接点
学院の敷地は広く、大講堂から宿舎までは並木道がつづいている。青々とした葉が日差しを柔らかく遮って道行く生徒に快適さを与えてくれている。宿舎は大講堂や校舎から少し離れた所に建てられていた。
ここには学生全員を入居させるため宿舎が数棟建っている。一棟一棟が部屋数に余裕を持たせた数階建ての石造りのしっかりとした建造物になっており宿舎という響きから想像するものよりぱっと見、砦のようにも見える。
「今日からここで生活するのね……」
今朝の学院まで登校の道中、馬車の中でアンから教わった宿舎を確認し、新しい住居に期待と不安を胸に建物に入る。
中に入ると無骨な外見とは裏腹に「ここは高級ホテルかなにか?」と思うような内装が施されていた。入り口のロビーは開放的で吹き抜けになっている。見上げるとかなり大きめな天窓があり、そこから採光されて室内とは思えないほど明るい。
床にはほぼ同じ大きさの四角形にカットされた鏡のように磨きぬかれた綺麗な石材がタイル状に敷き詰められており、ロビーから連なる左右の廊下の壁には各部屋の扉、彫刻、燭台、花や植物などが活けてある花瓶が台座と共に等間隔で配置されている。
ロビーにある椅子から、一人の女性が立ち上がり近づいてくる。茶髪で眼鏡を掛けた30代だと思われる顔つき、地味な色の飾り気の無いドレスを身に纏ったふくよかで背の高い女性が尋ねてくる。
「今日からこちらへ入居する新入生ね?私はここの寮長をやっているコレットと申します。貴女のお名前を教えて貰ってもいいかしら?」
「アルメリー・キャメリア・ベルフォールです。お世話になります。よろしくお願いします」
彼女は手に持ったリストをめくり始める。すぐに該当したのか「あなたは……、三階の三○三号室ね」と教えてくれた。
正面には大きな階段が伸び、一階と二階の途中に踊り場が設けてあり、踊り場の中央にはザール王国の国旗を象ったタペストリーが堂々と飾られている。
そこから左右に分かれて二階まで階段が繋がっている。そのまま二階まで上がれば各部屋へと通じる通路とさらに三階へ行くための階段が上へと伸びている。
私は階段を上がり三階の自分に用意された部屋へ向かう。
部屋の番号を確認し、ドアをあける。
私は「あっ!?」っと驚いてしまった。なんと、部屋の中にメイドのアンがいたのだ。
「入学式お疲れ様でした。お嬢様」
軽く会釈をしてこちらを労ってくれる。
「アン!?どうしてここにいるの?今朝は馬車で一緒に出発したけど、てっきりアンはそのまま屋敷に帰ったと思ってたのに……」
ここにいるとは想定外だったのでつい疑問が口から飛び出してしまう。
「奥様からこちらへ行くようにと、仰せつかっていました。規則によって貴族の身分の方ならば身の回りのお世話をする専属の侍女または執事を一人連れて行くことが認められておりますので」
アンを遣わせてくれるなんて……お母様、ありがとうございます。慣れない世界で「自活しろ」といわれたら途方に暮れるところでした……。
部屋を軽く見回す。中央の部屋は十分に広く、左右に部屋が各1つあるみたい。
壁紙はクリーム色で淡く幾何学模様が入っている。床はフローリングで、家具はここで生活するのに必要なものと来客を想定したものまで一式揃っている。
「アン、ここにある家具はウチで持ち込んだものばかり?」
「左様でございます。どれも旦那様が選ばれ新しく購入された物と伺ってます。ああ見えて旦那様はなかなかの目利きですから」
そうなんだ、あの人にそんな以外な一面が。
中央の部屋から窓を開けるとベランダに出られるようになっており、そこから見下ろすと中庭が見渡せる。ベランダにはお洒落なテーブルと椅子が数脚。天気の良い日にはここでティータイムでもすれば気持ちよさそうな気がする。
私には十分すぎるぐらいとっても良い部屋だわ。自室に感激していると急にお腹が鳴り空腹を訴えてくる。恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になる。
「お嬢様、何か食べるものをご用意いたします。それとお茶を煎れるためお湯を食堂から分けて貰ってきますので、少々お待ち下さいませ」
そう答えるとアンは隣の部屋からお盆にケトルを乗せそれを持って部屋から出て行ったのだった。
特にする事もないのでソファーに座りこむ。ぼーっとしているとウトウトしていつの間にか眠りに落ちていた。
「お嬢様、ご用意ができました」
アンに呼ばれる声で目が覚める。
テーブルの上には彼女の用意してくれたティーセットと添えられたお皿に数種類のクッキーが何枚か載っており、飲み物には芳醇な香りが漂う紅茶が用意されていた。
クッキーを少し囓る。あ、これはおいしいわ。サクサクサク……。
何枚か食べたところで、アンがお菓子にまったく手をつけてないのに気付く。
「アンも一緒に食べましょうよ。ね?」
「ありがとうございますお嬢様。では、少々頂きますね」
クッキーを頂きつつ、アンと入学式のことや生徒会のメンバーについて取り留めの無いお喋りをする。
お皿に載せられていたクッキーも空になり、特にやることもなくゆったりとした時間が流れていく。
暇だなぁ……。これでTVやインターネットがあれば時間が潰せるのだけど、残念ながらこの世界にそんな便利なモノは無いのよね。
「アン~。ひ~ま~。何か無ぃ~?」
アンが何でもしてくれるのでつい甘えた声がでてしまう。
「お嬢様、先ほどから気になっていたのですが、しゃべり方や立ち振る舞いが貴族として相応しくないように思えます。私と二人きりの場合はそれでも良いのですが、明日からは他の方々の目もあります。お嬢様はまだ記憶があまりお戻りになっていないようですので、もしよければ最低限の範囲で良ければご指導いたしますが、どうなさいますか?」
「ありがとうアン!私、実は不安だったのよ。是非お願いするわ!」
……そうだった。二人きりだったので油断していた。私は普通の家庭に生まれ育った一般人だし、なにも知らないのに令嬢の振る舞いができるわけなかった!アンの提案がなければ、明日クラスで大恥をかく所だったかもしれない。今度なにかアンに恩返しをしなければ、と心に決めたのだった。
言葉遣いから始まり、笑い方、姿勢、歩き方、等々……アンに所作をみっちり指導してもらい、それを繰り返し繰り返し反復練習する。……時間がかなりかかってしまったが、努力の甲斐もありなんとかアンからギリギリ合格点を貰うことができた。すごく疲れたわ……。令嬢になるのも結構大変なのね……。
ソファーでグッタリと横になっていると、アンがまた提案してきた。
「お嬢様。夕食のお時間までまだ時間がありますので、明日の予習をなさっては如何でしょうか?」
それならもう身体を動かさなくても良いし、無為に時間を浪費するぐらいなら勉強するのもありよね……。
「いいわね、どうせ暇……いえ、それがいいわ!それでアン、授業で使う教科書一式はどこかしら?」
「教科書……ですか?」
「……あ、いまの無し無し。本?書物?なんて言うのかしら……」
「学院から貸与された書物の一式ですね?少々お待ち下さい」
「アン、今貸与って言った?」
「進級や学院を卒業する際には返納しないといけないようですね。書物は返却されたあと、傷んだ所を綺麗に補修して、新入生に貸し出されるそうです。その際、状態の良いものは優先的に貴族の令息、令嬢に回されるようですが」
……oh……リサイクル……とってもエコね……。
「印刷という技術で書物の複製が昔に比べ容易になり、王都に書物が出回るようになったとはいえ、書物はまだまだ貴重品ですから……。平民にはまだ簡単に手が出せるような代物ではありませんし。でもその貴重な書物を数百人は在籍していると言われる全生徒分を用意できるのは流石、王立学院ですね」
この世界、封建制度的な社会だと思うけど……平民出身の生徒でも、経済的負担無しに平等に授業を受けることができる配慮がなされてるなんて、すごい先進的で近代的な考え方。
平民と同じスペースで一緒に勉強なんてプライドの高い貴族達の抵抗もあったでしょうに……。
よほど教育に力を入れてるか、学院を作った先代王が名君だったか、貴族達が黙るような……たとえば何か抱えている問題を解消できるような結果が出せる仕組みを条件に納得させたのか……興味は尽きないけど、まぁそれは今私が考えても仕方が無いことね。
暫くしてアンが隣の部屋から分厚く重そうな数冊の書物を持ってきてくれた。テーブルに置かれたそれを一冊取りあげ、ソファーの上で書物をパラパラとめくってみたが見たこと無い文字で書かれている。
あれ……掲示板の文字は読めたのに……?
不意に疑問が頭に浮かんできた。
そういえば……なんで普通に会話できてるんだろう。ここ、私からしてみれば異世界のはずなのに。
考えられるとすれば、この身体の元の持ち主、アルメリーが15年間暮らしてきてこの世界の言語や文字に慣れ親しんでいるわけだから、脳内の言語野が自動対応してるのかもしれない。
この世界の言語体系が、日本語ベースなのかはたまた違うのか証明はできないけど。もしかしたら今、脳内の私の思考すら日本語ではなく現地の言葉でしてるのかもしれない。
本を集中して凝視してると見たことが無い文字言語に見える。これは……もしかしたら私というフィルターを通してみると異文化圏の文字に見えて、何も考えずに見れば普通に認識できる、ってこと!?
なんとなく部分部分で少し分かるところもあるけど、まともに読めるレベルではない。こうなったらアンを頼ってでも、早く読めるようにしなければ。目の前に課題があったらクリアせずにはいられない性分だし。
「……アン、恥ずかしいのだけど……私この書物をまともに読むことができないの。少しなら分かるのだけど……。文字も忘れたのかしら……?」
「以前にお嬢様は……私はかわいいから爵位が高くて素敵な貴族の殿方にすぐ見初められて嫁いじゃうわ!だから勉強なんて適当でいいの!名前の読み書きと普段の生活で使うモノさえ知ってればいーの!……と仰っていましたから。ですから、その本は少々難しかったようですね?」
……この本が読めないのは元々アルメリーの知識・教養が低い所為だったのねっ!!
こうなったらこの世界の文字が問題なく読めるように覚えてしまえば良いのよ!
「アン、その件は……一旦忘れて頂戴。よければ貴女が分かる範囲でいいから教えて貰えないかしら?」
私は明かされた黒歴史に顔を紅潮させ、それを隠すように頭を下げて頼む。
「お嬢様、どうか頭を上げて下さい。自分から勉強をされようとする姿勢……長年仕えてきた専属メイドとして私、とても感激しております。では僭越ながらご指導させて頂きます」
本当の所、簡単なところだけでも読めるようになればいいと思っていたのだけど、予想以上にアンの教養が高く、また教えるのが上手だった。私は心の中で感心と感謝をしつつ、彼女に指導して貰いながら少しずつ文字や文法などを覚えていく。
アンに「少し休憩しましょう」と言われるまで私は集中状態に入り一心不乱にこの書物と格闘を続け、気がつくと窓の外は夕焼けの赤に染まり宵闇の気配が漂っていた。
「流石はお嬢様です。今までは怠けていただけで本当は聡明でいらっしゃったのですね」
「ありがとうアン。これで明日からの授業でなんとか恥をかかずに済みそうだわ」
「それはようございました。私もお嬢様のお役に立てて嬉しく思います」
私は心地よい達成感を感じ、「んー!」と背伸びをする。
「お嬢様、そろそろ夕食の時間ですね。一階に食堂がありますのでそちらでお食事をなさってきてください。寮長様からは朝、夕の食事の時間は厳守と伺っております。なのでお早めに行かれた方がよろしいかと」
「アンは?一緒に食べないの?」
「私共は、寮生の皆様方が食べ終わった後で頂くことになっております」
一緒に食べることができないのが不満だったが「規則ですので」と言われたら返す言葉もない。
食堂へ行き、出された料理を食べたのだが……食が進まず半分以上残してしまう。
料理を残してしまった罪悪感と吐き気と共に元気なく自室へ戻るのだった。