旗揚げ
夜の闇を滑るように飛び、やがて例の場所に近い所まで来て滞空する。
そこはゴロツキの溜まり場にほど近い所。地上を見下ろすと、何カ所かで数人がたむろして楽しげに会話を交わしている姿がみえた。
彼女はそこの中から一つを適当に選びその中心にそっと降り立つ。
「はーい。みんな元気してた?」
こんなゴミ溜めには似つかわしくない上質な外出用の服と外套を纏った令嬢が、場違いなほど明るい声でそこら辺に屯するゴロツキ達に声をかける。
「てっ、テメェ、今どこから!?」
「「!?」」
ゴロツキ達は足音も無く現れた少女に一瞬動揺するが、すぐに態度を豹変させる。
「あ〜ん!?なんだてめぇ?」
「お嬢さん、迷子かなぁ~?俺たちが送っていってあげようか?」
「へっへっへっ……!」
ゴロツキの男達が股間を膨らませながら、ジリジリと近寄ってくる。
その反応を見て少女は軽く息を吐く。
「はぁー……。この子たち、記憶力あるのかしら?ほんと月並みなセリフね。その頭の中、脳みそじゃなくて空気でも詰まっているんじゃないかしら?」
「んだとぉ!?こいつ……舐めた口聞きやがって!ぶっ殺すぞ!」
「そこまで言われちゃ、許せんなぁ!犯っちまうぞテメェ、ゴラァ!」
「へっへっへっ……!」
下卑た笑みを浮かべ、下品極まり無いセリフを口にしながら少女を取り囲む男達。
そんなゴロツキ達に彼女は冷めた視線を送りながら、彼女はゆっくりとフードを降ろす。 その行為はまるで、闇から姿を現す月のように静かで神秘的だった。 彼女の指先はフードの生地を優雅になぞる。その仕草すらとても美しく艶があった。それは一種の妖美だと言っていい。
ただその行為に色気を感じているのは彼女だけでは無い。
周りにいるゴロツキ達も生唾を飲み込み、喉仏を上下させて彼女のその何気ない一挙手一投足に目が離せないでいる。
顔を隠した仮面が、謎めいた雰囲気を醸し出す。 ゴロツキ達を見据えたその瞬間、彼女の瞳が光を放ち、冷酷な意志とその美しい口元に狡猾な笑みが覗く。
仮面をつけた少女はぶつぶつと何かを呟くと、肩の高さまで上げた手のひらの上、何もない宙に大型犬ほどの炎の塊を出現させる。
「仮面をつけて顔を隠し、上等な服を着て……俺らより背が低いのに全てを見下すような視線、さらに炎の魔法を使うだとっ……!?」
「おい、やべえぞコイツ……」
「はっ!?何言ってんだお前ッ!この方はもしかして!?」
ゴロツキ達は慌てふためき始める。どうやら彼らはこの少女の正体に思い当たったらしい。
「……わかったなら早く動きなさい?」
「へ、へいッ!」
「おいっ!兄貴を呼びに行くぞ!いそげッ!」
ゴロツキ達が転がる様にバタバタと駆け出し、蜘蛛の子を散らすように消えていった。
その背中を冷たい視線で見送る。
暫く待つと、先程のゴロツキ達が仲間を連れて戻ってきた。
「はぁっ、はぁっ……お疲れ様ですッ!姐さんッ!一月近く姿を見なかったですが、今までどちらに?」
「ちょっと旅行に行ってたのよ。うふふ……」
「そ、そうですか……」
彼女はファサッと髪を掻き上げて質問する。
「あなた達。ちょっと聞くけど、……私がいない間、何か変わった事はあった?」
「これといって……あ、そう言えばブロワールさんが、姉さんが全然顔を出さないのに苛ついてたぐらいで……。あとは皆、姐さんからいただいたお金で好き勝手にしてましたぜ」
「ねえ、ブロワールって誰かしら?」
「ブロワールさんは、ボスの側近、ボスが右腕と呼んでいる方ですよ、姐さん!」
ゴロツキ達は皆一斉に『嘘ーッ!?』というショックを受けた表情をした。
「そう。あの人そんな名前だったのね」
なんとも言えない空気がその場に漂う。
「あ、そうそう。私の手に入れた建物、少し掃除してくれたのね。ありがとう」
褒められるとは思ってなかったゴロツキ達の顔が、嬉しそうに一斉に輝く。
「さぁ、私が帰ってきたからには、これから夜は刺激的になるわよ~!あははっ!」
「「「おおおーーー!!!」」」
ゴロツキ達は雄叫びを上げ各々勢いよく腕を振り上げる。
それを見守り、暫くして場が静かになると彼女は一同を見渡す。
ゴロツキ達は何が始まるのか、ゴクリと生唾を飲み込み、固唾を飲んで彼女の発する言葉を待つ。
「私が一々あなた達を呼ぶために魔法を使ったり、迎えに行くのは、おかしいわよね?ええ、絶対おかしいわ。あなた達、直属のボスは誰かしら?」
「「「姐さんです!」」」
野太い声が一斉に唱和する。
彼女は満足げに微笑むと話を続ける。
「分かってるのね?いいわよあなた達。ウフフフ……」
彼女はバッ!と片手を突き出し手を広げ、命令する。
「あなた達の溜まり場を、私の所有する建物『魔女の魅惑の工房』に変えなさい。いいわね!?」
「「「はっ!?」」」
一瞬何を言われているのか理解できないゴロツキ達は呆然とする。
「単純に『工房』と呼んでも良いわ」
そのうちの一人が、辛うじて意識を取り戻し質問する。
「……あのー、ここはどうしますか?」
「そうねぇ。数人残して隠れ家や物置として使いましょう。なかなか広いみたいだし?」
「了解ッス!」
兄貴は振り向いて皆に号令を出す。
「おめーら、姐さんのお達しだ。あとで引越しすんぞ!」
「「「へい!」」」
「そうそう、荷車ある?」
「この前の襲撃で回収したヤツがあります!」
「それ、使うかも知れないから、あなた達の半分は残ってすぐ動かせるように準備しててね」
「「へい!」」
「じゃ、あなた達行くわよ」
「「へい! お供します!」」
彼女は部下を引き連れ、夜の貧民窟を悠々と進んでいくのだった。
◇
彼女は部下に先導され、夜の闇に身を委ねた迷路のように曲がりくねった路地を黙々と進んでいく。
やがて見知った建物に到着する。ここがディナルドが居を構えている根城だ。
門番には目もくれず、ズカズカと建物へ入っていく。
「ちょっ!?おまっ!?」
門番達は慌てふためき、後を追うが既に遅い。彼女は建物の中に入ってしまっていた。
「はぁーい。久しぶりね。私がきたわよ~♪」
ガタガタッと椅子の動く音がして、ロビーに緊張が走る。
彼女が来るときは突然で、しかも事前に何も知らせない。
「いい、この方は客人だ。お前は持ち場へ戻れ」
「へ、へい……」
中にいた鋭い眼光の男が、追い掛けてきた門番に指示を出すと、彼らは渋々と入り口へ戻っていく。
ロビーで寛いでいたのは5名。皆一様に強面であり、鍛えた体躯をしている。その男達の内一人が、片手を上げ彼女に声を掛ける。それは先程、門番に命令した男だった。
「おや、これはこれは……」
「ちょっと遠くへ行ってたから、来るのが遅くなっちゃった。ごめんね~」
彼女は舌先を少しだけ出し、ウィンクする。
彼は額に青筋を浮き上がらせながら、笑顔で対応する。
「ああ、貴女ですか。一ヶ月近く顔を出さないものだから、何処かにトンズラしたかと思ってましたよ。今日はどのようなご用で?」
「あんた達からの熱烈な恋文が工房にあったから来てあげたのよ?まったくもう。忘れてたの?」
彼女は頬を膨らまし、可愛くぷんぷん!と怒った様なあざとい身振り手振りをする。
「て……テメェ!」
だが彼は歯を食いしばり、薄笑いを浮かべる。
「今日はディナルドはいないの?」
「オヤジはお楽しみの最中だ」
「そうなの。いじり甲斐がなくてつまらないわ~」
彼女は流し目でチラリとその男を見る。
「まぁ、ここではなんだ。奥の部屋へ行こうか」
「そうね、秘密のお話になりそうだものね。クスクス」
彼に案内されるままついて行き、奥の部屋へと入る。
応接室に入ると、壁面には一切の窓が無く異質な雰囲気が醸し出されていた。壁や床には濃い色の木材と石が使用されていて、一見しただけでこの部屋は他の部屋と違う堅固な造りをしているのが分かり、この部屋が外部から隔離されている事を示していた。
天井からは古びてはいるが、よく手入れされた立派なシャンデリアが垂れ下がり、薄暗い照明が落ち着いた雰囲気を醸し出している。
床には豪華な絨毯が敷かれ、その柔らかな質感は足元を優しく包み込んでいた。
壁面には風景の描かれた絵画が幾つか掛けられており、謎めいた紋章が刺繍されたタペストリーもつり下げられていた。
応接室の中央には贅沢な大理石のテーブルと黒を基調としたソファーが両脇に置かれ、テーブルの上には金色のペンスタンドとそれに立ててある高級感のある羽根ペンとインク、透明な結晶を幾何学的にカットして作られた文鎮が二、三個置かれていた。
この部屋は、組織の力と財力を象徴し、外部の世界から隔絶された場所であることを感じさせる重厚な雰囲気に包まれていた。
「この部屋は他の部屋と比べて壁が厚く作られている。気休めかも知れないが、他の部屋より音は漏れないだろう。まぁ、そこらへんに適当に掛けてくれ」
「堅牢そうな部屋ね。ここに籠もられたら、攻め落とすのは大変ねー」
「……こっちとしちゃ、そうでないと困るがね」
彼女は部屋を見回しながら感想を呟き、促されるままソファーに腰かけた。
男は彼女が座るのを確認し、対面のソファーに腰を下ろすと早速、話を切り出す。
「三カ所ほど潰して欲しい所がある。何処からでも構わないが一つは今週中にやってくれ」
「どこからやるか私が選んでも構わないのね?」
「ああ。オヤジには了承済みだ」
「あなたに目を付けられるなんてこの三か所、一体何をしたのかしらね?♡」
彼は暫く沈黙し、ため息を一つつくと話し出す。
「一つ目が、『レ・ゾンブル・モーディット』だ。この組織は最近、出所が不明の新しい魔薬を広めようとしている。ウチのシマにもこれが広がりつつある。よそのシマでの話なら奴らの好きにすればいいが、ウチのシマでこんなのを売られちゃあな。先日やっとボロを出した売人を捕まえた。ソイツの口を割って出てきた組織の名前が『レ・ゾンブル・モーディット』だ……。ボスは魔薬が大嫌いな昔気質のお人だ。そんなものを売り捌く奴らが近くにいたらボスは許しはしない。ヤサも分かった。なら潰すしかないだろう?」
「へぇ~……」
テーブルに両肘を付き手を組み、その上に頭を乗せている彼女の口角が上がり、面白そうに聞いている。
「二つ目が、『カッコバルクルー』だ。こいつらは前から賭博を主な稼ぎにしている。まぁ、それだけなら目くじらを立てる必要もないんだが……。問題は、どこかから人を攫ってきたり、借金で首が回らなくなった奴隷寸前のヤツを殺し合わせて賭けの対象にする地下賭博だ。最近、興行を増やしたのか人の集め方が荒っぽく杜撰になり、カタギの誘拐未遂の事件や行方不明者まで出てきてるとかで、流石に騎士団も重い腰をあげガサ入れが近々あるという噂もある。ヤツラがそれでしょっ引かれるだけなら何も問題が無いんだが、最悪な事に、この誘拐の罪をウチになすりつけようとしてるとモグラからのチンコロがあった。『カッコバルクルー』が潰れれば、地下賭博は終了、興業が無くなれば人を集める必要もなくなり事は沈静化する。そうなれば騎士団が出張る必要もなくなる……だろ?世は全て事もなしだ」
「暫くの間は……ね」
「まぁ、そうだな。賭博は胴元が儲かるように出来ているからな。いずれどこかがまた始めるだろうよ。だが、ウチと関係がなければ気にはしないさ……」
彼女はあまり興味無さそうに聞いている。
「三つ目が……恥ずかしい話だが、身内に裏切り者がいる。こいつらの事はそうだな……『クリミネル』と呼称しよう。こいつらにはこの前の襲撃で手に入れた品物を捌く仕事を任せていたんだが……」
そこまで言うと彼は深いため息をつく。
「俺らはゴロツキの集まりだ。手癖の悪い奴も多い、ちょろまかす事自体は誰でもやってる。多少なら俺も目を瞑ろうと思っていた。が、ヤツらは本物を自分の懐に入れ、贋作の美術品や偽の証文を用意して詐欺行為を派手にやらかした!おかげで組織の信用が傷ついた。バレても大したお咎めは無いと思ってやっている様だ。ヤツらの中には古参の幹部もいるからな。だからオヤジはヤツらの事はとやかく言わねーが、一度だけ『好きにしろ』と言った。組織の信用を傷付けた者達を俺は許さねぇ!丁度いい機会だ。裏切り者達の始末と、他の組織に勘ぐられた際にウチも根城が一つやられたという被害者としての立場を主張できる。まさに一石二鳥ってヤツだ。ヤツらには消えてもらう。好きに燃やしてくれ!」
「へぇ~。ちなみにそこの財貨は半分貰っていいの?でも、組織のモノよね?」
「そこへ本物を置いてるほどヤツらも馬鹿じゃ無いだろう。贋作で良ければ好きなだけ持って行くがいい……」
「贋作はいらないわ……。あらぁ?それじゃ私、タダ働きになりそうなんだけど?」
彼女は腰に手を当て、頬を膨らませて拗ねた素振りをする。
「……チッ。なら前金でアルブル金貨十枚、成功報酬で追加二十枚出そう」
「そんな額ではディナルドの器が知れるわよ?まぁ、今回は私が来るのが遅くなったから、その金額で請けてあげるけど?でも、次からは少なくてもその倍は出して貰わないとね?」
彼女は立ち上がりながら彼に近づき、人差し指で彼の顎をそっと撫でる。そして艶めかしい視線で彼を見つめ妖艶な笑みを浮かべた。
だが、彼は一切動じなかった。
「俺を籠絡したけりゃ、もう少し身体の方を成長させねえと。なぁ?」
「あらあら、言ってくれるわね?じゃあ、次の時はもっとイイ女になるよう努力するわ♡」
「ふん。だがまぁ、一応オヤジには聞いておく。それで、どこから行くんだ?」
彼は顎を撫でていた彼女の手を払うように退けると話を続ける。
「『クリミネル』を最初に潰しに行く事にするわ。その方があなたもスッキリするでしょう?ねえ、ブロワール?」
「……アンタに名前を言った憶えは無かったがな?」
「バルナダン達から聞いたのよ?」
ブロワールは眼を細め、口角をあげる。
「まあ!ウフフフ……。あなたの事、つまらない男と思っていたのだけど、そんな顔もできたのね?」
彼は立ち上がり、照れを隠すようにくるりと背を向けて話す。
「今、地図を用意する。少し待ってくれ」
彼はさらに奥の部屋へ入って行くと、暫くして巻いている大きな地図を何枚か抱えて出てくる。そして机の上に地図を広げ、それを見ながら無地の羊皮紙にガリガリと書き込んでいく。
「やつらはここだ。よろしく頼む」
彼女は彼が地図を描きこんだ羊皮紙とお金の入った巾着袋を受け取ると、巾着袋の中身を確認して懐にしまい込む。
「はーい。じゃ、いってくるわね」
そう言って二、三歩歩いたと思うとそこで止まり、くるりと振り向く。
「そうそう、私、動きやすい服と私に相応しい素敵な仮面が欲しいの。どこか良い工房知らないかしら?」
「どんな服が欲しいんだ?」
「丈夫でー、着替え易くてー、色は鮮やかな赤か、光沢のある紫か、女を美しく魅せる黒。ドレスは動きにくいから、動きやすいものがいいわね?」
「あんた、渋い好みしてるんだな?案外、見た目と違ってじつは結構歳いって……」
「何か言ったかしら?」
笑顔だが、いつの間にか右手の上には子供の背丈ほどの炎の塊がメラメラと渦巻いていた。
「いや、なんでもねぇ……」
「ならいいわ。あと、身体はちゃんと年相応よ?」
「はは……」
彼は乾いた笑い声をあげる。
それを見て彼女はクスッと笑い、炎の塊を霧散させる。
「普通のドレスじゃなくて、もっと先鋭的なものがいいんだな?」
「そう、言うなれば戦闘服ね」
「と、なれば防具よりか……?」
ブロワールは少し考えこむ。
「わかった。幾つか声を掛けてみる」
「頼んだわ。ウフフフ……」
彼に手を振り部屋から出て行く。ロビーを突っ切り、外で待機してる部下達の所へ行く。
「あなた達、溜り場に一旦戻るわよ。一人は先に行って待機してる子達にも連絡して」
「ガッテンだ!」
「腕がなるぜ」
「今夜もガッポリかぁ~!へへっ!」
「詳しくは戻ってからね」
部下のゴロツキ達はそれぞれサムズアップしたり、力こぶを作ったりして頷く。
「おめーら、戻るまでは静かにしろよ!?」
兄貴が一睨みすると、皆は一斉に口を紡ぐ。
彼女もその様子に満足げに頷き、颯爽と先頭に立って進んでいくのだった。
◇
「今夜は荷車の出番は無いわよ?」
溜り場に戻ると開口一番、彼女は言い放った。
「へっ!?」
部下のゴロツキ達はポカーンと口を開けて驚いている者もいれば、残念そうな声を上げた者もいた。
彼女は続ける。
「これから『クリミネル』の連中のところに向かうわ」
それを聞いた途端、ザワザワとし始める連中を尻目に彼女は告げる。
「……分かってると思うけど皆、ここで顔を隠していきなさい」
彼女が言うと、皆いそいそと布を顔に巻き付け支度を始めていく。
「今夜の仕事は鏖しよ♡やることが単純明快で、分かりやすくていいでしょう?建物も全部燃やしてイイの。ウフフ。やる気出るわぁ!あ、あなた達の仕事は、逃げ出すヤツがいないか見張り、始末すること。逃げられないよう目的地周囲の道を完全に塞いで頂戴。雑魚は基本的に私が燃やしていくけど、もし目が届かない所で逃げるヤツがいたら三人一組で一人を相手取ること。相手を殺せる技量が無いならせめて時間を稼ぎなさい。最後は私が燃やしてあげるわ」
「「「へ、へいっ!」」」
前回のようなぬるい仕事だと思い、気の抜けた顔をしている者がチラホラ見えた。なので再度釘を刺すことにする。
「あんた達に言っておくわ。出発したら最後、私に対する抗議は認めないわ!逃亡も許さない!逃げたら燃やす。世界の果てまで追いかけて焼き殺すわ!すぐに死んでしまわないよう再生魔法をかけて、再生しながら燃え続ける生き地獄を!!死んだ方がマシって思うぐらいの苦痛を味わせてあげるわ!!!」
彼女の凄味を利かせた発言を聞いてゴロツキ達がゴクリと生唾を飲み込み、皆気を引き締める。
「ちゃんと付いてきたら、あなた達に美味しい目を見させてあげる。そうね……今日の仕事が無事終われば、アルブル金貨を十枚与えましょう」
彼女は巾着袋から金貨を数枚取り出して器用に指の間に挟み、掲げて見せる。それは月明かりを反射し、魔性の輝きを放つ。
「アルブル金貨だと!?」
「お、俺、金貨見たのはじめてかも……」
「たった一晩でッ!?」
「し、しかも十枚……」
慄くゴロツキ達の反応を見て思う。
たったこれだけの金貨でこんなに驚くなんて、いままでどんな端金でこき使われていたのかよく分かるわね……。
「バルナタン、これをアンタに渡すから、ちゃんと持ってるのよ?あれから散財してなければ両替ぐらい出来るでしょう?活躍できた子には多めにあげなさいね!?」
金貨を巾着袋に戻すと、袋ごと彼に手渡す。
「わ、分かりましたッ!」
「これは手始めよ。私達は大きくなる!私に付いてきなさい!あなた達にもっといい目をみさせてあげるわ!!」
「姐さん!」
「姐さん!!」
ゴロツキ達の興奮は最高潮に達し、雄叫びが辺りに響きわたる。
彼女は彼らの溜り場を後にする前にもう一度振り返る。そして高らかに宣言する。
「出発よ!」
「「「うおおおおおお!!」」」
ゴロツキ達の雄叫びが、夜の闇に吸い込まれていくのであった。
◇
「ここが、ヤツら『クリミネル』の根城ね?」
「へい、姐さんから渡された地図ではそうです」
夜も深まり人の往来がほとんど無く、辺りはシンと静まりかえっている。
そこは道に囲まれた島の様な区画で、細長い区画の丁度端にある物件だった。外壁に沿うように道が走っていて、周りからも少し孤立しているように見える。
敷地は奥に長く、その中央に平屋だが大きな建物があった。更に奥にもう一棟小さな建物の影が見える。恐らくそちらが構成員達が寝起きするための居住であり、見張り塔らしきものも見える。
敷地の外周に沿って大人の背丈より高い壁にぐるりと囲まれているが、建物の正面の壁には門もなく、荷車が優に通れる程の間隔が空いているだけだった。
少し離れた建物の影から目的の建物を見ながら、部下のゴロツキ達と話す。
「誰かちょっとひとっ走りして、壁の構造を見てきて。ここから見えない位置に出入りできる扉があるかどうか知りたいわ」
「了解っス!」
部下の若い衆の一人が率先して走り出していく。門番に気取られないよう、建物から一つ離れた通りに向かっていく。
暫くして帰ってきた彼は両膝に手を突き、中腰で息を切らせて彼女に報告する。
「はぁっ……。はあっ……。側面には扉らしきものは無かったッス!はぁっ……はぁ、裏手に人一人がやっと通れるぐらいの小さい扉があったッス!はぁっ……はぁっ……」
彼女はその若いゴロツキの頭を優しくなでる。
「ご苦労様。皆も聞いたわね?あの建物の出入り口は正面と裏のみよ。これは完全に封鎖できそうね。裏口を担当する子達は少し危険があるかもだけど、中から一度に出てこれるのは一人だけ。皆で一斉に掛かれば問題ないわ」
「「「ウッス!!」」」
「それにこの立地なら、敷地の建物を全て燃やしても周りに延焼はしにくそうね。いいわ、いいわ!気分が良いから、あなた達に私から勇気がでる魔法を掛けてあげましょう!」
『火よ出でよ 揺らめくその姿で誘え 嫌悪の感情を深く深く魂の奥底へ沈め給え 魂の深淵より 原初の闘争本能を呼び覚ませ! 戦意覚醒!』
魔法が発動すると彼等の体が淡く発光する。その光はやがて薄れて完全に消え去るが、代わりにその瞳は炎の様に紅く爛々と輝いていた。
「おっ、おおおっ!?なんだこれっ!?滾ってくるぜぇー!!」
彼は自分の両手をまじまじと見つめながら呟く。隣の者は自分の手を握ったり開いたりして、確かめている様だ。他の者達も同様で、鼻息も荒く自分の体の変化を確かめてざわついている。
その様子を満足気に見渡しながら彼女は説明する。
「これで貴方達は何も恐れるものがない勇敢な戦士になったわ!さあ、あなた達!散って鼠一匹のがさないつもりで見張りなさい!建物から出てくるクズ共に容赦はいらないわ!」
「「「へいっ!」」」
部下のゴロツキ達は頷き、三、四人の少人数の集団に分かれてそれぞれの役目を果たしに行く。
この魔法は『狂戦士化の魔法』を、多くの人間を実験台に私が改良した独自魔法。闘争本能を掻立て興奮させる効果は似てるけど、命令を理解できるだけの理性が少し残ってるのが良いの。『狂戦士』なんて誰彼構わず攻撃するから全く使い物にならないんだもの。効果は見ての通り、あたかも自身が強くなったような錯覚を覚え、良心の呵責や罪悪感を鈍感にするの。フフフ……。さあ、あなた達、躊躇う事なく存分に殺すといいわ。
まぁ、火の属性魔法だし、付随効果で血流が早くなり、身体のキレや心肺機能の向上ぐらいはあるでしょうけどね。
それぞれが配置につき、準備が整ったのを確認した彼女はぶつぶつと何かを呟くと、肩の高さまで上げた手のひらの上、何もない宙に大型犬ほどの炎の塊を出現させ、さらに続けて詠唱を唱える。
『精霊界にたゆたう火の精霊よ 古の契約に基づき我が呼び声に応えよ! 精霊界より炎を導に顕界し我が前に顕現せよ!|火精石竜召喚《アンザール=ヴォリット》!』
魔法が発動すると、炎の塊から炎が勢いよく噴出し、一般的な成人男性より一回りほど大きいサイズの炎に形を変え、圧倒的存在感と質感を伴い明確な姿を現していく。
それは人のような姿をした何かだった。そのシルエットはまるで地面から軽く浮かぶ巨人。
その身長はゆうに2メートルを超えているだろう。筋骨隆々な人型のシルエットの上半身と、爬虫類のような下半身、全身を覆う鱗に蜥蜴を思わせる顔、縦に長い瞳孔、片手に灼熱の槍を持ち、全身に炎を纏った宙に浮かぶ精霊がそこに顕れた。
また、先程より短い詠唱を唱えると今度は小型の可愛らしい火精が顕れる。
その火精を核に、幻影の魔法で『私』の姿を纏わせる。火精には「炎の精霊について行くように」という簡単な命令を与える。
炎の精霊には、「この建物の中の人間、見つけ次第殺っちゃっていいからね?♡」と、命令を与える。炎の精霊は与えられた命令を実行すべく、勢いよく正面玄関から突撃していく。私の姿を与えられた火精は大人しく炎の精霊の後をついて行く。
立ちながら寝ていた見張りは声を上げるまも無く叩き潰され絶命。
反対側に立っていたゴロツキは槍を繰り出すが、その槍を捕まれてそのまま引き寄せられると同時に胸を灼熱の槍で貫かれ、絶叫を上げる間もなく崩れ落ちる。
炎の精霊は更に進み、建物まで来ると燃える両腕を扉に突っ込み、その膂力で無理矢理蝶番ごと扉を毟り取る!そして両腕につけた状態のまま身体を覆う炎の出力を上げる。両腕の装身具と化した扉がすぐに煙を上げ、たちまち燃え上がる。
それを無造作に放り捨てると、邪魔な扉が無くなった室内に悠々と入っていく。
「な、なんだぁ!?」
「「「!?」」」
部屋の中にいたゴロツキ達は、突然の物音に驚き腰を抜かす者、音の方向に武器を向ける者と反応はそれぞれであったが、扉のあった場所に炎の巨体を認めた瞬間、恐慌状態に陥った。
辛うじて恐慌状態に陥らなかった数人が声を上げる。
「てめぇ、どこのモンならァ!?」
「こんな事してただじゃおかねえゾ、オラァ!」
「覚悟出来て……ん?前にもこんな事があったような……?」
その数人が啖呵を切っている間、その炎の巨体は動きを止めて様子を見ている。
炎の精霊の影に隠れるように、仮面を付けた少女の姿が見える。
それに気がついたゴロツキの一人が、その少女に剣を抜いて斬りかかる。
「てめえか!この筋肉火蜥蜴あやつってんのは!?死ねやぁッ!」
「ま、まてッ!やめろーーーッ!」
同僚の静止など聞くはずも無く、剣で斬りかかった男は炎の精霊が振り降ろした剛拳の一撃に叩き伏せられ、頭は潰れて破裂し、バキバキッと床板が割れる音と共に身体ごと床板にめり込んでピクリとも動かなくなっていた。
「う、うわぁあああああーーッ!?」
その一撃を切っ掛けに、パニックになった一人が悲鳴を上げる。その悲鳴によって恐慌状態から脱し、悲鳴を上げる者やその場から逃げ出す者があらわれた。彼らは炎の精霊の脇を抜けて外を目指す。逃げ遅れた者は焼き殺され、刺殺され、叩き潰されて命を散らしていく。室内に放り捨てられた扉から延焼した火は勢いを増し、床や壁へと徐々に燃え広がっていく。
「こッ、こいつはぁ!あの時の女じゃねーか!!!」
脳内にあの日の夜、突然エクリプスノワールの根城に攻めてきた仮面の少女と大きな火蜥蜴の記憶が蘇り、気づいたゴロツキの顔から血の気が失せる。
「か、勝てねえッ、コイツにはどうやったって勝てねぇ!悪ぃな、俺はここで抜けさせて貰うぜ!!」
「は!?何言ってんだお前ッ!?」
言うが早いか、男は他のゴロツキを相手にしている炎の精霊の背後を常に取るように動き、走り抜ける。扉はすでに存在せず、開放的な状態を晒している。男は炎の精霊を警戒し、振り返りながら全力で走り抜け建物から飛び出る!
「へへへっ、命あっての物種ってな!あばよっ!」
前を向くと月明かりを背に、小柄な少女が仮面の奥の瞳を光らせて炎の槍を背中に何本も浮かべ仁王立ちして待っていた。
「なっ!?なんでテメェここにいるんだぁ!?た、建物の中にいたはずじゃぁ!?」
「ウフフ……なんででしょうねぇ?クスクス」
彼女はわざと、とぼけてみせる。
「あぁ……それと。私があなたの事、逃がすと思っているのかしら?」
仮面の下の冷たい視線で男を突き刺す。
仕込んでおいた術式を解放するキーワードを唱えると、背中に浮かぶ何本もの炎の槍の中から二本が高速で飛び出し、無慈悲に彼の身体に突き刺さる。
「ぎゃぁあああああああッ!!!」
炎が全身を覆い尽くし、丸焼きとなって地面をのたうち回るゴロツキの男。
「……苦しがってるわよ?さぁバルナタン。コイツを楽にしてあげなさい」
バルナタンは鞘から剣を抜き放つ。固い足取りでそいつに近寄ると、切っ先を下に向けて持ち上げ、上から男を思い切り突き刺す。
ゴロツキの男は断末魔の声を上げた後、急に力を失い、そのまま動かなくなった。
「そう、そうよ。いいわ。あなた素敵よ!ウフフフ……この身体をあげてもイイぐらいよ?」
「いえ、自分は小女趣味は無いので……さーせんッ!」
「……」
気まずい沈黙が流れる。
やがて外からでもハッキリ分かるほど建物に火の手があがっていく。
「今のは冗談よ!さっ、早く次の獲物を探すわよ?」
「……姐さん、小女趣味のヤツを紹介しましょうか?」
「いらないわッ!」
プイッっとそっぽを向く彼女。
バルナタンはどうして良いか分からず、ただ「あわわ……」とオロオロするばかり。
建物の火勢が強くなるに従い、奥にあった一棟の小さな建物や見張り塔にも飛び火して燃え出すと、そちらの建物からも次々とゴロツキ達が這々の体で逃げ出してくる。
彼女はその背に『詠唱のみ』で生み出していた何本もの炎の槍を腹いせに次々と発射し、逃げ出すゴロツキ達を燃やしていく。
見た目は怒っているが、その狙いは冷静そのもので正確に顔を狙って燃やしている。
焼け爛れ、人相や声が変わりすぎて分からなくなったゴロツキ達を、部下達が嬉々として次々と止めを刺していく。
「……よく見ておきなさい。あなたが皆の論功行賞しっかりやるのよ?」
「論功行賞……ってなんですか。すいません、俺、学が無くて……」
「さっきも言ったでしょう?手柄を上げた者に賞として褒美を与える事よ」
「りょ、了解っ!」
彼女の機嫌が戻ったことに安堵したバルナタンは、部下達の行動をつぶさに観察する。
やがて建物から火災によって何かが弾ける一際大きな音が聞こえた。
その頃には建物から人の気配は無くなり、出てくる者も居なくなった。
暫くして、燃え盛る建物から何食わぬ顔で炎の精霊と、彼女の姿をした火精が出てくる。
精霊達が彼女の元へ来ると、頭を垂れる。
彼女は火精に掛けた幻影の魔法を解き二体の召喚を解除すると、精霊達は役目を終えたとばかりに虚空に溶け込むように姿を消した。
遠くの方で、カーン、カーンと鐘を突く音が聞こえ始めてきた。
「建物が燃える所も見れてスッキリしたし、夜警に見つかる前に撤収しましょう」
「お前ら、集まれ!勝利の声をあげろ!凱旋だ!」
彼女の元へ集まりながら、彼らは雄叫びを上げる。
「「「うぉおおおおおお!!」」」
兄貴は部下の皆を見渡す。
「怪我して動けないヤツはいねーよな!?よし、撤収するぞ!皆散れ!いつもの溜り場で集合だ!急げ!」
皆、蜘蛛の子を散らすようにバラバラに逃げていくのだった。
◇
暫く後、いつもの溜り場に凱旋する。
皆は興奮冷めやらぬという感じで、勝利に浮かれていた。
兄貴が部下達に話しかける。
「皆いるか?怪我した者はいないか?」
「「「ウース!」」」
勝利の余韻に、皆の明るい声が返ってくる。
「顔が腫れたやつが数人、ですかね?裏口から逃げようとした敵の連中と、小競り合いになったぐらいッスね!姐さんの言われた通りに、こちらは数人がかりでソイツを囲んでフクロにして始末してやると、他の連中はびびって中へ引っ込んでいきやした!連中が引っ込んだその隙に、周囲で見つけてきた木材で裏口の扉が動かねーように塞いでやりやしたぜ!その後は俺らが撤収するまで、裏口から出ようとする奴はいませんでしたぜ」
「よし!でかした!」
「なんか、あそこ……警備がすごいザルでしたね?緊張感がないっていうか、まったく警戒してなかったっていうか……俺達も結構大きな声を出してた時もあったと思うんですがね……」
「気のせいじゃねーか?」
そう言いながら、心配する若い衆の背中を同僚が叩く。
その横で少し年上の男達が楽しげに笑う。
「今回も楽勝だったなぁ-!」
「「ワハハハ!!」」
そんな彼らの様子を満足げに見渡しながら兄貴は言う。
「ま、細かいことは気にすんな!とりあえず今夜は祝杯を挙げようじゃねぇか!」
「そっすねー!祝いましょ、お祝い!」
「バルナタン。お祝いも良いけど、ま・ず・は・皆の評価をするのよ?私はこのあと行く所があるからそれには付き合えないけど、基本的にあなたの判断に任せるわ。皆も、彼の評価に納得がいかないと思ったら、次私が来た時にでも、皆の前で私に言いなさいね?」
「はっ!必ずご期待にこっ……応えます!」
バルナタンの威勢の良い返事を受け、彼女は満足そうに頷く。
「あ、あとね。あなた達を呼ぶのに、実は苦労してるの。私の部下なのに、ゴロツキ達とも言えないじゃない?ちなみに、あなた達って自分達の事、今はなんて名乗っているの?」
兄貴が身を乗り出し、
「『ダボンバーズ』だ!我ながらカッコイイ名前だと思うぜ。なにせ響きが違う!なぁ、姐さんもそう思うだろ?」
彼女はバルナタンに冷たい視線を送る。
「なにその名前、ダサいわね。あなた達は私のモノよ?私の部下がそんなダサい名前名乗って良いと思ってるの!?私が新しい名前を決めてあげるわ。そうね……『ファイエルブレーズ』なんて良いわね。「誇り高き炎」っていう意味よ」
「俺らが……誇り高き炎……。すげえ、かっけーッス!」
「ふぁ……ふぁい……すいやせん姐さんもう一度お願いシャッス!」
「ええ、いいわ」
部下の頼みに快く承諾する彼女。
「ぶれ……ぶれい……」
「そこ、静かにして姐さんの言葉を良く聞いていやがれッ!」
ブツブツ言っていた者に対し、兄貴が叱責する。
「『ファイエルブレーズ』よ。さあ、言ってごらんなさい?」
「ファイエルブレーズ!」
兄貴が率先して叫び、部下のゴロツキ達が唱和する。
「……何人か、ちゃんと発音出来てなかったように聞こえたけど。まあ、いいわ」
彼女はそこで一旦口を閉ざし一同をぐるりと見渡す。そして右手を突き出し、宣言する。
「あなた達は今まではどこにでもいる、ただのゴロツキ集団だった!それに私が新しく名前を与え、唯一無二の集団に生まれ変わった!これが私達の!この集団の旗揚げの瞬間よ!皆、この時を心に刻みつけなさい!!」
「「「うぉおおおおおおおおーーー!!」」」
男達は狂わんばかりの雄叫びをあげた。
「ウフフ……これからの自分達の団名だからね?次、私が来るまでにちゃんと憶えておくのよ?このくらいの簡単な事が憶えられない子は……燃やすわ♡」
「「ひぇええ……!」」
心当たりがある者達は思わず悲鳴をあげ、ガクガクと震えている。
「あと、名前に相応しいように皆でお揃いの格好をしましょう。あなた達、赤い布ぐらい家にあるでしょう?無ければどこかで買っておいて。次からは皆、それで顔を隠しなさい。頭をすっぽり覆って隠してもいいわよ?これは、揃えることが大事なの。バルナタン、忘れた子には罰よ。どんなに手柄を上げても褒美は無しにしてね?」
「へへへ、了解ッ!!」
バルナタンは片腕を上げガッツポーズをしてみせる。
「じゃ、私はもう行くわ。二、三日で私の『工房』に引っ越しを終わらせといてね。バイバ~イ」
彼女は皆に手を振り、例の飛行する為の魔法を唱え虚空に消えていった。
バルナタンは彼女の消えた虚空をじっと見つめていたが、やがて気持ちを切り替え皆を見据える。
「テメエら、そこでちょっと待っとけ。準備するからな」
「「「うーっす」」」
彼は奥へ引っ込み、暫くして麻袋を持ってきた。重そうなそれを地面に置く。袋からはジャラジャラと音がした。袋の半分ほど硬貨が詰まってそうだ。
「それじゃ、はじめっぞー。おめーら並べー!」
兄貴のかけ声に、部下のゴロツキ達がゾロゾロと移動を始める。その中から痩せているが利発そうな若い衆が一人飛び出してきて、兄貴に駆け寄る。
「兄貴ッ、誰にいくら渡したか記録した方が良くねーッスかね?」
「そういうもんか?」
「俺、字も書けますし、計算も出来ます!やらせて貰えねーでしょうか!?次に褒美を出す時に前と比べれるから便利ですし、もし、姐さんも『皆も、彼の評価に納得がいかないと思ったら次私が来た時に、皆の前で私に言いなさいね?』と言ってました!その時、兄貴か俺達かどっちの言い分が正しいか姐さんが判断するのに役立つと思いますし、きっとそういう事を望んでると思うんで……」
「そっか……姐さんの役に立つか……!お前、確か名前……カルクールだったか?」
「はい、そうです!」
兄貴は彼の両肩を掴み真剣な表情で言う。
「お前がそこまで考えているのなら、いいだろう。だがな?忘れるんじゃねぇぞ?あくまでお前は記録をつけるだけだ。姐さんは俺に任せたんだから、俺が俺の判断で評価する。褒美についての口出しはするなよ?わかったな!?」
「はいッ!」
「よーし、じゃぁ採用してやろうッ!今から出来るか?」
名前を知って貰っていたこと、自分が提案した事、さらに自身が採用されたのがよほど嬉しかったのか、彼の顔に満面の笑みが広がる。
「ちょっと待って下さい、今、書くモノ持ってきます!」
そう言い意気揚々と走っていった彼が暫くして荷物を持ってきた後、兄貴の側に立ち口述を元に記録を付けて行った。バルナタンと部下達は手柄について何度か交渉する事はあったが、概ねお互いの納得いく所に落ち着き、部下達は皆そこそこの金を手にして懐が暖かくなり、論功行賞は揉め事もなく驚くほど円滑に進んだのだった。
今まで仲間内でなぁなぁで適当にやってきた事を、記録をきっちりと付けて褒美を差配した事でバルナタンも集団の長として何かが成長したのを実感したのだった。
◇
彼女が飛んできた先はエクリプスノワールの根城。建物の前に静かに降り立つ。
扉の前に立っている門番のゴロツキが眠たそうにあくびをしている。
まるで門番がいないかのように彼女はその横を素通りし、ドアノッカーを強くガンガンと叩き、少し待ってはまた連続でドアノッカーを荒々しく叩く。だが、全く開く様子がない。苛立っている様子で、とうとう手で直接扉をドンドンと乱暴に叩き出す。
「ちょ!?何してんだ、お前ぇ!?」
慌てて駆け寄ってきた門番のゴロツキに対し、彼女は一喝する!
「私よ。あんたこの扉開けれるんでしょ?すぐに開けて頂戴!」
「……ッ!?」
少女に逆ギレされ、門番のゴロツキが一瞬怯む。
「ああ、誰かと思ったらさっき来てた嬢ちゃんか……へっ」
明らかに自分より背が低い彼女に対して、門番のゴロツキは舐めた態度を取る。
「ブロワール、中にいるんでしょ?」
「ああん?ガキのくせにあの人を呼び捨てするのは許されんよなぁ。さっきはあの人の命令で引き下がったが、ガキには躾が必要だよなぁ!?」
「はぁー……」
彼女は大きなため息をつく。
「いいから開けなさいよ!この雑魚!」
「ブロワールさんはもう寝たんだよォッ!用があんなら明日にしなッ!」
「あんたが開けないならこの扉ぶっ壊すわよ!」
「おう、その細腕で出来るモンならヤッて見ろってんだッ!できるわけねーだろがなぁ!ぶわははは!」
門番のゴロツキは腹を抱えて笑っている。
彼女は手を扉へかざし、詠唱を唱え始める。
『我は命じる火よ 炎渦巻く柱の形をとりて 光と熱……』
室内から勢い良く走ってくる靴音がして、バン!と勢い良く扉が開く!
「まてまてまてーーーッ!!」
「あら?ブロワールったら、起きてるじゃないの♪」
「扉を叩く音がして、外で言い争ってる声が聞こえた。こんな遅え時間に、泣く子も黙るエクリプスノワールの根城で、こんな事しでかす奴なんて普通いねぇぞ!?悪い予感がしたんで急いで降りてきたら、やっぱりお前さんだ……」
彼の姿を見た彼女は微笑み、手の先から水平に延びた炎の柱を霧散させる。
「はぁーーーーー……」
彼は長いため息をつく。
「この扉は、前あんたがここで暴れた後、直したばかりなンだ。勘弁してくれ……」
彼女は仮面をしているが、雰囲気でニコニコしているのだろうと分かる。
彼は門番の方へ向き直り叱責する。
「あぁッ!テメェはあの日、非番で居なかったからピンと来てねえだろうがなぁッ!彼女がここで暴れたんだ!たった数分でこの扉とロビーが滅茶苦茶になったんだぞ!その跡、テメェもみてるだろうがッ!忘れたのかッ、ああん!?」
「あ、あー。嵐の後みたいになってたあれですね……?え、まさか、このガキが?」
門番のゴロツキが、ブロワールと彼女を交互に何度も見つめる。
「だからさっきも言ったろうがッ!彼女は客人だとッ!一度言えば憶えろやッ!このカスがッ!!」
ブロワールが門番の襟を掴んで何度も何度も殴りつける。
「スイマセン!、スイマセンッ、スイマセ……」
門番は殴られる度に顔はみるみる赤く膨れ上がりボロボロになっていき、鼻や口から血を垂れ流している。このままでは死んでしまうのではないか?と思える程酷い有様だった。だが、それでも彼は謝り続けている……。
「まぁまぁ。私としてはあなたと早く話がしたいだけだしぃ~、その子も私の事、これで憶えられたでしょうし、許してあげたら?」
「あんたが許すなら……まぁ、そうだな」
振り上げていた拳を降ろし、掴んでいた手を放す。
ドサリという音を立てて門番はその場に倒れ込み、ピクピクと痙攣している……どうやら気絶しているみたいだ……。
それを見た彼女は口角が上がり満足そうにしている。
「おぅ、誰か代わりに見張りしてくれねーか?」
彼はロビーにいた者に声をかける。
「ウッス!」
返事をしたゴロツキは、気絶した門番を同僚と室内へ引っ張って行き、邪魔にならない適当な所に転がすと、見張りに立つ。
「じゃ、さっきの部屋へ行こうか」
「ええ」
ブロワールは彼女に中に入るよう促し、自身も中に入る。
部屋の様子は先程入った時と殆ど変わっていない。強いて言えば、乱雑に広げた地図が片付けられているぐらいである。
「あんた、今日は忙しいな?正直、二回も来るとは思わなかったぜ」
「口約束だからね?お互い忘れないうちに、成功報酬を貰いに来たわ」
「もう潰したのか!?仕事が早い、流石だな。今から調べに行かせる。少し待てるか?」
「そんなに待てないわ」
彼女は腕を組んで苛立ってみせる。
「じゃ、すぐ手形を書く。そのくらいは待てるだろ?」
「そうねぇ、そのくらいならいいわ」
ブロワールは用意してあった羊皮紙に羽ペンをサラサラと走らせ、日付と金額を書き込みサインをする。
「一応ボスには後で報告するが、今回は俺の裁量の範囲で動かせる額で良かったぜ。確認したらサインをしてくれ」
彼女は「イスティス」とだけサインする。
ブロワールはそのサインを確認して彼女に質問する。
「あんた、ホントに名前これだけか?平民でも出身地や親の名前を引き継いでるもんだが。それに仕立てのいいモノ着てるからよ、どこぞの貴族の令嬢かと思っていたんだがなぁ……」
「ええ、今の私にはこれで充分よ。ウフフ……」
「そうかい。まあ、これ以上は野暮ってもんだな。深くは聞かないことにしとくぜ……」
「あなた分かってるわね。好きよ?そういう所。ふふ……」
「じゃ、次来た時にこれと交換で金を渡す。無くさないでくれよ?」
そう言って羊皮紙を丸め、蝋を垂らし、自身の印を押して封印する。
恭しく彼女に封印した羊皮紙を渡す。
「分かってるわ♪」
彼女はニヤニヤしている。
ブロワールは深い溜め息をつく。
「その顔は、まだ何かありそうだな?」
「あら、分かる?そうなのよ。本題と言っても良いわ?これから潰す組織のシマ、そっくりあなた達のシマにするのは他の組織の手前、悪手よねえ?」
「何が言いたい?」
「……私の集団を新しく立ち上げるわ」
「ほう?」
「私の部下達、いるじゃない?あの子達が名乗ってる名前知ってる?」
「確か、『ダボンバーズ』だったか?」
「それ、ダサいと思わない?私の部下にそんなダサい名前を名乗られたら鳥肌モノよ。だから私が新しい素敵な名前をつけてあげたの」
「へぇ……。何て名前だ?」
「『ファイエルブレーズ』よ。いい名前でしょう?」
「炎を操るあんたらしい命名だな。直属の部下になら似合うと思うが、あいつらだぞ?その名前はちょっと高尚すぎねーか?まあいいけどよ。それで?立ち上げてどーするんだ?」
彼は話に少し興味を惹かれているようだ。
「私があなた達から依頼された組織の根城を潰すと、その周辺一帯が誰の影響も受けてない空白地帯のシマになるじゃない?そこへ縄張り争いをしてる別の組織が乗り込んできて我が物顔をするのは面白くないわ。そうでしょ?」
ブロワールは顎に手を当て何かを考えている。
彼の思案する姿は、まるで彫像のように様になっている。
「そうだな。続けてくれ」
彼女も頷き、話を続ける。
「だから切り取ったシマは表向き、エクリプスノワールとは別の新興集団のモノにするの。その新興集団が私の立ち上げた集団ってワケ。でもシマ自体には正直、興味がないわ。だから表向きは私の集団のモノ。実質の支配はエクリプスノワールがやればいいわ?あなたなら周りにバレないよう、色々と上手く出来るんでしょう?もし、シマにちょっかい出してくる愚か者がいたら、私が全て燃やしにいけばいいんだし?」
「……まあ、あんたの考えは大体分かった。オヤジにも伝えておく。要件は以上か?」
少し怪訝な顔をし、彼女を値踏みするように見つめるブロワール。
「では、最後に一つだけ。ちょっと頼みたい事があってね?」
「一応言っとくが、出来る事と出来ない事があるからな?出来ねー事なら即、断るぞ!?」
「そんなに大変な事じゃないの。ちょっと噂を流して欲しいだけ。『ファイエルブレーズって奴らにエクリプスノワールの拠点が一つ潰されたらしいぞ!?』と、だけね。まずは私達の集団名を周りのみんなに知って貰わないと意味がないしね?ああ、私の事はまだ伏せて置いて?噂は単純な方がいいわ。その方が謎めいて興味をそそるでしょう?」
「ほぅ……。確かにそうだな。だがそんな噂を流したらお前の部下達、大丈夫か?」
「あくまで噂だもの。真偽は重要じゃ無いわ。それに彼らも、もう手を汚しているわけだし?ウフフフ……」
彼の顔が感心したような表情になる。
「……アルブル金貨1枚、だな。出処を気取られないように、噂を流布するのには金がかかるのさ」
「今、手持ちが無いの」
彼女はキッパリと言う。
「は!?おいおい、ついさっきだろッ?前金を渡したのは!?」
「言い間違えたわ。工房に置いて来たから、今、手元に無いのよ」
「ああ、そういう事か。びっくりしたぜ」
少しの間、二人の間に沈黙の時間が流れる。
「まあ、今回は……初回だし、無料って事にしとくぜ。噂は軽く流しておく。それでいいな?」
「ええ、それでいいわ。大々的にやると、わざとらしさが出るから……あとは勝手に広がるでしょう?その方が自然だし……あなた達が周りに影響力がある組織なら、そこに噛みついた集団の噂が、立ち消えることはないでしょう?」
「……そうだな」
彼女は「んー!」っと右手を上げ伸びをする。
「今日は遅くまで付き合わせて悪かったわね?」
意外そうな目で彼女を見つめるブロワール。
「お前さんがそんな気遣いするなんて珍しいな?」
「失礼ねぇ~、私は気遣いもちゃんとできる良い女なのよ?ウフフ……」
「そうかい、そりゃ失礼した。クックック……」
お互い腹に含みを持った笑いを交わす。
「では、また近いうちにくるわね?」
「分かった」
彼は出入り口の扉の前までエスコートすると、扉を開けて彼女を見送る。
彼女はブロワールに別れを告げ、石畳を歩いて行く。
まだ空は深い闇が支配し、星々が輝いている。
空を見上げると夜明けの予兆が静かに迫っていた。東の空にほんのりと淡い灰色の帯が広がり、夜明けの瞬間が近付いている事を感じさせたのだった。




