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没落貴族③


 *


 ────帝国議会より完全に席を失ったその日から、ジルベルク・フェアルタリアは変わってしまった。

 自分の無能さを何度も何度も呪い、やがてボロボロの精神はひとり娘のヘレナにまで牙を剥く。


「どうして、お前なのだ!」


 広い自室で本を読み、血眼になって魔術を学んできたヘレナの頬を、ジルベルクの手が叩いた。

 かつてのフェアルタリアを彷彿とさせるほど才気にあふれていた兄は流行り病に倒れ、両親は残ったヘレナを大切に育てていたはず。

 その愛に恩返しをするため、ヘレナは毎日毎日フェアルタリアにふさわしい自分になるため努力を惜しまなかった。


「なぜ、生き残ったのが無能のお前なんだっ!」


 なのに議席を奪われ、母がショックで寝込んでからジルベルクは、まるでひとが変わったようにヘレナを蔑んだ。


「もう少し、もう少しだけお待ちください」


 ジルベルクの一方的な暴力に、ヘレナは決して反抗の意を見せない。

 それどころか、父が声を荒げるたびに自分を追い込んでいった。


「無駄だ! 無能の人間は、いつまでたっても無能のままなのだよ!」


 頬を叩かれ、床に伏せてもまだ立ちあがろうとするヘレナに、またジルベルクの平手がふるわれる。

 力いっぱい叩かれた白い素肌は手の形に赤く腫れ、彼女への暴力をとめようとする使用人はひとりもいなかった。

 それどころか、没落してゆくフェアルタリアから使用人という使用人は次々に去っていく。


 来る日も来る日も、ヘレナは家にあった大量の魔術書を読み込んだ。

 しかし、いつまでたっても魔術師と呼ぶにはほど遠く、魔術が使えない人間に毛が生えた程度。

 部屋のなかにこもりっきりだったヘレナには、少し外の景色が眩しかった。

 窓から差す陽の光は、疲れた目を焼いてしまいそうだったし、時たま見える人々の姿はどれをとっても羨ましい。

 喜んでいても、怒っていても、泣いていても、今のヘレナにはそれすらなかった。


 ただ部屋のなかで勉学に励み、父に暴力をふるわれる。

 いつしか青アザだらけになってしまったヘレナは、ひとりで励む勉学に限界を感じていた。

 そんな彼女が、生まれて初めて頭をさげたのは、軍の魔術指導部。

 軍事的な利用を主な目的とする組織とはいえ、やはりそこは魔術への造詣が深い人々が集う場所だ。

 ここならば、前進へのヒントが得られるはず。


 ──そんな一縷の望みさえ、叶うことはなかった。


 それもそのはず、今まで魔術指導部を統括していたのは、ジルベルク。

 魔術もロクに使えない彼からの理不尽な指導や発注に日々苛立ちをつのらせていた彼らにとって、既に没落してなんの肩書きもないヘレナは最高の捌け口だったのだろう。


 そこでヘレナを待ち受けていたのは、指導を騙る暴力の応酬だった。

 実践と称するそれは、魔術が扱えない彼女を一方的に痛ぶるために用意された公開処刑。


 ──身も心もボロボロになった。

 ──あとはもう、路頭をさまようだけだった。


 *


 話すにつれ、段々と表情を曇らせてゆくヘレナ。


「ひどい話ですね」


 その姿に、ボニィアは心を痛めた。


「もちろん、父の怠慢が招いた自業自得だというのはわかっています」

「当然の報い、だろうね」


 瓶を逆さまにして、残った最後の一滴までウイスキーを飲みほす頃には、フェヴラーのツンと尖った耳も赤くなる。


「ちょっと、フェヴラーさん」

「いいんです、わかってることですから」


 おおよそ同情というものを、フェヴラーは知らない。

 思ったことをそのまま口にする彼女の姿に、ボニィアは呆れてため息をついていたが、ヘレナはそうでもないよう。

 むしろ自分たちの非をわかっているだけに、フェヴラーの言葉をすんなり受け入れることができた。


「そんで、魔術の勉強もやめて自暴自棄になって身売りか?」


 そういって、二本目のウイスキー瓶をあけるアバグネイル。


「魔術も、フェアルタリア家も、諦めるつもりはありません」


 そこだけは、決して譲るつもりがなかったのだろう。

 話すにつれて弱っていったヘレナの目に、力が宿る。


「だったら、なんで身売りなんか」


 彼女の言葉に嘘がないのは力強い瞳を見れば、〈真実の眼〉を持たないボニィアにだって容易くわかった。

 それがわかっただけに、彼女が身売りにまで堕ちる理由がわからなかった。


「この国を出るための資金が欲しくて……だけど、屋敷のなかで育ってきた私にできることなんて、なにも……」

「国を出る、ですか?」


 かれこれ四つ目の肉を頬張り、ボニィアは首をかしげる。


「フェアルタリア家を諦めきれないのは父も母も同じでした。そんな私たちのもとに、ある日ひとりの男が現れたんです」


 使用人も去り、手入れの行き届かないボロボロの屋敷で暮らしていた三人。

 フェアルタリア家が代々継いだきた屋敷すら、泣く泣く手離すことを考えていたその時、ヘレナたち家族のもとにひとりの男が現れた。


「男は、私たちに議席を売ってもいいと提案してきました」


 エルフ族にしては珍しく褐色肌の彼は、強面だったが親切な男。


「しかし男の要求に応えられるようなお金は家になく、男が経営する賭場へ招待されました」


 刹那、ボニィアの大きな耳がピクリと動いた。


「それが、私たちに与えられた最後のチャンス──」

「では、なかったんですね」


 まるでその続きをわかっていたように、ボニィアがヘレナの言葉をさえぎる。

 五つ目の肉に鋭利な牙で噛みつくその表情は、どこか曇っているようにも見えた。


「ヴァルサム、それがその男の名前ですよね」

「彼を知ってらっしゃるんですか?」

「賊の王と呼ばれている男で、帝国領内で最大規模の賭場〈フラミンゴ〉を経営してますからね。あの男にハメられたんでしょう」


 すると、ヘレナは重たく頷いた。


「勝ちの目がない賭けに参加させられ、借金のかたにヴァルサムは私の身柄を要求しました。たまたま賭場にきていた東国の要人様が、私を気にいったとのことで……」

「外国に売られちまえば、もう帝国貴族として返り咲くこともできない。事実上のフェアルタリア家崩壊だし、それで逃げてきたってわけか」


 酒で顔を赤くし、トカゲの干物を口に放るアバグネイルの視線の先で、ヘレナはまた頷く。

 アバグネイルだって、ボニィアだって、他にも聞きたいことは山ほどある。

 しかし、さっきから黙っているフェヴラーの小さな頭が、隣に座っているアバグネイルの肩にのった。


「ウチの魔女は潰れちまったみてぇだし、今日のところはこんくらいにしとくか」


 アバグネイルの肩で眠るフェヴラーの寝顔を見て、ヘレナとボニィアは互いに小さく笑いあう。

 ふたりとも彼の言葉には納得したようで、嫌なことを吐き出したい気持ちも、気になることを問いただしたい気持ちも、今は飲み込むことにした。

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