イーストゲート③
客席をよく見渡せば、全員が全員洒落た装いの紳士淑女ばかり。黙って酒を小さな口で呑みながら誰もいない闘技場に視線をおろす女も、試合が待ち切れずに周囲とガヤガヤ話したてる男も、きっと生活が潤っている富裕層ばかりだろう。
さすがにここには女性軍人はいないものの、一本角を生やした亜種豚面巨人や猛禽に似た鋭い目つきで客席を監視する人間が配置されていたりと、一階に比べればかなり警備は厳重。
「それでは皆さん、お待たせしました! これより第二試合の開催です!」
フェヴラーがキョロキョロと周囲を見渡していると、闘技場内に男の声が響いた。
地下ということもあって幾重にも反響する声の主を探し、視線を少しうえにやってみる。フェヴラーが男の姿を見つけたのは、客席とは隔離されたVIP用観戦席のなか。
「本日は皆さん、なんと幸運なことか! この第二試合に集められたのは全員、腕に自信のある強者たち! ウデは一級品、しかし運に恵まれなかった彼らはこの娯楽の街で全ての財産を失い、莫大な借金を背負い、そして地の底に落ちた!」
客席よりもひとつうえの階層につくられたそこから身を乗りだし、言葉巧みに客を煽るのは地下闘技場を任されている支配人の男。
「だがしかぁし! この娯楽の街の主、ヴァルサム様はもう一度彼らにチャンスを与えるとおっしゃる! なんという懐の深さ!」
どうせ上っ面の言葉でたきつけて、賭けの道具にでもしたかったのだろう。ペラペラと動く口で大声を場内に響かせる男を見つめ、フェヴラーがそんなことを考えていた時のこと。
彼の隣に現れた獣人の少女が、ボサボサの黒髪を指で耳にかけるのが目にはいった。
「あれはっ!」
思わず口からこぼれてきた声は、幸いにも男の客を煽る声にかき消されて誰の耳にもはいらない。
ぎゅっと口を噤み、フェヴラーが真剣な表情で見つめたのは黒髪の獣人少女が手につけている鋼の籠手。
それも、ただの籠手ではない。フェヴラーが追い求める<十の神器>のひとつ、<引斥の籠手>ではないか。
(ということは、あの獣人がヘレナを連れ去った茶色マント……<十の神器>の持ち主)
フェヴラーに真剣な眼差しを向けられていることにも気づかず、黒髪の獣人少女メアリィドはジッと闘技場のなかに視線をおろしたまま眉ひとつ動かさない。
その視線は、まるでなにかを待っているかのよう。
「これが、彼らにとってのラストチャンス! ルールは簡単、この砂時計の砂が落ちきるまでに生き残っていた者が賞金を獲得し、地の底から這いあがることができます!」
メアリィドの隣で、男が取りだしたのは丁度中指ほどの丈をした砂時計。時間にしておおよそ十分から十五分といったところだろうか。
この砂時計が落ちきったとき、闘技場のなかで立っているものが勝者。そして客席は何人生き残るかを予想する。
「さあ、そんな猛者たちを地獄の底に突き落とすのは我がフラミンゴ城の最終兵器!」
男がパチンっと指を鳴らしたのを合図に、闘技場のなかに現れた複数人の男が重たそうに大きな鉄格子がひらく。
人の背丈の数倍はあろうかという巨大な鉄格子がギリギリと耳障りな音をたてて開いたその瞬間、格子の奥に広がる闇のなかから飛びだしてきた黒い手がひとりの男の体を鷲掴みにした。
「ひぃっ! やめ――」
人間をひとり鷲掴みにできるほど大きな手は握力も人のそれとは比べ物にならず、掴まれた男が悲鳴をあげる間もなくグチャグチャに握りつぶされてしまう。
もはや人間と呼ぶのもためらってしまうほど汚い肉塊と化したそれに、他の男たちは恐れをなして逃げだすが、彼らのはいってきた鉄の扉はもうすでに閉ざされてしまっていた。
逃げ場を失い、闘技場のなかを右往左往する男たち。そんな彼らに狙いを定めた黒い手の主が、ようやく闇のなかから姿を現した。
「地獄よりの使者、ベヒモスの入場です!」
闇のなかからでてきたのは、屈強な二本の角を持つ牛のようにも竜のようにも見える巨大な黒い怪物。
鼓膜を殴りつけるような咆哮を地下に打ち鳴らし、手にも似た大きな前足が逃げ惑う男たちを豪快に踏みつぶしていく。
その様子を見て、観客たちはひくどころか黄色い歓声の嵐。あろうことか、人が人の形でなくなるほど惨い死に方をしているのを見て、彼らは心を躍らせているのだ。
「続きまして、地の底より這いあがるチャンスを得た幸運な戦士たちの入場です!」
ベヒモスの頭上から、天井につるされる幾つもの檻がおりてくる。ひとつひとつの鳥かごのような檻のなかには、支配人のいうところの『幸運な戦士』たちが捕えられていた。
これから彼らがベヒモスのいる闘技場内に落とされて、戦いがはじまるのだろう。
しかしもう落とされるより前から、勝敗は決まったようなものだ。なにしろ、鳥かごのなかの戦士たちはそのほとんどが顔を真っ青にして怯えてしまっている。
「この砂時計を逆さにして瞬間から、檻は崩れて戦士たちが闘技場のなかに落とされます。さあ、皆さんもご一緒にカウントダウンをお願いいたします!」
武器も持たず、古着とも言い難い布きれを身にまとった戦士たち。その誰もがウデ自慢の猛者とはいうが、とてもじゃないがフェヴラーの目にはそう見えない。
これではまるで、蛇に睨まれた蛙そのもの。
(闘技場と客席を仕切る強力な結界魔術は、このためか)
観客席と闘技場には大きな段差があるだけではなく、ガラスのように透明で薄い結界魔術によって仕切られている。
仕切られていること自体への疑問はこれといってなかった。しかしフェヴラーが違和感を覚えたのは、その強度。長い時間と多くの魔力をかけて築かれた結界はかなり頑丈なものとなっていたのだ。
それも全て、このベヒモスとかいう怪物を放つためというなら納得がいく。
(闘技場とはよくいったものだ、ただの虐殺ショーではないか)
フェヴラーが戦士たちをひとりひとり見定めていくうち、観客たちのカウントダウンがはじまった。
「三! 二! 一!」
「スタート!」と全員の声が重なり、ベヒモスの頭上にぶらさげられた鳥かごが崩れる瞬間、フェヴラーは戦士たちのなかに見知った顔を見つける。
「勝手にいなくなったと思えば……ボニィアめ、なにをやってるんだか」
全員が落下し、尻もちをついたりよろけたりするなかで、ひとり見事な着地を成功させたのは、赤毛の獣人少女ボニィアではないか。
メアリィドとヘレナを追って姿を消したかと思えば、何故か地下闘技場で見世物にされているボニィア。その姿に、フェヴラーは呆れてため息をついた。
「人々が惨たらしく死ぬのを待っている彼らには悪いが、ボニィアなら大丈夫だろう」
暴れ狂うベヒモスがひとり殺すたびに湧きあがる歓声のなかに、フェヴラーの呟きは消えていく。
ベヒモスという怪物のことはフェヴラーもよく知らないが、逆にボニィアの強さは知っている。だから、フェヴラーは安心したように小さく笑みを浮かべたのだろう。
「おっと、ベヒモスの巨体が揺らいだ!」
ボニィアの飛び蹴りがベヒモスの巨体を許すと、さらに観客が湧く。
彼女の身体能力の高さは、人間やエルフだけでなく獣人のそれも上回るほど。鼻頭を蹴飛ばされて憤怒するベヒモスだが、その攻撃がボニィアを捉えることはなかった。
高すぎる俊敏性で闘技場内を駆けまわる彼女を、ベヒモスの鈍間な動きで捉えられるはずがないのだ。
「おおっと! ベヒモスが翻弄されている! なんというスピード!」
素早い動きで翻弄するボニィアに注意が向いている間、他の戦士たちは逃げ道を探すが、やはりそんなものは存在しない。
「鼻頭を狙って攻撃できたのはいいが、やはりボニィアの力では的確に弱点を狙わなければダメか」
なかなか攻撃を繰りださず、逃げまわってばかりのボニィアに少しずつヤジが飛びはじめる。
そんなヤジのなかで、フェヴラーだけはボニィアが逃げまわる理由をいち早く察していた。彼女の最大の武器は凄まじい身体能力から生みだされる俊敏性だが、力はといえば人間以上オーク以下という中途半端どまり。
ボニィアの力ひとつでは、ベヒモスの巨体をどうこうすることができない。
「逃げまわってばかりだが、これはチャンスをうかがっているのか!? ここでベヒモスを倒せたならば、それは現チャンピオンであるクイーン・メアリィド以来の快挙となります!」
ボニィアの蹴りが、ベヒモスの後ろ足を叩く。
しかしその攻撃が通じているのかどうか、見た目には全くわからない。
「我々は歴史的瞬間の目撃者になるのでしょうか! それとも──」
刹那、ボニィアに注意を惹かれるベヒモスの姿に勝機を見出したのだろう、ウデ自慢という戦士たちが互いに示しあわせ、一斉攻撃をはじめた。
杖や道具もなしに魔術を撃つ者や、己の拳ひとつで向かう者。そのひとつひとつの攻撃はベヒモスという巨体にとって痛いものではないのだろうが、これが束になると違う。
次第にベヒモスの体は傾き、ボニィアを追う攻撃の手にも緩みが生じる。
「まさか、まさかぁ!?」
客席にいるのは、ほとんどが富裕層で戦いに関しては素人。その目が期待しているのは、惨殺される人の姿だけという狂った連中。
そんな彼らよりも先に、フェヴラーも、声をあげる支配人も、その隣にいたメアリィドも、理解した。
「ボニィアの無事も確認できたことだ、私に課せられた仕事はひとまず完了ということかな」
──ボニィアの飛び蹴りがまた鼻頭を叩いたその時、この戦いは終わる。
「これぐらいで死んだら、失望するところだった」
メアリィドの冷ややかな視線がおりる先、見事にボニィアの飛び蹴りがベヒモスの鼻頭を叩き、その巨体を崩した。
それをキッカケに、戦士たちの猛攻撃がはじまる。
「これは、これはぁぁぁぁ! 戦士たちの反撃がはじまったぁ!」
あとはベヒモスが体力を削られて動けなくなるのも時間の問題と悟ったフェヴラーは立ちあがり、闘技場から足早に立ち去ってしまった。




