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没落貴族⑧


「っぶねぇ! マジで撃つ奴があるか! イカレてんのかよ!」


 銃口から放たれた弾はアバグネイルの真横を通過したものの、彼の体もヘレナの体も傷つけることはない。

 弾が見事に撃ちぬいたのは、顔を真っ赤にして怒鳴りつけるアバグネイルの遥か後方でライフルを持っていた賊の男。それも鉛は綺麗に心臓を射ているではないか。

 どさっと賊の男の分厚い体が地面に伏せる音でようやく気づき、アバグネイルとヘレナが背後を振り返る。


「余計なことをしてくれたおかげで、あの連中とは手を切らないと」

「それで俺に恩売ろうってか? とんだ蝙蝠女じゃねえか」

「女が男に媚びて何か悪いことでも?」


 くすくすと声を漏らして笑ってはいるが、ブリジットの目は笑ってなんかいない。むしろ落ち着き払っていて気味が悪いほど。

 狐のような細い目でアバグネイルをじっと眺めていたブリジットは銃をおろし、反対側の手で自身の豊かに実った胸の谷間をまさぐる。


「答えは今すぐじゃなくてもいいわ、待ってるから」


 色白の双丘から出てきたのは、列車の乗車券。


「どこにしまってんだよ、ド変態か」

「本当は連中に渡す予定だったガルベス行きが二枚。そっちの娘はわかると思うけど、フラミンゴのあるガルベスはヴァルサムの支配する街よ」


 銃をしまい、襲うつもりはないと言わんばかりに両手をあげてアバグネイルたちのもとへ歩み寄ると、ブリジットは二枚の乗車券を彼に差し出す。

 乗車券には彼女の言うとおり「ガルベス行き」の文字が書かれてあるし、ヘレナの顔が恐怖に青ざめているあたり、ヴァルサムの支配する街というのも全て真実なのだろう。


「どうせ、ヴァルサムからは逃げられない」

「そいつはどうだかな」

「本当に恐ろしいのはヴァルサム本人じゃないの、あいつの犬よ」

「犬?」


 ブリジットの言葉に首を傾げるアバグネイルとは対照的に、ヘレナはまるで怯えるように彼の服をギュッと掴んだ。


「ヴァルサムには……」


 恐る恐るヘレナは口をひらく。


「ヴァルサムには、とんでもなく強い獣人族の付き人がいるんです」

「とんでもなく強い、獣人族?」


 そう言うアバグネイルも心当たりがないわけではなかった。

 現に彼とともに行動しているボニィアは獣人族で、その身体能力たるや人のそれを遥かに超えている。

 ボディーガードとして雇うには、もってこいの人材だろう。


「ウワサじゃ、十の神器の使い手だとか」


 刹那、呆けていたアバグネイルの目の色が豹変。

 聞き違え、ではない。確かにブリジットは〈十の神器〉と口にした。


「その話、もうちょっと詳しく」

「まさか十の神器を狙ってるクチ? やめておいたほうがいいわよ、確かに魅力的なお宝だけど、あれに関わったやつはロクな死に方しないから」


 フェヴラーもまた、似たようなことを言っていたものだ。

 耳に焦げついてしまっている言葉を鼻で笑って、アバグネイルは彼女の手のなかから乗車券を奪い取る。


「ご忠告どうも」


 道端で不気味な笑みを向かい合わせるアバグネイルとブリジット。ふたりの顔をヘレナの不思議そうな視線が行ったり来たりする最中、市街のほうから騒々しい男たちの声が転がり込んだ。

 声はやたらと太く、よく聞けば「殺せ」だの「撃て」だの汚いものばかり。

 無論、それが街の商人や駐屯兵のものでないのは、すぐにわかった。


「こっちも都合が変わった。互いに生きてりゃ、手を組むのはアリだ」


 そう言ってアバグネイルはヘレナの手を引き、大慌てで駆けだす。

 あまりにも急に飛びだすもので、彼の肩とブリジットの肩が激突。しかしそんなことは気にもとめず、アバグネイルはヘレナを連れて林のある方角ではなく、建物と建物の隙間にできた市街へつながる道へ逃げ込んだ。


「ぶつかった礼は、あとできっちりしてもらうわよ」


 アバグネイルの分厚い体がぶつかった衝撃は少々堪えたものの、ブリジットの視線の先にはライフルや刃物を手にした男たち。

 彼らの最大の標的はヘレナであるにしても、「裏切った」と誤解される彼女自身が狙われない保証なんてどこにもなかった。


「なんで私までこんな目に」


 ブリジットもすぐに背を向け、男たちから逃げる。

 足の速さには自信のあるブリジットだったが、追う男たちも必死。自分が一番に手柄をたてようと、血眼になって裏切り者のブリジットを追いかけた。

 その距離は次第に近づいていき、逃げるブリジットの背を射程にとらえたひとりの男がライフルの銃口をあげる。


「あの娘が目的なら、そっちに行きなさいよ!」


 殺気か、音か、それとも勘か。

 ライフルの銃口が自分の背に向けられるのを察したブリジットは民家の角を曲がり、自身も銃を手に取――――、


「あれ?」


 れない。


「ない! 銃がないっ!」


 さっきは確かに腰にしまったはずの銃が、影も形もないのだ。

 切り札であるはずの銃がないことに動揺を隠せないブリジットの綺麗な顔が、徐々に青ざめていく。

 しかしその間にも男たちは彼女を狙い、民家の角を曲がってくるやいなや即座に幾つもの銃声を白昼の静かな街の片隅に響かせた。


「わああっ! ちょ、待ってよ!」


 大慌てで弾丸をかわし、なんとか彼らの放つ銃の軌道から逸れようと何度も角を見つけては、遠心力に体を吹っ飛ばされるかどうかのギリギリを攻める。

 走っている途中も、ブリジットの頭のなかは銃のことばかりだった。

 どこかで落としてしまった可能性もゼロではないが、今までどんな激しい運動をしたってそんなヘマを彼女はしたことがない。


「まさか……」


 彼女を追う男たちの何人かが息切れを起こし始めたころ、ブリジットの脳裏をアバグネイルの姿がよぎる。

 男たちから逃げる瞬間、慌てた彼はブリジットにぶつかった。

 だがそれは、慌てた彼の不注意が起こした事故ではない。アバグネイルという男は、泥棒である。それもかなり優れた腕を持つ泥棒。


「あのコソ泥男!」


 どうやら事故に見せかけてわざとぶつかり、その間に彼はブリジットの腰から銃を抜き取っていたらしい。

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