教示
再び、十日前後遡る。
十月三日 土曜。
広場を抜け、石畳の通りを通って配達先に向かっていたシュエット商会の見習い二人は、ふと横道の影に異様な光景を見つけた。二人の視線の先には、王立学院の制服を纏った少女が、屈強なゴロツキに肩に担がれてどこかへ連れ去られようとしていたのだ。その少女の顔は恐怖に青ざめており、口には猿轡をされ、わずかに動く指先が助けを求めるように震えているのが見て取れた。
「おい、あれ……おかしくないか?」
と一人が呟く。もう一人も真剣な顔で頷く。
「あの子の着ている服、あれ、坊ちゃんの通う王立学院の制服じゃないか!?」
「た、確かに!?」
「……まずは管理人に知らせないと。管理人から坊ちゃんに知らせてもらわなきゃ!俺はここからヤツらの後を追うから、お前は荷物を持って急いで商会に戻れ!」
「わ、分かった!」
二人は相談し、大急ぎで計画を立てると、すぐに片方が店へと駆け戻り、残った一人がゴロツキ達の後をつけ、路地の陰から慎重に様子を伺いながら後を追うのだった。
一方、シュエット商会の店舗では、土曜日の放課後に学院から直行したマルストンが、兄の新たな顧客の注文に対応して配送準備を手伝っていた。その後も、店舗の商品を整理しながら手際よく作業を進めていた。そこへ息を切らせた見習いが駆け込んできた!
「何事ですか?そんなに慌てて、一体どうしたんですか?」
マルストンは落ち着いた声で尋ねながら、見習いの若者に気を落ち着かせるよう促す。
だが、見習いは荷物を手に持ったままだったので、マルストンは注意をする。
「はぁ、はぁ、よかった、坊ちゃんがいて……」
「……その手の荷物はどうしたんです?仕事を途中で投げ出して帰ってくるなんて、ダメじゃないですか……」
しかし、見習いは気が動転しているのか、何か焦っているのか荷物を持っている事も忘れ、顔色を失っていた。
「お、俺達……ゴロツキ達が坊ちゃんと同じ学院の生徒らしき少女を……連れ去るところを……!」
と、要領を得ず、急ぎ足で説明をしようとする見習いの言葉に、マルストンの顔が次第に険しくなっていった。
近くにいた店員に声をかけて水を持ってこさせ、彼を落ち着かせるためにコップになみなみと注がれた水を彼に渡して飲ませる。
話の詳細を聞いている内に、事の重大さに気付いた彼は、見習いの持っていた荷物を一旦預かると、他の者に指示を出して配達を交代させる。そして『彼と、その相方は僕が帰ってくるまで店内の仕事をさせるように』と管理人に指示し、『絶対に外回りに出さない様に』と、念を押す。そして自身は、自ら商会の馬車に乗り込み、学院へと急ぎ向かうのだった。
学院に到着すると、マルストンは息を整える間もなく生徒会室に駆け込む。生徒会室の中には、庶務のエルネットがお茶を入れ、書記のセドリック、生徒会長のアルベールが椅子に座り、書類に目を通していた。
「どうしたのだ、マルストン。今日は土曜日……いつものように商会の方へ行っていたのではないのか?」
と、問うアルベールに、マルストンは冷静に状況を伝えた。驚いた表情を一瞬浮かべたアルベールだったが、すぐに表情を引き締め、奥の部屋へと声をかける。
「執行部員の皆、至急だ、集まってくれ!」
当直で待機していた数人の執行部員が即座に姿を見せ、アルベールは彼らに短く状況を説明すると、迅速に生徒会メンバーの招集を命じた。
昼食後、いつもの四人のメンバーで繁華街へ出かける約束をしていたアルメリーは、寮に戻ると準備を整えて寮から外に出る。すると、寮の前にはすでにリザベルトが来ていた。
ティアネットとカロルが来るのを待ちながら彼女と会話を交わしていると、駆けつけてきた執行部員の一人が、息を切らしながら告げる。
「至急、お二人とも生徒会室へお集まりください!はぁ、はぁっ……、会長がお呼びですッ!」
「分かったわ!」
「……はい」
「自分は学院内に残っている他の方々を探して声をかけてきますので、失礼します!」
その言葉に、リザベルトと私はただならぬ様子を察し、表情を引き締めて頷き合う。
緊迫した空気が漂う中、生徒会の役員達はそれぞれが別個に声をかけられ、少女を救うために準備を整え始めるのだった。
◇
生徒会室にリザベルトと共に駆け付けると、部屋には緊迫した空気が漂っていた。役員全員が集まると、執行部副部長のヴィルノーはすぐさま鋭い口調でマルストンに問いかける。
「マルストン、それで……その少女が囚われていそうな場所は分かっているのか?」
緊張に顔を強ばらせながらも、マルストンは必死に答える。
「商会に戻らないと分かりませんが、ウチの商会の若い者がその狼藉者の後をつけていると報告を受けています。多分、判明しているのではないかと……思います」
それを聞き、ヴィルノーは拳を握りしめる。
「会長!すぐに救出に行きましょう!」
アルベールが深くうなずくと、周囲の空気が引き締まる。そこで、ランセリアがふと、心配そうに声をかける。
「その子を保護した時に、寒さをしのぐ毛布の一枚でも必要かしら?」
「じゃ、私が毛布を持っていくわね~♪」
それに応えるように、すかさずエルネットが手を挙げ、愛嬌たっぷりに応える。
エルネットの発言につられたようにセドリックが口を開く。
「では、私は念の為に生徒会として買い取った彼女の作った回復薬等を持っていくとしようか」
テオドルフも勢いよく笑いながら豪快に言い放つ。
「カワイ子ちゃんの救出か!?また俺のファンの子が増えてしまうな?フフフ……」
そんな彼にフェルロッテが咎めるように目を向ける。
「もう、テオドルフ様ッ!」
そして、生徒会長であるアルベールが静かに、だが力強く宣言する。
「……全員、完全武装で準備せよ!用意が整い次第、救出作戦を開始する!」
その声に、生徒会役員たちは即座に応え、声をそろえて力強く叫ぶ。
「「「はい!」」」
アルメリーも、その様子に胸が高鳴り、生徒会役員達への信頼と期待が一気に膨れ上がるのを感じた。
ああ……。さすが生徒会の人達ね!こういう、いざって時にとても頼もしいわ!?
まるでドラマの一場面を見てるようで、つい、自分がその生徒会の一員と言う事を忘れてしまいそうになる。
「アルメリー……私達も……頑張り……ましょう……?」
「うん、そうだね!リザベルト!」
リザベルトに声をかけられたことで、自分の立場を再認識し、自分もその生徒会役員の一員であることに誇りを抱きつつ、気を引き締める。
「……マルストン、商会まで案内してくれ!」
「はいっ!校門前に馬車を準備しています!女子の皆さんは準備が整い次第、それに乗り込んで下さい!男子の皆さんは、練兵場から装備と馬を!馬車の御者にはウチの商会へ向かうように伝えています!皆が揃ったら出立しましょう!」
「わかった!校門前で合流だな!?マルストン、お前はどっちで行くんだ?」
「ぼ、僕も馬でいきます!」
「ははッ!お前も男だなッ!」
「そんな、テオドルフ様ぁ~~!」
マルストンは顔を真っ赤にし、テオドルフは笑顔を浮かべ、マルストンの背中を元気づけるように叩く。
「執行部のお前達も、後からついてきてくれッ!」
「「「了解です!ヴィルノー副部長!」」」
やがて準備を整えた生徒会役員たちが校門前に集結した。男子役員たちは鎧を纏い、武具を携えた姿で馬に跨り、一方、女子役員たちはマルストンが用意した馬車に乗り込む。救出作戦の実働隊は、実技試験の結果を元にアルベールが独断で選抜した精鋭達だ。
「作戦に参加しない他の者は、何かあった時の連絡要員としていつでも動けるように、生徒会室で待機していてくれ」
「「はい!」」
昼下がりの穏やかな光が残る頃の校門前には、緊張感と高揚感が漂っていた。男子は皆、兜の面頬を上げている。アルベールが場を一睨みし、号令をかける。
「全員、行くぞ!マルストン、先導を頼む!」
マルストンは小さく深呼吸をし、馬の手綱をしっかり握りしめた。普段は目立つ役割を好まない彼だったが、この場では迷いを見せてはならないと思った。仲間達の真剣な視線が背後に感じられる。
自分が率先して進む事が、彼らの助けたいという想いを、拐かされた少女を救いに導くと信じ、彼は勇気を奮い立たせた。
「皆さん、ついてきてください!シュエット商会へ案内します!」
彼が馬を駆り出すと、一行は後に続き、やがて街の大通りへと疾走し始めた。馬蹄の音が賑やかな繁華街を切り裂く中、商会への道をひた走るマルストンの心は、一刻も早く”少女を救わなければ”という一念に占められていた。
道中、石畳が続く路地を越えると、遠くに商会の大きな建物が見えてくる。
「着きました!商会の建物はあの先です!」
マルストンの声に促され、その建物へと複数の馬蹄の音を奏でながら進んでいく。
商会に到着すると、一同は馬と馬車から飛び降り、颯爽と建物に足を踏み入れる。
先に戻っていた見習いの若者二人が、急ぎ足でマルストンの元へと駆け寄ってきた。
「お帰りなさいませ、マルストン様。あの、こちらの方々は……?」
「王立学院の生徒会の皆様ですよ。二人共、失礼の無いように」
「は、はい!」
「ようこそおいで下さいました学院の皆様」
見習いの若者二人は深々とお辞儀をする。
「……あ!女子の皆さん少々お待ちください!」
マルストンが奥に引き込む。暫くして木箱に大量の何かを入れて持ってくる。
「男子は全身に鎧を纏っているので王立学院の生徒とは一見分かりませんが、女子の皆さんは制服のままなので……このローブを上に羽織ってください。少しでも学院の生徒という身分が隠せるでしょう」
「お前、すげー気が付くな!流石だぜマルストン!」
鎧を着てるからか、テオドルフはマルストンの背中をバンバンと強く叩く。
「マルストン。後で、生徒会宛てに請求を回しておいてくれ。セドリック、あとで会計の処理を頼む」
「わかった。上手くやっておこう」
そこで一連のやり取りが終わったと察した見習いが、声をかける。
「……では、マルストン様。こちらに来て頂いてよろしいでしょうか?」
彼らは先に立って先導し、奥の部屋へと進む。
室内に入ると、中央の机の上に地図が広げられていた。彼らの顔には緊張と覚悟の色が濃く、地図を指し示しながら必死に説明を始めた。
「学院の制服を着た少女が連れ込まれたのは、ここら辺りにある廃墟です!」
ヴィルノーも地図を凝視しながら確認をすると、その周辺に迷路のように入り組んだ路地が広がっているのを見て、少し眉をひそめた。
「見通しが悪い上に、警戒されたら囚われている女生徒の命が危険に晒される恐れがあるな……」
その危うさを感じたのか、ヴィルノーが決断する。
「馬や馬車で行くと、音で警戒される恐れがある。……ここからは徒歩で向かおう」
「じ、自分に案内させて下さい!奴らが入っていく建物も見ましたし、そこまでの道も覚えています!」
見習いの若者は生徒会の面々を見渡し、覚悟を決めた表情で先導役を名乗り出る。
「……分かった。では先導は君に頼むとしよう。ヴィルノーもそれでいいか?」
アルベールがヴィルノーの瞳を真っ直ぐに見据えて尋ねる。
ヴィルノーも頷き、見習いの若者に顔を向けて口を開く。
「現地に到着したら、君には守ってもらいたい事がある。……どこか安全そうな所を探して身を隠すか、それがなければ、先に商会に帰っていて欲しい。君の身に何かあれば、商会やマルストンにも迷惑をかけることになる。守れるか?」
「は、はいっ!」
そうして、救出の打ち合わせを早々に終わらせた生徒会一同。女子達が時間が惜しいとばかりに、その場でローブを羽織る。
アルベールが頷くと、皆が次々とシュエット商会の建物から静かに歩み出てゆく。辺りは午後の陽が傾き始めた頃になっていた。
淡い陽光が石畳を照らす。皆、見習いの若者の後をしっかりとついてゆく。
私は”同じ学院の生徒を助ける!”という大義ある行動に、正義感を胸に燃やし、皆と足取りをそろえつつ、緊張した面持ちで歩を進める。ヴィルノーが先頭に立ち、他のメンバーもそれぞれに役割を心得た顔つきで互いに視線を交わし合い、覚悟を心に秘めて路地裏へと向かっていった。
周りの緊張感が、こちらにもひしひしと伝わってくる。皆の足を引っ張らないようにしないと……!
◇
商会の建物から離れ、目的地へと繋がる路地へと踏み込む一行。暗い影が入り組む狭い通りを抜け、壁に貼られた汚れた布や崩れかけた石造りの建物が続く中、見習いの若者は迷く事無く一歩一歩慎重に、確実に進んでいった。
すぐ後ろにはヴィルノーやアルベールを始めとする生徒会の男子達が控え、耳を澄ましながら物音に警戒している。中心に生徒会の女子達が続き、テオドルフがその女子達の後ろを守るような配置についており、少し距離をおいて執行部の数人が後方についてきている。
古びたその建物は、高い建物の影に囲まれてどこか薄暗く陰気な雰囲気が漂っていた。頑丈な石造りの外壁を保ち、所々に傷みが見えるが、全体としてはしっかりとした造りの様に感じる。
外壁には苔が薄く生え、過ぎた年月の名残を感じさせるものの、壁面の石は段差も隙間も無くまだしっかりとしており、建物全体に安定感があった。
窓の木枠は色褪せてややくすんでいるが、少し手入れすれば十分機能しそうに見えた。鉄製の格子は経年による軽い錆が浮いているが、それでも固く締まっているようだった。
屋根はまだ形を保っており、瓦の並びが少し不揃いになっている箇所が見受けられる所があるが、ほとんど無事で、雨風も大方防げそうだった。
建物の正面には古びた木製の扉があり、扉の前には少々擦り切れた布が垂れ下がり、かつての住人の痕跡がうっすらと感じられた。周囲の雑然とした雰囲気と相まって、住人がいるのかいないのか分からない曖昧な気配がそこには漂っていたが、敷地の周囲には木箱や樽が無造作に積まれていたので、それがかすかに生活の痕跡を感じさせたのだった。
その廃屋から、僅かに漏れる声が微かに耳に入る。
「……誰か……助けて…。はぁっ……はぁっ……あっ、んっ!……ううっ……!」
悲痛な声の中に甘い嬌声と涙声が混じり、静寂を裂く。
その声に反応し、周囲は一瞬にして緊張感が高まる。男子達が上げていた兜の面頬を静かに下げ、出来るだけ音を出さない様に慎重に鞘から剣を抜いて構えると、ヴィルノーが低く呟く。
「……この中から確かに声が聞こえたな?皆、ここからは声を出さないように。いくぞ」
手を使った合図で、全員が互いの意思表示や指示を確認しながら、廃屋の扉に静かに近づいてゆく。
扉の向こうから、男達の下卑た声が聞こえてくる。
「泣いたって、こんな所になんぞ誰も助けにきやしねーよ!?それっ!中に出してやる!うっッ!」
「んんっ!あんっ……!嫌っ……。いやぁ……。ううっ……」
「出したなら、とっとと俺と変われよォ?見てたら回復しちまったからなぁ?わはは!そろそろ4回目いくぜぇ!?」
「相変わらず、てめえはそっちだけは元気だなぁ?ハハハッ!」
「うるせえよ、わはは!」
「……俺らも、ホントは君のようなかわいい子をさぁ~?手に掛けたくは無いんだぜ?だけどな、あの人の命令で仕方なく、お前を殺さなきゃならねえのよ?まぁ、運が悪かったと思って諦めてくれや?」
「……お前は、俺らが飽きるまで弄ばれてから死ぬんだ。どうせなら死ぬ間際まで、気持ちいい方がいいだろう?」
「ぎゃははは!!」
扉越しに少女を貶す声や、嘲りの言葉が漏れ聞こえると、ヴィルノーの表情が鋭く強張った。彼は迷うことなく扉を蹴破り、瞳に怒りの火焔を宿して部屋に飛び込む!
部屋の中は酒と汗、甘い香りが入り混じり、異様な匂いが充満していた。部屋の中央で裸にされた少女が、数人の男達に無理やり押さえ込まれ、暴行されているのが目に入った瞬間、ヴィルノーの怒りは頂点に達した!
「貴様らァッ!許さん!!!」
と、彼の叫びが響き渡り、踏み込んだ彼が怒りのままに剣を振るうと、少女の周りを取り囲むゴロツキの中で、最もヴィルノーに近いゴロツキがその場に崩れ落ちた。しかし、部屋の奥側にいた別のゴロツキが、下品な笑みを浮かべながら隠し持っていた短剣を少女の首に押し当て、ゆっくりと彼女を盾にしつつ立ち上がった。
「なんだ、お前らぁ~?俺達の楽しみを邪魔しやがってぇ……んん?衛兵か?王都警備隊かぁ~?いや、鎧が違うな……まぁ、お前らが誰でもいい……。こいつの命が惜しければ……武器を捨てて、俺達から離れな?ククク……」
ゴロツキは、こちらの動きから一切目を放さず、ニヤけた顔のまま、大きく口を開け、舌を出すとゆっくりと彼女の首筋を耳元まで舐めあげ、空いた手で彼女の柔肌にいやらしく触れる。そして胸や太もも、臀部を撫で回す。彼女は全てなされるがまま。せめてもの抵抗にきつく目を閉じ、羞恥に耐えるしかなかった。
その光景に、生徒会の女子達は顔を顰め、目を背ける者もいた。怒りで震える男子達が声を荒げる!
「彼女を離せ!」
「その汚らわしい手をどけろッ!!」
その時、ヴィルノーは確かに後ろから囁き声を聞いた。それはゴロツキ共には聞こえてないようだった。
ヴィルノーは歯噛みしながらも、冷静な表情を作り直し、ゆっくりと剣を握る手を下ろした。
「……分かった。武器を捨てる」
と、彼は手を上げるとその姿勢のまましゃがみ込み、床に剣を置く。
「物分かりがいいじゃねーか、へへへ……」
ゴロツキがそれを見てニヤリとした次の瞬間、ヴィルノーの背後に立っていたアルベールのさらに後ろに立っていた影がゆらりと動き、そこから超高圧に圧縮された水が、まるで研ぎ澄まされた一筋の光線が滑るように鋭く射出され、ゴロツキの手首を通過する!
ボトリ……と、何かが床に落ち、金属の甲高い音が床で反響した。
何の音かと、ゴロツキが自分の手首を見つめる。そこにあるはずのモノが無い。一瞬呆けたまま見続けていると、断ち切られた手首から鮮血が噴き出し、痛みが遅れて脳に襲いかかる。
「ギャアアアアアッ!?」
絶叫し、出血する手を逆の手で押さえながら床を転げ回るゴロツキ。
「……うちの学院の生徒に手を出した事、あの世で後悔するがいいわ」
ランセリアがその見る者を凍えさせるような冷酷な表情、湖の底の様な深く昏い青色の瞳で、床で転げまわるゴロツキを見下し、低く……心底震え上がらせるような声で脅す。
「い、今のッ、魔法……かッ!?それに、ウチの学院の生徒だと?……はっ、てめえェら王立学院の関係者か!?……だが、女どもは小せえヤツが多いし、皆やけに若けぇな?ああ……?は、はははっ!ローブを着込んでるから分からなかったが、お前ら、ビビるこたぁねえッ!こいつら、ただの生徒だっ!魔法を撃たれる前にやっちまやぁ問題ねぇッ!かかれェ!!」
と一番奥にいたゴロツキの頭らしき奴が叫ぶや否や、他のゴロツキたちも一斉に武器を構え、今にも襲いかかろうとする。ヴィルノーもその声を合図に一瞬だけ床を見るとすぐにゴロツキへと視線を戻し、隙も見せずに咄嗟に身を屈め、指先がそれを捉えると、無駄のない動きで床に転がる剣を掴みあげる!
生徒会の者達も一斉に戦闘態勢をとり、場の空気が張り詰める。廃屋の一室が、瞬く間に激しい戦闘の舞台と化す。
「「「死ねおりゃぁッ!!」」」
敵が一斉に襲いかかってくると、生徒会の男子達は女子達を守る様に展開して武器を構え、敵をしっかりと見据えて迎え撃つと、室内に鋼が交錯する音が響き渡った!
アルベールが走り寄ってきたゴロツキがでたらめに打ち込んでくる攻撃を剣で受け、あるいは弾く度に火花が散る!だが、王侯貴族が学ぶ正統流派の剣術を高い水準で修めているアルベールにとっては、ゴロツキの攻撃は力任せの軌道が読みやすい単調な攻撃でしかなかった。
攻撃を弾くと隙だらけになった敵に、鋭い切り返しや素早い突きを繰り出し、襲い掛かってきたゴロツキを着実に怯ませていくアルベール。
彼はその後も的確に相手の動きを見極め、攻撃を避け、弾きながら隙を創り出し反撃を繰り出し、手傷を負わせていく。
ヴィルノーが強化魔法を唱える。彼が得意な魔法は四大属性の魔法では無く、己を強化する自己強化の魔法だった。彼は自身の筋力を上げ、その圧倒的な力で敵の攻撃を武器ごと弾き、剣の胴で重い一撃を放つ。腹にその攻撃を受けたゴロツキは壁まで吹き飛ぶ!
ヴィルノーは、そのままの勢いで荒ぶる猛牛のように突き進む。ゴロツキたちは怯え、思わず後退してしまう。
リーダー格の男が怒鳴り上げる!
「引くな!お前らァ!数はこっちの方が多いッ!一斉に叩き潰せェ!!」
さらに数人が、己を奮い起こすように吠え、飛びかかっていく!
セドリックは剣を構え直す。彼もまた己が学んだ正統流派の剣の構えを崩さず、襲い掛かってくる敵の攻撃を受け流しつつ、手早く斬り返し敵の武器を打ちあげ、隙だらけになったそいつの武器を持つ手を斬りつけ武装を手放させる。
『我は願う 火よ出でよ 火球となりて 疾く走り 敵を燃やし給え』
テオドルフは魔法を唱え、ゴロツキの足元に向けて撃つ。
幾つか発生した拳大の火球が、同じ目標に向けて飛んでいき、ゴロツキの足元に着弾、床が豪快に燃える。
「う、うわぁ!?あちちちちちッ?」
敵は踊るように思わず飛び跳ねる。
「うごくんじゃねーぞ、お前らァッ!今引導を渡してやるからな!」
そう叫んだテオドルフは、エルネットから付与魔法の支援を受け、炎を帯びた剣を振りかざし、敵に斬り込んでいく。
その一方で、マルストンはゴロツキの攻撃をかわしては後退を繰り返し、半ば敵に背を向け逃げるような姿が、他の男子に比べて少し情けないように見えた。
相手の剣が間近に迫るたび、冷や汗をかきつつ、必死に身をかわしていた。「マルストン!少しでも反撃しろ!」「やりかえせ!」と仲間から励まされると、
「ぼ、僕だってやればできるんだぞっ!?」
と、ようやく剣を構え直し、震えながらもゴロツキに向かい合う姿勢をとる。
戦闘が激しくなる中、女子達も役目を果たそうと積極的に戦闘に参加していく。
一対一で戦ってる男子の横から、数で凌駕するゴロツキ達がその隙をついて周りから攻撃を繰り出そうとするのを見逃すランセリアではなかった。人の頭部ほどの大きさの波打つ水球を体の周りに幾つも浮かべたランセリアが、後方から超高圧に圧縮された水を、周りに浮かぶ水球から白き一筋の線を描くように次々と連射する。白い線が瞬間的に長く伸びた様に見えるその連続攻撃は、ゴロツキ達の手や足を次々と貫通して穴を開けていく。
「ギャアアアアアッ!?」
「いっ、痛てぇ―――!!」
「お、おっかぁー!!」
その激しい痛みのあまり、手を貫かれた者は武器を落とし、足を貫かれた者はのたうち回り床に血溜まりを作る。
カロルは「今は見えてないけど、どこかに潜んでるかもしれないゴロツキから、飛び道具が飛んでくる」ことを懸念し、念の為に風属性の”矢避けの魔法”を生徒会の者達の周囲に展開し、味方を飛び道具の脅威から守ろうとする。
リザベルトは得意の防御魔法を唱え、前衛の皆に次々と魔法の盾を展開、付与する。
フェルロッテは水を用いた冷気の魔法でゴロツキ達の足元を凍らせ、動きを封じたり転倒させることで仲間に攻撃のチャンスを出来るだけ多く作り出そうとする。
アルメリーも少女の周りにいるゴロツキへ向けて、魔法で氷の針を飛ばす!自分の放つ氷の針は、今や人を殺してしまいかねない凶器そのもの。相手は犯罪者だけど、間違っても殺さないようにと、少女とゴロツキの隙間の空間を慎重に狙う。飛んできた氷柱のようなデカい氷の針に驚いた敵が少女から一旦遠ざかったのを見計らうと、素早く攫われた少女の元へ駆け寄り、体を張って守りに行く。
「もう大丈夫だからね?」
と安心させるように優しく声をかけると、アルメリーが彼女に肩を貸し、安全な生徒会の面々の後ろの方まで連れていく。エルネットは持ってきた鞄の中から毛布を取り出すと、毛布を彼女の肩に掛ける。彼女は、自身を守るように抱くアルメリーの腕の中で震えながらも、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
他のゴロツキ達は男子役員達によって次々と倒されていき、ついに部屋の中で立っているのは大将格のゴロツキと、体格の大きな大男だけになった。
ゴロツキの中で一際目立つ巨漢の男は、肩幅が広く、鍛え上げられた筋肉がその体を覆っている。無骨で粗野な風貌に、剃り残しの髭が生い茂り、小さな目で相手を睨みつける表情には、力任せの暴力に頼ってきた者特有の荒々しさが漂っていた。
その大男が、目の前に立ちはだかるヴィルノーを睨みつけ、力強い威圧的な構えで剣を振りかざす。
ヴィルノーもまた、負けじとその大男を睨み返し自分の剣を構え直すと、大男に向かって一歩、二歩と、歩み寄る。
二人は互いに視線を交わし、互いの殺気が漂う中、ヴィルノーが先手を取った。
ヴィルノーが剣を一閃して一撃を繰り出すが、大男は筋力を強化されたその一撃を辛うじて自身の両手剣で受け止め、鍔迫り合いの後に弾き、さらに反撃の重々しい一振りを繰り出した!
その一撃は凄まじい力を帯びており、”受け止めきれない”と瞬時に判断したヴィルノーは、咄嗟に体をひねって避け、逆に大男の脇腹を狙って切り込むも、厚い筋肉とそれを守る幅広く分厚い革のベルトによって攻撃を受け止められてしまう。
大男はにやりと笑うと剣を振り上げ、ヴィルノーに向かって強烈な一撃を放つ。
ヴィルノーはその攻撃をかわして体勢を整え、素早い足運びで再度大男の懐に入り込み、鋭い剣筋で次々と攻撃を繰り出し、少しずつ相手の防御を崩していく。
徐々に大男に隙が見え始め、機を見てヴィルノーが飛び上がり、最後の一撃に力を込めて剣を振り下ろす!
ヴィルノーの剣が相手の鎖骨あたりから胸まで切り裂くと、ついに大男は意識を失ったのか、大の字で大きな音を立てて後ろに倒れ、沈黙する。
倒れた大男を見下ろし、肩で息をしつつ呼吸を整えながらヴィルノーは剣を下ろすと、
「これで終わりだ」
と、呟き、剣の切っ先をその顔に向ける。
リーダー格の男は、頼みの綱だった大男が倒された事で意気消沈し、へなへなとその場に腰を落としてしまう。
すごい……!生徒会のみんな、強い!!
私は、生徒会の皆が実際に戦っている所を始めて見た。ヴィルノーが練兵場で良く訓練してるのはしっていたけど、他の男子も皆、ゴロツキなんて物ともしないほど強かった!
「他にこいつらの仲間がいないか、直に確認せよ!」
セドリックが指示を出すと、後方にいた執行部の面々が駆けだし、隠れた者がいないか廃屋中を探しはじめ、周囲が安全である事を確認すると、すぐ彼に報告する。
やがて部屋の中は静寂に包まれた。
息を整えた生徒会の役員達は互いに視線を交わすと、自然と笑みがこぼれる。
アルベールが笑顔で手を軽く上げると、他の役員もそれに応え、次々に力強く手を叩き合わせていき、その心地よい響きが室内に響く。
ランセリアやフェルロッテも、笑顔を浮かべながら手を伸ばし、役員全員が一つの輪になって互いに手を重ね合わせて叩く。
勝利の喜びと仲間との連帯感が、互いにしっかりと刻まれ、皆、安堵の表情を見せるのだった。
「ねえ、ちょっと教えて貰えるかしら?……あなた、名前は?」
フェルロッテが保護した彼女に訊ねる。
「……レネ・シャルマン……です」
「王立学院の……生徒よね?」
「……はい」
彼女は消え入りそうな声でおずおずと答える。
「あなたが入っているのはどこの寮かしら?」
「……ヴィクトワール寮……です」
「え!?私と同じ寮なの!?」
びっくりした。私と同じ寮だったなんて……。
「……あなたも同じ寮なの……?」
ちょっと安堵したような目でこちらを見てくる彼女。
救出された彼女の姿は、痛々しかった。
羽織った毛布一枚の下は裸のままであり、顔や髪、お尻や太ももの周りに、白濁した液体がべっとりとついていた。太ももには、白濁液に混じって痛々しい赤い血の筋が流れた跡が残っていた。
視線が集中して恥ずかしくなったのか、レネは顔を真っ赤にして俯く。
そこでハッと何かに気が付いたのか、エルネットが叫ぶ。
「もう、男子!えっちな目で見ない!あっち向いてなさいッ!!」
エルネットが怒ると、男子は皆、回れ右をして背を向ける。
「……あなたの服、どこにあるか分かるかしら?」
「多分、隣の部屋だとおもいます。彼らの一人が大事そうに持っていってましたから……。学院の制服って、お金持ちの方に人気があるらしく、彼らしか知らない高く売れる秘密の経路があるんだそうです……制服を買ったお金持ちはメイドや娼婦に着せて楽しむんだとかなんとか……その人達がしゃべってるのを聞きました……」
それを聞いて女子達は思わず絶句する。
「……わかったわ、ちょっと隣の部屋を見てくるわね。アルメリーちゃんとカロルちゃん、男子がえっちな目で彼女を見ないように、私が戻るまでちゃんと見張っててあげててね?」
「「はい、分かりました!」」
エルネットはそう言うと走り出す。隣の部屋で「あったー!」という声が聞こえたかと思うと、暫くして制服を持ってこちらの部屋に帰ってくると、机の上にその制服などを置き、複数の水球を浮かせたままのランセリアと小声で話す。彼女は頷くと、レネに「ついてらっしゃい……」と言い、隣の部屋へ連れて行く。隣の部屋から水が流れる音が暫く続いた。
二人がこちらの部屋へ戻ってくると、彼女の体に付着していた汚らわしいモノが綺麗に流し落とされたお陰か、レネの表情も少しさっぱりとしていた。
「ごめんねー。浴巾が必要になるとは思ってなくて、今回は持ってきてないの」
そう言ってエルネットは制服の下に置いていた折り畳んだ衣類を渡す。
「あっ、これは私の……?」
「制服と同じ所にあったから折り畳んで持ってきたわ?濡れた身体に直は気持ち悪いかもしれないだろうけど……。毛布を羽織ってるだけだと……その……色々と見えちゃうかもだし?あなたも不安でしょう?さっきの部屋は水浸しで足元が汚れるだろうから……こっちの部屋で着てくるといいわ?……制服はアルメリーちゃん、持っててあげて?」
「いいですよ!」
「あ、ありがとうございます……」
彼女が隣の部屋へ行くと、テオドルフが気の抜けた声を上げる。
かと思うと、彼はゆっくりと右手を一廻しして、廃屋の出入り口へと向かう。外へ出ると、彼は声を張り上げた。
「おーい、見習い!まだ近くにいるんだろう?もう中は安全だ、入ってきていいぞ!」
呼びかけに応え、近くで隠れていた見習いの若者が姿を現す。見習いは廃屋の中に入ると、周囲を見渡し、何か手伝えることはないかと考えた末、割と広いその部屋の中を歩き回り始める。
暫くして、端の方にあった少し古ぼけた木棚から縄を発見すると、所々引っ張ってみて強度を確認し、それを手に少し得意げに生徒会の皆の元へ駆け寄ってくる。
「この縄、割と強度がありそうです。それに、これだけの長さがあれば、こいつら全員の手をギリギリ縛れると思います!起きてこないうちに縛っておきましょう」
「いいぞ、よく見つけてきたな!」
とテオドルフが快活に笑い、他の役員達も感心しながら小さく頷いたり、優しげな視線を送る。
見習いが差し出した縄は、ささくれ立った部分もあったが、男子達は気絶しているゴロツキ達の両手を手際よく縛り上げていく。
リーダー格の男も、諦めたのか特に抵抗はしなかった。
彼女は救出された当初は嬉しそうな表情をしていたが、隣の部屋から戻って来た時には何か別の事を思い出したのか、表情が暗く沈んでいた。
気になったフェルロッテが声をかける。
「どうしたのかしら?あなた、助かったというのに表情が暗いわよ?」
「あ、あの……私は助かったのですが……私の友達が刺されたままあの場所に放置されているんです!もしかしたら、まだ間に合うかも……」
「え!?どこで刺されたの、その子は!?」
「繁華街の裏路地に入って私達、追い回されてどこをどう行ったのか、よく覚えていないんです……でも、あそこに現れたこの人達なら……場所が分かる、のかも……」
と、彼女がゴロツキ達の方を指さす。
「ケッ!だれが行くかよ……てめぇらに協力なんざ、するわけねぇだろ!?」
大将格の男が薄笑いを浮かべながら、吐き捨てるように言った。それを見て、アルベールがセドリックに声をかける。
「セドリック、近くの衛兵の詰所か、王都警備隊に通報してきてくれ。犯罪者を引き渡す必要がある」
「分かった。ではすぐに戻ってくる……そうだフェルロッテ、これを渡しておこう。よかったら使ってくれ」
「ああ、頼む」
「あっ、これ。あの子の作ったポーションね?ありがとう。セドリック」
すると、先ほどまで床に転がっていたゴロツキの一人が急に顔を持ち上げ、捲し立てる。
「げ、減刑してくれるなら、おっ、俺が現場に行ってもいい!俺達の雇い主のあの人の事も話す!!」
「て、テメェ!クソッ!チクッたらあの人に呪い殺されっぞ!?」
大将格の男が喚いて、その裏切り者を止めようとするが、フェルロッテがその名乗りを上げたゴロツキに手を貸して立たせると、声をかける。
「じゃ、行きましょうか?……そのまえに、さっき言ってた雇い主の事を教えてくれるかしら?」
「あ、ああ……あの人の事か……あの人の名前は『アデラース』。冒険者の魔法使いだ。長年の友人を、最近『魔女』に殺されたらしい。だがその『魔女』はお前の友人だったのだろう?仇をとれたのか、あの人は喜んでいたぞ……?」
「ち、違う!マガリシーはそんなのじゃない!」
フェルロッテがその会話を遮るように話に割って入る。
「レネさん、刺されたというその子、早く助けに行かなくていいの?こんな所で無駄話してる場合ではないでしょう?」
「す、すみません……」
「さぁ、あなたもとっとと先導してくれるかしら?」
と、手を後ろで括られたゴロツキを引っ立て、フェルロッテは廃屋から出ていこうとする。
「執行部のみんなも、行くわよ?」
「「「イエス、マム!」」」
「わ、私も……一緒に……!」
レネは体に纏った毛布の隙間から、片手を縋るようにつき出してフェルロッテにお願いする。
「レネさんは服も着てないでしょう?そんな恰好でついてくるつもり?悪いことは言わないから、私の仲間の皆と一緒にいた方がいいわ。その方が安全よ?あなたの友達の事は私に任せて?」
「ううっ……。は……はい。お……お願いします……」
彼女は震えながら……フェルロッテ達が廃屋から出てゆくのを、今にも泣き出しそうな表情のまま見つめていたのだった―――。
◇
薄れゆく夕闇の中、フェルロッテが協力を申し出たゴロツキに案内され、一行は路地裏の奥で彼女を発見した。服を剥ぎ取られ、薄汚れた壁際に無造作に寄せられうち捨てられていた彼女は、すでに冷たくなっていた。
その姿を前に、フェルロッテは自身の拳を握りしめ、ただ無言で唇を噛み締める。
刺されたと聞いて、元々いい予想はしていなかった。……何より時間が経ちすぎていた。悲痛な現実が遺体を見つめる面々に重くのしかかる。
一同は静かに衛兵の詰所へ遺体の発見を報告する。遺体が身元を証明するモノを何も所持してなかったので、衛兵が遺体をどう処理するか迷っていた所へ、フェルロッテは自身が侯爵家の娘であることを衛兵に告げ、「サンドレイ家の家名に懸けて、この遺体の少女は王立学院の生徒である」と宣言した。侯爵家の家の名前を出された衛兵達は姿勢を正し、遺体を綺麗に拭いた後、衛兵達によって丁寧に学院の方へと送り届けられた。
その後、フェルロッテを含む執行部員達は衛兵の詰所で事情を聴かれ、遺体の発見の状況とその場所をどうやって知ったのか等々、次々と衛兵の尋問に応じていく。
フェルロッテの一行に協力したゴロツキは、彼女の口添えで減刑を認められて、”十数回の鞭打ちと王都からの追放”という刑の判断がなされ、「生まれ故郷に帰るよ……」という言葉を残し、すぐさま刑が執行された後、衛兵に城門の方へ連行されていった。
駆け付けた王都警備隊と応援で派遣されて来た衛兵達によって、廃屋で縛られていたゴロツキ達は手枷と鎖で繋がれ、しょっ引かれていく。
カロルが警備隊の一人に、ゴロツキ達の処遇について質問すると、罪状は「殺人未遂」「誘拐」「監禁強姦罪」など数々にのぼるらしく、彼らはそのまま牢に送られるとの事だった。
ゴロツキ達がいなくなった後、廃屋に残っていた生徒会の面々はその場で王都警備隊に事情を聴かれる事となった。彼らは王都警備隊の質問に次々と淀みなく応じる。この誘拐されていた少女がどのようにして見つかったのか、ゴロツキたちがどのように振る舞ったかについて証言をしながら、自分達の身の潔白を証明してゆく。
被害を受けた彼女は、その時の事を思い出すのも辛いのか具体的な話になると時折、顔をゆがめる。だが、幸い王都警備隊に女性の隊員が居たので、別室でできるだけ詳しく証言し捜査に協力した。
早々に衛兵の詰所での事情聴取が終わったフェルロッテ達は、生徒会の面々がいる廃屋に戻ってきた。
一方、裏切ったゴロツキにより明らかになった老魔術士「アデラース」の存在は、王都警備隊から冒険者ギルドへと伝えられる事になった。
アデラースは「殺人教唆」「賞金首以外の殺人」「ギルド法契約違反」など数々の罪に問われることとなり、後日ギルドは彼の冒険者資格の剥奪を発表。アデラースは賞金首として指名手配される事となった。
しかし、噂をどこかで聞きつけたのか、勘が鋭いのか……アデラースはそれ以降ギルドには一切姿を見せず、姿を消したのだった。
◇
寮に戻ると、入り口で寮長が悲しげに佇んでいた。寮長は、彼女、マガリシーが棺に入った姿で戻ってきたことを淡々と語り、その生前の活発で笑顔が絶えなかった様子を振り返ると、声を詰まらせた。彼女が亡くなった事実に、寮長は言葉も出ないほど深く悲しんでいた。
「これから、彼女のご家族の方に手紙を書かないといけないわね……」
寮長の普段あまり見ることのないその様子に、私はなんと声をかけていいのか分からず、寮長がふらふらと自室に戻るまで、ただ黙っているしかできなかった。
レネは、事件によって心の方にも傷を負ったので彼女が落ち着くまでの暫くの間、治療室の方で様子を見るという事になったらしい。彼女だけでも無事だったのは、寮長にとっても不幸中の幸いだったと言えるかもしれなかった。
翌日、休日にも関わらず、朝に全校生徒が大講堂に集められた。学年主任が壇上に立つと、静かな声で彼女の訃報を告げた。あえて棺も肖像も出されず、「彼女に哀悼の意を捧げよう」とだけ述べる主任の姿に、多くの生徒が重苦しい沈黙の中、祈りを捧げた。
そして、繁華街に出る際は「少人数で行動しない」「最低でも四、五人以上で行動する事」など、自衛のための忠告が全校生徒に再度伝えられた。
その後、ごく限られた参加者のみで彼女の葬儀が行われた。場所は、アルベールの入居する寮の近くにひっそりと佇む小さな教会。この教会に、今日は神官でもある治癒術士が進行役を務め、教会の近くには、埋葬のために掘られた穴に棺が安置され、最後の別れを待っていた。
参列したのは、担任教官、生徒会の役員達、その中にアルメリーも含まれていた。さらに彼女が在籍していたヴィオレ学級の生徒達、そしてその中には彼女と親しくしていたレネの姿もあった。
私のすぐ後ろにいたヴィオレ学級の生徒のヒソヒソ声が聞こえる。
「実技試験の時の貴族の令息が亡くなった時と、平民の葬儀は全然違うわね……とても簡素だわ。それに彼女は出身地……親元にも返してもらえないなんて……」
「寒くなったといっても日中は暖かいし、彼女の出身地が王都から遠かったら、道中で多分……遺体が腐ってしまうわ?それに、出身地まで送り届ける費用は誰が出すの?」
「そうよね……」
そこまで言うとお互い納得したのか、その後二人は口を噤む。
寮長も彼女が入居していた寮を代表して列席し、棺の中の彼女に最後の祈りを捧げた。その場にいる全員が、胸の奥に深い悲しみを抱えながらその様子を静かに見守っていた。
粛々と葬儀が進み、やがて棺の蓋が閉められ、一人づつ土をかけてゆく。
「残された私達の心に彼女との思い出が共にあります。共に過ごした日々に感謝を捧げましょう。私達は愛と感謝の心をもって、故人の旅立ちをここに見送ります。彼女の魂が大地母神テラ・メーラのもとに導かれ、神の慈愛と守護の中で安らかなる安息を得ますように……」
治癒術士がその一節を詠み上げると、皆は長い黙祷を捧げ、それをもって葬儀は終わりを迎える。
空はどこまでも青く、澄み渡っていた。
葬式の後、寮に戻ったアルメリーは、ぼーっと夢の中で出会った”魔女”の事を考えていた。
『……『イスティス』それが……かつて私が名乗っていた幾つかの名前のうち、一番お気に入りの名前よ……』
あの魔女は確かこう言っていたわね……。
昔……って一体いつのことなんだろう?そんな昔の存在が現代に蘇っているの?教官にこの名前に覚えが無いか、今度聞いてみよう。
「お嬢様、どうされました?ぼーっとなさっておいででしたが……」
「ちょっと、考え事をね……。アンも知ってるかしら?この寮にいた子が一人、繁華街で亡くなったのよ……」
「寮長から少しお聞きいたしました。確か平民出身のマガリシーという元気な方だったそうですね……」
流石のアンも神妙にしている。
「今朝も大講堂で全校集会が開かれたのよ。繁華街に出る際は「少人数で行動しない」「最低でも四、五人以上で行動する事」とか、学年主任がそんなふうに注意を呼びかけていたわ……」
「お嬢様も繁華街に出る時はお気をつけくださいね……」
「分かったわ、アン。あなたも出かける時は気を付けてね?アンは腕に自信があるから大丈夫かもしれないけど……」
「かしこまりましたお嬢様。繁華街に出る時は、重々注意をすることにします……」
昨日は四人で繁華街の方へ出掛ける約束をしていたが、急な事件が起こった為にそんな事態ではなくなった。
一日経ち、本日も日曜日の休日ではあったのだけど、どうしても出掛ける気分にはならなかった。そのため、今日は皆を私の自室に招いていた。
「こんにちは!アルメリー様!」
「……こんにちは……アルメリー」
「アルメリーちゃん、こんにちわ!」
「みんな、いらっしゃい!ささ、あがって?」
アンも皆にぺこりとお辞儀をして迎え入れる。
「アン、皆にお茶を入れてくれるかしら?」
「かしこまりました、お嬢様」
そして、この日はアルメリーの自室で、親しい友人達だけのささやかではあるが、楽しげなお茶会が開かれるのだった。
◇
翌日。
授業が終わると、アルメリーは歴史の学導書を持って、すぐ教壇に向かう。授業の後片付けをしているリリアナ教官の所に迷いのない足取りで歩み寄ると、教官に話しかける。
「リリアナ教官、歴史のこの件について、少し質問してもいいですか?」
リリアナ教官は微笑んで、
「もちろんよ、アルメリーさん♪」
と、彼女は穏やかに応じる。そして話題が進むと、その話の流れの中にアルメリーが探している歴史上の人物(だと思われる)『イスティス』についてそっと、混ぜて話す。彼女は少し考えるそぶりを見せ、軽く頷いてから言った。
「……その人物について私は詳しくないのだけど、お爺様なら何か知っているかもです。私のお祖父様は古い時代の文献や遺跡なんかを研究している学者なんです。ちょうど今は現地調査から戻られていて……お家で王宮に上げる報告書を書いたり、まとめたりする作業をしているんですよぉ~」
「本当ですか!?」
なら、もしかすると『イスティス』という名も知っているかもしれない……!
アルメリーは嬉しそうに瞳を輝かせた。
「うん。だから、その『イスティス』という人物についても知っているかどうか、今晩にでもお話を伺ってみますね~?」
「ありがとうございます!」
「お爺様、考古学的に貴重なモノが見つかるとすぐ夢中になってしまって、調査団を率いて何日も家に帰らないこともよくあるんですよ~。あはは……」
と、教官は苦笑を浮かべつつ付け加える。
こうして、アルメリーはすぐにでも答えが聞けそうで良かったという期待を胸に抱き、その日の残りの授業を受講し終えて寮に戻った。
翌日、次の授業の為に四人で教室移動している最中に、廊下で再び顔を合わせたリリアナ教官が話しかけてきた。
「アルメリーさん、丁度良かった。お祖父様が、あなたが言っていた例の名前に非常に関心を持たれていて、是非あなたと話をしたいとおっしゃったの~」
その話を聞くなり、アルメリーはすぐにでも教官の家に向かいたい思いに駆られた。
「……よかったら今週末にでも、ウチに来ないかしら?お祖父様、しばらく家にいるそうなので……」
「教官さえよければ、是非!お願いします!」
リリアナ教官の提案で、私は週末に教官のお宅へ訪問することが決まったのだった。
「では、週末にね~うふふ♪」
「はいっ、ありがとうございました!」
リリアナ教官が離れたとたん、ティアネットが不満そうな顔をして文句を言ってくる。
「教官と何の約束ですかー!?先週はお出かけ出来なかったから今週こそはと思ってたのにー。ぶーぶー!」
「どうしても知りたい事があって、それが聞けるかも知れないチャンスなの。日曜日なら空いてるから、お出かけは日曜日にしましょう?」
「わーかーりーまーしーたー」
私は困ったように笑うしかなかったが、ティアネットのそんな拗ねた態度もかわいいな、と思った。
そして日時は過ぎ去り、あっという間に週末の土曜日を迎える。授業を終えたアルメリーは、生徒会室に顔を出すと雑務を手早く片付け、リリアナ教官の家に向かう準備を整えた。
リザベルトとカロルの二人には、今日は用事がある事を伝えているので簡単に挨拶をして別れる。途中で清掃に精を出すティアネットを見かけたので、彼女をねぎらい(「やっぱり一緒に行きたいー!」と駄々を捏ねたがなんとか宥めすかして)別れると、職員室で仕事をしていたリリアナ教官と合流する。
彼女は残っていた仕事を手早く片付けると、昼下がりの穏やかな光が残る頃には学院の校舎を出る事が出来た。
季節は秋を迎えていた。冷たい風が、校舎の石造りの外壁に沿うように吹き抜けていった。
学院から、リリアナ教官の家の馬車に乗り込み教官の自宅に向かう道中、アルメリーは馬車に揺られながら……前世での彼女が、かつて希望していた”古代の調査と研究”という仕事を実際にしている学者に会えるという僅かな憧れと、その学者という肩書きに対しての羨望と緊張感と共に……教官の祖父が持つ、研究で培われた膨大な知識の中に、彼女が求めている答えが少しでもあればいいな、と窓から見える外の景色を見つめながら簡単に考えていたのだった。
◇
馬車は王都の貴族の館が立ち並ぶ地区に入る。その中でも高級住宅街とされる小高い地区へと馬車は昇り、豪勢な屋敷が立ち並ぶ一角にリリアナ教官の邸宅はあった。
馬車は豪邸と呼んでいい規模を誇る邸宅の門前にゆっくりと到着する。
アルメリーがリリアナ教官に連れられ訪れた屋敷は、貴族の格式を映し出した威厳ある佇まいを見せていた。
広々とした敷地に堂々と建つ豪邸は、石造りの高い壁と大きな門で囲まれており、その門には彫刻が施された鉄製の柵がそびえ立っており、馬車が到着すると守衛がその鉄製の門を開ける。
再び馬車がゆっくりと動き出し、屋敷の中に入ってゆく。
敷地の内側は秋の深まりを感じさせる庭園が広がり、色づいた木々や低木が落ち着いた色合いで並んでいた。庭園の草木は少し寒さに包まれたようで、枯れ葉がいくつか舞い落ちており、季節の花々も鮮やかさを抑えた柔らかな色合いに変わりつつあった。
ひんやりとした空気が流れる中、噴水の水音が静かに響き、庭園全体にしっとりとした静寂が漂っており、秋の冷気が肌に触れるたびに、どこか厳かな気配が一層屋敷の格式を際立たせていた。
屋敷の正面には二階まで伸びる巨大な石柱が並び、貴族の威厳と風格が漂う玄関ポーチを形作っている。
入り口には金色の装飾が施された大きな木製の扉があり、重厚感がありながらも美しい彫刻が目を引く。
屋敷全体に張り巡らされた精巧な装飾は、その邸宅の持ち主の地位と高貴な家系を示すかのようで、ひと目で並々ならぬ存在感を感じさせた。
「す、凄いお屋敷ですねっ……!?教官って、もしかして凄い家柄のお嬢様!?なんで学院なんかで教官なんてやってるんですか!?」
リリアナは軽く肩をすくめ、穏やかな微笑みを返すと、
「在学当時から、私ってちょっと変わり者だったのかな?同年代の子は、卒業後は貴族の方と結婚したり、魔導師団や魔法兵団に進む子が大半だったけど、どうやら私、教えるのが好きみたいで~。王立学院に入学してから、教壇に立つ教官に憧れちゃったの~。両親には猛反対されたけど、もう教官になるしかない!と思ったから、卒業が近くなった頃にお爺様に頼み込んで、両親を説得して貰って~この道を選んだのよ~~♪」
屋敷の扉の方に視線を向けると、そこにはメイドが出迎えに出ていた。馬車が屋敷の前にゆっくりと止まると御者は馬車の扉を開け、近くまできたメイドがリリアナの荷物を受け取る。
「おかえりなさいませ、お嬢様。いらっしゃいませお客様」
「ただいま、ルレア。この子、私の生徒でアルメリーっていうの~。私はちょっと着替えてくるから、この子を応接室へお通しして、お茶を淹れてくれないかしら~?」
「かしこまりました」
ルレアと呼ばれたメイドは優雅にカーテシーをして応える。
「アルメリー様、どうぞこちらへ……」
彼女は先導して歩き出す。アルメリーは素直にその後をついていく。
玄関から応接室までの豪華な内装に圧倒されつつ、アルメリーは目を見張りながら廊下を進む。
私は応接室に通された後、暫くするとメイドが手押しの台車に紅茶とスイーツのセットを乗せ、部屋に入ってきた。
「失礼いたします」
ティーポットをある程度の高さに持ち、一滴も外に零さず紅茶をティーカップに注ぐ彼女。
頂いたその香り豊かな紅茶の温かさに、少し緊張が解けたところで、初老の男性が現れた。
彼は、年齢を重ねてもなお堂々とした雰囲気を保っていた。
髪はほとんどが白髪に変わり、鼻の下に蓄えている立派な口ひげも同様で、その銀色の光沢が知恵と経験の深さを際立たせていた。
髪は肩ほどの長さで丁寧に整えられ、額には長年の研究と熟考を物語る深い皺が刻まれていた。鋭い目は灰色で、何かを見通すような眼差しには冷静さと洞察力が感じられ、まるで対面する者の内面まで見透かしているかのような印象を与えた。
顔立ちは端正で、わずかに下りた眉が控えめな品位を漂わせているが、その背筋はまっすぐで凛とした姿勢を崩さず、歳を重ねても鍛えられた体躯を持ち、袖口や襟に古代の紋様が金糸で刺繍されている上質な濃紺のローブを纏い、王宮から授与された特別な魔導師団の紋章が描かれた銀のブローチを身につけており、それがかつてそこへ在籍していた彼の地位と経歴を象徴しており、今でもその威厳を感じさせる風格を持ち合わせていた。
「はっ、始めまして。アルメリー・キャメリア・ベルフォールと申します。本日はお招きいただきありがとうございます……」
「ふふふ……。そう畏まらなくてもよいよ。もっと気楽にしてくれたまえ」
「はっ、はい……!」
二人が挨拶を交わしていると、普段着に着替えたリリアナ教官が、部屋の扉を開けて入ってきた。
「お爺様、もう来ていらしたんですね~?」
「ふふ。ルレアが、彼女の到着を教えてくれたのだよ。それにリリアナ、お前から興味深い名前を聞いたからね。その名前をもたらした人物が、どのような子なのか興味が沸くというものだろう?早く話してみたい、とそう思わないかね?」
「お爺様ったら~。うふふっ」
「リリアナ教官!その衣装もいいですね?」
緊張していた空気を解いてくれた彼女に対し、私は素直にその素敵な意匠の普段着を褒める。
「ねえアルメリーさん。ここでは教官づけはやめて欲しいかな?かわりに、『お姉ちゃん』なんて呼ぶのはどうかな~?」
「……ちゃんづけ、という歳でもあるまいに……」
「もう、お爺様~~!?」
「……リリアナ……お姉ちゃん!?」
「うふふ~♪」
そう呼ばれて嬉しそうなリリアナ教官。
「私のお爺様はね、宮廷魔導師団の第三隊の隊長である筆頭魔導師様だったのよ?すごいでしょう?それに古の『魔王と勇者の時代』を研究するザール王国随一の学者でもあるのよ!?」
「……いや、宮廷魔導師団を引退したのはもう随分前だがね……。それに学者と呼べる程の者では無いのだがね?」
と教授は謙遜しつつ、笑みを浮かべながら語り始める。
「宮廷魔導師団を引退した後に、ただの興味から始めた事で、趣味で続けているうちに、いつの間にかその道の第一人者になってしまっただけなのだがね……王宮から頂いた『教授』という称号も、まぁ、その研究のおまけの様な物だよ……ははっ」
自慢の口ひげを撫でると彼は話を変える。
「……で、アルメリー君、君は『イスティス』という名前の人物の事が聞きたかったのだったね?」
「は……はい……」
「では、どこから始めるといいか……。ふむ、そうだな……千年程昔にいたとされる、魔王と勇者の話から始めようか……」
「そ、そんな昔の人なんですか……!?」
そう言って教授は、ニコリと微笑むと古き時代の『勇者の一行』について話し始める。
「……それは魔王の脅威に対し、勇敢にも立ち上がった、戦士、魔法使い、僧侶、狩人、吟遊詩人など、他にも様々な職業の十数人の勇士達から成り、人間、ドワーフ、今ではあまり姿を見なくなった種族のエルフなどが協力して、かの魔王『アヴァール』に立ち向かった勇士達一行の事である。その勇士達の中で最終的に魔王を打ち倒した者が、後世に勇者として称えられるようになったと、そう古文書にも記されて現代まで伝わっている。そして当時、世界を恐怖と混沌に陥れていたその魔王には、十体の強力な眷属が付き従っていたらしい」
教授は自慢の口ひげを撫で、話を続ける。
「その中の一体に『第十の毒蛇』という恐れられた存在がいた。その眷属は他の眷属と違い、正面から直接戦闘を行うより、人間社会の背後で暗躍するという狡猾な戦術を好んだらしい。古文書には菫色の長く美しい髪を持ち、常に若々しい人間の美女の姿をしていたとされ、その時々によって色々な名前を使い分けたとの記録が残っておる。中でも『イスティス』という名前の記述が古文書にも多く残っているので、その名を好んで使ったと思われる。有力な貴族や、豪商、豪族などの懐にどこからか忍び寄り、その美貌と姿態、そして話術でその者の寵愛を独り占めにしてその地位を確固たるものにし、豪族を唆して平和だった地域に戦乱を起こさせたり、時の権力者を裏から操り、勇者の一行を同じ人間の手で始末させようと暗躍したらしいのだ……。だが、彼女の脅威はそれだけではなかったようなのだ。十の眷属に列席しているだけあって、とても強力な炎の魔法の使い手でもあったらしい。多種多様な魔法を使ったとしか記録が残ってはいないが……」
「イスティス……」
私の心の中がざわつく。
……私の中のあの人、そんな凶悪な存在だったの!?
始めて聞いた話の内容に驚愕し、心の中で戦慄する。予想もしていなかった強大な存在が、自身の体の中に眠っていることに、思わず気が遠くなる。うすら寒くなった体が反応して震え出し、自身の身を守るように両手で二の腕を抑え込む。
そんなこちらに気付いているのかいないのか、そこまで語ると、教授はメイドに用意された紅茶を一口飲み、話を続ける。
「……勇者一行も最初の頃は、まんまとその罠に嵌り勇士達に数人の犠牲が出たらしいが、その後は警戒され、大体は失敗に終わったらしい。勇者の一行が魔王の軍勢と戦い始めてからは、激しい戦いになったと言われておる。その戦いの結果、大陸の多くの農地は荒れ、幾つもの村や街は燃やされ灰燼と化していった。今では古文書の中にしか記述が残ってない多くの国々の軍勢が最終的には協力し、人類は一丸となって魔王の軍勢と戦った。その戦いの中で肉体と精神を成長させた勇者一行は、ついに神々の加護を得て魔王の軍勢との戦いに正面から渡りあう。戦闘が激化し、眷属が次々と打ち倒されだした辺りの記述から『第六の大甲虫』と『第十の毒蛇』である『イスティス』の二体の眷属に関しては記録が極端に減り、ほぼ残っておらず、突如、表舞台から姿を消しとるのだ。勇者一行が立ち上がってから、最終的に魔王が封印された十年の長きに渡る魔王の軍勢との戦いが記されている何冊にも渡る古文書を何度見返しても、この二体の眷属が倒されたという明確な記述はどこにも無かった。他の八体の眷属については『倒された』と、古文書にしっかりと記録が残っているというのに、だ」
と、その謎に興味をそそられている教授。できれば自身が、その謎の解明に関わりたいとでも思っているのだろうか?
「そうそう、勇者一行の話でな、一行の中に魔法使いがいたんだが、その人物は筆まめだったのか、一行の冒険を事細かに書き記していた日記の様なモノが当時あったらしい。現在残っているのは、聖光教の関係者が書き写したそれの写本なのだがね?」
聖光教……たしか、『聖光八神教会』の略で、この大陸で広く信仰されている八大神を祀る世界的宗教組織の事よね?このザール王国は守護神として大地母神テラ・メーラを祀っていて、その大神殿が王都にあったわね?行ったことないけど……。アンがそこの聖女と呼ばれてる人と、この前会ったって話してたっけ。今度合いに行ってみては、って確か言ってたわね……。
「……だが、それでも当時を知る一級品の資料だ。それによると勇者一行は魔王と直接対決する頃には六人まで減っていたらしい。それを元に吟遊詩人達によって編集された勇者達の冒険譚は、色々な歌が作られ、各地で歌われ広まった人気の演目だったそうだ。今でもそれにあやかってか、冒険者ギルドに登録する冒険者達の多くは『生還率の上昇』や、『大きな目標を達成する事』を願い、六人で組むのを好むそうだ」
教授が語る昔日の物語の情景が、彼女の目にもありありと浮かんでくるようだった。
「……ところでアルメリー君、魔王『アヴァール』が勇者によって封印された所はどこだと思うね?」
「さ、さあ?分かりません……」
「……魔王と勇者達一行が最後の戦いをした地は、北の方……現在のノルデン帝国領内だと言われておる。魔王の肉体は氷漬けにされておるらしく、現在もその当時のままの姿で残っておるらしい。だが一般には非公開なのだという。魔王と勇者の研究に携わっているこの儂も、実物は見たことが無い。死ぬまでに一度は見てみたいものだが……残念よのぅ」
「は、はぁ……それは残念ですねー?」
と、良くわからないまま相槌を打つ私。
「……そして、その魔王を討ったという伝説の聖剣の名は『ルミナールヴェイン』。魔を封印する光を宿した剣らしい。なんでも、倒した眷属の一体の体から出てきたという剣だそうだ。今は、南の大国であるハンディル神聖国に奉られているのだがね。十年に一度だけ、その剣が公開される祭典に私も参加したことがある。まぁ、一般参加で遠くから見ただけだったがね。剣は陽光を反射してキラキラと輝いていたよ。はっはっはっ!」
そこで教授は思い出したように思わず頷きつつ、右手で左手のひらを軽く叩く。
「眷属と言えば……この前、王立学院の実技試験に使われた『イドル遺跡』なのだが、あそこは考古学的にも貴重な遺跡でな。あそこの最深部の地下十層には、かつては『第六の眷属』の、巨大な異形の像が立っており、奉られていたのだよ。その奥には生贄を捧げるためのとても長い竪穴があり、その先は君達が戦闘して倒れていたというあの広間に繋がって……」
勢いに乗った教授の言葉は止まらず、遺跡の詳細や報告結果の一部まで語り始めた。
だが、ふとその一言を口にした瞬間、教授の声がぴたりと止まった。
自ら放った言葉の重大さに気づいた教授の顔は一瞬で強張り、次いで狼狽がその表情に現れる。眉をひくつかせ、
「あっ。……と、君ぃ~これは忘れてくれたまえよ?」
途端に室内の空気が変わり、教授は乾いた咳で誤魔化そうとするが、そのぎこちない仕草がかえって注目を集める。
「つい、調子に乗って口が滑ってしまった。ははは……」
「も、もう、お爺様ったら~~♪……アルメリーちゃんもこの事は忘れてね?」
孫娘に突っ込まれ、照れるように頭をぽりぽりと掻く教授。孫にはすごく甘いのが見て取れた。
「おっと、儂ばかり長々と話してしまったな。アルメリー君。君から何か聞きたいことはないかね?」
「で、では教授、『空を飛ぶ魔法』について知りたいんですけど、何か知ってる事はありますでしょうか?」
「空を自由に飛ぶ魔法か……」
教授は顎に手を添え、静かに思案を巡らせた。
「……昔はあったようだ。私が読んだ古文書の中にも何冊かそういった『空を自在に飛ぶ』魔法の記述を見た事があった気がする。だがどれも具体的な事や、詠唱、『鍵』については書かれておらんかったからのぅ……。予想はできるが、儂も詳細は知らぬ。魔王の軍勢との戦いで必要だったから新たに作られた魔法だったのか、精霊との契約が必須な魔法なのか、古い時代であり神代に近かった事から、今より高度な魔法が残っていたのか……。時代を経ていくごとに必要性の薄い魔法や、習得難度の高い魔法の後継者への継承の失敗、魔王の軍勢との戦いから百数十年後に起きた当時の列強国同士の戦乱で焼失し、失われた魔術書等は多かったと聞く。その書物の中には、現代では失われた高等な魔法や、高度な魔道具の製作技術が記された書などが幾つもあったと思うのだよ。……いとも簡単に高等な魔法は失われてゆく。争いは人の世の常とは思うが、残念でならんね……」
「そう……ですね……」
「ちなみに、なぜその事を聞こうと思ったのか、聞いてもよいかな?」
教授は、少し首を傾けながら穏やかに微笑み、椅子に身を預けつつ、指先でゆっくりと顎をなぞった。その瞳には孫娘を見るような柔らかな光が宿り、まるで彼女の言葉を心から待ち望んでいるかのようだった。
テーブルの上に軽く置いた手は微動だにせず、アルメリーが答えを口にするのを待つその姿には、長い歳月を経て培われた深い理解者の様な貫禄と落ち着き、慈愛に満ちた安心感が漂っていた。
「……私自身は身に覚えがないんですが、実は、上級生のソフィーという方に……まぁ……要約するとですね……『あなたが空を飛ぶ所をみたわ、私も空を飛びたいの。その知ってる空を飛ぶ魔法を教えなさい?教えないと皆にその事をばらすからね?』と脅されてまして、博識な教授なら、もしかしたら空を飛ぶ魔法について何か知ってるかな……と」
「……リリアナ。今、学院で教官を含め、空を飛べる魔法が使える者はいるのかね?」
「……居ないハズです。学院の授業では、そもそも中級魔法の習得までしかやりませんし……」
「よし、アルメリー君。その子にこう伝えるんだ。『風魔法の上級魔法には確かにある』と。それは『宮廷魔導師団に入れば教わる事ができる』『偵察の為に使う空を飛ぶ魔法がある』、だけど『私が教える事はできない』とね。もし、『そんな事をすれば情報漏洩の罪で投獄されてしまう』と。そこまで言えば、流石にその彼女もそれ以上の事は諦めるだろう」
教授はそこまで言うとニヤリと口角をあげ、目をキラリと光らせる。
「……そして、その子に勉学や魔法実技を頑張ってもらう様にこう伝えるんだ。『もし、成績が良くなければ、学院を卒業後に、魔法兵団にしか入れない。そうなれば、上級魔法ではなく集団魔法を習得させられる。その先の一生、あなたが望む魔法は習得できない』……とね?」
「なる……ほど?」
「まぁ、空を飛ぶ魔法……と言えるのかどうか正直怪しいが、あることはある。我々が習得する事ができる現存するその魔法は、風属性魔法の上級魔法の中にある。まず術者には風属性魔法が使えるという条件がある。使える者はその時点で絞られるし、本来は偵察の者が森の中などで部隊の進行方向を確認する為に、高い木の上や、崖の岩の上に間単に上がる目的で使ったり、あるいは敵軍とのおおよその距離や展開状況を高所から伺い知る為に使う、空を飛ぶ魔法だが。いや、空を飛ぶといえば語弊があるか?正確には足元に空気を圧縮してその地点から真っ直ぐ上に跳躍するだけの魔法なのだがね?」
教授は、そこでメイドが紅茶といっしょに持ってきたスイーツのルリジューズを一つ手に取り、それを術者に見立て、動かし始める。
「一度の発動につき、上昇できる上限の高さは術者の魔力に比例するし、消費魔力も多めだ。『鍵』ありならなおさらだが、さらにそこそこの高さまで上昇できる。体を下に傾ければ、体はその時点で自然に滑空を始める。そうすることで傍からは疑似的に飛ぶ……様に見える。その魔法で移動出来る範囲は、『落ちながら滑空』『上昇』を繰り返す事で伸びる。連続で何度この魔法を発動出来るか?という術者の魔力容量に比例するし、その滑空状態では「体重」に加え「加速度」も付く。魔法の発動の為の精神集中や制御の難易度も上がるが、流れるように連続して発動できれば、波打つようにでは有るが、加速をつけた状態で再上昇でき、より高く、より遠くへ行くことも可能なのだがね」
教授は、手に持ったルリジューズを波形を描くように上下に動かしながら横へ移動させてゆく。
「着地をする際には再度その魔法を唱え、一度上昇して速度を殺し、真っ直ぐその場に降り立つ。最低でも一回、落下の速度が早すぎるならもう一度だ。そう、できれば自身の安全の為にも二回分の魔力は残さなければならない。この魔法は魔力の管理も大事になる。見事に着地を決められれば、傍から見ても……異性の心を奪える、実に印象深い魔法になるのだ……。かくいうこの私も若い頃、妻の心をそれで射止めたものだがね?ふふふ……。まぁ、これは宮廷魔導師団の機密に抵触しかねないギリギリの情報だから、くれぐれもその子以外には口外しないように。分かったかね?」
「は、はいっ!それなら、本人の努力次第だし、私を脅している上級生も納得してくれるかもしれません!本当に助かりました!」
「それでも、その子が引き下がらないなら、私に言ってきなさい?ちゃんとお説教をしてやるのですよ」
「リリアナお姉ちゃん、ありがとうございます!」
「あら~~アルメリーさん、ほんとにかわいいわね~~ウフフ♪」
リリアナ教官は私の頭を抱えて、暫くなでなでし続けたのだった。
長話がひと段落し、ふと窓の外を見ると、空はいつの間にか茜色に染まり、やがて徐々に薄暗くなり始めていた。バルナルド教授の家での貴重な時間を過ごした私は、教授とリリアナ教官に深く礼を述べ、ゆっくりと席を立った。
玄関まで見送りに来てくれた教授が、「また訪れてくれると嬉しいよ」と、温かく微笑みを浮かべ、リリアナ教官も「是非、またいらっしゃい」と手を軽く振りながら笑顔で言葉を添える。
アルメリーもほっとしたように微笑み返し、
「今日は色々な事を教えてくれて、ありがとうございました!」
と、感謝の意を込めて深く頭を下げる。
「じゃ、学院まで馬車を出すわね?」
「ありがとうございます♪」
リリアナ教官の申し出に感謝し、カーテシーをしながら答える。
ほどなくして、屋敷の中庭から軽やかな馬蹄の音が聞こえ始めた。玄関の扉をメイドが開けてくれると、一台の馬車が玄関ポーチの前に滑らかに停まる。
その馬車はお昼に乗ってきた馬車とは別の馬車だった。美しい深緑の装飾が施され、車輪には丁寧に磨かれた金具が輝いている。御者台に座る年配の御者が軽く頭を下げ、穏やかな笑みを見せた。
リリアナ教官が先に乗り込み、続いて私も柔らかいクッションの敷かれた車内に身を沈める。扉が閉まると、馬車は少し揺れ、静かに動き出した。
車輪が石畳を滑る音が心地よいリズムを奏でる。徐々に屋敷の景色が後ろへと流れ、街道へと出ると、時折風が吹き抜け、馬車の揺れに合わせて窓から心地よい風が舞い込む。
「学院までは少し距離がありますから、軽いお話でもしながら行きましょうか~♪」
リリアナ教官が穏やかに微笑みかける。その言葉に、私は自然と心が軽くなるのを感じた。馬車は静かに揺れながら、目的地へと向かって進んでいく。
……だが、困った事に特に共通の話などがあまりないので、話題はすぐに尽きてしまった。
ちょっと気まずくなったアルメリーは視線を窓の外へ向け、窓辺に浮かぶ夕暮れの街並みをぼんやりと眺めながら、教授の話した内容を思い返していた。
やがて学院の門前にたどり着くと、リリアナ教官が「気をつけてね」と優しく声をかけてくれた。アルメリーは再び礼を述べ、馬車を降りて学院の中へ……自身の入居しているヴィクトワール寮へと帰るのだった。




