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箱と楽園  作者: 未由季
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後ろ(8)

 前回と同じドーナツショップで、俺たちは藤間さんに会った。


「まだ信じられないの。彼が人を殺したなんて」

 と言って、藤間さんは視線を落とした。

 ふっくらとしていた頬は削げ、目の下には濃い隈がこびりついていた。

 恋人の事件を知った日から、あまり眠れていないのだという。


 町屋さんの犯行は、おおよそ俺が想像した通りだった。

 被害者は彼と以前交際していた女性で、首を絞められ殺されていた。殺害場所は彼女の部屋だった。町屋さんは大学の先輩から借りた車に彼女の遺体を乗せ、祖父の管理する民家へと急いだ。

 そこは、町屋さんが小学生まで住んでいた家だった。母を亡くしてからは祖父の家で暮らすようになったが、家自体は手放さず、長い間祖父が手入れを続けてきたという。

 以上のことを、俺は週刊誌の記事を読んで知った。足腰が弱くなった祖父は、最近では滅多に家の中まで踏み入ることはなく、そこで町屋さんは遺体の隠し場所として目をつけたのではないかというのが、記者の見解だった。自分に何かあったときのためにと、祖父から家の合鍵を持たされていたらしく、出入りするのは容易だった。


 町屋さんの母親は、息子が学校へ行っている間に家の中で首を吊り、自殺していた。

 第一発見者は、まだ小学生だった町屋さんだ。

 当時、近隣では知らぬ者はいない事件だった。町屋さんはしばらくの間、近所中からの好奇と同情の目を

注がれることになった。

 こうした経験が彼の心を歪ませ、今回の犯行へと繋がったのではないか。

 自称専門家たちの分析もそろそろ食傷気味で、俺は事件に関する報道を避けるようになった。

 しばらくすると世間の関心は、人気ミュージシャンの薬物使用問題へと移っていった。


 俺は藤間さんに、彼に憑いていたのが被害者の女性の霊だったと告げた。


「もしかして、トラブル続きでわたしと彼が長く会えなかったのは、その霊の影響があったのかな」

 藤間さんは言った。


「少なくとも町屋さんが不幸続きだったのは、あの霊の仕業だろうね」


「悪いことをしたら、平穏無事ではいられないということですねえ」

 航汰はしみじみと言い、ウーロン茶を一口飲んでから、

「ん? 少なくともって言いました?」

 違和感に気づいたようで、首を傾げた。

「では、藤間さんに降りかかったトラブルは、別に原因があるのですか?」


 藤間さんは目を見開き、俺のほうへ身を乗り出した。

「そうなの? 小野塚くん」


 藤間さんと初めて会った日だった。一緒に町屋さんの元へ向かおうとしたところで、藤間さんはアパートの管理会社から、異臭がするので部屋を開けてもいいかという確認の電話を受けたのだ。その前から、藤間さんには似たようなトラブルが続いており、町屋さんと会う時間がとれない状態だった。さらには原因不明のスマホの不具合まで起き、町屋さんの犯行が露見するまで、彼と連絡を取る手段を失っていた。


「説明する前に、写真を撮ってもいい?」

 俺はスマホを構え、藤間さんの背後に目をやった。相手が頷くのを確かめてから、一枚撮影する。

 

 表示された画像を、藤間さんのほうへ向けた。俺の横で航汰が慌ただしく立ち上がった。藤間さんの隣に移動すると、一緒に画面を覗きこむ。


「こちらの方は誰なのでしょうか」

 航汰は藤間さんの背後を見やり、それからまた画面に目を戻した。


 藤間さんは無言で画像を凝視し続けている。

 俺は改めて、彼女の背後に立つ着物姿の老女を眺めた。前回も、彼女は藤間さんの傍に立っていた。そして俺と航汰を見定めようとするかのごとく、睨みをきかせていた。

 藤間さんに危害を加えようとする輩は、絶対に許さないとでも言いたげな、とても強い眼差しだった。


「そこに写っているばあちゃんが、藤間さんが町屋さんと会うのを邪魔してたんじゃないかな。そのために、色々なトラブルを起こして藤間さんを足止めさせてたんだ」


「……おばあちゃん」

 藤間さんはそう呟いて、声を詰まらせた。


「こちらに写る方は、藤間さんのおばあ様でしたか」

「うん、そうだよ。二年前に亡くなった、わたしのおばあちゃん」

「少々厳しそうなおばあ様ですね」

「厳しかったよ。病気がわかるまで、家でお花と着付けの先生をやっててね、わたしも子どもの頃はよく、姿勢とか食事の仕方とか注意されたな」


 恋人の起こした事件に傷つき、落ちこんでいる今も、アイスティーを飲む藤間さんの背筋は、すっと伸びて美しく、ストローに添えられた指先の形は、優雅さを醸し出していた。

 なるほど、祖母の教えが身についているのだろう。


「あの、私これまだ手をつけていないので、良かったらおばあ様に」

 航汰が、緑茶の入ったグラスを藤間さんのほうへ差し出す。

 

 藤間さんのばあちゃんは航汰に向かって丁寧に腰を折ると、グラスをじっと見つめた。

 お茶を振る舞われても、実際に死者は飲めない。

 だけどなんだろう、さっきより彼女の表情が柔らいだ気がした。

 航汰の差し出した緑茶は、お供え物というくくりになるのかもしれない。

 そうして弔われるのは、死者にとって嬉しいことなのだろう。

 

「藤間さんのばあちゃんは、町屋さんに後ろ暗いところがあると見抜いていて、これ以上大事な孫娘があの人に深入りしないよう、守っていたんだろうね」

 俺は言った。


 藤間さんは両手で自分の肩を抱き、ぶるりと身震いした。

「もし今もまだ事件は発覚していなくて、わたしも彼と普通に付き合いを続けていたら、いつかわたしも被害者と同じ運命を辿っていたのかな……なんて、考えちゃった」


「いや、そうはならなかったでしょう。藤間さんにはおっかないばあちゃんがついてるんだから」

「そうか、そうだよね。ありがとう、おばあちゃん。ねえ、今のわたしの声、おばあちゃんに届いてる? どう?」


 背後を確認して、俺は初めて老女が微笑むところを見た。


「届いてると思う。今笑ってるから」

「え、嘘嘘、おばあちゃんの笑顔なんてすっごい貴重なんだけど。撮って撮って」


 慌てて藤間さんの元からスマホを引き寄せ、撮影マークをタップしたけれど、老女はすっと笑顔を引っこめてしまった。ちょっと難しい人みたいだ。あるいは、照れくさいのだろうか。


「駄目だった。もう笑ってない」

「そっか、残念」


 苦笑する藤間さんを見て、俺はやっぱり自分の感覚は間違っていないと確信した。

 藤間さんと被害者の女性は、顔立ちが似ている。

 藤間さん自身は、気づいていないのだろうか。


 わざわざ教えるものでもないだろうから、俺は黙っている。


「ちょっと追加で、アイスティーを注文してきます」と航汰が席を立つ。

「あ、わたしも行く」

 続いて、藤間さんも立ち上がった。


 連れ立って注文カウンターへと向かう二人の背中を一瞥してから、俺はネットを開き、目当ての写真を探した。


 町屋さんと同郷だったという人物のSNSに、それは投稿されていた。仲睦まじい親子の姿をおさめた一枚。キャプションには、昔、幼稚園で親子遠足に行ったときに撮影されたものだとある。

 写真の中の町屋さんは、四、五歳くらいだろうか。空色のスモックを着て、短い指を不器用に折り曲げ、Vサインを作っている。その隣で、彼の母親はやわらかく微笑んでいた。

 肉付きのいい輪郭と、左右の間隔が広い垂れた目が、やさしそうな雰囲気を漂わせている。小ぶりの鼻とぽってりとした唇からは愛嬌が感じられ、学生といっても通りそうな若々しさが、母親にはあった。

 最初にこの写真を見たときは、驚いた。

 詳しい説明がなければ、藤間さんが写っているものと勘違いしたかもしれない。

 それほど町屋さんの母親と藤間さんは、よく似ていた。瓜二つと言ってもいい。


 母親、恋人、そして元交際相手。

 町屋さんの周りには、同じような顔が揃っていたことになる。

 ここに、何か意味はあるのだろうか。

 町屋さんは亡くなった母親の面影を、藤間さんと元交際相手の女性に求めていたのか。

 ならばどうして、母親と似た顔を持つ女性を殺害しようと思ったのか。


 訳知り顔で町屋さんの精神分析を繰り広げる専門家たちの言葉がよぎり、俺は慌てて頭を振った。

 人を殺めた奴の心理なんてきっと永遠にわからないし、わかりたいとも思わない。

 

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