接触
◇
寮舎の自室へ戻った私は荷物をアンに預け、紙とペンを用意するように頼む。すぐさま机に向かおうとするがアンに「制服がしわになりますから」と室内着に着替えさせられたのは言うまでも無い。
用意してもらった紙を見る。私はコピー用紙みたいな物を想像していたが、記憶の紙に比べ少し厚みがあり、黄みがかった薄いグレーのような色をしている。布の生地のような繊維質も見える。
「アン、この紙って高いの?」
「羊皮紙に比べれば安いと聞いております」
安いのね?なら失敗しても無駄にしても大丈夫かな……。
羽根ペンを掴みインクにペン先を浸し、今日の出来事を思い出しながら気になったことを箇条書きしていく。
・ゲームではテオドルフの出会い……考え事をしながら歩いてると、すれ違いざま彼とぶつかってケンカになる。
・ゲームで移動ができたのは、王都の商店が並んでいるメインストリート、郊外の森や湖などの複数の決まったエリア。
・そのエリアで出来る事は、
○出てくるモンスターを倒して自身や仲間のステータスを上昇させる。
○入手できるアイテムや素材を合成して消費アイテムやプレゼントを作る程度の要素。
・ザール王国自体、説明書や攻略サイトにも王都周辺MAPぐらいしか描写がなかった。
・諸外国なんて設定すら存在しない。
・この世界の授業で当たり前のように諸外国の存在を話している。
……まず一つ目、実際はお昼にトラブルの仲裁に興味をもって接近してきて出会った。つまり攻略対象がフラグ管理されてない自由意志で動いているってことよね……?ということは私の知識で応用できるのは性格を事前に知っている位で……それって地雷を踏みぬかずに済む程度!?そんなぁ……。
……次に、行動可能範囲についてね。ここがもし本当にゲームの世界なら人々もプログラムされた範囲のエリアまでしか行くことができないし、それが世界の全てというのが常識になるはず。外(の世界)という概念自体が無いので世界が閉じていることすら理解できないのではないか?
……国土学の授業で周辺国のことを聞いた時はあまり深く考えなかったけど、この世界の人々は当たり前のように諸外国の話をしている。それはつまり、広大な世界に人々が広がり各地の物や情報が行き交い繋がっていることが普遍的事実として認識されているということ。
そう、この世界は私の知っている設定と類似してる部分があるだけの広大に拡がっている異世界。
もうあのゲームと対比するのはこの世界とここでリアルに生きてる人に対し失礼よね。似てるからつい反射的にしてしまうんだけど、できるだけやめるようにしよう。と心に決める。
「先ほどから難しい顔をされて何をお書きになっているのですか?」
アンが興味深げに聞いてくる。
「ああ、なんでもないの、練習と復習よ。今日ならった授業のね、うん」
「左様でございますか」
ちょっと狼狽えた私は話題を変えるため今日起きた出来事を話す。
「そうそう、アン聞いて頂戴。今日ね、生徒会のテオドルフ様とフェルロッテ様とお近づきになったの。凄いと思わない?第二王子様と侯爵令嬢よ?」
「それは凄いですね、お嬢様とは接点がなさそうなお方達なのに……教室が同じだったのですか?」
「いえ?教室は別々よ?偶々、私が食堂で絡まれているときにお二人が助けに入ってくれたの」
「私もお二人に感謝せねば。お嬢様に何かあれば旦那様にどのように申し開きすればよいか……お嬢様、もしよければ明日からは私が護衛として校舎の方へ付き添い致しましょうか?」
「アンったら大袈裟ね。大丈夫よ何も無かったから。それよりその後の方が……」
絡まれる事となった要因をぼかしながら伝えその要因を解消するために彼が動いてくれたこと、女子に人気の高い第二王子の近くに暫く居ることになったので私まで注目されるようになったことなどをアンに話した。
「彼が近くに居てくれるから護衛は大丈夫よ。心配ありがとうアン。それに誰もメイドや執事をつれてきてないし、これ以上目立つのは避けたいわ」
「お嬢様がそう仰られるなら……」
「それよりお腹が減ったわ!アン、お茶にしましょう!」
「あまり食べると夕食が食べられなくなりますよ?」
「……ここのご飯あまりおいしく無いし。出来ることならアンの作ったお菓子だけ食べていたいわ……」
と悲しそうに言い、手を組んで涙目で訴える。
アンは溜息をつき、渋々同意する。
「わかりました。では本当に少しだけですよ?」
「ありがとうアン!」
アンは用意の為に席を外す。
私はその隙に箇条書きした紙を丸めてクズ籠に捨ててアンを待つ。その後、彼女とのティータイムを満喫するのだった。
◇
翌日の放課後、テオドルフから「生徒会の掲示物を貼るから手伝ってくれ」と頼まれたのでついていく。もちろんフェルロッテもセット。「何かあってはいけませんから」「何もおきねーって」などの二人のやり取りの応酬を聞いてるうちに生徒会室につく。部屋の外で少し待つように言われる。
廊下の先から男子生徒が近づいてくる。……あれはセドリックだ。こんな機会でもないとこの先関われないかもしれないし、挨拶しておこう。
「こんにちは!」
「あぁ、こんにちは。君は……たしか昨日もチラっと見かけたな。今日は何のようだ?」
「テオドルフ様のお手伝いを頼まれて待っているところです。今、生徒会室でその準備しているみたいなので……」
「そうか、足手まといにならないように頑張るんだな」
彼はそう返答をするとすぐに生徒会室に入っていき、入れ違いにテオドルフが出てきた。
かれは脇に大きな紙を丸めた束を抱えていた。
「待たせたな。じゃぁ行こうか」
「あれ、フェルロッテ様はご一緒されないのです?」
「あー、ちょっと他の用事を兄貴に頼まれたみたいでな。『こんなもの、すぐに終わらせて合流しますわ!』とかなんとか言ってたな」
いかにもフェルロッテらしい。その様子が目に浮かぶ。
テオドルフに随伴して階段を降り、中央校舎の一階のエントランスにある掲示コーナーに到着。丸めた束の中から1枚取り出し、ポスターを広げる。結構大きくて一人で作業するのはかなり大変そう。二人での作業は最適だった。
「そうそう、もう少し角度を……よし、いいぞ!そのまま持っててくれ」
貼り終わったポスターを見て満足そうに作業を自画自賛するテオドルフ。
「テオドルフ様、これは何のポスターですか?」
「これか?夏にやる『精霊祭』の実行委員募集のポスターだ。基本的に生徒会が主体となってやるんだがどうしてもこういう時は人手が足りないらしい。だから数ヶ月前から募集をかけておく。いざやるときに『人手が足りなくて失敗しました』じゃ、カッコつかねーしな」
なるほど。こういうイベントの実行委員になればそこから生徒会へ関わって……あの人に直接アプローチできるかもしれない。こういうチャンスは掴んどくべきよね。
「テオドルフ様、あの……私、実行委員に応募したいです。どうすればよろしいでしょうか?」
「気が早いな。……そうだな、生徒会室へ戻ったら手続きするか」
「こういうのは勢いが肝心だと思ってるのでっ!」
「雑用を進んでやりたがるって変わってんな、お前」
テオドルフは口角をあげニヤニヤしてこちらを見る。
「おし、ここは終わった!次の所いくぞー!」
彼と雑談をしながら次の場所へ移動する。
「今日の教室はどうだった?」
まぁ、無視されてる程度なので言うほどの事ではないと判断し曖昧にしておこう。
「特に何も。お陰様で平穏でしたわ」
「んー。それならいいんだが、俺の出番がなくて少々つまらないなぁ?」
「まぁ、テオドルフ様ったら!」
後ろで手を組み頬を少し膨らませプイッっとそっぽを向く。
「ははは!悪い悪い。つい調子に乗ってしまった許せ」
などと会話している間に次の目的地に到着。横に長い二階建ての建物が設けられている。正面入り口から入るとテオドルフはエントランスを突っ切り、奥の両開きの扉を開けると目の前には運動場が何個も入りそうな広いスペースが広がっていた。
そこでは多くの男子生徒が筋トレをしたり、走り込みをしたり、お互い声を張り上げながら集団戦の対戦練習をしたりしている。
集団戦は大きく五つの集団に分かれていて、ぱっと見た限りおよそ十人のグループ同士が敵味方に分かれて真剣にやりあってるのが見えた。
やや離れた所に馬の厩舎と馬場が見え、そこでも何人かの生徒が乗馬の練習をしている。
「ここが練兵場だ。あの二階建ての建物に練習用の武器防具一式を保管、生徒はそこで着替えを行ったり、水で汗を流す沐浴場などが併設されている。目の前の広い敷地ではやろうと思えば大規模な集団戦の訓練さえすることが可能だ」
「なるほど……。それにしてもここ、すごい広いですね~」
「そうだろう、そうだろう。フフフ……」
なぜかテオドルフが得意げな表情をしている。
対戦練習を監督してたリーダー格の人物がこちらに気づき、集団戦練習のグループ全体に休憩を宣言し、近づいてくる。
「よお!テオドルフ。どうした体でも動かしたくなったか?ハハッ!」
「うるせー仕事だよ、ヴィルノー。ちょっと掲示物を貼りにきただけだ。ついでに彼女に校舎の紹介してる訳さ」
ヴィルノーが視線をテオドルフから私の方に移すと暫くの間動きが止まっていた。
「……あのー?大丈夫ですか?」
私は彼の目の前まで近づき顔の近くで手をふりふりと動かす。
「あ、ああ、済まない。どうやら貴女に見惚れてしまったようだ。初めましてかな?自分は近衛騎士団長ベルトラン伯爵の子、ヴィルノー・ラファル・ベルトランだ」
ヴィルノーが胸のあたりを左手で豪快にドン!と叩いて挨拶する。
「初めましてヴィルノー様。私はキャメリア男爵の娘、アルメリー・キャメリア・ベルフォールと申しますわ。以後お見知りおきを」
「ヴィルノー、もしかして一目惚れかよ?だめだぜー?この子は俺のだからな?」
「ちょ!?私は誰のモノでもありませんからっ!今は訳あって一時的に庇護下に置いてもらってるだけですわ!フェルロッテ様に言付けますよっ!?」
「うっへ、そりゃ勘弁な!ははっ!」
お互い楽しそうに笑い合う。
「よかったら、訓練を見ていきますか?アルメリー嬢」
頃合いを見計らって、ヴィルノーが提案をしてきた。
私はきょどってテオドルフとヴィルノーを交互に見ているとテオドルフは頭をポリポリかきながら同意した。
「あー、しょうがねえなぁ。そんなに急いでるわけじゃねーし、少しぐらいなら見ていくか」
「よし、お前ら!休憩は終わりだッ!麗しいお客人が観戦してくれるんだ!今までより気合い入れていけよ!」
ヴィルノーが声を張り上げ、元のポジションに戻るのではなく今度はグループの中の人と交代して訓練に参加する。
こうして訓練の様子を暫く見入る。筋肉と筋肉のぶつかり合い、模擬戦用の武器とはいえ迫真の打ち合いを間近で見るのは迫力があって刺激的でいい。生でスポーツ観戦してるみたいなものよね。これはいい娯楽になりそう!今度暇になったらこういう訓練を観に来るというのもありね。
練習が一段落したらしい所で汗だくになったヴィルノーに声を掛ける。
「あの、暇があったらまた来てもよいですか?もしお邪魔になるようなら控えますが……」
「いつでも大歓迎です。ええ、是非来て下さい!皆も貴女に見られることによって気合いが入ることでしょう!」
「ありがとうございます、ヴィルノー様」
大歓迎……、是非……気に入られたのかな?それに、運動したせいだろうか?彼の頬がすこし染まっている様にみえる。
「訓練頑張れよ、ヴィルノー!」
「それでは失礼します」
その後、練兵場の掲示スペースにポスターを貼り次の校舎に移動する。
特に話す話題もなく、研究棟に到着。
エントランスにある戦士を象った大きな石像の威圧感が半端ない。私が石像を注視しながら歩いているとテオドルフが急に立ち止まりぶつかりそうになった。
「この石像な。ゴーレムって言って、許可無くあの奥の扉を開けようとするヤツがいたら動き出してその侵入者に攻撃してくるらしいぞ」
「えっ?この石像って動くんですか!?」
「俺も動いた所は見たこと無いけどな。俺らの何年も前の先輩が興味本位で試して死にそうになったとかいう噂話は聞いたことがある。まぁ奥の扉に近づかなければ問題ないって」
石像が動くなんて信じられないが、こんな大きな像が動いたら本当に怖い。その思いが出てしまったのか声が震えてしまった。
「は、早くここでの作業終わらせましょう!」
「ははは!そうだな、そうしよう!」
さっきからなんか、彼にからかわれてばっかりだ。いつか反撃してやるんだから!おぼえてろ~!
研究棟の掲示板に黙々とポスターを貼る。
「次は学院図書館だな。メディウム王国の『知識の殿堂』と謳われている大図書館と比べたらこの学院の図書館は歴史も浅いし、蔵書も比較的新しいモノが中心だな。貴族連中の卒業生が宿舎から出るときに不要になった英雄譚やラブロマンスなどの物語系のモノが多く寄贈されてるらしい。俺が前にここに来たときには他に辞典や旅行記、なにかの図鑑やよく分からない研究論文とかも見かけたな……」
「そんなにポンと本を寄贈できるものなんですか?高価なのでは?」
「ノーブレスオブリージュの精神ってやつかな。もしかしたら、ただ自分の家の財力を誇示したいだけかもしれん。寄贈すれば図書館に名前を残せるしな」
「なるほど……」
学院図書館は研究棟のすぐ近くに建てられているのであっさりと到着。先ほどまでいた研究棟に比べればややこじんまりした感じを受ける。ニ階建てで奥行きがある造りになっている。黒い光沢のある石で外壁が綺麗に装飾されていて高級感がある建物になっている。
中に入るとすぐに受付があり、その横の方には数人がまとめて座れそうな長方形の机と椅子のセットがいくつも並べてあり生徒が何人か座って本を読みながら寛いでいる。読書スペースの上は吹き抜けになっている。奥側は本棚が所狭しと並んでいる。本棚と本棚の間の通路には何人かの生徒の姿も見える。受付のすぐ裏に螺旋階段が設置されていてそれで二階と行き来できるようだ。
二階は間仕切りが無く転倒防止の柵があるだけで受付や読書スペースから様子が一望できる開放的な感じである。
本棚の側面には金属製のプレートが掛けられており、そこに書かれたジャンルは多岐に渡っている。
異世界の物語とか、とても興味深いわ!そんな本がこんなに沢山ある……あぁ、すぐにでも読みたい!暇ができたら絶対にここに来る!今後の楽しみが増えたわ!
「ほんとに色々な本が集まってるんですね、ふふっ。あ、図書館の本って借りて宿舎にもっていってもいいんですか?」
「まぁ、いいんじゃねーかな?ここには閲覧禁止の本や貴重な古文書などは置いてないらしいし。詳しくはそこの司書にでも聞けばいいとおもうぜ」
受付のすぐ近くに掲示板を発見し、受付の司書の方に許可を取りポスターを貼る。
最後に大食堂の掲示板にポスターを貼って仕事が一段落したのだった。
「ふーっ!やっとおわったぜ。いつもこんな仕事ばかりだと楽でいいんだがなぁ!」
「任務完了ですね!おつかれさまです」
「じゃ、俺は生徒会の方へ完了の報告とお前の委員立候補の受付をしてくる。アルメリーは一人で帰れるな?」
「子供じゃありませんからっ!そのくらい平気ですっ!いーッだ!」
大食堂にテオドルフの楽しそうな笑い声が響く。彼とそこで分かれ帰路についた。図書館の存在は私にとって大収穫だったかもしれない。
◇
今日も今日とて放課後に迎えに来てくれる二人と合流し、他愛も無い話しをしつつ生徒会室の前までくる。もはや日課になりつつある。
生徒会室の前まで来たとき廊下の向こうからランセリアが歩いてきた。
凜とした佇まい、憂いを含んだふせめがちな瞳、歩く度に揺れるウェーブのかかった美しい髪。入学式の時も綺麗だと思ったけど、こんなに近くで見るとキラキラのエフェクトが掛かってるみたいに一段と輝いて見える。
彼女と目が合ったのですぐさま挨拶。
「こ、こんにちは!わ、私キャメリア男爵の娘アルメリー・キャメリア・ベルフォールと申します。以後お見知りおきを」
アンに教わった中でも最上位の礼をする。挨拶はちょっとどもったけど最後は完璧に決まったわ。心の中でガッツポーズを決める。
「丁寧な自己紹介ね。私はアルエット公爵が娘、ランセリア・アルエット・スフェールです。以後よろしくね」
ランセリアはスッと右手を差し出す。私は急いで自分の手を制服でゴシゴシと拭いてからその手を両手で握りしめる。
やっと直接本人に合法的に会えた!ああっなんか凄い嬉しい……!でも舞い上がってはいけないわ、ここからがスタートよ私。と自分に言い聞かせながら内心、感動で打ち震えていた。
端からみたら目をキラキラさせてる乙女の様に見えたのか、フェルロッテが横から割って入ってきた。
「ごきげんよう、ランセリア様。彼女は私がクラスメイトに絡まれているところを助けてあげましたの。それからはもう仲睦まじく過ごして……もうこれは友人といっても過言ではありませんわ」
「そうなの。貴女に友人ができてよかったわ」
え?フェルロッテ様ちょっと嫉妬ですか?私が先に見つけたのに的な……それに彼女の中で私って「知人」からいつの間にか「友人」に格上げされてた……。
「あ、あのそろそろ手を放して頂けませんか?いつまでもこうされていると生徒会室に入れないのですが……」
「ああっ!すみません、すみません!」
慌てて手を放す。
その後も生徒会室に入るメンバーに対し挨拶できる方には挨拶をすませる。テオドルフに今日は頼める事がないから先に帰っててくれと言われ大人しく宿舎に帰る。
◇
翌日の放課後。生徒会の皆さんが生徒会室へ入室後、会長がわざわざ廊下に出てきてくれた。
「やあ、君がアルメリー嬢だね?君のことは弟から聞いているよ」
「お初にお目に掛かります殿下。 私、キャメリア男爵の娘アルメリー・キャメリア・ベルフォールと申します。以後お見知りおきを」
スカートを軽く持ち上げ、一礼する。アルベールは頷きそれをもって返答とする。
「アルメリー嬢、『精霊祭』実行委員の最初の立候補ありがとう。君のやる気は歓迎するよ。あと私のことは学院の方針に倣い学院内では生徒会長、若しくは会長と呼んでくれたまえ」
「ありがとうございます。呼称の方は承知いたしました。以後そのようにさせて頂きます」
「あと、弟と一緒にここまで来た後に毎日挨拶するだけというのも時間の無駄ではないか?」
「お邪魔だったでしょうか?」
「いや特に問題はない……その時間を有効活用してみてはどうかという話だ」
「有効活用ですか?」
「そう……学院内の美化でもやってみるというのはどうか?ただ、そなたも貴族の令嬢ゆえ、抵抗があるとは思うが……」
「よろこんで!えっと、どこから始めましょうか?あ、掃除道具はどこでしょうか?」
「!?」
会長が明らかに驚愕している。掃除は身分の低い者がする仕事というのがこの世界の常識らしい。普通ならそんなことを押しつけられれば貴族ならプライドが邪魔して断るだろう、断ることを前提にしてやんわりとここに来るのを辞めさせるいい口実になる、とでも思っていたのかな?フフフ……甘いわねっ。折角の会長直々のお仕事。見事クリアしてみせるわ!
「あ、ああ、では取りあえず今日はこの廊下だけでいい。終わったら報告をするように。本日の結果を見て明日はまた違う所を頼むとしよう。掃除道具は突き当たりの用具室にあるものを使ってくれ。あ、だがもし嫌になったらすぐ辞めて貰っても一向に構わない。女生徒に無理強いするわけにはいかないのでな」
「はい、わかりました!」
このあと、めちゃくちゃ掃除を頑張った。
◇
放課後。今日は一階と二階の廊下の掃除をするように会長から指示された。今日は一気にエリアが二倍に増えてしまったわ。もたもたしてると外が暗くなっちゃう。遅くなる前に終わらすわよ!と自分に気合いを入れる。
まだまだ宿舎に帰ってない生徒もそれなりにいるが構わずに掃除を開始する。
横を通り過ぎるの生徒からは「掃除なんて下働きの者にやらせればいいのに。この子、相当好き者ね」なんて蔑まれることもあった。多分貴族の子なんだろう。
やがて二階の廊下の掃き掃除が終わる頃には生徒もいなくなり、辺りは静寂が支配し私の出す音だけが廊下に響く。次は階段の掃除をしようかというタイミングでテオドルフが上の階から降りてきて顔を出した。
「おっ、気合い入ってるな。いい仕事っぷりだ」
「むー?テオドルフ様、何かご用でしょうか?もし邪魔しにきたのなら貴方もゴミと一緒に掃いてしまいますよ?……あら、フェルロッテ様はご一緒ではないのですか?」
「あー、彼女には俺の仕事をこっそりと少しばかり押しつけてきた。ちょっと息抜きしないとな。まぁいつも俺がフォローしてるからたまにはいいよな」
むむ……それならいいのかな?
「……お前のクラス、その後どうだ?」
クラスは一見平穏を維持している。
「あれ以降は特に目立ったことは何も……」
なりを潜めているだけなのか、テオドルフが来てくれるからそれが女子達への抑止力になってるのか、何なのかわからないけど今のところ平穏無事に過ごせている。
さっきまで階段の手すりにもたれ掛かって話してたのに、会話が途切れた途端に急に目の前まで近づいてきた。私は気圧されて後退り、廊下の壁際まで追いやられ後ろに逃げ場が無くなってしまった。
「なら、もうそろそろ大丈夫そうだな?」
テオドルフが急に手を上げるので私は反射的に目を瞑り、箒を握りしめて身構える。
彼の手は優しく前髪を掻き上げ、私のおでこに軽く口づけする。
薄目を開けるといたずらをした少年のような満面の笑みを浮かべるテオドルフ。
「な、な、な、なにしてるんですかっ!?」
何が起きたか理解した私は顔全体が茹で上がったように真っ赤になる。
「俺が動いてやったんだからこれくらいはさせて貰わないとな」
「ふ、フェルロッテ様に言いますよ!?」
テオドルフはポリポリと頭を搔いてつぶやく。
「……あと、俺らの関係はこれで一旦解消ということで。フェルロッテとの約束も守らないといけないしな」
「え!?あ……そういえば、期間はできるだけ短くという条件でしたね……」
彼とフェルロッテ様の三人の間は結構居心地がよかった……あれ、私……彼の傍を離れるのを残念に思っている?入学式の時は彼だけはないわーと思ってたのに。
「まぁ、何か困ったことがあればいつでも言ってきていいぜ。ただし、次からは報酬としてその可愛らしい唇をもらうからな、ハハッ!」
もしかして虐められてる子とかを見つけては今まで何人もこうして保護してた、とか?いやいや……そんなの私の知ってることと都合良く重ねただけの想像にすぎないわ。……でも……。
暫く彼と無言で見つめ合う。胸の鼓動が高鳴る。
どちらからともなくお互い惹かれ合うように顔が近づいていく。もう少しで互いの唇と唇が触れそうな所まで近づいた時、最近聞き慣れた声が上の方から近づいてきた。
「テオドルフ様~!どちらにいらっしゃるのですか!?また私に書類仕事こっそり回したでしょう-!?分かってるんですからねっ!というかもう全部、私の分とまとめて終わらせましたけどー!?」
「くすくすっ」
「はははっ」
良い雰囲気だったことも何もかも吹き飛ばすようにお互い笑い出す。
「おーい、俺はここだフェルロッテ!今そっちへ行く!」
テオドルフは階段をあがろうと身体の向きを変え、二、三歩上がったところで歩みを止めこちらに振り向く。
「それじゃ俺は生徒会の方へ戻るわ。お前も残りのエリア頑張れよ!」
「ええ、もちろん。言われなくてもこのぐらいすぐに終わらせてみせますわ!」
胸をドンと叩き彼に自信のほどをアピールする。
彼は大きく頷いた後、姿勢を戻し階段を駆け上がる。
彼と別れた後、テンションが上がったこともあり、より一掃入念に掃除をして一階の隅々までピカピカにしたのだった。