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令嬢は嗤う  作者: バーン
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実技試験3

高い天井の一本道。用心しながら奥に進む。

道中何にも会う事なく、暫く進むと大きな空間に出る。


「なんだ、結局行き止まりか?」

「みたいですね?」


奥へ繋がっていそうな壁の穴を塞ぐ様に、巨大な岩の塊が立ち塞がっていた。

横へ回りこんで見てもこの岩が邪魔をして、人が通れる様な隙間もない。


「この岩が無ければもっと奥へ行けそうなのに!ここまで結局何も無しかよ、クソッ!」


キャスパーは悔しそうに思いっきりガンガンと何度か岩を蹴る。


いい所を見せる機会が無かったもんね。これは残念としか言いようがないわね。あはは……。


「行き止まりでしたし、戻りま……」


そこまで言うと不意にゾクリと本能に訴えかけるような悪寒が全身に走った。


皆も感じたのか一斉に正面の岩の塊を見上げる。はるか頭上の闇の中でならんだ八つの目に煌々と鮮血の様な紅い光が灯る。その眼には一切の感情を感じられなかった。


岩だと思っていたその表面に次々と無数の亀裂が入っていき、パキパキ……と連続的な音をたて細かい破片となって次々剥がれ落ちていく。


体長は馬車の客室(キャビン)を二回り大きくしたような見上げるほどの威圧感があり、黒い体毛に覆われた体躯、丸太と見まごうような太い脚を生やし触肢には鋭く長い爪が付いている。ガチガチと嚙み鳴らす鋭い顎、そして何よりその腹部は異様に膨れていて、まるで巨大な何かを孕んでいるかのように見える。


そして、魔物の覚醒に呼応してか、床が広範囲に鈍く光る。


この光は一体……?


「な……んだ、これ……」


キャスパーは絞り出すように、やっとの事で声を上げる。


この巨大な蜘蛛を目の前にして私は全身に寒気が走って鳥肌が立ち、身体は硬直し、呼吸もままならず、冷や汗が頬をなぞる様に流れ落ちる。


生理的な忌避感より、もっと深い所からくる拒絶感。身体に起こっている異常そのものが警告であり、本能が危険だと訴えかけている!


「Gyshaaaaa……!!」


長い眠りから目覚めたソレは耳が痛くなるような甲高い雄叫びを上げ、その丸太の様な太い前脚をゆっくりと持ち上げ踏み出す。


ドドォォォン!


その一歩で洞窟が大きく揺れ、天井からパラパラと小石や砂が落ちてくる。


「ひぃッ!?雑魚しかいないって言ってたじゃない!」


フェーヴが半泣きで訴える。


「逃げるわよ、みんな!」


スリーズが叫び、走り出す。


ドン!


スリーズは何もないハズの所に身体ごと思い切りぶつかりよろめく。


「きゃっ!?何これ!」


先ほど私達が通ってきた道に目に見えない障害があるらしく、先へ進めないみたいだ。


はっ!?さっきから床が光っているのは何かの罠!?


「私達、閉じ込められた……!?」

「え、嘘……!?」

「すまない……。私が焦って奥へ行こうと言ったばかりに!」


巨大な蜘蛛も私達を追いかけるように、重い足音をさせて体を半分以上埋めていた通路から這い出て来ていた。


「こいつが起きたら床が光り出したわ。そして見えない壁が出現したのよ。単純に考えたらこの蜘蛛と連動している可能性が高いわ。つまり……こいつを倒さないとここから出られないと言う事よ!」

「みんな、戦闘態勢よ!」


キャスパーとティアネットは武器を抜き構える。


「む、無理よこんなの!勝てっこないわ!?」


フェーヴはボロボロ涙を流しながら恐怖に震えている。

キャスパーに掛けられた明かりの魔法が、いつの間にか彼女の足元にできていた水溜りをキラキラと反射させていた。


フェーヴが半ば戦意喪失してるが、リザベルトはすぐさま防御魔法を唱える。


「囲め囲め魔力の盾よ 我が眼前の者に庇護を与え 外敵の魔手から護りたまえ」


キャスパーの身体が魔法の光に包まれて一瞬輝く。


「助かる!」


巨大蜘蛛は棍棒の様な触肢を、動かないフェーヴへ向けて横薙ぎに振る。


それを見てたスリーズが走り出し、体当たりで蜘蛛の触肢が当たらない所へフェーヴを弾き飛ばす。

スリーズの背中の僅か上を通過し、触肢が宙を切る。

彼女は床を転がり埃まみれになるが、構わずフェーヴへ近寄って頬を叩き叱りつける。


「ご、ごめんなさ……」

「あなたはできる子でしょう、しっかりして!」

「わ、私……ごめん、もう大丈夫!」


キャスパーが走り込み、攻撃を空振りした触肢とは別の地面を踏みしめている脚へ全力の斬撃を放つ!


刃の切っ先がその外しようのない程太い脚に触れるその瞬間、甲高い音と共に火花を散らして弾かれてしまった。まるで鋼鉄のような堅い障壁に阻まれたのだ。剣がどうしてもあと紙一枚分届かない。


「くそっ!届かない(・・・・)!!」

「そんな、キャスパー様の剣が効かないなんて!?」

「だ、誰か-!コイツのことしらないのー!?」


背後でティアネットがぶつぶつと何か呟いている。


「……剣が……あれ……物理攻撃……という事は……物理無効?……巨大な蜘蛛……はっ!?」


蜘蛛が空振りした触肢を切り替え逆の触肢を力任せに横に薙ぐ。

その威力は凄まじく、もはや暴力。キャスパーは盾で受けようとするが受け止めきれず壁まで吹き飛ぶ。


「ぐはぁッ!!」


ティアネットが小声で伝えてくる。


「そいつ、思いだしました!私の記憶が正しければ『アレニエ グランド』です!『ゆめはる』の中盤以降のダンジョンに出てくる中ボスモンスターで魔法生物!魔法か魔法の武器、もしくは魔法の付与された武器でないとダメージを与えられない厄介なヤツです」

「魔法は効くのね!?他には!?何か覚えてる事はある!?」

「えーと、えーと、特殊攻撃で確か普通の蜘蛛の様な粘着質の糸を出して回避に失敗すると二、三ターン行動不能になってたような……他には……他には、そう、HPが半分以下に減ると部下の小蜘蛛を召喚してた気が……ですが、この大蜘蛛の特徴や能力がこの世界でもそのままなのかどうかは戦って見ないと分かりませんがっ!」


中盤以降の中ボスなんて、今の私達に倒せるのかしら!?それにその蜘蛛の糸に捕まったら今の私達なんて二、三ターンどころか、自力では死ぬまで脱出できないでしょうね。『ゆめはる』の事だけ伏せて皆に伝えなきゃ!この情報が正しければいいけど!


「みんな良く聞いて!その蜘蛛は魔法生物で名前は『アレニエ グランド』、魔法での攻撃が効くと思うわ!それと魔法を掛けた武器なら攻撃が届くの!フェーヴ、キャスパー様と、ティアネットの武器に魔法を掛けて!あと……」


私が聞いた情報を皆に叫んでいると、こちらへ狙いを定め大蜘蛛がこちらへ向けてドン!ドン!ドン!と重厚な足音を響かせ近づいてくる。


「我は願う 火よ出でよ 火球となりて 疾く走り 敵を燃やし給え!」


スリーズがその隙に詠唱を唱え魔法が発動する!


外しようが無い巨体に火の弾が数発吸い込まれ、体表の一部が燃え出す。


「Pigyuaaaaa……!!」


スリーズの魔法に続くようにサントノーレも魔法を唱える。


「我は願う 土よ出でよ 地より礫を飛ばし 眼前の敵を貫き給え」


地面に転がっている小石が次々と飛び、大蜘蛛へと突き刺さっていく。


「Aguaaaaa……!」


サントノーレの攻撃がよほど気に入らないのか腹部を彼女の方に向ける。


「サントノーレ!糸に気を付けて!そいつお尻から粘着質な糸を出すわ!捕まると自力での脱出は困難よ!絶対避けて!」


腹部がヒクヒクと痙攣し、大蜘蛛は糸を射出する。


ブッ、ビュルビュルビュルッ!!


気持ち悪い音と共に糸が高速で射出され、その糸が投網のようにバッと広がる!


「ひっ……ひええええ!?」


サントノーレは横へ飛んで逃げ、なんとか蜘蛛の網から逃れた。だが先程まで彼女が居た所には横倒しの牛一頭を丸々覆えそうな蜘蛛の巣が出来上がっていた。


「糸を出すとき複眼で少しは見えてるのかもですが、狙いが相当甘いです!これなら見てればよけれますし、まず当たらないですね!」


ティアネットが安心したように言う。


でも、この粘着質な糸で出来た巣を踏めば絡め取られて動けなくなりそう……あっ!……この攻撃が続けば逃げ場が無くなるわ!?


「ティアネット、安心してはダメ!みんな気を付けて!この蜘蛛の巣が増えたらその分、私達の逃げ場所が無くなるわ!巣が増える前にこの大蜘蛛を倒さないと!」


皆、気を引き締めて頷く。


「それにコイツ、命の危険を感じたら眷属の蜘蛛を召喚するらしいわ!それにも気を付けて!」

「わかった……アルメリーも……気を……つけて!」


リザベルトへ向けて頷く。


自分で言っていて何だけど、私達にコイツを短時間で倒せるような必殺技や魔法など無い。一体どうすればいいの……っ!?


私が一人悩んでる間にも周りの子達は自分達が生き残る為に己の出来ることをしようとしていた。


「汝、剣に宿る精霊よ 我が魔力の加護を授ける 其は魔を打ち払う力とならん」


ティアネットの持つ剣が輝き、魔力が宿る。


「ティア!この魔法、持続時間があまりないから切れそうになったらすぐに言ってよね!私、キャスパー様起こしてくるから時間稼いでね!あなたなら出来るわ!」


そう言い、フェーヴがキャスパーを起こしに向かう。


「えええええええ!?」


大蜘蛛の意識が私からそれたので、視界から逃れるように腹部の方へ回り込み魔法を唱える。


「我は願う 水よ出でよ 水よ氷の針と化し 目の前の敵を貫き給え!」


目の前一杯に広がる腹部に、数本の短剣サイズの氷の針が深々と突き刺さり、紫色の体液がボタボタと傷口からこぼれ落ちる。


「Gruooooh……」


「効いてる!ふふっ!もう一発いくわよ!」

「我は願う 水よ出でよ……」


今までの緩慢な動きと違い、大蜘蛛は身体を急速に反転させてこちらに向き直り、触肢を二本とも振り上げる。

私は大蜘蛛の先程までの緩慢な動きと腹部の方にいる事で完全に油断していた。さらに調子にのって次の詠唱を行い精神集中をしたため咄嗟の反応ができない!大蜘蛛は動かない私めがけて触肢を突き刺すように振り下ろす!


「アルメリー!!」


リザベルトが今まで聞いたことの無いような大きな声で叫び、私を突き飛ばす!


「いたた……はっ!?リザベルト大丈夫!?」


彼女が突き飛ばしてくれたお陰で、触肢の攻撃は一本は何も無い地面を穿ち、私は擦り傷で済んだ。だが残りの一本は代わりに身を挺してくれた彼女の足に深く突き刺さっていた。


「だ、大丈夫……」


私を心配させまいと、気丈に振る舞ってみせる彼女。そんな彼女をあざ笑うかの如く、大蜘蛛がその触肢の先端……女性が手をすぼめたぐらいの太さのある鋭く尖った爪を前後左右に揺り動かす。


もう片方の触肢を彼女の身体の上でゆらゆらさせている。『邪魔すると、こいつをいつでも刺すことができるぞ』と誇示するように。


そのせいで私達は彼女が大蜘蛛に嬲られている間、蛇に睨まれたカエルのように身動き一つできなかった……。


傷口から溢れ出す血、肉を穿るグチュグチュという水音をさせながら楽しむようにじわじわと引き上げる。傷口を広げるその行為はまるでそうすることによって痛みが何倍にも増えると知っているかの如く。


「ああああぁーッ!!!」


彼女の瞳からは涙が止め処なく流れ、その美しい顔は苦痛に歪み絶叫していた。


大蜘蛛による触肢の責め苦の中で、耐えがたい苦痛によりリザベルトは気を失ってしまった。

触肢を引き抜いている(遊んでいる)最中に動かなくなった獲物(おもちゃ)に興味を失った大蜘蛛は早々と触肢を引き抜き、他の獲物を物色するように頭部を動かす。


「おのれッ!」


激昂したティアネットが大蜘蛛の横に回り込み脚の一本を斬り付ける。外骨格に傷が付き、そこから紫色の体液がドロリと流れ出る。そのまま走りながら胴や脚を斬り付けていく。


「Fushuuuuu……」


八つの目がさらに赤く濃く光る。大蜘蛛はティアネットを正面に捕らえようとその場で回転し、追いかける。


「起きて下さい!キャスパー様!」

「う、うぅ……。はっ!?私はどの位気を失っていた?皆は大丈夫か!?」

「気を失っていたのは少しの間ですが、リザベルト様が大蜘蛛の攻撃によって気を失って……」

「すぐ武器に魔法を掛けてくれ!私も戦闘に戻る!」


フェーヴは頷くと、すぐに詠唱を始める。


「汝、剣に宿る精霊よ 我が魔力の加護を授ける 其は魔を打ち払う力とならん」


キャスパーの持つ剣が輝き、魔力が宿る。


「この魔法、あまり持続時間がありませんので気を付けて下さい!」

「分かった!」


駆け出して大上段から斬り付ける。腹部を縦に長く切り裂く。


「通った!行ける、このまま行けるぞ!」


先程まで難しい顔をしていたキャスパーの顔に笑みが溢れ、嬉しそうに輝く。

皆の顔にも希望の火が灯る。


「Grurururu……」


「蜘蛛の相手は私に任せろ!ティアネットはリザベルトへポーションを飲ませるんだ!」

「分かりました!すぐ戻ります、それまで無理はしないで下さい!」


大蜘蛛の攻撃を躱しながら続けざまに前後問わず脚を斬りつけていくキャスパー。


「そんな大降り、もう当たらん!」


「Fuuuuuーーー!」


興奮した様子を見せる大蜘蛛はその場で回転しながらあたり構わず糸を吐き出していく。


「リザベルト様、リザベルト様!」


ティアネットは倒れた彼女の頭を抱え、頬を叩くが一向に起きる様子がない。


一刻も早く飲ませないといけないのに……。こうなったら仕方ないよね。


ポーションの瓶を開封し、中身を口に含み、直接口移しで彼女に流し込む。


「お願い、効いて!」


祈るように呟く。


前世の知識の応用で傷口を清潔にするために瓶に残っている液体を直接かけて穢れを洗い流す。元々即効性の回復の効果をもつ液体。すぐにそれは効果を発揮し、傷口の出血が止まり、呼吸が安定してきたように見えた。


「これで大丈夫のはず……」


ティアネットは彼女を戦闘から少し離れたところへ引きずって行き、地面へ寝かせると、


「キャスパー様!今そっちへ戻ります!」


大蜘蛛との戦闘へ参加するため駆け出す。


「きゃっ!?」


戦場で可愛らしい声がした。

入り乱れ、足場が蜘蛛の巣で覆われる範囲が広がり動き辛くなる中、スリーズが思わず発した声だ。彼女の姿を探すと巣に足を取られ転倒していた。


キャスパーも気が付いて大蜘蛛の攻撃を躱しながら彼女の方へ駆け寄る。


「すまん!ティアネット、少しの間頼む!」

「はい!わかりましたッ!」

「スリーズ、少し我慢してくれ!」

「はい!」


そう言って彼女の足周りに張り付いている粘着質の糸を剣で切り裂き、足を思い切り引っ張る。


ねっとりした極細の糸を長く引きながらも、巣から引き剥がす事に成功する。


「スリーズ、今のうちに早く……」

「はい!」


彼女が身を翻し駆け出すと同時にティアネットが叫ぶ!


「キャスパー様、危ない!避けてッ!」


振り向き様に盾を構えようとするが、大蜘蛛は触肢の片方だけを器用に操りその先端の爪を盾にひっかけ、横に薙ぐ。その棍棒の様な太い触肢が生む怪力には抗えず、腕ごと弾かれガラ空きになったその刹那に、胴体へもう1本の鋭い触肢がキャスパーの腹部を鎧ごと貫く。


「そんな……!リザベルト様の防御魔法が貫かれた!?」


リザベルトが張っていた魔法障壁はとうに効果時間を過ぎ霧散していたのだった。


「スリーズ……。お前が……無事でよかっ……ゴフッ!」


大量の血を吐き出し、糸の切れた人形のように頭を垂らすキャスパー。

大蜘蛛は触肢で貫いた物を、まるでゴミのように雑に振るって投げ捨てる。


放物線を描き飛んだ身体が地面に着地すると一度跳ね、血をまき散らしながらゴロゴロと転がりやがて止まるが、もはやピクリとも動かない。


「キャスパー様ぁああッ!?嫌ぁああああああああああああああ!!」


「fap……riqa……riapc,ap……bcxfrstgs……kljidnas」


大蜘蛛が何やら呟くと足元に魔方陣が数個発生し、そこから迫り出すように十個程度の子牛ほどの大きさの卵が出現した。


悪い予感がする。


「スリーズ!サントノーレ!卵を狙って!」


「我は願う 水よ出でよ 水よ氷の針と化し 目の前の敵を貫き給え!」


狙い過たずに出現したばかりの卵に氷の針が突き刺さり、卵は黒い瘴気となって霧散、残りの氷の針がその瘴気の中を貫き、射線上にある別の卵を貫き霧散させる。


「我は願う 土よ出でよ 地より礫を飛ばし 眼前の敵を貫き給え」


地面に転がっている小石が次々と飛び、飛礫が当たった卵は黒い瘴気となって霧散する。


「スリーズ!早く!何してるの!?」


異界から召喚され存在が安定してしまった卵から順に頂点からメリメリと裂けていき、中からテラテラと光る体液を纏った子蜘蛛がずるり……と産声と共に卵から這い出してくる。


「「「「Pigyuaaaaa……!」」」」


只でさえ強力な大蜘蛛と新たに出現した7体の子蜘蛛。


スリーズが固まったまま動かない!?キャスパーがあんなことになったんだものショックを受けるのは仕方が無い!仕方が無いのは分かるけど、今は放心してる暇など無いのに!はっ!?私が彼の治療をすることが出来たなら!?


「ティアネット!今からあなたの所に行くわ!近くまで行ったらポーションを渡して!」

「わかりました!くッ!」


大蜘蛛の触肢の攻撃を受け流し、躱しながら返事をするティアネット。


タイミングを見計らい、ティアネットの方へ駆け寄る。


「ティアネット!」

「アルメリー様!」


彼女が投げたポーションを宙でキャッチする。勢いあまって地面を転がる。多少、打ち身や擦り傷ができるが気にしない。すぐさま起き上がり、キャスパーの方を向く。


数体の子蜘蛛が進路を塞いでいて、とても邪魔。


「あんた達、邪魔よッ!」

「我は願う 水よ出でよ 水よ氷の槍と化し 目の前の敵を貫き給え!」


二匹同時に貫きたいという思いから詠唱を「針」から長い「槍」に変更。イメージもそれに伴い変える。無から生まれた水が細長く伸び、私に近い根元から急速に氷結していき涼しそうな甲高い音をさせて氷の槍が完成する。


子蜘蛛を指さし、放つ!


勢いよく射出されたそれは、射線上の2匹の子蜘蛛を一気に貫通し、そのまま壁にぶつかり大きな音を立て穴を穿ち弾けた。


「初めてやったけど、出来た!はあっ、はあっ」


肩で息をする。今までより集中力と消費する魔力が大きかったため消耗も激しい。


息を軽く整えてから、倒した子蜘蛛の横を通り過ぎる。ピクピクと痙攣を起こしているがこちらへの反応は無い。


「fap……riqa……riapc,ap……bcxfrstgs……kljidnas」


「まずい、コイツまた召喚を!?」


後ろで焦る声がする。


「剣の光が!?フェーヴ様!魔法剣のかけ直しを!」

「私の魔力ももうあまり無いからね!?そんなに掛けれないわよ!頼むから早く倒してよねッ!?」


泣き言を言いつつフェーヴは魔法を唱えると、ティアネットの持つ剣が再び輝き、魔力が宿る。


子蜘蛛が数匹、倒れているキャスパーと私の進路へ邪魔をするように走り込んでくる。


「邪魔よ!」


確実に倒そうと氷の槍を放つが、角度が悪く一匹しか倒せなかった。残った子蜘蛛が襲いかかってくる。

それをなんとか捌いていると、子蜘蛛の攻撃が脇腹を掠める。

躱そうとして体勢を崩してしまい、転倒した衝撃で手に持っていたポーションを落としてしまう。幸い割れることは無かったが、彼が倒れている地点とは離れた方向へ転がっていってしまった。


「くっ!」


すぐに起き上がり、私はポーションを取りに行こうとした。


メリメリメリ……。


皮膚が裂けてめくれ上がるような音が聞こえてくる。

大蜘蛛が召喚した卵から無事に全ての子蜘蛛が出てきた。新たに生まれ出たのは五~六体のように見える。


「スリーズ!!」

「協力して!このままじゃキャスパー様の治療ができないわ!」

「……」

「……はっ、そうよね!彼、まだ助かる可能性があるのよね!?」


放心状態で涙をポロポロとこぼしていたスリーズの目に再び光が宿る。


彼女は立ち上がり、詠唱を唱える。


「我は願う 火よ出でよ 火球となりて 疾く走り 敵を燃やし給え!」


私の前を塞ぐ子蜘蛛に命中すると彼女はすぐに次の詠唱を始める。


「我は願う 火よ出でよ 火弾よ 疾く走り 敵を燃やせ!」


しかも、極度の集中が可能にしているのか、詠唱が唱える毎に少しずつ短くなっている。


「我は願う 出でよ火弾 疾走し 敵を燃やせッ!」


連続で三匹の子蜘蛛を燃やすスリーズ。


その隙に私は走り出し、燃えている子蜘蛛の脇を抜け地面に転がってるポーションの瓶を左手でキャッチする。


「来ないでー!ひゃああーッ!?」


大蜘蛛の向こう側で何か叫び声が上がり、その声に思わず足が止まる。



「フェーヴ!?」

「くっ、何これ……ね、眠い。この子蜘蛛……毒を持っている……わ。爪に気をつけ……」


そこまで言うと倒れた音がした。彼女はきっと子蜘蛛の即効性の麻酔を受けたのだ。それでも彼女は最後まで睡魔に抵抗し、警告を発してくれたのだ。


私は再び走り出し、何体かの子蜘蛛を右へ左へと躱し、彼の所まであと一歩の所まできた。


目の前で血を流し続けるキャスパーに意識を集中していたあまり、死角から飛び出してきた子蜘蛛に一瞬気付くのが遅れた。咄嗟に左手で身を庇うと、その腕に子蜘蛛が強く当たる。大型犬ほどの質量の衝撃を受け思わずポーションの瓶を手放してしまう。


「ああっ!?」


手から離れたその瓶は、まるでスローモーションのようにゆっくりと放物線を描いて地面に落ち、甲高い音を響かせ砕け散る。


飛び散った液体の何滴かはキャスパーの頬を濡らしたが、それはあまりにも少なく何の役にも立たなかった。


「瓶が割れた音がしたけど……え、うそ、嘘よね……?」

「ごめん、スリーズ……。飛び出してきた子蜘蛛に気がつかなかったッ……!」


顎をカチカチカチと鳴らし、まるで私をあざ笑ってるような子蜘蛛達に、はらわたが煮えくりかえる。


「Shyaa……!」


「うるさいッ!」

「水よ出でよ! 氷の針と化し 敵を貫けッ!!」


威嚇してきた子蜘蛛に向けて魔法を放つ。短剣ほどの氷の塊が子蜘蛛の頭部を穿ち、力ずくで黙らせる。


「……ぜー……ハー。そ、そこに誰か いるの か?……あ、明かりの魔法が 切れたのかな。暗くて、周りが 見えない......な。フェー ヴ……魔法で、明かりを 灯して くれ……」



駆け寄り、彼の頭を抱く。


「キャスパー様!お気を確かに!今、新しいポーションを持ってきます!」

「その 声は……。アルメリー か?ダメ……だ。今 それは、貴重な……ものだ。ゼー……。私に使っては いけない。ハー……自分の、事は自分で分かる。ハー……。それ に、もう、間に あ、合わない……」


彼はゴフッと強く咳き込むと大量の血を吐く。


「キャスパー様!そんなこと言わないで!諦めちゃ駄目よ!」

「入学当初に……そなたに 嫌われた私……だったが、ハー、ハー……最後には こうして……(いだ)かれて い、逝けるとは 人生……何がある か 分から…ない…もの、だな……」


ゴフッゴフッと軽く咳き込むキャスパー。


「これ以上喋らないで下さい、傷に障ります!」

「いいんだ わ、私の……ハー、代わり に スリーズ達や み、みんなを 守って……く れ……」


そこまで言うと、彼は息を引き取った。

私は手でそっと彼の瞼を閉じ、キャスパーの亡骸をそっと床に置く。


「アルメリー、キャスパー様は!?」


私はフルフルと首を振る。


「ああッ!何故!?どうしてこんな事にっ!?」


スリーズの目から涙が溢れ出す。


「うわぁああああああ!!」


彼女は泣きながら魔法を唱え、子蜘蛛を次々と燃やし倒していく。


しかし、数体倒した所で子蜘蛛の数は一向に減る気配が無い。

むしろ増えていっているような気さえする。


「くっ!おのれぇえ!!」

「スリーズ!そんな調子で魔法を使ってたら魔力がすぐに尽きてしまうわ!?」

「だったらどうしろと言うのよ!?数を減らさなきゃ、このままじゃ全滅するわよ!!」

「私はキャスパー様に頼まれたのよ!みんなを頼むって!!子蜘蛛を幾ら倒してもダメよ!大蜘蛛を倒さないと増え続けるだけだわ!」

「なによ!なによ!なによ!私が頼まれたかった......!最後の言葉を掛けて欲しかった!」


彼女の悲痛な叫びが空洞内に響き渡る。


「あーーっ!」

「ぐうッーーー!!」


そこに大蜘蛛を引きつけ戦っていた二人の叫び声が聞こえてきた。


「ティアネット?サントノーレ!?」


大蜘蛛に吹き飛ばされ床を転がる二人。


「大丈夫です、アルメリー様!まだ動けます!」

「そうだねー、なんとか耐えてるよー」


そうは言っても二人は肩で息をしている。限界は近いだろう。


大蜘蛛を攻撃して倒さなければ子蜘蛛は増える一方、でも目の前の子蜘蛛を倒して数を減らさないと接近され、いずれ攻撃を受けて眠らされて……。

『全滅』という二文字が頭にちらつく。


「こうなったら奥の手を……お父様、お許し下さい……!」


私が子蜘蛛に向けて魔法を放つ間に、スリーズが何か言った気がした。


「えっ!?スリーズ何か言った!?」

「何でも無いわ!」


サントノーレが攻撃を躱しそこね、ティアネットにぶつかり、大蜘蛛の大きく振りかぶった触肢の一閃で二人纏めて岩壁まで吹き飛ぶ。


「あッ!!」

「がはッ!!」


大蜘蛛は前脚を持ち上げ勝利の雄叫びをしているように見えた。

二人はなおも立ち上がろうとするが、叩き付けられた衝撃のダメージと体力の限界を迎え、そこで気を失い頭を垂れるように倒れ伏す。


「おのれ、おのれ、おのれッ!キャスパー様、フェーヴ、サントノーレ、ティアまでも!お前達だけは絶対許さない!」

「我は願う 火よ出でよ 火炎の波となりて 燎原を焼く火の如く 敵を燃やし給え!」


スリーズの足元に発生した炎の壁が津波の如く大蜘蛛に向けて押し寄せる。途中に居た子蜘蛛を数匹巻き込み燃やしながら炎の津波が大蜘蛛に達し、スリーズ側に向いている黒い体毛に覆われた後ろ脚の三本と腹部の一部が燃え上がる。


「Aguaaaaa……!!」


「凄いじゃない、スリーズ!範囲魔法なんていつ覚えたの!?今までなんで……スリーズ!?」


彼女の方を向くと、彼女は魔力を使いすぎたのか意識を失い無防備に倒れかけていた。


「女の子なのに顔に怪我したらどうするのよっ!」


全力疾走で彼女の元へ走り込み、倒れる寸前の彼女を抱きかかえる事に成功するが、意識の無い身体は重い!そのまま尻餅をつく形で地面に座り込み、彼女の顔を保護する事に成功した。


みんな倒れてしまった。

リザベルトは脚に大きな傷を受けて気を失い、キャスパーは腹に致命傷を受けて命を落とした。フェーヴは子蜘蛛の麻酔毒で昏倒、ティアネットとサントノーレは体力の限界を越え気絶。スリーズが気絶したのは多分、魔力の枯渇が原因だわ。


そっとスリーズの身体を地面に置き、私は立ち上がる。

退路は封じられ、大蜘蛛は健在、時間が経てば経つほど子蜘蛛が増えていく。活路の無いこんな状況で、残った私一人でどうしろと言うの……?もうダメかもしれない……。


だけど考えてる暇は無い!死にたくない一心から、大蜘蛛の動きを警戒しながらとにかく近づいてくる子蜘蛛に向けて魔法を唱える。


「水よ出でよ! 氷の針と化し……」


腕に痛みが走り、気が付いた時にはすでに遅かった。

正面の大蜘蛛と子蜘蛛達の動きに意識を集中しすぎて、視界が狭くなっていた。いつの間にか後ろへ回り込んだ子蜘蛛に腕を刺され、麻酔が注入された後だった。


頭がクラクラし、すぐに強烈な睡魔が襲ってきた。身体に力が入らず立っていられない。


膝を付き、前のめりに倒れる。


地面に横たわった私の背中の上に征服者の如く子蜘蛛が這登り、頭部を近づけ複眼で私の顔をのぞき込む。表情の無いその頭部がまるで笑っているようにみえた。


「Fuuuuu……」


私、こんなところで死ぬの……?ごめんねみんな……。


視界がゆっくりと閉じていき、意識が闇の中へ落ちていった。



             ◇



カサカサと何かが這い回る音がする。重い。何かが私の身体の上に乗っている。


ソレが動いたのか、身体が段々と軽くなる。


頭に靄がかかったように思考がぼんやりしている。頬に当たる冷たい感触……。


「う……。うぅん……」


右手に痛みが走る。


「痛ッ!?」


瞼がカッ!と見開かれる。


何よこれ?どういう状況?


そのまま勢いでガバッと上半身を起こす。


急に動いた獲物を警戒してか、子蜘蛛は少し後ずさって様子を見ている。


「はぁー。最悪の目覚めだわ……」


右手をちらりと見る。

囓られたところから少し出血があり、ポタポタと落ちる血が地面を点々と濡らしている。

自身の肌が傷つけられた事を知ると、瞳は怒りに燃え煌々と紅く光り、この傷をつけたであろう子蜘蛛を睨め付ける。


「痛いじゃないの、この下等生物ッ!私の肌を傷つけるなんて許せないわッ!」


立ち上がり、子蜘蛛にゆっくり近づいていく。

子蜘蛛は射竦められ、圧倒的強者のオーラに威圧され、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。彼女は子蜘蛛のそばまで来ると、その頭部を鷲掴みにして魔法を唱える。


「我が手に触れる器よ 器に満ち循環する力の源よ その循環する経路へ分路を開き 我にその力を流し捧げよ |精魔吸収《リネージ=アブソーション》」


「pygeee!」


「あはっ!さすが腐っても魔法生物ね。濃度が違うわ。あはははは!」


みるみるうちに子蜘蛛はしおれていく。


大蜘蛛とその周りに(はべ)る子蜘蛛を一瞥し、


「よくもまぁこんなに呼んだものね、呆れるわ。はぁ~気持ち悪い……」


吐き捨てるように言うと、干からびた子蜘蛛の頭部を掴んでいる手に力を込め一息に粉砕する。


「気持ち悪いのはさっさとお掃除したいところだけど……あら?」


見渡すと、人が地面に数人倒れている。


「さて、これはどういう状況かしら?……はあー。なるほど?さては試練か何かを科された学生さん達が、ここにそれを果たしに来てそれに失敗した……と言う所かしらね?学生さんにはコイツ達の相手は少し荷が重いわ。無茶ぶりもいいところよね」


ジリジリと子蜘蛛達が彼女を包囲しようと近づいてきている。


「倒れているのはあの子(ジュルネ)の友達かしら?見たことある顔がチラホラ……。掃除の邪魔だし、生き残ったのが私一人だと変に勘ぐられちゃうものね。だから特別に助けてあげるわ」


「我は願う 火の精霊よ 我が眼前の者達に火の加護を与え 我が火炎魔術から保護し給え |耐火加護結界《イグニフーゲ=ディバイン》」


倒れている子達それぞれに火炎魔法に対する保護結界が掛かる。


「gygyuuuuu!!」


包囲していた子蜘蛛から一匹が飛び掛かる。


軽く身を翻して躱し、


「ふふふ、残念ね。さぁ、お掃除開始よ!」


「我は命じる 炎の華よ出でよ 弾けて狂い咲け!|炎閃烈球《ヴァイッシュ=ラ・フェール》」


子供が膝を抱えた位の大きさの炎の球が彼女の前に二、三個生まれ、炎の渦を巻いて大蜘蛛と子蜘蛛の方へ放物線を描いて飛ぶ。高い天井の頂点近くまで飛び上がった火球は弾けてそれぞれの炎の球が大量の小さな子弾に別れ、シャワーの如く地面に降り注ぐ。

何かに当った子弾はそこで炸裂し、小さな爆発の連鎖がこの広い空間で連続して巻き起こる。


子弾の炸裂に巻き込まれた子蜘蛛は身体の至る所が円形に抉られ弾け飛び、原型を留めない死骸が彼方此方(あちこち)に転がった。

流石に大蜘蛛は魔法抵抗力が子蜘蛛より高いのか姿をそのまま維持していたが、身体の表面が広範囲に焦げて各所から煙が上がっていた。さらに大きな身体を支えるその脚は外殻の所々に亀裂が走り、動く度にどこからかピシッ、パキッと折損の音が聞こえ限界が近いのが見て取れた。


「あはー!子蜘蛛は綺麗に一掃できたわね。うふふ。それにしても、さすがに大蜘蛛(アレニエ グランド)はしぶといわね。でも、これならどう?」


両手を前に突き出す構えを取り、呪文を唱えながら精神集中をする。


「我は願い奉る 偉大なる四大精霊の一角 猛き尊き荒ぶる火焔の化身よ 御身のその力の一端を貸し与え給え 剣の形となりて精霊界より顕界し我が手に顕現し給え!火焔剣召喚(アンエペ=ヴォフラン)


突き出した両手の前の空間に炎でできた剣が顕現する。魔力の凝縮された刀身は灼熱したオレンジ色に光り、その刀身の周りを猛々しく炎が燃え続けている。その剣は両手剣ほどの長さがあり、その根元には柄が無い。だがそれは確かに手に連動して動き、手の中に確かに存在する感触がある。


彼女が手を薙ぎ払うように振るうと、その手の動きに合わせて、その手の延長上に追従するように炎の刃も動く。


彼女は跳躍して一気に距離を詰めると、先程までに比べ機動力が極端に低下した大蜘蛛の攻撃を難なく躱し、剣を高々と振り上げる。


振り上げた剣に膨大な炎が渦巻く。


「あはははははははははははッ!」


狂ったような笑い声をあげ、無慈悲に振り下ろす。


丸太のように太い脚が、剣の発する高熱により融解し、まるで熱いナイフでバターを切るように全く抵抗なく切断できてしまう。


一振り。

二振り。

三振り。


剣の一振り毎に脚が胴体から離れていく。一気に三本も脚を失った大蜘蛛の身体はバランスを崩し地響きを立て、地面に倒れる。


続けて触肢や前脚も勢い良く斬り飛ばし、徹底的に抵抗する術を奪う。


「Gyiiiiiaaahh!!!!」


大蜘蛛の叫びが、大広間に響く。


その叫びによって地面に倒れている一人が目を覚ます。


「う……うん……。あ……あれは……アルメリー……?」


「あはははははははは!どう?動けないのは?惨めよね~~?」


そのか細い声は笑い声にかき消され、誰にも聞かれることは無かった。


リザベルトが一瞬目を覚まして横たわったまま見たものは、原型を留めていない子蜘蛛だったであろう大量の死骸の山と、私達にとって圧倒的強者だった大蜘蛛がすでに脚と触肢を切り落とされ、地に伏し、アルメリーと同じ姿をしている者が炎の剣を持ち、たった一人で大蜘蛛を目の前にして嘲笑している所だった。その光景は異様でまるで現実味が無く感じられ、彼女はまたすぐに意識を失ってしまった。


先程まで大蜘蛛を見下し嘲笑していた彼女は、少し大蜘蛛から離れると火焔剣を一振りして召喚から解放する。火焔剣は虚空に美しい火花を舞い散らし霧散する。


「さぁ、止めよ。目障りなその姿、原型を留めないほどバラバラにしてあげるわ!」


片手を突き出し、呪文を唱える。


「我は願い奉る 猛き荒ぶる火焔の化身よ 我が眼前の敵を三重結界に封じ込め 力と熱の奔流を導き回転し振動させ滅ぼし給え!|超極波導火焔獄《フランヴァーグ=ローラスレンファー》!」


移動も出来ない大蜘蛛は簡単に光る三重の結界に閉じ込められる。最初は何事も無かったが次第にあちこちがボコボコと膨れだし、至る所から破裂を繰り返す。そして、その膨張は止まらずついには耐え切れず、大蜘蛛の体は内側から爆発四散した。


三重の結界が消滅し、先程まで鈍く発光していた地面の光が消える。


「……はぁ~……ちょっと張り切り過ぎたわね。魔力が……うっ……」


膝から崩れ落ち、倒れてしまう。


強力な魔法を使った反動で魔力不足に陥り、彼女もまた昏睡してしまったのだった。



             ◇




眩しい太陽が中天に昇る頃、魔導具を頼りに『フリュイ・ルージュ班』を日の出から出発し捜索していた教官達の救助隊が上流から川を下り、切り立った崖の岩に遙か上の高さから地面まで亀裂が入っている洞窟に到着する。

その亀裂は大人二人が縦に並んでも優に入れそうな高さまで開いていて、下の方に行くに従い幅が広くなっている。


「魔導具はこの奥を指しているな。彼女達はどこかで川に落ち、随分と流されていたのだな……」

「そうですね……」


何重にも重なっている幅1cm程の金色のリングの内、赤色の宝石がついたリングのみがその宝石をこの洞窟の奥へ向けて指し示している。他のリングの宝石は全て設営地の方角を指したままだ。


「エルヴィド主任!亀裂の先端を見て下さい!なにか刻印のようなものがあります!」


その亀裂の先端に、亀裂によって欠けているが、鋭利な爪で引掻いたような特殊な刻印が施されていた。


「う〜む。私には分からんな、後で専門家のバルナルド教授にここの現地調査をして貰えるよう頼んでくれ。君、後で教授の道案内を頼めるか?」

「分かりました!」


「主任、洞窟の入り口に焚き火の跡が!昨日は雨が激しく降っていたので、焚き火を熾すことは無理でした。なので、これは今朝方のものではないかと?」


捜索隊の隊員が口々に語り合う。


「今朝のものなら……」

「ああ、そうだな!きっと無事に違いない……!」


捜索隊に安堵の空気が広がる。


「皆、無事でいてくれよ……」

「そうですね主任……」

「二人ほど入り口に残り周囲を警戒、我々はこの中へ入り『フリュイ・ルージュ班』の捜索を開始する。状況開始!」

『はい!』


捜索隊は気を引き締め直し、亀裂の中へと入っていった。



             ◇



高い天井の一本道。捜索隊は用心しながら奥に進む。

道中何にも会う事なく、暫く進むと大きな空間に出る。


そこには巨大な原型を留めていないかつて何か(・・)だったものと、身体中が穿たれた大量の子蜘蛛の死骸があった。


「……これは一体どういうことだ!?」

「くそ!なんだこの臭いは!酷い有様だ……」

「こいつをあの子達だけでやったのか……!?」


捜索隊の隊員があまりの凄惨な光景につい、思いを漏らす。

だがすぐに思考を切り替え、生存者の捜索を開始する。


「生存者は居るのか?おい!誰か返事をしろ!」


捜索隊の隊員達はこの広間に駆け込み、捜索を開始する。


「こっちにはまだ息のある学生がいるぞ!」

「こっちにもだ!」


隊員達はすぐに岩壁や地面に倒れ血を流している『フリュイ・ルージュ班』の面々を見つけ、息があるのを確認すると歓声が上がる。


「くそっ!なんてことだッ……!」

「どうした?」

歓喜する隊員達の中で、一人の男は苦虫を噛み潰したように顔を歪めながら首をふっていた。


「彼はフリュイ・ルージュ班の下級生キャスパー・ドミニャス・グシャンです。他の班の男子学生達から羨ましがられてたので覚えていました。……すでに亡くなっています。見て下さい……腹部に刺突の跡が。大きな傷口が開いています……」


主任が駆け寄る。


「なんて事だ……!」


私の責任で引率してる「実技試験」で、生徒の中から死亡者を出してしまうとは……。


彼は膝から崩れ落ち、ガクリと項垂れる。


「主任、しっかりして下さい!他の子達は皆負傷しています。至急、治療と回復の指示を!彼は私にお任せ下さい。設営地まで丁重に運びます」

「わ、分かった……」


主任は指示を出すため、その場を離れる。


重傷と判断された者から順に回復魔法が掛けられ、担架で洞窟の外へ運び出されていく。




暫くして、洞窟の外では救助された『フリュイ・ルージュ班』の皆が目を覚まし始めていた。


「うっ……ここは?」

「あ、あれ……私……生きてる?」

「うぅ……頭が痛い……」

「あっ!皆さん目が覚めたんですね!」


ティアネットが起き上がった皆に声を掛ける。


スリーズはまだ眠っている。起きれば彼女は辛い現実と向き合わなければいけない。まだ……暫くこのまま寝させてあげよう。


「アルメリー様!無事だったんですね!よかった……!本当に良かった!」


私に気づいたティアネットは涙を流して喜ぶ。


リザベルトが右足を引きずりながらアルメリーに近づき、抱きしめる。


「ちょ、ちょっとリザベルト、大丈夫だから……」

「うん……貴女が無事で、よかった……本当に」


その様子を見ていた主任が私の肩に手を置く。


「私は、君たちの学年主任教官をやっているエルヴィドという者だ。捜索隊を率いてここまでやってきた。我々が来たからにはもう安心していい」

「捜索隊!私達を探しに来てくれたんですね!」

「私達が君たち学院の生徒を見捨てるわけが無いだろう!?それで……ここで何があったか我々は知りたいのだが、君達……話はできそうかね?無理そうなら、後でもかまわないが……」


少しの沈黙。


「えっと、はい……大丈夫です」


私はこれまでの経緯を包み隠さず全て話した。


「……そうか、話してくれてありがとう。キャスパー君の事は本当に残念だったね……。辛かっただろう。我々がもう少し早く来れていたら……」


「アルメリー……キャスパー様が……亡くなった、のは……本当!?」

「ええ、本当よ。スリーズを助けようとして……」

「私が……気絶した所為で……防御魔法を……彼に……張れなかった、から……」


彼女は苦虫を噛み潰したように顔を歪めながら、後悔の念に苛まれている。


「リザベルト、貴女も気を失うほどの酷い怪我だったのよ!?貴女の所為じゃないわ。そんなに自分を責めないで……」


すすり泣く彼女の頭を優しく抱き、彼女を落ち着かせる。


暫くして彼女へ声を掛ける。


「リサベルト、落ち着いた?」

「……うん。もう……大丈夫……」


周りを見渡す。キャスパーの身体が見あたらない。まさか!?あいつらに食べられて遺体すら残ってなかった!?


「すみません、キャスパー様の遺体はどちらに?もしかしてまだ中にあるんですか!?」

「君、なにか気になることでも?」

「エルヴィド主任!ま、魔法で彼を生き返らせたりとか、出来るんですよね!?」

「すまない。王国には死者を蘇生させられる高等神聖魔法を使える高位聖職者は一人もいないんだ……」


悲しそうにそう告げるエルヴィド主任。


『ゆめはる』には当たり前のように蘇生呪文があり、神聖魔法の使える子のレベルをあげれて覚えさせれば戦闘中も使えていた。

この世界がゲームじゃ無いと頭で分かっていても、心のどこかで回復魔法があるなら蘇生魔法も当然あるだろうし、無意識的にゲームと同じように(・・・・・・・・・)考え「教会」や「神殿」に行ってある程度の寄付をすれば簡単に死者を蘇生して貰えるのだろうと、高を括っていた。

だからチンピラが冒険者達に殺されても自業自得としか思わなかったし、キャスパーが大蜘蛛の攻撃を受けて死んだ時も、そこまで悲しくはならなかった。


『どうせ、魔法で生き返らせれるでしょう?』


……先程まで、愚かにも私はこう思っていたのだ。ああ、だから私はあの時あんなにも冷静に行動できたのね……。


ガックリと肩を落とす。


「ああ、話を戻すが、彼の遺体は我々が丁重に設営地へと一足先に送り届けている。心配しないでおくれ」


急に意気消沈し黙りこんでしまった私の代わりに、その後はティアネットが全て答えてくれた。


「分かりました。ありがとうございます」

「何か食べられそうか?よければ消化の良いものでも作らせよう」

「……はい、ありがとうございます」


その後、応急手当を受け、用意してくれたお粥のような軽い食事を済ませると皆、担架に載せられて設営地への帰路に就く。


「もう大丈夫ですって!自分の足であるけますよぅ!」


ティアネットは恥ずかしがって担架から降りようとするが、怪我人だからと教官達に説得され、渋々降りるのを諦めたのだった。


帰路の途中、設営地から捜索の第一拠点に設定された地点に立ち寄る。幌付の馬車をここまで持ってきていたらしく、私達は馬車の荷台へ乗り換えさせられ設営地へと向かった。その道中、意識の無い者を除き班のメンバーにもそれぞれ事情聴取が行われた。設営地へ戻るとすぐに救護天幕でしっかりとした治療を受けさせられたのだった。



             ◇



夕刻、救護天幕で深い眠りに落ちていたスリーズがやっと目を覚ました。


「……ここは?私は一体……」

「スリーズ!目が覚めたのね!」

「安心したわ。あなたずっと気を失っていたのよ」


班の皆が彼女を見守っていた。


「あの……私、どうしてここにいるのかしら?」

「覚えていないの?あの時、大蜘蛛に襲われて、キャスパー様が助けてくれたのよ。そして彼が貴方を庇ったの」

「はっ!?キャスパー様!キャスパー様はどこ!?」


掛けられていた毛布を跳ね上げ、横になっていた簡易ベッドから飛び起きるスリーズ。


「彼は……キャスパーは……残念……だけど、もう……この世には……」

「嘘ッ……!そんなっ……!」


リザベルトの言葉を聞いて崩れ落ちるように肩を落とし、その場に座り込む。


スリーズはぶつぶつと何かを呟いている……と思ったら不意に怒りの籠もった眼で私を睨み付けてきて私の服の襟を掴み、


「……あなたのせいよ!あなたがポーションをしっかり握っていたら、落とすこともなかった!キャスパー様に飲んで貰えたのよ!そうすれば彼が死ぬことも無かった!間に合っていたのよッ!」

「ごめんなさい、スリーズ……私……」

「あなたの顔なんて見たくない!うぁああああああああああああ!!」


彼女は私の襟を離し泣き崩れる。

フェーヴとサントノーレはスリーズの背中を撫でながら慰めるのだった。


私は彼女のその様子にいたたまれなくなり救護天幕を離れた。

追い掛けてきたティアネットが話しかけてくる。


「アルメリー様……大丈夫ですか?」

「ティアネット……」

ティアネットは私の手を握り、励ましてくれる。

「だって、仕方ないですよ!あれは不可抗力です。みんな手一杯で、アルメリー様はキャスパー様を助けようと一生懸命頑張りましたよ!」

「でも……結局助けられなかったッ!」


あとから追いついてきたリザベルトが後ろから私を優しく抱き、自身の後悔の念を語る。


「……それを言ったら……私だって……彼を、護れなかった。……守りの要の……私が、気絶して……なければ……」


リザベルトが気絶する原因も結局、私の判断ミスだ。大蜘蛛から少し離れてから詠唱を唱えればよかったのに、調子にのってあそこで魔法を連発しようと思わなければ……。


「う、うわぁあああああああ……!」


涙が止め処なく溢れる。


キャスパー。最初に会った時は傲慢で人を見下したような嫌なヤツだったわ……スリーズと付き合うことになって性格の角が少しとれて、実技試験で一緒の班になった。……大蜘蛛との戦いでは的確な指示を出してちょっと頼りになるところがあって、いつの間にか信頼できる仲間になっていた。


そして、今日。

キャスパーが亡くなった。


リザベルトに慰められひとしきり泣くと、背後で足音がした。

振り向くとそこにスリーズ達が立っていた。


「貴女が泣いているところなんて初めてみたわ。貴女は人の死にも涙を流さない冷血な人かと思っていたのだけど、キャスパー様のために泣いてくれたのね……。さっきはあんな酷いこと言ってごめんなさい……」

「スリーズ……?」

「あの時は、貴女も一生懸命だった。それは分かってるのに……!」


彼女は言葉を詰まらせる。


「愛しい人を失ったこの悲しみを!怒りを!誰かにぶつけたかった!……っ貴女は!彼が死んでも涙一つこぼさなかった!だから……!だからっ!」

「うん。分かってる。ごめんね……」

「……私がもっと強ければ……いえ、強くならなければいけない!これから先、私の周りの誰も失わないように!どんな敵を前にしても打ち砕ける程に!」

「私も同じ気持ち。強くなりたい」


その後、私達は誓いあった。


『強くなる。大切なものを守れるように!』と。



             ◇



その後、トラブルも無くおおむね予定通り全ての下級生のグループが実技試験を終了した。だが、後日行われた各班や個人評価を決める教官会議は大紛糾した。


「エルヴィド主任、報告書は読ませて頂きました」

「はっ!」

「実技試験の期間中、他の班に比べ魔物の討伐数が圧倒的に多いのは『フリュイ・ルージュ班』ですね。討伐数だけを見れば『S』評価ですが……この聞き取り調査報告、どうにも要領を得ないですねえ。ですが興味深いのが彼らの聞き取り調査の中に出てきた『アレニエ グランド』です。冒険者ギルドにも問い合わせて見ましたが、なにせあの死骸の数です。(フェール)級冒険者パーティでも苦戦すると聞きました。それに滅多に出会うことはない魔物らしいですね」

「複数の教官が『アレニエ グランド』だったであろう残骸と、およそ三十体を越えるだろう子蜘蛛の死骸は確認しています」

「だった?およそ?とはどういうことかね?」

「内部から爆発四散したような形跡がありまったく原型を留めておらず、また近くに斬り口が高温で切断された丸太のような太い後ろ脚が数本残っていましたのでそう判断いたしました。また子蜘蛛の多くも弾け飛び、原型を留めていないため、原型を留めている死骸を元におおよその数を算出しました」

「彼女達の証言によると大蜘蛛にも多少手傷を負わせて、子蜘蛛もある程度の数は倒してるそうですが……全員、戦闘中に気絶したと報告書にあります」

「教官達が捜索隊を組み、現場に到着した時にはすでに蜘蛛は全滅しており、彼女達も全員気絶していたと。さて、一体誰が倒したのでしょうね?」

「それに、何故あの場所に『アレニエ グランド』が居たかも気になります」

「うむ、誰か心当たりのある者はいるか?」


学院長、教頭、理事、教官達は互いに顔を見合わせる。


「いや、私には皆目検討もつきませんな……」

「うーん、誰かが意図的に配置したとか?」

「そんな馬鹿な!(フェール)級冒険者達でも苦戦するような魔物だぞ?誰がそんな事出来るというのだね!?」

「それは……分かりませんが……」

「では、たまたま遭遇してしまったというのか……?しかも全滅させているだと?」

「死骸という証拠が残っている以上、『フリュイ・ルージュ班』が倒してしまったと考えるのが妥当では?」

「ははは、まさか。ありえないですよ。下級生の前期の実技試験ですよ?もし仮にそうだとしたら我々では到底及びつかない実力の持ち主があの班の中に隠れていると言うことになります」

「君、それは誰だと思うかね?最後に気絶したとされるアルメリー君かな?」

「彼女の得意な属性は水系、しかも氷です。子蜘蛛の多くは焼けた跡や炸裂痕があり、大蜘蛛に至っては内側から爆発四散しているのです。氷系の魔法でできる芸当ではありません」

「では班唯一の火属性が得意なスリーズ君かね?」

「下級生の前期の実技試験までに授業で教えられる魔法は全て下級魔法であり、習得できるものの中に炸裂や爆発系のものは無く、あり得ません」

「ふ~む……」

「それに実技試験中、死者がでるなど前代未聞ですぞ?それもよりによって貴族の子息ですぞ?貴族の皆様方に対して報告するために試験の安全面に関し早急に対策の方針を決めて貰いませんと」

「責任の所在はどうするのかね?下手を打つと貴族の方々の学院対する不信感が……ひいては国への不信……」

「ふぅ……この件は上に報告し判断を委ねましょう。高度な政治的判断が求められますので一旦保留にしておきましょう」

「そうだな。まずは『フリュイ・ルージュ班』の子達をどうするか決めねば……」

「いっその事、彼女らを英雄として祭り上げてはどうだろうか?」

「……まぁ、まちたまえ諸君。彼らに関してはこちらで色々と対応を考えねばなるまい。主任、報告ご苦労だった。下がりたまえ」

「はい。失礼します」


「では次の議題に移ります。現場に刻まれていた特殊な刻印ですがバルナルド教授の調査によると……」


扉の前でエルヴィドは敬礼をして会議室を後にした。

廊下の天井を見上げ、深くため息をつく。


まさか、本当に彼女達がやったのだろうか……?彼女達が(フェール)級冒険者パーティに匹敵する実力を?いや、そんなはずはない。下級生、しかも前期の授業しか受けてない子たちだぞ?普通に考えれば、全滅するのは彼女達の方だ。


考えられるのは彼女達が全員気絶して戦闘不能に陥った後、実力をもった何者かが颯爽と登場して魔物を全て倒し、我々が到着するまでに立ち去った、そんな可能性はあるだろうか?

学院の教官の誰かが助けに?いや……あそこは実技試験の範囲から大幅に外れていた場所だぞ?行くわけが無い。

偶然通りがかった誰かが駆けつける?周辺に集落もないのに偶然通りがかるなど、それこそ天文学的確率でしかない。それもあり得ない……。


主任は堂々巡りになっている自分の考えを振り払うように首を横に振り、早足で自分の仕事場へと向かうのだった。



             ◇



下級生が大講堂に集められる。壇上の学院長から皆に実技試験中キャスパーが亡くなったことが皆に伝えられた。亡骸を納めた棺はドミニャス家のグシャン領へと戻り、そこで盛大な葬儀が行われるらしい。

学院と子爵家とは示談が成立した事と、またこの件で責任を取り、学年主任のエルヴィド教官が更迭されたと一連の結果報告が皆に知らされた。


皆一様に神妙な面持ちで、中には悲痛な表情でうつむく者や、泣き出す者がいた。


学院長の長い話が終わると、教官達から大講堂の外へ整列するように言われ、学級毎に整列する。並び終わると、キャスパーの亡骸が入った棺が私達の前を馬車に引かれゆっくりと通過してゆく。


私はキャスパーの棺を見つめ、彼の冥福を祈り見送る。


まわりから女子生徒のすすり泣きが聞こえる。


スリーズを見た。彼女も両目に涙を溜めてじっと棺を見つめている。

彼女は、ただ無言で拳を強く握りしめていた。


私達は教官の指示に従い、黙祷を行う。


こうして、私達の初めての実技試験は終わったのだった。



             ◇



翌日。学級でのホームルームで教官からの連絡事項があった。


「えー、今回の実技試験に於いて、教官会議で『フリュイ・ルージュ班』が今回の試験において特に優秀な成績を収めた為、教官会議から表彰状が出ている。何でも、魔物討伐数が圧倒的に多かったそうだ。アルメリー、サントノーレ、スリーズ、フェーヴ。以上名前を呼ばれた者は前に出てきたまえ」


スリーズ、フェーヴ、サントノーレ、そして私が教壇の前に並ぶ。


「えー、『フリュイ・ルージュ班』は実技試験中にキャスパー君という不幸があったが、班を組んだ皆にはそれを乗り越えて前に進んでいって欲しい」


教官は一度軽く咳をした。


「班を組んだ他の学級の子にも今頃表彰状が出ているはずだ。安心したまえ。では表彰状を授与する!」

「謹んでお受け取りします」


教官から表彰状が班長から順に一人ずつ渡されていく。


「ありがとうございました」


学級委員が立ち上がり号令をかける。


「みんな、彼女達に盛大に拍手を!」


学級の生徒は万雷の拍手を私達に送った。


「よし。各自席に戻ってくれたまえ」


皆で揃ってカーテシーをして自分の席へ戻ると、少しして予鈴の鐘の音が聞こえてきた。


「では次の授業、教室移動があるものは遅れないように!」


日直が気のない号令を掛ける。


「起立~、礼~、着席」


教官が教室から退室するとスリーズ、フェーヴ、サントノーレの周りに学級の生徒達が集まる。

そっちにいくのは無理だと悟った前後左右の席の二、三人の女子生徒が好奇心を抑えられないのか、手のひらを返したように私の周りに集まる。


「ちょっとあなた凄いじゃない!」

「ねー、表彰状見せて!」

「一体実技試験で何をしたの?教えて!?」


休憩時間中、私はずっと質問攻めに合うのだった。








放課後。テオドルフが紙の束の書類を小脇に抱え生徒会室のドアを勢い良く開ける。


「兄貴!試験結果が出たぞ!早速、職員室から推薦状をもらってきたぜ!」

「テオドルフ、もう少し落ち着いて優雅にできないか?」

「そんなことより、これ兄貴も気になるだろう?ほらよ!」


テオドルフはそう言って書類を叩いて見せ、アルベールに渡す。


「ふむ……やはり予想通りだな」

アルベールは推薦状をパラパラと見て満足げに微笑んだ。


「私、お茶を入れてきますね~」

「ああ、たのむ」


エルネットは席を立ち、部屋の奥にある給湯室へトコトコと歩いてゆく。


暫くしてスイーツとお茶が入り、紅茶の良い香りが部屋に漂う。執務机に推薦状の紙束を置き、先程とは違い一枚ずつ値踏みしながら見ていくアルベール。

「ふぅ……なかなか興味深い」

「私にも早く見せて欲しいですわ~」

「ぼくもです!」

「ほう、これはこれは。例の彼女、推薦状がきているぞテオドルフ。……エルネット。勉強会ご苦労だった。世話になったな」

「私は仕事をしただけですわ〜。報酬もちゃんともらってますし~」


推薦状の紙束を見終わったアルベールはセドリックに紙の束を渡し、


「セドリック、一応目を通しておいてくれ。見終わったら隣へ渡してくれ」

「了解した」


「さらに、別紙でも教官会議からの推薦状が来ている。実技試験でも彼女の所属してた『フリュイ・ルージュ班』の魔物討伐数は他の班に比べ圧倒的だったそうだ。潜在的な戦闘の才能がずば抜けて高く、伸び代もあると教官会議では期待されているようだ。これなら誰からも文句はないだろう」


そこへランセリアが悲しそうに添える。


「ただ、その班から実技試験で唯一の犠牲者が出たのは悲しい出来事でした……」

「ああ、そうだな……。その件ではその子爵家に多額の見舞金の支払いがなされる事で話がついたそうだ。学院としては責任を取るためとはいえ、優秀な主任教官の更迭は痛いだろうな。また、次回からは実技試験については安全面から王都近郊で行ってはどうか?という話も出ているらしい」

「それなら安心ですね~」

「来年からつまらなくなりそうだな。今年の実技試験が遺跡探索でよかったぜ」

「まだ決まったわけではないぞ?」


そこからは実技試験についての感想や改善点の提案等、試験に関する会話が弾む。


暫くして皆が一通り紙束に目を通し終わると、アルベールが宣言する。


「では、さっそく生徒会役員に追加メンバーを選抜しようと思う。諸君、忌憚ない意見を聞かせてくれたまえ」


テオドルフは椅子に座って脚を組み、ニヤリと笑う。


「フェルロッテ!アルメリーが筆記試験で実力で生徒会に入る資格をもぎ取ったぜ!」

「まぁ、本当ですの!?それはとても喜ばしいですわ!」

「セドリック卿!そなたの婚約者の推薦状もあるぞ!」

「それは嬉しいですね」

「セドリック~、そこはもっと嬉しそうにしろよ-!このこのっ!」


そういってテオドルフはセドリックの背中をバンバンと叩く。


「彼女は元々聡明だ。今回の試験で、ようやく本来の実力を発揮出来ただけだろう」

「一緒に勉強会にきていたティアネットさんの推薦状はないみたいですね」

「おっ、マルストン。どうしたその子の事が気になるのか?」

「いえ、そんなことはないですよっ!あの子、アルメリーさんに凄くなついていたので、一緒にいられる時間が減るだろうからさみしいかなーと」

「はははっ!確かにそうだな!」


それぞれが採用したい人材の意見を述べ、セドリックが皆の意見を記述して纏めたものをアルベールに渡す。

教官会議からテオドルフに渡された二十数枚の推薦状の紙束の中から選ばれたのは、品行方正で成績上位の者、魔術の成績が良い者、剣の成績が良い者、特化した才能を持つ者、そしてアルメリーとリザベルトを含む約半数。アルベールが選ばれた推薦状に採用の判を押す。辞退する者がいる可能性を考慮し、残りの推薦状は保留とされ後日改めて検討される。


「エルネット、採用者の入っている寮へ通知を出してくれないか。テオドルフ、職員室へこの判を押した推薦書を届けてくれ」


アルベールは立ち上がり窓の外を眺めながら呟く。その横顔はどこか楽しげであった。



             ◇



寮に戻ると寮長から話があると呼び止められた。「この後、寮長室へ来るように」と。


あれ?私なんかやっちゃったっけ……?


ビクビクしながら寮長についていき、寮長室に入ると大人しくドアを閉めた。


寮長が執務机を周り着席すると、引き出しから手紙の封筒を取り出し、机の上に置く。


「あなたに渡す物があります」


その手紙に手をのせ、こちらへ差し出す。

よく見ると手紙には蝋で生徒会の刻印の封がしてあった。


寮長は引き出しからペーパーナイフを取り出し私に向けて差し出す。


「あの、これは……?」

「開けてご覧なさい」

「は、はぁ……?」

「筆記試験、実技試験が終わったこの時期に、生徒会からのお手紙……。見なくても中身はだいたい想像がつきますが……なんと書いてありますか?」


「えっと……『アルメリー・キャメリア・ベルフォール様。我々生徒会は、あなたを生徒会の役員に任命したいと思っています。了承の意志がある場合は、この推薦状へ署名をして生徒会へお持ち下さい。我々はあなたの生徒会への参加を心よりお待ちしています』と書かれています」


寮長は満面の笑みを浮かべている。


「おめでとう!アルメリーさん。この寮から生徒会へ入る生徒が出るなんて数年ぶりの名誉な事です。……もちろんあなたが嫌なら断ることも出来ますが。どうしますか?」

「はい、是非お受けしたいと思います!」


私は笑顔で答えた。


「とてもいいお返事ですねアルメリーさん。これからも、精進してがんばるのですよ。私の話は以上です」

「はい!ありがとうございました!」


受け取った書類を大切に鞄に入れ、寮長室から退出する。


やったわ!とうとう私、正式に生徒会へ入れるわ!


足取りも軽く、私は飛ぶような気持ちでアンの待つ自室へ帰るのだった。




             ◇




大蜘蛛との戦闘があった広い空間よりさらに奥。大蜘蛛が塞いでいた通路を暫く進むと幾つかの分岐路があり、そのほとんどの通路が外へ向かうように誘導されている。

その分岐の開始点に幻影魔法で秘匿された部屋があり、そこに石造りの棺が一つ安置されていた。

分厚い棺の蓋は数百年分の埃と共にすでに床に落ち、中身を晒している。

棺の中にあったものは特大の雄牛ほどもあろうかという巨大な蝉の抜け殻……いやどのような虫にも当てはまらぬ異形の形をした蟲の抜け殻のようなものであった。


部屋中に群生しているヒカリゴケが僅かな光を発し、辛うじて部屋の中の様子がわかる。


「……」


部屋の中央に立つ一人の男。全身が黒ずくめの服装で身を包み、腰に二振りの短剣を携えている。男は腕を組み、ただ静かに佇んでいる。その表情は仮面により見えないが、無言の空気を醸し出している事から感情が読み取りにくい印象を与える。


「……」


男が一歩前に進むと同時に、足元の影がざわめくように揺れ動く。


コツッ……


男の足音だけが薄暗い室内に響く。その音が鳴り止むとまた沈黙の時間が訪れる。


コキッ、コキッと首を鳴らす。その動きは人というにはやや違和感があり、どちらかといえば昆虫に近かった。


手を開いたり閉じたりして感触を確かめる。

再び歩き出し、今度は壁に手をつく。そして勢いよく拳を突き出した。ドンッと大きな音をたてて衝撃が走ると、壁一面に亀裂が走る。


「……ふっ!」


今度は右足を上げ壁を思い切り蹴り上げる。固い岩壁だが蹴られた部分が粉々に破壊され破片となって崩れ落ちる。


大きく深呼吸する。そしてゆっくりと目を閉じ、次に開いた時、彼の瞳は赤く輝いていた。


「我が目覚メタというコトは、我の棺を護るタメに配置シた『アレニエ グランド』が倒サレた、というコトか……」


男は一人呟く。


「長き眠りにヨリ、勇者に受ケた傷は癒えタ。新しい肉体に躯も造り変えタ。しかしマダだ。目覚メタばかり。我の力はまだ覚醒にはホド遠い。最盛期とは比ぶベクもない……」


コツッ……コツッ……コツッ……


男は踵を返し、その部屋からさらに奥へと通じる通路へと進む。通路に男の足音が暫く響き、やがて巨大な門の前に到着する。


「tadanf papira kuraxcspei cdarfamyp nltdf……」


男は呪文を唱えると封印が解け、その門は自らゆっくりと開いていく。


その中は建物が五、六軒は軽く建ち並びそうな程広く、壁は岩肌がむき出しになっており、弧を描いている。天井にいたっては見えないほど遙か上の方にあり、先は只闇があるのみ。

中央には巨大な黒い繭が鎮座し、その周りには巨大な昆虫を象った異形の像の残骸がちらばっていた。遙かな高みから落ちてきた巨大像が衝突したというのに黒い繭には傷一つ無い。

男が黒い繭に触れるとそれは喜ぶかの如く『ドクン!』と鼓動すると共に、膨大な魔力を噴出させ、溢れ出る魔力が雷と化しバチバチとまゆの表面を迸りながら背後の壁を伝い天井へ駆けぬけてゆく。


男はそれを見上げた。


「今しばらく、眠ってオケ……。我が半身ヨ……。まだ魔王は復活シナイ。お前は目覚めずとも構ワヌ……。我が……我の力を完全ニ覚醒させルまで、その殻の中で安ラかに眠っているガイい……」


そう言い残して男は暗闇へと姿を消した。



             ◇



エルミーユが大神殿の礼拝所で日課の祈りを祭壇にある女神の像の前で捧げていると、不意に全身の血が冷えわたるような不気味さに襲われた。


「何!?」


慌てて周囲を確認するが何も異変は無い。見習いや他の神官は何事もなかったかのようにそれぞれの日課をこなしている。


……気のせいかしら? しかしその後も時折寒気が身体を走る。


「一体なんなの……?」


大神殿の外は晴れ渡っていて日差しが強く、少し体を動かすだけで汗ばむほどである。


疑問に思いながらも日々の勤めを果たすため、祈ることに専念する。


「天に坐まします我らが守護神、大地の女神テラ・メーラよ、我が祈りを聞き届け給え。この世界に光と共に貴女の加護を与え、地上に生きる皆に大地の恵みと祝福を与え給え……」


これは何か悪い事の予兆だろうか?不安に胸が掻き毟られる。


この予感は誰かに相談した方がいいのだろうか?でも誰に?考えれば考えるほど、不安が増していくようだった。


―――その時だった。

突然目の前が真っ暗になり意識が遠くなっていく。

薄れゆく視界に映るテラ・メーラのステンドグラス。


「せ、聖女様!?」

「エルミーユ様!?」


祈りの日課中に突然倒れ、意識を失った「聖女」の周りに人々が急ぎ集まってこようとしている。


一筋の光がエルミーユの身体を包み込み、駆け寄ろうとした見習いや神官の動きがそのままの状態で静止し、全てのものが動きを止めると辺りが静寂に包まれる。


「エルミーユ……」

「起きなさい、エルミーユ……。私に祈りを捧げる乙女、私の愛し子よ……」

「う……うん?」


そこには光り輝く衣に身を纏った神々しく美しい女性の姿があった。


「私は、『命、豊穣』を司る母なる大地の女神テラ・メーラ……エルミーユ……私の愛し子よ……」

「女神テラ・メーラ様!?あ、あれ!?ひゃっ?私、裸!?え?私の身体が透けて……?」


一糸まとわぬ己の身の恥ずかしさに顔を赤らめながら、自分の身体が透けて見える状況に追いつけないエルミーユ。


穏やかな微笑みを浮かべ彼女を見守る女神テラ・メーラ。やがて彼女が落ち着くと、また話を始める。


「よいですか……先程あなたが感じたものの正体……。それは魔王の眷属の一柱、第六の大甲虫『スカラビー・ガント=シジエム』の覚醒、あなたはその邪悪な気配を感じ取ったのです……」


驚きに目を見開きつつも、女神の言葉を真剣に聞き入る。


「彼のものが本来の力を覚醒すれば、たとえ一国の軍隊の力を持ってしても止める事は難しいでしょう……。我が愛し子よ……このことを民に告げ、彼のものに備えるのです……力あるものを導き、育てるのです……。そしてあなた自身も強くなりなさい……かつて魔王を倒し、封じた勇者一行のように……」

「はい!」


女神に託された使命に決意を固め、力強く返事をする。


「……私の使命を受け入れたあなたには、私から『祝福』を授けましょう……」


天からゆっくりと回転する二つの光輪に囲まれた光輝く玉のようなモノがゆっくりと降りてくる。それは私の身体に触れると水面に落ちた水滴のように波紋を広げ、溶けるように広がり私の中に浸透し一体化する。


「これは……?」


「あなたの魂との間に絆を繋げました。これにより今までと比べ、私の力を根源とする奇跡の多くが使えるようになりました……。あなた自身が強くなれば、さらなる奇跡の行使も可能となることでしょう……」

「ありがとうございます。これでより多くの人々を助けることが出来ます」

「それでは、また会えるときを楽しみにしています……私の愛し子よ……」


女神の優しい笑顔に見守られながら、次第に意識は遠退いていく……。




「……!……様!……さい!」

「大丈夫ですか!?」

「エルミーユ様!目を開けて下さい!」


周りの人々の声が段々と明確に聞こえてくる。


「……うぅん…………あれ……ここは……何処……?……わ、私は確か……」

「聖女様!大丈夫ですか!?」

「おい、エルミーユ様が気がつかれたぞ!」


呆然としていた彼女だったが、やがてしっかりとした足取りで立ち上がる。


「担架だ!誰か担架を持ってこい!」

「いえ、もう大丈夫です。一人で歩けますから……」

「ですが……」


周りの者は今だ心配そうな目で見つめているが、私は女神に託された使命に決意を固め、颯爽と歩き出すのだった。

第一部 -完-


ここまで読んで頂きありがとうございました。

ご意見、ご感想とかあればよろしくお願いします。

二部もよろしくお願いします。

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