雨が止ムマデニ その1
学校の一日は長い。よく大人が大切に過ごせなんて言うけど1日2日位な適当に過ごしていいんじゃないか、っていうくらいには長いと思う。毎日学校に通って同じことを繰り返す。1日6時間のコマをこなして今は最後の授業。古典。
「大蘭法師っていうのがこの辺の地域にいてな」
授業に関連するということで、始まった教師の雑談が数十分続いていた。試験に出る気がするけど多分違う。なんでも戦国大名にも使えた、特殊能力を持った法師がこの地域を収めたということらしい。町を発展させ基礎を作ったとか困っている人の病気を治したとか、予言をして外したことがないという逸話が残されている。
「と、あくまで一例だがこれ以外にも不思議な技を披露していたようだ」
真実かどうか分からないが。それに準ずる何かを持っていたのは多分事実。あるいはそこまで大きな話ではなかった逸話が紆余曲折を経て、特殊能力を有しているとかいう方向へ転換していったのかもしれない。
みたいなことを考えていたら、号令の合図があって授業が幕を閉じた。ほぼ関係ない話に終始しているがこんなこともあるか。これで今日も長い学校が終わるのだから。
入れ替わりで入ってきた担任がHRとして連絡ごとを伝えている。今配られた三者面談のお知らせについてなのだろう。まだ1年生だけどこれから将来のことを見据えろ、ってことか。半月ほど前に中間テストがそういえばあった。あるものは喜びあるものは哀しみ、結果に打ちひしがれるのは中学校からのお決まりの光景だった。見慣れたもので別に新鮮味なんてものは存在しない。ちなみにぼくはどちらかといえば前者だった。勉強をする時間だけはあまるほどあったし、否が応でも勉強しないといけないようなシステムだって形成されている。別に僕がそういうことを望んだってわけでもないけれど。
「以上でHRは終わり。みんな気を付けて帰れよ」
担任の話も終わり生徒たちが荷物をまとめ始めた。部活がある人はそっちに向かう思想でない人はすぐに帰宅する。ちなみにこれに関して言うならば僕は後者。部活みたいな課外活動をやっているわけではない。だから時間だって余っているんだ。なので放課後にわざわざ学校に残る理由もないのだから。おまけに今日は天気も悪いときた。それなら早く家に帰ったほうが効率もいい。部活をやらない理由は簡単、学校内でやりたいと思えることがなかったからだ。
教科書の類を全てしまってから教室を出て、廊下を歩き始めた。学校の面積自体は大して広くもない。ただ土地を有効活用するために取られた策として建物を高くするということだった。おかげで僕がいる4階は地上からかなり離れているし下駄箱まで距離がある。全くついていない。階段の手前まで行ったその時。
「ねえ」
急いで帰ろうとする僕に誰かが声をかけてきた。甘く耽美で。脳に浸透するような、そんな優しい声で。ゆっくりと振り向いて声の主を確認してみる。
「北神さん」
一瞬だけど僕は驚嘆した。
北神有理紗。僕と同じクラスに在籍する女子だ。
学年で彼女のことを知らない人はいないんじゃないかって思う。
なぜなら彼女はとびっきり美しいのだから。
平均以上に伸びた身長と高校生離れしたスタイル。腰あたりまで伸びたつややかな黒髪。
その触れてみたいと思わせる柔らかな髪と同じくらい黒のブレザー制服をきっちりと着こなした彼女は街灯の光で妖艶さをまとっている。
ぼくは今まで生きてきた中で北神さんほど、美少女という言葉が似合う人は見たことはなかった。そりゃ中学校の頃にはクラスに可愛い子はいたしテレビをつければ華やかな衣装で着飾ったアイドルの子たちがいっぱいいる。けど北神さんはそういった類の子たちとは違う。彼女が持つオーラとでも言うべきか。
「な、なにかな」
言葉に詰まりながら答えを返す。なぜなら彼女とは住んでる世界が違う……というのは大げさすぎる表現かもしれないけどあながち間違っているわけではないと思う。スクールカーストみたいなものがあったら彼女は最上位にいるのだからよくて、中の下くらいにいる僕が簡単に話しかけることはできやしない。そりゃ勉強は普通よりできるかもしれないけどそれにこうやって話しているところを他の上位にいる男子に見られたらどうなることやら。せっかく彼女に話しかけれもらったのに誰かに見られないようにという思いからひやひやしてしまった。
「これ落としたよ」
彼女の手に握られていたのは、カギだった。家に入るために僕が常日頃持ち歩いているものであって、なくなってしまえば大変なことになる。一応、わかりやすいように銀細工のキーホルダーをつけておいたんだけど。
「ありがと。……どこに落ちてたの?」
「君の机のそばにね、あったの」
じゃあね、と言い手を振って彼女はその場から立ち去っていく。離れていく彼女に対して数人、仲のいい少女と思われる存在が 部活行こう といって近づいてきた。どの娘もクラスで中心になっているような存在だった。それを見るとやはり彼女はどこか僕とは違った異質な野だなと実感する。クラスでも部活でも必要とされている立場にいるのだから。
いてもいなくても別に変らない僕と違って。彼女が見えなくなると下駄箱を目指した。靴を履きかえて外に出ると空を見た。灰色になっていて今にも雨が降り出しそうだった。濡れたくはないので走って家路を急ぐ。
学校から30分くらいのところに僕の自宅はある。電車2本で着くというのはとても楽かもしれない。同じ市内だし。もっと遠いところから通っている生徒もいるっていうくらいだし。それに比べればね。ちなみに僕の住んでいる地域には同じ高校に通っている生徒はいないらしい。少なくとも同じ学年にいない、ということだけども。前に見た生徒分布グラフで確認した時に10%くらいはいたのだ。
「ただいま」
誰もいないことはわかっていても口にしてしまう。数年前に新築で買ったので中はとてもきれいだ。それだけのものを購入するので当然のことなので金が要る。両親はそろって共働きで家にはあまりいない。朝はボクのほうが早く出かけて夜は二人とも帰ってくるのが遅い。土日は休みになっているはずだけどそろって別々に出かけてしまう。話をしている様子すらないしほとんど食事だってとらない。
父さんのほうは仕事柄海外出張が多い。月に数回会えればいいほうかもしれない。母さんのほうはといえばシフト次第では家にいるけど夜勤の日が多いからなかなか会えない。こんな具合だから関係性は悪くなるばかりだ。いつからこんなことになってしまったのだろう。昔はこんなはずじゃなかったのに。僕が小さいときは2人とも笑ってた。きっと今日も返ってくるのは遅いはずだ。ふと窓のほうに目をやった。水滴が窓を伝って垂れていく。一つではなくいくつも。どうやら本格的に降りだしてきたらしい。早く帰ってきてよかったと思う。
着替えて制服を床に抛り、窓際に置いたベッドに横になった。ちらりと枕元に置いた時計に目をやる。四時十五分。HRが終わってからまだ1時間足らず。日没までは2時間たらす。僕以外の誰かが帰ってくるのはそれから1時間後。そして一日が終わる就寝時間まではずっと時間が余る。
「……眠いけど」
体を無理やり起こして、机に向かう。今日やったところの復習をやることにしよう。後回しにするとどうせやらなくなるから思いついたときに叩きこむのだ。これが僕の勉強方法。やろうと思ったら何でもやる。失敗したところであとで挽回する方法を考えればいい。教科書とノートを開いて、机の隅にあるラジオのスイッチを入れる。勉強をするときのお供というか必需品というか。
『さあお葉書を読んでみましょうか。ペンネームは明太子伯爵さん。16歳高校生の方ですね』
ラジオからは軽快な女性の声が流れてきた。このチャンネルは地域ラジオで、いつも聞いてる。というかここ以外聞いていない。だからこの時間帯によそのラジオ局がどういう番組をやっているかほぼ知らなかった。ここにチャンネルを合わせている理由はただ一つ。この辺りの情報が入りやすいから。
『さて、そろそろエンディングのお時間ですね。ではまたお会いしましょう』
気が付いたららじおもおわってしまった。時計を見ればもう夕方の5時すぎになっている。
このあとは風呂に入って夕食を食べてから歯を磨き寝るだけ。そして寝る前に予習と市販の問題集を解く。あとは今読んでる本を読み進めて終わり。これでしめて四時間程度。勉強は二時間する。毎日くりかえして解決方法を理解して覚えさせるやり方しか知らない。やりたくはないにしても同じものを何回もやれば体が勝手に覚えてくれる。
「寝よう」
勉強も終わり本読みも霧のいいところまで進んだので、電気を全部消してベッドに移る。
ラジオはタイマーを設定しているので、漬けたままでも時間が来れば勝手に消えてくれるので気楽だ。疲れが出てきたな、そろそろ意識も混濁してきた。自分が一瞬何処にいて何をしているか。今が何時か分からないこの感覚。眠りに落ちる前はいつもこうだった。完全に眠りに落ちるまであともう少しと思った時。
『ここで番組の途中ですがニュースをお伝えいたします。吉ケ池3丁目で先ほど遺体が発見されたとの情報が入ってきました。詳しい情報はまだ不明ですが、外出中の方はくれぐれもご注意をお願いいたします」
来た。慣れたこととはこういうはなしを夜中に聞くと怖い。淡々と事実だけ伝えるアナウンサーの喋り方か、自動音声による繰り返しの抑揚ない喋り方か。色々考えようとするが眠いというほうが強くなってしまった。明日だって、早いのだからもう寝てしまったほうがいい。カギだってきっちり占めたし警備会社への連絡体型だって整ってる。窓だって二重窓になってる。だから何も恐れることはないはずなのだ。おそれたところでなにもかわることはないのだから。天にすべてを任せて眠るだけ。
2
次の日。雨は止んでいたけど空気が悪い。梅雨特有のあの湿り気だ。半袖のシャツを着ていて通気性をよくしても暑い。これがあと1か月もして梅雨が明ければ状況は少々変わるんだけども。
「ねえ、聞いた。また出たんだって」
「今月で三件目だろ」
ぼんやりと窓の外を眺めながら、周囲の会話に耳を傾ける。楽しそうに話しているという様子ではない。大体高校生の話す内容なんて恋株価塚悪口と相場が決まっている。けれどそれは普通の平和な場合の話。この学校は例外ではある。
雨が降ったら服に濡れるから、気分が重くなるとかとかそういう問題の話ではない。
それにそう思ってるのは僕だけじゃないはずだ。特にこの町に住んでいる住民に関していえば。なぜなら。
「怖いよな」
「また首を切られたらしいぜ」
「あ、A組の原田が見たんだって」
「なにそれ、かわいそー」
男女がざわざわと集まって、持ち上がり始める。ここのところいつもこれだ。このクラスこと、胃や学校を席巻する話題。それはこの地域に出現する殺人鬼のことだった。雨が降る日には必ず町のどこかで人が死んでいるから。
いつから言われ始めたのかは定かでない。ただわかっているのは何十年も遡るような古いものではなく、ここ数年言われ始めたものであるらしいこと。決まってこのことは夜になったら起こる。だから少なくとも今はまだ明るいから平気かもしれないけど暗くなったら、危険だ。主に言われている事柄は三つ。一つ、発見された遺体は例外なく首を斬られていていたということ。二つ目は全部が全部ってわけじゃないんだけど殺害される人は、大体同じ地域に住んでいるということ。犯人はいまだに捕まっていない。被害者に共通項はなく犯人の目的だって不明。まったく気味の悪い事件だと思う。おまけにさっき言った地域っていうのは僕の家の近くで起きているのだ。雨が降った翌日には高確率でパトカーが止まり警察が事情聴取をしている。別段珍しくもないのでもう慣れてきた。人間ってのは怖いね。どんなに非日常的なことでも何回も続けばそれを普通の景色として処理してしまうんだから。
「本当にいるのかな、殺人鬼」
殺人鬼 っていう呼び名のある伝承というか人は昔からいた。ただそういう存在でも物理的な犯罪として成立もしてるし、そもそも単純に多くの人を殺したから というのが呼ばれる理由であるわけで。
「てことは、またHRこの話かな」
「ありえるかも」
出る時期は決まっている。それは雨が降った日だってこと。これが三つ目。誰も特に触れないけどそれだけ。だからいつしか雨の日は早く帰るほうがいい なんていわれるようになったけどそんなの絶対無理だと思う。学校側は早く部活を切り上げるように処置をするけど、高校生の用事はそれだけじゃない。僕みたいに予備校に行く学生だっているわけ。というかそれが今日なんだけど。
「そうだ、おい成瀬」
恥にいて窓を眺めている僕に話しかける存在がいる。話題で盛り上がっていた一段の一人。鹿波だ。正論というか倫理というか善意と正義を盾にいろいろやってくるからあまり得意じゃないんだ。
「宿題忘れたから見せてくれよ」
「……」
またこれだ。楽をしたいのか知らないけど絶対僕に対してこういう理由で、絡んでくる。面倒だが断ると長引くのでノートを差し出す。
「すぐ写すから」
「はいはい」
まあダミーなんだけど。それっぽく見えるけど課題の回答は、適当というか途中経過式で失敗したものしか書いてない。別にいいしそもそも正しい回答を見せろなんてひところも言われない。
「おはよう、みんな」
甘い少女の声。官能的な響きだってするようなこの声の持ち主は一人しかいない。北上さんだった。
「あーちゃーん」
「おはよ」
クラスの雰囲気が一変する。まるで夜明けが訪れたようだ。それくらい言ったとしても過言ではない。
「おはよ、成瀬くん」
「おはよう」
僕にも挨拶をしてくれて、北神さんは斜め前の席に座る。そして北神さんの周りに女子生徒が集まり始めた。やはり北神さんは目立つ。高校生離れした大人びたスタイルもそうだけど、精緻な顔つき、無駄が一つもない。ずっと見ていたって飽きない。笑っているところで体が少し動いた。視点が少し変わったので見えるものも変わる。目を引くのは同級生よりも一回りも二回りも大きな胸のふくらみ。制服の上から見ていてもやはりわかる。中に何か仕込んでいる可能性もあるけど。彼女の魅力の一つであるのは確か。男子から人気があるのは、その顔つきとスタイル、誰に対しても笑顔で接するから。一回、話で聞いたことがあるのは北神さんとそういうことがしたいとかいう類のこと。だから彼女の席のすぐそばになれば、幸せだとかなんとか。でも、この席だと授業に集中できないからどうなんだろう。
「ほらHR始めるぞ」
先生の声が聞こえた気がする。そこから、ノートを取り続けていたら今日も学校が終わった。足早に急いで予備校へ向かう。やりたくもなければ佳代田委託もないが成績維持のためには必要ということで早々に設定されてしまった。逃げられないからただ行くだけ。
「今日も部活短縮らしいよ」
「居残りも中止だって」
廊下を歩きながら話している声が聞こえてきた。昔からこういうことはある。聞き取れないような声量でもある程度は察しが付くものだ。集中すれば何十人もいるような場所でも相手を絞って正確に、話している内容だって聞き取れる。けれど集中すればその分それ以外は、何もできなくなるので歩くことはできなくなるわけ。
この能力についていえば不思議なことはある。僕がずっと小さいころ、どこかから呼ぶ女の子がいた。母さんに言っても信じてもらえなかったけど僕はそれでも声が聞こえる方向へ向かっていく。その呼び声に従って走った先にいたのは僕と同じくらいの女の子だった。彼女は一人で退屈だったから、だれでもいい。来てほしいというただそれだけの思いで人を呼んだ。けれど大きく叫ぶ声が出せないから、声は小さくなってしまったという。僕はその女の子と一緒に遊んだ。何をしたかは覚えていないけど、ただただ楽しかったということだけは覚えている。そして別れ際。
「これあげる」
彼女が僕にくれたもの。それがカギにつけている銀細工だった。その子も同じものを持っていたらしく、手渡した後に見せてくれた。そのあと、同じものを探したけれど見つからなかったし、どこにあるものかすら分からなかった。と、昔のことを思い出している間にも時間は過ぎていく。
「とっと帰ろうぜ」
「どこか寄ってく?」
何組か話している集団はいるが、耳に入ったのはこれだけ。歩きながらだと聞き取れはするけど会話を類推するだけ。用もないのに立ち止まっていては怪しまれるし。この力だっていいことだらけではない。今はある程度、コントロールできるけど小さいときは大変だった。小さな物音ですら聞き取ってしまうし、大きい音はもっと大きく聞こえてしまう。そのせいで普通に生活するのが大変だった。ただ
「よるとしたらどこよ」
「補導に引っかかるだろ」
「図書館の本ってさ」
「あー忘れ物しちゃった」
人が多ければ多いほど、会話の分量も多くなる。この時間は仕方ない。とはいえやっていることは どうみてこんなのは盗聴だ。ほめられたことではないけれど、言わないならバレない。
「またね、成瀬くん」
ふと、北神さんの声が聞こえた気がした。振り向いてみると反対側の方向に歩いていく彼女の姿が目に入ったが、すぐに角を曲がってしまう。その距離はおおよそ十メートル以上。普通の人間であれば聞き取れないような距離だし雑踏では、わからないような声量だった。僕でなければたぶん分からない。ということは北神さんは僕だったら聞き取れることを知っている可能性がある。
どういう理由かは分からない。それよりやることが今の僕には存在している。そう、高校生たちのもう一つの主戦場、予備校である。今日からは新単元をやるとか言っていたような記憶がある。梅雨で嫌な気分だというのに、それに輪をかけるようにテンションが下がる話だ。脳内を支配していた嫌煙気分を振り払い、授業に集中してノートにペンを走らせる。
ここでもノートを書いて、問題集を解くことに専念していたら予備校が終わった、大学に行くために必要なもの。だとしてもだるい、時間は午後9時。、運良く天気が崩れないでいてくれる。しかし油断ができない。今は崩れていないだけでさっきまで、雨が降っていたと思われる痕跡はある。この空気の張りつめ方といいまとわりついてくる感じ。経験則からいうとほぼ近い時間帯に雨が降るなり天気が崩れる傾向にある。経験則からいうと7割5分。
「今日の授業さあ」
「タクシー捕まらないな」
少しだけ耳を少しだけでも街中では聞き取れる。最初のうちは大通りを進んでいるが、それだけでは家につかない。分かれ道に入っていくが一気に人が減るなんてことはない。ここは商店街の通りだ。飲み屋くらいは空いている。
「ねえ」
どこかで聞いたことあるような声だけど、ここまでいろんな音が氾濫していると思い出せない。あまりこの時間で歩いている人とかに知り合いはいないんだけども。声のした方角を見てみる。そこは商店街のわき道に入るような場所だった。ところどころに横の店並びが存在している構造。
そこには 一人の人間が立っていた。よく見る女子高生や若い女の人が使うような派手な色の傘じゃなくて、紳士物にあるような暗い色合いの傘を持っている。両手にはなぜか季節外れの革の手袋をしている。目を凝らしてみると少女だろう。どうも視界が悪いので、しばし立ち尽くしていると向こうから歩み寄ってきた。手が届くくらいの距離になって、ようやく誰だかわかった。
「北神さん」
学校以外で遭遇するとは思わなかった。制服でいるってことは一度帰宅せずに、用事を済ませている可能背が高い。
「やっぱり成瀬くんだ。予備校?」
「うん。駅前にあるところの自社ビル持ってるやつ」
「カルーセルか。あそこ難しいんでしょ」
「そうかな、先取りしまくる傾向はあるけど」
そういう評判が出ているのは知ってる。カルーセル、西海、WASとかこの辺にある予備校というか受験対策学校はいくつかあった。その中でも僕が通ってるカルーセルが、北神さんの感想通り、一番難易度が高いとか言われてるけど特に感じたことはない。単元を半年くらい平気で先取りしたりするから、そういう評判が立つんだと思う。
「成瀬くん、頭いいからね」
そうは言うけど、学年順位そのものでいうなら北神さんのほうが圧倒的に上だった。職員室前に張り出される成績優秀者のリストにはいつも彼女の名前が入っている。僕は残念なことに入ったことはない。手前までは来るんだけど。
「北神さんは何してたの」
「私はジムに行ってたの。部活の後にね」
そこのビルにあるんだよねと言ってくれたが、どこにあるかわからなかった。それを聞き返す元気がない。
「……」
「疲れた?」
「いや、けどどうして」
「急に黙っちゃったから。予備校も大変層みたいだし」
半分くらいは本当だった。頭を使うことばっかりで、疲労感は限界に達していて会話をするだけのエネルギーが回らない。北上さんだから一緒にいることができるけどこれが別の人だったら無視してるか適当に話題を切り上げて帰るとことだった。
「はい」
北神さんが目の前に栄養剤の入ったゼリー飲料を出してくれる。
「おいしいよ。味は好みがあるけど」
「うん、ありがと」
受け取って中身を流し込む。夕食は休み時間に、食べてはいたけどしっかりは食べていない。帰った時に改めて食べようかと考えていたけど疲れたからいいや。今北神さんにもらった分で終わりにしよう。
「聞きたいことはいろいろあるけれど、疲れてるだろうからね」
「うん」
何か重要なことを言われた気がする。しまった聞き逃した。
「成瀬くん、明日はどうするの」
「別に、何もしないよ」
「へえ」
向き合って僕の前に立つ。北上さんは背が高い。もしかしたら僕より少しばかりも。目線が一緒とはいえそれは見ていて明白だった。
「じゃあさ、一緒に遊ぼ」
予想だにしていない内容が返ってきた。ていうかはた目から見ればそれはデートだし。うれしいけどそれはそれで。
「不服かな。成瀬くんは」
「いやじゃない、けど」
「わかった。君の懸念してるであろう点はすべて私が明日解決してあげるから。それで一緒に遊べる」
一瞬で僕が気にしている事情を見抜いたのか北神さんは何かを思いついたみたい。そのまま歩き始めると急に立ち止まる。
「じゃあね、成瀬くん。明日は8時前に宝浜駅の北口にきて」
手を振る間もなく北神さんは歩き始めた。普通に歩いているだけなのにスピードが出ているのか圧倒言う間に見えなくなってしまい僕が、この場に残されているだけ。気になるっこともあるけど、とりあえず明日は早く出よう。空を見ると、天気が悪いと思っていた時から一転して、雲の切れ目ができている。その隙間からは漆黒に染まった夜の空が見えていた、明日は何となく晴れる予感がしてきた。そして殺人鬼は出ない気がする。多分。