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令嬢は嗤う  作者: バーン
53/63

呪符

目を覚ますと、辺りはすっかり暗くなっていた。私がベッドの上で身体を起こすと、いつものようにアンが気配を感じてか、起きてきたので彼女が口を開く前に指を鳴らす。

彼女の瞳が虚ろになり、まるで意志の無い人形のようになる。


アンは己の意識を失い、言われたまま動く傀儡人形と化す。


「外出したいわ。灯りと外出用の着替えを」

「……はい。かしこまりました、お嬢様」


そして着替えを済ますと、バルコニーに出て軽く周りを確かめる。誰にも見られてない事を確認し、アンに灯りを消し、ベッドへ戻って寝るように指示する。


彼女がベッドに戻るのを確認し、仮面を付けると魔法を唱え、バルコニーから暗い夜の空へと飛び立つ。




寮のバルコニーから大きく旋回しながら遥かな高みへ、上空へと上る。その姿は夜の闇に紛れ、地上から見るには小さすぎて殆ど分からない。暫く上空を気分に任せ舞い飛ぶ。心地よい飛翔を暫く楽しんだ後、空を大きく旋回し、来た方向とは別の方角から目的地近くで地上に向けて降下する。工房の近くにふわりと降り立つと、魔法を解除して工房に近づいていく。


二階の窓から周辺警戒らしき役割に従事している部下がこちらに気付き、顔をつき出して「お疲れ様です!」と声を掛けてくる。その部下にバルナタンを呼ぶように声を掛ける。


暫くすると扉が開き、バルナタンが中から出てくる。


「姐さん、お疲れ様です。ささ、中へどうぞ」


彼について歩きながら、先週に伝えた事について問う。


「……この前出した宿題、できてるかしら?」

「ああ、あれですね……?カルクール、ちょっといいかー?」

「……ちょっと手が離せないので、こちらに来てもらっていいですかー?」


奥から声が聞こえると、バルナタンが頷いてそちらに向かう。少し遅れて、彼の後ろを付いて行く。奥の部屋では、カルクールと呼ばれた少年が書類仕事をしていて、こちらの姿を確認すると、立ち上がって一礼する。


一階にあるその広い部屋に、何人かの部下がいて適当に寛いでいた。彼女の姿を見ると、シャキッと背を伸ばし、ぺこりとお辞儀をする。

部屋の中央にいつの間にか運び込んだらしい円形のテーブルがあった。そのテーブルの上には何やらびっしりと書き込まれた羊皮紙が散らかっていた。カルクールが困ったように笑いながらそれを整理している。


暫くして整理が終わったそれを彼は彼女の方へ向ける。


彼女は一通りそれに目を通す。それは、何組かに分かれて『集団(ファイエルブレーズ)』についての知名度を、この周辺で収集した部下達の報告をまとめたモノと、この前の目録の写しだった。


「カルクールだったかしら?あなたこの前からいい仕事してるわね。気に入ったわ。あなたは()()()から回収した財貨の目録も作ったし、ここにある財貨の事は全て頭に入ってるでしょう?組織の金銭……財務管理を全て任せるわ。『集団(ファイエルブレーズ)』の()()()に任命してあげる。といっても今は金庫がないけどね?アハハッ!」


「……えっ!?」


それを聞いてカルクールは思わず声が出てしまったらしく、口を手で押さえながらこちらを凝視している。それをみて私はくすりと軽く笑うと、口元の表情を真面目なものに戻し、二人を見る。


「はい!しっかりと金庫番の役をやらせて貰います!」

「……バル、カルクールの事、守ってあげてね?」

「お任せ下さい、必ず、カルクールをお守りします!」


彼女はカルクールから視線を部屋の部下達に向ける。


「あなた達も聞いたわね?私か、カルクールの許可無しに、組織のお金や財貨には触れない事。この中には、カルクールを脅迫したり、暴力で言う事を聞かせて集団の財貨モノをむりやり持って行こうというお馬鹿さんはいないと思うけど。こんな簡単な事が守れない子は……燃やすわよ?」

「「「は、はいーーーッ!」」」


その後、バルナタンの方を向いて口を開く。


「この後、ブロワールのところに写しを持っていくから。ついでに財宝を鑑定して貰えるように私が直接頼んでおくわ。明日以降でいいからエクリプスノワールへ、お宝を半分持って行ってあげてね。まぁ、協力関係維持の為の約束みたいな儀式(モノ)だから。内訳はどうしようかしら。んー、そうねえ。証文は全部あげて頂戴。財宝はあっても嵩張るだけだし、全部持って行って。鑑定料や仲介手数料は引かれるでしょうけど、残りを現金で返してもらえれば、後がめんどくさくなくて丁度いいわ。あとは……バル、ここにいない他の子達にも、あなたに与えた肩書と、カルクールの金庫番の任命について言っておいてね?」

「わかりやした、姐さん」


彼女は何かを思いついたように続けて話す。


「……そういえばまだ、役職や肩書とか曖昧なままだったわね。バル、あなたを『ファイエルブレーズ』の頭領に正式に任命するわ。しっかり頼むわね?」

「お、お任せ下せえッ!」

「他の役職は追い追い考えて行きましょう。皆、役に立ちなさいね?」

「「「うっす!」」」


部屋にいた部下たちの力強い返事を聞いて、彼女は頷く。


「カルクール、ついてらっしゃい。工房の中を見て回るわ」

「は、はい!」


彼女は工房の中を確認するように歩いていく。


まず、地下室を見て回る。奥の方に何かが積み上げられており、暗めの色の沢山の布を()()ぎした大きな布が掛けてあった。

カルクールが説明の為、その布を持ち上げる。その下にはカッコバルクルーから回収したお宝やお金が木箱の中に収められて整然と置かれていた。一応蓋が釘で打ち付けられていて固定はされている。


彼が現状のお宝の保管状況において軽く説明をしてくれたが、これは……このままだと、ちょっと……いえ、大きな不安があるわね……。やっぱりちゃんとした分厚い煉瓦の壁の仕切りや、頑丈な扉、ちゃんとした金庫が欲しい所ね……。


その後、一階、二階と見て回る。彼らのたまり場をこちらに移したことで、この建物はブロワールに案内された時と比べてかなり室内が様変わりしていた。


脱ぎ散らかされた衣類や、枕替わりの布を丸めただけのもの、ボロボロの毛布等や、なんだか良くわからない物まで持ち込まれており、それが所かまわずあちこちに転がっている。


「……」

「どうしました、姐さん?」

「工房もあなた達が来たことで、部屋の使い勝手なんかも色々と考えて、改修と改装が必要なようね……?」


そう優しく言いながら、彼女のこめかみには血管が浮き出ていた。


「た、たしかに……」


それを見たカルクールの背に、冷や汗が流れる。


そこで不意に、彼女はカッコバルクルーの支配人の言葉を思い出す。


”こんな所では大っぴらに言えないが、俺らの裏にはさる高貴なお方がついている。権力はいいぜ?多少ヤンチャな事をしても軽く握りつぶしてもらえるしな?”

”お、お前達、俺にこんな事をしてただで済むと思ってるのか!?俺の背後には、あのお方がついてるんだぞ!”


……雑魚が使う、よくあるただの脅し文句の一つでしょうけれど……。一応、念の為に札や呪符を後で貼っときましょうか……。

()()()()効果があるか分からないけど、私と魔術的に経路(パス)を繋いだ警報の呪符や、耐火の防護結界の札、敵意や敵愾心を持つ者に反応して発動する、護衛の精霊を召喚するための呪符……などを四方にね。


その後、残りの部屋を見て回るとバルナタンのいる部屋へ戻る。


「……バル、この前、私が来た時から特に変わった事はなかった?」

「この周辺で変わった事は特に無いんですが、あのー……良かったら一緒に来て欲しい所があるんですが……」


バルナタンはなんだか歯切れが悪い。ちょっと困ったようにぺこぺこと頭を下げている。


んー。何もなかったら組織の根城(エクリプスノワール)と例の服飾工房に行く予定にしてたけど、バルナタンの方も気になるわね。いいわ、服飾工房の方は後回しにしてもいいでしょう。


「これから、私は組織(エクリプスノワール)の方と、そろそろ頼んだものが出来ていると思うから例の工房に行こうと思ってたんだけど……いいわ、予定変更よ。バル。案内して頂戴」

「ありがとうございます!姐さん」

「それと、カルクール。今日、例の服飾工房で支払いがあると思うからアルブル金貨を三十~四十枚、小金貨を十枚ぐらい出してきて頂戴。あと、さっきの目録の写しもね」

「了解しました」


カルクールがすぐにお金を用意しに行く。その間にバルナタンが部下の中から数人選び、連れて行く仲間に加える。何でそのメンツを選んだのか気になったが、言う必要があるなら言って来るでしょう、と特に何も聞かない事にした。やがてカルクールも用意を終わらせて集合する。


「姐さん、付いてきてください」

「ええ。わかったわ……」


そして彼女達は工房(アトリエ)から出ると、バルナタンの目的地へ向かうのだった。



                 ◇



貧民窟を抜けてしばらく裏通りを進むと、やがて表通りに出る。その通りは治安も良いようで、客通りも多い。夜も賑やかに営業している飲食店の連なる通りの一つだった。


「ここ?」

「もう少し先です、姐さん」


言われたように少し通りを進むと、いくつかある割と繁盛している店のうちの一つ、その入り口近くまでくるとバルナタンは足を止めた。


「ここです。少しお待ち下さい」

「ん。わかったわ。早くしてね?」

「ウッス!」


王都にある繁華街の表通りに位置するその酒場に、街灯の明かりが差し込み、暖かく活気溢れる様子を見せていた。その酒場の扉を開けると、香り高い料理の匂いが漂い、客たちの笑い声や歓声が混ざり合って流れ聞こえてくる。


入口には風に吹かれ緩く揺れている古風な木製の看板があり、その看板には明るい文字で『雲雀の踊り子亭』と書かれている。

扉を開けると、中は活気に満ちた雰囲気が広がっており、テーブル席やカウンターには様々な客が集まっている。各テーブルの上には美味しそうな料理が並び、厨房で焼かれた肉や野菜の香りが鼻腔をくすぐる。


店内を取り仕切っているのは、笑顔が絶えない看板娘だ。彼女は活気にあふれる笑顔で客を迎え、注文を取っては料理を運んでいる。彼女の存在が、店の雰囲気を一層盛り上げている。


店内には、地元の農民や商人、冒険者たちが集まり、彼らは料理と酒を楽しみながら、仕事の話や冒険の体験談を交換している。賑やかな雰囲気が店内に広がっていた。


バルナタンは店に入ると、キョロキョロと人を探す。彼はほどなく目的の人物を見つけた。

その人物は丁度カウンター席の中程で、戦士風の男と酒を酌み交わしている。

隣人との会話に笑みを浮かべている彼は、愛嬌のある風貌をしていた。

そんな彼の元に近づいていくバルナタンの姿に、周囲も視線を向け始める。


「……オーレッドさん、バルナタンです。ウチのボスを連れて来れたので、ちょっと店の入り口まできて貰えねーですか?」

「お!?先週のお前か!どれどれ。お前さんのボスがどんなもんか、お顔を拝んでやるとするかね。へへへ……。フェルマンちょっと席空けるわ!」


そう言い残すとその男は木製のジョッキに残った酒を飲み干し立ち上がる。


「おー、行ってこい。席が盗られんように、ここは俺が見張っててやる。ガハハ!」


バルナタンが先導し、オーレッドが一緒に外へ出ていく。


店の外に出ると、バルナタンはキョロキョロと辺りをみまわす。


「んー?居ねえじゃねえか?」

「おっかしいな……」


すると、横の方から声が掛かる。


「兄貴、こっちッス!」


声のした方を見ると部下の一人が、こっちだと手を振っている。彼についていくと店の裏手側に人気のない路地裏があった。

そこに部下達が表通りの方に向けて直立し、彼女の壁になる様に立っていた。


「姐さん、どうしたんスか?」


彼女は外套を目深に被っている。


「私、こんな所であまり目立ちたくは無いのよね……」

「へー?このお嬢さんが、お前たちのボスか?へぇ〜」


私の姿を見て興味を抱いたのか、面白そうな獲物を見つけた狩人のような目をして私を舐め回す様な目つきで見ているのが分かる。……なんだか凄く不愉快な視線だわ……。


「な、何よ、この失礼なヤツは?」

「この方はオーレッドさんです。先週助けて頂き、姐さんに合わせたら稽古付けてくれると言ってくれて……」


……帯剣してるし、剣士かしら?……見たところ、そんなに強そうに見えないんだけど……。実力を隠してるのかしら?……まぁ、バルが嘘を言うとも思えないし、尊敬するだけの力量は持っているんでしょうね……。


「……ふぅん……?まあいいわ。バル、あなたの事を信じてないわけじゃないけど、私はこの男の実力を見てないのよね。ちょっと一対一で戦って見せて頂戴?」

「あ、姐さん!?」

「はぁ~~めんどくせぇなぁ~……」

「じゃぁ、バルに勝ったらエールを一杯奢らせてもらうわ?」

「よし、そういう事ならとっととやろうぜ?お前、さっさと用意しな!」


剣を抜き放ちながらそう言われると、もう後には引けない。バルナタンも剣を抜き放ち、構える。


さっきまでオーレッドという男にやる気を感じなかったが……次の瞬間その気配は一変する。

まるで周囲の空気が変わったかのように、彼の存在感が大きく膨れ上がったような気がした。それは圧倒的な強者としての威圧感。ビリビリとした気迫をこちらまで感じさせる。先程までのおちゃらけた空気が噓のようだった……!


「いくわよ?」


私は手に持った硬貨を指で弾くと、硬貨はクルクルと回転しながらある程度上昇し、そのまま重力に引かれて回転しながら地面に落ち、甲高い音が鳴り響く。その音を合図に両者は一気に動き出す!


「……うおおッ!!」


掛け声と共に先に仕掛けたのはバルナタンだった!間合いを詰めると大ぶりの斬撃を放つ!

その一撃は威力はありそうだが、速さと正確さが不足しているのは明らかだった。

 相手はその繰り出される斬撃を余裕で避けると、隙だらけの腹に強烈な蹴りを入れる。バルナタンはその衝撃で後ろに姿勢を崩してしまい、思わず転倒する。

すぐ立ち上がろうとしたが、いつの間にか間合いをつめられており、首元に剣を突き付けられていた。


「じ、自分の負けです……」


「へぇ、バル。あなた……私の居ない間にいい出会いをしたわね?私も貴方達には強くなって貰いたいと思ってたもの。オーレッドと言ったかしら?貴方強いのね?」

「へっ、それほどでもねーよ」

「この子達の剣、貴方も分かってると思うけど、我流で素人の域を出てないのよね。これからの事を考えると、誰かに鍛えてもらった方がいいんじゃないかと私も思ってたのよ。いつまでも我流だと伸び代がないものよね?」

「ああ、確かにそうだな」

「ねえ、あなた?このお店に詳しい?ここに個室はあるかしら?」

「個室なら、奥にあるぜ?」

「なら、約束通り一杯奢らせて頂戴。あなた達はここで待っていてね?」


部下に待機するように言うと、彼女はフードを目深に被る。そしてバルナタンだけを連れ、表通りへと向かう。オーレッドは両手を頭の後ろで組んで、口笛を吹きながらついていく。


「あなた!なんで一番最後についてきてるのっ!?先頭を歩きなさいよ。私、良く知らない店なんだから、良く知ってるあなたが個室に案内しなさいよね!?」

「へいへい」


再び店に入ると奥へとすすむ。個室へ向かう途中のカウンターに座っている既に顔が赤い戦士風の男に、彼が声を掛ける。


「フェルマン、よかったらお前も来いよ!」

「ん?そうか?折角のお前の招待だ。ついてってやる。ガハハ!」


彼は女給に声を掛ける。


「ティアナちゃん、個室あいてるー?」

「あ、オーレッドさん。個室なら空いてますよー!」


呼ばれた女給はこの店の看板娘であり、彼に声を掛けられると嬉しそうにくねくねする。


奥の部屋の前に着くとオーレッドはその部屋の扉を豪快に開く。部屋の中は非常に簡素ではあったが綺麗に整頓されており清潔感がある。

広いテーブルと椅子も四つあり、広さもそこそこ広く八人ぐらいまでならゆったりと入れそうだった。

部屋の奥に意匠を重視した棚があり、そこに季節に合わせた花を活けている花瓶が幾つか配置されていて、見た目にも十分な配慮がなされていた。


椅子に座った彼女が、早速口を開いた。


「なかなかいい部屋ね?」

「だろ?俺もこの店は気に入ってんだ。客も気のいい奴が多いしなっ!」

「で、オーレッド……。ついノリできちまったが、この二人……誰だ?」

「はっはっは!すまんフェルマン!俺もお前をノリで誘っちまった。この二人はなー、先週助けた……」

「バルナタンです。よろしくお願いしますッ!」

「バルナタン君と、そのボスらしい……誰だっけ?」

「……イスティスよ」

「イスティスさんだ!今日は彼女の奢りでな……!」

「一杯だけだからね?そっちの人は頭数に入ってないから自分の頼んだモノは自分で払ってよね?」


そう言いながら彼女は椅子の上で腰を動かし、座り直そうとした拍子にフードが後ろへずり落ちる。


「あんた、仮面つけてるのか?もしかして顔バレがヤバいのか?……どこかのやんごとなき所のお嬢様だったり?……んー?どこかでその仮面、見覚えが……」

「こんな仮面、お祭りの時にはどこにでも売ってる安物よ。珍しいモノじゃないわ……」

「そういや、そうか……?」


彼は一旦納得すると、(おもむろ)に席を立ち扉を開けて注文する。


「ティアナちゃ~ん、ここにエール4杯!よろしく!」

「は~い。店長~!エール4杯入りましたぁ!」


そう返事が聞こえ厨房の方へと戻っていく足音が聞こえる。

すぐにお盆を持った看板娘がエールの入ったジョッキを運び込むと、手際よくテーブルの上に置いていく。そして彼女が去る前に呼び止めると、彼は硬貨一枚を彼女に握らせた。すると彼女もご機嫌な笑顔で去っていった。その後姿を見つめる彼の顔は、締まりがなく緩み切っていた。


向かいの男二人がエールを飲み、オーレッドが話しかけてくる。


「あんた、仮面で顔が良く見えないが、将来いい女になるぜ?」

「ふふ。ありがと」


彼女もエールを流し込むと、口を開く。


「……それで?ウチの子達に稽古はつけてくれるの?くれないの?」

「よし、稽古はつけてやろう。だが今日はもう飲んでるし、明日にしようぜ?」


フェルマンは横で笑いながらエールを飲む。


「オーレッド、まぁ頑張れよ。ガハハ!」

「お前も手伝ってくれよー?なぁー?」


オーレッドはエールを飲みながらフェルマンに絡む。だがあまり本気ではなさそうだ。


「……一回で終わり、とか言うのは無しよ?貴方からみても、彼らを使えるレベルにしてもらわないと」

「おいおい、無料でさせるつもりか?それは無理ってモンだぜ?慈善事業じゃねーんだ。こっちもある程度、時間を拘束されるんだからよ?」

「……でしょうね?なら、いくら払えば良いのかしら?一回毎にバルに払わせるわ?」

「まぁ授業料として一回一人あたり、トロン銀貨1枚……だな?」

「……相場よりやや高いが、オーレッドに直で稽古を付けて貰えるんだ、妥当な額じゃないか?」

「わかったわ。じゃ、バル。稽古の時に授業料を持っていってもいいわ。カルクールにも支出分を帳簿に書くのを忘れないように言ってね」

「うっす!」

「話は決まったな!……だが、悪いが俺も暇じゃないんだ。時間が空いた時でよければ稽古をつけてやる。お前、この店にちょくちょく顔を出すことだな。奥に伝言を張り付ける掲示板がある。予定が空きそうになったら数日前に、そこに稽古を付けてやれる日付を書いた紙を貼っておいてやる。みかけたら回収しておくといい。まぁ、とりあえず、明日から今週末ぐらいまでは午前中の間なら暇だ。それでよければ稽古をつけてやる。どうだ?」

「了解ですッ!」

「それじゃ明日から鍛えてやる!ハハッ。楽しみにしてろよ!!」

「じゃ、オーレッド。うちの子達、ビシバシ鍛えてあげてね。ウフフ♡」


それだけ言うと、もう用は無いとばかりに彼女は席を立つ。

くるりと背を向けると彼女の髪がふわりと広がり、その髪から漂う香りがオーレッドの鼻腔をくすぐる。


そのまま彼女は外套のフードを深くかぶり直すと、扉の方へ向かい、バルナタンを連れ個室を後にする。


オーレッドは一人呟く。


「ん?この匂いはどこかで……嗅いだことがあるような……?」


彼がその記憶を辿ろうとすると、不意にその肩をフェルマンが強くバンバンと叩く。


「そろそろ、俺らも出るか?」

「あ?……ああ、そうだな。出るとするか」


そして、オーレッド達も個室から出て行くのだった。



                 ◇



『雲雀の踊り子亭』を出ると、彼女は部下達と共に裏通りに入り、貧民窟の方へ来た道を戻る。

ここから貧民窟だという明確な境界線はないが、道が荒れてきているので段々と貧民窟の中に入ったと分かる。一行はそのまま貧民窟の奥へと進んでいく。あちこちで違法建築や増改築が行われた所為で、道が段々と入り組んできて複雑になってくる。


バルナタンが先導し、一行は進んでいく。


暫く歩くと少し開けた場所に出た。

ここまでの道中は、所々に瓦礫や廃材等が散乱していたが、この辺りは綺麗に清掃されていた。


やがて目的地の建物が見えてきた。


ザール王国の西側には太古の時代から岬があり良好な湾となっている。湾の周辺には山や丘がそびえ立ち、その中腹には城や街が建設されていた。その湾は天然の防波堤としての役割を果たし、古くから大きな港として発展していた。その港湾に流れ込む大河、シルヴェーヌ川をさかのぼると王都がある。


王都の西側にはシルヴェーヌ川が流れ、王都にはその大河を利用する水上物流の拠点として発達してきた港があり、港湾施設が立ち並ぶ港湾地区に正規の事務所を構え、船荷の荷運び労働等の人夫派遣を行っているギルドの一つを下部組織として運営している組織の裏の顔が、反社会組織『エクリプスノワール』であった。


その港湾地区にほど近い地区に存在する貧民窟の北西に、その根城はあった。

周囲には暗い路地や崩れた壁が広がり、月明りがかすかに建物の輪郭を照らしている。

この地区周辺が貧民窟に吞み込まれた昔に、住人が退去したかつては立派な商館だった古びた建物。その建物を後から改修・改築を施し、組織(エクリプスノワール)は拠点にした。


門番が近づいてきた一行を見つけ警戒心を(あらわ)にする。その中心で月明りに淡く照らされた仮面をつけた少女を見つけると、太々(ふてぶて)しい態度を改め、とたんに背筋を伸ばし彼女に対し敬礼を行う。


門の前でその門番が敬礼した姿勢のまま、彼女を迎え入れる。

彼に向かって軽く手を振って応える仮面の少女は、そこで軽く足を止めると、


「バルとカルクールはついてきて。他の子はそこで待機ね?」


と部下達に告げ、彼女は部下二人を伴い建物の中へ入っていくのだった。





ロビーに入ると、ブロワールの姿が見えない。

近くのソファーに深々と座っていたゴロツキの一人に声を掛ける。


「ねえ、ブロワールはどこにいるのかしら?」


すると、その男はソファーから飛び上がるように慌てて立ち上がり、彼女の方へ向き直る。


こんなに怯えたように驚くなんて。私もこの組織では有名になったものね?フフフ……。


「へ、へい! あ、あの……そ、それでしたら……」


男は歯切れ悪く答え、チラチラと視線を動かしながら挙動不審な態度で、二階の方向に視線を向ける。


「あら? 上かしら?」


彼女は二人を連れ、階段の方へ歩いていく。


二階へ行く途中にも何人かのゴロツキがいたが、皆彼女の姿を見るや否や畏まった態度に変わっていった。そして彼らは、上の階に行こうとする彼女に道を譲る様に脇に逸れていく。


そんな光景を見たバルナタンとカルクールの二人は思わず顔を見合わせた。二人とも驚きを隠せない様子である。


階段を上り、廊下の突き当たりにある護衛が側に立っている大きな扉の前で止まる。


護衛が扉をノックし、彼女の到来を告げると扉の奥から「入ってもらえ」という声が聞こえてきた。

護衛が扉を開け、彼女が中に入るとその後ろに二人が続いていく。


高そうな調度品に囲まれた部屋へ通されると、優に三人が掛けれそうなソファーを側近に勧められる。つれてきた二人に、ソファーの後ろに立って待機するように告げると、彼女はそのソファーの中央へ座る。


奥のアンティークソファーに座っている首領の隣には、側近が一人立っており、こちらに眼を光らせている。


「……さて、今日はどんなご用件かな?」


首領のディナルドが、泰然とした態度で尋ねる。


仮面の彼女は黙って部屋の中を見回すと、腕を組み、ソファーの上で一旦組んだ足を組みかえて答える。


「まず一つ目の用件ね。私の部下の紹介をするわ?この前、ブロワールには伝えたでしょう?私の直属の部下達の集団『ファイエルブレーズ』の頭領バルナタンと、その集団の金庫番カルクールよ」

「バルナタンの事は知っていたが、やっぱりそいつを頭に据えたんだな?」

「他の部下の子達も慕ってるしね?」

「で、カルクールか……金庫番ってことは、そいつの事をかなり信用してんだな?……ん?もしかしてこいつがこの前の目録作ったヤツか?」

「そうよ。賢そうでしょう?」


彼女は後ろを振り向くと、少年の方に声を掛ける。


「カルクール、持ってきた写しを彼に渡してくれるかしら?」


彼はソファーの後ろから前に出ると、懐に手を入れて細い縄で縛ってある「写し」が入った包装を取り出し、歩く。

少年にとって今まで見たことも考えたこともない、そういう存在がいるとは仲間から聞いていたが、自分とは関係のない雲の上の存在だと思っていた、自分達より上位の組織の幹部と首領が目の前にいる。

あまりにも畏れ多いと感じてしまい、気後れしてガチガチに体が緊張し、ぎこちない動きになる。

なんとか、側近の方に「写し」の入った包装を渡す。


「こ、これです……」


少年は震える手で彼に手渡すと、ぺこりとお辞儀をし、足早にさっきまで自分がいた場所へと急いで戻る。渡された物を側近が開封し、中身をパラパラと確認する。


「……ふむ。後でしっかり見させて貰いますが、とりあえず問題ないようですね」


と発言すると、その「写し」を持ってボスの執務机の方に向かう。

執務机の上にそれを丁寧に置くと、優雅にボスの隣に戻る。


そこで彼女が目を光らせ、口を開く。


「これから、この子達を私の使いで来させる事もあると思うから、よろしくね?」

「ええー!?」

「俺達がですか!?」

「ハッハッハッハ!!よかろう!ブロワールよ、皆にもよく言っておけ!」

「了解いたしました」


ブロワールが彼女の後ろに控える二人を見つめて告げる。


「良かったなお前ら。オヤジの命令だ。これからはお前達を、それなりの高待遇で相手してやるぞ?」


「その方達も、そう恐れるでない。お前たちは我が傘下の集団である。で、あるならば、儂にとって子も同然よ。お前たちも儂を親と思って頼るがよい」

「「は、ははぁっ!」」


バルナタンとカルクールの二人は深々と頭を下げる。


「……一つ目、と言ったな。それで、他には何の用事がある?」

「二つ目の用件は、財宝の鑑定よ。そっちには信用の置ける鑑定ができる()()があるのでしょう?カッコバルクルーからお宝を取ってきたのはいいのだけど……生憎(あいにく)、私には鑑定に関する伝手が無くてね?部下達にここへ全部持ってこさせるから、鑑定して欲しいの。贋作か本物か……まぁ、胴元のカッコバルクルーが偽物のお宝を担保に、お金を貸し付けるなんてヘマはしてないと思うけど。で、そのお宝は幾らぐらいになるのか……。鑑定料と仲介料はあなた達を信用する代金としてキッチリ払うわ。その代わり誤魔化しは無しよ?鑑定料と仲介料を差し引いた、残りの差額の半分をこちらに渡して頂戴?いいかしら?」

「半分?半分だと!?結局、現金はこちらによこさないつもりなんだろう?それなら差額の分配は、こちらが八割、そっちが二割ってのが妥当ってもんじゃねーか?」

「……六割と四割ね」

「はぁ!?」

「のう、イスティスよ。なら、間を取って……こちらが七割、そちらが三割でどうだ?」


首領のディナルドが、そこに口を挟んでくる。


「……貴方がそう言うなら、まぁ、仕方ないわね。分かったわ。それで手を打ちましょう」

「うむ。ブロワールよ、これ以降、そのように手配せよ」

「はっ、畏まりました」


少し間を開け、彼女が再び口を開く。


「……あと、これで最後。私の『工房(アトリエ)』を改修したいから貧民窟にも来てくれる腕の良い建築関係の職人かギルドを紹介してくれない?」

「そのくらいなら、(まった)くかまわんぞ?明日にでもギルドへの紹介状を書いてやろう。すぐにそれをその方の『工房(アトリエ)』へ届けさせよう」

「ありがとう。助かるわ……あ、そうそう。工事中にもしも盗難なんて事があったら絶対に許せないし、職人達や工房の周囲一帯を灰にするかもしれないわ。そんな事になるのは私も望んでないの。()()()()()()()?だから、現金もちょっとの間、預かっててくれないかしら?」

「……まあ、よかろう」


ディナルドの了承を受け、ブロワールは念押しの為、確認してくる。


「『写し』はもらったが、そっちも多少は現金持ってる必要があるだろう?念の為、数えた金額の額を書いた小切手を渡せばいいか?」

「そうね、それでいいわよ?じゃ、お宝なんかと一緒にまとめて持ってこさせるから、小切手はバルナタンかカルクールに渡しておいて。私の用事は以上よ。バル、カルクールも分かった?」


上半身を後ろに傾け、二人に確認する。


「へ、へいっ!」

「工事が終わるまでの間、地下倉庫を一旦、空にするんですね?わかりました!」


彼女は正面に向き直るとディナルド達に軽く挨拶する。


「じゃ、お邪魔したわね?」

「……おっと、ちょっと待ってくれ。忘れるところだった。この前約束してたコレを渡しておこう」


ブロワールがボスの執務机の方へ向かい、その近くの棚から、美しく磨かれた金属の装飾で角が保護された真新しく、分厚い台帳と例の道具一式を取り出し、革袋にいれて彼女の近くまで行き、それを差し出してくる。


「カルクール、受け取って頂戴」

「は、はい!」


彼女はそれをカルクールに受け取らせると、ゆっくりと立ち上がる。そして仮面越しに首領の顔を見る。

首領は入ってきた時と同じく鷹揚(おうよう)に構えていた。

彼女は何もなかったかのように片手をあげて軽く手を振って部屋から退出すると、バルナタンとカルクールの二人も、彼女を追いかけ退出する。


そして、彼女達はその建物を出ると次の目的地へとむかうのだった……。



                 ◇



その後、服飾工房のある商業区の方へ向かう一行。

しばらく歩き、特に何事も無く商業区に到着する。夜中なので(ほとん)どほとんどの店舗が店を閉めていたが、各種商店が軒を連ねる大通りの街灯だけは煌々と明かりが灯り、道はゴミ一つ無く清潔そのもので、その一帯の治安の良さを窺わせる。


大通りから一つ二つ裏の通りに入る。少し奥まった所に目的の工房はある。

近隣の建物もお洒落な外観のものが多い中、そこは三階建ての割と大きな建物で、上流階級の邸宅と見紛うような華美な装飾的なデザインが施されていた。


店は店内の照明で明々としており、その光が窓から外に洩れ、周囲を暖かく照らしていた。


彼女は一行を引き連れ、工房『アトリエ・ド・ラ・モード・ブリアント』の大きな玄関へと向かう。


扉に取り付けてあるドアノッカーで軽くノックをすると、暫くして門が開かれる。中から年配の執事が現れて穏やかに挨拶する。


「いらっしゃいませ、イスティス様にご従者の皆様。主人が中でお待ちしております。イスティス様。……一週間ぶりでございますね。本日はご来店いただき、誠にありがとうございます」


執事はそう挨拶をすると、私達を中に案内する。


中庭の周囲を覆う高い壁。そのまま見上げると、壁によって四角く切り取られた夜空のキャンパスに、星々がまたたいていた。


「では、護衛の方はこちらの部屋でお寛ぎください」


そう言って彼は、バルナタン達を中庭近くの別の部屋に案内する。

その彼らに一言、彼女は声を掛ける。


「カルクールはここに残って頂戴?」

「あ、はい。分かりました」


そして二人は中庭で少し待つ。


中庭に執事が戻って来ると、次に私達の案内を始める。


「どうぞこちらへ、お願いいたします」


前回通された時と同じ応接室に案内される。

ソファーの前まで来るとカルクールがあたりまえのようにソファーの後ろに立ったままでいるので、彼女がソファーに座るように促す。少年がおっかなびっくりしつつそこに座ると、その隣に彼女も優雅に座る。

二人がソファーに座って暫く待っていると、執事が上品な意匠の器に、良い香りを立ち上らせた紅茶を二人の前のテーブルに置く。


「どうぞ。熱いのでお気をつけてください」

「ありがとうございます」


少年は慣れない様子で恐縮しつつも、年相応に礼儀正しくお礼を述べ、お辞儀をする。

その様子に執事の顔が穏やかに綻ぶ。


彼女がカップを手に取り、それを嗜む。その様子を少年は興味津々で眺め、見様見真似で紅茶を飲む。

少しするとドアが開き、若く化粧の濃い女(?)が入ってきた。


……それにしても所作が女性そのものね。あまりに自然過ぎて気持ち悪……などと考えていたら声を掛けられた。


「待たせてごめんなさいねぇ~。私がこのお店の女性裁縫師クチュリエールよォ!そこの少年は初めましてかな?よろしくねぇ♪」


少年は、気持ち悪い笑みを浮かべながら近づいて来たその女(?)を凝視する。よく見ると肌がツヤツヤしていて潤っているようにも見える。しかもなんかイイ匂いがする。

今日の服装は身体のラインを強調するようにぴっちり着こなされていて妙に艶めかしい。股間の部分を見るとしっかりと膨らんでおり、間違いなく男性であることが分かる。


その後ろからカツカツカツと、足音を響かせて若い女性が現れた。


「イスティス様。一週間ぶりでございますね。ご注文頂いた品は出来上がっております。よければご確認くださいませ」

「ふふ、楽しみね……」

「レオポール、商品を持ってきて頂戴?」

「はい、かしこまりました。少々お待ちください」


流れるような動作で、テーブルの上から紅茶が飲み干された二人分のティーカップを回収し、奥へ下がる執事。


暫くのち、彼が木箱を持って現れる。持ち込まれた木箱は合計二つ。それを床に置いたまま、次に取っ手のついた美しく洗練された意匠の箱と、精巧な彫刻が施された小さい箱を順次、丁寧に持ってくる。


執事はその洗練された意匠の箱と、精巧な彫刻が施された小箱をテーブルの上に置くと、中身を確認してもらうために彼女の方へ向け、ひと箱ずつ開けていく。


まず開けられたのは洗練された意匠の箱だった。そこに入っていたのは、紫色に染められたソワという生地を使って作られた衣装だった。


ヴァリアンはその衣装を箱から持ち上げ、解説を始める。


「ソワは軽くて耐久性はもちろんのこと、上品な光沢があってね、とても肌馴染みが良いの。なめらかでシワになりにくい素材でね、着用者の動きを妨げないのよ。私はコレを製作するにあたって、どの角度から見ても優美に見えるように意匠を考えて考え抜いたわ。胸元と袖口には赤い刺繍を施し、さらに襟元には紫色の宝石も縫い付けて高級感を引き上げたわん。また、背中は露出して官能的な感じを演出、逆に胸元と肩には軽い鎧のような装甲を配置して、戦闘時の防御力を確保。どう?」


そこで一旦言葉を切ると、再び口を開く。


「袖は長めで、手のひらまで覆うわ?手首にはフリルを配置して女性らしさを演出。腰には幅が少し広めのこちらの赤い革のベルトを巻いて、全体の意匠の平衡を取りながら腹部の防御力を向上。如何かしらん?」


彼女はその服を渡されると自分の体に当ててみる。


「大変お似合いでございます。イスティス様」


と、満面の笑みでルナディットが褒める。


「そう?気に入ったわ」


軽く微笑むとその衣装を畳み、入っていた元の箱に戻す。


執事が次に開けたのは、芸術的価値の高い精巧な彫刻が施された小さな箱だった。そこには眩く輝く黄金を全面に使った、目元だけを(マスク・ドゥ・)隠す仮面(マスカラード)が入っていた。


ヴァリアンが優雅に後ろに下がり、代わりにルナディットが前に出てその仮面について解説を始める。


「ご依頼の仮面にございます。希望されていた竜の意匠は『金に複雑な彫刻は難しい』と職人に難色を示されたので、炎の意匠の方を全面に取り込んだ仮面です。内側は形を整え、複数の工程を経て硬化させた革を丁寧に処理し、装着した時に感じる肌触りや違和感をできるだけ優しく自然な感じに抑えるように心掛けたそうです。その表面を1.3リーヴル(約780g近く)もの黄金で覆い、その黄金を流れるような曲線や波打った形状で(かたど)り、炎の模様を美しく鮮やかに表現しています。その分、今付けられている仮面と比べると重たく感じるかも知れませんが……」

「素晴らしいわね……」


と、彼女は高揚した様子で呟く。

だが、逆にルナディットは悲しそうな顔をして続きを話す。


「……何分、私共は『仮面』は本職ではありませんので、ヴァリアンが仮面の依頼をしに行った時に、職人から『本人に合わせた形の仮面を作りたい。その本人が来られないのなら、せめて顔の型を取る必要がある』と初めて聞いたらしく、大事な事をイスティス様にお伝えする事ができませんでした。結局のところ、職人の方からは若い女性の平均的な顔の型に合わせて作ったと聞いております。イスティス様のお顔と調和するかどうか……。もし合わなければ言ってきて下さい。こちらの落ち度なので、私共で費用を出して職人の方へ作り直しを依頼させていただきます。もしよければ今、確認して頂けますでしょうか?」


そう言われて仮面に手を掛けようとする。だが(すぐ)に思い直す。


この仮面を外すと、幻影魔法が解けて姿が元に戻ってしまう。やはりここで外す訳にはいかないわ……。


「……後でつけてみるわ。もし合わなかったら頼むかも、ね?」

「かしこまりました」


少し心配そうな彼女。


「そんなに心配しなくてもいいわ。それより、その木箱は?開けてくれないの?」

「ふふふ。そうでした。これはすみません。では……」


そう言うと、執事が二つある木箱のうち、片方を開けていく。

木箱の中には緩衝材として藁がつめられており、執事がその中から赤く染めた革鎧の胸当てを取り出してこちらに見せる。


「丁度、頭から足元まで一式の揃いが二人分ご用意できました」

「さすがね。()()はいい仕事するわね?」

「お褒め頂き、ありがとうございます」

「お気に召していただけて幸いです」


執事と女主人が共に恭しく礼をする。

顔を上げるとルナディットが話を続ける。


「では、イスティス様。それぞれの金額につきましての内訳になりますが……戦闘向け衣装がアルブル金貨四枚、……黄金の仮面につきましては、アルブル金貨二十枚、……赤染の革鎧一式が二人分でアルブル金貨五枚。……お支払い合計はアルブル金貨二十九枚となります」

「……前に見せてもらった見積もりの金額とそんなに差が無くてよかったわ。カルクール、彼女に代金を支払って頂戴?」

「た、たった一回の買い物でアルブル金貨二十九枚ですか……。僕、なんだか金銭感覚がおかしくなりそうですよ……」


執事が脇に抱えていた金属製の盆を両手に持ち替え、恭しく差し出す。

カルクールはそう(うめ)くように呟きながら、その鏡のように磨き抜かれた盆の上に、懐から取り出した革袋の中から手を震わせつつ、一枚ずつ金貨を数えて置いていく。


支払いが終わると、ルナディットは丁寧にお辞儀をしてにこやかに笑い、


「ありがとうございます。今後とも御贔屓によろしくお願いいたします」


と、上品にその魅力的な笑顔を振りまくのだった。


「……それでは別室でお待ちの方々を呼んでまいります」


その場の雰囲気を察した執事がそう発言し、応接室から退室する。

暫くしてバルナタンを始めとする部下達をつれて戻ってきた。


「あなた達、ここでの用事は済んだわ。そこの床に置いてある木箱だけど、両方共持って帰って頂戴?バルは、テーブルの上の綺麗な箱ね?取っ手がついて持ちやすいようになってるでしょう?」

「「「うっす!」」」


そこまで言うと(おもむろ)に彼女も立ち上がり、テーブルの上の精巧な彫刻が施された小さな箱を閉じて手に取る。


「じゃ、みんな帰るわよ?」


颯爽と先頭を歩く彼女。部下たちがそれに続く。


工房『アトリエ・ド・ラ・モード・ブリアント』の三人が、お客様を見送るため玄関の外まで出る。

そして、彼女達の姿が見えなくなるまでの暫くの間、深々と頭を下げ続けるのだった。



                 ◇



一行が、拠点である『工房アトリエ』に帰還すると、ゆっくりできると思ったのも束の間、早速、彼女が次の指示を出す。


「あなた達、荷物を部屋の中に置いたら、今からこの辺りの孤児をここに集めてきて頂戴」

「い、今からですかい!?」


急に『この辺りの孤児を集めろ』というその指示に、皆は戸惑いを隠せない。当然のことだろう。

しかし、彼女には圧倒的な魔法ちからという裏付けがあり、それを側で見てきた部下達には漠然とした「この人についていけば……この人の言う事を聞いていれば、きっと大丈夫だろう」という確信に近い信頼があった。


「……できれば多い方がいいけど、時間も時間だし、……そうね、少なくても五人は連れてきて頂戴?小さな子は扱いに困るだけだから除外ね?バルナタンとデュドニーの二人には別の用事があるから、お留守番ね。フフフ……。ああ、そうそうバル、明日からでいいから、私のいない間にやって欲しい事が……」


彼女はバルナタンと一緒に部下から離れながら、彼に何やら課題を与えていた。

部下達は既に寝ていた仲間を叩き起こすと、戸惑いながらも言われた通り、この周辺の貧民窟に暮らす親のない子供たちを、知り合いかそうでないか問わず大急ぎで集めて『工房アトリエ』へと連れてきたのだった。


一階にある広い部屋に、連れてきた孤児達と、その子達を集めに周っていた部下が集まる。孤児達は黙っているように言われたのか、眠い所為なのか、誰も口を開かない。だが中には興味がある子はいて、その子は部屋の中をきょろきょろと忙しなく見回している。


「……なんとか七人か。フゥ〜ッ。言われてた人数ギリギリに近いな?」

「そうだなー?」

「姐さんは、孤児を集めて何をするんだろうな?」

「さぁな?姐さんが考えてる事なんか、俺らに分かるわけないだろ?」

「ちがいねえ。ハハハ!」


暫くすると、別の部屋から彼女が現れ、その後ろから体に毛布を巻き付けた人物が二人現れた。彼女はボソボソと呟くと、毛布を巻き付けた男二人の周りに小型犬ほどの大きさの炎の塊を幾つか発生させる。

宙に浮いた炎の塊に囲まれ、二人は煌々と照らされる。


「はーい、注目〜。この毛布のお兄さんたちを見ててね?バルナタン、デュドニーいいわよ?」


二人は体に巻き付けた毛布を勢いよく放すと、今まで毛布によって隠されていたその姿が露わになる。


二人は上から下まで真っ赤に染め上げられた革の甲冑に身を包んでおり、脇に抱えていた赤い兜をゆっくりとかぶる。


「か、かっけぇー!!俺もこれ、着たい!ねえ、どうやったら着れるの!?」


さっきまで眠そうだった孤児たちが、目を輝かせ興奮して騒ぎ始める。


「ふふっ、みんな元気ね?あわてない、あわてない。私たちの集団に入ったらこんなカッコイイ鎧なんかもそのうち着れるようになるわ?それに美味しいご飯も食べられるようになるし、お金だってたくさん手に入るようになるわよ?」

「お、俺入る!どうすれば入れるの!?」

「わ、私も入りたい……」


彼女はニヤリと笑うと、言葉を続ける。


「あなた達、背丈が五マン(約 150㎝ 程度)以上あるわね?合格よ!名前は?」


自身の背丈と比べて、彼女はすぐに合格の判定を出す。


「僕、フェリアン!」

「わたし、ジャネット」

「二人とも良い名前ね。ふふっ」


二人に合格を出すと、他の子に声を掛ける。


「あなたも背丈が五マン以上あるわね?どう?入ってみない?」

「あ、俺、無理、無理、絶対無理!そんな立派なの似合わないよ!」


その子は、全身真っ赤な装備を着たバルナタン達を羨ましそうに見ているが、自分には無理だと思い込んでいる。


「入ればその鎧も着る事ができて、お金も手に入って好きな物が食べれるようになるのに、残~念。自分でチャンスを振ったあなたは失格ね♡」

「え!?そ、そんなぁ……」

「もう、来なくていいからね?……あら、そっちの子は?」


彼女は、目の前の子からすぐに興味を失い、代わりに隣に立っている少し背が低い男の子を見つめる。


「君は入りたそうな目をしてるけど、惜しいなー。ちょっと背がたりないかなー?そうだ!近くにもう少し背の高いお兄さんかお姉さんの知り合い居ないかしら?もし居たら声をかけてみてくれない?もし連れてきてくれたら、一人あたりジェルム硬貨を一枚あげるわ?三人ならジェルム硬貨三枚ね?」


その子はコクコクと頷く。


「みんなも、もし連れてきてくれたら、一人あたりジェルム硬貨一枚あげるから、よろしくね?」


そう言うと、孤児達からどよめきが起こる。

それはそうだろう。この子達には明日、口に入れる食べ物があるかどうかすら怪しいのだ。そこに降って湧いたような幸運。

彼女が出した条件は『背丈が五マン以上』という事だけだ。決して難しい条件では無い。その条件に合う()()をここにつれて来るだけで、一人につきジェルム硬貨を一枚貰えるのだ。

それだけあれば、数日はパンが買える。たった数日間とはいえ、モノを他人(ひと)から盗まずまっとうに生活できるのだ。これは孤児の彼らにとって、かなりの大事(おおごと)だろう。


「じゃ、合格の二人は別の部屋で詳しい話をしましょう。他の子は、連れてきた者が責任をもって送り届けてあげて?」


「「「はい!」」」


部下達から元気な返事が返ってくる。

彼女が頷くと、バルナタンが先頭に立ち、部屋を後にする。続いてデュドニーが続き、合格した孤児の二人が彼らの後についていき、最後に彼女が続く。


別の部屋に行く合格した二人を、残された孤児達はしばらく呆然と見送ると、部下たちに手を引かれて『工房アトリエ』から元居た場所へと帰っていくのだった。



                 ◇



「カルクール〜。どこかしら……?あ、いたいた」


孤児達との話し合いが終わってから、彼女はカルクールを探していた。


少年は一階の広い部屋の壁を背にして座り、あくびをしていた。


「ふぁ……。あ、お呼びでしょうか?」

「……眠そうね。だけど、もうちょっとだけ付き合って頂戴?」

「は、はい。分かりました」

「さっき、二人で工房の中を巡ったじゃない?それで思ったんだけど……」

「あ、ちょっと待って下さい。メモを取りますので!」


彼が用意してる間、彼女はボソボソと呟き、明かり代わりに子猫程度の大きさの炎の塊を宙に生み出す。


「あ、助かります、姐さん。こちらも用意できましたので、どうぞ続きをお願いします」


彼女は頷くと話を続ける。


「じゃ、いくわよ?一階には私が着替える事ができる女性用の更衣室と私の専用アルモワール(大型のワードローブやクローゼット)、皆の装備や私物を入れて置ける収納室か収納庫が欲しいわね」


カルクールが書き終わるのを待ち、続ける。


「……二階に皆が休息できる大きな自由空間と片付けするための収納、『ファイエルブレーズ』の頭領には専用の個室が必要よね?普通の団員とは待遇に差を付けないと。そこをバルナタンに自由に使って貰うの」


再びカルクールの方を見る。少年が書き終わるのを見て、続ける。


「……地下の倉庫は半分に仕切って、奥半分を宝物庫にしたいわ。仕切には強固な素材で厚めに壁を作って、出入りの為の施錠できる頑丈な扉をつけて……あ、その宝物庫の中に大きめの金庫も欲しいわね?」


書き終わるとカルクールが口を開く。


「いいですね、一階と二階についてはみんなも喜ぶと思います!」

「明日あたりには職人ギルドへの紹介状が届くと思うから、カルクール、ちょっとバルと相談して工房の改修作業を進めてくれないかしら?期間や予算の交渉はあなたとバルに任せるわ。出来るだけ早く完成できるように進めて頂戴?」

「……ちなみに、工事を優先したい所なんかはありますか?」

「最優先は宝物庫ね。あ、そうそう。そこに取り付ける扉の鍵なんだけど、私の好きな『オブシディアン・リュストレ』という綺麗な黒い宝石を、鍵の意匠としてどこかに使うように、ね。あと、この文字列も鍵のどこかに意匠として刻み込んでね?」


そう言うと、彼女は懐から古代語の文字列を書いた紙片を出して少年に渡す。


「……鍵は二本作るのよ?私の持つ鍵と予備の鍵、合わせて2本。完成したら予備の鍵はカルクール、あなたが持っておきなさいね?」

「わ、分かりました!」


そこで、彼女はふと思い出したようにカルクールに尋ねる。


「……何枚か羊皮紙はあるかしら?あれば出して頂戴?それと、ペンとインク、あとナイフの様な何か鋭利な物はあるかしら?」

「少しお待ちください、姐さん。確かあったと思うんで……ちょっと探してきます」


彼女の元を離れたカルクールが、どこかから十数枚の羊皮紙と羽根ペンとインク、小型のナイフを持ってくると部屋の中央に置かれた円形のテーブルの上に置く。


「これでいいですか?」

「ええ、助かるわ。あ、カルクール。カッコバルクルーを潰したご褒美を、まだみんなに出してなかったわよね?」

「あ、はい……!」

「お宝を組織(エクリプスノワール)に持っていった後に、アルブル小金貨を百枚くらい出してあげて。配分はバルに任せるわ。工房(アトリエ)では見かけてないけど、まだ怪我が治ってない子もいるんでしょ?神殿で治してくるように言って。あなたが怪我が治ってない皆を連れて行ってもいいわ。皆の治療費にアルブル小金貨で合計五十枚まで出していいから」

「いいんですか!?みんな喜ぶと思いますっ!」

「私は神殿の相場(こと)なんて(興味無いし)分からないし?それに部下は皆、いつでも前線に立てれるよう、万全でいてもらわないとね?」


(姐さん、そういう事なんですね!?それなら僕の出番だ!)そう思い込んだ少年は瞳を輝かせ、俄然やる気を燃やす。


「神殿の治療について、何が幾ら位掛かるのか……調べておきます!必ず一覧を作ってみせるので暫くお待ち下さいね!」


彼女は暫く目を点にする。……やがて我に返ると、口を開く。


「私はもう少しだけ、やる事をやってから帰るわ。あなたはもう休んでいいから。眠いでしょう?」


そう告げると、彼女は部屋から去っていく。

少年は貰った紙片に視線を落とし、書かれた文字をまじまじと眺める。


……見たことない文字だけど、どこの文字だろう?姐さんから渡された大事な物だ。無くさないように大切に持っておこう。


そんな事を考えながら懐に大事そうに紙片をしまい込むと、彼はいつもの場所で眠りに就くのだった。



                 ◇



地下の倉庫に、彼女は一人降りていく。


先ほど生み出した炎の塊が、愛玩動物のようにフワフワと宙を漂いながら付いてくる。


彼女以外、地下の倉庫には誰もおらず、ただ静寂の空間が奥に広がっている。

持ってきた荷物を床に置く。そこに一人立ち尽くすと、床に置いた荷物の中から羊皮紙を一枚、無造作に取り出す。その用紙を口に咥えると、左手にナイフを握る。

彼女の眼は冷たく輝き、ナイフの刃を右手の人差し指の指先に沈め、軽く滑らせる。刃は簡単に指先の皮膚を少し切り裂き、そこから血が滲みだす。


彼女は一切表情を変える事なく古代の言葉による詠唱を魔力を込めながら唱えつつ、指先から滴る自身の血で、その羊皮紙に魔術の刻印と呪紋、古代語の術式を刻み込んでいった。


血文字はその詠唱に反応し、不気味な輝きを放っていた。


やがてその輝きが消えると、出来上がった呪符を満足げな表情で見つめる。


……自身の血を使った事により、この呪符と私の間に魔術的な経路(パス)が繋がった。この呪符に施した術式は、効果範囲内において、()()()()()()”血”が流れると私に警告を発する仕組みになっている。効果範囲はこの呪符を中心として半径2.5ヴィル(約270m程度)以内。もっと魔力を込めれば効果範囲を広げることは可能だけど、範囲を広げすぎると逆に感知精度が落ちる。範囲と精度の平衡を取るにはこれが最適解。

……経路(パス)が繋がったとはいえ、()()()()効果があるかといわれれば、正直不安もある。


「まぁ、念の為よ。無いよりはマシでしょう……」と、一人呟く。


必要な(いる)のは、この工房(アトリエ)を護衛する為の精霊を召喚する呪符と、耐火の防護結界の呪符ね。


「精霊召喚の呪符は、工房の各方位にそれぞれ一枚づつ貼っておけば十分よね……」


彼女は羊皮紙の束の中から、四枚取り出す。

床に置いてある荷物の中から羽根ペンとインクを取り出してインクの蓋を開け、羽根ペンをインクに浸すと、再度古代の言葉による詠唱を魔力を込めながら唱えつつ、羊皮紙に精霊召喚に必要な魔術の刻印と呪紋、古代語の術式を刻み込んでいった。

それを繰り返すこと四度。やがて四枚の呪符が完成する。


この呪符の効果は、この呪符を中心に半径5カンヌ(約15m程度)以内に敵意や敵愾心を持つ存在を感知すると自動で術式が発動し、一枚の呪符につき一体の火の精霊を召喚し、呪符に記述された命令に基づき行動させ使役するというモノ。

召喚される精霊の強さは、彼女が好んで召喚する炎の精霊(サラマンダー)に比べると、数段下位の火の精霊だけど、数段下位とはいえ召喚されるのは精霊そのもの。通常の武器では、傷つける事すらできない。


難点をあげるとすれば、一つは召喚後、彼らがこの世界に顕現でき使役できる時間。その召喚された精霊に与えられた魔力はこの呪符に込められたモノのみで、大体が15~20ミニュット(約15~20分程度)が過ぎると魔力を使い切り、その存在を維持できず精霊界に還ってしまうという事、二つ目は召喚時にその呪符自体が燃え尽きて再利用ができない事。


続けて耐火の防御結界の呪符を作成する為、同じように羊皮紙の束の中から、何枚か取り出す。


耐火の防護呪符。面で発動し、火による攻撃から防護するこの呪符を各方位にそれぞれ一枚づつ貼れば、呪符の効果範囲に囲まれた区域の内側が結界と同様の効果を持つ。


「これも四枚あればいいわね……」


精霊を召喚する呪符を作成した時と同じように呪符作成を四度繰り返し、耐火の防護呪符を四枚完成させる。


必要な呪符を作り終わった彼女は荷物をまとめ、呪符と荷物を持って地下の倉庫から一階に上がる。そこで何人かの部下が声を掛け合い、交代する姿を見かけたが、彼女は気にも留めない。

部屋を通り過ぎる際に、荷物を円形テーブルの上に全て置き、完成した呪符だけを持って工房の外へ出る。


彼女は、外から『工房アトリエ』を見上げる。


「これは、あそこらへんに貼ればいいかしら?」


まずは四枚の精霊召喚を行える呪符を持ち、呪符を張る位置をなんとなく決める。彼女の視線の先は、自身の背丈では届かない一階の少し高い所を見つめていた。


「どうせ帰るついでだし、いいかしらね?」


そして、彼女は呪文を唱える。


『我と我が四肢の届く範囲を支配下に 其を領土とし 空と風から独立せん。


 万物に与えられし大地と地の精霊との契を 限りなく薄く細く霞と化せ。


 火よ出でよ 我が領土へ火の円環を作れ。 


 猛る火よ舞い踊れ 我が意志に従い 力を解き放て! 飛翔炎舞(ラント=フラーダ)!』


体の周りに球形の結界が出来上がり、つま先でちょっと地面を蹴るとまるでボールが跳ねるような感覚で結界ごと体が少し浮き上がる。炎の輪は、私の意志に従い自在に火力が変化し、結界の周囲を滑るように移動する。


成人男性が手を伸ばして届くかどうかという高さに火力を微調整して浮かび上がると、工房の角にその呪符を貼る。そしてその呪符に魔法をかける。


『火よ 虚像を結べ 幻影の理(ことわり)を円環となせ……施すは光の屈折 其の(ことわり)を身に纏い 環景に同化せよ |幻影光環《アンヴィエール=ジオン》』


月明りではっきり見えていたその呪符の姿がゆらっと揺れたかと思うと、やがて元からそこに何もなかったかのように呪符の姿が掻き消える。


「フフ……」


彼女は軽く笑いを漏らすと、工房の残りの四隅に同じような作業を繰り返し、いざという時に工房を護る為の呪符を仕込んでいく。


それが終わると火力を調整して浮かび上がり、工房の二階の軒下まで上昇すると先ほどと同じように四隅辺りに呪符を貼っていく。


部下が近くの窓から顔を出し、宙をフワフワと飛んでいる彼女に質問する。


「姐さん、何をされてるんですかい?」

「私の……いえ、私達の『工房アトリエ』を護るためのお守りをつけていってるの。いま貼り付けたこの呪符は、火事などからこの建物を守ってくれるのよ?ウフフ……」

「へぇ~。そりゃぁ、ありがてぇです!」


四枚目を貼り終わり、彼女が魔法を唱えると、貼り付けたばかりの呪符が透明になっていき見えなくなっていく。


「あ!?姐さん?お守りが消えていきますよ!?」


部下の慌てる声を聞きながら、彼女は満足そうに笑う。


「フフッ。これでいいの……これで……ウフフフッ……」


そして、最後の仕上げに『工房アトリエ』の正面に移動に移動する。その二階の軒下辺りに、最初に作成した血文字の呪符を貼り、同じように呪符を魔法で透明にしてその存在を隠す。


自身の施した一連の作業に満足すると、窓から見ている部下達に手を振る。

彼女は火力を調整して工房アトリエから少し離れると、空中でくるりと身を翻し、夜空に勢いよく舞い上がり飛び去るのだった。


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