末息子が生まれたときの話①
水害の話があります。気になる方はここから4話飛ばしてください。
時は過ぎ、カノン、二十五歳。
彼女はこの土地の辺境伯爵夫人として認知され、その役割を果たしていた。カノンの役割は社交界に出て、貴族間の情報収集をするよりも、領地内を見ることが主だった。
そもそも戦と密接に関わりのあるこの土地では、貴族は社交に出るというよりも、領地を見る人、という印象が強い。
華やかなパーティーは王都に行けばあることにはあるが、民と兵を見るのが一番!というカノンは、喜んで領地のことを見てまわっていた。
領地を任されたカノンは、戦にでて不在の多いアレグロの代理として、重要なものを判断することが多々あった。領地のことはカノンへ。という流れが必然的にできていた。
それは、アレグロも戦に集中できてよい環境であった。
そうは言っても、水の領地は広大なため、経営は夫人一人では見きれない。そのため、アレグロの姉のクロッカが嫁いだ、コンソート家の力を借りていた。
今日もカノンは大きなおなかを抱えて、クロッカと、彼女の夫のブリオと共に領地のことを話し合っていた。
「そろそろ、雨季の季節になりますよね? 昨年は雨の量が多かったし、水害被害は大きかったですよね。土嚢は足りていますか?」
カノンはおなかをさすりながら、領地の地図を見つめる。ブリオが領地内の川の近くを指差す。
「この川とこの川の近くに土嚢小屋を立てて準備を進めています。雨季の時期は見張りも付けますし、準備は順調かと思いますよ」
「さすが、ブリオ様。準備は万全ですわね」
カノンが笑みを向けると、ブリオは目を細めた。
水の領地サランは、水源が豊富な土地であるが、それは細い川が領地内に巡らされているからである。海に隣接した土地ではないが、深い山脈があり、そこから水が流れ、川となっていた。
カーブが大きい川は氾濫しやすく、毎年、水害被害が出てしまっている。
川が氾濫したときは、土嚢が積まれ水を塞き止めている。でも、降水量によっては、土嚢がたりず、どしゃ降りの雨の中で、土嚢作りが行われたり、住民の避難で混乱をする場合がある。
毎年のことのため、カノンも、水害への意識は高い。住民の意識も高まってはいるが、自然相手のため、実際のところは、その季節にならないとどうなるかは分からなかった。
「周辺住民へ避難経路の周知も徹底しましょう。みんな分かっているとは思いますけど、念には念を入れましょう」
カノンがそう答えると、ブリオとクロッカは頷いた。
会議が一息ついたところだったが、カノンは領地の地図をまだにらんでいた。
クロッカが、それに気づいて声をかける。
「カノン様。まだ何か心配事がありますか?」
カノンは顔をあげて、おなかをさする。
「いえ……川の氾濫をどうにかできないものかと思いまして……」
カノンは肩で大きく息を吐いた。
「結局、川が増水するのを見てからじゃないと手が打てません。土嚢を積むのは豪雨の作業になりますから、危険が伴います。川に流される者もいます。だから、氾濫をする前にどうにかできないものかと思ってしまうんです」
「そうですね……確かに……」
ブリオも腕を組んで、カノンに同意する。カノンは実家と交流の深い南の国の話をした。
「南のスヌード国では、海に面していますから高潮対策として堤防が作られたり、あえて川の路を変えて氾濫を抑える技術があるんです。海と山からの川では勝手が違うかもしれませんが、その技術を応用できないかと思っておりますの」
「すると、川そのものに何かしらの工事を行うということですか?」
ブリオの質問にカノンは頷く。
「川の恵みはありがたいですが、みんなの安全が第一優先なのです」
ふんと鼻息荒く言うと、ブリオは同意するように大きく頷いた。
「では、アレグロに川の工事の計画を持ちかけてみてはいかがですか?」
クロッカが微笑んで言うと、カノンは苦虫を潰したような顔をする。
「しましたけど……あの人ったら、駐屯地ばかりに予算を割いてしまうのです。この前なんか、弟のフォルテから新しい剣の話をされて、まぁ! 子供みたいに目を輝かせちゃって! 前衛に持たせようとかノリノリでしたのよ!」
アレグロはただ微笑していただけだが、それはカノンから見たら満面の笑みに見えた。
それを見て激しく嫉妬したものである。
弟のフォルテから、強度が高くなった武器の話をされ、ご機嫌なアレグロに嫉妬心をこらえて、治水工事の話をした。
結果、武器を買うから却下。
それにカノンは怒り狂った。
嫉妬もしていたので怒りは倍増した。
武器とわたし、どっちが好きなのですか!と、論点がなんであったか忘れて怒り狂った。
その言い争いを思い出して、カノンはふつふつと怒りを沸かせる。
「全く! 兵を食わせるご飯は誰が作っていると思っているんだか! みんなが懸命にお米やら農作物を作るから、兵だって剣を振るえるっていうのよ! あんの頑固者め!」
キィーっと、怒りをあらわにすると、クロッカとブリオがまぁまぁと、慌ててなだめる。
「あんまり興奮すると、体にさわりますよ」
「そうですわ。それに……アレグロだったら、カノン様の言うことは結局、聞きますわよ」
ね?と小首を傾げるクロッカの視線の先には、カノンの大きなおなかがある。
「仲睦まじく過ごしているじゃないですか」
微笑ましく見つめられてしまい、カノンは照れて眉をつり上げる。
「これは……アレグロ様が娘が抱きたいって言うからその……」
ゴニョゴニョと言いごもるカノンに、クロッカとブリオが目を見合せて、くすっと微笑み合う。
「あら。アレグロったら、やっぱり、娘を欲しがっていたのですか?」
クロッカに問われて、カノンはおなかをさすった。
カノン自身、息子が三人もいるし、子供はもうよいと、思っていた。領地経営の忙しいし、身ごもるのはしんどい。しかし、アレグロはクロッカとブリオの娘を見て、耳を激しく動かしていたのだ。
仏頂面で髭もある彼は、残念ながら赤子うけしない。二人の娘も大泣きで抱っこさせてもらえなかった。
彼は大変ショックだったようで、部屋の隅で深いため息をしながら、背中を丸めていた。
「抱っこしたかったの?」と、尋ねれば、耳がひくっと動いた。
それを見てカノンは、娘を抱かせてあげようじゃないか!と、奮起したのだ。
とは言っても、男女の産み分けなどなく、性別も出てくるまで分からない。
カノンは諦めなかった。
娘と息子を産んだ人に何かしたことはないかと聞きまくった。クロッカの家も男女で子供がいるので、当然、聞いた。
食べ物やら、気をつけたことやらを聞きまくった。さすがに、閨の作法を聞いた時はひかれた。でも、カノンがあまりにも真剣に聞くので、クロッカは少しだけ教えた。
そんな事があったので、クロッカは、なんとなくアレグロが娘を欲しがっていることを察していたのだ。
カノンは微笑むクロッカにますます恥ずかしくなり、おなかを撫で回す。アレグロの前では惜しみ無く愛を振り撒けるが、他人の前だと恥ずかしいのだ。
「アレグロ様が娘を抱いて、デレデレしている顔が見たいだけですわ」
頬を赤くして、ツンと澄ました態度でカノンは言うが、言葉と態度が合っていない。
何年経っても、夫が好きでたまらないカノンを微笑ましく思いながら、クロッカとブリオはまた顔を見合わせてくすっと微笑んだ。