で、リーガが淡々と告げる。


「…………っ!!」


 俺はようやくリーガの言葉の意味を理解した。

 その瞬間、目の前が真っ暗になり、頭を殴られたような強い衝撃を受ける。


 手が勝手に震え、その震えが全身に伝播(でんぱ)する前に、リーガの前から立ち去った。

 部屋の外に出ると、廊下を足早に進む。

 一刻も早く、一人になりたかった。

 なぜなら脳裏に次々と、彼女との淡い記憶が浮かんできたからだ。

 

 天真爛漫で太陽のようなネアル。

 誰よりも美しい心を持った、純真無垢な彼女。

 俺には永遠に手に入らない物をたくさん持った君。

 記憶の中の彼女が、花が咲き誇る春の日差しのなか、朗らかな笑顔を浮かべた。


 ーーその時になってやっと気付いた。


 本当はずっとずっと、恋焦がれていたことを。

 人間を減らすことに固執していたのも、ネアルの愛情を向けられる彼らに嫉妬していたからだと、ようやく理解した。


 ……どうしても君に、俺だけを見ていて欲しかったんだ。

 どんな手を使っても。

 それほど……

 狂おしいほどに、ネアルだけを愛していた。


 俺の足取りは次第とゆっくりになり、とうとう立ち止まった。


「……こんなことなら、巡り合わなければ良かったのにな」

 崩れやすくなった右手をこちらに向け、指先を見つめてぽつりと呟く。


 ネアルが寿命を迎えたように、俺の身体もそろそろダメかもしれない。


 でも、もう……それでいいのかもしれない。


 俺はそっと、右手を握りしめた。




 ネアルという憎愛を向ける相手が居なくなった俺は、空っぽになってしまった。

 来たる日に向けて、残っていた雑用係でさえも洋館から追い出した。

 そうやって、寂しい最期が余計に輪郭を帯び始め、怖くてたまらなくなったときーー


 俺は()()()に出会った。




 **===========**


 新月の夜。

 調子のよかった俺は、ふと洋館から外に出て星空を眺めていた。

 いつもは何とも思わなかった、夜空を彩る星たち。

 彼らが描き出す模様を、感慨深く瞳に映す。

 

 すると暗闇の中、突然目の前にあいつが現れた。


「やっと……やっと会えた! フォティオス様!!」

 感極まったあいつが泣き始める。

 肩より短いサラサラの髪が、小刻みに震えていた。


 スカートに革のブーツ、そしてローブを羽織った姿は、魔術師のように見える。

 そして涙に濡れていてもなお、強い意思を宿した、アーモンド型の瞳ーー

 姿形(すがたかたち)は全く似ていないのに、その澄んだ瞳だけはネアルにそっくりだった。


「こんな所までどうやって来た?」

 俺はあいつに冷たい視線を向けた。

 人間がこの場所に一人で来るなんて、ありえない。


 ここは魔物がうようよと(うごめ)く国の奥深く。

 俺がひっそりと暮らす洋館の周囲は比較的静かだが、人間の国から自力で辿り着けるような場所ではない。

 

 そう思い警戒している俺に向けて、あいつは光悦の表情を浮かべた。


「フォティオス様を救うために、私、強くなったんです!」

 うっとりとしたまま胸の前で両手を組み、一歩こちらに近寄ってきた。


「近付くな……その声で喋られると虫唾(むしず)が走る」

 そう言い捨てて、あいつを睨んだ。

 同時に拒否するように右手を掲げ、俺は精神汚染の魔法をかけた。

 欲を(あお)り理性を削り取って、相手を狂気へと落とす。

 俺の神性に由来した特別な力だ。

 

(ののし)るフォティオス様も素敵!」

 けれどあいつは、相変わらずニヤニヤ笑いながら、また一歩と近付いてきた。


「お前……魔物の血が入っているな」

 眉をひそめた俺は、苦々しく言い捨てた。

 俺の魔法が効かないということは、そういうことだ。


 するとあいつは立ち止まって、ペラペラと喋り始めた。

「はい。私のママは魔物に襲われたんです。慈悲深いママは、お腹に宿した生命を無碍(むげ)には出来なかったーー」

 言葉に詰まると、何故か顔を歪め不快そうに続けた。

「……ママも、ネアル様の意思を継ぐ者ですから……」

 あいつは右手で、もう片方の腕をギュッと抱きしめるように掴み、目を逸らした。


「!! ……てことは、お前もネアルの血が入ってるんだなっ!?」

 一気に逆上した俺はあいつに詰め寄り、細くて白い首を絞めた。

 けれど、運悪く右手の指先が黒く変色し、ボロボロと崩れてしまった。


「…………チッ」 

 俺はあいつの首から手を離し、忌々(いまいま)しげに右の手を眺めた。

 するとあいつが、その手を両手で包んだ。

 その瞬間、手のひらにじんわりと温もりが満ちた。

 見えないはずの指先が、戻っていく感覚が伝わってくる。


 どうやらこいつが、回復魔法をかけたらしい。


「エヘヘ。フォティオス様のために出来るようになりました」

 あいつはニコリと笑みを浮かべ、俺の右手を優しく握りしめる。

 俺はその手を素早く引っこ抜くと、くるりと背中を向けた。


「帰れ」

 背中越しにあいつに告げる。

 けれどそれを無視したあいつの声が、俺の背中に当たった。

「私は半分魔物で、半分ネアル様の意思を継ぐ者。だからか、ネアル様の女神時代の記憶があります」

「…………」

「俗に言う突然変異です。神様時代の初々(ういうい)しいフォティオス様も激かわですね。記憶が私だけあって役得です」

 あいつは一人で喋り続けていた。


「…………帰れと言っているだろ」

 俺は肩越しに振り返りながら言った。

 あいつはそんな俺に、真っ直ぐな視線を投げかける。

 

「ネアル様の記憶があり、フォティオス様の思想も分かっている……でもだからこそ、ネアル様だけが正しいとは思えないんです。そして、体が朽ちようとしているフォティオス様を助けたい」

「……俺がもうすぐ動けなくなると知って、嘲笑(あざわら)いにきたのか?」

 俺は今までで一番低い声を発した。


「違います! そんなんじゃないんです……」

 慌てて言い(つくろ)ったあいつは、あろうことか背中に抱きついてきた。


「小さなころから、フォティオス様に思慕(しぼ)の念を抱いていました。フォティオス様のお役に立てるように、強くなりました。願いを叶える魔法を自分にかけて……」

 あいつの独白が続く。

 背中がじんわりと暖かくなっていった。


「フォティオス様の(うれ)いは全て払ってみせます! そのために来ました。そばに居させてください!」  

「…………」


「フォティオス様、愛しています」

「…………」


 ……なんて奴が来たんだ!?

 魔物としての俺への忠誠心を拗らせ、ネアルの揺るぎない強い心を持った奴がきた。


 俺は無性に頭を抱えたくなるのを我慢しながら、歩き始めた。

 ひとまず洋館に戻るためだった。

 

 こんなやつ、相手にするのが疲れた。

 俺はもう寝る。

 

 振り払う勢いで歩いているのに、あいつはがっちり抱きついたままだった。

 ズリズリと引きずられて、足で描いたような2本の線が地面に残っても、お構いなしだ。

「あれ? これは屋敷の中に連れてってくれてる? そばに居ていいってことですね!?」

 背中から騒がしい声が聞こえる。


 ……鬱陶(うっとう)しい。


 俺はあいつをくっつけたまま、洋館へ向かった。

 そうして入り口の扉を開けながら、勢いよくひっぺがす。


「ぎゃっ!?」

 あいつが怯んだ隙を見て、素早く中に入り扉をバタンと閉めた。

 大袈裟な音を立てて、あいつの侵入を如実に拒む。


「フォティオス様のけちー!」

 静かな森に、あいつの大声が響き渡った。

 



 **===========**


「で、ですね。初めはママを襲った魔物への憎しみと、自分もそんな魔物の血を受け継ぐ葛藤ですね。初っ端からハードな悩みです」


 あいつが俺の顔を覗き込みながら、耳障りなさえずりを続ける。


「しばらくすると、フォティオス様を慕う気持ちがムクムクと生まれて……あぁ。フォティオス様と同じなら魔物でもいいじゃんって、それまでの悩みなんか吹っ飛びました」


 そして「キャー」と小さく叫ぶと、横たわる俺の体に顔を伏せた。




「…………」


 朝、俺がベッドで目覚めると、何故かあいつが隣で眠っていた。

 ちゃっかり俺の腕を枕にし、丸まってピッタリとくっついていた。

 何気に驚いた俺が「わっ」と短く悲鳴を上げると、目が覚めたあいつが俺を見てふにゃりと笑う。


 怪訝(けげん)な目つきで「何でいるんだ?」と聞いた俺に「大好きだから、そばに居たいに決まっているじゃないですか!?」と朝から騒ぎ始め、何故か長い説明が始まった。


 どれほど想いを募らせてきたかを、順を追って説明してくれているらしい。

 伏せていたあいつが再び顔を起こすと、キラキラした瞳で俺を見る。


「その時のフォティオス様って、まだイメージだけのふわふわした存在だったんですよね〜。けど、このフォティオス様って、ネアル様の記憶の中にあるフォティオス様と同じ? ってある日つながって〜、え? めちゃくちゃカッコよくない!? 素敵!! ってなっちゃいまして〜」

 一気に説明しながら、頬を赤く染めてヘラリと笑った。


「…………」

 俺は目線を思いっ切り逸らし、大きなため息をつくと体を起こした。

 遅れてあいつもガバッと起き上がる。

「フォティオス様!? 待って下さい。ここまではまだ序盤です。全然伝えきれておりません!」

 そして逃がさないかのように、今日は体の横から抱きついてきた。


「……もう分かったから」

 根負けした俺は、ついそう漏らしてしまった。

「え? 私の愛が伝わったってことですか? 受け入れてもらったってことですよね!? それってーー」

「…………」

 無視した俺は、ベッドから足を下ろして立ち上がった。

 当然、あいつもくっ付いたままで。

 ある意味拘束されている自分の体を、どこか遠い目をしながら見下ろす。


 ……着替えたいんだけど……

 よく見るとこいつ、クローゼットにあった俺のシャツを勝手に借りて、パジャマ替わりにしてるし……

 

 けれど、それを指摘すれば騒がれるのは目に見えていたので、何も言わないことにした。


「フォティオス様? 聞いてくれてます?」

 あいつはしばらく喋り続けていたが、ようやく俺が聞いていないことに気付いたらしい。

「…………」

 返事をする代わりに、あいつが抱きついている腕を自分の体からはぎ取り、拒絶するように離れた。


 すると、きょとんとしていたあいつが、ニヤリと笑った。

 空気が少しだけ張り詰める。


「……フォティオス?」

 あいつが穏やかな笑みを浮かべ、落ち着いた声で俺の名を呼んだ。


 それは……まるで…………


「やめろ!」

 気付くと、あいつをベットに押し倒し組み伏せていた。

 左手をやつの顔の横につき、右手を首にかける。

 今日は調子がいいのか、右手が腐敗することはなかった。


「その声とその目で……そうやって俺を呼ぶな。殺したくなる」

「…………」

 冷ややかに見下ろしながら脅しをかけると、あいつは静かになった。

 けれど口をむずむずさせて、ニヤけるのを我慢できないといった表情を浮かべている。


 嫌な予感がした俺は、反射的に手を引いた。

 体ごと離そうとする前に、あいつが両手を伸ばしてくる。

 その手は両頬に添えられ、すばやく顔を浮かしたやつに、その勢いでキスをされた。


 驚いた目で彼女の澄んだ瞳を見ていると、あいつは俺の首の後ろにがっつりと抱きつきーーぶら下がるようにして体重をかけられた。


「っうわ!」

 あいつの重みを支えきれずに、覆い被さるように倒れ込む。

 まんまと抱き込まれてしまった俺の耳元で、やつが楽しそうに笑いながら言った。


「それは悪手(あくしゅ)ですよ、フォティオス様。殺されると分かったら、やりたいようにやるでしょ? 欲望に忠実に……私は半分魔物ですから」

 あいつは首の後ろに回していた手を、俺の背中に回し直すと、ギュッと強く抱きしめてきた。

 ピッタリ体をくっつけ、満足そうにため息をつく。


 ーーなるほど、たしかにな。


 体を少し起こしてあいつを見ると、はにかむように笑っていた。

 なのに片膝を上げて、俺の内腿(うちもも)に触れてくる。


 ーーこいつは誰よりも欲望に忠実だ。


 深く納得すると、妙にすっきりした気分になった。

 こいつの中にネアルの影を探さなくなったのも、この時からだった。

 

 同族からのお誘いなら、応えてやらないこともない。

 そう思い直した俺は、期待のこもった目で待つあいつに顔を近付けた。

 



 **===========**


「それは何ですか?」


 定期報告に来たリーガが、部屋に入ってきて開口一番に言った。

 驚いた彼の視線の先には、あいつがいる。


 あいつはソファにいる俺の隣に当然のように座り、ニコニコしながら右腕に抱きついていた。


 俺はげんなりした表情をリーガに向ける。

「……俺の右の手足になってくれるらしい」

「フォティオス様の手足になりに来ました」

 あいつが俺の肩にコテンと頭を乗せた。


 ……こいつが言うように、本当に俺の手足の代わりをするつもりらしい。

 さっき右の足が黒くなって崩れたのを見て、宣言された。

 それからは、こうして右側にピッタリくっつかれている。

 俺の代わりに物を取ったり、歩いて移動する時の支えをしたり、甲斐甲斐(かいがい)しく世話をされる。


 断ると、半泣きになりながら、俺のことがどれだけ好きかの説明を永遠にしだすからーーもう好きなようにさせていた。


 ……鬱陶(うっとう)しい……

 

 眉をひそめたリーガは、俺とあいつの顔を交互に見ながら、今までにないほどに混乱していた。

 見ていて可哀想になるほどに。


「……こいつは人間と魔物のハーフなんだ。一応慕っているそうだから、今のところ害はない」

 俺がリーガに告げると、ひとまずは納得したのか、小さく頷いた。

 少し落ち着きを取り戻した彼に、目線だけで向かいに座るように指示を出す。

 

 リーガは素直に従いソファに腰をかけた。

 そしてローテーブルの上を見て、つぶやくように聞いてきた。

「……地図……ですか?」

 

 いつもの定期報告から始めない彼は、よっぽど気になったのだろう。

 リーガは俺を見たあとに、ゆっくりとあいつに目線を滑らせた。

 

 その視線を受けたあいつが、顔を上げて背筋を伸ばすと意気揚々と喋る。

「私が人間の国からフォティオス様の所に来た時の経路を、説明しようとしてました!」

 

 あいつは身を乗り出すようにして地図を指差しながら、一から説明し始めた。

 相変わらず片手は俺の腕を掴んだままで。 


「ここから魔物の国に入って、この部分を通って来ました。寒くてしょうがなかったですが、その分魔物たちも少なかったです」

 あいつが聞いてもいないのに、詳細に語り続ける。


「そこを抜けるとこの町を通るのですが……ここの住民のために、もっと守りを強化して下さい」

「……?」

 何故こんな話になっているか分からず、大人しく聞くだけのリーガがたまらずに首をかしげた。


「そうすると、ここが良い陣形が展開出来ると思います。この場所で一網打尽にしましょう」

 

 段々とあいつの話が変な方向へと転がっていく。

 俺は思わず口を挟んだ。

「待て。お前の説明だとまるで……」


 するとあいつが俺の方に振り向き、ニッコリと嬉しそうに笑った。

「そうです。人間が大軍を率いてやってきますよ。フォティオス様打倒に向けて」


 リーガから息を呑む音が聞こえた。

 俺も内心では動揺していたが、静かな声で尋ねた。

「お前は、それをなぜ知っているんだ」

「……私も討伐隊の一員でした。けれどもちろん、そんなものは抜け出して来ました」

 あいつがニヘラと笑いながら続ける。


「私は〝異端の魔術師〟として不真面目で有名なんです。だから面倒だから抜けたってことになってて、まさかここにいるとは誰も思わないでしょう! 最高のタイミングで寝返りましたよっ!!」

 興奮しながらそう言い切ると、あいつは自分の頭のてっぺんを俺にグイグイ向けてきた。

 小さな声で「ほめて、ほめてっ」とそれが鳴き声の犬かのように懐いてくる。


「…………」

 俺は鼻から息を吐くようなため息をつくと、乱暴にあいつの頭を撫でて突き放した。




 **===========**


 あれから、あいつの助言も参考にしながら、人間の大軍が押し寄せてくる対策を取った。

 しばらくすると、本当に大勢の人間が国境を越えて攻めてきたそうだ。

 

 序盤は数の多さに苦戦したものの、対策が功を奏で、凌ぐことが出来た。

 長期戦になると、肉体的にも魔力的にも優っている魔物たちが、当たり前のように盛り返す。

 そしてついに、もう少しで鎮圧しそうだという報告が入った。


 ここから遠い戦地で終わりそうな戦いになり、俺のいる洋館ではいつもと変わらない日常を送っていた。

 

 ただ、あいつの(わずら)わしさを除いては。




「フォティオス様! お食事が出来ました。あーんしましょうか?」

「…………俺は食事を必要としない。お前が食べろ」

「そんな!? 憧れのあーんだけでも!!」



「フォティオス様! あれが取りたいんですね? 右手である私が取りましょう」

「…………何も言ってないのに、なんで分かった?」

「フフフッ。愛の力です!」



「フォティオス様! お風呂の準備が出来ました。一緒にっ」

「ひとりで入れる」

「拒否が早いっ!」


 あいつの俺の手足としての働きは、ずっと騒がしかった。

 自分の欲望や愛情ばかりをぶつけてくるあいつの態度は、相変わらず鬱陶(うっとう)しい。

 それでも、いつの間にか慣れてしまった自分がいた。


 …………


 静かにひとりで入浴を済ますと、俺は部屋から廊下に出た。

 とっぷりと日が暮れ、外はすっかり暗くなっている。

 窓から差し込む弱々しい月明かりが、廊下の半分と壁を照らしていた。


 その光景の中に、待っていると思っていたあいつの姿はなかった。



 

 久しぶりの静寂に包まれる。

 廊下を歩き始めると、右腕にまとわりつく存在がいなくて、随分と歩きやすかった。

 

 もう少し……こう、落ち着いてくれたらいいのに。

 

 そう思って、ハッと気付く。

 

 落ち着いたら、そばに置いてもいいと思っているのか?


 驚きがゆるゆると解けたあとに、自嘲気味に口元を緩めた。


 ……残り短い人生だから、弱気になっているのかもな。

 ひっそりと独りで朽ちていくよりも、やっぱり多少は賑やかな方がーー


 立ち止まって、無意識に右手をギュッと握りしめた。

 この右手も、やがて再生も受け付けなくなる。

 そうなれば、身体の崩壊は止められない。

 崩れていく自分をただ見つめながら、ゆっくり息を引き取るのだろう。


 ……正直、とても怖かった。

 最期がひたひたと確実に迫ってきている。

 逃げれるものなら……逃げたかった。




 ふと窓の外を見ると、洋館の前の大広場であいつが地面に何かを(えが)いていた。

 魔法で出した杖のような羽根ペン抱え、器用にクルクル舞う。

 刈り揃えられた芝の上に、踊りの軌跡が浮かび上がっていった。


 大きな魔法陣を(えが)いているようで、めずらしく真剣な表情をしている。

 ほのかに光る紋様に照らされたその横顔は……綺麗だった。


 幻想的な光景に誘われたように、俺はゆっくりと外に出た。

 ちょうど描き終えたところだったのか、「ふぅ」と息をついて動きを止めたあいつと目が合う。

 その途端に、あいつが花が綻ぶように幸せそうに笑い、こちらに向かって駆け出した。

 後ろでは、彼女が使っていた羽根ペンがふわりと宙に浮かび、音もなく闇に溶けるように消えていった。


「フォティオス様ー!」

 脆くなった俺の手足を気遣ってか、あいつはギリギリ手前で勢いを殺し、ふんわりと優しく抱きついてきた。

 俺の胸元に顔を埋めて、満足そうに目を閉じている。

「……蒼の魔法の魔法陣か」

 そう呟くように声をかけると、あいつがバッと顔を上げた。


「フォティオス様の右半身の腐敗を止めましょう!」

 彼女は優しく笑うと、体を一旦離して俺の右手を掬い上げた。


 大切な宝物のように、優しく、優しく。


 そして無理矢理、手と手を合わせるポーズを取らされた。


貴方(あなた)を救うために強くなりましたから。次の蒼い月の夜に、私がフォティオス様を助けたい願いを叶えましょう」

 いつもとは違い、ゆったりとしたあいつの声が月夜に響く。

 向かい合って手を合わせる俺たちは、まるで誓いの儀式をしているようだ。


「一緒に生きましょう。愛しています。フォティオス様」

 あいつがそっと囁いたあと、照れたように笑い、合わせた手に指を絡めてきた。


「…………」

 

 こいつがそう言うのなら、俺はこの体を治すことが出来るのかもしれない……

 

 彼女の勢いに押されてか、気付けば一筋の希望を抱いてしまっていた。

 終焉の影に怯える俺は、彼女の優しさに(すが)るようにゆっくりと手を握り返した。




 **===========**

 

 煌々(こうこう)と輝く月が浮かぶ夜。

 蒼い月明かりに俺は起こされた。

 ベッドの上でゆっくり瞼を持ち上げると、窓から見える蒼い月が目に飛び込んでくる。


 あいつと約束していた日だ。


 そう思い隣を見ると、あいつは悠長に俺にくっついて眠っていた。


「…………」


 静かに起き上がり、こいつを起こそうかなとぼんやり考えていた時だった。

 遠くから誰かが飛んできて、外の大広場に降り立つ影が目の端に映った。


 連絡係のリーガだ。

 こんな時間に珍しいと思って見ていると、様子がどことなくおかしい。

 

 彼は黒いコウモリのような羽を器用に折り畳み、こちらに顔を向け、一歩だけ洋館へと歩み寄った。

 いつもの様子に安堵した瞬間、リーガの体がフラリと傾き前に倒れてしまった。

 

「!?」

 地面に伏した彼の後頭部には裂け目があった。

 黒い血がドロリと流れ出す。

 傍目(はため)にも分かる、もう手遅れな致命傷。


 心臓が嫌な感じに高鳴った。

 何か悪いことが起こっている。


 俺は幸せそうに眠っているあいつをチラリとだけ見ると、そのままにして部屋を飛び出した。




 ーーーーーー


「リーガ! 誰にやられたんだ!?」

 彼に駆け寄った俺は芝生に膝をつき、リーガの上半身をこちらに向けながら抱き起こした。

 顔を仰向けにしたことで、滲み出ていた血がボタボタと芝に落ちる。


「っ…………人間、です……」

 朦朧(もうろう)としながらも、リーガは薄っすらと目を開けた。

 焦点が定まらない目で、必死に俺を捉えながら続ける。


「倒したと思ったのに、残ってて……途中から、少数の部隊が別の動きを……何人かは倒したの……ですが……」

 そこまで言うと、リーガの口元から黒い血があふれ出た。

 たまらずに吐き出したそれは、彼の服にじわりと広がっていく。


「……残りが、ここに向かって……フォティオス様、逃げて………貴方には、もう……以前ほど、の力が……残っ、て、は、……」

 リーガは息も絶え絶えに伝えると、力尽きて目を閉じてしまった。


「リーガ? リーガ!?」

 何度呼びかけても、彼の瞳が再び開くことはなかった。

 そのまま息も弱まり、ついにはピクリとも動かなくなった。


 …………

 

 回復魔法が使えないことが、こんなにも、もどかしいことはなかった。

 自分の体は神だった頃の力で修復できるが、それは回復魔法とは系統が違い、他人には使えない。

 

 リーガの亡骸を横たえさせながら、ギリギリと歯を食いしばる。

 すると突然、俺の足元に蒼い魔法陣が浮かび上がった。

 あいつが元々(えが)いていたものではなく、ひと一人分の小さな魔法陣。

 同時に聞き取れないほどの囁きが耳に届く。

 それが詠唱だと分かった時には、反対側からも呪文が聞こえ体が動かせなくなった。


「!?」

 動かせる目だけで素早く辺りを窺うと、木の影に隠れて一人の女がこっちを見ていた。

 俺は視線がぶつかるなり、息を呑んだ。

 

 ……ネアル?

 

 ネアルの幻でも見ているのだろうか?

 いや、違う。

 あいつは敵の……ネアルの意思を継ぐ者だ!




 そう思った時だった。


 洋館の2階の窓が派手に割れる音がした。

 部屋の中から、寝ていたあいつが勢いよく飛び降りてくる。


「起こして下さいよ!!」

 空中でそう叫びながら、蒼く輝くガラス破片と共に芝生にスタッと着地した。

 かと思ったらすぐさま俺に体当たりし、魔法陣から少し離れた所に、もつれるように倒れ込む。

 

 瞬時に体を起こしたあいつが、動けない俺を助け起こしながらプンプン怒った。

「この登場シーンがやりたくて起こさなかったんですか!? フォティオス様がピンチの時に、カッコよく助ける私? みたいな!?」

「…………」

 芝に座り込む形になった俺は、せめて何か言い返したかったが、口も動かせなくなっていた。

 不思議な拘束魔法がかけられている。


 次の瞬間、魔法陣がひときわ蒼く輝き、隣にあったリーガの体が忽然(こつぜん)と消えた。




 理解が追いつかないまま光をおさめた魔法陣を見ていると、それを発動した本人が声を発した。


「そんな…………失敗した…………」

 ネアルにとてもよく似た女が、驚愕のあまり青ざめながら崩れ落ち両膝をついた。

 すると彼女の背後から、黒いローブを着た男が音もなく現れた。

 失意の女を背後に隠すように立ちはだかり、俺たちを無言で睨む。


「フォティオス様は、ここにいて下さい」

 あいつが俺の前にスッと立つと、男と対峙した。

 座ったままの俺は、あいつの背中を静かに見上げる。

 俺にかかった拘束魔法は時間と共に弱くなるようで、顔なら動かせるようになっていた。

 

 男はあいつをひと目見ると顔を歪め、嫌悪感をあらわにした。

「……お前は……異端の魔術師。寝返ったのか?」


 すぐには戦いにならないと判断したのか、あいつは蒼いローブの下に着ているシャツのボタンを、悠長に留め直し始めた。

 よく見ると、起きてただちに俺の元に駆けつけたからか、服が着崩れている。


「……そういうあなたは黒の魔術師ラビス……だったかな? 寝返ったも何も……私は初めからフォティオス様を守ることが目的ですから」

 あいつは服を直し、ブーツの爪先を地面にトントンと打ちつけて履き心地も直すと、ラビスを見つめてニッコリ笑った。


「やはり半分魔物のお前は怪しいと思っていたんだ。そこの魔王と一緒に、お前を倒す!」

 わざわざそう宣言したラビスが、あいつに手をかざした。


「〝炎よ燃えろ(フローガ)!〟」

 ラビスが呪文を唱えると、炎の渦があいつに向かって巻き起こる。

「〝防ぎ守れ(アミナ)!〟」

 あいつは防御しながら、ラビスに向かっていった。


「〝雷よ降り注げ(ケラヴィノス)!〟」

「〝防ぎ守れ(アミナ)!〟」


「〝雪よ吹き荒れろ(ヒオノシエラ)!〟」

「〝防ぎ守れ(アミナ)!〟」


 上級魔法級の攻撃魔法の連続だった。

 防御しているとはいっても、あいつは攻撃を少しずつ体に浴びて、徐々に負傷していく。

 けれど肩や足から血を流しながらも、ラビスに近付くスピードは緩めなかった。

 そしてその勢いのまま、クルリと体を回転させ……


 鮮やかな回し蹴りを決めた。


 さすが半分魔物の身体。

 動きが俊敏で、威力も半端ない。


 あいつは吹き飛んだラビスに走り寄り、空高く蹴りあげた。

 自分も飛び上がると、一回転して踵落としを決める。


「っし!」

 見事に連打を決めて軽やかに着地したあいつが、両手を握りしめて構え直した。


 ーー強くなったって、そういう?

 魔法を……ではなく、肉体強化系?

 

 俺は眉を盛大にひそめた。


「ぐあぁぁ!?」

 ラビスが悲鳴を上げながら、のたうちまわる。


 彼は、あいつが突き破ったガラス破片の上に蹴り飛ばされていた。

 その破片が体のあちこちに突き刺さり、血を流している。


 あいつは、もがくラビスをひと睨みしたあと、敵のネアルの意思を継ぐ者……蒼の魔術師の女に振り向き、ニコリといやらしく笑った。

 ネアルに似たその女は、ラビスが苦しんでいる様子を放心状態でただ見ている。

 そんな彼女に、あいつが言い放った。


「ぼんやりしないでアルテア。あなたの愛しい魔術師様を、早くお得意の回復魔法で助けたらどうですか?」

「……くっ!」

 アルテアが青ざめた唇を噛んだ。

 

 ……あいつの言動がすごく魔物っぽい。

 ハーフなのか?

 純血なのでは?

 と、つい疑って見ていた。


 すると俺の視線に気付いたのか、あいつがチラリとこちらを見て、いつものように無邪気に笑った。

 その隙に、アルテアと呼ばれた女が震えながらもラビスに手をかざそうとする。


「させる訳ないじゃないですか」

 あいつが鼻で笑いながら呪文をさらりと唱えた。

 アルテアが膝をつく地面が緑色に光り、(つる)のような植物が生えて彼女を縛り上げた。

「うぅ……」

 体の半分が蔓に呑まれ、アルテアがうめき声をあげる。


 あいつは緑の魔法が得意なようだ。


「…………」

 俺はついジトリと見つめた。

 すると何も聞いていないのに、あいつが俺の視線に答える。

「フォティオス様が嫌がると思って、今まで使いませんでした」

 そう言って彼女が笑うと、俺の近くに芽がねぶきシュルシュルと茎が伸びた。

 先端が膨らんだ瞬間、ポンと弾けるようにピンクの花が顔を出す。


 なるほど。

 ……これは否応(いやおう)なくネアルを思い出す。


 それまで押し黙っていたアルテアが、意を決してあいつに問いかけた。

「なぜ人間を襲う魔物の味方をするの!?」


 あいつはゆっくりとアルテアに近付いていった。

「……私は知っています。魔物とのハーフだからって私を(さげす)み、迫害しようとした人が沢山いることを……人間の中にも魔物より醜い心の持ち主はいっぱいいる。私たちは何も変わらないのに、なぜ線引きするんですか?」

 アルテアの目の前に立つと、あいつは敵の瞳を覗き込んだ。


「魔物は人間をたくさん殺すわ。私たちとは違う!」

 蔓に捕えられているアルテアも、負けじとあいつを睨んだ。


 あいつが威圧を込めて声を張った。

「人間だって、害だからって動物を沢山殺したりするじゃないですか!」

「じゃあ何もせずに、手をこまねいて死ねというの!?」

 張り詰めた空気の中、2人の蒼の魔術師がぶつかり合う。


「違います! みんな尊くて大切な命です! それを守ろうと……フォティオス様を守ろうとして何が悪いんですかっ!!」

 あいつの大声が響き渡った。

 それよりも大きな、アルテアの泣きじゃくる声がした。


従姉(おねえ)ちゃんの裏切り者!! ネアル様の意思を継いで、私は人々を守る!!!!」


「私は、()()()()を貫きます!!!!」

 そう叫んだあいつが右手を天に掲げーー

 魔法を発動させようと息を吸った時だった。




 大広場の芝生が突然、黄金に輝き始めた。


「これは……魔法陣か?」

 視線を落としながら思わず呟くと、俺は声が出せることに気付いた。

 すぐさまあいつに声をかける。

「気をつけろ! もう一人敵がいる!」


 あいつは言うより先に異変に気付き、俺に向かって駆け出していた。

 泣きそうな顔でこちらに手を伸ばして、防御魔法を唱える。

 そのあとすぐに、妙に冷えた声がした。



「〝裁きの鉄槌(アフスティキロシス)〟」



 魔法陣から黄金の光が吹き出し、辺りを染めていった。

 黄金(こがね)色に塗りつぶされた世界に、何も見えなくなる。

 ただ柔らかい何かに包まれたと思うと、空気を引き裂くような強烈な音と共に上からの圧を受けた。


「くぅぅ……っ!」

 あいつの声がすぐそばでした。

 食いしばる歯の隙間から漏れたうめき声に、あいつが俺を庇って攻撃を受けているのだけが分かった。




 ーーーーーー


 一瞬だけ気を失っていたようでハッと目を覚ますと、倒れた俺の上にあいつがおり重なるように横たわっていた。


「おい、大丈夫か!?」

 すぐに起き上がってあいつも一緒に抱き起こし、体をゆらゆらとゆする。

 いつのまにか、俺の体はだいぶ動くようになってきていた。


 そんなことをぼんやりと思いつつ、あいつの体を見回した。

 けれど目立った外傷はない。

 ただどこからか「シュゥゥ」と小さな音が聞こえた気がした。

 首をかしげつつも、目を覚さない彼女を抱えながら敵の術者を探す。


 隠れているようだが、魔法を発動した直後なら魔力を辿ることが出来る。

 その流れを察知し遠くの茂みに目を向けると、こちらを覗く紫の瞳を見つけた。


 俺はその目を睨み右手を掲げた。

 なけなしの力を総動員して、精神汚染の魔法を発動する。


「……っうわぁぁぁぁ!!!!」

 次の瞬間、術者の大声が響き渡った。

 上手く魔法がかかったようだ。

「ーーーーっ!」

 けれど俺の体も限界で、右手が黒く変色して崩れ落ちた。

 肘先でなんとか止まったけれど、もう再生させることは出来なかった。

 あいつを落とさないように残った左手で抱き直すと、彼女が薄っすらと目を開けた。


「……フォティオス……様……」

「大丈夫か?」

 あいつが体を自分で起こすと、口元に手を当てた。

 一瞬の間のあとに、手をのけてニッコリほほ笑み元気よく言った。


「さっきから聞こえているこの叫び声は、(ひじり)の魔術師のフィロですね。討伐隊に参加しているとは思いませんでした」

 座っている俺の肩に手を置きながら、あいつがフラフラと立ち上がる。

 

「最大級の(ひじり)の魔法を発動されましたが……私は魔物と人間のハーフだったので効きませんでした。フォティオス様が、右腕と引き換えに倒してくれたのですね。ありがとうございます」

 俺も動くようになった体で立ち上がると、あいつの隣に並ぶ。


 ……こいつの様子が少しおかしい。

 無理をしている?


「大丈夫です。残りはーーアルテア1人です」

 またしても俺の表情だけで思っていることを読んだのか、あいつがそう説明した。

 そしてゆっくりと視線をアルテアに移す。




 アルテアにかけていた緑の魔法はいつのまにか解かれており、真っ直ぐに立つ彼女は指揮棒のような杖をこちらに向けていた。

 泣きぬれた瞳でこちらを睨み、その杖をギュッと握り直す。


「許さない……絶対に、あなたたちを許さない!!」

 聖女のように清らかだった彼女が、憎しみに染まりおぞましい表情でこちらを見ていた。


「フォティオス様、私の近くでいて下さい。彼女のあの杖は特別で、普通は魔法陣を必要とする蒼の魔法を、どこでも発動させることが出来ます」

 あいつがアルテアの方を向いたまま、俺に喋りかけた。

 その隙に、アルテアが息を短く吸って呪文を紡ぎ始めた。

 今度は特大の魔法陣が地面に現れる。


「アルテア……やめなさい。それはしてはいけない(ことわり)です」

 あいつが焦ったように首を振る。


 アルテアは呪文をやめなかった。

 それどころか、詠唱を加速させていく。


「私は蒼の魔法の中身を、薄っすら感じ取ることが出来ます…………アルテア!!」

 あいつが叱りつけるように、相手の名を呼んだ。

 それから急いで呪文を唱えた。

 アルテアよりも早いテンポで、駆けるように言葉を重ねていく。


 大広場にあらかじめ描かれていた大きな魔法陣が、蒼く輝き始めた。

 2つの魔法陣は、光を競い合うようにして重なり合う。

 アルテアは一瞬焦った表情を浮かべたが、目をギュッと閉じて詠唱に集中した。


 深く染まった蒼い世界の中で、アルテアは必死に呪文を唱え続け、あいつがそれを追い立てていく。

 先にアルテアが最後の一節を言い切ると、目を開いて睨むように俺を射抜いた。

 その視線に身構えていると、あいつの詠唱も終わった。

 

 時間が止まったような静けさが訪れる。




 …………

 けれど何も起こらなかった。

 魔法陣の光も急速に衰え、フッと消えた。

 

 アルテアがすぐさまあいつを見る。

「……無効にする魔法をかけたわね!?」

 その瞬間、アルテアが胸を押さえて苦しみだした。

 声にならない叫び声を上げながら、胸をかきむしる。


「あ、あ……あ……」

 苦悶の表情を浮かべて、アルテアがゆっくりと崩れ落ちた。

 何が起きているのか分からず困惑していると、あいつがポツリと呟いた。


「……私の魔法は、遅かったのですね……」

 悲しげにアルテアを見つめながら続けた。

「私たちが扱える蒼の魔法は……人の生死に関して願ってはいけない、暗黙の掟があります。それをこの子は破りました」

 震えた声で、あいつが喋る。

 従姉(おねえ)ちゃんと呼ばれていたし、アルテアには思い入れがあるのかもしれない。


「それに、蒼の魔法を無理にニ度使いました。いろんな反動を受けたんでしょうね」

 あいつが俺に振り向き、弱々しく笑った。




 ……そして、俺を愛おしげに見つめながら告げた。


「ごめんなさい。フォティオス様」


 そう言ったあとに、激しく咳き込んだ。

 ゴボッと血の塊が口から飛び出す。


 彼女は、血で汚れた口元を手の甲で拭うと、いつものようにニッコリ笑いながら言った。


「嘘をつきました。聖の魔法で体の中が焼かれて限界です」


 そのセリフを最後に、ずっと平気そうにしていたあいつが後ろに倒れた。




「エイレーネ!!」

 俺はすぐさま駆け寄り、膝から崩れるように身をかがめて、残っている左手で彼女を抱き起こした。


「初めて名前を呼んでくれましたね……嬉しい」

 薄っすら目を開けたエイレーネがほほ笑む。

 苦しいのか額に汗が浮かんでいた。


「名前ぐらい呼んでやるから、早く治せ」

「……こんな大怪我は治せないですね。先ほども言いましたが……蒼の魔法も、私の生死に関わるので、かけられ、ま……せん……」

 エイレーネが目を閉じて、口で大きく呼吸をする。

 喉の奥からゴボゴボという音が聞こえた。


「フォティオス様、約束……蒼い月夜の日に、貴方(あなた)の手足を治す約束。それだけでも……叶えましょう」

 エイレーネが蒼の魔法をかけ始めた。

 眉間に皺を寄せ、苦しそうにしながらも呪文を紡ぐ。

 大きな魔法陣が再び蒼く光った。


 それと同時に、彼女の右手と右足も光を帯びた。

 理解が追いつかずに、俺はエイレーネを凝視した。   

 嫌な予感だけはひしひしと感じながら。


「何をしている?」

「……私の手足をあげます。私が生きているうちに行いましょう。私は魔力が高いので、蒼の魔法がニ度目でも大丈夫ですよ」

 詠唱を止めることなく、エイレーネは俺に語りかけてきた。


「いらない。そんなのいらない」

「もともと、あげるつもりでした……私の手足で申し訳ございませんが、これでいつまでも一緒にいれますね。フォティオス様は中性的な美男子なんで、私の手足でもそんなに違和感ないでしょう」

 エイレーネがニッコリと俺を見上げて笑った。

 

 彼女からの大きな大きな無償の愛だ。


「本当にいらない。やめろ。俺はエイレーネが……」

 俺はそこまで言うと、彼女を守るように左手で抱え込んだ。

 そしてエイレーネの耳元で、囁くように告げた。




「俺の半身がなくても……

 動けなくなっても大丈夫だから。


 それよりも、何よりも……

 エイレーネを失う方が怖い。


 お願いだから、

 一緒に生きていく願いを叶えてくれ」


 


 想いを込めて彼女を見ると、エイレーネは嬉しそうに笑うだけだった。

 

 彼女の手足がより一層光り輝いた時、エイレーネは最後の力を振り絞って、両手で俺の頬を包み込んだ。

 そして優しく引き寄せると、そっと唇を重ねた。

「フォティオス様。愛しています」


 彼女はそう言うと静かに目を閉じた。

 全身から力が抜けて、ぐったりする。


「エイレーネッ!!!!」

 

 こんなことなら、もっと早くから名前を呼んでやればよかった。


 たったそれだけで、あんなに嬉しそうだったのに。

 そうすれば……この気持ちをもっと伝えられたのに。


 頭の片隅で深く後悔しながら……俺は彼女の名前を必死に呼び続けていた。




 ーーーーーー


 魔法陣の光が消え、辺りが暗闇を取り戻すころ……

 芝の上に、エイレーネの右足のブーツがぽとりと落ちた。

 俺の手足は、もう朽ちることはない。

 これで生き永らえることが出来るのを、体の奥底で感じる。


 彼女は本当に救ってくれた。

 死を待つだけの恐怖から。


 ……なのになぜか、まだ体の半分を失っているかのようだった。


 俺の腕の中には右の手足を失い、微動だにしなくなってしまったエイレーネの身体があった。


 彼女は、眠るように穏やかに笑っていた。




 俺はエイレーネをそっと抱きしめた。

  

 この感情は何だろう。

 慕ってくれていた者を、喪失したことによる悲しみ?

 まさか、あんなに鬱陶(うっとお)しかった彼女を心の底から愛していたなんて気付きたくない。


 また失ってから気付くなんて……遅すぎる。


 ……だから……




 ーー憎い。

 俺からエイレーネを奪っていったアルテアたちが……

 人間たちが。


 そいつらを蔓延(はびこ)らせたネアルが。


 


 俺はエイレーネを抱き上げた。

 彼女の安らかな顔には、いつの間にか水滴がついていた。

 それがエイレーネの頬を流れ落ちるのを見ていると、またポタポタと彼女の顔に水滴がかかる。


 俺はゆっくりと洋館へと歩き始めた。


 すごく疲れた。

 まずはエイレーネと一緒に休もう。

 深い眠りに二人でつこう。


 そして次に目覚める時は……


 今度こそ復讐を果たす時だ。





最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

この物語が、あなたに届いたことを嬉しく思います。

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繋がっていく作品の紹介

『人から向けられた願いを叶えます』蒼刻の魔術師ディランと一途な白猫のジゼル

リンクしているお話
☾ 140話、143話〜145話、149話〜154話

続きのようなお話
☾ 152話から

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