懲役4000年の魔女⑨
満月にも似た美しい黄金色の瞳が右へ、左へ、それからまた右へ。
フェヴラーへ、アバグネイルへ、そしてまたフェヴラーへ。
「貴様が共謀者か」
「さぁて、なんのことやら」
そう言って一歩ずつゆっくり、でも着実に近寄ってくるキサラギにアバグネイルが銃口を向けようとした途端、拳銃を握る彼の手を細いフェヴラーの手が抑えた。
「君に会うのは、君がここに来た時以来かな?」
フェヴラーが何を思い自分の攻撃の手を抑止したのか、アバグネイルには分からない。
「獄長の言いつけを守って、私を檻の中に閉じ込めるかい? 見た目と違って随分懐く可愛い犬じゃないか、人型最強の戦闘民族が聞いて呆れるよ」
分からないなりに、考えた。
千年以上も生きた賢人が「人型最強」と称する実力未知数の少女と、やり合うか否か。はたまたどうやり過ごすか。
考えながら、冷ややかな視線を向けるキサラギの姿を見ていたアバグネイルの視界の隅で、何かが動く。
「共謀者は殺す。貴様は、抵抗するなら手足を千切って檻にぶち込む」
鋭利な牙を見せ、怒りを露わにするキサラギの頭上。そこには、さきほどフェヴラーが鎖から精製した蛇が天井の石と石の隙間を這っていた。
「悪いが君は明日から魔女の脱獄を許した無能として、解雇されるだろうね」
刹那、勢いよく数匹の蛇がキサラギに飛びつき、その細い体を巻き取る。
「貴様」
咄嗟に蛇を振り払おうとするが、既に蛇は生物としての姿をとりとめておらず、フェヴラーを繋いでいた強固な鎖となってキサラギの肉体を縛っていた。
「新しい職場でも見つけることだ!」
が、それだけでは終わらない。
咄嗟に石畳を蹴り、飛び出したフェヴラーが杖を使用されていない牢獄の檻に叩きつけた。
すると、みるみるうちに鉄の檻は一点に収束。その姿を人の丈すら容易く超える熊へと変貌してしまう。
フェヴラーが命令をせずとも、生命を与えられた『鯖鉄の熊』はその腕を大きく振るい、キサラギを付近の壁へと殴り飛ばす。
「今のうちに逃げるぞ!」
石の壁を破壊し、立ちこめる砂煙の中に最早キサラギの姿は確認できない。
生命を与えられたとはいえ、その性質は鉄。鉄塊にあれだけ強く殴られ、石の壁に叩きつけられれば生きているかどうかも怪しいというのが一般人アバグネイルの考え。
だが、フェヴラーはどうも違うよう。
「え? ちょっ!」
すぐさまアバグネイルの手を引き、正規の出口のほうへと駆け出す。
「島の核である魔晶石がある限り、島の中で現代魔術は使えない。そんな状況であれと正面からやり合うのはリスクが高過ぎる」
「リスクって、そんなヤバいのかよ」
「さっきも言ったろう? ただでさえ鬼蛮族は人型最強の戦闘民族だが、あれはもっとマズい」
手を離され、フェヴラーと並走するアバグネイル。二人の足が段々早くなっていくなか、今度は突き当たりの登り階段のほうからいくつかの声が転がり込む。
「音がしたぞ、こっちにも囚人がいる」
「誰かいるのか! 大人しく投降しろ!」
鯖鉄の熊がキサラギを殴り飛ばした際の破壊音に誘われ、幾人かの看守が地下へ足を踏み入れてきたらしい。
ライフルを構え、ジメジメした空気が肌にはりつく地下を慎重に進んでいく。
曲がり角があれば、一度足を止めて確認を行った。
「誰かいるのか?」
看守たちが次の曲がり角に差しかかろうとした瞬間、角の向こう側から聞き覚えのある声が転がり込む。
皆、一様に警戒してライフルを握る手が力んだ。
しかし、角から姿を現したのは、おぼつかない足取りで壁をつたいながら歩く血塗れの看守ウル。
「この先で、囚人が……」
「ウルさん!?」
見知った顔の無残な姿に看守たちが心配し、駆け寄ったその瞬間、咄嗟に構えられたウルの拳銃が火を吹いた。
「え」
「ウルさんは死んだよ、アホ」
頭を撃ち抜かれた看守の体は硬直し、そのまま地面に倒れる。
ウルが何故、仲間を撃つのか。咄嗟の出来事に動揺を隠せない看守たちの頭を次から次にウルの放つ銃弾が撃ち抜いていく。
「貴様、誰だ!」
激昂した看守が、ライフルを握る手とは逆の手で剣を抜き取り応戦しようとしたが────ない。
鞘はあるのに、腰に差しているはずの剣がない。
「我ながら、泥棒ってのは手癖が悪くていけねぇや」
弾倉が空になった拳銃を投げ捨てたウルの手には、看守が鞘に収めていたはずの剣。
一体どうして。そんな疑問を看守が口にするよりも速く、ウルの振るった剣が男の頸動脈を引き裂いた。
「悠長に相手をしている場合か!」
突如曲がり角から現れ、ウルの姿をした何かへ銃口を向ける生き残りの看守たちの意識を一点に集めたのは黒いローブを纏うフェヴラー。
すぐさま彼女はウルの姿を模倣したアバグネイルの手をとり、出口へ向けて走りだす。
「待て!」
自分たちを素通りし、背を向ける二人を銃口で追った看守の殺意が指に込められた瞬間、彼らの背後で石造りの壁が轟音と共に崩壊。
飛び散る人の頭ほどある瓦礫と、濃い砂煙が看守たちを突如として襲った。
「魔女ぉぉ……」
崩壊した壁の向こうから唸るような声と共に姿を現したのは、鯖鉄の熊に殴られて致命傷を与えたはずのキサラギ。
極度の怒りからか、白目が全て真っ赤に染まるほど眼球は血走り、ギリギリと上下の鋭利な牙を擦り合わせる。
「サバトォォォォォォ!」
邪魔な看守を一蹴で壁にめり込ませ、腕の一振りで首の骨をへし折り、猛獣のような雄叫びと共に逃げた二人を追いかける。
「なんだよ、あの化け物! 最初ちょっと可愛いと思った俺がバカみてぇじゃん!」
「だから言ったじゃないか! あれはマズいんだよ!」
全速力で階段を駆け上がり、開けっ放しの扉をくぐってようやく外に出たフェヴラーと元の姿のアバグネイル。
連絡通路の窓で輝く五百年ぶりの日光にフェヴラーが目を眩ませていたのも束の間、異変に気付いて駆けつけた看守たちが二人を見つけて声をあげる。
「なんだ貴様らは!」
怪しい二人の姿にすぐさまライフルや剣を構える看守たちだったが、その懐にフェヴラーが飛び込んだ。
生誕の杖を用い、看守の持つ武器の数々を次から次に鉄の鳥へと変化させる彼女の姿は、まるで踊っているようで、その場の誰もが彼女の魅惑的な姿の虜になった。
無論、彼女への肉欲で頭を溢れ返らせたアバグネイルも例外ではなかったのだが、地下から聞こえる雄叫びが浮き足立った彼の心を現実に引きずり戻す。
「やばいやばいやばい!」
看守たちを押しのけ、鉄の鳥と戯れるフェヴラーのもとを目指すアバグネイル。
その背後で、重たい鉄の扉が吹き飛んだ。
連絡通路を破壊し姿を現したのは、やはり怒り狂うキサラギ。
「サバトォォォォォォ!」
通路を塞ぐ看守の首を掴み、壁が壊れるほどの勢いで容易くぶん投げて道を作る彼女の姿に見たのは、ただただ純粋な恐怖。
尋常じゃない量の汗を流すアバグネイルは怖くて怖くて仕方なかったが、対照的彼の隣でキサラギと向き合うフェヴラーは鳥と戯れながら小さく笑っていた。
「怒り狂うと手がつけられないという噂は本当だったらしいね」
キサラギの姿に怯え、慌てて道をあける看守たちだったが、彼女の行く手を塞ぐように鉄の鳥が翼をはためかせる。
華奢だが人の数倍は力強い腕で何度も鳥を振り払うが、次から次に現れる鳥はしつこくキサラギを襲った。
「さあ、元の姿に戻りたまえ」
フェヴラーが杖でコンッと叩いたのを合図に、鉄の鳥たちに与えられた生命は絶たれ、一羽ずつ元の姿に戻り始める。
飛行する勢いそのままに、剣へ戻ったそれらは鋭利な切っ先をキサラギへ突き立てた。
二本、三本と腕で剣を弾いていたのも束の間、キサラギの腹部を激しい激痛が襲う。
「おっしゃ、命中!」
歓喜の声をあげるアバグネイルの視線の先で、さらにもう一本の剣がキサラギの腹に刺さった。
「サバ、ト」
激痛に揺らぐキサラギの体。
「サバトォォォォォォ!」
しかし、その体が崩れ落ちることはなく、自分の足でなんとか持ちこたえた。
自身の腹を貫通する二本の剣の柄を掴み、ジワジワ抜き取る狂気じみた姿は、見ていたアバグネイルとフェヴラーの背筋を凍りつかせる。
「……アバ、これはマズい」
「……みたいだな」
くるりと踵を返し、二人は脚の筋肉が壊れるまで走った。
力の限り、走った。
「二本だぞ? 二本刺さったんだぞ!? なんで膝ひとつつかないんだ!」
青ざめた顔で連絡通路を駆け抜けるフェヴラー。
「知るか! なんだアレ、痛くねぇのか!?」
並走するアバグネイルの顔も、同じく青ざめていた。
連絡通路を抜け、彩り豊かな芝が生える中庭へ出た二人。
息を切らし、肩を大きく上下させる彼らを待ち受けていたのは、
「いたぞ! こっちだ!」
またまた看守。それもかなり多く、十人は超えている。
これもまたアバグネイルの誤算の一つだろう。彼が思うよりも早く暴動のピークは終わり、後は暴れる少数派の囚人を殺して沈静化を待つだけ。
看守の呼びかけに、手の空いた看守が次から次に現れ、発砲を始めた。
「っぶな!」
慌てて建物の陰に入った二人のもとに、一羽の鉄の鳥が降りてくる。
「使いたまえ」
そう言ってフェヴラーが杖で大地を叩くと、鉄の鳥はライフルに変化。
さきほどフェヴラーが取り上げた武器のうちの一羽だったに違いない。
「こんなの一つでどうにかできるかっての」
悪態をつきながらも、陰から身を乗り出して銃弾を放ち、看守たちを威嚇するアバグネイル。
これで少しは看守たちの足を止めることもできるが、所詮その場しのぎだというのは誰もが理解していた。
「なんとかなんねえのかよ、魔女だろ?」
何度も何度も陰から身を出して撃つアバグネイルの一言に、安全な場所でジッとしていたフェヴラーが不機嫌そうに頬を膨らませる。
「むっ、今のは少しカチンときたぞ。訂正するんだ」
「はぁ? そんなこと言ってる場合じゃねえだろ」
アバグネイルの囚人服を引っ張り、ムッとするフェヴラー。
「君は魔女というのを勘違いしている。そもそも私は自分で自分を魔女だなどと言い出したワケじゃないし、勝手に他人がつけた通り名のようなものだ」
「わかった! わかったから離せって!」
服を引っ張られて物陰からも出られず、ライフルも撃てない。
「いいや、君はわかっていない。断言しておくが、私は自分で自分のことを魔女だなんて言い出すような痛い女じゃない」
「お前、意外としつこいな!」
「そして君の思い違いの一つに、魔女という存在への誤った認識がある」
「なにが!」
急に止まったアバグネイルの攻撃の手に、看守たちは距離を詰め始めた。
警戒心は保ちつつ、それでいて大胆に足を進めていく。
「魔女は魔女であって、決して神のような万能の存在ではない。しかし、そうだな……」
「まだなんかあんの? ハチの巣にされちゃうよ!?」
遂にライフルを構える看守たちの視界が、揉めているアバグネイルとフェヴラーの姿を捉えた。
看守たちはすぐさま両手でライフルを構え、一斉に発砲。
銃口から飛び出した凶弾は空を裂き、アバグネイルたちのもとへ一直線。
────が、それを阻んだのは突如盛り上がった大地だった。
二人を守るように地面を突き破って現れたのは、四本の柱。更に二人の奥にもう一本の柱が見える。
魔術が使えないはずの敷地内で、こんなこと起こるはずがない。
まさかの出来事を前に呆気にとられる看守たちだったが、その不自然に生えた五本の石柱を見て一人の看守が何かに気付いた。
「手?」
一本一本長さの違うそれは、まるで大きな人間が二人をすくい上げようとしている手の指ではないか。
「魔女は万能ではないが、ちょっと便利だ」
嬉々として笑うフェヴラー。
どうやら看守の想像は正しかったらしく、二人がいた地面は少しずつせり上がり、周囲の大地が丸々巨人となって現れた。
「うおおおお、すげぇ!」
人を二人、手のひらに乗せることができるほどの巨人は首こそないが足もとにいる人々が首を痛くして見上げねばならぬほど大きい。
未だかつて見たこともない、遥か上空からの景色にアバグネイルは思わず歓喜の声をあげた。
「これも杖の能力か? こいつで海とか渡れねえの?」
「残念だが無理な相談だね。生誕の杖で造形する肉体は、その質量が大きければ大きいほど維持できる時間が短縮されてしまう」
最早、銃弾も届かないほどの高さから監獄島を見下ろす二人。
「岩盤と土を利用して造形したこの巨人も、すぐに元の姿に戻ってしまうだろうが……この状況から逃げ出すには充分だと思わないかい?」
「確かに!」
空からの景色と、生誕の杖の反則じみた異能力に内輪で盛り上がっていたのだが──、
「サバトォォォォォォ!」
何度も聞いた、あの雄叫びがまた二人のもとへ届いた。
これだけの巨人を作り、その手のひらで盛り上がっていては監獄島にいる誰もが二人に気付く。
一度は撒いたと思ったらキサラギも、その一人。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
何度もそう唱えた後、再び放ったキサラギの叫び声は言葉としての形をとりとめておらず、本格的に猛獣の咆哮と化していた。
不幸にもキサラギの周りにいた看守や囚人は咆哮で鼓膜が破れ、耳から血を流して地面に膝をつく。
「なあ、あれめっちゃ走ってきてない?」
アバグネイルの指差す先で、巨人の足めがけて走ってくるキサラギ。
「そう不安な顔をするんじゃない。いくら馬鹿力があるとはいえ、この巨人は島の地下を固めている岩盤を分厚く採用しているからね。いいか? ガ・ン・バ・ンだぞぅ」
フェヴラーの小さく可愛らしい唇が艶めかしく動く。
「そっかー、岩盤か。なら大丈夫だぁ」
全身を包み込むような安心感に、アバグネイルも笑顔になる。
しかし二人して安堵の息をついたのも束の間、キサラギの強烈なタックルが巨人の足を一瞬にして破砕した。