没落貴族⑤
異変に気づいたのは、通りに出てすぐ。
鉄道の通る街だ。色々な種族がいるし、欲深い目をした者もいれば、悪人面が顔に刻み込まれてとれないといった輩もいる。
その他にも、見るからに人の良さそうな主人や、懐が潤って人生楽しくて仕方なさそうな夫人だって。
「さて、用があるのはどちらかな」
何がそんなにおかしいのか、ひとりボソッとつぶやいたフェヴラーの顔は少し笑っていた。
彼女の隣では、口から溢れたつぶやき声も耳に入らぬほど、両手で握った妙を興味深そうにながめるヘレナ。
キラキラと目を輝かせるその姿は、まるで新しい玩具を与えられた子供のよう。
「まったく、子供か君は」
「すいません、本当に嬉しくて」
「そいつはあくまで調整用、本当に魔術が使えるかは君次第だが……どうも、丁寧に教授してやる時間はないらしい」
「え?」
フェヴラーの細い指が、ヘレナのローブの袖をつまんで、ぐいっと自身のほうへ引っ張る。
「こっちだ」
そう言ってフェヴラーが案内したのは、酒場と薬屋の間にできた細い裏路地。
酒場の生ゴミを置くスペースとして使われているのだろう。二人並んで通れば詰まってしまうようなそこには、思わず鼻を塞ぎたくなるような悪臭が漂っていた。
「あの、フェヴラーさん」
「君は先を歩くといい」
フェヴラーの咄嗟の行動に動揺するヘレナだったが、背中をポンと押されて朝だというのに薄暗い裏路地に放られる。
「軍人、と呼ぶにはいささか目つきが悪いし、尾行も下手過ぎる」
裏路地の仄暗い闇に、あくどい笑みを溶かしたフェヴラーが、くるりと踵を返す。
フードの下に見える血のように赤い瞳が睨みつけたのは、今まさに裏路地に入ってこようとしていたふたりのゴロツキ。
肩幅が広い彼らは、決してこの狭くて臭い道で横並びにはなれない。
「ちっ、どうする」
「あっちの黒いローブは殺しても構わん」
ふたりのゴロツキが小声で話し、互いに頷きあう。
「ヘレナ、裏口から中に入るんだ!」
「え、でも裏口って」
「早くしたまえ! 話は後でたっぷり聞くことにするよ!」
ゴロツキたちが取り出した拳銃の銃口が、フェヴラーを捉えた。
「開いてません!」
「手に持っているのは何だ! 開かないなら壊してしまえ!」
「だだだだ、だけど私、魔術は!」
よほど殺しに慣れているのだろう。引き金をひく指に躊躇などなく、放たれたふたつの凶弾が空を裂く。
しかし、こんな風通しの悪い裏路地に突然吹き荒れた突風が、弾丸の軌道をフェヴラーから逸らしてしまった。
「なっ! 魔術師か」
「魔術など容易いものさ、さあ君も」
小さな背中越しに告げられたフェヴラーからの言葉に、ヘレナはひとり頷いてゆっくりと瞳を閉じた。
また、発砲する音が聞こえる。きっとゴロツキたちの拳銃だろう。
そのたびにヘレナの着ているローブを揺らす風は強くなり、顔を隠していた大きなフードもとれてしまった。
だが、動じない。まだ魔術に慣れていない身なのだ。集中を切らせば、また一からやり直すハメになる。
「お父様」
魔術書で呼んだことを字面で思い出すたび、一緒によみがえる父ジルベルク・フェアルタリアの記憶に、ヘレナは顔をゆがめた。
「私は、何も諦めたくない」
刹那、握った杖がほんのり熱を帯びる。
「魔術も、フェアルタリア家もっ!」
誰に教わったわけでもない。魔術書で読んだわけでもない。
だけどヘレナには、その熱こそが力なのだと理解できた。
目を大きく見開き、杖に宿った力を放るよう酒場の裏口にぶつける。すると、杖先から飛び出した拳ほどの火球が、周囲の外壁ごと扉を粉々に吹き飛ばしてしまった。
「で、でた……けど……」
響き渡った轟音と、舞い散る木くず。想像していたものを遥かに超える火球の威力に、ヘレナは思わず口をあんぐりさせて驚いた。
「まだ調整がイマイチのようだが、上出来だ!」
ヘレナの超強力な火球が破壊した木造の外壁は、大量の木くずとホコリを散らし、少しずつふたりの姿を隠してゆく。
それがふたりにとっては丁度良かった。
フェヴラーはすぐにヘレナの胸ぐらをつかみ、酒場のなかへ強く引きずる。
「敵は魔術師だ! 幽幻さんを呼んでこい!」
「それまでは俺らで足止めするぞ」
ヘレナを連れ、酒場の裏口から様々な銘柄のウイスキーボトルが並ぶカウンターへ出てきたフェヴラー。
その小さなふたつの影を狙い、酒場の正面から入ってきた男が次から次にライフルの引き金をひいた。
休む間もなく飛んでくる弾丸をカウンターの下に屈んでやり過ごすが、撃たれて割れたウイスキーボトルとアルコール度数の強い液体が雨のように降り注ぐ。
「あー! また酒か! このイカレた水が、水のなかでも一番嫌いになった! 昨日!」
「ひぇっ! どうしたんですか、いきなり」
突然フェヴラーが怒りを露わにし、叫び散らすものだから、隣にいたヘレナは驚くあまり体をビクンと跳ねあがらせた。
「くそ、まだ昨日のぶんで少し気持ち悪いというのに、ヒック……最悪だな、ヒック……」
ともに旅していたアバグネイルも、ボニィアも、フェヴラー自身だって、彼女がこれほど酒に弱いのは予想外だった。
二日酔いもまだ残っていたのか、吐き気が腹の底から込みあげてくる。
「いたぞ!」
彼女が頭痛や吐き気と戦っているのをよそに、今度は裏口側から追ってきたゴロツキたちがフェヴラーたちに銃口を向けた。
「正面突破にしようか、走るんだっ!」
そう言ってヘレナの背をおすと、フェヴラーはウイスキーボトルを鳥に変え、拳銃を構えたゴロツキたちへ仕向ける。
だが、それだけでは終わらない。すぐに杖先から拳ほどの火球をいくつも放ち、ウイスキーの鳥に引火。それはたちまち、火の鳥となってゴロツキたちに襲いかかった。
「くそっ、奇妙な技を使いやがって! 魔術師が!」
それが<十の神器>による特異な攻撃とも知らない者たちには、奇術にでも見えたのだろう。
正面にいる男たちは焦り、すぐにライフルのボルトを引いた。
「こちらも万全ではなくてね。悪いが、遊んでやれる時間もなさそうだよ」
刹那、木でできた酒場のカウンターも、床も、全てが果物の皮を剥くようにひるがえってゆく。
やがて、それらはひとつの大きな肉体を形成し、人ひとりくらい容易く飲み込めるほど大きな獅子へ姿を変えてしまった。
「なんだこれ! 何しやがった!」
「ばばばば、化け物だぁ!」
巨大な獅子の突進は、ライフルを持って正面入り口をふさいでいた男たちを巻き込み、酒場の壁を豪快に破壊。
その隙を見てヘレナが正面入り口に駆けだそうとした時、
「伏せるんだ!」
背後からフェヴラーが彼女を茶色の土が露わになった地面に押し倒し、小さな体で覆いかぶさった。
巨大な獅子が酒場にあけた大きな風穴の向こう側からとんできたのは、何枚もの<札>。
それと、
「破っ!」
男の声。
決して言葉にはなっていない、その声に反応して札が自ら輝きを放ったかと思えば、その全てが周囲を巻き込んで爆発してしまう。
「おっと失礼、加減を見誤りました」
爆風で、なんとか残っていた最後のウイスキーボトルたちも全て地面に落ちた、酒場だったはずの場所。
たちこめる砂煙の向こうから、あまり見ないぶかぶかな黒い衣服を身にまとった細目の男が姿をあらわす。
「さっきの紙切れを媒介にした魔術か。奇妙な技を使うのは、お互いさまだろう?」
「おお、今の一撃で我が妖術を見破るとは、素晴らしき術者」
ローブについた砂ぼこりを手ではらい、立ちあがったフェヴラーが同じく地面に倒れていたヘレナに手を貸してやる。
「妖術、たしか東方における魔術の呼称だったかな」
「なんという博識。いかにも、私は東国より出てまいりました幽幻と申します」
フェヴラーの手を借り、ようやく起きあがったヘレナ。
先ほどの爆発を浮けて尚、元気なふたりの姿を見て幽幻は嬉々として笑う。
「生きておられるようで何よりです、フェアルタリア様」
「あなたは、ヴァルサムの……」
「この国の術者とは、一度語らいたいものですが……私めも仕事ゆえ。どうかお許しを」
吊りあがった鋭い目をいっぱいに見開き、幽幻は大きくあいた袖口から何枚もの札を取り出し、フェヴラーたちのもとへ投げつけた。




