辺境伯爵夫人になったときの話①
アレグロが辺境伯爵の地位についたのは、二十二歳の時だ。彼の父親が戦で急死し、爵位を継がなければならない状況に陥った。
自ら先陣を切ったアレグロの父親は、敵の挑発にのってしまい、待ち構えていた槍を連射できる武器によって殺された。
同じ戦に出ていたアレグロは後方支援をしていたため、敵の攻撃からは免れていた。彼は先陣の瓦解を聞いて、直ぐ様、隊を引いた。前衛を打破した勢いで敵が攻めいってきたが、アレグロの機転により、一網打尽にできた。彼は逃げる敵を追わず、手負いの兵を引き連れて待避した。
父の亡骸は連れて帰れなかった。
戻れば同じ武器によって犠牲者を出す。
それは、アレグロの判断だった。
夫の悲報を聞いた辺境伯爵夫人は、いつも以上に厳しい表情をして「お前の判断は正しかった。よく無事で帰ってきたね」と、アレグロに声をかけた。
葬儀の日、空の棺桶を土に埋めて家族で祈りを捧げた。白い墓標を前にして、カノンは泣いていた。肩を震わせて、亡き義父を思う。元気だった人が逝く無念さを噛み締めていた。
静かに祈りを捧げ終わると、辺境伯爵夫人は夫の名前が刻まれた白い墓標を見つめながら、静かにアレグロに声をかけた。
「アレグロ……お前は前に出るんじゃないよ。……お前が死ねば兵が、民が、国が混乱する。生きて、皆を守りきるんだよ。……お前の肩には幾人もの命がのっている……それを……忘れるんじゃ……ないよ……」
最後の方の言葉は涙声になり、震えていた。肩を震わせて、悲しみを堪える彼女の背中は痛々しく、カノンはハンカチーフで口元を押さえる。
アレグロは身を正して「はい、母上……」と答えた。
感情的になるカノンとは正反対に、アレグロは泣かずに震えた母の背中を見つめていた。痛みを殺した横顔。握りしめられ、震える拳。それを見て、カノンは心を痛めた。
一番傷ついているはずの彼が泣かない。
それは、やるせないことだった。
だから、彼の殺した感情を出させてあげようと、カノンは決意する。
夜遅くに屋敷に戻ったカノンは、子供たちを寝付かせ、乳母に赤ん坊である三男を任せた。
そして、深夜遅く。
寝室にて、呆然と立ったままでいるアレグロに声をかけた。
「あなた……」
アレグロは体を震わせて、カノンの方を向く。その顔色は蒼白していた。
カノンはぐっと唇に力を込め、泣くのを堪える。彼の手を引いて、ソファに座らせた。その指先は冷たく、殺しすぎた感情のようだ。
アレグロは力が抜けてしまったようで、カノンにされるがままになっていた。ソファに腰をおろさせると、素早く自分も隣に座り、膝をポンポンと叩いた。
カノンの意図が分からず黙ったままでいる彼に向けて、無理矢やり、口の両端を持ち上げた。
「膝枕です。ここに頭をのせてください」
再びポンポンと膝を叩くと、アレグロの耳がひくっと動く。蒼白だった顔が赤みを帯び、ふいっと視線を逸らされた。
そんな恥ずかしいことができるか、と語る表情をされたが、カノンはめげない。
カノンは微笑んで、彼の頭を掴むと、無理やり膝枕の体勢にさせた。
ぐぎっ。
アレグロの首が変な音を立てて、頭がカノンの膝の上に落ちる。
痛みと恥ずかしさで、不機嫌な顔をされたが、カノンは気にせず、彼の頭をゆっくり撫でた。
大切なものを慈しむように撫でていると、しかめっ面が緩んでいく。それを見て、カノンは目を閉じた。
「アレグロ様……子供たちはもう寝ています。それにわたしは、今、目を閉じています。誰も見ていませんよ」
撫でていた頭がびくりと震える。
「誰も見ていませんからね……」
だから、泣いていいのよと、カノンは思いを言葉にのせた。
アレグロの体が小刻みに震えていく。震えは大きくなり、スカートに皺ができるほど強く掴まれる感触がした。
耳に届くのは、嘆きを押し殺した声。
目の奥に熱いものを感じながら、カノンはアレグロの頭を撫で続けた。
彼は父親を死なせてしまったことを後悔しているだろう。二人は信頼し合っていた。アレグロはまだ子供が小さいからと、後方を任されていたが、剣の腕でいえば、彼の方が父より勝る。
父を前線に出さなければよかった。
無理やり引き留めればよかった。
きっと彼は、戻らない時間を思って、自分を責めている。
兵と、民を守るために厳しく律している彼は、前にも増して感情を殺してしまっていた。だから、人の前では泣けないのだ。
毅然とした態度でいるアレグロを誇りに思う。
でも、同時にとても心配でたまらない。
あまりに感情を殺すといつか心が壊れてしまうのではないか。
戦にとりつかれて、彼自身が兵器なってしまうのではないか。
それが怖くてたまらない。
だから、彼が泣けるように目を閉じて、見ないふりをした。
こうしないと泣けない彼に切なさを感じるが、アレグロが少しでも感情を出してくれることの方が嬉しい。
声を殺さなくていい。
悲しかったら、泣いていいのよ。
言えない代わりに、彼の涙を隠すように頭を抱きしめた。
***
辺境伯爵の爵位を受け継いだアレグロは、ますます忙しくなった。急な死去の為に、王都に行き、正式に爵位を拝命するために出掛けていく。
カノンも共に行き、二人で王に謁見して拝命の儀式に臨んだ。
その時代の王は見事な黒髪の持ち主で、厳しそうな眼差しが印象的であった。
王は若きアレグロに、低く威厳のある声で言葉をかけた。
「貴殿の働きに期待している。水の領地サランは我が国の要であるからな」
さらに先の戦のことを報告すれば、王は物資と兵士不足の解消に尽力すると、約束をしてくれた。
「ありがたきお言葉、誠にありがとうございます」
先代が亡くなった戦で、兵や物資、そして医療品も不足していた。
怪我をした者で医療機関はあふれ、パンク寸前である。医師は寝る暇を惜しんで働いて、過労で倒れて、輪をかけて医師がいなくなる。
こんな時にまた戦になれば、攻め入れられてしまう。領地の立て直しは急務で、王の申し出はありがたかった。
二人は爵位を賜ると、王都見学などのんびりする暇もなく水の領地に帰った。




