猫の目から見えた人なみ
僕は、猫。オスの縞猫。生まれは、郊外にあるペットショップ。
物心ついた頃には、キャンキャンチュンチュンうるさい場所に居た。
透明なケースの向こうでは、一番小さくても僕より体重の重そうな生き物が、素通りしたり、こっちを見て音を立てたり、ケースを叩いたりしてきた。
ケースを出てから知ったことだが、こいつらは人間というらしい。
しかも、中には僕たちの皮を剥いだり、肉を食べたりする獰猛な奴等も居るという話だ。
さて。話を次に進めよう。
ケージを出され、鈴の鳴る首輪を付けられた次の日、僕は飼い主の車に乗せられ、白い服を着た人間が居る場所に連れて行かれた。
細長い管を刺されたと思ったら、すぐに眠たくなった。
起きたら股の間が痒かったから舐めたんだけど、血が出てきたから慌てて止めた。
そのあと、白い服の人間に再び眠らされて、今度はお椀型の変な襟を付けられた。
これも後で知ったことだけど、僕が受けさせられたのは、人間たちの間で去勢手術と呼んでいるものだそうだ。
最初の飼い主は、皺くちゃで、どこに目があるのか分からない人間だった。
僕は、ここでサバという名前を貰った。身体の模様が、サバトラというからだそうだ。
縁側で日向ぼっこしてる僕を何をするでもなくボーっと眺めてたり、ヨッコイショウイチという謎の呪文を唱えて立ち上がったり、毎朝に口の中へケバケバの棒をツッコんではグエッと吐いたりする、変な人間だった。
でも、暖かい場所を用意してくれたり、食べ物を分けてくれたりするし、攻撃してくることもなかったから、それなりに居心地が良かった。
まぁ、カサカサの手で撫でてきたり、風呂という場所に連れて行かれて水浸しにされたりするのは嫌だったけどね。
良かった、と過去形なのは、それが長くは続かなかったからだ。
ある朝、いつまで経ってもカリカリを用意してくれないから、また忘れてるんだと思って、エサ皿を咥えて飼い主を探したんだ。
そしたら、布団の中で眠ってるみたいだったから、エサ皿を置いて、前足で顔を押したんだ。
そこで僕は驚いたんだけど、いつにも増してカチコチで、思わず総毛立つくらいヒヤーッと冷たかったんだ。
何日か経って、部屋中に鼻につく臭いがし始めた頃、その飼い主は、光がクルクル回ってる車に運び込まれて、どこかへ行ってしまった。
飼い主を見つけた人間達は、コドクシとかドッキョロージンとか言ってたけど、どういう意味なんだろうね。
食べ物をくれる人間が居なくなったし、そのうち家にも入れなくなっちゃったから、僕は飼い猫から野良猫になった。
まだ桜の季節で夜は寒かったから、あとで神社と呼んでいることを知った建物の下に住もうと思った。
そしたら、そこには先客で、キジトラのボス猫が居た。
まだ仔猫で身体が小さかったからか、それともボス猫がメスだったからか、理由は分からないけど、色々とお世話になった。
屋根に上ったり、茂みの間を潜ったりしてるうちに、いつの間にか、鈴が鳴る首輪は取れていた。
鼠を捕まえたり、ゴミ箱を漁ったり、鳩を追いかけたりと、毎日が新鮮な驚きの連続で楽しかった。
楽しかった、と過去形なのも、手水場から流れてくる水を飲んでる時に、強烈な花の匂いがする人間に捕まったからだ。
今度の飼い主は、おなかに鼻がムズムズするような顔を押し付けてきたり、やたらと櫛で梳かそうとしてきたり、毛玉の付いた棒をチラつかせてきたりと、なかなかスキンシップが過剰な人間だった。
だけど、爪を研ぐ板を用意してくれたり、高い場所や狭い場所がある遊び場を用意してくれたり、時々柔らかくて美味しい食べ物を与えてくれたりしたから、そこそこ我慢してた。
そうそう。ここでは、ブルーって呼ばれてて、蝶ネクタイという物が付いた首輪をしてたんだ。
カッコイイから見せびらかしたかったんだけど、今度の家はとっても高い場所だったから、めったに外へ出られなかったんだ。
でも、この生活も、それほど長く続かなかったんだよね。
毎朝、粉をパタパタはたいたり、先がフサフサの棒で線を引いたり丸を描いたりしてたんだけど、ある時からパッタリ止めてしまったんだ。
狭い額を皺を寄せ、小さな頭で思い返せば、この頃から怪しかったんだよね。
そのうち、家に帰ってくるのが遅くなって、食べる量も減っていって、僕から誘っても遊んでくれなくなったんだ。
それで、ある夜、ゴミ箱をひっくり返したみたいな臭いがすると思って、臭いがする方へ近付いたんだ。
そしたら、カーペットの上にイスが転がってて、飼い主は宙ぶらりんになってたんだ。
で、そのあと僕がどうしたかって言うと、珍しくベランダの窓が開いてて、そこから外へ出たら壁に僕が通れそうな穴が開いてたから、そこを抜けたんだ。
そしたら、窓の向こうに別の人間が居たから、ガラスを叩いたり鳴き声を上げたりして呼んだんだ。
それからは、ドタバタと色んな人間が出たり入ったりしてて、詳しいことは覚えてないな。
だけど、僕が呼んだ人間は、飼い主のことをシャチクとかカローシとか言ってたよ。何のことか知ってる?
そのあとは、帽子を被った人間に首輪を外されて、久しぶりに外へ出たんだ。
家に入ろうとすると邪魔されたから、そのまま神社に行くしかなかったよ。
だけど、そこにはキジトラ先輩は居なくて、代わりに、とっても小さな三毛猫ちゃんが居たんだ。
可愛いけど、昔の僕みたいに何も知らなかったから、前足取り後ろ足取り、野良の心得を教えてあげたんだ。
もっとも、その大半は先輩の受け売りだけどね。
で、暑かった太陽が涼しくなってきた頃に、三毛猫ちゃんは、おみくじという紙を縄に結びに来た少年に連れて行かれたよ。
達者に暮らしてると良いな。
そのまま、僕は長い冬をジッと乗り切ろうと思ってたんだけど、そうはいかなかった。
賽銭箱の近くで少しでも身体を温めようと日光を浴びてたら、昔の傷跡がジクジクするし、おまけに頭がボーっとしてきちゃってね。
起きたばかりなのに、もの凄く眠たくなったから、そのまま寝ることにしたんだ。
どれくらい眠ったのかな。
気が付いたら、ここに居たんだ。ここは、どこなの?
暑くもなく寒くもなく気持ちが良いし、心なしか、身体の調子も整ってる気がするよ。
あっ。あれは、キジトラ先輩だ。それに、最初の飼い主も手を振ってる。
待ってよ。今、川を渡ってそっちへ行くから。
※同人原稿として提出予定でしたが、予定していた文字数を大幅に下回ったため、こちらに載せました。