馴れ初め話①
今はカノンがアレグロに対してベタ惚れのように見えるが、それは昔っからそうであった。
そもそも二人は幼なじみで、よく知る仲だった。カノンの家は武器商人の家の出で貴族ではなかったが、大砲技術が発達した南の国とも交流があり、アレグロの家とも武器のことで交流を続けていた。
幼い二人は年齢が同じということもあり、親たちが難しい戦の話をしているときは、マグリット家の中庭で二人で遊んだものだ。
とはいっても、アレグロの性格は昔から不器用、口下手、強面と、ツンデレ要素しかなかったため、勝ち気なカノンがしゃべり倒し、アレグロが黙ってきいているというのが主だった。
カノンは面白みのないアレグロのことを、つまらない男と思っていたが、話し相手が彼しかいないので、暇潰しの為に彼の観察にいそしんだ。そして、なんとなく日課にしていた日記帳にそのことを書いていた。
アレグロは感情をあまり出さなかったが、しぐさで彼の心を読み解くことができた。
例えば、アレグロは照れると耳がひくひく動く癖があった。いくら眉根をひそませていても、犬の尻尾のように耳がひくつく。その可愛らしいしぐさを発見したとき、カノンは思わずにんまり笑った。
そうやって、口数少ない彼から感情の糸口を掴むのは、カノンの楽しみの一つとなった。
そんなカノンがアレグロへの恋心を自覚したのは、彼女の勘違いによるものである。
とある休日に母親と出掛けた町中で偶然、アレグロを見つけたのだ。彼の姿を見てカノンは衝撃を受けた。
(あ、あ、アレグロ様が笑っている!?)
自分に対しては耳をひくつかせるだけで、笑顔どころか、口の端さえ上げないのに、見知らぬ女性の前で彼は微笑を浮かべていた。
カノンは衝撃を怒りに変えて、アレグロの元に駆け寄った。
(なんで、知らない女といちゃついてるのよ! 許さない!!)
いちゃついているかは微妙なシチュエーションだが、この頃のカノンは直情型の性格をいかんなく発揮していた。
要は大変、思い込みが激しかったのだ。
「あーれーぐーろーさーまぁー! 誰なのその人は!!」
猪のように突撃して、彼の襟足を掴んでぎゅうぎゅうに締め上げる。アレグロは突然、鬼神のように怒り狂ったカノンの出現に目を白黒させていた。
黙ったままのアレグロに、カノンの怒りは頂点に達する。
「わたしと居るときは、ちっとも笑わないくせに! なに、笑ってんですかー!!」
ガクガクと激しくアレグロの襟首を揺さぶりながら、カノンは悔しくて涙目になる。
「そんな風に笑えるなら、わたしの前でも笑いなさいよ!! もー! 悔しいぃ!!」
ヒステリックに叫ぶカノンに、アレグロはやはり黙ったままだ。首を締められて揺さぶられているので、しゃべれなかった。
そんな二人に、アレグロと話をしていた女の人があのー……と声をかけてくる。キッと睨みながらカノンは振り返ったが、女の人はふわりと微笑んだ。
「初めまして、わたくしはアレグロの姉のクロッカです」
「………………」
カノンは固まった。アレグロを締め上げていた手をパッと離す。その拍子に、アレグロはよろけて尻餅をついた。
アレグロを放置して、カノンは自分の失態に赤面する。
「す、すみません……お姉さまとは知らずに……わたし……」
弟を締め上げる凶暴女として初お目見えしてしまった。恥ずかしさしかない。照れてしおらしくなるカノンに、クロッカは柔らかく微笑む。
「ずっと王都で学問を学んでいましたから、帰ってくるのは久しぶりなんですよ。あなたは……もしかして、カノンさんかしら?」
「は、はい! カノンでございます!」
緊張しきって声がうわずってしまった。それをクロッカは微笑ましく見つめかえす。
「いつも弟がお世話になっています」
優雅にお辞儀をされて、カノンも直角に礼をする。
「いえ、いつもお世話しています!」
つい本音を言ってしまったが、クロッカはまぁ、と微笑んでクスクス笑いだした。
話が一息ついたところで、放置され続けたアレグロが声を出す。
「……誤解は解けたか。それにしても、なんでそんなに怒っている」
アレグロにしてみれば、理不尽に怒鳴られ、理不尽に首を締められた挙げ句、放置された。片方の眉を上げる彼は、不機嫌だった。耳もひくついてはいない。
アレグロの言葉に、カノンは顎に手を付けて思案する顔になった。
(……言われてみれば、なんでそんなに気に入らなかったのかしら?)
眉根をひそませて、じっとアレグロの顔を見つめる。食い入るように見つめると、アレグロの耳がひくっと動いた。
その耳の動きがひくっ、から、ひくひくに変わり、ピクピクと動きを激しくする。
その動きを見て、沸き上がるのは愛しさだった。
「アレグロ様……」
カノンは真顔で彼の名を呼ぶ。
「なんだ……」
アレグロはピクピクピクと、耳を動かしながら、やや引け腰になる。
カノンは湧き上がる思いを口にした。
「わたし。あなたのことが、大好きです」
真顔で告白すると、アレグロの耳が動きをとめる。カノンは真顔のままだ。
シン……と奇妙な静けさが二人を包んだ。
「――――っ!」
アレグロがぶわっと赤面して、耳をピクピクピクピクと激しく動かす。それを見て、可愛いとカノンは思った。
「な……な、なにを……!」
言葉が続かず照れる彼に、カノンは満足する。思わず頬が緩み、ふふっと声が漏れた。
「わたし、あなたが大好きなのです。だから、いつかあなたのお嫁さんになります」
「!?!?!?」
アレグロは動揺しすぎて口をはくはくさせている。カノンは言い切って満足し、満面の笑顔になった。
「あら、それは素敵だわ」
二人のやり取りを見ていたクロッカが、ふふっと笑った。将来のお姉さまに賛成されてカノンの機嫌はますます上がる。
アレグロはますます、耳をひくつかせる。そんな彼にカノンは太陽のように笑った。
「アレグロ様に好きになってもらえるように努力します。これからも宜しくお願いします!」
言うだけ言って、カノンは遠くから様子を見つめていた母親の元へ戻っていった。
母親の元に戻ると、母は困ったように微笑んでいた。
「聞こえていたわよ。アレグロ様のお嫁さんになりたいの?」
「えぇ! わたし、アレグロ様のことが大好きだもの!」
素直に思いを口にすると、母は軽く肩を竦めた。あまり喜んでない表情に、カノンはこてんと首を傾げる。
「カノン……家に戻りましょう。ゆっくり話がしたいわ」
突然の帰宅にカノンは目をパチクリさせたが、素直に頷いて、二人で家に戻ることにした。
家に着くと、母親はいつにも増して厳しい声でカノンにアレグロと結婚することがどういうことであるか伝えた。
「アレグロ様は、マグリット家のご長男だということは、あなたも知っているわよね? アレグロ様は、次期、辺境伯爵となるお方よ。あの方と結婚するということは、あなたは辺境伯爵夫人になるということ。……その意味を分かっている?」
カノンは商家の長女であるが、家を継ぐのは弟のフォルテと決まっていたため、彼女自身は家業のことも、戦のことも遠ざけられていた。だから、辺境伯爵夫人といわれても、アレグロの母親を思い出すだけである。
彼女は領主夫人として、いつも領民の大人たちと何かを話していた。厳しい横顔は大柄の男が相手でも毅然としていた。まだ成人する前の幼いカノンから見ると、怖い人、という印象だ。
その地位がどういう意味を持つのか、何をしていたのか知らなかったカノンは首を振った。
素直な反応に目を細めながら、母親は諭すように語った。
「辺境伯爵夫人は、戦を裏で支える大事なお役目があるわ。民にも、兵にも気を配り、戦で精神を擦りきらせる夫を支えるのも大事よ。……好きだけでは勤められないものよ。その覚悟はある?」
厳しい言葉にカノンは、背筋を伸ばした。アレグロのお嫁さんになるというのは大変なこと……それしか実感できないが、カノンとて芽生えた思いを捨てたくはない。
「お母様。そう言われても、わたしは戦がなんなのか分からないわ。だから……」
カノンは真剣な面持ちで母に告げた。
「アレグロ様が見る世界を知りたい。わたしはすべきことは何でもしたい。だから、わたしに戦を教えてください」
分からないものは知っていけばいい。いくら大変なことだろうと、努力すればいい。
ぺこりと頭を下げたカノンを見つめ、母は深く長い息を吐いた。
「わかったわ。……では、カノン。駐屯地に行きましょう。そして、現実を見なさい」
「……現実?」
母は厳しい顔つきで、カノンが知らなかった世界を教えた。
「わたくしたちの平穏な生活は、誰かが流す血によって守られていることを。そして……わたくしたちの家がもたらす武器が人を傷つけ、苦しませ、殺す、恐ろしい凶器であることを」
今までの生活とは程遠い、物騒な言葉の数々にカノンは息を飲んだ。でも、知りたい気持ちは抑えきれず、黙って頷いた。