覚醒
寮の自室に戻るとアンに飛びつく。
「アン、聞いて聞いて!ランセリアの……じゃないランセリア様のサロンに入ることができたの。これでもっとずーっとお近づきになることが出来るわ!」
この喜びを誰かに伝えたいという思いが暴走しつい敬称を付け忘れる。
「それは重畳ですね。おめでとうございます。……ですが一旦お着替えを」
アンに窘められ、言う通りにする。
いつもの通り、学院の出来事やランセリアがいかに素敵で格好良く魔力も凄かったかとべた褒めしながら話しているとアンが何かを思い出したのか、引き出しから何かを取り出す。それは紐で縛られ油紙に包まれた小包だった。
「本日届いた物で、こちら旦那様からお嬢様宛です」
包装を開けるとそこには蝋で封印されている手紙と高級そうな菓子箱が入っていた。手渡されたナイフで開封すると、手紙にはびっしりと文字が並んでいて『学院でちゃんとやれてるか?虐められてないか?何か病気や怪我はしてないか?足りない物はないか?欲しい物があればすぐに送ってやるぞ?次はいつ帰ってこれる?はやくお前の顔がみたい、週一、いや月一でも良いから手紙を……』等々、心配性なのか溺愛っぷりが延々と綴られていた。
旦那様……お父様ってあの人か。1日しか会ってないから特に感慨も何もないなー、とか思いつつアンに質問をする。
「アン、返事を書いたらどうすれば良いの?」
「お嬢様には文面を書いて頂き、宛名書きと蝋で封印までして頂ければ私が料金と共に寮長に渡しておきます。そのあとは寮長が手続きをしてくれます。すぐにお返事をお書きになりますか?」
「……んー。すぐには思いつかないから、もうちょっと後にするわ」
ちょっと困ったように微笑して曖昧な返事を返すのだった。
◇
ベッドで横になるが目を瞑るとランセリアの顔が浮かびなかなか寝付けない。少し気持ちを落ち着けようとベッドから降りてストールを羽織りベランダに出る。辺りは静かで空気がひんやりと心地よい。空を見上げると綺麗な月が出ていた。まんまるとした大きな満月であった。月明かりを頼りに椅子に腰掛ける。
こっちの世界にもちゃんと月があったのがなぜか嬉しかった。夜空にたった1つだけ浮かんでいて記憶にあるものと同じ色。共通点に親近感が沸いてくる。
月に向けてゆっくりと右手を伸ばす。このまま手を握り込めば月も掴めそう……。
そんな思いを馳せながら月を愛でていると急に眠くなってきた。こんな所でうたた寝しては風邪をひいてしまうかも。そろそろベッドへ戻らなきゃ……。立ち上がろうとするが何故か体に力が入らない。そのまままどろみ私の意識は闇の中に落ちていった。
……目を開けると、目の前に満月が浮かんでいる。頭にズキッとする痛みが走り、幼い頃からの思い出が一瞬のうちに走馬燈の様に流れた。場面が急展開し急に体が階下に投げ出され視界がクルクルと階段と天井に切り替わり暗転する。だが今の私にはそんなことはさして重要ではないように思えた。全て遠い遠い過去のように感じる。
再び視界が開けると辺りは夜の闇に包まれていた。
手を握ったり開いたり、足を組んだりばたつかせて自分の意志で動く事を確認する。
どうやら人間への転生は成功し、我は真の意味で目覚めることができたのだ。
これからやっと、本来の責務を果たすことができる。
「フフフ……アーッハッハッハ!」
勝ち誇ったような笑い声が辺りに木霊する。
でも細心の注意をもって慎重に行かないと…。まずここはどこなのか、状況把握をするとしましょう。
その大きな声に目を覚ましたのか誰かがベランダに出てくる。
椅子に座ったまま音のした方へ顔を向けると、部屋の中からネグリジェにストールを纏った女性がこちらを見ている。
この娘は……確かメイドのアン、だったかしら?
「お嬢様どうかしましたか?」
「何でもないのよ、何でも……」
「いつ頃からこちらへ居たのか存じ上げませんが、あまり長く外におられますとお体が冷えてしまいます。お部屋へ戻っては如何ですか?」
普段とあまりにも違う言動や振る舞いをしては怪しまれるかしら?まだ私のことを知られるのはあまり得策とは言えないわね。彼女の家に対する忠誠心と比べてこの私自身に対してはそれがどの程度のものなのか分からないし、念のため暗示を掛けておきましょうか……フフフ。
椅子から立ち上がり彼女の前で止まる。
「精霊よ我が命に従い出でよ火の円環」
呪文を唱えると小さな火球が連なりブレスレット状になった物がゆらゆらと回転しつつアルメリーの目の前の空中に現れた。
「言うことを聞いてくれたら部屋に戻ってすぐに寝るわ」
「なんでしょうか?」
「アン、この火で出来た円環をよく見てて頂戴……」
アンに暗示をかけ終わると部屋に入る。人間、それも魔法を使うことができない平民ごときに我が魔術が抵抗できようはずも無いだろう。大人しく私についてくる。
これで好きなときに彼女の自由意志を奪い、私の命令だけを聞く愛しいお人形が出来た。
彼女には指を鳴らす等の簡単な合図ですぐに傀儡モードに切り替えることができるように条件付けをし、解除した時点で傀儡状態での見聞きした記憶は消えるように丁寧に細心の注意を払って術を施した。彼女が私の言動や行動に対し疑惑を持ったと私が気付いた時に発動させてやれば彼女は直前の記憶が混濁する。そこに彼女に辻褄が合うように言い含めてやれば都合の良いように己で勝手に記憶を解釈してくれるだろう。
今の彼女の瞳は虚ろで意志の光が見えない。これは完全に私が意識を掌握している事を示している。いくつか質問を投げかけ、現状を知ることにした。
魔法が使える素質がある者を集めた学院に入学したこと、精霊祭という祝祭の実行委員になったこと、学院のある集団派閥との軋轢関係、特にランセリアという魔法の素養が高く大きな魔力を持っている令嬢と距離が近くなったこと……。
「ふーん、なるほど。そう……」
転生の儀式の後、本来の私が目覚める事が出来るかどうかは賭けだった。魔法や魔力と関わる事が無ければ下手をすればそのまま人間として一生を終わるかもしれなかったが、まずはその賭けには勝ったわね。
目覚る事ができれば器を見つけるという使命を果たすまで世界中を旅して周り、それでも見つからなければ何世代に渡ってでも転生を繰り返す覚悟でしたが……。
こんなに早く我が目的に適いそうな器を見つけることが出来ようとは、なんという僥倖……。
だけど慎重に行かなければ……。ただの貴族令嬢という役割を演じ切り、「ランセリアという器」を確実に我が物とするために……。
我々の世界と違い、人間の世界では「貨幣」でのやり取りであらゆるものが動くというのは知っている。ならばそれが手元に多ければ多いほど我が動くのに色々都合がよいだろう。
「アン、手元に貨幣はどのくらいあるの?」
「貨幣?お金ですか?お嬢様が心配なされずとも、余裕をもって十分に生活できるだけの資金を毎月旦那様から送って頂くような手筈になっておりますが、それが何か?」
「……すぐに追加の手配をしておいて頂戴。出来るだけ多くの資金を、ね。私がねだっているとでもなんとでも……理由は任せるわ」
「かしこまりました。では早速書き上げますので暫くお待ちください」
アンに一筆書かせて、私が手紙の封をするとあくびが出てしまった。
む……。我が意志に反して体が睡眠を求めている。どうしても体の生理現象に引きずられてしまうか。
仕方ないので指を鳴らしアンの傀儡モードを解除する。
「アン、これを明日出しておいて頂戴」
スッとアンに手紙を差し出す。アンは少し戸惑った様子だったが気のせいだろうという風に頭を振り、主の求めに応じる。
「かしこまりました」
「私はもう寝るわ。明日もあることだし」
片手を軽く振り、寝室へ向かう。
「お休みなさいませお嬢様」
◇
「んーーー!」
アンに起こされ大きく伸びをする。
あれ、私いつのまにベッドへ戻ったんだろう?たしか寝付けなくてベランダで月を見てたような……?
「アンが私をベッドまで運んでくれたの?」
「いえ?お嬢様はご自分でベッドへ戻られましたよ?」
よく覚えていないけど、アンがそう言うのならそうなのだろう。
「お嬢様、早く支度をされないと朝食の時間に遅れますよ?」
「はぁーい」
そしていつものように寮の食堂で朝食を摂り校舎へ向かうのだった。
紋章学や各種座学、マナー、裁縫、ダンス、そして魔法の授業。魔法の授業で少しづつだが魔法も覚え成長を感じる日々。氷で小さな盾を浮かべて飛び道具から身を守ったり、地面を氷らせて模擬戦相手を転倒させたり、氷の礫を対象に飛ばすという氷系の魔法が私に合っているのか扱い易く感じる。
授業で一度に氷らせれる範囲も少しづつであるが広がってるし、呼び出せる氷の礫の数も増えてきたし1つ当たりの大きさも段々大きくなってきてる気がするし。
一方、火属性の魔法に関してはあまり成長の跡が見えず、私は本当に二属性持ちなのか?と自分でさえ疑問になる始末だった。
放課後、私は生徒会室に委員会の仕事で大手を振っていけるようになったのだ。
主に精霊祭の準備で各種許認可や必要な資材の発注でね。(委員会には予算がないから生徒会に頼るしか無いのだ)
今は生徒会室の端に用意されたスペースでマルストンという子と膝を突き合わせて打ち合わせをしている。
彼は生徒会で唯一の平民出身の男の子。彼の家は王家からも信用が厚い老舗豪商の子で、彼自身、幼い頃から家の手伝いをしていたらしく申請の手続きや資材の管理(祭具の保管場所や必要な物資の調達等)はお手の物で手際が良く、頼りになるのだ。打ち合わせの際には必ずお菓子を用意してくれる心配りも忘れない出来た子なのでちょっとした用でもつい来てしまい、最近すっかり仲が良くなった。
「アルメリー様、このリストに書いてあるものを用意すればいいですか?」
「ええ、今のところ委員長にたのまれている分はそれで全部。また何かあったら追加するかもだけど……大丈夫?」
「ええ、ぼくにお任せ下さい!」
マルストン・シュエット。茶髪で深い緑の瞳、背が低く童顔で髪を肩まで伸ばしているので女の子みたいにもみえる。いつもにこにこ笑顔を振りまいている柔らかな雰囲気は側にいるだけで癒やされる。そしてちょっとぽっちゃりしてるのがまた母性本能をくすぐるのか上級生のお姉様方にとても人気だ。正直いってかわいい。
「ではお願いね。マルちゃん」
「ではでは!」
最初は名前で呼んでいたのだがいつのまにか名前すら短縮し「ちゃん」付けで呼んでいる。マルストンの方も嫌がってないし、見た目的にもちゃん付けのほうがなんかしっくりくるのよね。
彼は子犬がしっぽを振るかのように元気よく手を振り、私も軽く手を振り返して分かれる。
退室し廊下を歩きながら次の用件に思いを馳せる。
「えーと次は親御さんへの招待状に関する各クラスの集計をそろそろしないとね」
精霊祭は父兄も参観出来る数少ない行事なので招待状を送付する必要がある。そのため出欠の人数を確認するべく各クラスに調査票を回していた。クラスの担任教官がそれぞれ持っていると思うので、それを回収してくるのである。
委員長曰く、平民出身の生徒はほぼ「欠席」に印をつけるのだそうだ。
一つは親が地方から王都まで往復する高い旅費の捻出は経済的にまず無理であるからという理由で。
もう一つの理由としては、距離的な問題が無い王都近郊の民だとしても、貴族や裕福な商人などを中心とした流行に乗った豪華な衣装を纏った人々に対し、みすぼらしい親をクラスメイトに見せたくないと思う者も当然いるからということらしい。
調査票の整理と集計が一通り完了し、辺りも暗くなってきたので今日の作業はこの辺りで終わりにする。
集計した結果、全学年合計すると欠席者はかなりの数に登ったのだった。大半は委員長の言った通り平民の子達だったが、貴族の子息の中には留年されてる方もそれなりにいるみたいだし、親に会いたくないためワザと「欠席」に印をつけている人がいるかも知れない。
貴族家への招待状に漏れがないか明日、生徒会へ頼んでチェックして貰おう。もし漏れてたりしたら私達の責任問題に発展しかねないし。




