聖女
時は遡り、敵対組織のアジト襲撃の直後、イスティスと名乗った彼女はエクリプスノワールのアジトへ来ていた。
執務机に両手を突き、眉間に皺を寄せて目を瞑り陰鬱そうな表情を浮かべている初老の人物の所為で室内はピリピリとした雰囲気に包まれていた。
「先程、バルナタンから一連の報告を聞いた。やつらのアジトを監視するため近くへ張り込ませていた部下からも報告を受けた」
頭領は一呼吸おき、
「奴等のアジトが全焼、主だった構成員は焼死。ここまでは胸がすく思いだ。とてもいい。……だが、少々やりすぎだ」
頭領の低くドスの効いた声が部屋に響く。
高そうな調度品に囲まれた部屋の中、私は優に三人が掛けれそうなソファーに腰掛けて腕を組んでそれを聞いている。
「それに結局、あれから襲撃まで何日経ったと思っているのだ……?」
「私にも色々と都合があるの。最初からそう言ってるわよね?」
「……そうだったな」
「それで?結果についてはどうかしら?」
「確かに貴様の実力を見たかった所もある。だが少々やり方を考えてくれ。周辺の被害が大きすぎて目立ちすぎだ。儂は灰燼と化したシマが欲しいのではない。次からはそう、後ろに浮いている火トカゲ君と連中を焼死させた魔法、それだけで十分では無いのか?とにかく必要以上に目立つのはやめてくれ」
「御転婆過ぎちゃったかしら?仕方ないわね。次からはもう少しお淑やかにいく事にするわ」
「そうしてくれ……。ああ、それと戦利品は大方無事に回収できたと聞いている。まぁ、やることはやってくれた。こちらも約束を果たそう」
「ありがとう。それは嬉しいわ」
「おい、例の物件へ連れて行ってやってくれ」
「へい」
「……おっと、言い忘れるところだった。次の襲撃先の内定を進めている。近いうちに頼む事になるだろう」
「分かったわ。そうそう、取り分覚えていて?」
「たしか戦利品の半分、……だったな?」
こくりと頷く。
「あ、戦利品の中でも出来ればお金や宝石、持ち運び易くて換金性が高いモノがいいわ。私、大きくて嵩張る美術品や借用証文なんかは要らないから。それにそういうモノはあなたの方が有効活用出来るでしょう?……じゃ、またね♪」
アジトから出て、物件を見るために側近についていく。
目立つなって……めんどくさい条件つけられたわね……。はぁ、暫くは要望も聞いてあげないとね。ほんとは景気よく燃やしたい所だけど、燃やして放置すると今回みたいに目立つし、被害を抑えるのには、やっぱり水系の魔法が使える子がいないとダメね。何処かにいい子はいないかしら……。
そんなことを思いながら紹介された物件を見に行く。
一軒目は広いが、かなり手を入れないとまともに使えそうにない物件であった。
「ここはダメね。幾つか物件あるんでしょう?次の所、紹介してくれる?」
「わかった」
二件目はこの時間にもかかわらず周囲が五月蠅すぎて気に入らなかった。
三件目に紹介された場所はデポトワール区に程近く、昔は割と繁盛した飲食店だったらしいがやがて飲食店が潰れ、その後、倉庫として貸し出されていたものの、地域の治安悪化で借り手も居なくなり持ち主も借金の形に手放し、それ以降ずっと放置されていたらしい。
「ここだ」
扉にはいたる所に蜘蛛の巣が張ってあり、しばらく誰も使っていないのが一目で判った。
側近が鍵束から一本の鍵を外し、それで鍵を開ける。
側近は店内に入りながらこの物件の説明をする。
「地上二階、地下一階。地下倉庫への入り口は上の建物内部から降りる階段と、裏の通りから直接荷物を搬入するための出入口がある。放置してあったにしては全体的に割と状態もマシな方だ。元々しっかりした作りだったんだろうな」
「地下倉庫が付いているのね?いいわ、素敵ね。私、そっちが特に見たいわ」
裏手に回り階段を降りると頑丈な扉がついていた。
扉の鍵を開け、手燭で照らす。
「ええぃ、クソッ!」
先を進む側近が蜘蛛の巣にかかったみたい。ふふ……。
壊れた樽や、古い麻袋の残骸などが床に散らばっていたが、綺麗に片付ければそこそこの広さがあるだろう。
「広さについては問題ないはずだ」
「ええ、確かに広さは合格ね」
壁を叩いて見たり、柱を触ってみたり室内をぐるりと観察する。
同じように一階と二階も主だった部屋を一通り見て回り、建物から出る。
「もう一度見る所はあるか?なければ鍵を閉めるが?」
「ええ、もういいわ。閉めて頂戴」
側近は扉に鍵を掛け、しっかり閉まっているか確認する。
「壁も柱も割としっかりしてるし、あなたが言ってた通り状態は良さそうね。いいわ、ここに決めたわ」
「なら、これが鍵と権利書だ」
建物の鍵と書類を受け取る。
「後はあの子達の件だけど、彼等にここを綺麗にさせれはいいかしら」
「ああ、あいつらはもうあんたのモンだ。好きにコキ使ってくれ」
「ありがとう。ボスによろしくね」
「伝えておく」
「遅くまでお疲れ様」
「……なぁ、あんた。もう少し早くにはこれないのか?」
「無理ね。その代わり、前も言ったと思うけど何か用があればここに伝言でも残しておいて。まあ、あまり夜遅くに行くのは、実は私も気が引けるのよ?ボスはお歳だし、何かと辛いでしょう?ウフフフ……」
「あまりオヤジを侮辱するなよ?俺もあまり我慢が効かない方なんでな?」
額に血管を浮き上がらせて、怒りで身体を震わせる。
「あらあら、怖いわね。ウフフ……」
「あんたがどれほど強かろうと、追い詰められたネズミは猫を噛むぜ?」
射抜くような鋭い視線でこちらを睨み付ける。
「……ええ、覚えておくわね?」
「俺の仕事はここまでだ。じゃあな」
彼の背中が角を曲がって見えなくなるまで見送った後、残った魔力をかき集めて例の飛行魔法を使い、地面を蹴って螺旋を描く様に遙か上空へ飛び上がる。
上空から寝静まった王都の市街を眺望する。
「……活動拠点を手に入れたわ!これからの夜が楽しくなりそうね。うふふ、あはははははは!」
闇夜の空に彼女の笑い声が響き渡るのだった。
◇
ランキュニエ・ベットのアジトが襲撃され、貧民窟の一帯で火事が起きた翌日。
王都中心部から少し外れた所にそそり建つ壮麗な大神殿の入り口前の広場に、住む所を焼け出されたみすぼらしい人々が集まり列を成していた。
その被災者へ食料援助を施すため、広場には幾つかの天幕が敷設され、その天幕で大神殿の助祭や神官見習いなどが多数、炊き出し作業を行なっていた。
この大神殿は、大地母神テラ・メーラを祀る大神殿である。『命、豊穣』を司るこの女神は、この大陸で広く信仰されている八大神の内の一柱であり、このザール王国が守護神として祀っている女神でもある。そのため国から寄進された広い敷地に、大神殿の他、運営に必要な大小様々な建物が建っている。
列に並んだ人々が、遅々として進まない長い列と空腹に苛立ち、あちこちから怒声が上がり始める。
「一体いつまで待たせるんだ!俺達の番はまだか!」
「オイ!横入りするんじゃねえ!」
「何だとテメェ!?」
今にも喧嘩が起きそうな険悪な雰囲気が辺りを覆う。
そこへ、一段高い大神殿の方から広場へと続く広い石造りの階段を、清浄な白い法衣を纏った一際目を引く女性が降りて来た。
その女性に気づいた人々から歓声が上がる。
「「「エルミーユ様~!!」」」
彼女はその声援に手を軽く振りながら応え、人々に近づいていく。
先程まで一触即発の状態だったその場が、一瞬で落ち着き静寂を取り戻す。
彼女に気がついた灰色の服を身につけた神官見習いの一人が持ち場を離れ、彼女の数歩後ろを付き人として静かに付いて歩く。
「この度は災難でした。我々神殿が用意したものですが、これを食べて元気をお出しください。あなた方に神のお恵みのあらんことを……」
凜とした良く通る声で言いながら、手ずからよそったスープのお椀と、表面に切れ目が一本入った太く短いパンを乗せたトレイを汚れた老人に渡す。
「あぁ……老い先短い儂のような者に、聖女様がこのような……ありがたや。エルミーユ様はまるで女神様のようですじゃ……」
被災した浮浪者一人一人に彼女が優しく手を握り、声をかけていく。
その人こそ、「祝福の癒し手」「大地母神の愛し子」「奇跡の乙女」と人々から謳われ、慕われる『聖女』エルミーユである。
髪は収穫前の日の光を受けて輝き、風に波打つ小麦畑を思わせる金色。邪魔にならないよう長い髪を後ろで束ねている。肌は透き通るような白い肌、新緑の翠の瞳、小ぶりで可愛らしい唇、ほんのりと染まる頬、形の良いやや大きめの胸。
神殿管理下の孤児院でその才能を見出された彼女は、王都にて多くの人を癒やし、その功績が認められて当時、齢僅か十五歳にして大神殿より『聖女』の称号を授けられた十八歳の少女である。
側に付いていた神官見習いが、汚れた浮浪者へ彼女のあまりにも近すぎる行動に進言する。
「聖女様、被災者に近づき過ぎです……。お身体が汚れてしまいます」
「いいのです。たとえこの身体が汚れようと、それでこの方々の心が救われるならば神も喜んでくれる事でしょう。それは私の喜びでもあります。どのような相手であれ、全ての人々はテラ・メーラ様の子に等しいのです。私達、神殿に仕える者はテラ・メーラ様の地上代行者として、そのお慈悲を分け隔て無く彼等に差し伸べる義務があるのです」
「……浅はかな進言、申し訳ありませんでした聖女様」
「……いえ、いいのです。あなたも私のことを思って言ってくれたのでしょう?心配させてしまってごめんなさい」
「いえ、そんな……!」
「「おぉ、さすがエルミーユ様……」」
神官見習いが、照れを隠すように並ぶ被災者の人々に声を掛ける。
「みなさんの分は十分用意がありますから、暫くお待ちいただき、列をはみ出さないようにして順番に受け取ってください」
彼女はそこで立ち止まり、ゆっくりと皆に声を掛ける。
「被災者の皆さん、神は見ておられます。思い思いの言葉でかまいません。あなたの信じる神に祈りを、賛美を、感謝の言葉を天に捧げ、私と共に祈りましょう」
「天に坐す我らが守護神テラ・メーラよ、貴女の慈悲を持って我が祈りを聞き届け、迷える子羊達に祝福を与え給え……」
「主神クレアシオンよ!新しい職を我に与え給え!」
「女神テラ・メーラよ。我らに明日の糧をお与えください」
「神殿が与えてくれる温かい食事、あなたの慈悲のおかげです。我々はあなたに感謝を捧げます」
「女神テラ・メーラ様。今日、慈悲深いあなたのしもべ、エルミーユ様が私達のために食べ物を与えてくださいました。ありがとうございますじゃ……」
「エルミーユ様ありがとうございます!」
「「「エルミーユ様に感謝を!」」」
ゾクゾクッ。
身体が歓喜に打ち震える。
あぁ、たまらないっ!この歓声に包まれる快感。
昂揚した彼女が思わず讃美歌の一節を口ずさむと、彼女の身体がうっすらと輝く。
その光はベールの様に周囲に広がり、近くにいた被災者達を優しく包み込むと、彼らのすり傷や軽度の火傷がたちまちのうちに癒えていく。
「おぉ、傷が治っていく……!」
「「「わぁあああああ!」」」
歓声に酔いしれ、それが落ち着くまで暫く待つ。
「……皆さんが知っての通り、私達神殿の神官は神殿内で治療を施します。その際に神殿を運営するため、寄付という形である程度の治療費を頂いています。なので本来は寄付を頂かないといけない決まりですが、今回は寄付をいただけません。なぜならば、ここは厳密に言えば神殿の敷地内ではありませんし、私は神を讃える歌を口ずさんだだけです。あなた方の身体に顕れた奇跡は女神の恩寵なのです。皆さんも良いですね?なので、今日起きたことは神殿の方には秘密ですよ?」
彼女は人差し指を口元に当て、片目をまばたかせる。
この仕草に皆が魅了され、中には卒倒しそうになる者も出る始末。
こうなると、近くで見ている助祭や神官見習い達は困ったような笑顔を浮かべるしかない。
人々の中の誰かが彼女の名を叫ぶ。
「エルミーユ様!」
それが切っ掛けとなり、人々が堰を切ったように口々に彼女の名を高らかに叫ぶ。
「「「「エルミーユ様!エルミーユ様!!︎」」」
いつまでも鳴り止まない歓声が辺りに響くのであった。
◇
貧民窟の火事から数日経った休日。市街地より少高い貴族の屋敷が立ち並ぶ王城近くの一等地の一角に実用的で堅実・堅牢そうな屋敷が建っている。そこはこの国の、王の右腕として政を取り仕切る宰相の屋敷であった。
その自宅で宰相は遅めの朝食を摂ったあと、休日に自宅へ戻っていた息子を自室に呼び、話し合っていた。
「期末試験へ向けて勉強の方は順調か?」
「問題ありません、父上」
「そうか」
「いつも通りの結果はお約束いたします」
「うむ、常に主席を争うお前だ。聞くまでも無かったな」
「はい」
「……話は変わるが、先日、エルムブレド地区で火事があった」
「唐突ですね?」
「まぁ聞け。上がってきた報告では夜警だけでは延焼を防ぐだけで精一杯だったそうだ。宮廷魔導師団から水系魔法を得意とする魔導師達を緊急出動して貰い、被害は最終的に地区の建物全焼10件、半焼8棟、一部延焼が十数件ほどで留めることができたそうだ」
「お疲れ様でした」
「事後処理の事を考えるとな、色々と頭が痛い……」
「エルムブレド地区といえば貧民窟の一部ではありませんか。ならよいことでは?労せず貧民窟の一部が減ったとなれば再開発も進みましょう?」
「周りは今だ貧民窟のままだ。あの程度の範囲が燃えた位では手が出せぬわ」
「父上、今回の件、事件性はありそうですか?」
「現場にいった魔導師達の報告によると、十数人に上る焼死体と魔力の痕跡があったそうだ」
「魔法による犯行ですか!?」
「その可能性が高い。だが証拠がな……」
「王都で魔法が使える者は限られています。学院の生徒にそのような大それた事をする者はいないと思いたいですが……。私は学院に戻り次第、各寮に事件当日の夜に寮を出入りした生徒がいないかどうか確認しておきます」
「では、学院の方はお前に任せる」
腕を組み、左手を顎に当てるセドリック。
「……父上、現場周辺の住人の目撃証言などは?」
「現場周辺に住んでいた者達は今、大神殿の下へ集まっている。つまり、テラ・メーラ大神殿の管理下にあるという事だ。王国といえど神殿には簡単には干渉できぬ。おいそれと事情聴取できる環境では無いのだ。それに、そもそも彼らが一度でも協力的だったことがあるのか?いや、ない!たとえ何か知っていても拷問でもされない限り答えぬだろうよ」
「父上、私に考えがあります」
「……申してみよ」
「彼等に職を与えるのです」
「職?放っておけば勝手に冒険者にでもなるのではないか?」
「確かに冒険者は誰でもなれますが……彼らは冒険者にはなっていない。仕事そのものをしたくない者ばかりとは思いません。ですが命がけの危険な仕事より、安全な仕事に就けるなら就きたいと思う者もいると思います。ですが彼らには身分を証明するものや、保証人もおりません。もしかすれば自分の名前すら書けない可能性も。その様な者が出来る事と言えば乞食になるか、盗みや強盗を働くか、非合法組織の使い捨て要員位でしょう。彼らを放置すれば治安悪化の原因となります。これでは何も変わりません」
彼は机に両肘を付き、顔の前で手を組む。
「ふむ……今は神殿が被災者である彼らに食糧支援を行っていると聞いている。政を司る我々が無策のまま神殿がもし被災者への食料支援を打ち切れば、彼らは貧民窟に戻るしかないだろうな」
「父上、それならば被災者達を一所に集めて教育を施すというのは如何ですか?冒険者ギルドの様な、表向きはあくまで民営の看板で運営する組織『職業訓練ギルド』として立ち上げるのです!」
机をドンと叩き、熱弁を振るうセドリック。
父である宰相はただ静かに彼の考えを聞いている。
「そこでは読み書き……欲を言えば計算まで出来るように教育を施し、数ヶ月間真面目に努力し、学を修めた者には「ギルドカードの発行」をし、身元をその教育機関が保証する形をとる。逆にサボる、自分の名前すらろくに書けないままの者は、数ヶ月分の衣食住に掛かかる額を借金として背負わせ、奴隷商にでも売ってしまえば良い。
これならば運営資金も一部回収出来ます。民間の組織が財産である奴隷という商品を、それを扱う商人に売り渡すのは商取引として一般的ですから、何も問題は無いでしょう」
彼はそこまで言うと軽く咳き払いをし、机の上の紅茶を一口飲んで喉を湿らせる。
「職業訓練ギルドが教育を施し、ある一定程度の能力を保証した卒業生を輩出できれば、雇用側も安心ができるというもの。彼らは良い労働力となるでしょう。身元保証と安定した収入が得られるようになれば彼らは貧民窟から抜け出し、まともな所へ住み税を払う良き国民になるでしょう。その税は回り回って彼ら貧困層の教育機関の運営資金へとなり、貧民窟の人口が減ればそこで暗躍してる闇の組織の力も削げるのでは?時間と資金は掛かると思いますが、環境が変われば心に余裕が生まれて彼らも協力的になるのではないかと思います」
「うむ……確かに。だが、教育途中で抜け出す者も出るであろうし、今回のような強制立ち退きが無い場合、彼らを継続的に集めるのは難しくないか?流石に我々が放火して回る訳にもいかぬしな……」
「たしかに……詰めが甘かったようです」
「だが良い案ではある。途中脱退についてはそれが出来ない様にギルドに入る際に契約書にサインか血判を押させ、その契約書に強制力を持たせられる事が可能かどうか宮廷魔導師団に聞いてみよう。なんにせよ早急に御前会議に諮ってみるべき案件だな。私も動こう」
「ありがとうございます」
「そなたも、たまにはゆっくりしていくと良い」
「いえ、私はさっそく学院に戻り調査をしたいと思います。では父上、これにて失礼いたします」
そういうとセドリックは踵を返し、颯爽と部屋を退出するのだった。
◇
神殿長の執務室。人払いをしたこの部屋の中には、神殿長その人と白い法衣を身につけた金髪の女性の二人しか居ない。
「聖女よ、あなたの頼みで浮浪者への食料支援を始めてから、もう一週間になります。一日、幾らの支出になるか。理解できていますかねぇ?いつまでも、続けることはできませんぞ?」
「神殿長……。かれらは『浮浪者』ではありません、『被災者』です。被災した彼等に慈悲を与え、女神テラ・メーラ様の威光を民に示すのが我々神殿に仕える者の役目、違いますか?」
「ええ、建前上はそうですな。ですが、いくらこの大神殿といえど無尽蔵に財が湧き出るわけでは無いのですぞ?」
「神殿長!」
「それともあなたが費用を出してくれるのですかな聖女殿?……そういえば孤児だったあなたに差し出せる財産などありませなんだなぁ。いや、私としたことが、これは失敬。失敬。わぁーっはっはっはっは!」
「では、せめて一月の間続けさせて下さい。その位の猶予期間があれば彼らもどこかで仕事をみつけるのでは?」
「彼らは貧民窟にいた者達ですぞ?そもそも仕事などするわけが無い、いや仕事がしたくても真っ当な仕事につける訳が無い。それに良いですか『聖女』殿。人は施しの期間が長くなればなるほど、怠けていくものです。貰えるのが当たり前と思うようになり、貰えないとわかったら騒ぎ出す。人は……危機感を覚えなければ自らは動こうとしないものですぞ?」
「それでは、神殿が彼らに何か仕事を斡旋することは出来ませんか?」
「神殿内には銀の燭台や本、高価なものが沢山ありますので、彼らが盗みを働く可能性は大きい。実際のところ道徳や倫理の欠けた彼らは面倒事しか起こさないでしょう。なので中に入れることには反対しますぞ。それに神殿内の仕事なら人手は間に合っていますぞ?」
「ならば神殿の外でできる仕事を与えなさい。『聖女』として命じます!」
「おお、こわいこわい。いいですか聖女エルミーユよ。勘違いしないで欲しいものですな。神殿があなたに与えた『聖女』という称号はただの名誉職。その権限は非常に曖昧なものなのですぞ?まぁそれだと我々も扱いに困りますので、一応慣例として先代から権限・立場は神官以上、神官長以下とみなすと聞いております。神官長で私と同格なのですよ?その神官長より立場が下のあなたの命を、何故私が聞かなければならないのかね?」
「……くっ!」
「王城に、あなたが直接行って嘆願してくれば良いのでは無いですかな?」
「それは良い案かもしれませんね!?」
「まぁ、あなたの『聖女』という称号は神殿内でこそ有効なもの。それだけでは王城の門が簡単に開くとは思えませんがね?外で何処までその称号が通用するのか試すのも一興ですな?」
この人、いつも嫌みや否定することばかり言ってきて……死ねば良いのに。いえ、私はテラ・メーラ様に仕える神官。そんなこと思ってはだめよ。
椅子から立ち上がり執務机を回って、聖女へ近づいてくる神殿長。
「孤児院から、今は亡き大神官様があなたを見出し神殿に連れてきた当時はかわいらしさのかけらもなかった子が、ここまで清く美しく育つとは正直思いませんでしたよ?大神官様の教育の賜物でしょうかねぇ?」
神殿長が彼女の隣で立ち止まると、スス……っと臀部に片手を伸ばす。軽く触れると強引に鷲づかみし、力を抜いたり入れたりしながら円を描くように張りのある臀部をなで廻す。
「ひあっ!?や、止めなさいっ……!」
みるみるうちにエルミーユの顔が紅潮してゆく。
「……他にも彼らの為に出来ることはありますぞ?」
「……そ、それは何ですか?」
「可愛そうな被災者の為に御身を売るというのはどうでしょうかな?ふっふっふ。もしあなたが望むのならば、私も貴族や有力な商人の方々には幾つか伝手がありますので、任せて頂ければ悪いようにはしませんぞ?もちろん移動方法も出来るだけ隠密にし、関わる人員は口が堅い者だけに厳選し情報漏洩には細心の注意を払いますぞ。相手側にも秘密を守って頂く様にいたしますのでご安心を。ぐふふっ。彼らはあなたが相手ならば幾らでも寄付金を提供してくれるでしょうとも。ふふふ……」
神殿長の手を振りほどき、タタッっと小走りで彼から距離を取る。
「嫌です!私、そんなことは出来ません!」
「ふん、貧乏人共に多少人気があるからと言ってお高くとまりよって……」
神殿長、前から私の事をいやらしい目で見てきた気がしてたけど、ずっとそんなこと考えていたんだ。気持ち悪い……死ねば良いのに。
蔑むような目で神殿長を見下す。
「なんだその目は!?人をゴミを見るみたいに……!」
「こんなに気持ちが沈んだのは久しぶりです……。話を聞いてくれてありがとうございました。用件は終わったので、私もう戻りますね……」
「いやいや、ここで帰ってもらってはこちらが困る!もうすでに話はきておるのだ、たった一回の相手で浮浪……いや被災者全員の食料支援の三日分に相当する金額を寄付してくれると言われているのだ。いや、私自身が交渉して倍の六日分は出してもらおう!そうだ、その中から特別に一割をあなたに提供しよう。こんないい話は他にあるまい?どうだ!?」
「先程、私は断りましたよね?こちらの意志を聞かず、一方的に話をされ残念です。お別れに私から歌を贈ります。はぁ……こんな気分のまま歌わなければならないなんて……」
そう言い、意気消沈した彼女が聖歌を歌い始める。
「女神よ 汝が慈悲を与え給え この子羊を 苦難のこの世から解放し給え おお、偉大なる御許へ導く御使いと天への階段を 今ここに顕現させ給え……」
執務室の中が急に暗くなり天井に円形の光が顕れ、そこから明るい光りが神殿長に降り注ぐ。
スポットライトに照らされたように彼を中心とした光の柱が部屋の中に建つ。
ドクンッ……!
「がっ!?はっ……な、何だ?」
先程まで下卑たいやらしい笑顔を浮かべていた神殿長が自身の身体に異常を感じ、自分の胸に手を当て、法衣がグシャグシャになるほど強く鷲づかみしている。
ヒューッ、ヒューッ!
な、なんだ?呼吸が上手くできない……!?
玉のような脂汗が額に浮き出し、手足の痙攣が止まらない。明らかに身体に異常をきたしている。
「や、やめて……くれ……」
その時、神殿長の脳内で普段の何倍もの早さで思考がフル回転する。先代の神殿長の行動がパズルのピースのように次々と繋がっていく。
たしか当時、先代の神殿長には幼女趣味の噂があった。今思えば、側仕えには年端もいかぬ少女が多くいた。きっと自身の権力を濫用して、神殿管理下の孤児院から好みの子供を連れてきて側仕えにし、夜な夜な相手をさせ、楽しんでいたのだろう。
彼女が神殿に来て暫く経ちここの生活にも慣れてきた頃、先代がやはり彼女に目を付け、大神官の目を盗み、彼女に手を出そうとしたのだ。
そして、今の私と同じ様な目にあったのだ!
先代はある時点から憑き物が落ちた様に、彼女の事を腫物に触るように扱うようになった。
さらに見習いから神官に昇格する際に、神官ではなく聞いた覚えの無い『聖女』の称号を彼女に与えたのが当時不思議でならなかったし、同期の見習い達や若手司祭の皆はいぶかしがっていた。
引き継ぎの資料には何も書かれてなかったが、今、腑に落ちたぞ。きっとそうだったに違いない……!
毒や魔法による残留物や外傷が残れば、それが証拠としていずれ犯人の特定も出来よう。だが、聖歌で人を簡単に殺せる、またその事に対して罪の意識の無いこのような危険な異物を神官にすることなど、出来ようハズは無い、いや!してはらないッ!通常の神官の道を歩ませぬ、彼女には権限も権力も与えてはならない。そう先代も確信したはず。
そのために、必死で古文書を漁ったのだろう。そしてついに見つけたのだ。百年近くもの間、該当者がおらず古文書の中に埋もれ埃を被ったような『聖女』という実務権限の曖昧模糊な名誉称号を探し出し、通常の聖職者の通るルートから外れた役職を与えた先代の知恵は正しかったのだ……!
「わかっ……た。わか……た。この話……確か……に……こと、わって……おく……!」
神殿長の目が白目になりかけ、目に溜まった滴がつぅーっと一筋流れる。それを見た彼女は勢いよくパァン!と手を打ち鳴らす。すると光の柱はスゥーッと薄くなって掻き消え、執務室が通常の明るさを取り戻す。
「はッ!はーッ!……はーッ!」
肩で息をしながら神殿長は這々の体で扉の所まで行き、鍵を開け扉を開放する。
「それでは、失礼します」
扉の前で護衛していた者が、服が乱れ息が上がって扉にもたれ掛かった神殿長と悲しげな瞳をした聖女が部屋から出て行くのを見たことで、後々噂話をする事になるのだが、それが周囲の神殿長への反感へと繋がるのは、また先の話である。
◇
とうとうこの日が来たわね……。
心の中でそう呟く。
期末試験は筆記試験と実技試験の二つがあると聞いている。
この一か月の間、期末試験のために努力を積み上げてきた。
放課後、三人で自主勉強をし、週末はエルネット様の勉強会に参加。
私達の弱い所の分析と対策の的確さ、教え方の上手さ、流石生徒会メンバーと思わず唸ったわ。
おかげで授業の内容が良く理解でき、勉強会以降に何度かあったテストでも軒並みA評価を貰うことができたわ。
人事は尽くしたわ。後は凡ミスをしない事だけ気をつけないと。
鐘が鳴ると教室へ教官が二人入ってくる。
片方の教官が教壇に立つ。
「では皆さん、机の上には筆記用具だけですか?」
そう言い教室を見回す。
教官は生徒達の机の上に特に異常が無いのを確認すると、
「まず注意事項を伝えます。まわりをキョロキョロしたり、不正行為と疑われる行動を行った者は、その教科は失格として退室してもらいます。その場合、進級が厳しい事になるでしょう。……では答案用紙、問題の順で配ります。問題は裏のまま受けとり、私が開始と言ったら表にして始めてください」
もう片方の教官が教室の後ろへ移動する。
彼が所定の位置へついたのを確認し、教壇の教官が宣言する。
「始め!」
静まり返った教室に、その言葉と同時に一斉にペンが紙の上を滑るカリカリカリ……と言う音が教室を支配する。
勉強会で積み上げてきた結果が今日、試される。
あの日々の成果か、スラスラと答案用紙に解答を埋めていけている。時間に余裕が生まれて何度か読み返し、記述にミスがないかチェックする。
教官が時折、机と机の間の通路を通り不正が無いかチェックしていく。
そうこうしてる内に授業終了の鐘が鳴る。
「はい、そこまで!」
「では、皆さんの答案用紙と問題を回収していきます」
私の中で、筆記試験には確かな手応えがあった。
同じように二限目、三限目が過ぎる。
試験期間中は三限目で終わりなので、一日の試験が終わると廊下でいつもの三人が自然と集まり、他の生徒の流れに乗って同じように大食堂へ向かう。
「どうだった?」
「難しかったけど、勉強会したおかげで何とかなった気がしますっ!」
「……わたしも……手答え、あった……」
「今回は点数が楽しみね!」
「そうね……ふふっ」
お互い試験の感想を言い合い、昼食をいただきながら翌日以降の試験の対策を話し合うのだった。




