死んでもはなさねぇ④
「お前に、姉さんの何がわかる!」
すぐに態勢を立て直し、クリスに鋭い眼光を向けたリアムが言い放つ。
「話には聞いていたが、立派になったじゃないか……リアム」
「黙れ! クリス・ナイトホーク!」
クリスの嘲笑はリアムの怒りに油を投げ入れてしまったようで、怒りを口から吐き散らして一直線に斬りかかる。
「姉さんはっ! ずっとずっと、お前の名を言っていた! 毒に苦しみながら眠りについた時さえ、姉さんが助けを求めたのは俺じゃなく、お前だった!」
怒りに身を任せて剣を振るうリアム。
その速度こそ目を見張るものがあったが、やはり素人。士官学校の後も軍人として鍛えてきたクリスには届かない。
「なのに……なのにっ!」
血眼になって振るう乱雑な剣をかいくぐり、クリスの持つ細い剣の切っ先が彼の手の甲を捉える。
深く刺さる前に身を引くリアムだったが、利き手をやられて剣を握る力を痛みに奪われてしまっていた。
「姉離れをしたらどうだ、シスコン」
「黙れぇ!」
強く言い放つとリアムは歯が折れんばかりに食いしばり、両手で柄を握った剣を大きく振るう。
「守る側でいたいのなら、守られるな」
しかしリアムの剣を止めたのは、そう告げたクリスの足。
突き出したブーツの厚底がリアムの手を捉え、動きを止めてしまっているではないか。
そのまま足でリアムを押し返していると、彼女の視界の隅で何かが動く。
リアムとの一騎打ちを見計らって、中央の台座の方へ重たい体を引きずるノエル────ではない。
「ハイエナだと?」
そのノエルへ向かって石畳を疾走する一匹のハイエナだ。
「まさか」
何故、こんな迷宮の中にハイエナがいるのか。
クリスの中に浮かんだ疑問は、彼女の記憶が答えを握っていた。
迫ってくるリアムの攻撃をかわし、彼の腹に自身の持った剣を突き刺すクリス。
「ぐっ!」
リアムは痛みに悶え、動きを止めるがそれだけでは足りなかったのだろう。
腹に刺した剣の尻を靴底で蹴って、刃をさらに深く沈めた。
痛みと衝撃に襲われたリアムは血を吐いて数歩ばかり交代すると、その場に膝から崩れ落ちる。
自分が手隙になるこの瞬間こそ、クリスの狙い。すぐさま左手でライフルの銃身を支えて、銃口をハイエナへ向けた。
「抜け目のないやつめ」
ハイエナの狙いは────ノエルが血だらけの右手で懐から取り出した、筒状に丸められている布。
それが、ノエルの掴んだ手がかりであると瞬時に仮説を立てたクリスの頭が、素早く走るハイエナの動きを予測し始める。
荒い息遣いで自分に迫るハイエナと、向けられた狙撃手の銃口に気付いたノエルがその場で立ち止まった。
「よし、いいぞノエル」
顔をほころばせたクリスの指が、引き金をひく。
銃口から勢いよく飛び出した銃弾は、布を握るノエルの右手に飛びつこうとしていたハイエナを直撃。
────は、しなかった。
狙いが正確に自身へ向けられていることを察知したハイエナは、寸前のところで後方に飛び退いて難を逃れる。
「っぶね!」
すると、人語を話すハイエナはみるみる姿を変え、人の形を成していった。
クリスの予想通り、ハイエナだったのは彼女もよく知る男、アバグネイル。
「人っ!?」
無論、アバグネイルが手にする模倣の仮面を知らないノエルは人へ姿を変えたハイエナに驚きの声をあげる。
「そいつが、長老の家で見つけたもんだな」
向けられたアバグネイルの物欲しそうな視線に気づき、ノエルは布を強く握って胸に抱く。
一刻も早くこの場を立ち去ろうと、ノエルが足を踏み出した瞬間だった。
「止まれっ!」
クリスの怒号が、広間に響き渡ってノエルの足を止めさせる。
「指示に従え、ノエル。じゃないと犠牲になるのは、お前の弟だ」
彼女にとって、たった一人の肉親であるリアムがどれほど大切だったか。それは二年間を共に過ごしたクリスがよく知っている。
クリスの持つライフルの銃口が、地面に膝をついたまま腹に深く刺さった剣の痛みで動けないリアムへ向けられた。
距離にして、成人が三人ほど寝転がった程度だろうか。この距離なら、まずクリスは狙いを外さない。
それはクリスの腕前を知る、この場の誰もが確信したこと。
「リアムっ!」
振り返いたノエルが目にしたのは、リアムの痛々しい姿とクリスの本気の眼差し。
「俺のことはいいから……それより早く不死の秘宝を!」
剣を抜こうと、刃を握ったリアムの右手から血が溢れ出した。
「それを台座に置いて立ち去れ」
「お願いクリス、その子だけは──」
「指示に従えと言ったんだ!」
ノエルの言葉など耳に入れるつもりもないクリスの怒号が、再び広間に響く。
流血するまで唇を噛み、ノエルはくるりと踵を返した。
「わかったわ、言う通りにする。だから、お願いだから撃たないで」
「そんな、ダメだ姉さん! そんなことしたら、姉さんは……」
リアム力を振り絞って立ち上がろうとした瞬間、放たれた銃声が幾重にも反響する。
「クリスっ!」
突如として撃ち出された銃弾に、ノエルが泣きそうになりながら大声をあげるも、彼女の声はリアムの悶える声にかき消された。
クリスの放った銃弾はリアムの急所を避け、見事に左耳だけを撃ち抜いていたのだ。
「次はその頭に風穴をあける」
左耳を抑え、叫び散らしながら石畳に塞ぎ込むリアムを再び構えた銃口の先に捉えるクリス。
そんな彼女の視界の隅で、アバグネイルがかすかに動くのが見えた。
「貴様は退がれ」
「……はいはい」
クリスの猛禽のような目に睨まれたアバグネイルは落胆した様子で右手をあげながら、ゆっくり後退していく。
立ち止まって布を握る手を力ませるノエル。そして石畳の上でもがくリアム。
二人の姿を順に眺めた後、アバグネイルは大きなため息をもらす。
(別にあの野郎が死のうが知ったことじゃねぇが、それで姉ちゃんのほうの気が狂うのは困る)
彼にとって何の思い入れもないリアムの命は、心底どうでもよかった。
だが、アバグネイルが警戒したのは本当にクリスがリアムを撃ち殺した時の姉ノエルの行動。
(勝手に死んでくれりゃいいが、あの手がかりを燃やされでもしたら堪らん)
ノエルが弟を想う気持ちの強さは本物だ。
ならばその弟が目の前で殺されてしまった時、彼女の精神は間違いなく崩れるだろう。
憤りと悲しみでおかしくなったノエルが、手がかりを使い物にならなくしてしまうのは十分に考えられる可能性だった。
「どうするかは決まってんだろ? 俺は手を出さねぇよ」
そう言ってアバグネイルは、顎でノエルを台座へ仕向ける。
対するノエルもアバグネイルの目を見つめた後、ゆっくりと頷いて中央の台座を目指した。
(やはりノエルを警戒して従ったか……しかし、あの男もノエルも頭がキレる。油断は禁物か)
未だ、ゆっくり後ろに退がっていくアバグネイルを視界の隅に捉えるクリスの顔つきが、より真剣になる。
この空間を支配しているのはクリス。全員の意識が向くのは勿論クリスのはずだが、アバグネイルだけは違った。
彼がジッと横目で見つめているのは、台座の前に立ったノエル。
(傷を抱えた体じゃ、走ったところで撃ち殺されるし……どうしたもんか)
アバグネイルの位置から台座までの距離はかなり遠く、腹に傷を抱えたままの体は満足に走れもしない。
彼が布を手に入れることは、半ば絶望的だった。
(それよりあの姉ちゃん、まさか本当に再生の十字架を諦める気か?)
そして彼が疑問視したのは、今まさに台座へ布を置いたノエルの行動。
チャンスを伺い、クリスとノエルの会話も聞いていたアバグネイルは彼女にとって弟がどれほど大切な存在かは理解している。
彼の命のため、迷宮攻略の鍵である地図が記載された布を手放すのは納得できるようにも見えたが、どうもアバグネイルは腑に落ちないと言わんばかりにノエルの背を見つめていた。
「これでいいでしょう?」
「すぐにこいつを連れて立ち去れ」
神妙な面持ちで台座の前に立つノエルに、クリスが答える。
自身の言葉にノエルが重たく頷いたのを確認すると、今度はアバグネイルに向かって「お前もだ」と顎で誘導した。
ノエルが台座から離れた瞬間、布が誰のものでもなくなったそのタイミングこそ、アバグネイルにとっては最大のチャンス。
しかし、狙撃手を相手に広間を逃げ回れるほど、アバグネイルの体は元気ではなかった。
一先ず自らの安全を確保しようと、頷いたアバグネイルが一歩踏み出そうとした時、ふと彼の脳裏をよぎる。
(あいつまさか……もう手がかりが必要なくなったんじゃ)
布の中身が地図だということを、アバグネイルは知らない。
しかし知らないなりに、彼は考えた。
もしも手がかりというものが、一度覚えてしまえば現物が必要なくなるようなものだとしたら、ノエルが二つ返事で弟の命を選んだのにも合点がいく。
彼女の決断は、ただの感情論ではなかったのでは?
そんな疑問を抱えたまま、リアムのほうへ歩いていくノエルの背を追うアバグネイル。
疑問が的を得ているにしろ、妄想だったにしろ、とにかくノエルを追うほうが安全だと踏んだのだろう。
刹那、迷宮を激しい揺れが襲った。
「なんだっ!?」
真っ先にアバグネイルをはじめ、その場にいた誰もが驚きを隠せず、小石がパラパラと降ってくる高い天井を見上げる。
さらにもう一度、大きな揺れがきたかと思えば今度は迷宮の天井に亀裂が入った。
「なんだ、何が起こっている!」
天井を見上げ、唖然とするクリスが不安を振り払うように口を開く。
石と土でできた迷宮の天井に入った亀裂は留まるところを知らず肥大化を続け、聞く耳を引きちぎるような轟音と共に崩壊してしまった。
大爆破でもしたように天井は砕け散り、巨大な瓦礫と共に降ってきたのは、
「おいおい、冗談やめてくれよ」
血まみれながらも辛うじて意識の残るフェヴラーと、
「なんで……」
フェヴラーの顔を握り、石畳に叩きつけんとするキサラギだった。
「なんで、あの鬼がここにいんだよ!」
背に二本、フェヴラーを掴む右の二の腕に一本、そして腹と左の太ももにも一本ずつ。計五本の剣が体に刺さっているキサラギ。
その重傷どころじゃない姿を見るにフェヴラーもだいぶ健闘したのだろうと、キサラギの恐ろしさを身に染みて知るアバグネイルは驚きの中で、ほんの少し感心もしていた。




