懲役4000年の魔女④
制服の帽子を脱ぎ、ベッタリと頭皮に張り付くように寝たオールバックの黒髪を露わにすると、ウルは銃口をアバグネイルに向けたまま口を開く。
「クズどもに煙草を握らせて正解だった。まさか、こんなに早く獲物がかかるとはな」
「どういう意味だよ」
アバグネイルが顔だけ振り向かせると、そこには松明の灯りに照らされ薄っすらと微笑む気味の悪いウルの姿があった。
「進んでいいぞ、囚人アバグネイル。魔女に会いにきたんだろう?」
「なんでそれを……てか大丈夫? 俺、脱獄した囚人だぜ?」
「安心しろ、こっちの言うことにさえ従っていれば撃つつもりはない」
薄っすら微笑んだ面で言われても信用できない。とも思ったが、アバグネイルの予想と反してウルはゆっくりと拳銃をおろした。
「なんの真似──」
ウルの考えが何一つ分からず、踵を返したアバグネイルが彼のもとへ歩み寄ろうと一歩踏み出す。
だが、再びその額めがけて構えられた拳銃がアバグネイルの足を止めた。
「勘違いするな、従ってれば撃つつもりはないと言ったが、そうじゃないなら話は別だ。海を泳ぐ化け物どものエサにしてやる」
「拒否権は?」
「あるわけないだろ、アホか」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて考えたのち、アバグネイルは肩で大きなため息をついて踵を返す。
「わかったわかった、従えばいいんだろ」
「賢明な判断だ」
普通なら島のルールにのっとって、ここで撃ち殺されるはずだったのだが、地下監獄を重たい足取りで進むアバグネイルは生きている。
「なんで俺を生かす」
彼自身、その理由がわからなかったようで、自分の数歩ばかり後ろを歩くウルに背中越しで問いかけた。
「魔女の夢を見たんだろ?」
「誰からその話を? リカルドの爺さんか」
「いいや、あの爺さんは口を割らない。だから囚人どもに煙草を握らせて魔女の夢を見た囚人を徹底的に探させたんだよ。たしかあいつは、ベラモスとかいったか」
「なるほどね、俺は自分からおたくの罠に飛び込んじまったってワケだ」
ここは凶悪犯ばかりが集う監獄島。騙し合いも奪い合いも日常茶飯事。
今になってみればリカルドのことを教えられたのもウルの入れ知恵で、いいように誘導されたのだろうとアバグネイルは思う。
「囚人どもを使ってまで、どういうつもりだ? ただ抱きてえだけなら、おたく一人で行ってくれよ。俺複数でヤる趣味ねぇんだけど」
「島の外には恋人がいる。それに……」
「それに?」
「相手は魔女だ。どんな見た目をしていようとも、同じ人間だなんて思わないことだな」
更に螺旋階段を降り、松明の灯りだけが頼りの仄暗い空間を縦に並んで歩く二人。
たとえアバグネイルが変な気を起こして飛びかかろうとも、すぐさま頭を撃ち抜けるような距離を保ちつつ、二人の重たい足音が何重にもなって響き渡った。
「じゃあなんだよ」
「爺さんからは何も聞いていないのか」
「なーんにも」
「それで、魔女に魅せられてわざわざ檻の中から抜け出したのか」
歩きながら、ウルは呆れたと言わんばかりに大きなため息をこぼした。
「悪いかよ。こんなむさっ苦しいとこにいりゃ、性欲発散も命がけになるわ」
「あいつは、そこにつけ込んだんだろうな」
しばらく歩いただろうか。
地下深く、差し込む風もないはずの空間で二人の行く先の松明の炎がゆらゆらと一定のリズムで揺れている。
一本や二本ではない。等間隔に設置されたそれら全てが、同じリズム同じ振れ幅で妖しく踊っていた。
「これは……」
「この先だ、そこにやつはいる」
ようやく会える。夢の中でしか触れられなかった美女に。
そう思うと看守に命を握られていることも忘れ、嬉しくなったのだろう。アバグネイルは足早に先へと進んだ。
「本当にいたのか、夢の中の美女」
しかしアバグネイルとは対照的に、ウルは小さくため息をついて口を開く。
「バカが……。そいつはこの監獄島の地下深くに幽閉され、懲役四千年を課せられた大罪人」
ウルの言葉など聞かず、角を曲がったアバグネイル。
そこで彼が見たのは、彼らが入れられているよりも遥かに巨大な牢獄と一本一本が丸太のように太く頑丈な鉄格子。
「魔女サバト・フェヴラーだぞ」
そして檻の中で両手両足を無数の鎖に繋がれた全裸のエルフ。魔女サバト・フェヴラー。
長い白髪も、透き通るような白い肌も、掴めば手から溢れんとするたわわに実った胸も、全てがアバグネイルの見た夢のままだ。
相違点といえば、彼女の体が泥や血で醜く汚れているところだろうか。
「二十年ぶりか、今回は早かったじゃないか……囚人」
垂れ下がった白い髪の間から、やつれきった目が檻の外に立つアバグネイルを睨む。
宝石のように綺麗な紅い瞳。アバグネイルは夢の中で、自分を見つめるこの瞳に何度も魅了されたものだ。
「二十……年……?」
何を言っているのか。何から話せばいいのか。
動揺するアバグネイルをよそに、フェヴラーが続けて小さな口を開いた。
「私が呼んだのは囚人だ。看守など呼んではいない」
アバグネイルを見つめるフェヴラーの瞳が次に映したのは、少しばかり遅れて檻の前に立ったウルの姿。
「聞いてるよ、看守嫌いなんだってな」
「私が話したいのは囚人であって、君には寸分の興味もない。消えてくれてかまわないよ」
二人の間に入っていけず、言葉を喉につまらせていたアバグネイル。その額へ、不気味に笑うウルの手の拳銃が向けられた。
「ちょっ、なにして──」
「この島のルールだ、看守である俺が今こいつを殺してもかまわない。五百年も待ち続けて、ここへ来たのは何人だ? 島の性質上、よく見積もって五人が限度だろう?」
ウルの咄嗟の行動に驚きの声をあげるアバグネイルだったが、拳銃を握る彼が不気味な笑みを向けているのは檻の中のフェヴラー。
「随分といい推測をするじゃないか、下っ端くん。君の言うように、ここを訪れることができた囚人は三人目だとも」
「誰が下っ端だ」
「しかしそれがどうした? 君はこの私を脅しているつもりかい?」
「その通りだとも。こいつを逃せば次は何十年後、いや何百年後になるかも分からない」
フェヴラーのやつれきった目が、ジッとウルを睨む。
「それにこのアバグネイルは泥棒なだけあって、割と手際がいい。お前が探してたのは、こういう人材なんじゃないのか? 魔女」
「俺はそれを聞いて喜べばいいの? なんで俺ベタ褒めされてるのに蚊帳の外なの?」
そう言うアバグネイルの視線はウルとフェヴラーの間を行ったり来たり。
とにかく、どこか話に入っていける隙はないかと必死に探しているのだろう。
「私を見下すことの意味、いずれその身に教えてあげよう……下っ端くん」
「そう睨むなよ、魔女。なにも難しい要求や取引じゃないさ、ただ俺も一枚噛ませろってハナシ」
「まあいい、好きにするといいさ」
「はぁ……」と大きなため息をつき、フェヴラーの瞳が今度はアバグネイルに向けられる。
「ところで君は、なぜ裸なんだい。ヤる気満々なのかい?」
アバグネイルの足もとから顔まで、なぞるように視線をあげていくフェヴラー。
「ちがっ! あ、いや、違うくねぇけど! ここまで来るのも楽じゃなかったんだよ」
「ふふ、そうかそうか。しかし見ての通り、今の生身の私は君の相手をすることができない」
窮屈そうに手足を動かしてみせたフェヴラーを繋ぐ無数の鎖が、ジャラジャラと音を立てて揺れる。
ウルへの態度とは打って変わって、ほんの少しでも自分には笑ってみせたフェヴラーにアバグネイルの心もみるみる惹かれていった。
「私の頼みを聞いてくれるのならば、私からもそれなりの対価を払おう」
「頼み?」
アバグネイルが聞き返すと、フェヴラーはまた笑った。
看守嫌いというものが過ぎるだけで、この柔らかな表情の彼女が本来の彼女なのだろう。
「十の神器、そう呼ばれる代物がこの世界に存在するのを君は知っているかい」
「さあ、長いこと泥棒やってるが初耳だな」
「十の神器とは────」
フェヴラーが言葉を続けようとしたその時、
「現代魔術では成し得ない、不可能を可能にする異能力を秘めた十の器。そいつを手にすれば、瞬く間に人生が変わる」
アバグネイルに向けた拳銃をおろすウルが、フェヴラーの声を塗りつぶすように淡々と言い放った。
「よく知っているじゃないか、下っ端くん」
言おうとしたことをまんまと奪われたフェヴラーが、ウルを嘲るように顔を綻ばせる。
「収監時に取り上げたこいつの没収品、その中に十ある神器のうち三つがあった。だが、こいつにしか開けられない神器入りの箱を巡って帝国の連中がこいつの死刑を遅らせてやがるのさ」
「人生が変わる、ねぇ」
にわかには信じがたい話と思いもしたが、アバグネイルはそんな狂った話を間に受けて今こうして探し求めた美女を前にしている。
信じるか信じないか。真実なのか嘘なのか。アバグネイルの中で、その線引きはひどく曖昧なものになっていた。
「ああ、人生一発逆転さ。俺たちみたいなやつにとっちゃ、この上なく魅力的な響きだよな」
監獄島などという辺境に身を置く雇われ看守のウルにも、人生をひっくり返したいという欲望はあるらしく、言っているうちに口もとが嬉々としてつり上がる。
「けどよ……たしかに魅力的だが、国家規模で探し回るようなものか? 帝国一強なんて言われる時代に、連中が欲しがるようなものか?」
さらに続けたウルの目が、檻の中のフェヴラーを睨む。
「何が言いたいんだい?」
彼の真意を知ってか知らずか、煽るような口ぶりでフェヴラーが言う。
「十の神器には、異能力のほかに何かがある。そう考えるのが普通だろ」
「冴えているじゃないか」
「答えろ、魔女」
ウルの見下すような視線と、フェヴラーのやつれた視線がぶつかり合った。