入学前夜
初投稿です。文章をアップするのは初めての為、
色々なことにドキドキしております。
念の為R-15 タグを入れておきます。
PCに向かい書類を作成するためキーボードを叩く。腕時計をちらりと見るとそろそろ今日の勤務時間も終わる頃だった。
私の名前は私の名前は氷室杏子。年齢は27歳。この大学で非常勤講師として務めている。書類を書き上げるとほぼ同じタイミングで室内に終業のチャイムが鳴り響く。
両手を上に伸ばし、「んーー!」と身体をほぐすように軽く伸びをする。特に残った仕事も無いので、机の上を軽く整頓し席を立ち帰ろうとしているところへ、上司である事務局長がちょっとこっちへ来るようにと、私に声をかける。
なんの用だろう?私は疑問に思いつつも、彼のオフィスに入る。
「まぁ、椅子に掛けたまえ」
と局長から椅子を勧められるので、椅子に着席して局長の話を待つ。
「この前の年次更新の予算会議で固定費…つまり人件費の削減について、教職員の契約更新について話が出たのだがね、ウチの大学も経営が厳しいのだ。すまないが君は今期末で契約が終了することになった。まぁ若干名という中に君が含まれているということなんだがね……申し訳ないが、まぁそういうことだ。君もまだ若いし、いくらでも仕事はあるだろう?」
事務局長は表情を一切変えることなく淡々と告げた。
私はこの大学で、非常勤講師としてやってきたが今月末で仕事が無くなってしまうらしい。局長は「いくらでも仕事はあるだろう」とか簡単に言ってくれるが、それは仕事を選ばなければ、である。仕事の貴賤を論ずるつもりはないが、ここと同じような職場がそこら辺にぽこぽこあるわけでは無い。
私だってここに入るまでは結構苦労したのだ。たった数年でその苦労が水の泡と化した私はショックのあまり、落ち込んで黙り込んでしまった。
暫くそのままでいると局長が咳払いをしてそろそろ退席したまえと、無言の圧をかけてくる。まぁ私もここにいても気分が悪いだけだし、抗議をしても覆らないだろうことは予想がつくのであまり意味がないと察し、速やかに退室する。
「失礼します」
と挨拶をし、退室の際に局長の顔を盗み見たがもはや私の事には興味なく手元の資料に目を落としていた。多分、次に呼ぶ職員か何かのリストだろう。
……ぼんやりした思考でトボトボと家路につく。
だんだんと人通りは増え、繁華街の飲食店が軒を連ねる通りに出た。店員の威勢のいい呼び込みの声や、仲むつまじいカップルの話し声、学生や社会人で繁華街は賑わっている。
なんだか人が多い……。あ、そうか今日は週末だったっけ……。
「今日、会社でさー課長からめっちゃ怒られたんだよー」
などとサラリーマン風のグループが話しているのを耳にして、さっきのことを思い出す。段々と腹が立ってきた。こんな日は飲まないとやってられない!そう思い立った私は怒りの飲み友召喚をするために歩きながら、チャットアプリで連絡をとる。
スマホを弄りながらなにか良い仕事はないか、愚痴を聞いて貰って慰めてもらおうと思案していたら、今日に限って皆都合が悪いと返事が返ってくる始末。
仕方なく私はたまたま目に入った居酒屋の一軒に入り、カウンターに案内されると早速飲み放題とつまみを何品か注文し、一人で杯を開けていった。
店員はせわしなく動き回り、近くの席のカップル達は楽しげな嬌声を上げている。周りが楽しそうなことが自分一人という現状を際立たせ寂しさを紛らわせるため、いつもより飲むペースが早くなっていく。
私だって周りと比べても顔は悪くないと思う。彼氏の一人や二人ぐらい……いてもおかしくないと思うのに出会いがなかっただけで……と、何の解決にもならない言い訳とも愚痴ともとれる言葉を脳内で延々と繰り返す。
いつしか飲み放題の時間も終わり、カードで支払いを済ませて店を出る。
この時点でかなり酔ってしまっていた。足もとがかなりふらつく。
店員がタクシーを呼びましょうか?と一応配慮して聞いてくれたが、タクシー代だって家まで行けばバカにならない。私はその申し出を断って店を出た。
これがいけなかったのかもしれない。
千鳥足でなんとかいつもの地下鉄の入り口へ到着する。
アルコールのせいで辺りの風景がぐらぐら揺れている風に見えるのが愉快だ。
いやいや、落ち着け私。
地下への階段を下りる前に壁にもたれ掛かり少し休憩する。
時折すれ違う親切そうな人が「大丈夫ですか?」と聞いてくるので
「だいじょう~ぶで~す♪」
と笑顔で返答すると大体の人はそれ以上は関わってこない。
他の人と関わるのは正直めんどくさいし、自分のことは自分で面倒がみれる。
だから大丈夫、まだいけているハズ。とお酒のせいで気が大きくなっているだけの何も根拠のない自信がみなぎっている。
そろそろ身体の方も落ち着いてきたかな?と思い壁から背を放し、コツコツとヒールの音を響かせ階段を降りていく。二、三段、降りかけた所で足がもつれ階段を踏み外し危険な角度で階下に吸い込まれるように落ちていく。
あっ、これはヤバイかも……?
という苦笑するしかない状況と、お酒でふわふわしてる思考、体に感じる浮遊感が脳内でリンクし気持ちがいい。
気持ちの良い刹那の瞬間に続いて何かに激突した衝突音、連続して骨の折れる嫌な音、じんわりと温かくなっていく部分を確かに感じた直後、周りの人達の叫び声が聞こえてきた。
「きゃぁああ!いやああああ!!」
「こ、この人、首が変な方向に曲がってるぞ!」
「頭からの出血も酷いぞこれ!はやく止血しないと……!!」
「だ、誰かはやく救急車……」
突然の出来事に周囲はパニック状態に陥っている。至る所で叫び声があがり、騒がしいがもうそれは殆ど聞き取れない。
視界も夜の帳が下りるように暗くなっていき、私は音と光が閉ざされていく心の中で「もうどうでもいいや……」と呟くと諦めの境地と共に意識が遠のいていき、心地よいまどろみの中へと誘われていった……。
「う……」
目が覚めると、そこは見覚えのない場所であった。
まず目に入ったのは真上の天井である。白を基調とした天蓋になっており、端の方へ視線を這わすと彫刻が施された白い細長い柱で四隅が支えられているのが分かった。
周囲を囲むように透けるような薄い生地のピンクのレースのカーテンがゆったりとしたカーブを描いて垂れ下がっている。
「!?」
ガバッと跳ね起きてもっとよく周囲を観察する。
窓の外は月明かりに照らされた夜の闇が広がっており、室内に目を向けると柱に据え付けられたランプの灯りに煌々と照らされている広い部屋にいるということがわかった。
部屋は一部屋であるのにも関わらず、明らかに私の借りていた1LDKの物件の全ての部屋を合わせたスペースより広くゆったりとしていて、手入れが隅々まで行き届いており、所々に家具や小物、カーテン、クッションなどがセンス良く配置されている。
ただ部屋全体の配色が私の趣味ではない白もしくは薄いピンクでカラーが統一されており、明らかな少女趣味の部屋であった。
「えーと、ここはどこ……?」
昨日の事を思い出そうとするが頭痛がしてきたのでやめた。
私の独り言が聞こえたのか近くで人が動いた気配がした。
「アルメリーお嬢様!お気づきになったのですね?」
クラシックなメイド衣装に身を包んだうら若き女性が声を掛けてきた。
誰ですそれ?それにあなたは誰?
「昨晩、お嬢様は二階から階段で降りられる際に足を踏み外して下まで転落されたのです!覚えておられませんか!?屋敷中それはもう大騒ぎでしたよ!」
頭を触ってみると、後頭部にでっかいたんこぶが出来ていた。
「いっ、つつつ……」
触ると痛い。
「それでは旦那様を呼んできます。先ほどまでお嬢様を診られていた薬師の先生が仰るには特に大きな問題はないとのことでしたので一応ご安心下さい」
「私が戻ってくるまでベッドで大人しくしておいてくださいね?」
と釘を刺してから、メイドの格好をした女性は部屋を出て行ってしまった。
ベッドから出なければいいんだ……とりあえず暇だし、周りを見るぐらいはいいよね……。
寝具はピンクで統一されており、枕は柔らかく肌触りもなめらかで高級な枕だと分かる。
ベッドもとてもふかふかでほどよい弾力があり寝心地がよいため、たまらずベッドへ倒れたり起き上がったりを何度か繰り返してみる。
この心地よさはヤバイ。私が使ってたとりあえず寝るだけの安物ベッドとは比べものにならない。
何度かベッドへダイブしては起き上がることを繰り返して、ふと我に返る。ここはどこなのか全く分からないんだった。
さっきまでベッドの心地よさで幸福感に満たされていた心が暗灰色の不安感でみるみる占められてゆく。こんな見るからに高級な所、1日宿泊するだけで幾らかかるのだろう……想像するだけで怖くなってくる。
お財布の中身を確認しなくては。バッグ、バッグはどこだっけ…。周囲もまさぐってみるが一切の所持品が見当たらない。ケータイが無いという事実は急に世界から隔離された気分になり、一層の不安をかき立てる。
こういうとき焦っても意味がない。なんとか気持ちを落ち着かせてもう少し情報を収集しなくては。
そうこうしてるうちにノックをする音が聞こえ、扉の向こうからさっきのメイドらしき女性が声をかけてきた。
「お嬢様、旦那様をお連れしました」
「アルメリー、失礼するよ?」
扉が開かれると先ほどのメイドと中世を舞台にした洋画に出てくる貴族が着ているようなデザインの衣装を着たふくよかな中年男性の二人が連れ立って部屋に入ってくる。急いでかけ布団を顔の中程まで引き上げて一言も聞き漏らすまいと私は耳をそばだてる。
私はこの時初めて体の何か所に打身の痛みがあるのに気が付いた。階段を落ちたと聞いていたし、たぶんその時にできたのだろう。
「おお……わしの可愛い可愛い愛娘よ。大事ないかい?」
中年の紳士が心配そうな労るような口調で語りかけてきた。
私もすぐに返事をしようと思ったが、口を開く前に少し考えてみる。この身に何がおこったのか未だ正直理解できてないが、ともかくこの中年の紳士が言うことを信じるなら今の私の身体は彼の娘なのだろう。
本当の事を言っても信じて貰えないだろうし、上手く説明出来る自信も無い。頭がおかしくなったと思われるのがオチだ。
ここは頭をうった事で一時的に記憶喪失ということにしておけば質問には答えられなくても問題ないし、普段の反応と違ったとしても記憶喪失なら仕方が無いと向こうが勝手に判断してくれるだろう。それにその方が何かと都合が良いのでは?と思い、私は一芝居打つことにした。
「すみませんが、あなたは?」
「おお…わしは其方の父だ。わしのことすら忘れてしまったのか……」
父らしい人物が悲しそうに溜息をもらす。
「ごめんなさい、何も思い出せなくて」
私は手を額にあて、申し訳なさそうな表情をつくり言葉を絞り出す。
「あの、ここは……?」
先ほど彼女には聞きそびれたので、この場所のことを聞いてみる。
「ここか?ここは王都にある我がキャメリア家の屋敷で、其方の部屋だが…?」
王都?キャメリア家?……キャメリア家……どこかで聞いたような気がするがまだ頭にはもやがかかったような感じがしてうまく思い出せない。
「ザール王立学院に其方が入学するための色々な手続きや其方と同じように入学する子息令嬢がいる諸貴族もこの時期には王都に集まっておるしな、わしも親しい諸貴族へ挨拶回りもせねばならぬ。ついでに我が領地の諸々の用事も済まそうと思ってな、こうやってわざわざ領地から出てきておるのだ」
「ですが旦那様、お嬢様がこの様子では……明日の王立学院の入学式はどうなさいますか?もし大事をとってお休みにされるなら学院に連絡するのは早いほうがよろしいかと?」
メイドが父であるらしい人物に声をかけた。
「……ザール王立学院?」
この単語なにか記憶に引っかかるモノがある。「ザール王立学院」「キャメリア家」もう一つか二つ、何かきっかけがあれば記憶が繋がって思い出せそうな気がする。
「どうしたアルメリー?なにか思い出せそうなのか?」
少し興奮気味に父らしい人が身を乗り出して聞いてくる。
「……あと一つか二つ関連するきっかけがあれば、何か思い出せそうな気がします」
そこまで言ってふと思いつく。今の私の顔はどうなっているのだろう?氷室杏子の顔なのか?それとも違う誰かの顔なのか?呼ばれたことのない名前で呼ばれている辺り後者の予感がする。
「……あの、もしよければ……鏡で私の姿を見たいです」
その言葉に父らしい人がメイドに壁に掛けてある鏡を持ってくるように指図する。メイドは優雅さは維持したまま機敏な動作で壁から高級そうな意匠が縁に施されている鏡を取り、ベッドの隣まで近づいてきて鏡の中に私の姿が映るように角度を調節して私の方へ向ける。
私はその鏡に今の自分の顔を映してみる。髪の毛は赤みがかった金髪で角度を変えてみると光の加減でピンク色に見えることもある、ゆるふわ系の髪が肩まで伸びていている。
瞳は大きくぱっちりと開いていて睫毛も長く魅力的で、あまり自己主張をしない可愛らしい整った鼻に、つやつやでぷるんとした小さめな唇。若々しい張りと潤いのある白い肌。そこには見慣れた私の顔ではなくどこかでみたことのある美少女が映り込んでいた。
……この顔どこかで……もしかして?「夢色の遥か -Alone with youー」のヒロインみたいじゃない!?リアルになるとこんな感じかも!あっ、ザール王立学院と言えばゲームの舞台となっている学院の名前だった気がする……もしかしてここはゲームの世界だったりするのかしら!?
だが、本当に?という疑念も拭えない。情報が未だ不足しているのは確か。思い込みで行動するのは愚か者のすること。
確信できるほど情報が集まるまではあまり期待は抱かない方が良いと自分に言い聞かせる。
そう、もし仮にここがゲームの世界だというのなら必須のステータス画面やメニュー画面などが出てくるはず。
そういう題材のアニメとかでは、空中に手をかざしたり動かしたりすればステータスウィンドゥが簡単に表示されていたではないか。それを思い立った私は実際に試してみる。
片手を上げ、空中を押したり突いたり、上下左右にスライドさせてみたり、思いつくモーションは一通りやってみた。が、一切そのような表示は出てこない。
まぁ、そうよね……そんな都合のいいことって現実にあるわけないわよね……。
精神的な徒労感が襲ってくる。
「なぁ、アン。あの子は何をやっとるんだ?空中に何かあるのか?」
「さぁ、私にも分かりかねます。なにぶんお嬢様のなされることですので……」
父らしい人がメイドと困惑した風に話し、メイドはいつものことだというようにさらりと返す。それを聞いた私は見られていたことに今更ながら気づき恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になる。その顔を隠すようにベッドに潜り込み掛け布団を鼻の辺りまでもちあげる。
数分後、そこへもう一人の女性が入室してきた。女性が身に纏っているドレスはシンプルで動きやすそうなものだ。
その女性はスタイルが良く今の私と同じ色の髪の毛を長く伸ばしており、それを三つ編みにして編み込んだものを肩から胸の前へ優雅に垂らしていてる。整った顔立ちでどことなく今の私に似ていることからこの身体が彼女の容姿を色濃く受け継いでいるのが分かる。
父方に似なくてよかったと内心安堵した。
「やっと坊やを寝かしつけてきました。あらあら、この子はもう起きても大丈夫なのかしら?」
「これは奥様、お坊ちゃまのお世話なら私共にお命じ下さればよろしゅうございますのに」
「まぁ、確かに貴族の間ではそうするのが普通でしょうけど。でも、娘も大きくなったし、この子はできるだけ私が手ずから育てておきたいの。それに今は皆忙しかったでしょう?我が娘のことで」
その回答にメイドは了解の意を込めて軽く礼をして大人しく引き下がる。
「それで、どうなのあなた。この子の様子は?」
「うむ……どうやら頭を打った衝撃で記憶を失ったらしい。わしの顔も覚えてないと言ってな……」
「……奥様、お嬢様がお目覚めされてからは憑き物が落ちたようにすっかり大人しくなられて、私もとても驚いているところでございます」
「アルメリー、貴女はじっとしてるのが昔から苦手で、私が話し始めるといつの間にか姿を消してしまうから……今回の騒動は貴女にじっくりと話を聞いて貰う良い機会です。いいですか?入学前の貴女に言っておきたいことがあります」
「学院に入学した後は私達親が直接護ってあげることはできません。あなたが記憶喪失だとしてもそんなことは関係なく社交界デビューのパーティの時に起こした一悶着のことで、他の貴族令嬢から嫌がらせを受けるかも知れません。貴女自身もその件が原因でそれまで友人付き合いをしていた御令嬢達とも疎遠になり、味方が誰も居ない状態で入学させねばならない。私は不安で仕方がありません……」
うーん……。社交界デビューとかそういう制度があるんだ?……とかそういうのに感心してる場合じゃなくていきなり学院生活の難易度が上昇してる……この子ってどんだけ問題児だったのよ!?
「その時のことはまだ思い出せませんが、配慮に欠ける行動をしてしまったようで申し訳ありません。私は入学後どのような行動を心がければ良いでしょうか?」
私は母の目をのぞき込むように教えを請う。
「貴女は毅然と振る舞えばいいのです。男爵家の令嬢として恥ずかしくない立ち振る舞いをするのですよ。そうすることで相手に付け入る隙を与えないことになり、よほどのことが無い限り貴女に直接危害を加えようとする者は減るはずです。笑顔を絶やさずにいれば自ずと新たな友人もできるでしょうし、学院で良い殿方に見初められることもあるでしょう」
まぁそうするしかないですよねー…。でも見初められる?って嫁げってこと?この歳で?……この世界の常識を相談できる相手が欲しい……正直泣きそうだわ。
「今までは口を開けば殿方のことばかりで何も考えてない子だと思っていたのですが、こうやって私の話を真面目にちゃんと聞いて、なおかつ助言を乞うなど……実に好ましい変化です。母は嬉しく思います」
話し終えるとそれまで張り詰めていた顔が少々ほころんでいるようだった。
大人として当然の態度を取ってるだけなんだけど……それにしても親が甘々なのかこの子の普段がよっぽどだったのか……まぁ勝手に良く解釈してくれる分には私は困らないのでいいかな……。
「そういえば奥様、先ほど旦那様にもお伺いしましたが、お嬢様の明日のザール王立学院の入学式はどうされますか?大事をとって不参加になさいますか?」
すかさずメイドが私の式典参加の是非について事務的な伺いを立てる。
良く喋る母親という人物の登場で思考が乱されてしまったが、私にとっても重要な案件である。なにしろ記憶が確かならゲームでは入学式は登場人物紹介を兼ねて主要キャラがそろって一人づつ壇上で演説することになっていた。
これはあのゲームの世界との類似性についてどの程度の差異があるのか最高の判断材料になると思う。
ここは私自身で学院に行き、本当にゲームの主要登場人物がその壇上にいるかどうかをこの目で確認したい。
「……お父様、お母様!私、入学式に参加したいです!どうかお願いします!!」
私はベッドの上で身体を折り曲げ頭を下げて必死にお願いする。
この人達を父母と呼ぶのは今は感覚的に違和感があるが、この身体にとっては血が繋がっているのだから慣れるしかない。
「今の貴女の方がそう言うのなら、私も快く願いを聞き入れましょう。入学が遅れて一人だけ浮いて目立つことになるよりも、入学式から他の生徒と一緒の方が良いでしょうね。正直入学させるには少々不安がありましたが、これなら安心して学院に送り出せそうです。身体の方は本当になにも問題ありませんね?」
「はい!お母様!身体は特に問題ありません!」
両腕をぶんぶんと上下に動かして、元気なアピールをする。
「この子もこう言ってることだし、どうかしら?明日は予定どおり入学式に参加させてあげたら?もしその後から調子が悪くなりそうなら屋敷へ戻して療養させませましょう」
「う、うむ。薬師も問題は無いと言っておったし、そなたがそう言うならわしも異存はないがの……?」
父親はいささか不安な様子だが母の意見に追従する。
このキャメリア家のヒエラルキーが垣間見えた気がする。
うん、この母にはこの先も逆らわないでおこう……。
「アン。荷物の方はどうなってます?」
父の同意を確認した母はメイドに次の用件の確認をする。
「お任せ下さい奥様。学生寮の方へは手続きや荷物等すでに運び込み済みで準備は万全です。」
メイドは即座に反応し、それがすでに完了していることを報告する。
このメイドできる人だ……。
一人感心してメイドの方をみる。メイドは綺麗な姿勢を維持し、そのまま待機している。
この際、父らしき人に気になってることを聞いてみる。
ゲームでは実家に帰るイベントとかもなかったからグラフィックもなかったし、どんな感じなんだろう。中世ファンタジーの世界で貴族の家だしきっと立派なお屋敷だったりするのかな……?
「お父様、私が学院に入学してしまうと暫く会えなくなるので、聞いておきたいのですが……家の方は今どうでしょうか?様子を教えて貰えますか?」
上目使いで父親の目をのぞきこむように聞いてみる。
「お前からその話が出るとは思わなんだ……。わしは、わしは嬉しいぞ!よいか?では聞くがよい。わしのベルフォール領はここ数年は豊作に恵まれ、税収も安定し、我が領の特産品である果実酒も商会を通じて近隣の他領や王都へ出荷しておる。この事業の方は売り上げも順調だしの。何も心配することはないぞ。安心して学院に行っておいで」
嬉しそうに顔をほころばせて話している。目にうっすらと涙が滲んでるようだ。
あ、あれ?そういう事が聞きたかったんじゃないんだけど……まぁいいか心配しなくて良いって言ってるし……
「アルメリーが家の財政や自領のことまで気にかけるように……。貴族の長女としての自覚が………」
とても嬉しそうだ。声を詰まらせ涙を浮かべる母親。メイドがスッと側に寄りハンカチを取り出し、その涙を拭く。
「……入学前に色々と話せてとても有意義な時間だったけど、意識が回復したばかりの貴女にあまり負担をかけるのもよくないわね。そろそろ退室しましょうか、あなた。アルメリー、貴女も早く寝るのよ?」
「はい、分かりましたわお母様」
返事と共に母に向かってベッドの上で軽く会釈をする。
「ではアン、後は頼んだぞ?」
メイドが先に扉まで行き、扉を開けて頭を下げて待機する。母が先に立ち、父はそれに連れだって二人は部屋を出て行く。
二人が廊下に完全に出るまで待ってから姿勢を元に戻し、静かにドアを閉める。その後、メイドはこちらに緩やかに近寄り、乱れていたベッドのシーツなどを軽く直してから
「お嬢様、何かご用があればお声をかけて下さい」
とだけ告げるとベッドの近くの椅子に腰掛け、読みかけだった本を開き黙々と読み始める。急に部屋が静かになったせいで時が止まったかのような錯覚を覚える。だが彼女が時折本のページをめくる音が時間の経過を私に認識させる。
考える時間が出来たので、先ほど聞いたことを頭の中でまとめてみる。
今し方聞いた限りでは親は領地持ちの貴族で、私はその家の長女。幼い弟がいるらしい。
経営や財政の方は安定、両親も健在で夫婦仲も良好。私の周囲の環境はなんだか恵まれてて安心ね。
後は私のことだけど、思えば学生時代はずっと勉強に費やしてたし恋バナとかにも距離を置いてたクラスでも真面目が取り柄の地味な子だったし……せっかくだし、この世界に来れたことを幸運と思って頭を切り替えて学生生活をやり直し……いや、思いっきり満喫してやるんだから!
それに階段から落ちた衝撃で前世の記憶が蘇ったのか、元の子の魂がショック死して抜け出たところに私が代わりにスルリと入ったのかは分からないけど、そんなことは考えても無意味だしこれからのことを考えた方が有意義よね。
前に読んだことのあるスピリチュアル系の本に「魂の状態なら距離も時間の概念も関係なく時空を自由に移動出来る」って書いてあったし……きっと不憫に思った神様が今度は幸せになれるように、と私の魂をここに導いてくれたのだわ。
後は……このまま記憶喪失のフリを続けるつもりだけど、どこかで墓穴を掘らないように記憶を失う前のこの身体の元の持ち主の子のことを色々知っておく必要があると思う。
彼女はずっと私の側にいるし私に専属でついているメイドなのかしら?この際だし、彼女に色々聞いて教えて貰おう。聞いてる限りでは立場上、私の方が上な感じだし?拒否されることは無いと思う。
刻々と流れる静かな時間。やがて意を決した私は彼女に語りかける。
「よかったら、あなたのことを教えて?今のままだとあなたのことをどう呼べばいいか分からないし、それに何かがきっかけで記憶が少しでも戻るかもしれないし……」
「そういうことであれば。長いことお仕えしている方に改めて自己紹介とは面眩いですが……私はアンリゼット・ペルーシュと申します。皆様からは親しみを込めて「アン」と略されて呼ばれることが多いですね。私がまだ幼い頃、王都から領地へ戻られる旦那様と、あるきっかけで出会い、その際に色々あったところを拾われ教育を受けさせていただき、このキャメリア家へお仕えすることになりました。今はこうしてアルメリー様の専属メイドをさせていただいております」
言い終わった彼女は少し誇らしげで輝いて見え、いままで無表情を貼り付けたようなクールな感じだったのにこんな表情も出来たんだと、微笑ましい気分になった。
「私、記憶喪失の前はどんな感じだったかしら?よかったら教えて……?」
「……よく言えば元気なお方、ですかね?いつも忙しなく動かれていたような?あと、お喋りも大好きで、旦那様や奥様に見られてない時はずっとお喋りをされてましたね。よくこんなに話題が尽きない物だと相づちを打ちながら感心しておりました。令嬢が好んで嗜まれることの多い習い事の類いや学問など家庭教師による勉強のお時間はあまり好きでは無かったみたいですね」
「他には殿方に大変興味がおありで、行事や催し物等で平民、貴族分け隔てなく同年代の殿方の近くに寄られた際は彼らの会話に堂々と入っていき、笑顔を振りまいておられました。それを間近で見た殿方の大半は大体すぐに頬が紅潮したり蕩けているのがよく分かりました。よほど効果的なんでしょうね。……ですがいつもやり過ぎるのか、同性に敵を作りやすい性格でしたので、このままだと実際にご入学されたとしても近い将来、周囲から孤立し学院生活に重大な支障がでるのではないかと私共も心配しておりました」
「ですが、今のお嬢様を見る限りそれも杞憂に終わりそうですね。……こんなところでしょうか?ご満足頂けましたか?」
「ありがとうアン。とても助かったわ。今日は沢山の話を聞けて私の頭ももう限界みたい。そろそろ休みます……」
「では、私もこれで失礼します。ベッドの横の棚に呼び鈴が置いてありますので、何かご用があればそれを振ってお呼び下さい」
そう言うとアンは椅子からそっと立ち上がって本を元の位置へ戻し、扉まで緩やかに歩いて行き、扉を開けてこちらに向き直り「おやすみなさいませ」と一礼をして扉を静かに閉めた。その後僅かな足音も消え、部屋に再び静寂が戻った。
彼女が退室してから私は大きく溜息を吐き、ベッドに背中から倒れ込んだ。クッションが「ぼふっ」と音を立て柔らかく身体を包んでくれるのが心地よい。
明日の入学式には参加できるようになったけど、記憶にある人たちがちゃんと居るのだろうか?
攻略対象全員とは言わないから最低でも一人は居て欲しいと願う。
彼らのことなら私が知っている分、余裕をもって接することができる安心感みたいなものがある。
もしかしたら顔だけが私の知ってるのと同じで性格や好みが違う可能性もあるかもしれない。それも想定しておかないといけないかも。
まったく居なかったら……そんな最悪な結末が一瞬頭をよぎるがイヤイヤと頭を振ってその考えを頭から追い出す。
目を閉じて最高の可能性を妄想する。イケメン’sに囲まれてチヤホヤされる学院生活。これよ!これこそが私の求めるものなのよ多分!明日から、青春を謳歌するわ!
ヤバイ。興奮してしまって寝付けないかもしれない……と思っていたのもつかの間で、眠りに誘うベッドの気持ちよさからすぐに深い眠りに落ちていったのだった。