推しの誕生日
いつもわさ子は、朝目を覚ますと、真っ先にスマホに飛びつく。
『アイドルランド・メイルver』
を秒速でタップする。このゲームをやらなければわさ子の人生は始まらない。
中年、未婚、子なし。
非正規のアルバイト以外に出かける場所もなく、ついでに友達もいない。
テレビにも映画にも漫画にも、動画にすら興味がない。
このゲームで『高村砂知』というキャラを愛でることだけが、わさ子の生きる希望である。これは決して大げさな表現ではない。
彼女の一日は高村砂知に始まり、高村砂知に終わるのである。
高村砂知は元々書店員で、良い本を人々に紹介することに使命感を覚えていた。ところがある日、その美貌から某プロダクションにスカウトされ、アイドルとしてデビューすることになる……というのが、ゲーム上での彼の設定である。なんて都合のいい話の流れ。しかし、キャラゲーなんてだいたいそんなもの。一旦キャラ愛に目覚めてしまえば、細かい矛盾やおかしな設定ですら『愛すべき欠点』になる、もしくは、認識されなくなる。
今やわさ子は、現実には絶対にいない爽やか系知的イケメン、高村砂知に夢中である。イケメンと知性のコラボレーションに若いキャラ設定が加われば、わさ子は簡単に落ちてしまう、いや、わさ子は自ら進んでその穴に飛び込んだのだ。
アプリが開くと、ログインボーナスの『スタミナドリンク』を表示した。これは推しのイベントのためにためておかなくてはならない。非課金で推しを追いかけるには戦略が必要だ。要らぬキャラがメインのイベントではアイテム収集に徹し、年に一度か二度、推しが来て、なおかつ「今回は手に入れなければならない」と確信が湧くほどのカードがランキング報酬に出てきた時、その時だけ、ためたアイテムを一気に放出するのだ。
それでも、常時大金を貢いでいる課金者にはかなわない。ランキング報酬が得られる上位500位以内は、信じられないくらい高いポイントを得なければ入れない激戦になっている。
わさ子は一度、その、もはや億を超えているポイントを得るためにはどれだけのアイテム課金が必要か、計算しようとしたことがある。しかし、あまりに途方も無いのであきらめた。たぶん、千個や二千個では効かない数だ。スタミナドリンクは一個百円、千個だと十万にはなるか。そんな金額を、週ごとのイベントで出し続けられる女とは一体何者なのだろう?有閑マダムか、セレブか。たぶん忙しく働いている人は、お金があっても時間がかけられないからやらないだろう(このゲームは、金だけではなく時間もかかる)。
わさ子も、こういうゲームをやるべき人は「お金がかなり余ってる人」だとわかっている。しかし、しかしだ、やるだけなら無料。入り口は万民に開けっ放し。それに、好きなキャラが多い。長くやっていると、好きではないキャラにさえそれぞれに愛着がわく。つまり、やめられなくなるのである。
ゲームは最近5周年を迎えた。同じ系列の女子版ほどの人気も勢いもないが(男は多分、課金する額が桁違いだろう)ファンはじわじわと増えている。きっと、自分のような非課金もかなり多いだろうと、わさ子は考えている。実際SNS上には「このゲーム課金辛すぎない?」「王族を想定してるの?」という嘆きの声がある。
一方で『今日コンビニで十万課金した』『押しのために札束を捧げました』という、ディープな金持ちファンが同じ画面上にいる。そんな『重度の課金者』をネット上で見かけるたびに、わさ子はスマホに向かって手を合わせる。
「わたくしのような貧乏な非課金が推しを持てるのは、彼らが札束を貢いでゲームを存続させてくれるからです。ありがたや、ありがたや」
ゲームの画面に戻ると、画面にはいつものホーム画面ではなく、ケーキとクラッカーの画像が出てきた。
『今日は、高村砂知の誕生日です!』
大きな飾り文字が画面を横切り、本人が出てきた。
「えっ?お祝い?そういえば今日は僕の誕生日だっけ。ありがとう。覚えていてくれて」
高村砂知が照れ笑いを浮かべた。
しまった、とわさ子は思った。私としたことが、砂知くんの誕生日を忘れていたなんて!
許せない、自分が許せない!
わさ子は自分に憤った。去年は何日も前から準備して、当日にはケーキを買って祝ったのに。今年はここ数日、抜け毛の多い自分の頭ばかり気にして、薄い分け目をごまかす方法ばかり考え、肝心の推しの誕生日をうっかり忘れてしまっていた。歳は取りたくないものだ。
続いて、
『誕生日限定!SR高村砂知確定ガチャ!』
という文字とともに、課金者しか手に入らない美麗イラストのカードが画面に映し出された。英国貴族風の衣装を着た高村砂知が、きらびやかな光をまといながらステッキを振って、ファンに魔法をかけようとしているのだ。
わさ子は息を呑んだ。
欲しい。
こんな美しい砂知くんの絵を出してくるなんて、なんて罪深いアイドルランド。
しかし、これは有料のガチャを回さなくては出てこないカードだ。一回3000円でカードがランダムに10枚出てくるが、お目当てのカードが出るとは限らない。しかし、今回は誕生日なので、SRという普段は出にくい価値の高いカードが、確実にもらえる。
非課金のわさ子には手が出せない。
いつもであれば。
でも、欲しい。
わさ子は湧き上がる所有欲、いや、高村砂知への愛を抑えきれないと感じ始めた。今日は彼の誕生日だ。愛する者の誕生日にお金を使って何が悪い?
一方で、わさ子の理性はこうも言っていた。架空のキャラにそんな大金を使っている場合じゃないだろう。非正規で、手取り10万でギリギリの生活をしていて、服もめったに買えず、何年も酷使しすぎた仕事用黒パンツはもう股がすれて、あとどれくらいもつかわからない。某安靴サイトで買ったばかりの黒いパンプスも、すでにかかとが擦り切れている。ちゃんとした靴が必要だ。食事だってろくなものを食べてない(わさ子は料理が苦手だ)。もっと有意義な金の使い方があるではないか、本を買って勉強するとか。3000円あれば、いいレストランで食事ができるし、ちょっとした外国語の辞書すら買えそうだ(ただし、中古で)。
悩み始めたわさ子は、とりあえずいつものデイリークエストをこなすべく、イベントをタップし続けた。ゲームには体力や気力という数値があり、これはイベントをやっているとすぐなくなる。回復するには、時間をかけるか、金で回復アイテムを買うかだ。課金者はアイテムを無尽蔵に買っていつまでもゲームを続けるが、課金せず、たまにもらえるアイテムをためているわさ子は、10分ほどでゲームを終えた。次にできるのは会社の昼休みだ。体力と気力はそれまでに全快するだろう。
時間を見ると七時半になっていた。慌てて朝ごはんの支度をした。冷凍していたごはんを電子レンジで解凍し、卵を焼き、インスタントの味噌汁を作って、百均で衝動買いした味付け海苔を添えた。貧乏なりに朝から栄養を摂ろうと考えた結果、卵とごはんの組み合わせが一番安くてタンパク質も摂れると気づいた。それは、わさ子がしょぼい人生から学んだ、数少ない良いことの一つだった。
「つまらん」
事務デスクのボスである、ヒゲの剃り方が甘いおじさんがつぶやいた。
「寒くなってみんな厚着するようになった。女の子の肌が見えんのじゃ」
デスクにいる女性3名全員が、心の中で『セクハラ』とつぶやいた。しかしもう慣れっこなので相手にしない。みんな自分の仕事が大事だ。あるいは『仕事してるふりをして別なことを考える』のに忙しい。
わさ子の頭の中はもちろん『誕生日限定ガチャ』のことでいっぱいだ。このガチャは今日の夜24時までしか回すことができない。いつものイベントガチャは、高いくせにSRがめったに出ないことで悪名高い。しかも、普通はどのキャラが出るかわからないのだ。愛しい砂知くんのSRを狙って手に入れる機会は、今日を逃すと来ないかもしれない。
仕事が始まる前、わさ子は財布にちょうど3000円が入っていることを確認していた。今週の食費の残りだ。今日はまだ水曜日。つまり、日曜日までの食費だ。全額使うわけにはいかないが、節約してなんとか削れないだろうか。毎日お米だけ食べるとか?いや、昼休みに潔くATMで3000円引き出してくるか。しかし昼休みの銀行は混んでいる。帰りにしようか。いや、帰りには手数料がかかる。3000円を惜しんでいるときに、数百円の手数料は痛い。
わさ子には特技がある。こういった、仕事とは100%関係ないことばかり考えていても、データ入力は間違わずにできることである。わさ子は作るように言われた書類を早くに印刷し、ボスに提出した。
「早いけど、もう昼休み入っていいよ」
ボスが書類を見ながら、どうでもよさそうな口調で言った。時計は11時46分を示していた。わさ子はロッカールームに、スマホとコンビニの和風ツナおにぎりを取りに行き、休憩室に入った。まだ誰もいなかった。
窓際の、他人と目を合わせずに済むカウンター席に座り、わさ子がやりだしたのはもちろん『アイドルランド』だ。回復している体力の分だけイベントをひたすらタップし、それが尽きるとまた『誕生日限定ガチャ』のページで、自分の欲望、いや、キャラ愛を刺激する高村砂知の美麗イラストに見入るのだった。
この画像スクショしておけば、手に入れる必要ないんじゃない?
お金が惜しい理性が代替案を出してきた。しかし、キャラ愛はこう囁く。
ちゃんとお金を払って顧客になり、愛しのキャラのSRを所有してこそ、真の『推し』ではないの?
わさ子はゲームソフトを『買って』プレイしていた世代なので、実は『金を払わずにゲームやイラストを享受する』ことに少なからず罪悪感を抱いていた。それだとクリエイターの収入にならないと考えるからである。
しかし、現実問題として、金が無い。
生活は苦しく、今より良い仕事が見つかる可能性はない。この仕事に採用されたことすら奇跡に思える。他に特技はないし、熱意はもっとない。
わさ子はつくづく思う。自分のように、趣味に使う金どころか生活費にすらこと欠く人がこの国には無数にいて、彼らの唯一の楽しみは、ネット上で無料で見たり使ったりできるものだけだ。そして、彼ら(自分も)の多くは生まれも貧乏で、まともな教育や文化を与えられていない。無料のツールを使って這い上がるような才能あふれた人はほんの一握り。あとのだらしない、気力のない大多数ができることは、動画を見ることと、ゲームをすることだ。
わさ子は悲しくなってきた。しかし、人生に希望がないのは今に始まったことではない。というより、いつものことだ。すぐに関心は『誕生日限定ガチャ』に戻った。
なんとしてもこれを回したい。
わさ子は急いでおにぎりを平らげると、近所の銀行のATMに向かった。やはりかなり並んでいた。食べる前に来るんだったと思った。せっかく昼休みが早めに始まったのに。こういう自分の要領の悪さにはいつもうんざりする。
時間をかけて並び、やっとあと一人になったと思った。しかし、そのおばさんは、何回も何回も同じ操作を繰り返し続けていた。あちこちに振込をしているようだ。「早くしろてめぇ」と言いたい乱暴な自分を抑えながら待ち続けた。やっと順番が来て、ATMに引き出す金額を入力するところまで行ったとき、自分は何を馬鹿げたことをしているのだろうと一瞬思った。しかし、時間がないので、タッチタイピングなみの速さで3000円を引き出し、慌てて仕事場に戻ってきたときには、一時を5分過ぎていた。
「早く出たわりには遅いねえ」
おっさんボスが嫌味を言った。わさ子は謝りながら、心の中で「チッ」と子供っぽく舌打ちした。それから、『仕事してるふり』を再開し、また『誕生日限定ガチャ』に思考が戻っていった。
しかしおかしい。去年まではきちんと高村砂知の誕生日を前日まで覚えていて、ゲームには課金しないくせに、砂知くんのためにケーキまで買って一人でお祝いをして、誕生日ガチャには意識が向かなかったのに(非課金貧乏ユーザーには手が出ない有料物だからだ)。今年はあのカードが欲しくてたまらない。そうだ、あのカードが悪いのだ。美しすぎるのだ。貧乏な者からも金を巻き上げようとするほどの魔力を持っているからだ。だって、高村砂知だし。
わさ子はガチャのことばかり考えながらも、予定されていたデータ入力と書類作成を早く、正確に終えた。
作業終了を報告すると、おっさんボスがやはりどうでもよさそうに。
「早く帰っていいよ。時間は5時までつけといていいわ」
と言った。ムカつくセクハラオヤジだが、このいい加減さはありがたい。わさ子はそそくさと仕事場を出た。ゲームに課金するためにコンビニに行かなくては。
わさ子は家の近くまで行くと、コンビニの、電子マネーのカードが並んでいる場所に立った。アマゾンなどのカードが並んでいる中に『アイドルランド』に使えるゲーム会社のカードを発見した。『誕生日限定ガチャ』を引くためには三千円分チャージしなくてはならない。
わさ子はゲーム会社のカードを手に取った。しかし、しばらく動きを止めたあと、そのカードをもとの位置にかけ直した。
なんだか、途方もなくバカバカしいことにお金を使おうとしているような気がする。
きっとアマゾンのカードを見てしまったからだ。アマゾンなら、3000円あれば色々なものが買える。その金を、たまに見て愛でるためだけの電子上の美麗イラストと交換しても良いものだろうか?靴を買い換えるためにためておいたほうがいいのではないか?服を買ったほうがいいのではないか?本かCDでも買えばよいのでは?配信なら、3000円あれば好きな曲がたくさん買えるではないか。
わさ子はさんざん悩んでから、おにぎりコーナーに行き、惰性で、昼と同じ和風ツナおにぎりと、レジ横のからあげを買い、コンビニを出た。
ああ、やっぱり私には課金はできない。
わさ子は切ない顔で空を仰いだ。
「神様、なぜですか、なぜ私は、最推しにすらお金を貢げないくらい貧乏なのですか?」
わさ子が神に問いかけると、
「若い頃にきちんと勉強しなかったからだよ」
という答えが返ってきた(ような気がした)ので、わさ子は祈るのをやめた。しかし、今誰かに、
「若い世代に伝えたいことはありますか」
と聞かれたら、間違いなくこう答えるだろう。
「勉強しなさい。そして、収入の多い仕事につきなさい。推しを愛でる費用を得るために」
帰宅してからも、わさ子はゲーム画面の『誕生日限定ガチャ』をじっと見つめながら悩んでいた。クレジットカードで課金してしまおうかと悩んでいた。しかし、それをやってしまうと来月以降の生活費が危うい。
わさ子は自分の人生が嫌になってきた。ちゃんと毎日真面目に働く(ふりをしている)のに、自分の楽しみに使う3000円すら捻出できないなんて。これから何かあったらどうしたらいいのだ。病気とか事故とか。
しかし、画面の中の高村砂知は魅力的だ。真面目だし、リアルアイドルと違って、夜遊びで不祥事を起こしてファンをがっかりさせることは絶対にない。常に真面目に仕事をし、ファンのことだけを考えてくれる。
今日はそんな彼の誕生日なのだ。
愛しい彼の誕生日。
なぜ私は金を出せないのだろう?
ふと、わさ子は思った。アイドルゲームの男の子はアイドルというよりは『精神的な愛人』のようなものではないかと。とにかく貢がされる。このゲームはアイテムをやたらに使わせるようにできている。私たちはひたすら彼らのために金を使い、見返りに得るのは新しい衣装を着たアイドルの『見た目』と『セリフ(たまに声優のボイス付)』だけだ。
なんて不毛な愛人関係。
いや、それでも、わさ子は思った。
私は高村砂知が好きだ。
彼のすべてを愛している。
今日は彼の誕生日なのだから、彼のために何かしなくてはならない。
そのあと、わさ子はメルカリで『アイドルランド』のグッズを『安い順』で検索し、少し前の記念ライブの衣装を着ている高村砂知の『プロマイドコレクション』を460円で発見し、以前本を売った売上金で購入した。
こうして『誕生日に、彼のために金を使う』という、勝手に設定した目標にガチャの話をすり替え、それなりの満足を得たのだった。
砂知くん。誕生日おめでとう。
課金はできないけど、私はあなたの存在だけを楽しみに生きるわ。
わさ子はその夜、ベッドに横たわりながら心の中で彼に話しかけ、それなりの幸せを感じながら、夢の中に沈んでいった。架空の存在ながら、彼が隣で笑っているような気すらした。
金を払おうが払うまいが、一度頭の中に住んでしまえばこちらのもの。時には励まし、時には慰めてくれる存在に、彼は既になっているのだ。
課金者やシステムがどう言おうと、『高村砂知』というキャラは、今や、わさ子のものなのだった。




