懲役4000年の魔女⑥
アバグネイルは、毎日毎日変わらない薄味のスープを木の匙で口にはこんだ。
ベラモスとは、一週間前に今と同じ食堂で話してから顔を合わせていない。アバグネイルは大して気にしてもいないが、ベラモスとしては後ろめたさもあったに違いない。
「こっちの準備はできたぞ」
一人寂しく、隅のほうでスープをすするアバグネイルの対面の椅子をひき、重たい腰をおろしたウル。この一週間で何やら疲労がたまったらしく、その言葉も吐き出すようだった。
「ごくろうさん」
「他人事かよ」
看守帽を脱ぎ、頭をかくウルの嫌味を聞いているのか聞いていないのか、アバグネイルは錠をつけたままの手で木の器を持ち上げてスープを飲み干す。
「美味いか? それ」
「クソ不味いに決まってんだろ、それも今日で終わりだけどな」
「決行するなら、あのおっかねぇ獄長が本土にいってる今日しかないぞ」
「おっけーおっけー、こっちも仕込みは完璧」
一週間前、魔女フェヴラーと出会った二人の脱獄計画。今日こそ、その決行日らしく食堂の片隅に座る二人の顔は鏡に写したように酷似した笑みを浮かべていた。
こうして囚人と看守が言葉を交わす機会というのは、監獄島において珍しい話ではないようで、テーブルをはさむ二人を周囲が取り立てて特別視することもない。
どうせ煙草をねだっているか、労働時間を短くしてほしいと頼み込んでいるのだろう。
看守も囚人も、二人を視界の隅に捉えて抱く感想なんてその程度。
「今、渡すか?」
「もちろん」
一息つき、ウルが懐から取り出したのは何重にもくるまれた布。
テーブルの上に置かれたそれをアバグネイルが手に取り、布をめくっていくと現れたのは看守が一人一つずつ与えられているものと全く同じ形の回転式拳銃。無論、ウルだって持っている。
「もうそろそろ、だな」
そう言ってウルが拳銃を囚人服の中にしまうアバグネイルから視線を移したのは、一人また一人と立ち上がる囚人たちの姿。
昼食を食べ終えた囚人から、作業場へと移動しているのだ。
「そんじゃ、計画は頭に入ってんね?」
「まず最初にお前が火薬を仕込んだ作業場の炉が、作業開始と同時に大爆破。俺が他の看守に事故を伝えて、作業場のほうへ誘導」
満足そうに首を何度も頷かせるアバグネイルの対面で、ウルが続ける。
「その間にお前が連絡通路から倉庫に入り、魔女の宝箱を盗んで倉庫に着火。お前は宝箱を持って地下監獄へ、俺は一足先に裏口の臨時港に向かって脱出用の船を用意……だろ?」
「よくできました。臨時港までには独房がある時計塔も通るっしょ? そこを開けて、凶悪犯どもを解放してやるのもいいね」
「とにかく、騒ぎが大きけりゃ大きいほど成功率があがるって話だろ? まあこっちでも尽力するさ」
作業場が稼働し始める昼間を皮切りに、アバグネイルが発案した派手な脱獄計画は始まる。二人の嬉々とした姿は、その時間を目と鼻の先に控えている故のことだろう。
一人、また一人。囚人たちが食事を終えて看守に誘導されていく。
食堂にいた囚人の半分を片隅で見送ったころだろうか、ウルがゆっくり立ち上がる。
「看守さんさ」
「どうした?」
決行のための下準備を動きやすいウルが、最終的な盗みと脱獄はアバグネイルが。二人は、互いの間に成立した共犯という関係性で強くつながったのかもしれない。
「島を出たらどうすんの?」
だから、計画とは別に雑談をすることだってしばしばあった。
「結局、神器を握るのはあの魔女だ。神器探しとやらに付き合うさ」
「ふぅん」
「なんだよ、急に」
「いやさぁ……俺が看守さんの立場なら、フェヴラーの神器ぶんどって独り占めしそうだなぁと思って」
椅子の背もたれに体重をのせ、大きく傾けるアバグネイルの意地悪な目がウルを突き刺す。
「お前、意外と性格悪いな?」
「盗みと騙しが商売道具の泥棒様だぜ? まともな性格してるわけねぇだろ」
「それもそうだ」
ケラケラと肩を揺らしてひとしきり笑った後、ウルは再び口を開いた。
「そうしてやりたいのは山々だが、今回はお前らと手を組むことに決めた。俺はお前たちと違って悪人じゃないからな、人並みに義理や人情は持ち合わせてるつもりさ」
「それでこそ相棒」
「手を組むとは言ったが、相棒呼ばわりされるつもりはない」
「こいつは失敬」
最後に鼻で笑い、食堂を後にするウル。
ウルの後ろ姿がアバグネイルの視界から消える頃には、食堂で駄弁る囚人たちの姿も両手両足の指で数えられるくらいには減っていた。
「いつまでゆっくりしている! さっさと作業場に行け!」
食堂に入ってきた看守の怒鳴り声に尻を叩かれ、アバグネイルも最後に残っていた囚人たちもスープの入っていた器を持って立ち上がる。
すぐに返却口に木の器を投げ捨てられる他の囚人とは違い、アバグネイルがいたのは返却口から一番遠くの席。
しかしながらこれも、彼の計画のうちの一つ。なるべく自分の作業場入りを遅延させることで、最初のステップである炉の爆破による自身への被害を無くすためだ。
そして、その地道な牛歩戦術は食堂まで聞こえる爆発音によって成就された。
鉄を使う作業の開始時に、まず看守が薪とマッチを炉に投げ入れて火を起こす。その炉に、アバグネイルは昨夜忍び込んでウルから仕入れてもらった火薬を大量に投入していたのだ。
そんな炉に火を灯せば当然、大爆破。当然、大騒動。
一つアバグネイルに誤算があるとすれば、その分量だろう。
どの程度の火薬で、どの程度の爆破が可能なのか分からなかったアバグネイルは可能な限りの火薬を炉の中にばら撒いた。
しかし、それが結果として招いたのは、最大で千人が同時に作業可能という広大な作業場の半分を吹き飛ばす想定外の隕石でも降ってきたかのような巨大爆破。
「なんだ!? 何があった!」
「今のは作業場のほうか!」
食堂で残りの囚人を作業場へ急がせていた看守も爆破音と地鳴りに飛び上がり、慌てふためく。
「おい、囚人! お前は檻の中に戻ってろ!」
あまりにも唐突な出来事で、まだ事態を上手いこと呑み込めていない看守の男は、食堂から作業場へ向かおうとしていたアバグネイルにそう言い放ち、足早に食堂を出ていく。
男に続いて、別の看守も大慌てで足を動かすもブーツの底は空を踏み、テーブルを破壊するほどの大転倒。
「おいおい、慌てすぎだろ」
半笑いでその様子を見つめるアバグネイルの声は、無我夢中の男の耳に届くことはない。
すぐさま立ち上がった男は、痛む肋骨を手で抑えながら爆破のあった作業場へ足を急がせた。
「ちょっとやり過ぎた気がしないでもないが……概ね狂いはなし」
自分以外、誰もいなくなった食堂でアバグネイルは、囚人服の下に隠していた大きな布を取りだす。
「白昼堂々脱獄計画、スタート!」
食堂の石畳に布を投げ捨て、中に入っていた拳銃を手にしたアバグネイルは何を思ったのか、倉庫へ繋がる連絡通路とは別方角へ急いだ。
*
作業場の大爆破は島全体を揺らし、その鼓膜を殴りつけるような音も島にある耳という耳に届いている。
前代未聞の大惨事に、看守たちは被害者の治療や搬出に大忙し────なんてするはずもなかった。
彼らが危惧したのは、被害者の数でもなければ建物の被害でもない。囚人たちの暴動ただ一つ。
各々が単発式長銃を構えて剣を腰に差し、作業場のほうへ急ぐ。計画は通り、その誘導をしていたのはウルだった。
「作業場のほうだ!」
いつになく声を張り上げ、浮き足立つ看守たちを誘導していくウル。
中央棟から一通り看守を作業場の方角へ駆りたてた頃だろうか、「ふぅ」と息をもらしたウルのもとに声が転がり込む。
「何があった」
それはウルも顔馴染みの同僚クライスの声。
「さあな、作業場のほうから爆破音が聞こえたと思ったらあの煙だ」
ウルが指す作業場の方からは天に向かってのぼる大きな黒煙。その煙の量だけでも、被害の大きさを想像するのは容易かった。
「囚人どもが暴れてないといいが……お前は作業場の応援に行ってこい」
そういってウルの尻を太い腕でポンと叩いたクライスは、作業場とは違う方角へ歩み出す。
「お、おう、お前はどうすんだよ!」
「別の場所にいた連中が暴れてないか見てくるんだよ」
そういって、背中越しにウルの尻を叩いた右手で拳銃を構えるクライス。
彼の足が向く方角には、騒動に乗じてアバグネイルが向かう手筈の倉庫があると察したウルは手を伸ばして彼を考え直させようとするが、すぐに手は静止した。
「ああ、わかった。そっちは任せる」
ここで自発的に倉庫の方へ向かうクライスを止めれば、怪しまれるのは自分。
そんな自分可愛さが、彼の手を止めたに違いない。
「上手いことやってくれよ……アバ」
倉庫がある方角へ走り去っていくクライスの背を眺めながら、ウルが小声で呟いた。