最終話 暮れないの歌
大ベテランの赤井准尉は口笛を吹きながら『満点の星の夜空』を偵察気球で飛んだ。
「准尉は口笛が上手ですね。その曲は、何という題名ですか?」
銃座に付いた青田上等兵が 問い、気球を操縦しながら、赤井准尉は答えた。
「昔のポップスだよ『暮れないの歌』という曲だ」
偵察気球の操縦は熟練の腕が必要で、上空の風を上手く利用して、気球を操らなくてはならない。 気球は、敵に発見されやすいので、偵察飛行は夜間に限られている。
「なぜ、お前は除隊せずに、機関銃手を希望した?」
と、赤井准尉は訊いた。実際は、青田上等兵は戦闘で負傷して、片足を失っていたのだ。
「自分の教育隊の区隊長が、PKOの派遣先で、地雷で足を失っていたんですよ。それでも区隊長は義足で、教育隊の区隊長を勤めていて、自分は、その区隊長を尊敬していたのです」
「そうか。その区隊長は立派な人なんだな。だが、偵察気球の機関銃手なんて、一番、命が危ない仕事だぜ」
「それは、わかっていますが、今は戦争中ですし、死ぬなら、一発で死んだ方が良いでしょう」
「そうだな。俺も、そう思う」
ナビゲーション・システムの画面を見ながら、赤井准尉は気球の位置を確認して、敵陣が近づいてくると、高度をギリギリまで下げた。
「青田、暗視カメラで敵陣の動画を撮影しろ」
「了解」
機関銃手は撮影も担当するが、実際は撮影が主な任務だ。偵察気球が交戦することなど、まず無い。
音もなく、夜の闇に紛れて、偵察気球は地上の敵陣を撮影した。
だが、その時、一機のヘリコプターが敵陣から、飛び立つ。
「まさか、発見されたのか?」
「でも、准尉、気球は対空警戒センサーに感知されないのでは」
「敵さんは、よっぽど良いセンサーを持っているのだろう」
「ヘリが来ますよ。撃ちますか」
「止めておけ、戦っても勝ち目はない」
「じゃあ、どうするんですか」
「逃げるに決まっているだろう。俺に任せておけ」
赤井准尉は、長年の経験と勘で、気流の流れを読んだ。そして、蛇行する強い気流に気球を乗せて、一気に加速する。
グオオォォォーン。
と、偵察気球は不規則な軌道で高度を上げた。
敵のヘリコプターのパイロットは、 暗い夜空の闇で、偵察気球を見失ったようだ。
上手く逃げ切ったところで、一安心した青田上等兵が、しみじみと言う。
「准尉のお陰で命拾いしました。でも、なぜ、今次大戦で政府は、徹底抗戦を選んだのでしょう。第三次の時は、戦いを避けたんでしょう」
「難しい話だな。これは、俺の考えだが、我が国は、露骨な民主主義の国だ。国民が戦争を望まなければ、政府は戦争なんてできないよ」
「戦争は、国民が望んだ結果ですか?」
「そこまで極端な意見じゃないが、国民主権というのなら、主権者には責任が伴うもんじゃねえか」
「それは、そうですね」
「だから、国民が『経済至上主義』なら、外国との経済摩擦がおこるし、逆に、各国の国民が多くの欲望を持たなければ、国際社会は乱れなくなると、思う」
「そうなれば、良いですね」
「まあ、無理だろう。これは理想論だ。とりあえず、俺たちは陣地に戻って、飯を食おう」
赤井准尉は、そう言うと、気球を操縦しながら『暮れないの歌』の口笛を吹いた。そして、
「そのうち、この戦争も終わるさ」