抗争 前編
エクリプスノワールの根城にある薄暗い会議室で、首領のディナルドは重厚な木製の椅子に腰掛け、冷たい眼差しを窓の外へ向けていた。窓越しに見える範囲は平穏を保っているが、放っている密偵から時折入ってくる北区域の混乱した情報が、彼の心をさらに暗くする。
右腕であるブロワールが、地図を広げたテーブルに立ち、報告を続ける。
「ディナルド様、北区域での浮浪者同士の争いが激化しています。毎日のように小競り合いが発生し、住民たちからの苦情が絶えません。また、住民達の間に我々エクリプスノワールに対して根も葉も無い『噂』が広がり、不満の声や敵対心が日増しに強くなってきている様に思えます。……このままいくと我々の行動にも支障がでる危険域になる可能性があり、それも時間の問題かも知れません……」
ディナルドは顔をしかめ、拳を固く握りしめた。
「オヤジすんませんッ!俺の失態です!こんなになるまで気が付きませんでしたッ!」
「かまわん。大事なのはこれからよ。……それにしても、儂らの喉元までフェルシスの手が伸びてきているとはな……。やつらもやるときはやるのう?」
「傘下の連中には、流入してきた浮浪者に対し警戒と粛清を厳にするように指示は出していたんですが……」
ブロワールはそこで言葉を切り、地図の上に指を滑らせながら話を続けた。
「オヤジも南の仕業に気付いて!?……今、部下を使い調査をさせています!仰る通りフォコン・オブスキュールが裏で手を引いているとすれば、この混乱は彼らの狙い通りというわけですか……」
「こうなれば、グズグズしとる訳にはいかんのう。我々の手の者を集めよ!こちらから攻め込んでくれる!」
「……オヤジがそう言うと思って、既に部下を走らせてます。暫くお待ち下さい。今頃、それぞれの集団は準備を進めていると思います」
ディナルドは深く息を吸い込み、重々しく言った。
「我々の縄張りを侵すつもりか。フェルシスめ……この機会を狙っていたのは貴様だけではないぞ?逆に貴様の縄張り、儂が喰ろうてやるわッ!」
一方、南側のフォコン・オブスキュールの拠点では、フェルシスが豪華な椅子に座り、優雅にワイングラスを傾け嗜んでいた。彼の周りには忠実な部下たちが集まり、緊張した空気が漂っている。フェルシスは北側の混乱の報告を受け、満足げに微笑んだ。
「いいぞ、計画は順調だ。北のやつらは、混乱の中で自滅するのではないか?くくく……。これを機に、貧民窟全体を我々の支配下に置く。其の方ら、抜かりはないな?」
側近の一人が不安そうに尋ねた。
「しかし、エクリプスノワールは簡単に倒せる相手ではありません。ディナルドとその幹部達の忠誠心は強く絆は強固。それに一人ひとりの武勇も高く、簡単に倒せる相手ではありません……」
フェルシスは冷ややかな笑みを浮かべ、口を開く。
「それは分かっている。だが、我々の計画は上手く行っている。このまま策をすすめよ。奴らを揺さぶり、敵を内部から崩壊させるのだ。まずはヤツらと住民の間に『噂』という楔を打ち込み分離させる。”火の無い所に煙は立たぬ”と言うであろう?火が無ければ火をつけるまでだ。そう、全てはこれからだ……」
こうして、両組織の首領たちの思惑が交錯する中、北区域の混乱はますます激しさを増していった。貧民窟全体を巻き込む争いの火種が、今まさに点火されようとしていた。
◇
エクリプスノワールのディナルドとその右腕ブロワールは、北地区で続く浮浪者同士の争いを静観しているわけではなかった。
ディナルドの指示で、エクリプスノワールは治安回復を名目に傘下の集団から人員を拠出させ、一段と見回りを強化していた。中でも目立ったのが、エクリプスノワール直属の構成員達で構成された黒いマントを羽織った巡回隊だ。北地区の街路をこの巡回隊が巡回し、目を光らせるようになった。彼らは反抗する者や暴力的な行為を見かけたら容赦なく粛正し、縄張りの住民達に綱紀粛正を図り、エクリプスノワールの力を見せつけるのだった。
ブロワールは時間が空く度に巡回隊に加わり、その先頭で声を張り上げる。
「ここは我々の支配下だ!暴力行為を起こす者は発見次第、容赦なく粛正する!」
その目は冷酷で、どんな反抗も許さないという強烈な意志が宿っていた。
他の地区から来た浮浪者達は、恐怖と威圧を周囲に撒き散らすブロワールの存在に震えながら、巡回隊が通り過ぎるのを息を潜めて待つしかなかった。かつての平穏を取り戻そうとするエクリプスノワールの、その支配域から逃れ、一部には元の地区に戻る者達も出始めた。彼らの言葉を受け入れ大人しくするか、元居た地区に戻るかを選ぶしかなかった。
一方、南側のフォコン・オブスキュールの首領フェルシスは次の手を打っていた。浮浪者達の中に紛れ、扇動している部下達に指示を飛ばしていた。『北地区で欺瞞戦闘を繰り返し起こすように』、と。
南区のとある場所に、かつて豪商の邸宅であった巨大な屋敷がある。その外観は、年季の入った石造りの壁と崩れかけた装飾が目立つが、建物の威厳は失われてはいない。大きな鉄製の門は、錆びつきながらも重々しい存在感を放ち、外部からの侵入を阻んでいる。
その屋敷の自室で、フェルシスはゆったりと寛ぎながら、今頃は幹部の一人が手勢を引き連れて北側の拠点に欺瞞戦闘を仕掛けている頃合いだろうと、その情景を頭に思い浮かべていた。
それは”拠点を落とす為の本格的な攻撃”ではなく、浅く攻撃をしてはすぐに引き上げる、といった策で、それはエクリプスノワールの兵隊達への精神と集中力を削ぐための波状攻撃であった。
一日中、不定期にどこかで小競り合いや、拠点への襲撃が起き、防衛側は次は何処か!?と緊張で精神が張り詰める。
攻撃を受けた所から救援要請が来ると反撃のため兵隊を送り出すが、その兵隊達の姿を見ると攻めていた彼らはすぐに逃げ出してゆく。
拠点への攻撃も同じで、攻めてきている兵隊は声だけは大きく張りあげていたが、本気で落とすような気合も気迫もない攻め方なので、防衛側もつい呆れてしまう。
それが数日も続くと、拠点の防衛側も”またいつものヤツか……”と油断するようになっていった。
その屋敷の大広間では南の主だった者共が一堂に介し、数段上の玉座のような豪華な椅子に座るフェルシスを見上げていた。
「現地では混乱しておろうな……くくく。エクリプスノワールが瓦解していく様が目に浮かぶようだ……。ふむ、今日は何日か?」
「十二日でございます、フェルシス様!」
「そうか、例の工作を始めて三日目か……。報告を聞き次第、我々は北に攻め入るぞ……。そなたらも出撃の準備を進めておけ」
「おお……ようやくですな!?」
「我らの悲願!」
「ルイン地区の全てを手に入れましょうぞ!」
広間を見下ろす位置にある豪華な椅子の上で、フェルシスは広間に集まった者達から上がる声を聞き、彼はだらしなく姿勢を崩して足を組み、片肘をつき笑みを浮かべていた……。
夕方頃、その策に従事していた打撃工作隊の隊長がフェルシスの元に戻ってくる。
「報告いたします!フェルシス様の目論見通り、やつらの警戒は緩んでおります。我らが多少、大きく動いた処でいつものことかと思い込み、対応は遅れることでしょう!」
「ふふふ……そうか。待たせたな皆の衆!明日の朝より、『北の嵐作戦』の開始だ!北側へ迅速果敢に強力な攻撃を行う!今宵は其方らに、酒と料理を用意した!存分に飲んで喰い、十分に英気を養え!!」
「「「オオオオオオーーー!!」」」
集まった者達が、広間にいくつも並んでいる大きなテーブルの上に集い、用意された酒や料理に舌鼓を打ち、隣の者と談笑する。その夜開かれた宴には笑い声が絶えなかった。
酒が入り、盛り上がっているその宴から、誰も気に留められずこっそりと姿を消す者がいた。
両組織の緊張は日に日に高まり、貧民窟全体に不安が広がっていた。人々は息を潜め、戦いがいつ始まるのか、どこまで広がるのか、誰もが予測できないまま日々を過ごしていた。しかし、誰もが感じていた。この小競り合いは、じきに大きな戦いへと発展するだろうと。
◇
夜の闇にまぎれ、外套のフードを目深に被り、周りをキョロキョロと確認した人物が、エクリプスノワールの根城の裏口から入って行く。その人物はそのままディナルドの居室へ向かうと扉の前に立っている護衛と二言三言言葉を交わす。護衛が頷くと、そのまま室内へ通される。
暫くすると、その人物は部屋から出てくる。
廊下に出たその人物は外套のフードを再び目深に被り、来た時と同じように人目を避け、また裏口から出て行くのであった。
ディナルドは口をきつく結び、荒々しく扉を開け、廊下に出ると真っ直ぐに広間へと向かい、室内に入ると上座にある自分の席にどっかと腰を下ろし、手下に指示を飛ばし、幹部を召集する。
暫くして、急遽作戦室に改装された広間に幹部の顔ぶれが揃うと、緊張感が漂う中、ディナルドは部屋の中央に置かれたバカでかい会議用テーブルの上に広げられた地図の上に手をかざす。
「……先程、儂はフォコン・オブスキュールがこちら側へ侵攻する日時の確かな情報を掴んだ。我々が先手を打つ。手勢を集めろ!主力部隊を創るぞ!それを儂が直接指揮するッ!!」
ディナルドは拳を握りしめ、宣言すると前線で指揮を執る覚悟を固めた。
「「「はっ!」」」
ディナルドの命令に幹部の皆は応え、頭を下げる。そこでブロワールは立ち上がり、用意しておいた十数枚の命令書を首領の前に提出する。
「新たに傘下に入れた東西の集団には、自分が『いつでも戦いに出れるように準備をしておけ』という内容の書状を既に配り終わり、声をかけております。彼らは出撃の命令を今か今かと待っている事でしょう。オヤジ、この命令書に署名を。書いて頂ければ今から手下を走らせます。朝にはこの根城前の広場に兵共が集まり、埋め尽くすでしょう!」
「ぐわっはっはっ!ようし、直ぐに署名してやろう!よこすがいい!」
ブロワールが恭しく書状を差し出す。
ディナルドはそれらをまとめてひっつかむと、室内の作業机に豪快に座り、凄い勢いで署名をして行く。
何枚か署名が終わるとブロワールがブツブツ何かを呟いているのに気が付く。ディナルドは署名していた手を止め、ブロワールに語りかける。
「どうした、ブロワール?」
「い、いえ……。こんな時に、『ファイエルブレーズ』の『イスティス』がいれば戦力になるのでは……と思いまして……」
「奴等の拠点……『工房』だったか?この前、何者かに襲撃されたそうだな?その時使われた魔法は……かなり威力の強い爆発が起きたそうだな?」
「オヤジも知っていたのですか!?」
「……風の噂程度には、な?たしかに、今ここに居れば戦力になったかもしれん。だが、いつ現れるか分からん者を当てにしていたのでは勝機を見失う……違うか?」
「確かに……。この戦、機を逸してはなりません。失礼致しました。……それに、我々の力だけで勝利を手に入れてこそ、この貧民窟全域の支配者としての『正当性』、『力』を誇示できますね」
「フッフッフッ。……そういうことだ」
そこまで言うとディナルドは視線を卓上に戻し、再び羽根ペンにインクに付け、署名をしていく。
その間、ブロワールは手勢の中から武力に秀でた者を頭の中で選抜し、手下に指示を出して頭に思い浮かんだ名前の彼らを呼び集めるのだった。
翌日、夜明け前の静寂の中、エクリプスノワールの手勢達や傘下の集団、東西の中小の集団の兵隊が思い思いの装備に身を固め、エクリプスノワールの根城の前に集まっていた。
ディナルドは根城の三階にあるバルコニーから、その集まった兵達に演説を始めた。
「……皆の者よく聞け!これより我らはフォコン・オブスキュールの支配する南へと攻め入り、その縄張りを刈り取る!手柄をあげた者にはその働きに相応しい新たな縄張りをくれてやろうではないか!者共、気張れよ?」
ディナルドは右手を掲げて左から右に流れるように動かし、声を張り上げる。
「集まったこの人数を見よ!今ここに貧民窟の南を除く北、東、西の勢力が集まっている!南を圧倒するこれだけの戦力!戦いは数じゃ!この数が集結した儂らが負けることは、決してあり得んッ!皆の力を南の奴等にみせつけてやろうぞ!!」
「「「オオオオオッ!!!」」」
と、根城の前に集まった者共が沸き立つ!
ディナルドの背後に黒いマントを羽織ったエクリプスノワールの幹部達が集まり、皆一斉に剣を高々と掲げる。
「我らに勝利を!南の愚か者達に鉄槌を!!!」
「「「ウオオオオオオオ―――ッ!!!」」」
かくして南側への進軍の準備が整えられた。彼らの眼差しには決意と覚悟が宿っていた。
日が昇り始め、夜明けと共にエクリプスノワールの主力部隊は南へと進軍を開始した。彼らは無言で進んでゆく。
違法建築や無秩序な増改築で入り組んでいる為、全体が揃って進軍できない問題があったが、東と西の集団をまとめた部隊はそれぞれエクリプスノワールの幹部が率い、別々のルートを通って進軍して行く。
南との実質的境界線上に構築された北側の最前線の砦。その砦の閉じられていた大きな門が重厚な音を上げながら開かれて行く。
そのまま、エクリプスノワールの主力部隊は南下し、フォコン・オブスキュールの拠点を目指す。
ディナルドは馬上から振り向いて部隊を見渡し、自身が率いる部隊の圧倒的な威容に、思わず口角があがり目を細める。
進軍が開始されると、貧民窟全体が大規模な戦闘に巻き込まれたような雰囲気となり、混乱が一気に広がった。
特に最近、取り締まりがきつくなった事に反感を覚えていた流入してきた浮浪者が、恨みを晴らそうと、進軍の通り路となる場所の各所に潜伏し、通過するディナルドや幹部の命を狙い建物の陰から短刀やナイフ等を手に襲い掛かってきたのだった。
だが所詮、それは素人による計画性も連携も何も無い単調な攻撃に終始していたため、ほぼ全ての襲撃が撃退され、悉く粛清されていった。
人々は恐怖に震えながら、ただただエクリプスノワールの兵隊が通り過ぎるのを息を潜めて待つのだった。
やがて、南地区に幾つかある犯罪組織フォコン・オブスキュールの小規模な拠点の一つ、その前に到着する。
「かかれェ!」
ディナルドの合図と共に、エクリプスノワールの主力部隊はその拠点に向け突撃を開始した!
その拠点に詰めていたフォコン・オブスキュールの構成員は叫びながら、我先にと必死に逃げて行く。
大した防御設備の無いその拠点はあっという間に陥落し、フォコン・オブスキュールに関連しそうなものは投げ捨てられ、新たにエクリプスノワールの旗が建物の上にはためくのであった。
その勢いのまま、事前に調べていた幾つかの拠点を落としていく。やがて、分かれて進軍していた東西の部隊とも街路の状況が良くなった事で合流を果たした。
合流したことで兵隊の数が膨れ上がった彼らは、その戦力を持ってフォコン・オブスキュールの三つの重要拠点の内の一つ、”影の砦”へと向かう。
やがて、鉄壁の防御を誇るという噂のその拠点の前に、エクリプスノワールの主力部隊が集結する。
「攻撃を開始せよッ!」
ディナルドの合図を受け、全部隊が突撃を開始する。
「「「ワァアアアアアアア!!!」」」
南の拠点前で激しい戦闘が開始された。エクリプスノワールの兵隊達は全力で堅く閉じられた拠点の大門へ攻撃を仕掛けた。ガタイが良い者達が大門へ体当たりをしたり、大斧を叩き付けると、一撃ごとに厚い木材で出来た門から鋭い破片が飛び散り、宙を舞った。
防衛側も一歩も退かず、門の上から投石をしたり、下に向かって弓を放つ。
エクリプスノワールの兵隊達も大盾を持った者が集団で前に出て盾を上に向けて掲げ、投石や矢から仲間を守る!
矢や石が飛び交い、あちこちで上がる悲鳴と怒号が混ざりあい騒音となる。お互いの兵隊は一歩も退かず、一進一退の戦いが繰り広げられた。
「じきにフェルシス様が兵を率いて駆けつけてくださるッ!者共、今は耐える時ぞ!!」
「「「おおおーーーッ!」」」
◇
一方その頃、”影の砦”から知らせを受けたフォコン・オブスキュールの首領フェルシスも、エクリプスノワールの攻撃に対して即座に応戦する為に立ち上がる。
エクリプスノワールの攻撃か……図ったような好機に攻めてきたな……。どうやら、配下の中にエスピオン(スパイ)がいるようだな……。まあ今は、そんな瑣事どうでも良い。
「者共!出るぞ!!」
室内はその声に応える配下の声で満たされるのだった。
彼は手勢を率いて”影の砦”に急行する。
”影の砦”はエクリプスノワールの兵隊に囲まれていた。防衛隊は必死に敵に抵抗してその進軍を食い止めている。フェルシス率いるフォコン・オブスキュールの主力部隊はその砦を取り囲んでいるエクリプスノワールの兵隊の横合いに現れ、そこから槍を構えた戦闘員が一斉に突撃する!
「守り抜け!同志達よ!我が来た!フォコン・オブスキュールの誇りを見せよ!!」
フェルシスは戦場の中央で高らかと叫び、その声は拠点を護る防衛隊の士気を高めた。彼らは再度力を奮い起こし、エクリプスノワールの猛攻を食い止めるべく拠点において奮闘した!
フェルシスの指揮する部隊は南の主力部隊から突出するように、そのまま敵主力部隊の横腹をこじ開けていく。最前線の兵は飢えた狼のように勇猛果敢に戦い、気迫と勢いで前線を十字路まで押し返すと、左右両側が高い建物に挟まれた路の上に陣取る。
数の差を補うため、横からの攻撃を両脇の建物によって防ぎ、道路上の限られた正面の範囲だけで戦闘を行う状況を作り出す。あらためて地の利を持つフェルシスの用兵が光る。
フェルシスはそこで、片手を高々と上げる。
ザザザッと、数十人が両脇の無人の建物に分かれて駆け上がり、続いて一階には重武装の者が入り、放置された家具やテーブルを窓際に移動させ簡易的な障壁代わりにし、建物自体を簡易的な即席の砦にする。建物の中を駆け上がった者達は、あっという間に二階や三階の敵に面している窓やバルコニーに配置につき、弓を引き絞る。
フェルシスが上げた手を前方へ向けて倒すと、一斉に矢が放たれた!
エクリプスノワールの兵隊達から多数の悲鳴が上がる。
「引けぇい!建物を盾にせよ!!」
ディナルドは怒鳴り声を上げ、部隊に後退の命令を出す。彼らは、一旦”影の砦”の包囲を解き、弓の射線から逃れる様に建物の影に部隊を移動させる。
包囲が解かれた拠点の防衛隊から、どっと歓声が沸く。
そこで両陣営の睨み合いが始まり、戦況が一旦膠着する。
両組織の激突はまだ始まったばかり。終わりが見えず、エクリプスノワールとフォコン・オブスキュールの兵隊達は、互いに睨みあい一歩も譲らず、この戦闘がどちらに有利に働くのか、まだ誰にも分からないまま、戦いは続くのだった―――。
◇
「……あの建物におる弓使い達が邪魔よの。ヤツらがいなければ、もっと簡単に敵を捻れたのにのう」
「俺が決死隊を募り、建物の弓部隊を蹴散らせましょうか!?」
ブロワールが進言する。
「まぁ待て。儂らには、南地区の地の利が無い。今、あの建物を落とすべく裏から攻める良い経路が無いか調べさせておる。報告があるまで、儂らはどっしりと構えておれば良い」
「はっ!」
暫くして、偵察に赴いていた者達が帰還してきた。
「報告します!例の建物の周りは裏まで敵の兵隊が守っており、警戒されています。裏側には弓兵の姿はありませんでした!ですが、我々が裏から攻め掛ければ建物の中を移動してすぐ現れてくるでしょう!」
「そうか。わかった、下がれ」
「はっ!」
そのまま両陣営は睨み合いが続く。数時間が経った頃、ディナルドがある事を思いつき、周りを囲む幹部の一人に声をかける。
「おう、ガストリックよ。ここは暫く動きそうにない。東のヤツらを連れて、南の重要拠点の一つ、”夜の塔”を攻めてこい。落とせるか?」
声をかけられた彼の姿は、まさに戦場で鍛え上げられた肉体そのものだった。身長は6マンと6プース(2メートル近く)近くあり、筋肉の塊のような巨体は圧倒的な威圧感を放つ。鍛え抜かれた腕は太く、拳を握るたびに筋が浮かび上がり、まるで鋼鉄のごとく硬い。肌には戦いの傷跡が刻まれており、無数の古傷が彼の戦歴を物語っている。
彼の顔つきは鋭く、切れ長の目はまるで獲物を狙う猛禽のようだ。深い眉間の皺が、彼の厳格で冷徹な性格を示している。鼻に大きな傷跡があり、口元には不敵な笑みが常に浮かんでいる。頭は短く刈り込まれた黒髪で、太い首筋から肩にかけての筋肉が、戦闘のために鍛え上げられたことを示している。
彼の体を包む鎧は、黒く染められた革と金属で作られており、無骨ながらも実用的な意匠だ。胸板には鋲打ちのプレートが並んでいる。
「……オヤジよ、そこは『落とせるか?』じゃねえ、『落とせ』だ。俺も暇してた所よ。ちょっと小突いて落としてくるからよ。待ってな?」
「クックック……頼もしいな。流石よ、ガストリックは。『夜の塔』が落ちれば、奴等に広がる動揺もさぞ大きかろうて。よしッ、行けい!朗報を待っておるぞ!!」
「任せろッ!」
ガストリックが馬を走らせディナルドの側を離れていき、東の集団が集まっている場所へ向かう。主力部隊の一部が彼の後をついていく。彼が東の集団に一声かけると、東の集団がゾロゾロとついて行き、本隊から離れていく。
南の兵隊達からは建物の陰になって、多少の動きがあるのは分かるだろうが、全体の動きは分からないはずだ。
東の部隊集団が離れて姿が見えなくなった頃、やはりどこかから偵察されてたいたのか、好機と見た南の兵隊が動き始めた。南の兵隊が目指すのは、馬に乗って目立つディナルドを始めとする幹部達であった。
「「「首領の生命取ったれやーッ!!」」」
「下郎如きに易々と取られる儂ではないわ―――ッ!!」
「ディナルド様には近寄らせんぞーッ!!」
戦端が開かれ、二つの勢力は壮絶な戦いを繰り広げた。
前線の兵隊は剣や槍、それぞれが得意な獲物を持ち、目の前の敵と切り結び、激しい剣戟を繰り広げる。
敵に斬られ、地面へ倒れる者、隙を見せた者が脇や背を斬られ、刺される。血を流しながら後悔や、恨み言を叫び倒れる。
剣は血にまみれ、幾多の槍の穂先から血が滴る。
地面には夥しい血が染み込み、怒号と咆哮が入り乱れ、渾沌と化した戦場に血と鉄の匂いが満ちていく。
「今が好機ッ!この入り乱れたまま前線を上げよッ!今なら同士討ちを恐れ、敵も撃っては来ないであろうよ!行けッ!進めェッ!!」
ディナルドは興奮し、戦場に響き渡る声を上げる!
エクリプスノワールの主力部隊がその数にものを言わせ、ジリジリと前線を上げる。
ディナルドの読み通り、同士討ちを恐れた敵の弓兵は攻撃してくることが無かった。
フェルシスが即席で作った十字路の簡易砦を、多くのエクリプスノワールの兵隊が囲み、攻め立てる。
そして、主力部隊の兵隊を割き、フェルシスの本陣を目指し攻めてくる部隊があった。その圧力、勢いはかなり強い。フェルシスのいる本陣に到達するのも時間の問題かと思われた。
フェルシスは、眉をひそめ、薄く開いた唇を強く噛んだ。フェルシスは拳を握り締め、心の中で静かに舌打ちをする。
この戦場では地の利を持つ自分が優位に立つはずだった。俺にあと、五百……いや、せめて二百ほど自由に動かせる兵隊達がいれば、奴等の後背を突くことで状況の挽回が出来たはず……。くっ、もはやこれまでか……。
と、フェルシスが半ば諦めかけた時、突然、エクリプスノワールの戦列が乱れ始めた。
彼はハッと顔を上げ、戦場を見渡す。
前線よりやや後方で指揮を執っていたはずのディナルドの馬の背に、彼の姿が見えない。
「なんだ?一体、何が起こっている!?」
◇
ブロワールの前で指揮を執っていたディナルドが、急に馬上で震え始めた。気になって隣まで馬を進め、彼の方を見ると、その顔が蒼白になっていき、呼吸が荒くなっている。苦しそうに胸元を掴み、意識を失ったのか、馬から落馬する瞬間を見た彼は、思わず叫び声を上げそうになる自分自身を、この場が戦場であるという事実、士気に関わると言う事を瞬時に理解した最後の理性がつなぎ止め、口に手を当て叫び声を上げるのをなんとか静止する。
その瞬間、心に受けた強烈な衝撃により、周囲の動きがとても緩慢な動きとなり、戦場にいる者達の上げる声や、あらゆる物から発せられる音が無音、あるいは遠くから聞こえるただの雑音になった。
エクリプスノワールの主力部隊、特にディナルドが居た辺りが特に慌ただしくなっていた。
「ディナルド様を守れッ!!」
という護衛者達の叫び声が響く中、エクリプスノワールの精鋭達は盾になるかのように彼を中心に人垣を作って囲み、
「お前ら、邪魔だ!道を開けろ!!」
などと後方の兵隊達に声を荒げ、戦場から急ぎ退却を開始した。しかし、その突然の動きが前線の兵士たちに不安を与え、隊列は一気に混乱に陥った。
混乱により士気が低下したエクリプスノワール側の兵隊を見て息を吹き返した敵の猛攻に対し、徐々にエクリプスノワールの主力部隊は押し込まれていく。
「今だ!進め!進めェ!!」
勢いに乗ったフォコン・オブスキュールの各部隊の指揮官達が叫ぶ!
ブロワールが乗っている馬の周囲の者が混乱し、激しく馬にぶつかる。馬が驚き、激しく動いた事でブロワールは馬上から落ちそうになる。慌てて手綱をつかみ、姿勢を戻すとなんとか心の衝撃から引き戻され現実へと戻って来た。先程まで、ただの雑音だった周囲の者が上げる喚き声、怒声が、明瞭に意味を持って聞こえてくる。
必死に指示を求める部下達の声と合わせ、周りを見渡すと彼は即座に状況を把握し、部下に矢継ぎ早に命令を下し終えると、混乱する主力部隊を一喝でまとめ上げた。
「ここで退けば全てが終わる!我々《エクリプスノワール》の底力を見せろ!!」
戦場にブロワールの力強い声が響く。混乱してどうしてよいのか分からず右往左往していた兵隊達は、その一声により敵に立ち向かう勇気を奮い起こし、力を取り戻した。エクリプスノワールの兵隊達は、再び立ち上がるのだった。
前線をつぶさに見ていたフェルシスは、一時混乱に陥ったエクリプスノワールの本陣の周辺や、戦場の人々から飛び交う声などから、ある結論に達する。
ククク……天祐、我にあり!だなぁ~?ディナルドォ……どうやら貴様、発作でも起こしたかぁ〜?歳には勝てんかったようだなぁ~?ハハハハハ!!
フェルシスは拳を握り締め、工作活動に長けた部下数人を呼び出す。部下が集まると、それぞれに耳打ちする。全員に話し終わると、彼は頷く。すると部下達は一斉に駆けだす。
前線から姿を消したディナルドの事はブロワールが誤魔化して一旦沈静化していたが、暫くすると、エクリプスノワールの兵隊の間で嫌な空気が広がる。
出所の分からない”ディナルドが前線から下がったのは急な発作を起こしたからだ”という体調悪化の噂が、フォコン・オブスキュールの変装した工作員によって大々的に広がってしまったのだ。
一度燃え上がった噂による疑惑はもはやブロワールの力をもってしても簡単に静まる事は無く、フェルシスは浮足立ったエクリプスノワールの情勢を巧妙に利用し、エクリプスノワールの傘下に入ったばかりの左翼に布陣する西地区側の中小集団にさらに工作員を放ち、揺さぶった。
『ディナルドはもう長くない。こちらは奴の倍、報酬を出そう。今こそ決断の時だ』
というフェルシスの言葉を、工作員達によって伝えられた西地区の中小集団の指導者達は、不安と裏切りの狭間で揺れ動いた。
その際にフェルシスから出された条件はたった二つ。
”自分達の集団は戦場で動かない”
”自分達の縄張りの中を、フォコン・オブスキュールの部隊が通り抜けるのを黙認する”
というモノだった。この二つの条件を呑めばリスクも少なく、エクリプスノワール側が約束したモノの二倍の報酬が得られる……。この誘惑に多くの指導者が心を揺さぶられた。
結局、ディナルドやブロワールに恩義を感じ最前線で戦っている一部の集団を除き、ディナルドの容体を改めて聞いた中小集団の指導者達は首を縦に振り、エクリプスノワールを見限ってフォコン・オブスキュールの出した条件を呑む事を、暗黙のうちに認めたのだった。
ディナルドは、痛みと疲労に耐えながら護衛に囲まれて退却していた。護衛者達はエクリプスノワールの根城に急ぐ。彼は撤退の途中に即席で作られた担架に載せられ運ばれていたが、その顔には苦悶の色が浮かんでいた。
周囲の護衛者達は、鋭い眼差しを四方に走らせ警戒する。いつ何時、敵が襲ってくるかもしれないという緊張感に包まれながら走っていた。彼らは、できる限り早く安全な場所にディナルドを連れ帰ることを最優先目標にしていた。
彼らの進む道は荒廃した街並みに沿って続いていた。建物の影が彼らの行く手を覆い、時折、風に乗って瓦礫が転がる音が、人々が声を潜めて戦いが終わるのをじっと待つ北地区の静寂の中に響く。
根城にたどり着き、護衛者が中の仲間に声をかけると、最近ようやく完成した外壁の正面の門が開かれる。
根城の中から仲間達が出迎えに出てきた。数人がディナルドを乗せた簡易的な担架を持つのを交代し、残りの仲間達が担架を交代で運んできて疲れきっていた護衛者達の身体を支えながら、建物内部へと入っていった。
ディナルドやエクリプスノワールの兵隊達の無事を祈っていた仲間達が、実際に運び込まれたディナルドの姿を見て、その表情には不安の色が色濃く浮かぶ。
「医者だッ!今すぐ医者をよべッ!!」
護衛者の一人が叫ぶ!
根城の中が慌ただしく動き始めた。ディナルドの二階の寝室を準備する者、医者を呼びに駆けだす者、飲み水や、消化の良い食べ物を用意する者、豪奢な寝衣を用意する者もいれば、前線で汚れたディナルドの身体を綺麗に拭く者もいた。それぞれが己のやるべきことを果たすために動く。
一方、前線ではエクリプスノワールとフォコン・オブスキュールの兵隊が激しい攻防を繰り広げていた。だが、両軍ともに決定打を欠き、互いの勢力が均衡を保っていた。エクリプスノワールの主力は全力で戦っていた。
左翼に展開する西地区の中小集団に対し、ブロワールは幾度も部下を遣わし、参戦を要請していたが、彼らは何かと理由をつけて参戦する事を引き延ばしていた。
前線では多くの武器同士が打ち合う金属音と、兵士たちの怒号や悲鳴が夕陽を背に延々と続き、戦場は今だ緊張の糸が張り詰めた状態だった。
◇
暫くして根城に医師が到着し、ディナルドの診断と適切な処置が行われ、ディナルドは一先ず小康状態となり、顔色も随分良くなった。医者は護衛者達に『暫くは安静にしていてください』と述べ、部屋を出てゆく。
二階の彼の寝室から階段を降りきるまでの間ですら、出会った人が次々にディナルドの状態を聞いてくるので、医者もめんどくさくなり、一階のロビーに人を集め、ディナルドの状態を説明する。
医者の説明で、根城で留守を預かっていた構成員達もディナルドが回復に向かっている事を聞き、やっと安心して落ち着きを取り戻すと、ようやく医者は質問攻めから解放され、根城から出る事が出来た。
「やれやれ……」そう呟くと、肩の力が抜け、自然と笑みがこぼれた。医者は来た道を歩いて帰って行った。
「オヤジの側は俺が守りにつく。安心してお前達はブロワールの所にいけ」
「何故ですか、ステフレッド様!?」
「俺達も、お側に居させて下さい!」
医者が帰った後、一階のロビーで言い合いが発生していた。
ステフレッドと呼ばれたその男は、エクリプスノワールの幹部、五人衆の一人だった。護衛者を率いる長でもある。護衛の任務が無い時はディナルドの命に従い、部下を率いて北地区の秩序を乱す者を粛清していた影の掃除人でもあった。
彼は中背でありながら、引き締まった体躯は無駄な肉が一切なく、まるで鋭利な刃物のような印象を見る者に与える。
肩まで伸びた彼の髪は深い夜の闇を思わせるような黒で、目は鋭く、まるで相手の心の奥底を見透かすかのように冷徹な光を放ち、どんな状況でも冷静さを保っていられそうだった。彼の顔には小さな傷跡が数本あり、過去の数々の戦闘を物語っている。
普段は身軽さと静謐さを重視した装束を纏う彼だが、前線で戦うディナルドを守るため、今は防御力の高そうな重厚な鎧を身に纏っていた。その鎧は金属で作られており、光を反射しにくい塗装と仕上げが施された漆黒の鎧は、まるで暗闇そのものを体現したかのような存在感を放っていた。
鎧は体にぴったりと一致しており、その動きにはあまり重さを感じさせず、戦闘中の機動力を損なわない設計が施されているようだった。鎧の表面には小さな傷やへこみが無数に刻まれており、それが彼の長年にわたる戦闘の歴史を物語っていた。
彼の兜には、目の部分だけが露出する細い隙間があり、その奥には冷たい光を放つ鋭い瞳が光っている。
肩には鋲付きの肩当てがあり、彼の存在感をさらに際立たせていた。剣の鍔からは、幾度も敵の血を浴びてきた証として、わずかに赤銅色に変色した部分が見て取れる。
「エクリプスノワールの勝利が無ければ俺らの明日は無い。奴は今、一人でも多くの兵隊が欲しい状態だろうからな……手練れなら猶更、喉から手が出るほどにな……」
「た、確かに……!」
「ブロワールの手により東地区と西地区の中小集団も我らの側についている。我らの最南端の拠点は抜かれておらぬし、前線はそのまだ先。その前線もブロワールならオヤジがいなくても維持しているはず。側にはあの人もいるしな?……まぁ、何か大きな動きがあれば急ぎ連絡も来るだろう?……それが現に来ていないという事は、一進一退で前線は膠着している状態であろうよ。ならば、南の兵隊もそう易々とはここにはこられまいて。……だからここは、前線に比べ安全だろうよ?」
「で、ですが……」
「お前達も、交代しながらとはいえ、オヤジを運んできて疲れただろう?軽くメシと休憩をとったら、とっとと行け。いいな?」
「「「はっ!!では、ディナルド様の事、よろしくお願いいたしますッ!!」」」
ステフレッドは片手を上げ、部下に軽く手を振ると二階に上がってゆく。
軽く休憩と食事を摂った護衛者達は、ステフレッドに声をかけられた数人の人員を残し、共に撤退してきていた精鋭部隊と共に、前線へと戻るため、根城を出ていく。
一方、取り決め通り、西地区側から誰にも咎められることなくエクリプスノワールの支配域に侵入を果たしたフォコン・オブスキュールの精鋭部隊は、エクリプスノワールの根城近くに身を潜め、好機を伺っていた。
根城を見張っていると、やがて夜の暗がりの中、松明を持った三、四十人近くの集団がその根城から離れて行くのが見えた。暫く待ち、その集団が戻ってこない事を確認すると、彼らは北地区内での暴動を誘発するよう動いていた、散らばった潜伏箇所にいる同志達と連絡を取り、エクリプスノワールの根城周辺に集まるよう指示する。
暫く待っていると、時間を追うごとに次々と味方である同志達が集まってくる。精鋭部隊と同志達を合わせ、総勢五十人以上の十分な戦力が整うと、フォコン・オブスキュールの精鋭部隊は行動を開始した。
夜の静寂の中、足音を忍ばせエクリプスノワールの根城を囲うように駆け寄る。
根城の門は二名の門番によって守られていた。その片側の者に向け、精鋭部隊の一人がナイフを投擲する!そのナイフは狙いたがわず門番の首に深々と刺さり、門番の一人は声を上げられず絶命する。急に倒れた相方に駆け寄ったもう片方の門番の背後に、忍び寄った精鋭の一人が門番の口を塞ぎ、喉を切り裂く。
その後、暗い色の衣装を身に纏った潜入に長けた精鋭の数人が、先端に鉤爪のついた縄を勢いよく振り回して投擲すると、外壁の上端に引っ掻ける事に成功する。そのまま鉤爪で固定した縄と体術を駆使してあっという間に外壁を駆け上がり、足音を忍ばせ中庭にそっと降り立つと、建物の内側から見られない様に姿勢を低くして、建物に身体を預けるようにしながら進み、最短距離で門の所へ向かう。
彼らは閉ざされた門の内側に到着すると、手際よく門の閂を外し、外に向けて軽くノックをして脇に避ける。
その合図で門が開かれると、フォコン・オブスキュールの精鋭部隊と、北地区に潜伏していた同志達の混成部隊がエクリプスノワールの根城内になだれ込んできた!
建物の入り口の扉は施錠されておらず、南の混成部隊は簡単にロビーに突撃していった。
そこにいた留守を預かる構成員達が侵入者に対し、ドスの効いた低い声で叫ぶ!
「何もんじゃ、オドレら――ッ!?」
「ここが、誰のもんか分かってんのか!?ああんっ!?」
「おい、てめーら、名を名乗れやッ!」
混成部隊はそれにはまともに答えず、飛び出した同志達が「死ねや、おらッ!!」と叫びながら目の前の構成員にいきなり斬りかかる。
ロビーにはたちまち剣の打ち合う音と、互いを罵りあう声、怒号が響き渡る。
ステフレッドに声をかけられて残っていた護衛者達の内、数人はロビーにいたが、元から根城で待機していた構成員達と合わせても、兵力差は歴然。
一人また一人と倒されていく。フォコン・オブスキュール側にも倒される被害者は出たが、全体からすれば少人数であった。
ロビーで動く者が居なくなると、フォコン・オブスキュールの兵隊達は一階の、扉という扉を蹴破りながら、家探しを始めた。
階下の騒音が聞こえてくると、二階で寝ていたディナルドは護衛者に起こされる。ディナルドはベッドから起き上がると、ベッドに立てかけていた剣を取り上げ鞘から剣を抜き放ち、ちらりと窓の側に立っている別の護衛者の様子を見る。
その護衛者は、窓から下を覗き込む。だが、すぐに苦虫を噛み潰したような顔をする。
「そうか、周りはすでに囲まれておる、か……」
と、ディナルドは小さく呟く。
「オヤジ!逃げて下さいッ!ここは俺が引き受けますッ!!」
「……。ステフレッドよ、それはもう無理かもしれんぞ?恐らく、やつらは儂をここから逃がすつもりはないだろうて」
ディナルドは一瞬、眉間に深い皺を寄せて考え込むような表情を浮かべた。彼の目には冷静さが残るものの、その奥にはわずかな焦燥と悔しさが滲んでいる。口元がわずかに引き締まり、唇の端がほのかに震えるのが見えた。
その後、ディナルドは静かに息を吐き、まるで長年戦場をくぐり抜けてきた者が覚悟を決めたかのように、落ち着いた声で言葉を紡いだ。
「……ぬかったわ。向こうも前線に全力を投じると思っていた儂の見通しが甘かったか。勝利、あるいは拮抗してる間は、向こうにも動きはほぼないと予想しておったが……。これほどの部隊を送り出してくるとはな……。だが、どこを通って……?前線からは何の連絡もない、……なら中央は未だ拮抗していて通ってこれないであろう……それなら東か、西か……?だが、東の連中はガストリックが率いて『夜の塔』を攻めているはず。……ならば、西の連中が南のヤツらに取り込まれたか、寝返ったのかもしれぬな……」
「くッ……!!」
「すまんなステフレッドよ……。こうなれば一人でも多く、地獄への道連れを作ってやろうではないか!!」
ディナルドの目に、半ば狂気じみた”鏖しにしてやる!”という強烈な気概に満ちた覚悟と炎が燃え盛る。
「了解ッ!最後までお供致しやす!!!」
その瞬間、寝室の扉が勢いよく蹴破られ、敵の兵隊が雪崩込んでくる。
精鋭部隊の兵隊は統率の取れた動きで、ディナルドとステフレッドを取り囲もうとする。そこへ功名心に駆られた二人の同志が飛び出し、ディナルドとステフレッドに対峙する。
「へへへ、見つけたぜぇ~?」
「こんな良い部屋にいるってことは、さてはお前らのどっちかが首領かぁ!?まぁいい、死んで俺らの手柄になってくれやぁ!!」
言い終わるや否や、同志の二人は飛び掛かる。
ディナルドとステフレッドは互いに目を交わすと、敵兵の武器を受け流し、一瞬で、二人の同志の首を刎ねて見せた。彼らは糸が切れた人形の様に地に伏し、切断された首から、大量の血が床に流れ出し広がる。そして、一瞬の静寂が訪れる。
「……お前達では、この二人に敵わぬ。下がれ」
部屋の中央に立った精鋭部隊の隊長が、渋く低い声で周りの者に言う。それを聞いた同志達は、ごくりと喉を鳴らして唾を呑み込み、軽率な行動で命を落とした先程の二人と同じ目に合うのは嫌だと思い、頷いて一歩後退して様子を伺う。代わりに精鋭部隊の者達が一歩前に出る。
「私はこの部隊を預かるヴェスパルという者だ。『血塗れの刃』と言った方が通じるかな?」
そう名乗った男の兜の奥で光る目は、どこか冷徹な光を宿しており、その目の奥には、数多くの命を奪った者特有の暗い輝きがあった。
四十代半ばで、身長は高く、広い肩幅と厚い胸板、日焼けした肌、戦闘によって鍛え抜かれた筋肉がその体を覆っており、いくつもの戦いで刻まれた傷跡が腕や顔に点在していた。短く刈られた黒髪には白髪が混じり、整えられた髭が顎を覆っている。
身に纏う鎧は、黒と赤の色彩が基調となり、胸部にはフォコン・オブスキュールの象徴である鷹の紋章が刻まれている。鎧は鋼鉄で作られており、その全てが戦場で実用的であることを優先しているため、装飾は必要最低限しか施されていなかった。
彼が持つ剣は、ある鍛冶師によって特別に鍛えられた一振りだ。刃は見る角度によって血に染まっているようにも見え、それが”血塗れの刃”という二つ名にふさわしい存在感を放っていた。
「ほう、貴殿が南の幹部の一人、噂の『血塗れの刃』か。ならば私も名乗っておこう。私はエクリプスノワールの幹部の一人、ディナルド様の護衛者の長、ステフレッド!私も、機会があれば其方と一度手合わせをしてみたいと思っていたものよ!相手にとって不足なしッ!!」
「腕に自信があるようだが、儂のこの生命、簡単に獲れると思うなよ?」
「……私も本心では一対一で正々堂々雌雄を決してみたい所ですが、今回はお許し願いたいッ!任務ゆえ、部下共々、全力で行かせてもらいます!!」
ステフレッドがヴェスパルの言葉に口角を上げ、剣を構え直す。ディナルドもその隣に立ち、鋭い眼光で敵の隊長を睨み返す。
精鋭部隊の兵士たちが一斉に動き出す!その動きは一糸乱れぬものだった。訓練された兵士達が繰り出す攻撃は正確でありながらも速く、彼らは容赦なくディナルドとステフレッドを包囲し、絶え間ない剣戟の嵐を浴びせかけた。
ディナルドはその猛攻に対抗し、鋭い剣さばきで次々と襲い来る刃を防ぎ、逆に反撃を仕掛ける!彼の剣は敵兵の鎧を貫き、何人かの兵士を地に倒した。しかし、敵の数は圧倒的。
ステフレッドも、彼の部下の護衛者達もまた、猛烈に戦った。彼の剣は疾風のように動き、ヴェスパルとの戦いの中、斬り込み、躱す動作の中で、足場を巧妙に入れ替えながら敵兵の間を縫うように突き進む。そのたびに血しぶきが飛び、彼の周りに倒れた敵兵が積み重なっていく。
だが、精鋭部隊の兵士達は冷静さを失わず、隊長であるヴェスパルの指示に従い、次第にディナルドとステフレッドを追い詰めていった。彼らの攻撃は徐々に激しさを増し、その攻撃により部下の護衛者達も倒れ、残ったディナルドとステフレッドの体力を削り取っていく。
ディナルドはステフレッドと共に、獅子奮迅の戦いを繰り広げ、最後まで激しい戦闘を繰り広げた。
二人は敵の精鋭部隊の十数人近くを斬り伏せたが、その動きはもはや限界に近かった。
やはり多勢に無勢は覆すことが出来ず、ステフレッドが隙を突かれ”血塗れの刃”に討ち取られた後、彼の部下によって囲まれ、四方から剣を突き立てられたディナルドが、最後の叫び声を上げる!
「ぐははは!一足先に地獄で待っておるぞッ!フェルシス!!!」
その叫びが、エクリプスノワールの根城に響き渡った!
ディナルドは叫び終わると、その表情に笑顔を浮かべたまま口から大量の血を吐くと、その目は虚になり、事切れたのだった。
「や、やったか!?」
先頭の一人が、恐る恐るディナルドの肩を剣の切っ先でつついてみる。
恐るべき存在だったそれは、ゆっくりと前のめりに倒れ、二度と動くことは無かった。
「「「うぉおおおおおお!!!やったぞ!!」」」
南の精鋭部隊の後ろで固唾をのんで見守っていた同志達は思わず歓声を上げた。
「エクリプスノワールの首領を倒したぞ!!!」
ヴェスパルが兜を脱ぎ、額の汗を拭うと部下に指示する。
「急ぎ、フェルシス様にご報告だ!」
「はっ!!」
それまで観戦していた南の同志達が口を開く。
「この遺体、どうする?」
「我々の勝利を広めるために、堂々と広場に飾るっていうのはどうだ?」
「いいな!?それ!」
ヴェスパルはその提案には特に口を挟まなかったが、同志の一人がその部屋に置いてあった貴金属で作られた小さな彫像を手に取り、懐に入れようとしている瞬間を目にした。
「……貴様、何をしている!?」
「へへへ、死人にはもう必要ないでしょう?俺らが貰って有効活用してやった方が、彫像も喜ぶかなって……」
「……それを元の所に置いて失せろ。……良いな?決して盗みは許さぬ!!皆にも伝えよ!!!」
一対一で戦えなかった心の呵責か、剣を交え、肌で感じた強者への武人としての敬意か。
ヴェスパルのこめかみの血管が怒張し、膨れ上がった。その表情は険しく、抑えきれない怒りが顔に現れている。その同志を今にも殺さんばかりの圧を籠めた視線で睨みつけ、低く冷徹な声で言い放つ。
彼の声は、まるで凍てつくような静寂を切り裂くかのように響き、周囲の同志達を震えあがらせた。
「は……はいぃいいい!!」
その同志は手に持った彫像を元の所へ戻し、言葉にならない声を上げて部屋を飛び出してゆく。
「お前達も、同志達の動きを見張れ。不届きな行動を起こす者が出れば、即、実力行使をしてもかまわん!!」
「「「はっ!!!」」」
同志達にその件の顛末と命令が知れ渡ると、彼らは盗みを諦めたのだった。
そして、先程提案された案を実行するために、数人がかりでディナルドの遺体を持ち出す。それは、根城の前に広がる広場の地面に、しっかりと固定された何本もの槍に突き立てられて、高々と掲げられた。
興奮冷めやらぬ精鋭部隊の彼らは意気揚々と、敵の根城にあったお宝を手にできなかった同志達は不満そうな顔をしつつ南区へ帰っていく。
やがてエクリプスノワールの根城に沈黙が訪れたのであった……。
同じ頃、前線ではディナルドに代わり指揮を引き継いだブロワールと、フォコン・オブスキュールの首領フェルシスによる対決が始まっていた。両者は敵意をむき出しにし、剣を交えて激突した。その戦いはまるで全戦闘の象徴であり、両組織の命運を賭けた壮絶な戦いが繰り広げられていた。
「ここで終わらせるぞ、フェルシス!!!」
「フハハハ!!貴様ごときが、この俺から勝利を勝ちとれると思うてか!?甘いぞ、ブロワール!!!」
ブロワールの怒声と、フェルシスの怒号と共に互いの剣が火花を散らす。戦場の喧騒の中で、二人の戦いは最高潮に達し、そこにいる両陣営の全ての兵隊が固唾をのんでその戦いの行方を見守っていたのだった。




