没落貴族⑦
街で一番大きな建物に集合。それが雇用主との約束だった。
この街では、誰に聞いたって「線路の通っている<駅舎>が一番大きい」と言う。
走り回る子供たちに聞いたって、道具やで胡散臭い古物を売る商人だって、市場で食材を選ぶ婦人だって、きっとそう言う。
鉄道に乗るには高い金を払わなければならないが、駅舎は街で一番のシンボルとなっていた。
だから、雇用主との約束に従った幽幻や影竜以外にも、ここには街の住人が山ほどいる。
気絶した華奢な少女を抱える大人ふたりというのは、行き交う人々にとってさぞかし不穏な光景だったのだろう。
傍を通る誰もが幽幻たちに奇異の目を向けては、関わるまいとふたりと目が合ってしまう前にさっと視線をそらした。
「時間ピッタリ、ステキな仕事」
行き交う人の群れのなかから、艶めかしい声で呟くと、クスクス笑いながら歩み寄ってくる金髪の娼婦がひとり。
彼女が現れるやいなや、幽幻は顔をほころばせて深く頭をさげた。
「これはこれは、ブリジット様。報酬さえいただければ、我々は誠実に仕事をこなしますとも」
「みすぼらしい恰好、これでは東国の殿方に嫌われてしまう」
影竜の肩に担がれたヘレナを見るなり、ブリジットは不快そうに顔をゆがめる。
これからヴァルサムのもとで、東国との大切な取引につかう商品なのだ。できるだけ綺麗な恰好をさせておかなければ、商品として成り立たない。
「ヴァルサムのもとへ届ける前に、少しドレスアップをさせたいのだけれど……時間はある?」
「フラミンゴで見繕えばいいのでは?」
不思議そうに首を傾げた幽幻。
その態度を見て、ブリジットは呆れたといわんばかりの大きなため息をつく。
「女心が分かってないわね。その子は捕虜じゃない、ウチの大切な大切な商品なの。女の魅力は躾けるだけじゃダメ、その子が女であることを楽しまないと」
「そのために、着替えさせると」
「そうすれば、女としてひとつもふたつも格があがるわよ。あなたたちのボスだって、それは願ってもないことではなくて?」
つくづく、女という生き物がわからない。
そんなことを言いたげに、幽幻と影竜はしばらく顔を見合わせると、恐る恐る頷きあった。
「わかりました、しかし急いでいただきたい。我々も娘を捕獲する途中で派手にやりましてね、駐屯兵も動いておりますゆえ」
「その子を連れてきて頂戴」
ブリジットに手招かれるがまま、影竜はヘレナを抱えて布材屋へ入っていくが、「着替えるから」とすぐに追い出されてしまう。
色鮮やかに染められた布が並ぶ布材屋の店先で、男がふたり。腕を組んで周囲を警戒する彼らは言葉も交わさず、ただ街をゆくひとりひとりへ鋭い視線を向けた。
何しろここは同業者だって少なくない街。ヴァルサムが大金をはたいてまで取り戻したい商品のことを、どこかで小耳にはさんだ乞食がいてもおかしい話ではない。
「……遅いな」
どれほど時間が経っただろう。着替えるというには、あまりにも長い待ち時間。
しばらくして、影竜が口を開いた。
「女性の着替えを邪魔するのには、いささか抵抗はありますが……私たちも仕事ゆえ、仕方ないでしょう」
そう言って幽幻が布材屋の木戸を開く。
しかしそこにいたのは、ブリジットでもヘレナでもない。売り物だったはずだろう布で手足を縛られ、口をふさがれた布材屋の男主人だった。
「これは……」
自分の店の床に転がり、ジタバタと暴れる主人の姿を見てから幽幻が状況を悟るまでは早かった。
「心底残念ですよ。また死体がひとつ増えることになる」
店のなかを見渡してみれば、カウンター奥の裏口が開いたまま。店先には幽幻たちがずっといたのだから、間違いなく逃げたとすれば裏口からだろう。
「逃げられた、か」
ケラケラと愉快そうな笑い声をあげる幽幻に続き、店内へ足を踏み入れた影竜もまた主人が縛られているという異様な光景を目の当たりにして大体の事情を察した。
「欲に目がくらみましたか、女狐め」
「どうするつもりだ、幽幻」
「勿論、今すぐ追いますよ。まだ遠くへは行っていないはずですから」
「街の被害は?」
「商品さえ生きていれば、何を壊しても、何人死んでもかまいません」
「……御意」
穏やかな表情を貼りつけてはいるものの、やはり腹のなかは怒りで煮えたぎっているらしく、幽幻は床に転がった主人の腹を蹴り飛ばすと、すぐに影竜を追跡に向かわせる。
それだけではない。駅舎の周りを散り散りになってウロついていた配下の賊をかき集め、総動員で逃げたブリジットとヘレナを追わせた。
*
一方で、ヘレナを連れ出したブリジットはあえて人目につきやすい大通りを選び、意識の戻った彼女の小さな手を強くひく。
ヘレナにとって、ブリジットは目覚めた時に会ったばかりの見知らぬ女性。
ヴァルサムに雇われた幽幻たちから逃がしてくれるのは願ってもいないことだったが、同時に動揺もしていた。
「あ、あのっ!」
しかしブリジットは、口を開かない。
執拗に周囲を見渡しながら、ヘレナを連れて走る。
「ありがとうございます! でもその、どちら様でしょうか!」
手をひくブリジットの耳にも聞こえるよう腹のそこから吐き出してみるが、やはりブリジットは答えない。
動揺も疑問もおさまることはなかったにしろ、こうも口を噤まれたままでは叫び続けるだけ体力の無駄だ。
すぐにヘレナは彼女へ問いかけるのをやめ、少しでも遠くへ逃げるよう専念した。
――――が、
「そこまでよ」
街から近所の林へ抜けるための道に差し掛かったその時、前方から向けられた声と銃口にブリジットは足を止めてしまう。
唐突に立ち止まるものだから、ヘレナの体はバランスを崩してコケてしまいそうなほど大きく傾いた。
「きゅっ、急に止まられると――――」
なんとか両足で踏ん張り、転倒だけは避けたヘレナ。
ここはひとつ、しっかり言ってやらねばと顔をあげたはいいものの、目の前に飛びこんできた光景で思わず息をのんでしまう。
それもそのはず、ブリジットとヘレナの行く手を塞いでこちらへ拳銃を構えるのは綺麗なドレスに身を包んだブリジットなのだから。
「同じ人が……ふたり?」
自分を助けてくれたのも、ブリジット。自分たちに今拳銃を向けているのも、ブリジット。
何度視線を行ったり来たりさせても、変わらない。夢じゃない。
「面白い術を使うのね、もしかして魔術師様?」
拳銃を構えるブリジットが、うっすら笑みを浮かべる。
「まあ、そんなとこだな」
それと睨みあうヘレナを助けたブリジットもまた、全く同じ笑みを浮かべた。
「あまり賢くなさそうだったのに、人は見かけによらないものね」
「賢くなさそうは余計だっての」
「でも残念、あなたは丸腰で私は銃を持ってる。自分がどうするべきか、どうしなければならないのか、あなたなら分かってくれるわよね」
拳銃を握ったブリジットの足が一歩ヘレナのもとへ近づいた瞬間、
「撃つのはマズいって、お前なら分かってくれるよな?」
銃口を向けられているほうのブリジットが、ヘレナの肩を強く自身のほうへ抱き寄せる。
ヘレナは、ヴァルサムにとって外交の大切な商品。万にひとつも殺すようなことがあれば、賊の王ヴァルサムの逆鱗に触れてしまうことになるだろう。
それは、この国で生きるギャングにとって最悪のこと。
「女を盾にするの? さっきは女に後ろから殴りかかるし、あなたってサイテーな男ね」
「お前、昨晩ずっとヘレナをつけてたろ? ストーカー女に何言われたって、響きやしねぇよ」
どちらのブリジットが言うことも、ヘレナには分からなかった。
拳銃を持つブリジットは、相対する彼女が「男」だという。
逆に銃口を向けられたブリジットは、なぜかヘレナのことを知っている。それに口調もどこか、女性らしくない。
「あなたは、一体……」
自分の肩を抱き寄せたブリジットの顔をまじまじと見つめ、ヘレナは恐る恐る問いかけた。
すると彼女はヘレナの問いに不敵な笑みを浮かべ、
「俺か? 大したもんじゃねえさ、通りすがりの泥棒だよ」
自身の綺麗な顔を仮面のように取り外してしまう。
「アバさん!?」
仮面を剥すやいなや、長い金髪もグラマラスな体つきも一変。
そこでヘレナの肩を抱き寄せていたのは、アバグネイルではないか。
「悪いが、この可愛い娘は俺が盗ませてもらう。お前らんとこのボスにも伝えといてくれよ」
「まさかロリコンだなんて、これ以上私を失望させないでもらいたいわね。これでもあなたのことは買っているのよ?」
「そりゃどうも、落ち着いたら宿でも予約しといてやろうか?」
ブリジットから遠ざかるよう、アバグネイルはヘレナを連れたまま一歩退く。
「私の尾行に気づいただけじゃなく、逆に私をつけまわしてこっちの腹を探ろうなんて……まんまと出し抜かれたわ、同業者として完敗よ」
「そう思ってんなら、退いてくれよ」
「ヴァルサムに近づくため、私にはその娘が必要なの」
「ヴァルサムに?」
ブリジットが足を止めると、アバグネイルも足を止める。
「そうね、あなたほど腕のいい男なら協力するのも悪くないわ。取り引きっていうのはどう? 色男」
「いかにも泥棒らしいこと言ってっけど、信じると思ってんのかバーカ」
強い口調でブリジットを煽りたてた瞬間、彼女の手のなかで拳銃が火を噴いた。




