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令嬢は嗤う  作者: バーン
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後始末

王都の夜は静まり返り、遠くの街灯の灯りだけが微かに瞬いている。大神殿へ向かう道は石畳が続き、夜露に濡れた街並みが月光を受けて鈍く光っていた。


捕縛班の一行は、王立学院の生徒会役員であるものの、任務のために借り受けた王都保安局の鎧やローブを身にまとっていた。全員が一様に同じ装備をしている上に、大神殿への夜間の訪問となれば、不審者として警戒されるのは避けられない。

それを見越して、アルベールは事前に使者を立てる事にした。


「……セドリック、エルネット嬢、先に大神殿へ行って事情を説明してきてくれるか?」


彼は、班員の中で比較的汚れの少ない二人―――を指名する。


「了解いたしましたわ、()()。ふふっ♪」

「分かった、行こう」


セドリックは頷くと、腰に佩いた自身の武器を鞘ごとヴィクシムに預け、エルネットと共に大神殿へ先に向かった。




厳かな静寂が広がる大神殿の門前。高くそびえる白亜の門扉の前には、二人の神殿騎士が立っていた。彼らは純白と金の意匠が施された鎧をまとい、月明かりの下で威厳を放っている。

セドリックとエルネットは門の前に立ち、神殿の関係者に訪問の意図を伝えた。


「夜分に申し訳ありません。私たちは王立学院生徒会の者ですが、現在、特命の任務の最中です」


セドリックが一歩前に出て、穏やかに言葉を紡ぐ。


「この任務の関係で、隊の装備が汚れてしまいました。大神殿で、装備の洗浄と浄化をお願いしたいのですが……」


エルネットが続けて言葉を紡ぐ。


「隊の人数は10数人程度ですわ。一人、別の任務で遅れて到着しますので、よろしくお願いします」


神殿騎士たちは、目の前の二人をじっと見つめ、しばし沈黙が流れる。


「……お待ちください」


片方の騎士が静かに言い、大神殿の奥へと入っていく。数分後、年配の神官を伴って戻ってきた。


「大神殿からの許可が下りました。ですが、武装した集団が突然訪れるのは、神殿(われわれ)としても警戒せざるを得ません。皆様が合流されるまで、少しお寒くて申し訳ございませんが門の外でお待ちくださいますか?皆様が全員揃いましたら整列し、速やかに参入するようにしてください」

「承知しました」


セドリックとエルネットは頷き、一旦門の外で待機することとなった。


それからしばらくして、捕縛班の一行が大神殿に到着した。

門の前で待機していた二人と合流する。


しばらくして、衛兵の詰所へアデラースを連行していたヴィルノーが遅れて到着した。


「済まない、少し到着が遅くなった」

「お疲れ様、ヴィルノー♪」


と、姉であるエルネットは元気に労う。


「整列!」


アルベールが号令を掛けると、一同は整然とした隊列を組み、一行は神殿騎士達の監視のもと、大神殿の敷地内へと足を踏み入れる。


大神殿の広大な敷地は静寂に包まれていた。月明かりの下、大理石の回廊が神秘的な輝きを放ち、奥には大地母神を祀る壮麗な本殿(聖堂)が鎮座している。


奥から出て来た神官が彼らを迎えると、アルベールが皆を代表し、前へ出た。


「これはこれは、アルベール様。こんな夜更けにようこそおいで下さいました」

「このような汚れた姿で申し訳ない」

「とんでもございません……」

「……すでに聞いていると思うが、今夜、其方らに依頼する作業……我が班員達の”洗浄と浄化”ついての事だが、……()()の費用は私が全額支払おう。……だが、あいにく今は手持ちが無い。……悪いが、王宮の方につけておいてくれないか?」

「畏まりました」


神官が深々と頭を下げる。大神殿に何かを依頼する場合、作業の内容によって額は大きく変わるが、通常は寄進おかねが必要となる。だが、アルベールはこの国の王族であり、後払いが可能な立場にあり、それは神殿側もよく理解していた。お互い円滑に話が進む。


「……では、こちらへついてきていただけますでしょうか?」

「うむ、頼む」




 大神殿の敷地内に案内された捕縛班の一行は、まず境内の洗浄場へと誘導された。神聖魔法で明かりが煌々と灯された石畳の広場の一角には、井戸と、外から引き入れられた用水路の水が流れる洗い場が設けられている。


「まずは表面の汚れを落としますね。鎧やローブは装備したままで結構です。私達が皆様に水桶で水を何杯かかけて汚れを落としてゆきますので、少しの間……我慢をお願いします」


大神殿の修道女が静かに告げる。彼女に付き従っていた女性の見習い達はすでに、清めの水を満たした洗浄台の準備を整えていた。

汚れの酷いアルメリーとアルベール、そして何人かの班員は、視線を交わしながら息をつく。汚水の臭いがまだ鼻につき、肌にこびりついている感覚が抜けない。しかし、こんな神聖な場所で、さすがに「冷たいから嫌だ」とも言えない。


「……よし、行くか!」


アルベールが覚悟を決めたように前へ出る。


「恐れ入りますが、しゃがんで頂けますでしょうか?」


と、見習いに言われ、用水路の側で両膝をつくように座るアルベール。


見習いは水桶を彼の頭上に持ち上げ、軽く傾けた。冷たい水が彼の頭上から勢いよく流れ落ちる。


「っ……!」


井戸から汲み上げられた水が全身を打ち、思わず息を呑む。だが、これでようやく悪臭が和らぐならば、耐えるしかない。汚れた水は用水路に落ち、流れてゆく。

何度かそれが繰り返され、鎧の表面や身体についた汚れが次々と流れ落ちてゆく。


続いてアルメリーも用水路の側に行き、しゃがみ込んで一瞬身を縮こませたが、意を決して水を浴びる。冷たい感触に思わず小さく震えた。


「ひゃっ……!」

「すぐに終わりますので……」


見習いが淡々と告げながら、彼女の髪や肩に水を流す。冷気が染みるが、汚れが流れていくのがはっきりと分かった。

下水道の水路に落ちた班員達も順番に水を浴び、表面的な泥や汚水を落としていく。その者達が終わると、跳ねた汚水がかかり鎧やローブが汚れている者は、その部分を見習いが洗い流して綺麗にしてゆく。


男子と女子は自然と互いに距離を取り、恥ずかしそうな様子で、できるだけ目を合わせないようにしていた。


「寒っ……!」

「ッ、さすがにこの時期の水は堪えるな……」


苦笑混じりの声が上がるが、皆、文句を言わずに耐えていた。


水を被り、ざっと見える汚れを一通り流し終えた者達は、修道女と見習い達の案内で大神殿の洗浄の間へと誘導された。そこは、衣服や聖具、祭具などを浄化するための部屋で、建物の壁が外気を遮る分、それだけで今までに比べ断然に暖かい。


「こちらで衣服をお預かりし、浄化いたします」


修道女が柔らかく告げる。汚れの酷い者達は、そこで鎧やローブだけでなく、中に着ていた制服や下着も脱いで渡さなければならない。

女生徒達は別の部屋へと案内され、見習い達が手際よく仕切りを下ろし、周囲から見えないように配慮する。アルメリーもそこに入ると、冷えた体を抱えながらそっとローブと制服を脱ぎ、濡れた下着と共に浄化をして貰うための籠に入れた。


「では、浄化の儀が終わるまで、こちらをお使いください」


見習いが差し出したのは、大神殿に備えられた簡素な布の衣と浴巾(セルヴィエット)。身体を浴巾で拭き、水気を取ってから、布の衣を着る。衣は透けないように厚手のものが用意されており、浄化が終わるまでの間、それを纏って待つことになった。

一方、男子生徒達も別室で同様に衣服を預け、神殿の関係者が作法に従い、清めの水に浸して浄化を始めていた。


一方、鎧やローブの洗浄は外の洗い場で行われていた。

井戸水や用水路の流水を使い、さらに丁寧に装備の隙間や可動部に残った汚れや、染み込んだ汚れを清掃する。見習い達が水と布を使い、それでも落ちない汚れは木の繊維で作られたブラシで丁寧に汚れを擦り取ると、神殿の関係者が表面上綺麗になった装備を、清められた水で満たされた石の洗浄台へと慎重に浸す。

神官や修道女、見習い達が呪文を唱えながら、清められた水にさらに浄化の魔法を掛けると、水面が淡く輝き、泥や汚水の染み込んで黄色や茶色に変色していた布や、鎧の表面の金属が、みるみるうちに清められ元の色に近づいてゆく。


「……本当にすごいな、神聖魔法は」


神殿関係者に許可を貰ったセドリックは、見聞の為にその作業の様子を見に来ていたが、思わず呟く。学院では見られない、不思議な光景だった。

見習い達は慎重に鎧を引き上げる。湿気を帯びた鎧は新品のように清らかに輝いていた。彼女達は乾いた綺麗な布で表面に残った水分や雫を丁寧に拭き取る。


しばらくして、見習い達が建物内へ戻り、衣服の浄化が終わったことを告げた。


「お待たせ致しました。すべて清められましたので、お着替えください」


女生徒達は仕切りの奥で服を受け取り、再び制服を身に着ける。冷え切った体に、清められた衣服が心地よく馴染んだ。

アルメリーは手に取った制服をそっと抱え、ふとほのかな香りを感じる。汚水の臭いは完全に消え、代わりに清涼感のある薬草の香りが微かに残っていた。


「やっと、綺麗になった気がする……」


私がぼそりと呟くと、エルネットが小さく微笑んだ。


「これでようやく、まともな匂いになったわね♪」


ようやくまともに呼吸ができる様になり安堵する彼女。先ほどまで、周りの者達が地下下水道の汚水にまみれ、全身から強烈な悪臭を放っていたのだから無理もない。


一方、男子達も同じく浄化を終えた衣服を受け取り、それぞれ身支度を整えていた。アルベールも、自分の制服を着直しながら、落ち着いた表情で衣の感触を確かめる。

汚れた装備も、衣服も、すべて清められた。大神殿の静寂の中で、捕縛班の一行はようやくまともな姿を取り戻し、安堵の息をついた。


「さて……ようやくひと段落ついたな……」


アルベールが静かに呟く。

夜の冷たい風が、彼らの疲労を少しだけ和らげているように思えた。


皆で揃って大神殿の白亜の回廊を抜ける。夜の静寂に包まれた大神殿の門で、修道女や見習い達に見送られ、広場から一段高い大神殿の敷地から幅の広い石造りの階段を降り、外の広場へと足を踏み出す。

空には雲間から月が覗き、ひんやりとした風が頬を撫でた。濡れた衣服を纏う身には少し寒さが堪える。


アルベールは、少し顔をしかめながら自分の装備を軽く引っ張った。


「いくら浄化魔法をかけてもらって服や装備が綺麗になったとはいえ、なんだかまだ染みついてる気がするな……?」


他の捕縛班の班員も皆、同じ感想だった。程度の差こそあれ、悪臭と汚泥に苦しめられた先ほどまでの戦闘を思い出す。


逃走するアデラースが魔法で通路を塞ぐように出現させた岩壁に対し、それを登攀中に足を滑らせ、水路に落ちた何人かは全身汚水にまみれた記憶がまざまざと蘇る。本当に酷い有様だった。


「そりゃあ、アレですよ……大神殿では装備は綺麗になったけど、身体の方は結局、水を掛けてざっと汚れを落としただけでしたからね?早く温かい寮の風呂に入りたいですよ」

「まったくだ……あの水路の汚水……体の芯まで穢れが染み込んだ気がする……。帰ったら、体を隅々まで洗わないと……」

「本当に、最悪だったなハハハ……」

「しかし、あの老魔術士、相当な使い手だった。奴が最後に放ったあの魔法には肝が冷えましたね……。思わず正気を疑ったよ。あのままじゃ自分も生き埋めになってただろうに……」


思い出した様に、そう語るセドリック。


「確かに!危機一髪だった……岩がこう、ガーッって迫ってきて、アルメリー嬢が閉じ込められそうになった時、俺、もうダメかと一瞬思いました」

「あのままだったら、アルメリー嬢が岩に閉じ込められてプチッと潰されてましたよね……。恐ろしい魔法でしたよ、あれは……」

「本当にな。アルメリー、お前もかなり危なかったんじゃないか?」


と、アジューターが口を開く。

不意に自分の名が出て、アルメリーは一瞬身を強張らせた。


「え? あ、うん……まあ……そうね?」


適当に相槌を打つ。実際のところ、戦闘の途中で気を失ったため、その後のことはよくわからない。ただ、朧げな記憶の中に、イスティス―――自分の“裏”の存在の気配を感じていた。きっと、彼女が代わりに動いていたのだろう。けれど、それを説明するわけにもいかないので、曖昧に誤魔化すしかなかった。


「それにしても、あの局面でアルメリー嬢を救うアルベール様の咄嗟の判断、あれは流石でした!」

「会長がアルメリー嬢を抱えて水路に飛び込んだ瞬間なんて、まるで物語の騎士が囚われの姫君を助けるような感じでかっこよかったです……!」

「自分も会長みたいに、アルメリー嬢をぎゅっと抱きかかえて飛び込んでみてぇー!あ、下水道以外で、ですよ!?」

「私も、もう二度と、下水道の水路(あんなところ)に飛び込むなんてごめんだがな?」

「「「わははははは!!」」」


そんな二人の返しに、班員達のどっと笑う声が上がる。


「なっ……!?」


(えっ!?アルベール様が私を抱きかかえて!?)


思わず、アルメリーの顔が真っ赤に染まる。


「え、えっと……そ、そうだったっけ……?」


視線を泳がせながら、必死に取り繕う。


(ああ、髪やローブ、下着まで汚水まみれになってたのって、そういう事だったのね……!?)


「とにかく、今は休みたいな……」


誰かの呟きに、皆が小さく頷く。そんな呟きが出るほど、汚水にまみれた老魔術士との奮闘が、彼らの体力と精神を容赦なく削っていた。


大神殿の門が背後に遠ざかる中、班員達も先ほどの戦闘について語り合いながら、夜の街路を歩く。

戦いの疲労がじわじわと体にのしかかるが、それでも仲間達の間には安堵感が漂っていた。


「それに、アルメリー嬢が最後に撃った魔法、アレすごかったよな!?……一瞬で、大量の土砂を消したばかりか、地上まで繋がるデカい穴を開けてさー!?地下の下水道から満天の夜空が見えたんだぜ!?ヤバいよな!?」

「ああ、アレなー!あんな凄い魔法、今まで俺も、見た事なかったわ!」


彼らはその時の様子を興奮した調子で語っていた。それを聞きながらも私は、隣を歩くアルベールの姿を意識せずにはいられなかった。彼は特に気にする様子もなく、表情はいつも通り落ち着いていたが……なんだか、やけに視線を感じるような……。

ちらりと横目で確認すると、やはりアルベール様がこちらを見ていた。しかも、ただ見るのではなく、どこか探るような目つきだ。私の視線に気付くと彼は微笑む。


(……え? 何? もしかして気のせい?)


彼の興味の対象が、私ではない”誰か”にあることは、鈍感な私でも何となく察することができた。

でも、こうも頻繁に視線を感じると、妙に落ち着かない。


「……アルメリー、疲れていないか?」


不意に、アルベールの声が降ってきた。優しく気遣うような声音に、心臓が跳ねる。


「へっ!? え、ええ、大丈夫……です!」


慌てて答えながら、再び顔が熱くなるのを感じた。まるで意識しているみたいで恥ずかしい——いや、実際に意識してしまっているのだが。


(で、でもアルベール様には……ランセリア様がいるし……)


そう。アルベール様には、婚約者がいる。

ランセリア様はザール王国の四大貴族の御令嬢で、アルベール様の婚約者としてふさわしい立場の方だ。ずっと妃教育を受け、未来の王妃となるべく歩んできた人―――それは揺るぎない事実。


(……アルベール様にとっても、大切な人のはず)


だが、そう思う一方で、胸の奥に微かな違和感が残る。


―――"想い人" というより、"必要な存在"。


……そんな印象を覚えたのは、これまでの生徒会での彼の態度のせいだろうか? ランセリア様を気遣う素振りはあるものの、彼女への感情は冷静で、まるで務めを果たしているようにしか見えないことが多かったように思える。


(……でも、そんなの私には関係ないし)


無理やりそう結論づけて、アルメリーは頭を振る。考えるべきことではない。自分とは関係のない話。

それなのに―――隣を歩くアルベールの視線を感じるたび、鼓動が妙に速くなるのはどうしてだろう。


また顔が熱くなるのを感じ、照れ隠しに少し俯く。


「……そうか。それなら良い」


そういうと彼は後ろを振り向き、皆に語りかける。


「教官達には明日、私が上手い事言っておく。それに、帰ったらすぐに其方達の寮の寮長に当てた謝罪の手紙を書こう。それを持って寮に帰れば寮長からは許してもらえるはずだ。今日は寝るのが遅くなって申し訳ないが、皆、私が書き終わるまで少々生徒会室で待っていてくれたまえ」


アルベールは軽く微笑むと、前を向く。彼はそれ以上何も言わず夜の闇に目を向けた。その横顔を見ながら、アルメリーはそっと胸元を押さえる。

やがて、一行は繁華街の入り口に差し掛かった。夜更けの静寂に包まれた石畳の通りを、彼らは学院へ向かって無言のまま歩き続ける。

長い夜が、ようやく終わろうとしていた。




                      ◇




ルイン地区の貧民窟、その北西部を実効支配する組織「エクリプスノワール」。

その幹部の一人にして、組織の「表の顔」を担う男がいる。

その男の名は”クロヴァン”。―――港湾労働者の人材派遣や港湾関係の仕事を幅広く手掛ける商会の経営者。一見、やり手の商人のような男。年齢は40代前半、日に焼けた肌と端正な顔立ちを持ち、穏やかな笑みを湛えている。彼の声は低く落ち着きがあり、誰に彼の事を聞いても「信頼できる男」との返答が返ってくるだろう。


昼間の彼は、王都の港で主に働き、何かがあれば仲介や揉め事の仲裁に乗り出し、彼の手に余る様な案件であれば管理・監督役所の協力を仰ぐ。

拠点の事務所では部下に裁量権をかなり持たせ、彼自身でないと決済できない事務手続きなどは限りなく少なくしている。空いた時間で港湾の現場に顔を出したり、商人や貴族とも精力的に取引をこなし、他の商会との折衝や、役所との交渉が円滑に行くよう忙しく動き回る。その姿は、どこまでも誠実な実業家に見える。


しかし、それはあくまで表の顔に過ぎない。

港湾の物流、人の流れ、裏金の動き―――クロヴァンは、……そのおおよその事を把握している。

水路で王都に流れ込む違法な物資は、彼の目を避けては通れない。勘も良いが、怪しいものを目敏く見つけるその嗅覚が非常に鋭い。

密輸、密航、裏取引。「エクリプスノワール」に直接関わらない、組織に被害が及ぶ事が無い()()に関しては『目をつぶっている』に過ぎない。……調査や捜査それ自体は、彼の仕事では無いからだ。

彼の手腕は冷静かつ緻密で、決して感情に流されることはない。裏ではエクリプスノワールの中でも特に計算高い男として知られ、”クロヴァンが動いた時は、すでに勝負は決している”とまで噂されている。


だが、彼をただの冷酷な策略家と思うのは早計だ。

彼がよく好んで口にする言葉がある。


「金で解決できるなら、それが一番だろう?」


彼は交渉を好み、無駄な争いは避ける。

戦うよりも買収する。奪うよりも抱き込む。


()()()商会が、儲けすぎて周りから反感を買わないように。

下手に独り勝ちして目立つと、いらぬ感繰りから組織との繋がりを嗅ぎつけられ、()()()()()迷惑がかかる。それは大恩あるディナルドにとっても望まぬ事態を招くだろう。

組織の利益を守るためにも、自分の名声を守るためにも、商会で働く者達の生活のためにも適度に儲け、適度にその時期儲かりそうな商材を、他の商会にも教える。己の商会があくまで“ただの港湾業者”の一つに見えるように。そして、何かあった際の為、いつでも港湾関係者達の協力が得られる良好な立場であり続けられるよう、慎重に立ち回る。それが彼のやり方だった。


だが、ひとたび交渉が決裂すれば―――組織に被害が及ぶモノであれば、彼は容赦しない。


彼の目に余るルールを破る者には、最終的に「エクリプスノワール」による冷徹な裁きが待っている。


その培った人脈を最大限に行使し、その取引に関わった者達の社会的信用を徹底的に地に落とし、港湾で二度と取引ができないようにしたり、相手が実力(暴力)を持って邪魔や脅しをかけてくるようなら、エクリプスノワールの兵隊を送り込んで報復する。貴族が相手なら、匿名の情報提供者として、王都保安局等の行政組織に摘発の為の情報提供を行い、行政の力を使ってでも絶対に痛い目に合わせる。


その温和な笑みの裏には、決して踏み越えてはならない一線が存在しているのだ。


「俺は()()だが、慈善家じゃあない。誰にでも優しくするわけじゃないんでね?」


そう言って微笑む彼の瞳は、どこまでも冷ややかだった。




                      ◇




十月十五日 木曜日(ジュディ)


朝焼けがまだ薄暗い街を照らし始める頃、クロヴァンは週に一度の報告のための訪問に根城に来たが、今朝はどうにも様子がおかしかった。

まず、エクリプスノワールの根城の前の広場で、()()()()()()()()を見た。広場から、ある方向へ向かって3カンヌ(約9m)程の幅、ざっと1ヴィル(約108~109m)程だろうか?一直線に建物が焼き払われている。


(一体、()()()()()()()()()()……!?)


そのざわつく不安を心の中へ押しとどめ、表情に現れた動揺を()し殺し、意識を切り替え、いつもの様に根城の中へと足を踏み入れた。


「……おいおい、どうしたんだこりゃ。中もひでぇ事になってるじゃねぇかよ……」


組織の表の顔役であるクロヴァンは、思わず口に出していた。

戦闘の跡は生々しく、荒れた空間が広がっている。壁の随所に残る無数の傷跡や、血の跡だと思われる床の染みが激戦の爪痕を物語っていた。その血の跡は、極力拭き取られていたものの、床や壁の染みは完全には消えず、鉄の匂いが微かに漂っている。

さらに、先週までそこにあったはずの絨毯やアンティーク家具が幾つか撤去されていたせいで、ロビー内が妙に広く感じられた。いや、広くなったというよりは、簡素になっただけだ。

クロヴァンは舌打ちをしながら、足元に所々広がる赤黒い染みを避けて歩いた。


階段を上がり、幹部がいつも集まる部屋の扉を開ける。だが、まだそこには一人しかいなかった。

ソファーで横になっていたブロワールが、クロヴァンの足音に気づき、のそりと身を起こした。


「……おはようさん」

「ああ、クロヴァンか。……ということは、もう朝、か……」


疲れた顔で挨拶を返すブロワール。その目の下には隈ができている。

ソファーの近くのテーブルの上には空になったいくつかのカップ、何枚もの報告書や走り書きのメモ、その他の書類などが散乱していた。書類と徹夜で格闘していたのだろうか?

クロヴァンは部屋の中をざっと見渡しながら、まず気になった事を苦笑交じりに言った。


「ブロワールさんよぉ、下がひでぇことになってるな。どうしたんだありゃ……?」


ブロワールは溜息をつき、後頭部をぼりぼりと掻く。


「……オヤジが腹を決めて、とうとう南とガチでやりあってな……」


その一言で、クロヴァンは納得した。


(エクリプスノワールの首領である”ディナルド”がついに決断し、南の連中と全面戦争に突入したということか……。その余波が、この惨状というわけだ。まぁ、いつかは()()なるだろうと思っていたが、俺の予想より(いささ)か早かったな……)


「ちっ……やる時が来たってのは分かるが、派手にやりすぎだろ……」


クロヴァンは眉をしかめる。


「俺らの拠点である根城がこんなんじゃ、他の組織にナメられるんじゃねぇか? 大丈夫か?」


根城が荒れ果てていれば、それだけで他の勢力は「エクリプスノワールが弱った」と思うだろう。すぐに手を出してこなくとも、様子を窺いながら組織の目の届かない部分を狙い、そこから隙をついてくる可能性は十分にあった。

ブロワールは苦笑しながら、ソファーに深く腰を沈める。


「……ああ、その点は大丈夫だ……。ガストリックが来たら起こしてくれ。話したいことがある」


それだけ言うと、彼は再び横になり目を閉じた。疲れ切った体を休めるように、ゆっくりと呼吸を整えていく。

クロヴァンはしばし彼を見下ろした後、肩をすくめて部屋にある適当な椅子に腰を下ろした。

この根城も、組織も……これからどうなるか分からねぇな――。

そんなことを考えながら、外の空がじわじわと明るくなっていくのを、クロヴァンはぼんやりと眺めていた。



早朝の薄明かりが窓から差し込み、荒れた根城の空気を冷やしていた。

しばらくの沈黙の後、根城の扉が開く音が響く。階段をゆっくりと上がってきたのは、ガストリックだった。

重い足取りで部屋へ入ると、彼はブロワールが寝ているのとは別のソファーへと向かい、軋む音が出そうなほど勢いよく腰を下ろして無言のまま、座る。

両膝に肘をつき、手を組んで口元を隠すようにしたままだ。

クロヴァンは、その様子を横目で見ながら立ち上がり、ブロワールの近くへ移動した。


「おい、起きろ」


肩を軽く揺さぶると、ブロワールが微かに眉を動かし、ゆっくりと目を開ける。


「……揃った……な?」


声はまだ少し眠気を帯びていたが、その目は鋭い。

クロヴァンは腕を組みながら、部屋を見渡す。


「揃った……って、おい、三人しかいねーぞ!? ステフレッドと、セヴラルドはどうした!?」


クロヴァンの言葉に、室内の空気が一気に張り詰める。

ガストリックは微動だにせず、ただ指を組んだ手で口元を隠したままだった。

ブロワールは一度、深く息を吐くと、静かに問いかける。


「いい話と悪い話、どっちから聞きたい?」

「……今日はやけに勿体ぶるな?」


クロヴァンは、不吉な予感を拭いきれぬまま、苦く笑う。


「……なら、悪い話から聞いておこうか」


そう言った瞬間、ゴクリと唾を飲み込む音が自分の喉から漏れるのが分かった。

ブロワールは短く頷くと、言葉を選ぶことなく、静かに告げた。


「オヤジ……が殺された」


その場の空気が一気に凍りつく。

クロヴァンの表情が凍りついた。


「……は!?」


言葉がうまく出てこない。冗談にしては悪質すぎる。だが、ブロワールの声色には、一切の戯れも迷いもなかった。


「……南の組織の手の者によって殺されたようだ。根城の前に広場があるだろう?そこに何本もの槍に突き刺されて突き上げるように晒されていた。俺がそこから降ろして……埋葬した」


クロヴァンは呆然としながらも、すぐに頭の中で計算を始めた。首領であるディナルドが死んだ!?それはつまり、このエクリプスノワールにとって「最大の危機」を意味する。彼の睨みがあったからこそ、大人しくしていた連中も多かったハズだ。


「……ちょっと待て。それはマズい。マズすぎる……」


考えを巡らせようとした瞬間、ブロワールは続けた。


「そして……ステフレッドとセヴラルドも死んだ」

「……っ!?」


クロヴァンは無意識に奥歯を噛みしめた。


「ステフレッドは……この根城で殺されていた。……オヤジの寝室でな。きっとオヤジを守るために身を張ったんだろう……」

護衛者(エスコートール)の長だぞ!?ステフレッド程の剣士がやられたのか!?冗談だろ!?」


クロヴァンは思わず舌打ちする。あの破壊の跡は、ただの戦闘ではなかった。幹部の一人が討たれるほどの規模の襲撃だったということか!?


「セヴラルドは……南の連中との抗争中、俺を逃がすために前線で殿(しんがり)となり、討ち死にした……ッ!」

「……クソが……!」


クロヴァンは思わず口を押さえ、天井を見上げた。

言葉が出ない。頭では理解していても、心が追いつかない。


「……つまり、俺らの組織の首領だったディナルドのオヤジが殺され、幹部のステフレッドも、セヴラルドもいなくなったってわけか……?」


ブロワールは無言のまま、目を閉じた。

クロヴァンはもう一度、深く息を吐き、ガストリックへ視線を向けた。


「……お前は、どこまで知ってる?」


だが、ガストリックは手を組んだまま、ゆっくりと低く言った。


「俺もコイツから前線の流れだけは軽く聞いてはいるが……。続きは、『いい話』を聞いてからにしてもいいんじゃねーか?」


クロヴァンは狼狽し、目を細めると、ブロワールに向き直る。


「……ブロワール、このままじゃ俺ぁ、頭が何とかなりそうだ。いい話の方をしてくれ……」


ブロワールが低く息を吐き、重々しく続ける。


「……じゃあ、いい話の方を聞かせてやるよ」


クロヴァンは額に手を当て、黙って耳を傾ける。悪い報せがこれほど重いものだったのだ、いい報せがどれほどのものなのか、慎重に見極める必要があった。


ブロワールはゆっくりと姿勢を正し、淡々と語り出す。


「まず、この根城がそのまま残っていて、幹部である俺とガストリックが生きている……これは、俺らが勝利したことの証明だ。つまり、貧民窟の南側を実効支配していた『フォコン・オブスキュール』との決戦に勝利したってことだ」

「……!」


クロヴァンは思わず眉を上げる。


(南の連中を押し切った?いや、ただ勝っただけではない。ただの小競り合いではなく、決戦の末に、奴らを撃退し、引き下がらせたということか……?)


「……さらに、奴らの首領『フェルシス』の首を取った。南の連中の、主だった武闘派の幹部も粗方戦死した、という話だ」

「……ハハッ、マジかよ?」


クロヴァンは皮肉げに笑いながらも、その意味の大きさをすぐに理解した。南の連中を束ねる首領が消え、幹部までほぼ壊滅したということは、組織としての統率は事実上崩壊しているということだ。


「で、その南の組織がうちらに降る可能性があるって話だ」

「……五分五分ってところか?」

「まぁ確率はその位だろうな。ただ、少なくとも今の時点では、奴らにはこっちにちょっかいを出してくる余力も兵隊もねぇよ」


ブロワールは肩を竦めて言う。


「ただ、ひとり生き残った部隊を率いる隊長だって言うヤツが現れてな。低い立場らしいが、前線で生き残った隊長様だ。本人は幹部では無いと言っていたが……今思うと怪しいもんだな?あの場で『フォコン・オブスキュール』の幹部と名乗ったら殺されるとでも思ったのか……。まぁ……そいつは確か、『(ラメ・)濡れ(サンティ)の刃(ネール)』の二つ名を持つヴェスパル……って名前だったはずだ」


クロヴァンはその名に聞き覚えがあった。ヴェスパル―――南の連中の中でも、相当腕の立つ剣士として噂が知られる男。確か幹部の一人だったはずだ。


「そいつがウチに忠誠を誓うとか宣言して、約束・・をして残兵を連れて帰って行った。まぁ、そいつが上手いこと組織を掌握できれば、の話だがな?」

「お前……そう言われて、『はいそうですか』って、やつらをすんなり帰しちまったのか!?」

「俺が率いていた主力部隊の兵隊達は、この時点でもう身も心も満身創痍でな……とても追撃出来る状態ではなかったんだ……」


ガストリックが口を挟む。


「俺が率いてた別動隊が根城前の広場に到着した時には、もう戦闘が終わっててなぁ。すでに敵は撤退した後でよぅ。姿がなくて残念だったぜ……。俺が間に合ってれば、追撃できたハズだったのになぁ。もうひと暴れしたかったぜ……」

「そうだったのか……」

「……戦いは俺達『エクリプスノワール』の勝利で終わった」


肝心の所をブロワールは何かぼかしている……そうクロヴァンは感じ取ったが、話を進めるため先を促す。


「あぁ、それは分かった……つまり、なんだ、そいつ次第で南の連中もウチの傘下に取り込めるってわけか……?」

「ああ。あくまで上手い事いけば……の話だがな?まぁ、俺も実際の所、そこまで美味い展開は期待していない……お前達もそういう可能性がある、って事だけ頭の隅に入れておいてくれ……」


ブロワールは気だるげに言いながら、指でテーブルを軽く叩く。


「……ところで、さっき『他の組織にナメられるんじゃねぇか?』って心配してたな?」


クロヴァンは頷く。


「今の貧民窟の状況をもう一度整理しようか。南の連中についてはさっき言った通り、しばらくは問題ねぇ。東の連中については、ガストリックが率いて南の組織の拠点の一つを攻めて貰ったんだが……」


ブロワールはちらりとガストリックの方を見た。


「……どうやら、東のやつらはガストリックに心酔しちまったらしくてな?多分、心配はねぇはずだ」


クロヴァンは思わずガストリックを見た。


「……マジか?」

「マジだ。あいつら、気持ちのいいヤツらばかりでな?これっぽっちも心配ねぇぜ!」


顔の前に握った手を差し出し、人差し指と親指をほんの少しだけ開いて、ガストリックはニヤリと笑う。


「なんでまた……」

「知らねぇよ。まぁ、……俺が強すぎたのかねえ?ワッハッハッハ!!」


クロヴァンは呆れつつも、ガストリックの戦いの成果を認めざるを得なかった。


「で、残りは西の連中だが……」


ブロワールは少し表情を引き締め、ゆっくりと言葉を続ける。


「南との決戦の後、俺がキッチリと落とし前をつけてきてやった」

「……ほう?」

「奴らの拠点や事務所は全て灰になっている」


(そう言えば昨日、一昨日の早朝に、貧民窟の西地区でいくつもの火事があったとかいう話を酒場で聞いたな。連続放火犯の仕業か!?とかいう噂話だったが……実際はそういうことだったのか……)


僅かな間、部屋に静寂が満ちる。


「……へぇ」


そう答えたクロヴァンは、軽く口笛を吹いた。


「たとえ少々生き残りがいたとしても、今頃は後片付けや何やらで忙しいだろうよ?」

「……ってことは、西の連中は実質壊滅か?」

「そういうこった」


ブロワールは腕を組み、深くソファーにもたれかかる。


「南は弱体。東はガストリックの手の内……て、ことはほぼウチの傘下みたいなもんか?西は壊滅。つまり、今のルイン地区に広がる貧民窟でまともな組織として活動できるのは、俺達エクリプスノワールだけってことになるな?」


クロヴァンはそう確認し、ニヤリと笑った。


「やれやれ、えらく派手にやったもんだ。勢力図が変わるにしても一気に変わりすぎだろーがよ?ハハッ!……エクリプスノワール(おれたち)の黄金時代が来るかもな!?」


クロヴァンの言葉に、皆、口元に喜色を浮かべる。


三人はそれぞれの考えを巡らせながら、静かに沈黙する。


南を撃退し、東を取り込み、西を潰した。

貧民窟の勢力図は、大きく塗り替えられた。


「で、南との一戦について……実際どういう流れがあったんだ?俺にも分かる様に、流れを順に追って説明してくれないか?」

「クロヴァン、その説明をする前に、今から組織にとって大事な話をする。相談……いや、違うな……。まぁ、いいか……二人共、覚悟はいいか?」


朝日が窓の向こうにぼんやりと広がり始めたが、部屋の中の空気はひどく重かった。


クロヴァンはブロワールの語りを聞いていたが、ふと軽く肩をすくめた。


「……長くなりそうだな?」

「……まぁな」


ブロワールが疲れた声で応える。


「それなら何か飲み物を淹れてくる。お前らも飲むだろう?」

「頼む」


ガストリックは短く答え、ブロワールも無言で頷いた。

クロヴァンは立ち上がり、部屋を出て行く。


クロヴァンが去った後の部屋には、微かに重苦しい沈黙が残った。




                      ◇




数分後、クロヴァンが飲み物一式を持って戻ってくる。


「ほらよ」


手際よく三人分のカップを配ると、全員がそれを受け取り、静かに口をつけた。

温かい飲み物が、疲労した身体にじんわりと染み込む。

クロヴァンが席に戻るのを待ち、ブロワールは話の続きを始めた。


「で、南との一戦について……実際どういう流れがあったんだ? 」


クロヴァンの再びの問いに、ブロワールは小さく息を吐いた。


「その説明をする前に、今から組織にとって大事な話をする」


そう前置きしながら、少し言葉を切る。


「……二人にも、聞いてほしい事がある。その後に相談があるんだが……。いや、違うな……。まぁ、とりあえず聞いてくれ……」


不穏な言葉に、クロヴァンとガストリックが視線を交わした。

ブロワールは、ソファーの背もたれにもたれながら、ゆっくりと口を開く。


「……いまから話すのは、ある魔女の話だ。俺とオヤジしか知らない……すこし込み入った話だ」


ガストリックは口笛を吹き、クロヴァンは興味深そうに机に両肘をついて耳を傾ける。


「アイツが()()()()に来たのは……確か、6月の下旬頃だったか……」


ブロワールの目は、少し遠いものを見てるようだった。


「それは、安っぽい仮面をつけた、菫色(すみれいろ)の髪をした少し背の低い少女でな……それが、筋骨隆々の炎の精霊を引き連れて……この根城の入り口の扉をぶち破って入って来てな?」

「「……!?」」


クロヴァンとガストリックは、一瞬目を見開いたと思ったら、すぐに少し視線を遠くした……。


(……ああ、あの当時、扉とロビーの一部が破壊されてたのはそういう事だったのか……)


今まで謎だった「ある日突然、入り口の扉が吹き飛ばされていた件」の答えが、思わぬ形で明かされた。

ブロワールは話を続ける。


「ロビーで暴れたその魔女は、オヤジに呼ばれ二階の執務室に入ると、こう言ったんだ……。『シマを広げる気はない? 邪魔な奴は私が潰してあげる』、とな……」

「……随分と、大胆な申し出だな?」


クロヴァンが片眉を上げる。


「……それだけじゃない。彼女は組織に協力する際の条件も提示してきた。『自分の直接の手下になる集団と、物品の売買ルート、活動拠点を要求する』と」

「ほう……?」

「その時、魔女が要求したのが、根城に彼女を引き連れて来たウチの下っ端のチンピラ集団……当時は確か『ダボンバーズ』って名乗ってたか? で、そいつらの頭を張ってるのは『バルナタン』ってやつだ」

「バルナタン……知らねぇ名前だな?」


ガストリックは鼻を鳴らした。


「まぁ、下っ端だったからな……」

「だった……?」


それを聞いたガストリックが、首を傾げる。


「……オヤジは、当時縄張り争いをしていた新興組織『ランキュニエ・ベット』を潰すことを条件に、これを了承した。そしてロビーでの一件で実力を感じ、その魔女のことを『客人』扱いとする事に決めた」

「……なるほど、な。『客人』扱い……。顔や姿は知っててもいいが、身内でも、あまり詮索するなって事か。それに、オヤジがその取引を飲んだのは、魔女の力が本物だと見抜いたからか……?」


クロヴァンは納得したように呟いた。


「それだけじゃねぇ……」


ブロワールは、指を組んだまま視線を上げる。


「オヤジはその魔女……魔法を使う事と、着ていた仕立ての良い服から、貴族の令嬢だと睨んだらしい。その特徴的な髪の色から、どこの貴族の家の者か特定するように俺に命じた……」


クロヴァンは腕を組んだまま、深く考え込む。


「貴族……か。確かに、その条件に当てはまるとしたら、普通に考えればどこかの貴族の令嬢だろうな?……なるほどな……貴族なら、いずれ何かに利用できるかもしれねぇからな?」

「……王国の貴族の子供は、大体、魔法を学ぶために王立学院に通うって聞くだろう?だから俺は、手っ取り早く調べるため、学院に目をつけた」


クロヴァンは同意するように頷く。


「俺はそれから週末になると、繁華街に遊びに降りてくる学院の生徒達を部下と共に見張った……」

「それで? 結果は?」


ガストリックがニヤニヤしながら問いかける。

ブロワールは、深く息を吐き、苦笑した。


「……結局、『菫色の髪』の令嬢は見つからなかった」

「……はははッ!」


ガストリックはやっぱりな、というように笑う。

薄明かりが広がる室内で、ブロワールは淡々と語り続ける。


「……暫くして、その魔女は動いた」


クロヴァンとガストリックは黙って耳を傾ける。


「ここに顔を見せたと思ったら、『ランキュニエ・ベット』を速攻で潰してみせたんだ。オヤジはその褒美に、活動拠点となる不動産……建物を一つ与えた」

「ほう……」


クロヴァンが小さく唸る。


「それから、その建物を部下になった『ダボンバーズ』に掃除させて、本人は暫く姿を見せなくなった」

「まったく姿を見せなかったのか?」

「ああ。一、二ヶ月ほど、ぱったりと消息を絶っていた」


ブロワールは目を細める。


「だが、9月に入った途端、急に姿を見せた。その時、こちらが潰して欲しい集団として三つの組織を指名した。魔女はその中から『クリミネル』を選んだ」


「……クリミネル?」


クロヴァンの表情がわずかに変わる。


「……例の贋作騒ぎの一件だ。魔女は、その日のうちにそいつらを燃やして片付けてしまった」

「おいおい、『クリミネル』っていやぁ……俺らが手に入れた美術品や骨董品を、闇の経路で売りさばいていた、ウチの組織の一つじゃねーか?」


クロヴァンは片眉を上げながら、驚き混じりに言った。


「……あいつら、贋作にまで手を出してたのか?」

「そういうこった」


ブロワールは肩をすくめる。


「ウチとしては膿を出すことができたし、外部には“ウチも襲われた被害者”だと喧伝することもできた。一石二鳥を狙ってたが、その通りに事が進んだよ……」


クロヴァンは「なるほどな」と呟きながら、天井を仰ぐ。


「それに、魔女にくれてやった『ダボンバーズ』って連中が、その時に集団の名前を変えた」

「名前?」

「ああ。『ファイエルブレーズ』って名前に、な?前のがダセえからって、魔女が決めた名前らしい」


ブロワールは指先で軽く机を叩く。


「その時に魔女の依頼で、表向きは”ウチと縄張り争いをしている新興の組織”って噂を流すよう頼まれた。だから、その通りにしてやった」

「……ああ、その集団名、部下と飲みに行った時に聞いたことがあった気がするな?」


クロヴァンは思い出すように頷く。


「アレは、お前が流した噂だったのか……」


ブロワールは、ニヤリと笑う。


「それから一週間か、十日ほど経ってからだったか……次は『カッコバルクルー』を潰してくれた」

「ほぉ……地下賭博をやってた所だったか?」

「……悪くない速度で目障りな組織を順調に潰せて行けている事については、オヤジも喜んでいたよ」

「……ったく、派手なヤツだな」


クロヴァンは苦笑いを浮かべる。


「あの魔女は、一旦動き出すと、とにかく仕事が早い……」


ブロワールは、天井を見つめながらぼそりと呟く。


「それにな……あいつ、何か行動を起こす時は必ずウチに了承を取ってから物事を進めてたし、最初に約束した『制圧時に接収した財宝や証文等(おたから)の半分をウチへ上納する事』も、誤魔化すことなくキッチリと収めていたんだ……」

「……へぇ、律儀なこった」


クロヴァンは鼻を鳴らす。


「つまり……その魔女の律儀な行動に、普段なら用心深いお前が……()()しちまったんだな……?」


ブロワールは少し悔しそうに頷くが、すぐに顔を上げて冷静な眼差しで彼を見る。。

クロヴァンは腕を組んだまま、考え込むように口元を押さえる。


「話を戻すぞ……。『カッコバルクルー』の上がりがよほど美味かったんだろうな?『ファイエルブレーズ』はヤツらの背後にいた連中の恨みを買ったようで、『カッコバルクルー』が潰れて三週間くらい経った頃……『ファイエルブレーズ』の拠点が襲われたらしい……」


ブロワールは意味深に笑った。

思わずクロヴァンの目が細くなる。


「……それで、どうなった?」

「まぁ、なんとか撃退したみたいだったがな?」

「それだけ……か?」

「……いや、その日のうちに、どこぞの貴族の屋敷が燃やされたらしい」


言葉が途切れ、暫くの間、部屋を沈黙が支配する。


「……まさか!?」

「ああ……いや、きっと『ファイエルブレーズ』の()()()()()だろうな……?」


部屋の空気は重いままだったが、クロヴァンはやれやれと肩をすくめた。


「まぁ、魔女との馴れ初めは分かった。俺が知りたいのは、南との抗争の推移だ。そろそろ教えてくれ」


ブロワールは少し頷き、


「ああ、分かった」


と言い、深く息をつくと、話し始めたのだった。



                      ◇



「……んで、その話に出てた魔女サンは、主力部隊に参加してくれたんだろ?かなり有利に戦闘が進んだんじゃねーか?」


と、クロヴァンが聞いてきた。


「俺もオヤジに『例の魔女がいれば……』って言ってみたんだが……」


ブロワールはそこで一度言葉を切り、軽く息を吐いた。拳を握りしめたまま、僅かに視線を落とす。


「……オヤジは、その考えを一蹴したよ」

「……だろうなぁ。ハハッ!」


ガストリックは笑い声を立てた。


「オヤジは(いくさ)の『機』を重視していた。”ここに居ない者を当てにするのは愚策”だと切り捨てたんだ」

「……オヤジらしいなァ!」


ガストリックがクククッと笑う。


「魔法無しで勝利し、貧民窟全域の支配者としての『正当性』と『力』を誇示する――それが、オヤジの考えだった」

「……確かに、誰の力も借りずに勝つことで、よりエクリプスノワールの存在価値と影響力を高めるわけか」


クロヴァンは納得したように頷く。

ブロワールは背もたれに寄りかかりながら、疲れたように息をつく。


「決戦の数日前から色々あったが、まぁそこは省くぜ?今聞きたいのはそこじゃないだろうしな」


クロヴァンは軽く笑い、肩をすくめる。


「ああ、助かる」


それを聞いて、ブロワールは足を組み、ゆっくりと説明を始めた。


「……南の組織の出撃の時機を、オヤジが俺ら幹部に言いに来た。多分、オヤジが南に潜ませていた間諜から知らされたんだろうな」

「ほう……」


クロヴァンが少し眉を上げる。


「だから、オヤジはこれを好機と見て号令をあげ、俺達は敵に先んじて出撃した!」


それを聞いたガストリックが低く笑う。


「へへっ、さすがディナルドのオヤジだな。待つんじゃなく、先に仕掛けたってわけか……!」

「ああ。そして、それまでの工作が功を奏したのさ……」


ブロワールは淡々と続ける。


「俺が色々と動いて、貧民窟の西と東の中小の組織の連中をうまく抱き込んで、半分傘下のような状態にしていた。そこまでは俺の計画通りだった。その時点では、俺達エクリプスノワールは南を凌駕する一大勢力になっていた……」


クロヴァンは腕を組みながら、感心したように口笛を吹く。


「つまり、こっちは準備万端だったが、向こうはまだ準備不足だったってわけか……」

「まぁ、そういうことだな」


ブロワールは足を組み直すと、続ける。


「開戦当初、エクリプスノワール(こちら側)が兵隊の数と共に圧倒していた……」


ブロワールは机の上で軽く指を叩きながら続ける。


「意気揚々と南の支配域に攻め込んだ俺らは、準備の整っていない敵の小規模な拠点をいくつか落として、波に乗っていた……」

「へぇ……いい感じに進んでたんじゃねぇか」


クロヴァンが満足げに呟く。


「……その勢いのまま、『フォコン・オブスキュール』の三つの重要拠点の内の一つ、(フォール)(・ドゥ・)(ロンブル)を攻めた」

「あの拠点か……」


クロヴァンは顎に手を当てる。


「そこは確か、南の連中が長年防衛を固めていた、まるで要塞の様な拠点……と、噂で聞いていたが……」

「ああ、実際……守りは堅かった」


ブロワールの表情が険しくなる。


「そこを俺らが攻めあぐねていると、フェルシス率いる敵主力の援軍が到着したんだ……」

「……なるほどな」


クロヴァンの口元が歪む。


「そりゃ、簡単には落とせねぇわけだ」

「オヤジの命令で、一度、俺達の主力はその場から少し引いた。そして、しばらくの間、睨み合いが続いた……」

「膠着状態ってわけか?」

「ああ。でも、オヤジはそのまま突っ立ってたわけじゃねぇ」


ブロワールはニヤリと笑った。


「この状態を利用して、オヤジはお前に東地区の小・中の集団の指揮権を与えた。なぁガストリック?」


ガストリックが口元を隠していた手を下ろし、不敵に笑う。


「へっ、あの時の話か……!」


クロヴァンはガストリックの方を見やる。


「つまり、睨み合いの間に、南の他の拠点も攻めさせたってことか」

「その通り。オヤジは、『フォコン・オブスキュール』の三つの重要拠点の一つ、(トゥール・)(ドゥ・ラ)(・ニュイ)を攻めさせた……」

「……なるほどな。前線を維持しながら、敵の別拠点を削る算段だったわけか」


クロヴァンは苦笑する。


「ディナルドのオヤジも、手の込んだことしやがるぜ」

「だが、南の連中もバカじゃなかった……」


ブロワールは少し身を乗り出す。


エクリプスノワール(うちら)の兵隊が減ったのを好機と見て、フェルシスが主力を率いて攻めてきたんだ」

「……ッ!」


クロヴァンも身を乗り出す。


「そいつは……その攻撃を受けて、お前らは大丈夫だったのか!?」

「オヤジはそれを利用して、逆に前線を押し上げた……!」

「……!!」

「フェルシスは、こっちの兵力が削がれたと思って攻め込んできた。だが、オヤジはそれを読んでたんだよ」


クロヴァンはしばし沈黙し、それからゆっくり息を吐く。


「……相変わらず、ディナルドのオヤジは先を見てやがるな」

「だろ? 勢いのまま、そのままいけば、勝利は確実に俺達にあった!手に届く所にあったはずだったんだ……」


ブロワールの言葉に、クロヴァンは眉をひそめた。


「……何があった!?」

「前線で指揮を執っていたオヤジが突然、発作を起こしたんだ……」

「……ッ!!?」


クロヴァンの目が大きく見開かれる。


「おいおい、それは……」

「……予想外だった」


ブロワールは低く呟いた。


「俺らの主力は大混乱に陥った。指揮系統が崩れ、前線は一気に危うくなった……」

「ディナルドのオヤジは……?」

「護衛に守られて、根城へ撤退した……」


クロヴァンは拳を握る。


「……それで?前線はどうなった!?」

「俺が引き継いだ」

「……お前が?」

「ああ。ある程度時間が掛かったが、混乱に陥った主力部隊を何とか立て直す事には成功した……」


ブロワールの目が静かに光る。


「……そしてその後暫く、お互い一進一退が続いた。俺は考えた。このままの状態が続けば、こちらがジリ貧になるだけだ、とな。ならば――敵の首領『フェルシス』を討ち取る!そうなれば形勢は一気に覆る……!」


ブロワールは唇を歪め、拳を握る。


「そう決心した俺は仕掛けた!前線を押し上げ、フェルシスを真正面から引きずり出すように戦場を誘導した。アイツは自尊心の塊に違いない……!こっちが堂々と首を狙いに行けば、必ず応じてくる―――前線で指揮を執ってヤツと戦っている内に、俺はそう確信した……!」


彼は一拍置き、鋭い眼差しで続ける。


「そして―――ついに奴が前に出てきた!そうなれば話は早い。あとは俺が奴を斬るだけだった……!」


ブロワールは深く息を吸い込むと、力強く言い放った。


「俺は敵の首領『フェルシス』と、両組織の命運を賭けた一騎打ちをしたッ!」


ガストリックが大きく笑った。


「俺がいない間、そんな事になってたのかよ。ハハッ! ようやく面白ぇ話になってきたな!?」


クロヴァンはため息をつきながらも、口元に薄い笑みを浮かべた。


ブロワールは拳を握りしめ、沈痛な表情を浮かべた。


「……続けるぞ」


彼の声には、これまでとは違う重みがあった。


「俺が敵の首領『フェルシス』と一騎打ちをしてる時には既に、オヤジは敵の精鋭部隊によって(タマ)を取られていたらしい……」


クロヴァンとガストリックの表情が僅かに変わる。


「……その時、オヤジの護衛をしていた幹部の一人、『ステフレッド』も討ち取られたんだろう」

「……チッ」


クロヴァンが忌々しげに舌打ちする。


「だが……その時の俺は、そんなことは知る由もなかった……」


ブロワールは視線を落とし、苦々しく続ける。


「俺は一騎打ちで……あと少しでフェルシスに止めを刺す所だった……!剣を交え、隙を突いて奴の剣を弾き、無防備になった奴の首に必殺の突きを……!だが、その瞬間―――」


吸い込んだ息を深く吐き、そして、悔しそうに叫ぶ!


「『ディナルドをッ! 我が精鋭達が討ち取った!!』と、敵の伝令が、大声で報告を伝えてきやがった!俺は思わず動揺した。その所為で剣の切っ先がずれて狙いが外れ、奴の肩当てに……ッ!!」


ブロワールは歯を食いしばりながら、拳を握る。


「……ッ!?」


ガストリックが組んでいた手を強く握る。


「……その報告が広がると、ウチの兵隊の士気が一気に低下した。無理もない。オヤジが発作を起こした時点で、一度部隊の士気は崩れかけていた。そこへきて敵の伝令の報告が衝撃的過ぎたんだ……。兵隊達の間にざわめきが広がり、前線の秩序がみるみる崩れていった――。まるで、支えを失った建物のようにな……」


それを聞き、クロヴァンが鋭く眉をひそめる。


「一番最初に逃げ出したのは、オヤジが根城の方へ撤退してから動きの悪くなっていた西の連中だった。ヤツらはそれ以降、何度使いを出しても『状況が悪い』だの『時期を見ている』だの、言い訳ばかりしてやがった。結局、最後まで動かなかった。……今思えば、この時点で敵の工作によって向こう側に懐柔されていたのかもしれねぇ……」

「クソが……!」


ガストリックが低く呟く。


「西の奴らの撤退に釣られ、主力部隊の中からも逃げ出す者が出始めた……」


ブロワールは天井を睨むようにしながら、拳を握った。


「俺も、オヤジの死の報告に一瞬動揺した。だが俺は『オヤジがそう簡単にくたばるハズがねぇ!!』と、味方を鼓舞し、心の中では、「自分の目で見るまでは信じねぇ!」と、何とか戦線を維持しようと努めた……結局、無駄だったがな……」


ブロワールは「ふぅ―――」っと、ため息を吐く。


「戦況は一気に不利になった。俺らの主力部隊は、この時点までで大損害を被っていた。昨日、下の連中からの報告を受け、集計をしていて分かった事だが、被害は全兵隊の三割を超えてたぜ……」


クロヴァンが深く息を吐き、目を細める。


「お前、昨日ちゃんと寝たのか……?」


ブロワールは「フッ……」と軽く笑うだけで、明確には答えなかった。そして、話を続ける。


「……ここで、俺は苦渋の決断をした。主力部隊の撤退を決めた」


ブロワールの声は低く、しかしはっきりとしていた。


「まぁ……そんな状況なら、仕方ねぇよな……?」


クロヴァンは静かに言った。


「ガストリックの方にも、撤退を知らせる伝令を走らせた」

「……ああ、ブロワールが前線から撤退するから、こっちも撤退しろってな。あとディナルドのオヤジが死んだってのも一緒に書いてあったからな。そん時、初めて知ったぜ」


ガストリックが目を瞑り、黙祷を捧げる。


「セヴラルドと、その直属の部下達が、前線で“殿”を務めて時間を稼いでくれた。おかげで、俺と残った主力部隊の大半は、壊走することなく生き延びることができた……。結局、セヴラルドは根城に帰ってこなかった……後で生き残ったヤツの部下から、その死に様を聞いたンだ……。俺と主力部隊は、疲れ果てた脚で根城を目指した……」


クロヴァンもガストリックも、一切言葉を挟まない。


「北と南で力の拮抗を誇示していた『エクリプスノワール』と『フォコン・オブスキュール』は全面抗争に突入し―――」


ブロワールは深く息を吐く。


「―――前線での戦いにおいて、手痛い敗北を喫してしまった……」


部屋の中に、重苦しい沈黙が広がったのだった。



                      ◇



クロヴァンは腕を組んだまま、静かに呟いた。


「……そりゃ、おめえ……キツかったな」


ガストリックはブロワールの所へ歩いて行き、優しく肩に手を置く。


「俺らの稼業で組織同士がガチで抗争したなら、普通……そこで終わるよな?前線からそこまで距離も離れてねえ、態勢を立て直す時間もねえ……と、くりゃぁ、その後、勝った方に根城ごと組織を徹底的に潰されて終わりだ。まぁ……お前が南に勝ったって言ってんだからよ……そこで、まだ終わっちゃいねぇよな?」


そう聞いてくるクロヴァンに対して、ブロワールはゆっくりと目を閉じ、低く呟く。


「ああ……まだ話は終わっちゃいねぇ……」


ブロワールが再び目を開けると、その目には炎が宿っていた。


「……さっきも少し話したが、根城まで俺らが戻った時、目にしたのは……」


ブロワールは僅かに目を閉じ、息を吐く。


「南のヤツらによって、広場で何本もの槍に串刺しにされ、晒されたオヤジの遺体だった」


クロヴァンとガストリックが静かにカップを置く。


「……クソが」


ガストリックが低く呟いた。


「俺はその場で誓った。必ず仇を討つと……!!」


ブロワールの声には、いつになく激しい感情が滲んでいた。


「根城に入ると、中でも戦闘があった形跡が残っていた。仲間の遺体がいくつも転がり、血の海が広がっていた。その中には護衛者(エスコートール)達のものもあった……」

「……あの連中までやられたのか」


クロヴァンは険しい顔をする。


「オヤジの寝室には、何本もの剣が突き刺さったまま、床に転がったステフレッドの遺体があった」

「ステフレッド……」


ガストリックは拳を握りしめる。


「奴も、オヤジの最後を看取ることになったってわけか……」

「……どうだろうな?そうだと……いいよな」


ブロワールは静かに呟いた。


「そして、そこへ……例の魔女が来た」


クロヴァンは眉をひそめる。


「その機会で、か!?」

「ああ」


ブロワールは自嘲的な笑いをした。


「その時の俺には、彼女の魔法(ちから)がどうしても必要だった……!」

「……それで?」


クロヴァンが続きを促す。


「俺は、魔女に頼み込んで協力を打診した……」

「へぇ……その魔女が、簡単に力を貸したのか?」

「……もちろん、見返りを要求してきた」


ブロワールは少し口元を歪める。


「俺は、金や宝飾品、彼女の喜びそうなモノなら何でも差し出すつもりだった……」

「それで?」

「だが、そんなモノには興味がなかったらしい。魔女は、代わりに『ある条件』を出してきたんだ……」

「……条件?」


ブロワールは肩を竦める。


「彼女が出してきた条件、それは……『俺』だった」

「……は?」


クロヴァンの目が点のように小さくなり、動きが止まる。


「正確には、俺個人が、彼女の集団に欲しいということだった」


沈黙が落ちる。


……そして。


「……っはははは!!」


ガストリックが突然、大笑いした。


「マジかよ!? お前の言ってた魔女、お前が欲しかったのかよ!?」


クロヴァンも堪えきれず、ニヤリと笑う。


「……ぷっ……ははっ、確かにお前、女にモテそうな顔をしてるが……いや、それにしてもなぁ……?」

「笑えねぇ……」


ブロワールは渋い顔で溜息をつく。


「……こっちは真剣に交渉してたんだぜ?」

「すまねぇ、でも……っ。くくっ、いやぁ、さすがに驚いたな」


クロヴァンは肩をすくめる。


ブロワールは再び表情を引き締める。


「話は戻るが……。オヤジは剣も強かった。雑魚に殺されることはありえねぇ……オヤジを殺したのは、敵の完全武装の精鋭部隊だったに違いねぇ……」


クロヴァンが頷く。


「まぁ、そうだろうな?」

「そんな連中が、俺らの支配域である北、東、西の各地区のどこかを通ったら、誰かの目につくはずだ……」


ブロワールは低い声で続ける。


「だが……そいつらは、素通りして根城まで来た……」

「……つまり?」

「この時、中央は前線になっていて人の目が多くバレずには通過できないからこの経路はさすがに無い。東はガストリックに心酔してる奴らの支配域だ。不法侵入した部隊が目についたならすぐにガストリックに一報入れたはずだ。それ以外だと、貧民窟の外を回る経路もあるが、完全武装の集団が移動してたら、巡回している衛兵に不審がられ、最悪、追いかけまわされて任務どころではなくなる。残ったのは西地区。ここの連中がダンマリを決め込んだからこそ、南の特殊部隊が難なく通過し、根城まで来れたに違いない。俺は西の連中が『裏切った』と確信した!!」


クロヴァンは静かに目を細める。


「……やっぱりか」

「東はガストリックが直接率いていたからな。俺は端から思考から除外していた」

「西の連中、やっぱりクソだな……」


ガストリックは不機嫌そうに舌打ちした。


「……彼女と話している内に、俺らの支配地域の最南端にある拠点『ソイユ・デ・テネブ』が陥落間近との(しら)せが入ってきた」


クロヴァンの表情が険しくなる。


「……チッ、そんなに早く?」

「ああ。敵の侵攻が迫ってきていた……」


ブロワールは低く言う。


「こちらの残存の兵隊は、戦いの当初に比べて大幅に減っていた。西が敵側についた時点で、戦力としても半減もいいところ……いやそれ以下だっただろう……」

「主力は、そこまで戦力がガタ落ちしてたのか……」


ガストリックが溜息を吐く。


「主力部隊に残っている兵隊も、負傷者の方が圧倒的に多かった。こちらの兵隊達には厭戦気分が蔓延し、逆に南の連中は連戦連勝で士気も高い……。まともにやり合っても、勝てる見込みは……」


そこで一旦言葉を切ると、ブロワールは顔を下に向け、ギリリ……と、握り拳に力を入れる。


「俺には決断が迫られていた。俺は―――」


部屋の中に、再び緊張が満ちた。

ブロワールは、重々しく息を吐く。


「迷いに迷った……」


静かに語り始めた言葉には、未だ消えない迷いと苦悩が滲んでいた。


「魔女に提示された、たった一つの条件……」


クロヴァンとガストリックが、じっと彼を見つめる。


「それは、『エクリプスノワール』を捨て、彼女の率いる集団『ファイエルブレーズ』に身を投じること……それを受け入れるかどうか、深く苦悩した……」


ブロワールは、テーブルに両肘をつき、手を組んで口元を隠すようにして話を続ける。


「俺は、彼女の魔法の力を垣間見たことがある……」


ガストリックがすぐに口を挟んだ。


「さっき言ってた、初めて魔女が根城(ここ)に乗り込んできた時のことだな?」

「……ああ」


ブロワールは苦々しげに頷く。


「あの時の光景は今でも忘れねぇ……」


彼は遠い目をしながら続けた。


「俺はその時の事を思い出しながら、単純に皮算用した。もし、あの炎の精霊を敵部隊のど真ん中で暴れさせ、彼女の魔力の限界まで火属性の魔法『爆裂火球エクスプロジオン』を撃たせ続ければ、相当な数の敵兵を削れるだろうと……」


クロヴァンが腕を組む。


「つまり、その力があれば、ウチの残存部隊でも戦局を覆せると考えたわけか」

「……そうだ」


ブロワールは苦笑する。


「南のヤツらに無く、こちら側にしかない彼女の『()()()()()()()()()』は、その時の俺達にとって必要不可欠だった……!」


ブロワールは、ギリリ……と音が聞こえるほど強く拳を握る。


「だが……彼女の力を借りるには、『エクリプスノワール』を捨てることになる……か」


クロヴァンが険しい表情をする。


「……オヤジも居なくなり、幹部も二人減った所に俺まで組織を去ったとしたら……混乱した『エクリプスノワール』はどうなる? 残された者達は!? ……それが、不安で仕方がなかった……ッ!」

「……」

「……だが、彼女の出した条件を拒めば、オヤジの敵討ちは遠ざかる……。そんな悩みを抱えたまま答えを出せなかった俺に、彼女は言ったんだ」

「『簡単な解決方法がある』、と」

「……?」


クロヴァンが僅かに眉を寄せる。


「彼女は……こう提案してきた……。『組織の名前を変えればいい』……と」

「……なんだと?」


クロヴァンとガストリックが同時に驚きの声を上げる。


「『『エクリプスノワール』を『ファイエルブレーズ』に変える。どう、簡単でしょう?』……と、そう言ってきたんだ」

「そりゃまた、随分と大胆な話だな……」


クロヴァンが口元を押さえながら呟く。


「続いて、彼女はこう言ったんだ。『エクリプスノワール』って組織名は、ディナルドのモノでしょう?』

「……」

「そして、『南との抗争で貴方が指揮を引き継いだ時、誰も文句を言わなかった時点で、この組織のトップは、実質貴方』だと」


ガストリックが鼻を鳴らす。


「ふん……そりゃまぁ……間違っちゃいねぇな?」

「『その貴方が、貴方の目的を果たすために必要なことだから、組織を再編するために名前を変える。別におかしいことはないし、誰も損をすることがない』……とな」

「……理屈は通ってるな」


クロヴァンが低く言う。


「……さらに彼女は、こうも言った。『首領のディナルドは亡くなり、この本拠地は死体の山。幹部も結局、何人残ってるの? 実質、エクリプスノワールは終わったも同然』だと……」


クロヴァンとガストリックが顔を見合わせる。


「……なるほどな」


クロヴァンは肩をすくめた。


「現実を突きつけてきた、ってわけか……」

「俺は、取ってつけたような反論をしたが……悉く言い負かされた」


「まぁ、そうだろうな」と、ブロワールは皮肉げに笑う。


「それで、お前達との相談もなしに、心の中でオヤジに謝りながら――組織の名前を変えることを決断した!」


クロヴァンは静かに目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。


「……まぁ、そうなるよな」


ガストリックは腕を組み、天井を仰ぐ。


「ふん!だが、口約束だけってわけにはいかなかったんだろ?」

「……ああ、そうだ」


ブロワールは、冷静な口調に戻った。


「彼女は、口約束だけにならないようにと、書面による誓約書を書くように要求してきた。だが、俺も彼女に対し、一つだけ条件を出した」

「……ほう?」

「『組織の名前を変える時期は、俺の都合でやらせてもらう』、『残っている他の幹部にも知らせて、合意を取ってからだ』、とな」


クロヴァンとガストリックが、ブロワールを見る。


「「……お前らしいな」」


二人の言葉が被り、クロヴァンとガストリックが「ははは!」と、笑い合う。


「それで、魔女の反応は?」

「了承したよ。ただ……『あまり遅くならないようにね?』と、クギを刺されただけだった」


ブロワールは肩をすくめ、苦笑を浮かべながら続きを語り始めた。


「彼女は書類に続き、魔法による契約も望んだんだ……」


クロヴァンが片眉を上げる。


「魔法の契約?」

「ああ。『私と貴方の間にだけ効力を持つ魔法』だと言っていた。契約を破ると、俺が酷い頭痛に襲われる魔法らしい」


ガストリックがニヤリと笑う。


「ははっ、そりゃまた妙な縛りをかけてきたもんだな?」

「……まぁ、いざという時に逃げられないように、ってことだろうよ」


ブロワールはカップを口に運び、一息つくと、話を続けた。


「魔法の契約を交わすと、ようやく彼女はやる気を出してくれたぜ……」


ブロワールは皮肉げに笑う。


「俺と魔女は根城から出撃し、根城の前で最終防衛線を張る俺達の主力部隊の元へ向かった」

「おおっ、いよいよ……って感じだな?」


クロヴァンが腕を組む。


「そこへ――フェルシス率いるフォコン・オブスキュールの主力部隊と、西地区を通ってきたらしい西方部隊が広場へ現れた」

「……なるほど、両陣営が揃い踏みってわけか」


ガストリックが面白そうに口元を歪める。


「フェルシスが何かを宣言していた……と、思うんだが、すっかり忘れちまった。ハッ!」


ブロワールは軽く鼻を鳴らした。


「……まぁ、どうせ俺達を脅すか、勝利を確信した演説でもしてたんだろう」

「フンッ、くだらねぇ……」


クロヴァンが肩をすくめる。


「だがな、奴の宣言が終わる頃、こちらも魔女が動いた……」


ブロワールはゆっくりと指を鳴らす。


「炎の精霊の召喚――それが、戦いの始まりだった」


「フェルシスの命令で、フォコン・オブスキュールの主力部隊と西方部隊が、両側から一気呵成(いっきかせい)に突撃してきた!」

「来たか……!」


ガストリックが楽しそうに呟く。


「俺らの主力部隊は、彼女の手振りと俺の命令で、真ん中から左右に割れるように後退した」


クロヴァンが目を細める。


「中央を開けたってことか?」

「そういうことだ」


ブロワールはニヤリと笑う。


「そこで、彼女の一つ目の魔法が発動した」

「……ほう?」

「彼女の周囲に、十数個の白熱する火球が生み出された……」


クロヴァンとガストリックが興味深そうに耳を傾ける。


「そして、彼女が大げさに手を水平に振ると―――。白熱する火球から、少し小ぶりな火球が次々に連続で発射された。それは白い軌跡を描きながら、敵の両部隊の前衛周辺に降り注ぎ―――着弾の瞬間、爆裂したッ!」


ブロワールは飲み物を一口飲むと、静かにカップを置く。


「……土煙と炎が舞い上がり、地面が吹き飛んだ!敵の進行は、一瞬で鈍った。……だが、それだけじゃ終わらねぇ」


ブロワールは少し息をつき、続けた。


「爆発する火球の連射で敵部隊の突撃を止め、混乱に陥らせ、時間を稼いだ彼女は―――さらに強力な魔法を唱えたんだ……!」


クロヴァンが興味深そうに目を細める。


「二つ目の魔法が放たれた。彼女の正面に迫る中央侵攻部隊の中心に―――突如、光球が浮かび上がった。眩い光を放ちながら、瞬く間に膨れ上がり、轟音と共に、爆ぜた。爆炎が四方に奔り、熱風と共に敵兵に襲いかかっていった。巻き込まれた兵は一瞬で燃え上がり、弾け飛び、力尽きていった。周囲にいた兵士達は、まるで木の葉のように吹き飛ばされ―――まさに地獄絵図だったぜ……」

「……っへぇ」


ガストリックがニヤリと笑う。


「まぁ、だが敵も根性があった。南の連中にしてみれば、実際に被害にあったのは主力全体の、ほんの一部だしな……」


ブロワールは軽く首を振った。


「勇敢なのか、馬鹿なのかは分からねぇが、奴らは恐怖を振り払いながら再び突撃してきた。……そこへ、魔女から三発目の魔法よ……」


クロヴァンとガストリックが無言で続きを促す。


「長い長い魔法の詠唱が終わると、彼女が突き出す手の先に魔力の光が螺旋を描くように集中していき―――」


ブロワールは目を瞑り、その時の光景を思い出しながらゆっくりと目を開く。


「それが臨界に達し、眩く輝いた時―――耳を劈く轟音と共に、夜の闇を明々と照らす極太の一条の眩い光がほとばしったんだ!」


クロヴァンの表情がわずかに強張る。


「その光は突撃していた多数の敵兵を一瞬で飲み込み、その後ろに広がる建物群へと直撃した!直線状に並んでいた数十という建物が―――その光が消えた後、文字通り……消滅していたんだ」

「……っ!?」


ガストリックが目を見開く。


「まるで……この世のものとは思えねぇ光景だったぜ……」


「さすがの敵も、そんな魔法……三発も連続で受けたら―――」

「……ああ。突撃を敢行していた南の兵隊達の足は、完全に止まった」


ブロワールは、ふっと息を吐く。


「……たった三発の魔法で、敵の全軍突撃を止めたんだぜ?」

「そりゃあ、痺れるな……」


クロヴァンが腕を組み直しながら呟く。


「今思い返しても、ゾクゾクするほど圧倒的な威力の魔法だった……」


ブロワールの言葉に、静かな余韻が漂う。


ブロワールはゆっくりと息を吐き、まるで脳裏に焼き付いた光景をなぞるように語り始めた。


「お前ら、信じられるか?何十人……もしかしたら百人を超えてるのかも知れねえ……そんな人数の兵隊を一瞬で蒸発させたってのによ、魔女は……最後の魔法を撃った後、愉悦の表情を浮かべてたんだぜ……?」


彼は乾いた笑いを浮かべた。

クロヴァンが目を細めて呟く。


「……化け物だな」


ブロワールはさらに話を続けた。


「俺は今まで冒険者ギルドを通さずに“魔術士”に直接仕事を依頼したことがあった。彼らが実際に現場で使う魔法も見てきた。その威力や性質についてはある程度理解しているつもりだった。だが……彼女のそれは、どれとも違った……」


ガストリックが興味深げに身を乗り出す。


「どれくらい違ったんだ?」

「敵味方の心に絶望をもたらす程の圧倒的な破壊力、想像を遥かに超える衝撃の魔法だった。現役を引退して、冒険者ギルドに登録して余生を過ごしている老魔術士が使う魔法なんかとは、次元がまるで違う。別物だ」


「……へぇ」


クロヴァンがカップを持ち上げ一口飲む。


「それに、彼女の少女のような外見とは裏腹に、誰に対しても物怖じしない態度や口調は―――まるで支配者階級のような尊大さや傲慢さを感じさせるものだ」

「なるほど……」


クロヴァンはカップを置き、沈黙する。


「ああ、話が逸れたな。すまん。続けよう」


ブロワールは片手を上げ、簡易な謝罪をする。


「……その戦場に居る者は、緊張と恐怖に囚われたかのようだった。まるで金縛りにあったみてぇに、一切動くことができなくなっていた……」


ブロワールは静かに続けた。


「だが――その中を、彼女だけが悠々と歩いていた……」


クロヴァンとガストリックが息を呑む。


「敵の中で、装備が一際(ひときわ)目立つ敵の首領・フェルシスの元へと、な……」

「……うへぇ~……ヤバいな。そんな状況……俺ならチビっちまいそうだぜ」


などと、ガストリックが茶化すようにして笑う。


「その時、フェルシスが確か叫んでいたな……。そう、『貴様! 一体何者なんだ!?』ってな?ヤツがそう思うのも無理はない……な。俺も、彼女があそこまで強力な魔法を使うってのは全く知らなかった……。そもそも、彼女については……何も知らないに等しいんだからな……」


クロヴァンは微かに口元を歪め、頬をヒクヒクと引きつらせながら口を開く。


「……お前から話を聞いてるだけだが、俺も今、フェルシスと同じことを思ったぞ!?」

「俺もだ……。フェルシス……可哀そうに。今回は相手が悪かったな……」


クロヴァンに続き、ガストリックがうんうんと頷きながら呟いた。

ブロワールは静かに話を続ける。


「その時―――誰かが小さく呟いたんだ……『紅蓮の魔女……』と。最初はただの呟きだったに違いない。だが、他の者がそれを耳にした瞬間、広場中に波紋のように()()は広がって伝播していった。口々に、紅蓮の魔女……紅蓮の魔女……紅蓮の魔女……とな……」

「まるで呪いのようだな……」


クロヴァンが低く呟く。


「そして、彼女はまた魔法を唱えたんだ……その魔法が発動すると、地上から優に10カンヌ(約30m)ほどの高さのある巨大な赤い像が浮かび上がった」


ブロワールの声が静かに響く。


「……ほう?」

「その巨大な像、俺も広場に向かう途中に見たぜ!」


クロヴァンとガストリックが興味を示す。


「その巨大な像は――彼女自身を模したもので、広場を見下ろしていた……」


ガストリックがニヤリと笑う。


「……派手なことが好きだなぁ、魔女サンは、よ?」

「そして、その巨大な像はその場で宣言しやがったんだ……。『私は『ファイエルブレーズ』の主、イスティス……。今この時をもって、この地に新たな秩序を築く。抵抗は無意味である――ただ、私の前にこうべれ、ひれ伏しなさい――逆らう者には平等に死を与え――我が意に従うのなら、その命に情けを与え――助けましょう―――』、ってな……」


クロヴァンとガストリックが顔を見合わせる。


「……なるほどな」


クロヴァンが顎に手を当てる。


「南の残存兵達は、その宣言に盲目的に従い、次々とひれ伏していった……。だが……たった一人、最後まで抗った奴がいた」


ブロワールは静かに言った。


「……フェルシス、か?」


ガストリックが鼻を鳴らす。


「ああ……」


ブロワールは短く頷く。


「……フェルシスは、間合いに入って来た彼女に対し、叫びながら斬りかかった!……だが、ヤツの剣は彼女には届かなかった」


クロヴァンが静かに息を呑む。


「それを阻止したのは――彼女の護衛のように付き従っていた炎の精霊だった。炎の精霊はフェルシスの頭を掴み上げ、そのまま頭部から燃え上がらせた……」

「……」

「」


ガストリックが眉をひそめる。クロヴァンは何も言えなかった。


「……周囲に肉が焦げる嫌な匂いが広がり、断末魔の叫びが響いた。全身に炎が広がり、フェルシスは燃えて炭と化し……ボロボロと崩れていった……。その様子は――巨大な赤い像の幻影にも一部、再現された」


ブロワールの語りが二人の緊張を煽り、クロヴァンとガストリックの二人は無意識のうちに、ゴクリと音をさせ、唾を飲み込んだ。


「フェルシスの死は―――()()を見ていた広場にいた両陣営の兵隊達ほとんどに認識された。それは……この戦の決着がついた瞬間だった……」


クロヴァンは静かにカップを置く。


「……すげぇ話だな」


ガストリックが難しそうな表情を浮かべる。

ブロワールは苦笑しながら、指先でテーブルを軽く叩いた。


「……俺も、魔法で作り出す巨大な幻影は初めて見たんだ。しかも、それが魔女の動きに合わせて動くんだぜ?……あまりの光景に、俺は思わず見入っちまったのさ。呆気に取られてな……」


その声音には未だ拭えぬ衝撃と、感動……そして、苦い後悔が滲んでいた。

クロヴァンとガストリックは無言で彼を見つめる。


「……それほどの存在感があったってことか」


クロヴァンが低く呟く。

ブロワールは静かに頷いた。


「フェルシスの断末魔のお陰でようやく我に返ることができたが……その時、思わず叫んじまいそうだった……」


ブロワールは苦々しげに笑った。


「……俺はその時、大失態を悟ったんだ」


ブロワールは、片手を上げると手を握り、クロヴァンとガストリックに向けて、まず人差し指を立てた。


「まず第一に―――彼女が宣言した『ファイエルブレーズ』という集団名についてだ……」

「……さっきから、何度も出てきてる集団名だな?」


クロヴァンが呟く。


「俺が知ってる範囲では、せいぜい『最近、噂に聞くようになった新興の組織』程度の知名度……だったな」


ガストリックも頷く。


「今日、お前から聞くまで俺も似たようなモンだったぜ?物の数にも入らねえ集団だと思ってたわ」


ブロワールはテーブルに、もう片方の肘を付き、軽く握った手で額を支えると、下を向いて低く笑う。


「……だろうな。 俺もあまり皆には伝える必要を感じていなかったし、俺個人的にも『邪魔な集団の排除に使い易い』律儀な魔女が仕切る、只の下部組織の一つ……という認識だった。だが、それがこの戦場で、()()()()()()瞬く間に全員の記憶に刻み込まれてしまった……ッ」


彼は、次に中指を立てる。……二本目。


「第二に、皆の注目が集まるこの機会に、魔女は巨大な幻影の像を通して宣言した。『()は『()()()()()()()()()』の()……だとな」


クロヴァンとガストリックが、少し表情を引き締める。


「その宣言によって、『ファイエルブレーズ』という集団を知らない者でも……その“主”は『彼女』であると、皆が認識してしまった……」


ブロワールは一拍置いて、最後に薬指を立てた。……三本目。


「そして、第三に―――先程も話した件だが……」


クロヴァンとガストリックは静かに頷く。


「彼女は俺に、提案を持ちかけていた。『エクリプスノワール』の組織名を『ファイエルブレーズ』に変える』という話だ」


ガストリックが鼻を鳴らす。


「お前は確か、その条件を飲んだのだったな……?」

「……ああ」


ブロワールは苦笑する。


「彼女の協力がどうしても必要だった。悩みに悩んだ末、その話を了承した。彼女の言う通り、魔法で契約までした……」


クロヴァンは軽く息を吐く。


「……つまり、魔女は狙っていたんだな。この機会を」

「そうだろうな……」


ブロワールは拳を握る。


「魔女が使った魔法の暴力の記憶が……!その恐怖と共に……!彼女の宣言した『集団名』、『彼女の名』、『彼女の立場』は、皆の記憶に深く、強く、刻みこまれてしまった……ッ!」


クロヴァンは、黙って彼の言葉を聞いていた。


「この先、俺が何を言おうと……これが覆ることも、消えることも、もはや無いだろうな……」


ブロワールは、少し目を伏せた。


「……根城ここにすら、来るとしたら夜に来る……ぐらいしか分からねえし、普段の所在が不明だからな。隙を見て暗殺する事も、難しいだろうよ……。魔女を実力で排除するのも……正直……無理だろう?……と、なると、俺達の中の誰かが組織の次の首領(パトロン)となる道は、完全に潰えたわけだ」

「……」

「この時点で、俺達は彼女の配下になることが、事実上決まったんだ……」


クロヴァンがゆっくりと口を開く。


「今はまだ『エクリプスノワール』が上位の組織で、傘下の下部組織の一つとして『ファイエルブレーズ』がある……」

「だが、この先は―――『エクリプスノワール』という組織が消え、看板が『ファイエルブレーズ』に変わる。つまり……現在空席のエクリプスノワールの首領の地位を、今、俺らの誰かが継いだとしても、名前が変わった時点で……宣言通り彼女のモノになってしまう……ということだ」


そう言ったブロワールの声には、苦々しさが滲んでいた。

ガストリックが腕を組み、鼻を鳴らす。


「違うモンが首領にふんぞり返っていたままだったら、『宣言』を見てた下のモンからの反発があるかもな……」

「……そうだ」


ガストリックが鋭く問う。


「……じゃあ、俺らの……幹部の地位はどうなる?」


ブロワールは深く息をついた。


「そこらへんは、まだ未定だ。だからこそ、交渉の余地がある……ハズだ」


クロヴァンが目を細める。


「……未定、ねぇ」

「彼女次第……とも言えるが……」


ブロワールは拳を握りしめる。


「俺は、出来るだけ俺やお前達の地位や権限を、高く、多く維持・確保できるようにするつもりだ。だから、彼女との交渉を、俺に一任してくれないか?三人の中で、俺が一番会話をしてきている。彼女も安心できるだろう。それが好条件をもぎ取れる可能性を導くと思うが、どうだ?」


クロヴァンとガストリックが顔を見合わせ彼を見る。


静寂が支配する部屋の中で、ガストリックが腕を組み、ゆっくりと口を開いた。


「……じゃ、俺の希望は、現状の幹部の立場を維持……だな?クロヴァン、お前はどうよ?」


彼はクロヴァンの方を見やる。

クロヴァンは短く息を吐き、少し考え込むように指で顎を撫でた。


「……そうだな、下手に変わると色々面倒だからな……俺も、それでいい」


ブロワールはわずかに頷き、ふぅ、と長く息を吐いた。


「では、後は……組織の名前を変える時期だが……どうする?」


クロヴァンとガストリックが、それぞれ腕を組んで思案する。

やがて、クロヴァンが口を開いた。


「魔女は、『あまり遅くならないようにね?』と、お前に釘を刺しているんだろう?」


ブロワールは肩をすくめる。


「ああ、その通りだ……」


ガストリックが軽く舌打ちしながら言う。


「なら、あまり待たせると、お前の交渉の足を引っ張る事になるな……」

「……そうだな」


ブロワールが頷くと、ガストリックがニヤリと笑った。


「……だったら、次に魔女サンが来た時でいいんじゃないか?」


ブロワールはクロヴァンに視線を向ける。


「……クロヴァン、お前は?なんかあるか?」


クロヴァンはゆっくりと頷いた。


「俺も、それでいい……」


ブロワールは小さく笑い、再び息を吐いた。


「わかった。二人がそれでいいなら助かるぜ……」


そう言うと、彼は背もたれに寄りかかり、静かに天井を仰いだ。

エクリプスノワールという名は、間もなく消える。


そして、『組織』に新たな時代が始まる―――。



この決断が、彼らの未来を大きく変えることになるのは間違いなかった。

部屋の中には、これから訪れる変革の静かな余韻が漂っていた。


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