戦いのおわり、旅のはじまり
馬車の大きな車輪が、木の根にぶつかって大きく揺れた。
カタコト、カタコト。中の女たちの尾てい骨を痛めつけるように、山道を進む馬車は揺れる。
「姐さん、よかったんですか? その髪」
言いにくそうに告げ、綺麗な軍服を着るベレッタが顔をあげた。
彼女の視線の先には、見慣れない肩ほどまでの短い銀髪を指でいじるクリスの姿。
彼女の艶やかで長い髪は、最早クリス・ナイトホークの象徴ともなっていたはず。しかし、今の彼女はいつもつけていた赤い髪紐もなければ、長い髪もない。
「ナイフでバッサリいったせいか、少し毛先が粗くなったな……帝都に帰ったら、整えてくれるか?」
「え? は、はぁ……それは構いませんが」
クリスの頼みに、動揺しながらも首を頷かせて快諾するベレッタ。
その隣で、マカが重たい口を開いた。
「姐さん、髪を伸ばしてたのは親友との約束って言ってましたが……いいんですか?」
思い切ってベレッタが間接的に問おうとしたことを、今度はマカが直球で投げてみる。
普段、あまり身の上話をしないクリスだ。周囲の人間も自ずと踏み込むのをためらっていたが、これほどの変化を見せられて問わないわけにはいかなかった。
「あの頃に思い描いた未来とは少し違ったが、私もそろそろ過去にケリをつけなければな。だから、いいんだ」
「ケリ、ですか」
ベレッタがそう言って首を傾げ、つられてマカも目を点にして首を傾げる。
「あいつも私も、人を多く殺しすぎた。私は、これからも殺し続ける」
クリスの言う親友とは誰か。彼女が小隊長になってから、ずっと付き従っていた二人もそれは聞かされていない。
しかし、それが一体誰なのか。少しだけ二人には分かった気がした。
「あとは、お互い地獄で会えることを願うだけだ」
軍服のポケットから取り出した赤い髪紐を眺め、小さく笑うクリス。
「それまで、こいつは預かっておく」
彼女の小さな小さな呟きは、馬車の揺れる音でかき消された。
再び髪紐をポケットの中に収めると、今度は揺れる馬車の中で立ち上がり、馬車の周囲を執拗に見渡す。
途中で道を逸れるよう、先導を務める部下に頼んでいたクリス。
どうやら馬車は彼女の思惑通りに進んでいたらしく、辺りには他のプランティス隊の馬車は一台として見当たらなかった。
「よし、そろそろいいぞ」
ホッと一息つき、クリスが言うと馬車の奥に詰め込まれた三つの樽からアバグネイル、フェヴラー、ボニィアの三人がひょっこり顔を出す。
「いやぁ、助かったぜ」
「確かにあのままではキサラギの追撃の可能性も否めなかった。本当に助かるよ」
「ありがとうございます」
各々、安心しきった様子で樽の中から出てくるとクリスたちに礼の言葉を告げる。
里での戦争後、リカルドから再生の十字架を奪い取った三人はクリスたちを治療することを条件に、「馬車に乗せてほしい」と頼んでいたのだ。
その条件を、彼ら三人に恩を感じていたクリスは快諾。積荷の樽にそれぞれの身柄を隠して馬車に詰め込み、今に至る。
「今回は色々と世話になったからな、しかしこれで貸し借りはゼロだ」
先導が手綱を波打たせ、馬の足を止めた。
「プランティス卿の目的は反逆者のノエル粛清だが、帝国全体の目的として神器の回収がある。ノエルもまた、その被害者だった」
「北方にある毒の森か」
アバグネイルは、機会を伺いながら盗み聞きしていたクリスとノエルの話を思い出す。
「目の前で、その神器が奪われたんだ。おそらくプランティス卿は顔に泥を塗られたと怒るだろう、そうなればあの方は意地でもお前たちを殺しにくる」
「なるほどね、これで帝国やらと私たちは全面的に敵対してしまったわけだ」
停止した馬車を真っ先に降りるフェヴラーが、やれやれといわんばかりに大きなため息をついた。
「そういうことだ、次に会うときは本気で殺し合わなければならないかもな」
ボニィアが降り、そしてアバグネイルも馬車の外へ。
「何を今更、少なくとも俺は二回殺されかけたぜ?」
そう言ってケタケタ楽しそうに笑い声をあげるアバグネイルに、クリスも笑って「それもそうだな」と答えてみせた。
もう一度、周囲に自分たち以外の何者もいないことを確認するとクリスは、
「馬車を出せ」
と大きな声で先導に呼びかける。
すると、先導が手綱を再び大きく振るい、馬の足を急がせた。
特にこれといった別れ際の挨拶もかわさぬまま遠ざかっていく馬車に、アバグネイルたちは示し合わせたように背を向ける。
「さあ、次の目的地は北方の毒の森ですね!」
深く息を吸い、元気よく声をあげるとともに嬉々として歩き出すボニィア。
だが、
「待て待て待て、何勝手に仲間面して仕切ってんだよ」
冷静なアバグネイルが彼女の足を止める。
「なにか不都合でも?」
「不都合はねぇけどよ」
具体例をあげろといわれても言葉に詰まるアバグネイル。その隣で、呆れた様子のフェヴラーが口を開いた。
「そもそも、君は再生の十字架を狙う一人だったはずだ。いつ寝首をかかれるか分かったものじゃない」
「失礼なっ! そんなことしませんよ」
真実の眼を持つフェヴラーが何も言い返さないあたり、ボニィアに寝首をかくつもりはないのだろう。
しかし、里での戦いは手を組んだとしても彼女は素性の知れない他人。全てを信用して神器集めに同行しようというのは、そう簡潔にいく話ではなかった。
「再生の十字架は、あなたが勝ち取ったものです」
動き出した足を止め、くるりと踵を返したボニィアが優しく微笑む。
「いいのか?」
「同じ条件で同じことをやれと言われても、あんな狂ったこと私にはできませんでした。正真正銘、あなたの知恵と根性が勝ち取ったものですよ」
「知恵と根性ねぇ」
クスクスと笑うボニィアは小馬鹿にしているのか。それとも敬っているのか。
こればかりは、側で見るフェヴラーにも分からない。
「それに……」
「それに?」
里があるであろう方向の空を見上げ、呟いたボニィアにアバグネイルは首を傾げて問いかける。
「ノーマや里の人たちのことを考えると、彼らを縛る根源を取り除けただけでも私は満足です」
ボニィアが気にかけていたのは、里に眠る再生の十字架を守るためなら子供の死すらいとわないという墓守たちの掟だった。
「確かに、ありゃムカつくし理解できない風習だったな」
それにはアバグネイルも納得していたようで、腕を組み深々と頷く。
「君たちがどう思おうが勝手だが、掟の中で育った者は必ずどこかで掟にすがる心が生まれている。そんな彼らから掟を奪い取れば、今後は保証できない」
互いに同意し合う二人をよそに、フェヴラーが口を開いた。
「分裂して内紛を起こすかもしれないし、自然に集団が解体されるかもしれない。時に人は掟を嫌悪するが、人は掟なしに手を取り合うことは不可能なんだよ」
「でも、あの人たちは」
「預言者の遺した神器は、手にする者に多大な幸も不幸も与える。それを守るために長い月日を経て今の掟に行き着いたんだろう」
反論しかけたボニィアも、フェヴラーの羅列された言葉の数々に口を噤む。
理解はできない。でもどこか、納得はできる。
フェヴラーの言葉には、聞く人を丸め込むだけの魔力があった。
「よそ者の私たちが、歴史を積み重ねてきた彼らの事情に踏み込むべきではないよ」
「それはそうですけど……なんか冷たくないですか」
ムスッとしたボニィアの悪態に、今度はフェヴラーが嘲るようにクスクス笑う。
「心配なら、残ってもいいんだぞ?」
歩き出したフェヴラーが意地悪な笑みを浮かべながら、ボニィアの肩をポンと叩いて隣を通過した。
その反対側を、同じように顔をほころばせるアバグネイルが通り過ぎる。
「そんなぁ、私も行きますって!」
不機嫌そうに顔を膨らまし、尻尾を横にふりながら二人の背中を追うボニィア。
「心配するこたねぇさ、一つの目的がなくなっちまったぐらいで塞ぎ込むようなやつは生きるのに向いてなかったってだけのことだろ」
「君の言うとおりだ、アバ。目的と達成、その繰り返しこそ人生の醍醐味ってやつさ」
そう言って、三人のバラバラな歩幅が北を目指した。




