第2話 美醜の悪魔
真夏の暑さは、狭いワンルームに『男女の匂い』を飽和させた。ベッドの中でヒロコは、隣で眠る夕輝の横顔を眺める。
「凄く、綺麗」
彼女は独り言を漏らしたが、人の顔に『美醜』はない。綺麗だと思うのは、ヒロコの主観だ。
それと同じように『善』『悪』も、人間が勝手に創った価値観にすぎない、と、ヒロコは思いたかった。
なにせ、夕輝は、まだ十四歳の少年だし、ヒロコには、戦地に行った、足立という婚約者もいる。
もし、善悪があるのならヒロコは、とんでもない『悪女』だ。そして、十四歳の美少年を愛する二十四歳の彼女は、自分自身を、こう思った。
「やっぱり、私って、変態かな」
その独り言を聴いて、夕輝が目を覚ます。
「ヒロコさん、何か言った?」
「ううん、別に」
美しい。美し過ぎる、この少年の顔は。
こんなにも美しいものを見れば、誰でも、心を奪われるに違いない。ヒロコは心の中で、
「 決して、私は『変態』ではない。特別に選ばれた『幸せ者』だ」
と、自分を肯定する。彼女は、この美しい少年に色々な事を経験させたし、夕輝の方も『欲求』として、ヒロコの体を求めている。女として、これ以上の幸せはない。
「夏休みの宿題は?」
「そんなのは、やらないよ」
ヒロコは夕輝の母でも姉でもなく、無責任な『快楽提供者』だ。本音の話で、ヒロコには夕輝の『学力』も『将来』も、どうでもよかった。
ヒロコに必要なのは、今、この瞬間の『多幸感』だけだ。
「勉強をしても、戦争で、この国の将来は、どうなるかわからないし」
夕輝は少年らしい、自分勝手な言い訳を吐いたが、ヒロコも、また、その心中で、
『戦地に行った足立さんは、戦死するかもしれないし、戦争が本州にも広がれば、私も、死ぬかもしれない。だから、今、この瞬間が大切なんだ』
と、もっともらしい言葉を並べ、すべてを戦争のせいにして『自分自身』に『自分勝手』な言い訳を、言い聞かせた。
こんなヒロコだが、足立が戦地に行った直後は、彼が無事に戻り、結婚することだけが望みであったのだ。
しかし彼女は、近所に引っ越してきた夕輝と出会ってしまう。これは運命なのか?
それ以降、二人は引力に曳かれるように急接近して、抵抗を感じることもなく、肉体関係に陥った。
ヒロコは思う。夕輝は『美しい悪魔』だ。そして、自分は『醜い怪物』だと。 このまま、夕輝と破滅の道を突き進みたい。
それは、甘味であり、美しく尊い破滅なのだ。
だが、逆に、ヒロコは、こうも夢想する。時がくれば、夕輝がヒロコから離れていくことは明白であり、その頃合いに、足立が戦争から帰ってきて、何事もなかったかのように結婚する。これも、一つの幸福の形だ。
ヒロコは、ずいぶんと、身勝手な女性なのだが、しかし、この戦争により、結婚間近の婚約者と引き離されたことは事実である。
だから、彼女は、戦争の被害者でもあった。
それ故、神様が『美少年の幻』をヒロコに見せているのかもしれない。
朝の気だるい時間。二人は身体を絡ませ、互いの欲望を露悪的に、ぶつけ合った。
「あぁ、夕輝、好きよ」
そして、数日後、ヒロコの元に、婚約者の足立の戦死を知らせる通知が届く。