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わたしの愛しの頑固ジジイ  作者: 黒椿りすこ
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プロローグ

 水の領地と呼ばれるサランは、その名の通り豊かな水源に恵まれた土地だった。国内有数の穀物生産を誇っていたこの土地は隣国グリッド国の自治領からたびたび狙われていた。


 温暖な土地を守るべく、ここには駐屯地があり、兵士たちは度重なる侵略を守ってきた。軍事を任されるのは辺境伯爵であるアレグロ=マグリット。妻の名はカノンといった。


 この二人は領地を支えながら仲睦まじく過ごしていた。


 カノンは夫のことを溺愛していた。それはそれは、目もあてられぬほど。


 カノンは夫の厳しい表情を見ながら、今日もにこやかに彼を送り出す。


「いってらっしゃいませ」


 カノンはそう言うと、彼の頬にキスをしようと、すっとアレグロに向かって手を伸ばす。アレグロは耳をひくっと動かし、やめろとカノンを制する。


「……十代の頃とは違うんだぞ……」


 照れて仏頂面になる夫に、カノンは真顔になる。十八歳の時に彼と結婚して、すでに子供も四人いる。わりといい年になったといえばそれまでだが、カノンは納得しない。


「二十代だろうと、しわくちゃになろうと、キスはいたしますわよ? キスをしてお見送りできなら、愛しているを百回言えばいいのですか?」


 アレグロは耳を忙しなく動かし黙った。その隙にカノンは髭の生えた頬にキスした。びくっと体を震わせて、赤くなる彼の耳を見つめ、にっこり笑う。


「いってらっしゃいませ」


 何か言いたそうにアレグロはしたが、カノンは笑顔を崩さない。そして、今日も平和に夫を見送った。馬車が駐屯地へ向かうのを見えなくなるまで見届けると、カノンは頬を緩める。


(ふふっ。アレグロ様ったら、今日も可愛かったわ)


 明日は隙を見て、唇にしてみようか。そう考えるだけで、カノンは幸せで笑顔になってしまうのだった。



***


 カノンはアレグロのことを、食べたいくらい可愛いらしい人と、思っていたが、アレグロを知る人は、そんな彼女の話を聞いてもドン引くだけであった。


「え? マグリット様が可愛らしい……ですか……?」


「それは……………………信じられませんわ」


 近しい友人たちには、こぞってそんな感想を抱かれた。それは、アレグロがいつも憮然としていて、豪胆と呼ぶに相応しい男だったからだ。


 彼は自分にも他人にも厳しく、怒号が絶えない人だ。特に兵法のこととなると、彼は顔を真っ赤にして、一切、引かなかった。



 彼の熱くなりやすい性格を知るエピソードの一つに、息子たちとの模擬戦がある。


 領地の地図の上に、兵士に見立てた駒を置き、アレグロが敵となり、息子にそれを防衛させる遊びだ。遊びとは言っても、アレグロは本気で息子を叩きのめしていた。七歳になったばかりの長男ブルーノ相手に本気だった。


 負けたブルーノは身を縮ませて、項垂れている。


「いつも言っておるだろう。兵を駒としてみろ。情を捨てろ。我らの目的はなんだ? 防衛だ。最小の兵力で敵は押し返せ!」


 熱くなりすぎてアレグロが、バンっと机を叩く。立っていた木製の兵駒が、こてんと横になりコロコロ転がって、机から落ちた。


 ブルーノは青ざめ、それを見ていた次男、三男も目を泳がせる。シンと静まり返った重苦しい部屋に、落ちた兵駒を狙って動くものが一人。


「あー、あー」


 末息子のバロックだ。ハイハイを覚えたばかりの彼は、落ちてきた駒に反応して高速で近づき、駒を拾ってかぶりついた。


 もちゅもちゅと、かじる音がその場に微妙な空気を作る。また、シンと部屋が静まり返った。


 アレグロはちらっとバロックを一瞥した。バロックは大きなくりんとした瞳を向けて、父親を見ている。

 アレグロは固い表情のまま、バロックを抱き上げた。


「バロック……頭はかじるな。兜がなければ、出血多量で死んでるぞ」


 そんなこと赤子に言っても、しったことではないが、アレグロは大真面目だ。くりんとした瞳は分かっておらず、歯が痒いのか、バロックはちょうどよい固さの駒の頭をがじがじする。


 それをアレグロは無言で見つめ、バロックの手から駒を取り上げようとする。

 せっかく見つけたオモチャをとりあげる者は、父親であろうと敵である。バロックは、あー!と、叫び、アレグロが威厳の為に、丹精込めて伸ばした髭を引っ張った。


「っ……バロック! 髭はやめろ! たたたっ……お前というやつは、加減をしらないのか!」


「ぎゃー! あー! うー!」


「っ……わかった。わかった! もうよい!」


 アレグロは観念して、バロックに駒を渡す。バロックは目を輝かせて、ご機嫌になり、また駒をかじりだす。それを見つめてアレグロは、ため息をついた。


 そんな二人の様子を見ていた上の兄たちは、「バロック、すげぇ……」と思ったのだった。


 末息子のバロックは、父の怒号の中で育ったので、その後も、一番、父親にビビらない青年として成長していくこととなる。



 バロックはへっちゃらだったが、他の三人は父親に叱られると、しょげてカノンに泣きついた。


「母上……俺は、父上の期待に答えられる日がくるのでしょうか……」


 次期当主候補である長男ブルーノは、特に厳しくされていたため、自分はダメであると、自信を無くしていた。


 カノンはそんな息子に微笑みかける。


「あなたは、勇気がある子ね、ブルーノ」


「勇気ですか……?」


「えぇ、そうよ。期待に答えられない、とあなたが思うのは、それだけ自分を見つめられているからだわ」


 カノンは長男ブルーノと同じ目線に立って、頭を優しく撫でた。


「自分を見つめられるのは、勇気のいることよ。普通はね、どうしてそんなこと言うんだ! 僕だって一生懸命やっている!って、お父様に腹を立ててしまうわ。それを、自分に欠けたものがあると思えるのは勇気がいることよ。非を認めることでもあるから」


 ブルーノは、目を開いて母の言葉を聞いていた。


「あなたは立派で、勇気のある子よ。わたしはあなたが誇らしいわ。お父様は戦になると、熱く厳しくなってしまうけど、あなたはまだ成人前の子供よ。いくらでも時間はあるわ。だから、大丈夫。きっと、お父様を打ち負かす日もくるわよ」


 ふふっと笑って言うと、ブルーノは少しだけ笑顔を見せた。



 子供にはそんな穏やかな笑顔を見せたカノンだったが、笑顔の裏では怒り狂っていた。


(あの頑固者め! ブルーノはまだ七歳よ! ほんと、戦バカなんだから!!)


 カノンはアレグロを愛しく可愛く思っていたが、子供のこととなると別である。


 ふつふつと沸き上がる怒りを子供が寝静まるまで燻らせ、大爆発させた。




 子供たちが寝静まった部屋で、妙にニコニコと笑顔のカノンと、笑顔すぎる妻に引きぎみのアレグロが机を挟んで対峙する。


「あなた……またブルーノに兵を駒と見ろ、情を捨てろと模擬戦で言ったそうね」


 アレグロはカノンの覇気に気圧されつつ、しかめっ面のまま、当然と言う。


「幼いうちから、戦なれしておかねば、当主となった時、困るであろう」


 アレグロは息子の為と思えばこそ、厳しく接していた。


 戦をするということは、目の前で人が死に、相手を殺すものだ。人の生死が剣によって簡単に決まってしまう世界。生ぬるい覚悟では、辺境伯爵は務まらない。だから、戦地の厳しさが骨身に沁みているアレグロは、子供のうちから厳しさを体験させておきたかった。


 そんな彼の気持ちは分かるが、カノンにも引けない思いがある。


「戦地の厳しさを教えるのは分かっているわ。だけどね、兵を駒として使えるのは、兵も生きた人間であると知っているからこそ使えるものよ。あなたも、そう言っているじゃない」


 アレグロが押し黙った。カノンは畳み掛ける。


「時として戦に勝つには、無情になることも必要だわ。だけどね、兵を駒として扱えというのは、心が成長中のブルーノにはまだ早いわよ。戦に勝つことばかり頭に入れてしまっては、冷徹な人間になるわ。人を人として見なくなる。戦は命も心も奪うというの?」


「分かっているが、それは難しい……戦は道徳とは相反するものだ。人を理解し、情を移せば、殺すのを躊躇う。そんな生半可な気持ちでは、下に付く兵が無駄に死ぬ」


 アレグロの言葉に、カノンは分かっているわよと、叫ぶ。


「それでも、母として子供の健やかな成長を願いたいのよ!」


 それは、辺境伯爵夫人の資質を欠く言葉であるとカノンはわかっていた。


 次期、辺境伯爵となる息子たちはアレグロのようにいつか戦に立つ日がくる。その息子を育てるなら、子供らしい豊かな感情はかえって、彼らを辛い目に合わせるかもしれない。人が死ぬ痛み、人を殺す痛みを感じれば感じるほど、彼らの心は傷ついてしまうことだろう。


 それでも、母としては豊かな感情が育つことを願ってしまう。


 感情的になって鼻をすするカノンに、アレグロは肩で息をする。カノンは、目を乱暴に擦った。


「……ちょっと言い過ぎたわ。ごめんなさい……」


「いや……お前の気持ちは分かる。分かっている……」


 父親らしい顔を見せるアレグロに、カノンは、そうだったわ……と、彼の性格を思い出す。厳しいが、アレグロは息子への愛情を失っているわけではないのだ。


 ただ、あまりにも父親の顔を見せると、自分も彼らも戦には出られなくなるから、自分を律しているだけだ。


 カノンは知っている。目の前の夫は不器用だが、愛情深い人だと言うことを。


 普段は獅子だの鬼だの、非情だの、頑固者など、言われているアレグロの体が一回り小さく見える。終わりなき、争いに向かう彼を支えなければ! と、奮起する。


 カノンは背筋を伸ばして、椅子から立ち上がると、彼に近づき座ったままのアレグロをめいっぱい抱きしめた。


 アレグロは眉根を寄せて、顔を強ばらせる。視線はさ迷い明らかに動揺している。それを知りつつ、カノンはふふと愛おしそうに甘く囁いた。


「愛しています、アレグロ様」


 昔の呼び名で呼べば、腕の中のアレグロはカチンと固まる。耳がひくひくと動いていた。緊張しているのが分かって、カノンはご機嫌になる。アレグロは大袈裟に咳払いをして、「いきなり、なんだ……」と声だけは不機嫌そうに尋ねてきた。


「あなたのそういう優しいところが、好きだなと思ったから言いました。あ、返事はいらないわよ。三時間も待ってられませんから」


「…………」


 その三時間というのは、アレグロがプロポーズした時のエピソードなのだが、それは後で語ることにしよう。


 その今から思えば、赤面するしかないエピソードが脳裏を過り、アレグロは黙ってまた咳払いをする。


 カノンは上機嫌になり、ふふと笑って甘えておねだりを続ける。


「アレグロ様の気持ちは分かっていますが、ブルーノには少々、優しくしてくださいな。怒鳴らないだけでいいですから」


 それは難しいと思ったのかアレグロはやはり黙る。カノンは笑顔で抱きしめていた腕の力を強めた。というか、いつの間にか腕は首に回り、ぎゅうぎゅうに締め上げている。


「怒鳴ることはやめてくださいね」


「……わかった……わかったから、首を締めるのはやめろ」


 アレグロは鍛えているため、カノンの首締めなどたいしたダメージはないが、そう言わないと直情型の妻が首を締め続けることを知っていた。


 返事をもらったカノンは上機嫌になり、ぱっと手を離す。そして、また愛しています、と囁いて、彼の頬にキスをしたのだった。



 その後、アレグロはカノンの首締め……もとい、お願いを聞いて、ブルーノに対して少しだけ。ほんの少しだけ優しく接した。


 また卓上で、ブルーノ相手に模擬戦をやったとき、アレグロは、前回同様こてんぱんに息子を打ち負かした。項垂れるブルーノを見て、アレグロは、一呼吸置いて、声をかけた。


「お前は思いきりが足りない。……ここをこうしろ。……その……なんだ…………お前ならできるはずだ」


 厳しい眼差しと声はそのままだが、アレグロの一言にブルーノは顔を上げる。その瞳には、喪失感はない。父親に少しでも認められたという希望が瞳の奥に宿っていた。


「はい。父上」


 ブルーノは姿勢を正す。そして、二人は再び卓上で模擬戦を始めた。


 それを見て、カノンは満足そうに微笑んだ。


(ふふっ。なんだかんだ言っても、あの人はお願いを聞いてくれるのよね……)


 アレグロの歩み寄りに、ますます好きを募らせるカノンだった。


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