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わたしの愛しの頑固ジジイ  作者: 黒椿りすこ
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末息子が生まれたときの話③

 アレグロには無茶をしないと約束したカノンだったが、末っ子の出産の時、彼女は無茶をした。それは、雨季に起こった出来事だった。



 長雨が続き、心配された河川の増水が起きてしまった。豪雨の中、土嚢が足りず、住民とブリオ、クロッカが川の氾濫に対応していた。


 くしくも戦闘と重なってしまい、アレグロは不在だ。ひどい雨を屋敷の窓から見つめていたカノンは、ふんと鼻を鳴らして、雨避けのフードを用意するように侍女に言った。


 侍女のマーニャはカノンの指示に表情を曇らせる。


「奥様……もういつ産まれてもおかしくはない状況です。無理をなさらないでください」


 カノンはマーニャの心配も気に止めず、平然と言った。


「少し見に行くだけよ。暖かい食べ物を用意して頂戴。この雨で、みんな体が冷えているわ。雨よけのテントも用意してね」


「それならば、奥様の代わりにわたくし達が行って参りますから」


 カノンは腰に手をあてて、聞く耳を持たない。


「ちょっとだけよ。今日は体調がいいし、皆が頑張っているのに、何もしないなんてできないわ。アレグロ様も不在だし。わたしがみんなを守らないと」


 頑固者のカノンに侍女は渋々、下がる。そして、調理場で鍋一杯のあたたかなシチューが用意された。


 準備が整うと、行くわよ!とカノンは雨よけのフードをかぶり、出発しようとする。屋敷の扉を開いた時、ピカッと雷が落ちた。


「どこへ行くのだ、カノン……」


 ラスボスのように誰かが立っている。カノンは腰を抜かしそうになった。


「お、お義母様……!」


 立っていたのは、アレグロの母だった。彼女はフードを被ったまま、ずんずんと近づいてきた。顔は般若の如く怒っており、カノンは恐ろしさに身を縮ませた。


「……お前は身重だというのが分かっておらんのか! 」


 ピカッと雷がまた光り、カノンは青ざめる。アレグロの母は静かな人だが、怒らせると大変、怖かった。


「全く……マーニャの伝令を受けてきたが、お前はどうしてそう無鉄砲なのだ」


 マーニャめ……と、カノンは心の中で舌打ちする。


「……食事を届けるだけですわ。すぐに戻って参ります」


「それなら、わたしが行く。お前は屋敷に戻っておれ」


「それはダメです。お義母様は、腰痛持ちでしょう? 雨の中行けば、腰が冷えます。また動けなくなりますよ?」


 義母はこの前、ぎっくり腰になり、カノンは見舞いに行ったばかりであった。


「……年寄り扱いするな。もう大丈夫だ」


「いいえ、お義母様は年寄りです。それに腰は一度やると癖になります」


 キッパリ言うと義母の青筋が、ぴきりと立つ。


「さぁさぁ、冷えますので、中にお入りください。あ、子供たちが雨で退屈していますので、話をしてやってくださいね」


 ふふっと笑うと、義母が口の端をひきつらせる。


「わたしが行くと言っているだろうが……」


「いいえ。わたしが行きます。お義母様だって、アレグロ様を産んだときは、民家の馬小屋だと聞きましたよ。こんな雨の日で、無茶をして出ていって、それで無事に出産されたのですよね?」


 カノンが平然と答えると、義母は眉間の皺に手をおいた。


「…………古い話を持ち出すな」


 事実です。と、間髪なく言うと、義母は黙ってしまう。


「わたしの無鉄砲さは、お義母様譲りです。ふふっ」


 カノンが嬉しそうに笑うと、義母は嫌そうに視線を逸らす。


「では、行って参りますね」


「あ、こら!」


 すすすっと義母の横を通った。義母は反応が遅れて、腰をひねってカノンを止めようとする。その拍子に、義母は腰をやられた。苦痛の表情を浮かべる彼女に、カノンはやれやれと声をかける。


「ほらほら。腰をあたためてくださいね。マーニャ、頼んだわよ」


「こら! カノン! っ……」


 腰を痛めだした義母を振り切って、カノンは雨の中で止まっていた馬車に乗り込んだ。



 河川は増水しており、雨の中、男たちが慌ただしく駆け回っていた。土嚢が足りず「砂利でも何でもいいから詰めろ!」と、ブリオが指揮を取っていた。


 急に増水したのか雨よけの天蓋テントも張られていない。到着したカノンはすぐさま持ってきたテントを張るように指示する。


「カノン様!? なんでここに!」


 ブリオが仰天して、カノンに近づく。カノンは緊張感のない笑顔を向けた。


「少しだけ様子を見に来ました。状況はどうですか?」


「……そんな体で無理をして……」


 ブリオは心配そうに声をかけてきたが、カノンは大丈夫だからと諌め、彼から状況を聞いた。


「土嚢が足りずに今、作らせています。氾濫はしていませんが、クロッカが念のため、住民の避難を促しています」


「ありがとうございます。手が足りないでしょう。屋敷の者に土嚢の運ばせるようにしましょう。人を集めるのはこちらに任せてください。ブリオ様は現場に集中してくださいませ」


 ブリオは肩を竦めて、わかりましたと答える。カノンは手を叩いて、食事のことを話した。


「そうだ。あたたかいスープをお持ちしましたのよ。これだけの雨。体が冷えて手がかじかむでしょう。交代で飲んで、英気をやしなってください」


 カノンの言葉にブリオは微笑む。


「……感謝いたします。重労働で皆、疲れていたところです」


 カノンは天蓋テントの下に住民を呼び、交代で食事を振る舞った。冷たい体にシチューは喜ばれ、ありがとうございますと、声をかけられた。


 カノンは結局、雨が上がるまでブリオの補佐をした。



 そして、朝方。

 ようやく雨が上がって人々は歓喜の声をあげた。


「よかった! 食い止められたぞ!」



 朝焼けを見つめながらカノンもほっと一息つく。


 その時だ。


「うっ……あたたっ……い、痛い」


 突然の陣痛に今度は全員が青ざめる。屈強な男たちは右往左往して大混乱した。カノンはおなかを抱えながら、近くの土嚢小屋で末息子、バロックを出産したのだった。


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