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箱と楽園  作者: 未由季
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異界(3)

 翌々日の夜、俺と航汰は塾近くの交差点脇にある、コンビニの駐車場で待機した。

 そこから、リンゴのイラストが描かれた看板を見上げる。

 今日もリンゴは紫色のライトを受けて、禍々しく染まっていた。夜間にこの看板を見たら、誰も我が子をここへ通わせようとは思わないだろう。それほど不気味な様相へと変わっていた。


 稲山さんに、快星さんを車に乗せていた男の写真を送ったところ、思わぬ反応が返って来た。

「ええ、知ってますよ。この方のお陰で、快星は今の塾に通えるようになったんです」


 男は蛭田創治といい、稲山親子とは遠縁にあたるという。


「わたしの稼ぎでは生活するだけで精一杯でしたので、本当に有難い提案でした」

 

 そこで俺は、稲山さんが早くに夫と死別していたことを知った。


 快星さんを進学塾に通わせるための費用をどう捻出しようか、稲山さんは頭を悩ませていた。

 そこへ突然、蛭田が訪ねて来た。快星さんが小さい頃は、よく面倒を見てもらっていたが、ここ何年かは疎遠になっていた相手だった。そんな彼が、どんな用件か。不思議に思う稲山さんに、蛭田は、自分の経営する塾に快星さんを通わせたらどうかと提案してきた。聞けば、稲山さん親子の境遇をどこかから耳に入れ、それならば自分が力になれそうだと考えたらしい。


「困ったときはお互い様です。親戚なんですから、こういうときは遠慮なく頼ってください」

 蛭田の言葉に、稲山さんは深く感謝した。

 格安の月謝で、快星さんは塾に通えることになった。


「これまでにも何度か蛭田さんは、快星が疲れているようだからと、塾の後、車で家の近くまで送り届けてくださいました。快星のために特別に時間を割いて、苦手科目を見てくださったこともあります。本当にいい方なんです。いくら感謝してもしきれないくらい」

 

 稲山さんは、蛭田に深い恩を感じているようだ。

 それはそうだろう。未来がないと諦めていたところへ差し伸べられた手が、どれほど貴重で温かいものか。俺も身に覚えがあるからわかる。

 ただ残念なことに、すべてのケースで、救いの手に血が通っているとは限らない。


 俺と航汰が見たのは、蛭田の車に乗る快星さんの姿だけだ。

 異界へ行っていたという謎は解けていない。

 やはり深夜帰宅を咎められた快星さんが咄嗟についた嘘とも考えられるが、それにしてはリンゴの存在が気にかかる。


 快星さんが洩らした異界への道筋で、最初のポイントとなるのが紫のリンゴだ。

 その正体は看板に描かれたリンゴのイラストに、向かいの店舗からのライトが当たり、紫色に変化して見えたものだった。

 一つ目が存在したのなら、次もあるのでは?

 紫のリンゴに続くポイントは、笑う巨女、黄色と赤の蜘蛛の巣、首長竜の群れ。

 これらもどこかに実在しているんじゃないだろうか。

 見つけ出し、辿れば、異界の謎が解けるんじゃないか。


 俺は十中八九、蛭田という男が怪しいと睨んでいる。

 まず第一に、格安で塾に通わせてあげるだなんて申し出が不自然だ。それも相手は遠縁で、長年付き合いが途絶えていた親戚の子。ほぼ他人といっていい間柄だ。

 蛭田が純粋な慈善家でないとすれば、稲山さん親子への施しには、何か狙いがあるはずだ。


 快星さんは塾を出てからしきりに周囲の目を気にし、駐車場に入ってからは、蛭田が来るまで車の影に身を隠していた。明らかに後ろ暗いことがある人間の挙動だった。そして助手席につく際も、嫌々命令に従っているような素振りを見せていた。

 快星さんは、蛭田を恐れているんじゃないか。

 蛭田から、車に乗るよう強要されているんじゃないか。


 快星さんを異界へ導いているのは、蛭田だ。

 塾に通わせるという申し出も、まずは自分のテリトリーへ快星さんを誘いこむための罠だった。

 そして快星さんが自分に気を許したところで、異界へと連れて行ったのだ。


 異界とは、どんな場所なのか。

 半年前と比べて別人のように痩せ衰えた快星さんを見れば、想像するのは難しくない。

 異界とは、クソみたいなところなんだ。

 

 一刻も早く、快星さんを救い出さなければ。

 


 

 やがて塾帰りらしい学生たちが、俺たちの前を通りすぎる。


「そろそろ快星さんも出てきますかね」

 そう言うと、航汰はエンジンをかけた。

 俺は助手席で、シートベルトを締める。


 前回と同じ失敗をしないよう、今回の尾行は車を使う。運転するのは航汰で、車は父親のを借りてきたらしい。

 免許をとって間もないというが、航汰の運転は悪くなかった。ドライバー歴二十年の俺の母親より、よほど、安全運転だ。


 俺は窓の外へと目を凝らし、蛭田が運転する車が交差点に入るのを待った。

 三度、車の列が通過していくのを見送り、四度目の赤信号で、一昨日の夜に見たのと同じナンバーの車を確認した。停止ラインをやや超えた状態でとまる黒のSUV。助手席には、今夜も快星さんの姿があった。運転席にいるのは、もちろん蛭田だ。


 信号が青に変わり、SUVが走り出す。

 列が途切れるのを待って、航汰は車を発進させた。蛭田から二台後ろを走る。


「こういうスリリングなのは、ワクワクしますねえ。犯人の車を追う刑事は、きっと今の私と同じ気持ちでいるのでしょう」

「いや、絶対違うだろう」

 と言って運転席に目をやれば、航汰の横顔には脂汗が滲んでいる。

 蛭田の車の動きを見逃さないよう、神経を集中させているのだろう。

 

「快星さんの話に出てきたポイントは俺が探す。おまえは運転のことだけ考えてろ」


 俺は窓を開け、夜の風景を広く視界に入れた。

 今のところ、車は真っすぐ進んでいる。


 前方に、歩道橋のある交差点が見えてきた。蛭田の車が左にウインカーを出す。

 

「これだな」

 俺は道路脇にでかでかと掲げられた歯科医院の看板を睨んだ。

『インプラント相談会 無料開催中』という宣伝文句の下、歯ブラシを頬の横に添えた二十代前半くらいの女が、真っ白な歯を見せて笑っている。


「笑う巨女だ」


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