第二章一節 夢と現実
暗闇の中で誰かのすすり声が聞こえる。
そのすすり声はどこか悲しそうで、確証は持てないけど後悔していると自分は思った。
暗闇がだんだんと鮮明になってくるけど、スノーノイズが激しい。
それでも、今見ているものを確認出来るだけで十分。
何故なら、自分の目の前にかつての小学生時代の自分が机の後ろに立って泣いていたからだ。
おそらく机の上にあるのは破られた絵。自分が真剣に描いて表彰された自慢の絵だったのに……、どういう訳か破られて、丁寧にも自分の机に置かれていた。
そんな思い出があったような、なかったような。
しかし、この泣き声は自分のではない。
当時の自分はもっと恨みを込めて泣いていたような気がするからだ。
じゃあ、泣いているやつは誰なんだという話になる。
自分はキョロキョロと辺りを見回す。周りではそれを見て笑っているやつもいれば、泣いている姿を見て気持ち悪いような顔をして離れていくようなやつもいた。
そんな中で一人だけポツンと自分の反対側の方で座って泣いている少年がいた。
泣いている少年――名前は思い出せない――はただひたすらに「……ごめんなさい……、……ごめんなさい……」と泣きじゃくる顔で謝っていた。
自分の醜い思い出――それはとても人に言えたものじゃない。だからこそ、受け止め抱きしめなければいけない。泣いていた少年がいたことも含めて……。
目の前がスノーノイズで激しくなる――。
いつの間にか、業無北小学校のグラウンドの上に立っており、倒したはずの犬耳の化物が目の前に立っていた。
「聞こえてる! 陽彩!」
業無北小学校の屋上からエコーがかかったような誰かの声がすると、ハッとした表所で振り返ったと思う。
まっ、眩しい――太陽が照りつけるかの如く、逆光で発言者の顔が真っ暗で見えない。
揺らめくような透き通った声はまるで昨日の『鎧に関わらないで!』っていう声に似ているような……気がする。
同一人物と疑った刹那のこと。
「聞こえているようなら、この夢の中でも戦いなさい!」
荒々しい女性の声が耳の中でこだまする。あまりにもうるさかったので半ギレ気味に、
「いきなり戦いなさいって言われて戦えるヤツがいるかっ!」
自分は反抗期の子供のように声を荒らげる。
「姿を見なさい! 陽彩!」
ふと、自分の手を見る。いつの間にかスタンドメインと呼ばれる鎧の姿に変わっているではないか――つまり、戦う拒否権はないということ。
夢の中ならなんでもありかと勝手に納得するが、いきなり戦えと言われて戦える戦闘狂ではない。
犬耳の化物の目の瞳に灯るように明るくなる。
「…………」
犬耳の化物は沈黙したまんま、足を一歩。また、一歩と歩き始める。歩きながら睨んでくる以上は殺意があるということだろうか。
先に攻撃を仕掛けてきたのは犬耳の化物――新しいおもちゃを見つけてきたかのように走ってきて、昨日見たお手みたいな攻撃を繰り出してきた。
――とっさの判断で体をぐるりかと回転させてお手の回避に成功する。
犬耳の化物はおもちゃを追うかのように、次の手、その次の手と繰り返し繰り返しお手を繰り出してくる。
右手が当たらなければ、次の左手へ――。
せわしなく続いていく攻撃をひたすら回避しながら後退するだけになっている。
昨日、戦ったやつと比べたら明らかに元気だ。隙が分からない。相手が得意な間合いになってしまっている。
「避けてばっかじゃ壁に当たっちゃうぞ!」
はぁ……と謎の声の主がため息をする声が聞こえると、自分の背後が校舎の壁だった。
まずいっ! 流石に避けられないと思ったが最後。
バチンっ! スタンドメインの顔が鈍い音響かせた。ついに、犬耳の化物のお手が顔に当たってしまったんだと。
痛い感触が右頬に残りながら、左に滑り込むように態勢を崩して倒れてしまう。
すぐ立ち上がって犬耳の化物を見なければ、次の行動をどうするべきか判断できない。
しかし、急に体がのしかってこられたような重みで体勢がなおせない。
「そろそろ目覚めね。今日は電車に気をつけておくことね」
後ろで何かがヒュンと消えた音がする。おそらく謎の声の主が消えたのだろう。
電車に気をつけるって何に気を付ければいいんだと顔を上げると、獲物を喰らい付くかの如く犬耳の化物は空中を飛び、自分に向かって右腕でお手を……。
――バチンっ!
「起きろぉーー!」
部屋に響き渡るビンタの音と叫び声、ついでに右頬に残る叩かれた痛みで目が覚める。
昨日のポニーテールの少女……なのか……? ポニーテールの少女はニッコリ笑顔で馬乗りになって自分を起こそうとしていた。
どうやら右頬に残るひりひりとした痛みはポニーテールの少女が平手打ちしたものだったらしい。
「……頬が痛いんだけど……」
「うん! 起きたね! おはよう!」
「――おやすみなさい」
見なかったことにしてもう一回ふとんを被る。これこそ夢のはずだ。ゆめゆめ寝ることに専念すれば、ポニーテールの少女は消えるはずだ。
しかし、なぜポニーテールの少女は自分の家にいる。どうして自分は家にいる。
昨日の記憶が思い出せない――昨日は、人工的な¨赤¨が広がる世界にいつの間にかいて、犬耳の化物に追っかけ回されて、ポニーテールの少女にスタンドメインと呼ばれる鎧を身に纏わされて、犬耳の化物を撃破する。そこから、元の世界に戻って安心したかと思ったら記憶がない。安心しきって寝てしまったのだろう。
ダメだ。体のありとあらゆるところがじんじんするような熱い痛みで動けない。中学時代に所属していた剣道部での初練習以来の筋肉痛かもしれない。
だから、今日は大学を休んで寝ることに専念する。おやすみ……。
「だからっ! 起きなさいよねっ!」
ポニーテールの少女の『ね』の発音が強く部屋に響くと、布団が宙をまう。ポニーテールの少女が布団をはいで投げ捨てたのだ。
「おはよう! 一緒に朝御飯食べようっ!」
自分に向かってニッコリ笑顔で微笑んでくる。どうやら自分はポニーテールの少女に気持ちで負けてしまったようだ。
♢
チンっ! っとトースターが元気よくパンが焼けた音を鳴らすが、自分は体の調子が悪くて元気じゃない。
右頬の痛みはだんだんひいてきたが、それでもまだ目が霞んで夢なのか現実なのか分からないのだ。
ポニーテールの少女は絶対夢! 夢であってくれ! 夢だ!
「朝御飯できたよ!」
夢じゃない。ポニーテールの少女は元気にせわしなく話しかけてくる以上は、それはもう夢じゃなかった。落胆。二文字で今の心境が表せる。
親が出張中の間は隣に住むおばあちゃんに頼らずに一人暮らししてやるぞって決意した。そのはずなのに、昨日の一連の事件の流れでポニーテールの少女が自分の家にいた。
自分の眠たい気持ちが宙に吹っ飛び目を開ける。
「あっ! やっと目を開けてくれた!」
自分の目にポニーテールの少女の顔がデーンと映ると、無邪気に悪気がない顔で微笑んでくる。
「自己紹介まだだよね。今日からこの家で居候することになったアサヒノミライ! 二〇七〇年から来たの。よろしくね!」
ポニーテールの少女は握手を求めてくる。しかし、顔が近すぎて手がどこにあるか分からない。
「よろしくね! の前に、顔を遠ざけてくれるか?」
自分は半ばキレ気味に言うと、あははぁと笑いながらポニーテールの少女は顔を遠ざけると一言だけ。
「遠ざけましたっ!」
落ち着け……! 落ち着くんだ……! 自分……!
「言葉遣いの問題でありましたかっ! 私の名はアサヒノ――」
自分、ついに堪忍袋の緒が切れる。
「言葉遣いじゃなくて、お前は顔近づけすぎなんだよっ!」
「ひいっ……!」
ポニーテールの少女は今時、聞いたことないような声で悲鳴をあげる。
「まず、どうしてお前がいる! 自分はお前に一切、住所教えてないし、居候していいとも自分は言ってない!」
「陽彩のおばあちゃんが偶然、校舎前を通りがかって教えてくれたの! 陽彩のおばあちゃんに『私、陽彩の彼女なんです! しばらくの間、泊めていただけますか? キラキラ!』って言ったら、『いいよっ! 止まっていきな!』って言ってくれたの!」
思わない言葉に口が空きっぱなしになる。今、ポニーテールの少女が『彼女』っ
て……。それをおばあちゃんに向かって言った……だと……。
「私って銀河一幸運な美少女! ラッキー!」
ポニーテールの少女は自分に向かってダブルピースしてくる。
その態度を見て気持ちの整理が出来なくなった瞬間、緒が切れた堪忍袋が四方八方へ爆発四散した。
「出ていく準備をしろっ! そして、出ていけっ!」
「ねぇ? 私、陽彩に何か気に障ることした……? もし、していたら私――」
「お前は朝、馬乗りになってはビンタをしては起こして、挙句の果てにおばあちゃんにまで嘘をついたっ!」
「それは……。疲れた陽彩をすぐにでも家に運びたかったし、私も安心して寝泊まりする場所が欲しかったから! ビンタは……ごめんネ!」
「ふざけるなっ!」
自分でもひくくらいの大きな声を出す。ポニーテールの少女の顔を見ると、今でも溢れるくらいの涙目だった。
「今すぐにとは言わん! 自分が大学から帰ってきたらすぐに帰れっ!」
ポニーテールの少女の顔を見ないように大学に行く支度をする。ポニーテールの
少女の声を聞いていたら自分のどこか心がおかしくなると思ってしまったからだ。だから、ここは体にムチを打ち付けて大学に向かった方がマシだと自分は考えてしまったのだ。
自分は心を鬼にして玄関に立つ。すると、後ろから後を追うようにポニーテールの少女がやってくる。
「ねぇ……。朝御飯食べないの? 朝御飯食べないと頑張れないよ? もし、私のこと信用出来ないなら離れているから……」
ポニーテールの少女は悲しい声で言ってくる。
「平気で嘘をつく人間が作った朝御飯なんかいらない。朝御飯食べたら帰る支度でもしていたら?」
「……いって……らっしゃい……」
ポニーテールの少女は悲しそうな声で、自分を送り出そうとする。
悲しそうな声を聞き終わる頃には、自分は玄関のドアをおもいきり開けて閉めた。すると、全身に激痛がこれでもかってくらいに走る。
激痛に我慢しながら鍵を閉めると、びっこを引くように城ノ社駅を目指しだした。
自分の心は今でも素直じゃない。人を許せる心があればいいのに……。