陥穽
ランセリアは生徒会室を退室したあと、一路寮へ戻る。
寮の部屋へ戻ると、オネットは私より先に帰っていた。
「オネット、戻ったわよ」
「お帰りなさいませ」
「これからすぐに王都の屋敷に行くわ。準備して」
彼女はランセリアの荷物を受け取る。いつもならそのまま着替えをする流れだが、今日はそれどころではなさそうだ。
「先日おっしゃっていた件について、アルベール様と良い話ができたのですね?すでに寮長への届出は済んでおります」
オネットは、私の意を汲んでやるべき事をすぐに手配してくれている。助かるわ。
「お着替えはなさいますか?」
「今はそんな時間はないわ」
「では、馬車の貸し出しの手配をしてまいりますので、暫くお待ち下さい」
「ええ、お願いね」
彼女は部屋を出ていく。
その間にクローゼットの奥に仕舞い込んだ化粧箱を取り出し、箱を慎重に開ける。その中には蒼味がかっている透き通った綺麗な小瓶が収まっていた。光を反射してキラキラと表面が輝いている。物がちゃんとある事を確認すると箱を丁寧に閉じ、屋敷に持っていく鞄にそっと入れる。
やっとこの『薬』を使うことが出来る。
アルメリーから「薬」を手に入れてもらってから何度か、これを使用しようとして私の時間が空きそうな時を見つけてはアルベール様を誘ってみたが、その度忙しいと断られ、中々都合が取れなかった。
生徒会副会長という立場のため、勉強の方も疎かに出来ない。試験勉強もこなしつつ、あれよあれよという間に期末試験が来て、下級生の実技試験であの顛末。私達生徒会も何かと多忙を極めた。
その後は、夏季休暇に私も両親の待つ領地の方へ帰省するための準備に追われた。
学院を卒業したら王城にある離宮を与えられ、そこで王妃教育が始まる。もう特別な事が無い限り、故郷に戻る事は出来ないため、在学中の長期休暇は必ず帰るようにしている。夏季休暇は懐かしい故郷で過ごせたので、よい気晴らしができた。
暫くするとオネットが戻ってきて、報告する。
「ランセリア様、馬車の準備ができました」
「ありがとう。では、行きましょうか」
私は鞄を持って立ち上がる。
彼女を引き連れ颯爽と寮を出るのだった。
◇
王都、しかも王城の近くにこれだけ広い敷地を持つ大邸宅は珍しい。それだけ、このアルエット家が別格であることを誇示しているかのようだ。
馬車が屋敷に着く。門を通り過ぎ、敷地を抜け、屋敷の玄関前に馬車が静かに停車する。
アルエット家の大邸宅は、優雅な気品と壮麗なる美をたたえ佇んでいた。銀色の屋根瓦が陽光を受けて輝いているかのようだった。常緑樹の枝葉が優しく風に揺れ、訪れる者に優雅な歓迎を告げているかのようである。
屋敷の使用人が馬車へ近づき、一声掛けて扉を開け敬礼の姿勢をとる。馬車からは一足先にオネットが降り立つ。下におりたオネットが手助けを行い、ランセリアは優雅に石畳の地面へと降り立った。
顔を上げて屋敷を見ると、真鍮の取っ手が美しく輝く屋敷の扉は大きく開かれており、その奥のエントランスにはアルエット家の令嬢を迎えるべく、一列に並んだ使用人たちの姿があった。
使用人達は、上質な礼服や、格式のあるメイド服に身を包み、真摯なる忠誠の誓いを胸に秘めているかのようであった。彼らが持つ繊細な仕事ぶりが、まさに芸術のように見える。
時が止まったかのような静けさの中、私がゆっくりと一歩踏み出すと、その瞬間、使用人たちの間から美しい音楽のような調べが響き渡った。「お帰りなさいませ、お嬢様」という甘く清らかな声と共に、一糸乱れぬ動きで礼をする姿はまるで儀式のようであった。
「お帰りなさいませ。夏季休暇明け以来でございますな、ランセリアお嬢様。本日はどのようなご用件でございますか?」
執事が進み出てきて、何用か確認してくる。
「明日の午後、アルベール王太子殿下が来られます。私とのお茶会のために。あとで先触れが来ると思いますので、使者の方に失礼の無いように。準備、しっかり頼んだわよ」
「は!?いえ、失礼いたしました。先触れの件、かしこまりました。……が、明日殿下が来られるのですか……それは時間がちと厳しいですな。ですがお嬢様の為、なんとか致しましょう」
私は頷く。
「それで、殿下をどの部屋でおもてなしするのがいいと思うかしら?あなたの意見を聞かせて頂戴?」
「……そうですな。やはりお嬢様の部屋が一番よろしいかと思われます。他の部屋よりも、お嬢様がそちらに招いていらした事が多いはずですので、殿下も落ち着けるかと存じます」
「それはそうね。ならそれでいきましょう」
執事が手をパンパンと叩き、皆の視線を集める。
「みな、良く聞いて欲しい。明日の午後、アルベール王太子殿下が当屋敷を訪問なさるのだ。手が空いている者は準備に直ぐ取りかかってくれ。手が空いてない者は抱えている仕事を速やかに終わらせて、他の者の手伝いに入ってくれ!」
屋敷の中は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
屋敷の外では、庭師達が前日までに剪定が終わっている木々や庭園に、もう一度目を光らせる。不要な雑草が生えていないか?木々に新たな枝が伸びて形が崩れてないか?と、確認しながら刈り込みの精度をあげていく。
屋敷内の使用人達は普段から担当箇所の手入れに余念がないが、明日の来客がこの国の第一王子とあらば、埃一つ、髪の毛一本も落ちてない完璧な状態を目指さなくてはならないと自分達に言い聞かせる。
その為、何かミスや異常はないかと入念に見て回る。柱、壁、床、目に付いた箇所や調度品を一つ残らず磨き上げ、輝かせていく。
執事はランセリアに付き従い、歩きながら次々にくる使用人達に対応、あるいは指示を出しながら、彼女にも質問しつつ、時折り手を顎にあて色々段取りを考えているようだ。
そこへ侍女の一人が報告にくる。
「お嬢様お気に入りの仕立工房『ラ・フォンテーヌ・ドール』から、新しいドレスが届いております」
「夏季休暇前に依頼していて正解だったわ。あそこの工房のクーチュリエは腕がよくて好きよ。ああ、ごめんなさい、話が逸れたわね。それで?」
「明日はその新作のドレスをお召しになりますか?」
「そうね。それにするわ」
「かしこまりました。それでは、お部屋へ運んでおきます」
「ええ、お願いするわ」
侍女が会釈をして離れていく。そのまま自室に向かうと、途中で出会う使用人はこちらに気がつくと敬礼し、彼女が通りすぎるまでその姿勢を崩さないまま不動でいるのだった。
階段を上がり東側の廊下を進んで突き当たりの少し手前、南側の日当たりのいい部屋がランセリアの私室で、突き当たりの北側は廊下がそのまま続いて奥に伸びている。
自室の前に着いた時、彼女は廊下の角に置かれている花台に目をとめ、指示を出す。
「あの角の花台の上の花、花瓶と一緒に一旦撤去しておいて。明日は花台の上に何も置かず、空けておいてね」
「かしこまりました。家政婦長に指示しておきます」
その後、私達は自室に入る。
部屋の中央付近までくると、執事が立ち止まり軽く咳をする。
「……明日のお茶会ですが、何をお出しますかな?」
「お母様から分けていただいて、持ち帰った珍しい茶葉があったわよね。あれがいいわ。あれをお出ししましょう」
「あと一月か二月経ち、もう少し穏やかな気候になれば紅茶も美味しい季節になって良いのですが……」
「そうね……では明日は、冷やして提供して貰える?お茶請けについては任せるわ」
「かしこまりました。では次にですが、お部屋の飾り付けなどはどうなさいますか?」
「特に要らないわ……。いえ、そうだわ、今回はバルコニーで行いましょう。この円卓を明日の朝、バルコニーに出しておいて頂戴。椅子も二脚お願いね。それと、円卓を覆えるほどの大きな立てておける日傘はあったかしら?そうね、あれば四つほど欲しいわ。あと、お花も増やしましょう。部屋が華やかになるわ。そこと、ここ、あそこと、あそこにも置いて頂戴」
「かしこまりました。日傘の方は確かあったかと。花は明日、朝一でご用意致します」
私は満足して頷く。
「レオン。いつ頃一段落しそうかしら?」
「そうですな。夕方あたりには主要な所の目途が付き、一段落つけると思います」
「では、私がいたら色々と邪魔でしょう?少しこの部屋で休んでから街の方へ行くわ。この後、馬車を用意して。夕方頃まで繁華街を散策してくるわ」
「お戻りはいつ頃になりそうですか?」
「そうね大神殿の鐘の……七の鐘辺り(大体午後六時頃)に迎えに来て頂戴」
「お嬢様、街の中心部あたりに馬車停め場があるのですが、ご存じですか?」
「ええ」
「では、散策が終わったら、七の鐘が鳴る頃に馬車止め場へ来て下さい。迎えの馬車をご用意しておきます」
「分かったわ」
返事をしながら私はある事を思いつき、話を続ける。
「そうそう、レオン。話は変わるけど、ちょっと教えて頂戴。この屋敷の使用人の中に、私と年齢や背丈が近そうな男性の使用人……いたかしら?」
「……同じぐらいの年齢、背丈ですか……少しお待ち下さい」
執事は少し考えると思い当たったのか、
「お嬢様と背丈が近い者は二~三人おりますな。ですが歳の方は確か、若い方でも二~三歳以上離れているかと……」
「二、三歳ぐらいなら許容範囲よ。私が街から戻ったら、一番私に歳が近い子をこの部屋へ寄越して貰えるかしら?」
「ではお嬢様がお戻りになられた頃合に、その者を部屋へ向かわせます」
「ありがとう。あ、その時で良いから紅茶を淹れて貰えるかしら?その子がこの部屋へ来るついでに持って来させて」
「かしこまりました」
そこへオネットが執事に声を掛ける。
「レオン様、屋敷を出るときには一度声を掛けさせて貰います。その時、護衛を二人ほど付けて頂くよう、お願いします」
「うむ、了解した」
オネットが執事へカーテシーをする。
「では、忙しくなりますので私はこれにて失礼します」
執事は回れ右をして颯爽とこの部屋から退出する。
オネットが部屋の扉まで彼を見送る。
私は部屋の西側の壁に近寄る。一見では認識しづらいように意匠された覆いを取り外し、壁の中へ据え付けられた、あまり大きくない金庫のダイヤルを何度か回すと、カチッという音で金庫の鍵が解錠されたことが分かる。レバーを捻るとガチャっという金属音がして、重厚な音と共に金庫の厚い扉が開く。持ってきた鞄から化粧箱を取り出し、その中に丁寧にしまいこむ。
金庫を閉め、レバーを戻すと再びガチャリという音がする。ダイヤルを適当に回し、鍵がちゃんとかかったか確認するため、レバーを何度か捻る。
しっかりとロックされたことを確認し終えると、覆いを元の状態に戻して振り向く。扉の側で待機しているオネットに告げる。
「さ、用は終わったわ。時間潰しに街をぶらつくとしましょう」
オネットと共に部屋を退室し、屋敷のエントランスで近くにいた使用人を呼び止め、執事を呼んで貰う。
「お待たせ致しました。ランセリアお嬢様」
「こちらが、今回護衛に着く二人です」
「バンジル、ファブリス。お嬢様を頼んだぞ?」
「「はっ!」」
「では、行きますわよ」
私達は玄関の直ぐ外に待機していたアルエット家所有の馬車に乗り込み、二人の護衛はそれぞれの馬に乗り、繁華街の方へ出かけるのであった。
◇
馬車が街の中心部あたりの馬車停め場に到着する。馬から降りた護衛のエスコートで馬車を降りるランセリア達。
「では、夕刻の七の鐘辺りに迎えに参ります。またこちらにおいでください」
「分かったわ」
「それでは失礼します」
御者が馬に鞭を当てると馬車はゆっくりと動き出し、馬車停め場から離れていく。
「ファブリス、近くの駐馬場へ馬を預けてきてくれ」
「了解しました、バンジルさん」
「ランセリアお嬢様、ファブリスがこちらへ戻るまで、少し待機して貰ってもよいでしょうか?」
「分かったわ」
暫くの間、街の風景を三人で眺めることにする。
大通り沿いの建物の店々や屋台などには沢山の人々が群がり、それぞれ思い思いに商品を売り買いしたり、交渉している様子が見える。時折、路上で道化師や吟遊詩人などが通りかかる人に芸や歌を披露し、それを立ち止まって見たり聞いたりする聴衆もいて、とても活気に満ち溢れていた。
「それにしても、この辺りは本当に賑やかね」
街並みや人々の賑わいを見て、私はそう呟く。
そこへ、護衛の一人が駆け寄ってくる。
「おう、戻ったかファブリス」
「すみません、お待たせしました」
「問題ないわ。では大通りの方へ……」
近くの中央広場でなにやら人が集まっている。自然と視線がそちらへ向く。
「オネット。あれは何かしら?ちょっと行ってみましょう」
「はい、ランセリア様」
オネットは日傘を差し、私の肌が直接日差しに当たらないよう気を遣ってくれている。
護衛の二人は気楽に歩く風を装いながら周囲に気を配り、黙々とついてくる。
人集りに近づくにつれ、騒ぎの原因が分かった。どうやら誰かが演説をしているようだった。
「……に、よくお集まり下さいました。私の名前は、エルミーユと申します。この王都にある大神殿にて、神に仕えている者です。私は天に坐すいと尊きお方から、天啓を授かりました。かつて古の魔王が勇者によって封印された時、時を同じくしてどこかで眠りについたと言われるその配下、第六の眷属が目覚めたというのです。皆さん、家族や友達にその事を伝えて備えをしてください。目を逸らしてはなりません。神に祈るだけでは脅威に抗えません。戦える者は更に己を鍛え上げ、私と共に災厄の日に備えましょう!戦えない者も心の備えを!いざという時にはいつでも逃げられる準備を!皆様に女神の祝福のあらん事を!」
「エルミーユ様!」
「聖女様!」
大勢の拍手と喝采が巻き上がる。
「早速皆に知らせなくては……!」
「そうだな!エルミーユ様が、嘘なんて言うはずねえもんな!」
近くにいた数人の男達がうなずき合い、どこかへ駆けていく。
彼女の周りにいるのは見習いの従者達だけ。神官の姿は一人も見えない。これはどういう事なのかしら?
見習いの従者達が周りの聴衆に声を張り上げ、必死にお願いをしている。
「もうしわけありません!皆様が称号でエルミーユ様を呼びたいお心はわかります!私達もそうなのです!ですがご協力お願いします!その称号で呼ばれるのは、大神殿の中だけでお願いします!この演説はエルミーユ様と、賛同した我ら数人による『自主的な社会奉仕活動の一環』という事になっておりますので、外ではエルミーユ様とお呼び下さい!大神殿から許可が下りるまでは、あまり堂々とその称号で呼ばないで下さい!エルミーユ様の神殿外での活動に制限がかかってしまいます!」
「そういう事なら、仕方ねぇなぁ……」
「だなぁ……」
わざわざ暑い最中、人混みに入って行くことはないし、護衛にもやんわりと止められたので、私は人集りの少し離れたところから、その様子を見ている。
あくまで神殿の仕事に従事してる時にしか、先程誰かが叫んでいた『聖女』は名乗れないのね。
「あなた達、彼女について何か知っている事はある?」
私は護衛達に話を振る。
「最近、巷で名前を良く聞くようになりましたね。大神殿の中では「聖女」という称号で呼ばれてるらしいですね。人々には「祝福の癒し手」「大地母神の愛し子」「奇跡の乙女」などとも呼ばれているそうです。この前の貧民窟の火事の時にも、いち早く動いて被災者達へ手を差し伸べたとか?」
「そう。「聖女」様ね……。綺麗な方ね?」
「左様でございますな」
「ここはもういいわ。そろそろ、行きましょう」
「「はっ!」」
私はオネットと護衛を引き連れ、繁華街の方へ向かうのであった。
◇
翌日。空は晴れ渡り、雲一つ無い晴天。
城の謁見の間は、明かり取りの窓から差し込む陽光で明るく照らされていた。壮麗なる室内は高い天井と彫り込まれた柱で飾られ、壁には絢爛豪華な織物が掛けられていた。
金色に輝く玉座には威厳に満ちた王が座り、彼の両脇には忠実なる宰相と宮廷魔導師団の団長が佇んでいた。
宰相は知恵と経験に溢れた風貌で、団長は深い知識を秘めた眼差しを持ち、ローブに包まれた姿が神秘的な雰囲気を醸し出していた。
謁見の間の大きな扉がゆっくりと開かれ、第一王子が颯爽と入ってくる。彼は優雅な姿勢で、父である王に敬意を表しながら、玉座の方に向かって進んでいく。
謁見の間に入った瞬間、アルベールは外からの陽光を浴び、その光が彼の金色の髪を一層輝かせた。身に纏っている衣装も豪華であり、王位継承者としての重みを背負った風格が漂っていた。
王は微笑みながら、息子の姿を迎え入れる。宰相と団長も一礼し、王子に対する敬意を示す微笑みを交わす。王子は謁見の間の中央辺りにて止まり、そこで一礼をする。その謙虚な仕草が、彼の気高い血筋を物語っていた。
「ご機嫌麗しゅうございます。父上」
「おお、きたかアルベール。もっと近くへ寄れ」
「はっ!」
アルベールが玉座の近くまで寄ると、王は徐ろに口を開く。
「学院の方はどうじゃ?」
「大過なく日々を過ごさせて頂いております」
「テオドルフとは仲良くやっておるか?」
「弟の自由気ままな言動と行動には頭が痛くなりますが、まぁ、それなりに……」
「ははは、結構!結構!」
「父上から、もう少し強く王族としての立ち振る舞いと自覚を持つように言って貰えれば……」
「そうじゃな、考えておく」
沈黙の時が流れる。
「……それで、本日呼ばれた用件は何でしょうか?まさか学院での近況が聞きたいだけ、……などと言うことはありませんよね?」
「ふむ、親子としての会話をもう少し楽しみたかったが、分かった。そちの言う通り今日の用件を話すとしよう」
「ヴィクトル、任せたぞ」
「承知しました」
話を振られた宰相はゴホンと咳をすると、王に代わって話し始める。
「実技試験を行った、我が国の領内で発見された例の遺跡についてのあれから調査結果が出ましたので、殿下も知っておくべきかと思い、私が奏上しました」
「確かにそうだな。宰相殿のご配慮、痛み入る」
宰相は軽く会釈をして返礼する。
「取り敢えず、具体的な事については専門家から話させましょう。ヨーム宮廷魔導師団団長、解説を」
ウェーブが掛かった白髪に、白く長い髭を蓄えた、豪華なローブを着込んだ威厳のある初老の男性が前に進み出る。
「ご紹介に預かりました宮廷魔導師団、団長のヨーム・マルターヴ・モーリュックと申します、殿下」
「うむ」
団長が手に持った書類の束をバサッと一振りして、アルベールに手渡す。
「実技試験に使用されました遺跡と、フリュイ・ルージュ班の戦闘が行われた洞窟についての現地調査報告書でございます。まずはこれを読んで戴けますか?その後、何かご質問等あればお聞き下さい」
「うむ、分かった」
渡された書類にアルベールが目を通していく。
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一.遺跡についての調査報告
(第一次 遺跡調査報告)
・今回発見された遺跡は、発見を主導したバルナルド教授による提案がザール王国によって正式に認められ、この遺跡は『イドル』遺跡と命名された。
・イドル遺跡は、ザール王国領内で発見された未盗掘の大規模な遺跡であり、上層部三層、中層部三層、下層部四層の計十層に及ぶ。
(上層、中層、下層の分類は会敵した魔物、及びその強さにより分類された。)
・最下層の十層最深部には御神体らしき像が祀られていた痕跡があった。その台座とごく一部の足元を残した状態で発見。台座の大きさ及び残存した像の一部から推測し、像はかなりの大きさがあったとみられる。数年前のこの地方で起きた地震により像は倒壊、像の奥にある縦穴へ大半が崩落した模様。この祭壇で何を祀っていたのか不明である。
二.フリュイ・ルージュ班が遭難中、発見し大蜘蛛との戦闘を行った洞窟についての調査報告
(第一次 洞窟調査報告)
・洞窟入り口に刻印を認む。調査の結果、人除けの効果を持つある種の結界を持つものだったことが判明。数年前の地震による影響で、岩盤ごと刻印が割れた事により、効果を失ったものと判断。
その結果、結界に阻害されること無くフリュイ・ルージュ班があの洞窟に入る事が出来たと思われる。また、当日の天気は雨。フリュイ・ルージュ班は雨風を凌ぐ必要性を感じ、この洞窟を発見するに至った。
・刻印を書き写し、それを持ち帰り城の書庫の古い文献や古文書などと照らし合わせて詳しく調べた所、その刻印は魔王の眷属の特徴に類似。
・魔王という存在が実際に脅威だったとされる時代は現在より千年以上の昔。この刻印の発見は考古学的にも貴重なものである。
三.遺跡のさらなる調査について
(第二次 遺跡調査報告)
イドル遺跡の祭壇奥の縦穴の調査に関しての報告
・調査班がその縦穴を降りて調査した所、底まで約3ヴィル(1ヴィル=109m程)もの深さがあった。また、縦穴は降りるに従って少しずつ広がり、穴の底につくと巨大な黒い繭のような物を発見した。その繭を囲むように石像の破片が散らばり、石像の破片の下にはその破片によって砕けた大量の人骨があった。
・黒い繭のような物に対して、調査のために標本の回収を試みるべく剣と魔法による攻撃を実施。その結果、我々はその繭に対し傷を付ける事が出来なかった。その為、この黒い繭については調査・研究が進んでいない。
・その黒い繭の安置されている広場のような空間から、一つだけある巨大な門が開いていた。我々がそこから出るとまっすぐに伸びた通路があり、その通路の先に古代の石造りの柩が安置されていた部屋があった。重量のある蓋が柩の近くに落ちており、柩は開いていた。柩の中には何かがあったらしい痕跡を確認したが、酷く腐敗して原型を留めておらず、何があったかは判断が付かなかった。
・また、その部屋の岩壁は強い衝撃で壁一面に亀裂が走っており、一部が破砕され崩れていた。
・その部屋は通路の反対側から出ることが可能になっていた。部屋から外にでると、外から見ると岩肌にしか見えないよう幻術で巧妙に隠されていた。
・この部屋の外と通じている通路は幾つか分岐はあるものの、そのほとんどが外へ向かうようになっていた。その中の内、正面に伸びている一本の道がフリュイ・ルージュ班が大蜘蛛と戦闘を行った広間である。
四.その関連性
・イドル遺跡の入り口で魔法陣を用いた転送を行い、イドル遺跡の最深部の縦穴を下り、そこから通路を通り一定距離を移動した先に、フリュイ・ルージュ班が大蜘蛛との戦闘を行った広間がある。
以上の事から、入口の魔法陣により地上では徒歩で半日ほど離れた距離にある遺跡へ転送されている、ということは間違いない。つまり、この遺跡と洞窟の二つは繋がっているという結論に達した。
五.イドル遺跡の追加調査について
(第三次 遺跡調査報告)
・ここに祀られているモノは、他の忘れられた古い土着の神などではなく、洞窟入り口の刻印で、魔王の眷属であることが判明している。黒い繭の広間に落下して砕けた彫像を念入りに再構成した結果、その眷属をほぼ特定することに成功。第六の眷属、大甲虫『シジエム』であるという結論に達した。
六.考察
・過去に残された遺物によりかつて、ここで魔王の眷属を崇拝する邪教徒によって、眷属の復活を願い生け贄の儀式が実施されていた可能性が推測されます。
・古代の石造りの柩が納められていた部屋において、壁面に強大な衝撃が及び、一面に渡って亀裂が確認され、さらに、他の壁面の一部が破壊され崩壊している状況が確認されました。これらの所見から、当該部屋において激しい戦闘が行われた可能性が推測されます。
・第六の眷属、黒緑の王として諸蟲を統べる大甲虫『シジエム』についての調査結果を報告
。古文書によれば、自らを背景に擬態し、暗殺を好む傾向にあったと記されている。直属の配下にも暗殺を得意とする人型の蟲が多く居た事が記されていた。
また、彼の軍勢は卵生による圧倒的な数の暴力、成長した個体はその巨大な体躯に比例する圧倒的な力強さ、堅固な硬殻による優れた防御力を備えていた。魔王との戦いにおいて、彼の者の軍勢は真に脅威であった、と古文書はその恐るべき実力を記している。
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書類を読み終わったアルベールが顔を上げる。
「ヨーム団長、第六の眷属は目覚めていると思うか?」
「我々はそこに記されている黒い繭、その鉄壁の揺籠の中でいまだ第六の眷属は眠りについているものと予想しております」
「ふむ……。もう一つ聞いてもいいか?」
「はっ、何なりと」
「洞窟の刻印についてだが、魔王と勇者の戦いがあった時代より現代まで効果が永続していたのだな?」
「はっ。左様でございます。あの刻印から分かることは、結界や付与などの魔法が今より遙かに高度であったと言う事です」
「ほう、それは興味深いな。ちなみに宮廷魔導師団の魔導師達は、あの刻印と同じようなものは作れるのか?」
「……この際はっきり言いましょう。我々も研究はしておりますが、今だ作る事は出来ませぬ」
ヨームは首を横に振って答えた。
「そうなのか……」
それを聞いた後、再びアルベールが考え込むように沈黙すると、ヨーム団長は口を開く。
「我々が出来る事といえば、普通の武器、例えば剣としますか。それに魔力を付与して一時的に魔法剣にする程度のモノ。コップに汲んだ水を放置しておくといつの間にか減って中の水が無くなってしまうように、ある程度の時間が経過すると魔力が霧散していき只の剣に戻ってしまいます。魔王と勇者の戦いの時代までは一度付与した魔力を封じて逃さない魔法もしくは技術があったようです。魔王という人類の脅威が封じられた後、世界は平和になるかと思いきや、愚かしい事に人間の国家同士や他種族との戦乱が続き、当時作られた数多の魔導具や高度な魔法や技術、優秀な人材の多くが戦災の犠牲になり失われていったそうです」
「愚かな事だな……」
「ええ、本当に。嘆かわしいことです」
アルベールは王に振り返り、問いかけた。
「父上はこの件についてどう対処されるおつもりですか?」
「適切に目を配りつつ、注視するつもりである。で、あるな?ヴィクトル」
「は。目覚めれば国にとっても脅威ですので、現在、黒い繭を要注意監視対象として警戒しております。具体的には学院の実技試験以降、宮廷魔導師団から優秀な魔導師を交代で数人ずつ常時派遣して頂いております。また、遺跡に警備の兵を一個中隊配置して警戒を厳にしており、何か変化があればすぐ連絡がくる手筈になっております」
ヨーム団長が言葉を引き継ぐ。
「古文書は誇張して書かれている事も多いですが、当時脅威であったのは事実なのでしょう。このまま未来永劫、眠っていてくれれば良いのですが……」
「そうよのう……」
と、王もため息と共に同意する。
「アルベールよ、この後の予定はどうなっておる?」
「午後から、ランセリアとお茶会をする事になっております」
「ほう、二人の関係は順調なようだな、安心したぞ」
「どうだ、このあと久しぶりに昼食を一緒にとらぬか?時間にはまだ余裕があるのだろう?」
「そうですね、ご一緒いたしましょう。では、のちほど」
「うむ」
アルベールは軽く礼をして踵を返すと、颯爽と謁見の間から退出していくのであった。
◇
午後、ランセリアの待つアルエット家の屋敷の前に、一際豪華な四頭立ての馬車が停車する。
アルベール王太子の到着を告げる声が屋敷に響き渡り、使用人達の手によって屋敷の門が開く。そして、中へと通されると広い庭園には季節の花々が咲き誇り、色とりどりの蝶が舞うような光景が広がっていた。
そんな景色に目をやり、その壮麗さに息を呑むアルベール。そのまま彼の乗る馬車はゆっくりと進んでいく。やがて屋敷の前に到着すると、アルベールは馬車の扉を開けさせ外へ出た。目の前には、スカートの裾を持ち上げ優雅に挨拶をする美しい少女の姿があった。
彼女は、済んだ湖の底の様な深い青色のやや切れ長の瞳に、整った鼻梁、透き通るような白くきめ細かな肌をしている。背はやや高くすらりと伸びており、胸は適度な豊かさを備え、上品な女性らしさを漂わせていた。 自然な優雅さが溢れ出て、それが彼女の内面を物語っているようだった。腰の位置も非常に高く、臀部も程よい肉付きで女性らしい柔らかな丸みを帯びており、緩くウェーブが掛かった長く伸びた美しい黒髪を背に流している。全体的に大人びて落ち着いた雰囲気を感じさせる。
アルベールが彼女に声を掛ける。
「馬車の中から拝見させて貰ったが、いつもながら見事な庭だ。ランセリア、君の所の庭師は良い仕事をしているな」
「ありがとうございます。アルベール様」
私はカーテシーをして応える。
「お茶のご用意ができておりますので、私の部屋へいらして下さい」
「うむ、そうだな」
屋敷の前に待機していた彼女が先導し中に入ると、エントランスに敷かれている長い絨毯を挟み両側に並んだ執事を始めとする使用人や侍女達が深々と最敬礼の姿勢を取り、一斉に声を掛ける。
「「「「「いらっしゃいませ!アルベール王太子殿下!!」」」」」」
彼は軽く手を上げ、その声に応えると、ランセリアが先導して動き出す。使用人達の居並ぶその中央を通って、階段を上がっていく。彼女の後ろにアルベールが続く。
そして二階の廊下の影に二人の姿が隠れてしまうまで、ずっと使用人達は最敬礼を続けていた。
私は部屋に入ると、アルベール様をバルコニーに誘う。
そこからは庭園が一望でき、時折風も通り抜けるので室内にいるより快適であった。階下の屋根を利用したルーフバルコニーは広く、その中心には美しい彫刻の施されたアンティークの円卓と椅子が二脚用意されており、その円卓の四方を囲むように背の高い大きな日傘が立ててあった。
「どうぞ、おかけ下さいアルベール様」
アルベールは勧められた椅子へ腰を下ろす。私も椅子をアルベール様の方へ向けて座り、テーブルの上に用意されていた紅茶に口をつける。
アルベールはランセリアが紅茶に口を付けたことを確認してから、自分も同じようにカップを手に取り、口を付けると静かにテーブルに戻した。
「夏季休暇で帰省した際に、お母様から頂いた珍しい茶葉です。お口に合えば良いのですが……」
「ああ、美味しいなこれは。それに冷やして出してくれている。暑い最中、この心配りは嬉しい……」
「お褒めの言葉、執事にも伝えておきます。使用人達も喜ぶことでしょう」
そう言って微笑みながら、アルベールは紅茶を一気に飲み干した。
その様子を横目で見ながら、彼女もゆっくりと味わうように紅茶を口に含んでいく。
二人はしばし無言になり、穏やかな時間が過ぎていく……。アルベールは再びランセリアに話しかける。
「そういえば、そなたの今日のドレスは新しいものか?」
その言葉を受け、私は彼にドレスを見せつけるように立ち上がる。
「ええ、これはこの夏用に特別にあつらえたものです。涼しく過ごしやすい意匠になっているのですよ?私のお気に入りの工房『ラ・フォンテーヌ・ドール』も今年はこの意匠のようなドレスを流行らせたいと考えているみたいですわ」
アルベールにそう答えると、私はスカートを摘まんで少し上げて見せた。それはまるで水中を漂う魚のような美しさがあった。
ランセリアの着ているサマードレスは、上品で優雅な佇まいでありながら、動きやすさを兼ね備えており、涼しさを第一にした素材と意匠であった。
胸元から足元にかけて流れるドレープや腰のリボン等は非常に美しく、色味も淡いブルー系で統一されていた。さらにランセリアの動きに合わせてゆらゆら揺れるレース付きのスカートなど細部にまで拘った丁寧な作りとなっていた。
また、随所に散りばめられた小粒の真珠と大粒の真珠が光を受けキラキラと輝くさまは、宝物のように美しかった。
そんなランセリアの姿を見つめ、アルベールが口を開く。
「ふむ、確かによく似合っているな。普段のそなたは制服姿しか見ることがないからな。こうしてドレス姿のランセリアを見られるのは、とても嬉しく思うぞ」
私はそれを聞くと、照れくさくなり顔を伏せて小さな声で囁いた。
「ありがとう存じます、アルベール様……」
アルベールは突然何か閃いたように呟く。
「そなたがその少し大胆なドレスを着てパーティに出席すれば、令嬢達の目を引くだろうな……ああ、そういうことか。なるほど」
「どうかされましたか?」
「いや、何でも無い」
それから、私はアルベール様としばらく会話を楽しむ。話題は主に最近の学院の出来事など。様々な話を交わした後、オネットがアルベールのティーカップにおかわりの紅茶を注いでいる最中に、ティーポットの中身が空になってしまう。
「失礼致しました。新しいものを用意して参ります」
「オネット待って。今日は私に行かせて?」
私はそう言うと、鏡のように磨き上げられた美しい銀色のトレイにティーポットを乗せて立ち上がり、部屋を出て行こうとする。アルベールは慌てて彼女を引き留めた。
「いや、ランセリア。待って欲しい」
アルベール様に呼び止められると、私は立ち止まって振り返った。
「何でしょうか?アルベール様」
「そなたがわざわざ行く必要は無い。やはり、侍女に頼むべきではないか?」
アルベールは少し困った顔で言う。
「いいえ、私が持ってまいりますわ。アルベール様に折角来ていただいたのですから、私も自ら運んでご用意したものを飲んで頂きたいのですわ。だめ……ですか?」
アルベールはそれを聞いて、少し思案した後、意を決したようにランセリアを見つめると口を開く。
「……わかった。それでは頼む」
「承知いたしました」
アルベール様に背を向けると、自然と口角が上がっていく。
……計画通りね。
私はそのまま口を閉じ、部屋を退室するのであった。
◇
ランセリアは食堂に着くと、女中頭を呼び出す。
「おかわりが欲しいのだけれど、あるかしら?」
「お嬢様、何もわざわざこんな所までおいでにならなくとも、呼んで戴ければお部屋までお持ちいたしましたのに……」
「アルベール様のために私も何かしたくて、ね。あなたも女性なら分かるでしょう?」
「もちろんですとも!!すぐに厨房からお持ち致しますね!」
女中頭は興奮しながら厨房へ入る。
後ろでキッチンメイド達が、「さすがですわランセリア様!」「美しい心配りですわ……!」「尊い……」などと、ざわめいている。しかし、そんな周囲の反応には目もくれず、私は女中頭を待つ。
「お待たせ致しました」
「これは、冷やしてあるわよね?」
「ええ、前日から言われておりましたので淹れた後、ある程度さましてから井戸水でティーポッドごと冷やしておきました」
「あと、厨房でパティシエから、これを持って行けと渡されたので……」
女中の持つ銀色のトレイにティーポットと透明なガラスの器に層々と重ねられた美しいスイーツが二つ載せられていた。
「これは、なにかしら?」
「オルゴール・パルフェというスイーツです。うちのパティシエが考案した新作のスイーツらしいですよ?」
「層ごとに色鮮やかなクリームやフルーツが見えて本当に美味しそうだわ。全体の絶妙なバランスが魅力的ね!」
「最上部にある小さな銀色のオルゴールの飾りが、このスイーツの名前を表しているらしいです。もちろんこの飾りも甘くて食べれるそうですよ!」
「アルベール様をおもてなしするのに最高のスイーツね!あとでパティシエにお礼を言わないといけないわね」
「是非、そうして下さいまし」
女中頭は笑顔で応える。
「こちらは少し重いですが、お部屋までお持ちできますか?やはり、途中までお運びいたしましょうか?」
「折角、パティシエが作ってくれた新作だもの、できるだけ最後まで私が運びたい……いえ、やっぱり、無事に運ぶのが大事よね?階段の所だけ代わって貰ってもいいかしら?」
「もちろんですとも!では、お渡ししますのでお気を付けてお持ち下さいね」
私は頷くと、銀色のトレイを受け取る。
「あ、あとこれを忘れる所でした。パティシエから渡されたこのスイーツのメモです」
女中頭はスイーツの器の下にメモを挟む。その後、私はトレイを大事に持って女中頭を連れて歩みを進め、階段の所だけ彼女にトレイを代わりに持って貰い、階段を上がりきると改めて彼女からトレイを受け取る。
「ご苦労様でした。ここまででいいわ」
「わかりました、お嬢様。では私は厨房へ戻りますが、御用があれば私共や侍女をお使い下さいませ」
「わかってるわ。今日だけ特別だから、ね?」
しょうがないですね。と困ったように笑うと、会釈をして彼女は再び一階へ降りていく。
私は彼女を見送ると、左右の廊下を確認する。右にも左にも人の気配がないのを確認して、自室へと向かう。
後は角の花台にこのトレイを置いて、懐にある薬を少しアルベール様のティーカップに垂らすだけ……。
視線を廊下の角の花台に向ける。すると……綺麗な花が生けてあった。
「……!!」
ランセリアはこみ上げた怒りを抑えるため、深呼吸をする。
昨日、言っておいたのに……!ウチの執事が家政婦長に指示をし忘れるなんて、そんな事ありえ無いわ……という事は、家政婦長?家政婦長がその下のメイド達に言い忘れた?そんな凡ミスするとも思えない。なら、その下のメイド達の誰かね……後で家政婦長に今日の二階の担当者を聞いて、二度とミスを起こさないようにその子をキツく叱責しておかないと。アルエット家に仕えるという事の意味を教えてあげるわ!
深呼吸のお陰で冷静さが少しずつ戻ってきた。幸い花瓶はそれほど大きくは無い。これならトレイの先で少しずつ押して端に寄せれば、十分このトレイを置ける場所は確保できるハズよ。
自室を通り過ぎ、北側へ延びる廊下側へまわってから花台の近くに寄る。
こちら側に居れば身体の大半は壁の影になり階段から見られても分かりにくいはず。
トレイで花瓶をゆっくり押していく。
ズ……ズズズ……。
もうすこし……。
その時、ふと視界の端に部屋から出てくる人影が見えた気がした。
息を潜め、壁の影から様子を窺う。
その拍子にトレイが少し強く花瓶に当たり、そのままの勢いで花台から落下する。花瓶は床に落ちた衝撃で砕け散り、甲高い音が屋敷に響き渡る。
「何事だ!?」
「廊下の角みたいです、行ってみましょう!」
アルベール様とオネットの声、階段をのぼってくる数人の足音が聞こえる。ざわざわと階下に使用人が集まってきている気配がする。
「ランセリア!?」
「お嬢様!?」
オネットとアルベール様が私の元へ駆け寄ってくる。
私は、少し困惑した様子で立ち尽くしていた。
「怪我はないか?」
アルベール様の問いかけに、私は無言で頷く。
オネットは安堵の表情を浮かべる。
「ランセリア、ここはそなたの部屋を通り過ぎているぞ?こんな所で何があった?」
「この北側の通路に人影が入っていくのが見えた気がして、気になってここまで来たのですが、覗いてみたらやっぱり誰もいなくて、戻ろうと振り向いた拍子にトレイが花瓶に当ってしまって……」
「なるほど……」
そこへ数人の使用人達が、私の元へ殺到する。
「大丈夫ですかお嬢様!?」
「誰か、掃除道具持ってこい!」
「殿下もお嬢様も、危険ですから割れた花瓶には触らないで下さい!」
「ここは我々が片付けますので、殿下はお嬢様のお部屋へお戻り下さい」
「あ、ああ……そうだな」
「オネット、ちょっとこれ持って貰える?少し手が疲れてしまって……」
「はい、お嬢様」
使用人に連れ添われ、殿下はこちらを気にしつつも私の部屋へ入って行き、姿が見えなくなる。
私は彼女に銀色のトレイを手渡す。
そして、懐から小瓶の入った巾着袋を取り出し、彼女の懐にそっと忍ばせてから、耳元で囁く。
「機会をみて、私がアルベール様を欄干の方へ連れ出すから、昨日相談したこと頼むわね」
「かしこまりました」
姿勢を正すと、改めてオネットに語りかける。
「ありがとう、オネット。もういいわ。トレイを渡して頂戴?」
彼女から銀色のトレイを受け取ると、私は自室に向かう。
オネットが先に進み、部屋の扉を開けて待機する。
部屋に入ると部屋の中程で、アルベール様が待っていた。
「あら、アルベール様。お先に座っていてくださっても良かったのに」
「今日のホストである、そなたの許しを得ないままだと、何だかおさまりが悪くてな」
「あらあら、うふふ。ではどうぞ、お座りになってくださいませ」
「それより、トレイは重たくないか?私が持っても構わないぞ?」
「バルコニーまであと少しですので大丈夫ですわ」
「そうか?なら、任せよう」
私がバルコニーの方へ進むと、オネットは静かに扉を閉めて私の後に続く。
トレイを円卓に置き、トレイからティーポットと、新作のスイーツを卓上におろす。
「うちのパティシエが考案した新作のスイーツです。ご賞味くださいませ」
「これは、何というスイーツだ?」
「オルゴール・パルフェという名前だそうです。透明なガラスの器に層々と重ねられた見た目に美しいスイーツですわ。層ごとに色鮮やかなクリームやフルーツが見えて素敵でしょう?それに全体の絶妙なバランスが魅力的だと思いませんか?最上部にある小さな銀色のオルゴールの飾りが、このスイーツの名前を表していると言っておりました。もちろんこの飾りも甘くて食べることができるみたいです」
「ほう、興味深い」
「パティシエからのメモを受け取っていますので、読み上げますわ」
「うむ、頼む」
「オルゴール・パルフェの各層は、上から順に以下のような構成になっております。第一層:クリスタル・ジュレ層。 透明でキラキラと輝くジュレ層。フローラルな風味や微妙な甘さが感じられます。第二層:ヴァニラ・シャンティリー。マドレーヌのような焼き菓子が、ヴァニラビーンズ入りの濃厚なシャンティリークリームと一緒に添えられています。第三層:フルーツ・コンフィ。 シーズンの果物を砂糖に漬け、果汁を浸出させてから、その果汁を煮詰めたものに果肉を加えるため、果物の形がごろっと残ってさらりとした状態に仕上げるため、華やかな色と風味を提供できます。第四層:キャラメル・クランブル。 クリスピーなキャラメルクランブルが、食感と甘さをアクセントとして追加。第五層:ピスタチオ・プラリネ。コクのあるピスタチオプラリネ層。ナッツの風味と滑らかなテクスチャーが楽しめます。最下層:ローズ・ペタル・ウィップ。 軽やかなローズ風味のホイップクリームが、全体をまろやかにまとめています」
一呼吸空けて、続きを読む。
「追記:オルゴール・パルフェは、その層ごとに異なる風味と食感が楽しめる贅沢なスイーツです。甘さの中にも、フルーツやフローラルなノートが絶妙に調和しており、一口ごとに異なる驚きが楽しめるでしょう……という事らしいですわ」
「そなたの家のパティシエは流石だな。では早速いただくとしよう!」
アルベールはスプーンを手にすると、上から下へと掬うようにして口へ運ぶ。
「ん……!美味いっ!」
「本当!とても美味しいですね!」
二人は次々とそのスイーツを口に運んでいく。
アルベール様が夢中で食べている。そんな彼の姿を見て私は嬉しくなり、つい微笑んでしまう。
これは良い仕事をしてくれました。後でパティシエには褒美を与える事にしましょう。
やがてアルベールのスイーツの器が空になり、ランセリアの器も空になった。
「これは美味しかった。今すぐ褒美を与えたいぐらいだ」
「スイーツ、気に入っていただけたようで嬉しいですわ」
食べ終わると私は立ち上がり、バルコニーの欄干の方へ行く。そこでアルベール様を手招きする。
「アルベール様、こちらへいらして下さいませ。庭のあそこですが、懐かしくはありませんか?」
「ふむ、どこだ?」
ランセリアに言われた場所を見るためにアルベールは席を立ち、欄干の側に立つ。眼下に広がる庭園は手入れの行き届いた花々が咲き誇り、綺麗に刈り込まれた植木が立ち並ぶ様は見事なものだった。
「昔を思い出すな……私はこの屋敷の庭園が好きであった。幼い私は、来るたびによく隠れんぼをして迷ったものだ。そなたにも、皆にも迷惑をかけたな」
「本当です。お名前を呼んでも全然出てきて下さらなくて……。そうそう、特にあそこ辺りは隠れる場所も多くて、アルベール様はお気に入りでしたね」
私は庭園のある一点を指さして、アルベールの視線を引きつける。
「ああ、確かにそうだったな!ははは!」
その二人の様子を見ながら頃合いと感じたオネットが動く。円卓のそばに待機していた彼女は、懐から巾着袋を取り出し、中から小瓶を出し蓋を開けてアルベールのカップに数滴垂らす。
アルベールはただ思い出を語り続ける。
「……そなたがお泊まり会をするといってだだをこねたあの時は、そなたの父上と私の父上二人とも困り果てて、結局二人とも折れて父上は城へ帰り、私だけこの屋敷に泊まることに。その夜、私達はそなたの父上に許可を貰い、庭園に出て星空を眺めたな。そなたがありもしない新しい星座を堂々と次から次へと言うものだから、半分信じかけたぞ」
「あら、その星座の話を語ったのはアルベール様ではなかったかしら?」
「そうだったか?」
「ええ。後で家庭教師に自慢したら大恥をかきましたのよ?」
「それは……その……済まなかったな」
恥ずかしそうにポリポリと頬をかくアルベール。
「でも……あの時は、庭園で静かな時間が過ごせて良かったですわ……」
二人の間に沈黙の時間が流れる。
「……喋りすぎて喉が渇いたな。そろそろ戻ろうか」
「そうですね」
私はドレスを翻し、優雅に振り向く。
「オネット、お茶をいれてくれるかしら?」
「はい、お嬢様」
何事も無かったかのように、オネットは二人のカップにティーポットの冷たい紅茶を注いでいく。
アルベール様と私は欄干から円卓の席へ戻り、それぞれの椅子へ腰を下ろす。オネットが紅茶をいれたティーカップをそれぞれの前へ供する。
ランセリアが一口飲んだことを確認してから、アルベールも同じようにカップを手に取り、一口、二口と飲む。静かにテーブルにカップを戻すが、喉が渇いていたのは本当らしい。またカップを持ち上げ、喉を鳴らして飲み干し、カップをテーブルに戻す。
「この茶葉は本当にいい……。気に入ったな。私にも分けて貰え……」
アルベール様の言葉がそこで途絶え、目から光が消え意識が朦朧としていくのを見て、私はニヤァ……と口角を吊り上げる。
ウフフ……。『薬』が効いてきたようですわね。今のアルベール様の反応は、昨日この薬を試してみた使用人とほぼ同じ。それに、実につまらない内容だったけど、彼が皆に秘密にしていた事を聞き出すことはできたから、『薬』の効果は確かだった。さあ、アルベール様……あの時の事、話して貰いますわよ?
「……今の気分はどうですか?」
「……ふわふわしてる感じがする。眠い……とても眠い……」
「これから……少し前の出来事を聞こうと思いますが、思い出せますか……?」
「……ああ、問題ない……思い出せる……」
「分かりました。では行きます。今は新緑の芽吹く、5月です。今アルベール様がいるここは、セドリック様のお屋敷です。今日はここで盛大な誕生日パーティが開かれています」
「……では、祝辞を述べないといけないな……」
アルベールは席を立とうとする。
しかし、私が彼の手をしっかりと握り、それを止める。
「祝辞は既に終わっていますので、立つ必要はございません。きちんと座って、私の話を聞いてください」
「……ああ、そうか、すまない……。話を、続けてくれ……」
「祝辞が終わり、貴方は誕生パーティに集まった様々な方々と歓談しながら暫く時が経ちました。その内、貴方はそこから移動して大広間から繋がるバルコニーへ。貴方はそこにアルメリーと二人だけでいました。貴方は彼女の両腕を掴み、彼女は瞳を潤ませて祈るように両手を組み合わせていました。二人きりで、一体そこで何をされていたのか全て教えて下さいませ……」
「……その時は、アルメリーに……」
「アルメリー、彼女に?」
私はゴクリと生唾を飲み込む。
「……一目惚れだと、好きだと告られたのだ。婚約者がいてもいい、聞き入れられなくても、自身の想いは知って欲しい……と」
私は雷に打たれたような衝撃を受けた。
まさか、本当に告白を受けていたとは思いもしなかった。だけど、これで確信することが出来た。アルベール様は嘘をついていない、という事を。
幾度も夢で見たあの光景、恐れていたその相手がアルメリーだった。
心に嫉妬の炎がメラメラと燃え上がってくる。
そして、私が逃げ出して聞けなかった、一番聞きたかった、あの時からずっと聞けずじまいだったこのことを、ついに尋ねる。
「……それで、彼女には……何とお答えに?」
「……好意はありがたいが、私には個人としての恋愛感情は許されない。すまない、と……」
……アルベール様の口から、ここまで聞ければもう良いわ。
「アルベール様、眠くはありませんか?」
「……ああ、そうだな……眠い。ずっと……」
「こちらにソファーがあります。よければ仮眠でも……」
「……すまない、そうさせて貰おう……」
私は席を立ち、アルベール様の側へ行きオネットと共に彼を両脇から支え、室内のソファーへと連れて行く。そのソファーには見事な彫刻が施されていた。
アルベール様がソファーに腰掛けるのを見届けてから自分も反対側に座り込み、横になる手助けをする。彼は素直に身体を倒し、私の太腿の上に頭を乗せる。
「夕方になったら起こしてさし上げますね」
「……たのむ」
そう言うと、彼は目を閉じて静かに眠りに落ちた。そんな彼の顔を見ていて、私も思わず微笑んでしまう。それから私はそっと、彼の顔にかかった髪の毛を指で撫でるようにして優しく横に流してあげるのだった。
◇
学院の七の鐘(午後五時半頃)の音が聞こえてくる。学院は王城に近いため、その鐘の音はこの屋敷でも聞こえる。
「アルベール様。七の鐘が鳴りました。そろそろ起きて下さい……」
私は、囁くように優しく語りかける。
「ん、んーー!ふぁ……。もう、時間か……」
アルベール様が目を覚ます。まだ完全に覚醒していないようで、寝ぼけ眼だ。
「柔らかい……。それにいい香りがする……」
「私の膝枕は、いかがだったでしょうか?」
「……とても心地よかったぞ」
寝起きでぼーっとしているアルベール様だけど、徐々に目が覚めてきたらしく顔が赤く染まっていく。その様子を、じっと見つめているとアルベール様が先に口を開いた。
「あ、あまり見つめないでくれないか……?少し気恥ずかしいのだが……!?」
顔を真っ赤にして恥じらう姿がとても可愛らしい。
「失礼いたしました」
アルベールは身体を起こす。
「私はなぜこんな所で寝ていたのだ?」
「スイーツを食べたあと急に眠くなったと言われたので、オネットと二人でこちらのソファーへ運びました」
「確かにスイーツを食べたあとの記憶がハッキリしないな……」
アルベールは首を捻って考えるが、一向に思い出せない様子。
「アルベール様、そろそろ学院に戻りませんと……あまり帰りが遅くなると、寮長に怒られてしまいますよ?」
「そうだな」
「良かったら私の馬車に乗っていくか?そなたも学院に戻らねばなるまい?」
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
「お嬢様、私は殿下の御者と護衛の方々にそろそろ準備を始めるよう伝えてきます」
「ええ、頼むわね」
アルベール様の後に続き、私は学院から持ってきた鞄を手に自室を出る。そのまま階段を降りてエントランスで馬車を待つ。
「お待たせ致しました。アルベール様、ランセリア様」
オネットが連絡を終わらせてエントランスへ来た。私達は合流して馬車を待つ。
しばらくすると、外から馬車を引く音が聞こえてくる。
その音を聞いて使用人は扉を開けて外に出る。
アルベールの乗ってきた馬車がゆっくりと玄関前で止まる。
先程外へ出た使用人が、恭しく馬車の扉を開けて待機する。
アルベール様が馬車へ乗り込んだ後、オネットが馬車へ乗り込む私の手助けを行い、私が席に着くと、最後にオネットが乗り込む。
アルベールが小窓を開け、御者に行き先を告げる。
「学院へ行き、私達をそこで下ろしてくれ」
「かしこまりました」
そして、私達の乗る一際豪華な四頭立ての馬車は、護衛の騎士達に前後を護られながら、ゆっくりと動き出すのだった。




