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懲役4000年の魔女③


 監獄島の夜は静かである。

 囚人たちが寝静まるのは勿論のこと、白昼に比べて巡回の看守も半分以上少ない。

 凶暴な肉食生物がウロつく海に囲まれた島である以上、この島から脱出する手立ては皆無だと囚人も看守も分かっている。

 未だかつて脱獄を一度たりとも許していない監獄島に収監された囚人たちは「脱獄してやろう」なんて考えるのもやめ、夜はこうしてスヤスヤ寝息をたてた。


「よし」


 しかしながら夜に動き出す囚人はなにも皆無ではない。目的は様々だが、稀にいる。

 両手を繋ぐ大きな錠を外したアバグネイルのように──。


「こちとらガキの頃から泥棒やってんだ」


 誰にも聞こえないような小さな声で言うと、アバグネイルはにんやり笑った。

 彼ら囚人が鉄を触る場所は一つ。帝国直属の監獄島では、更生のための作業と称して軍用の銃や弾薬を作らされる。

 鉄を加工する作業場で、「いつか役に立つはず」とアバグネイルは看守の目を盗み、錠を外すための特殊な鉄串を製作していたのだ。

 まだ重たい錠が繋がれているのでは、などと錯覚させるような手首にまとわりつく妙な感覚に少しばかり表情を歪めながら、アバグネイルは先端が釣り針のように曲がった特製鉄串を今度は鉄格子に繋がれた人の顔ほどはある大きな錠前に突き刺す。

 夜も深く、等間隔に置かれた揺れる松明の火だけが頼りのこの時間帯、看守は賭けポーカーに執心で巡回していないということをアバグネイルは知っている。


「ここをこうやって……」


 それでも細心の注意を払い、音を立てないよう慎重に鉄串のカーブした先端を錠前の奥に引っ掛けて回す。

 ゆっくり──。ゆっくり────。

 それでも、最後には錠前が外れる重たい音が溢れ出た。

 しばらく息を殺し、錠前が落ちないよう鉄格子の間から手を引く。

 錠前が鉄格子にぶつかって鉄のこすれる作業場で聞き慣れた耳障りな音がでないよう、慎重に。


「ふぅ」


 特に他の牢獄から物音がしないことを確認すると、アバグネイルは安寧の息をついた。

 看守に見つかってはならないのは勿論のこと。何より彼が警戒したのは、寝静まる囚人たち。

 新入りが脱獄しようなんて生意気なことをすれば、血気盛んな彼らは黙っちゃいないだろう。

 囚人服を脱ぎ、やたらと鍛えられた肉体を隠すのは、ぴったりパンツ一枚だけとなったアバグネイルの手がベッドの中に丸めた服を詰め込む。

 中綿をつめれば、あとは適度に布団を膨らませればダミーの完成。


「あとは、こいつだな」


 小声で呟くと、今度はベッドシーツの角を破った。

 ダミーとして再び鉄格子に錠前をかける際、布をかませて完全には閉めず、結果的に少し力を入れれば簡単に外れる錠前の作成に成功。

 手際よく道具の準備と脱獄を済ませ、アバグネイルの忍び足が向かったのはリカルドに教えられた二番シャワールーム。


「二番シャワールームの手前から三つめのシャワーは壊れて誰も使っていないが、その真下にある排水溝とタイルが外れやすくなっていてな」


 本音を言えば半信半疑といったところだろう。しかし全てが狂った老爺の戯言で終わらせるには、惜しい話だと思うからこそアバグネイルはリスクを負った。

 リカルドの話を思い出しながら、囚人たちが寝静まる牢獄を足音もたてず急ぐ。

 すると、遠巻きに話し声が聞こえ始めた。シャワールームは食堂と看守の休憩室にほど近く、声はおおかた賭けポーカーで盛り上がる看守たちのものだろう。


「俺らには厳しいクセに、自分たちはサボってばっかじゃねぇか」


 隙間風に揺れる松明の灯火を頼りに、『二番』の表札があるシャワールームを見つけたアバグネイルの口から小言が漏れた。

 松明の灯りが届かないシャワールームは暗く、手探りでシャワーとシャワーを仕切る板を手前から一枚、二枚と数えていく。

 アバグネイルの手が三枚目の板を掴んだところで、彼の足が止まる。二枚目と三枚目の間、ここがリカルドの言っていたシャワー。


「ここだな」


 タイルの上に膝をつき、手探りでシャワーの真下にある排水溝を見つけたアバグネイルの顔が暗闇の中で笑みをこぼす。

 排水溝の金具を外し、周囲のタイルに引っ掛けた指に力を入れた。するとどうだろう、リカルドの言う通りにタイルが音を立てて浮き上がるではないか。


「マジかよ」


 半ば老爺の戯言と疑う気持ちもあっただけに、アバグネイルは驚きの声をあげた。

 しかし嬉々とするのも束の間、彼自身のものではない他の誰かの足音が遠巻きに聞こえてくる。


「ん、何か聞こえたような」


 段々とシャワールームに近付く足音と声。

 無論、こんな時間に堂々と島の中を歩く囚人はいない。


「しまった」


 アバグネイルの心の声が、思わず口から漏れ出す。

 この島のルール。外出可能な時間でない場合に檻の外で看守が囚人を見かけた場合、看守には発砲が許されている。

 リカルドも言っていたことだが、夜間は死人の多い時間帯だというのは看守も囚人も、勿論アバグネイルだって知っていた。


「誰かいるのか?」


 暗いシャワールームの入り口に、看守の持ったランタンの灯りが差し込む。

 夜間巡回の看守が外のドブにでも脚をはめて、シャワールームにいる可能性もゼロではなかったが、革靴の音を立てて近づく彼は短銃を手にした。

 看守なら挨拶すればいい。ネズミなら見逃せばいい。囚人なら、殺してしまえばいい。

 きっと銃を手にした男は、そんな安直な考えなのだろう。


 仕切り板の陰に身を潜めるアバグネイル。

 彼の視線の先でシャワールームに差し込む灯りが次第に大きくなり、革靴の音もどんどん近づく。

 額から溢れ出した脂汗が、まぶたに差し掛かった次の瞬間、


「おい!」


 仕切り板に隠れたアバグネイルの耳に、もう一つ別の男の声が聞こえた。

 すると、近づいていたランタンの灯りと革靴の音はその場で停止し、物音を察知した看守の口が開く。


「ウルさん、お疲れさまです」


 シャワールームに入る数は手前で看守の男は立ち止まり、別の方角から来た看守の先輩に小さく頭をさげた。


「なんだ? また負けて巡回させられてるのか?」


 どうやら先ほどアバグネイルが聞いた別の男の声は看守ウルのものだったようで、賭けポーカーに負けて巡回をさせられていた男を嘲笑った。


「そんなとこですよ」

「この辺は俺が回ってるから、二号棟でもさっと回ってこい」

「ありがとうございます、それと……」

「それと?」


 シャワールームの入り口にランタンを向け、男がジッと中を見つめる。


「なんか、物音が」

「物音? 水回りだからな、どうせ排水溝からネズミでも入ってきたんだろ。気にすることはない」

「そうですかね」


 むしろ島の中のネズミが排水溝を使って出ようとしている。なんてことは島のルールがある以上、考えにくかったのだろう。

 シャワールームに顔とランタンの灯りだけ出して簡易的な確認をした先輩ウルの言葉に看守も納得したようで、くるりと踵を返した。

 徐々に遠くなっていく革靴の音が二つ。これに安心したアバグネイルは、ふぅっと大きく息を漏らした。


「っぶねぇ」


 バレれば即射殺。革靴の音が聞こえなくなるまでジッと息を殺し、耳をすますアバグネイル。

 二つの音がようやく聞こえなくなるまで遠ざかると、再びタイルを外し始めた。


「これでなんとか」


 汚れたタイルを触りすぎて真っ黒になった手が短時間で築いたのは、排水溝への入り口。

 元々あった鶏の卵くらいしかない網目状の蓋からは想像もつかないほど、タイルをめくりきった先にある排水溝は広い。

 広いのだが、人がようやく一人入れるか入れないかという絶妙な直径をしていた。


「ここを通れってか」


 水垢でぬるぬるになった排水溝のパイプに顔を歪めながらも、ここを通る以外に囚人が地下へ向かう手段を知らないアバグネイルは自らパイプの中へ身を投げる。

 案の定、そこはかなり窮屈で一度入れば身動き一つ取れなかったのだが、長期にわたって洗浄していないのが吉と出た。

 パイプにこべりついた頑固な水垢のぬめりが油のようにアバグネイルの体を滑らせ、すぐに全ての水回りがたどり着く大きな下水道へ到着。


「あだっ!」


 投げ出されるように下水道に落ちたアバグネイルの顔面が岩盤に激突し、思わず声をあげる。

 水回りが動かない時間というだけあって、下水道に張っている水はほんの指先ほど。

 これを狙っての夜間行動だったのだが、アバグネイル自身こういった形で裏目にでるとは思っていなかったらしく、不機嫌そうに額から流れる血を腕で拭った。


「あの爺さん、こうなるんなら教えといてくれよ」


 手は真っ黒、頭からは流血。


「これから女に会いにいく格好じゃねえだろ」


 おまけに身にまとっているのはパンツ一枚。

 綺麗に装い直して来ようと思わないこともなかったが、アバグネイルはそのまま更に足を進めた。

 点検用に作られた歩道に上がり、暗闇の中を手探りで歩いていくと、途中で壁のなくなる部分に差しかかり、その足を止める。


「これは……」


 もう少し歩けば外。しかし海には無数の肉食獣が放されており、陸地までの距離も人間が泳いで渡れる距離ではない。

 遠くに見える水面が映す僅かな月明かりを頼りに、ぐっとアバグネイルが目を凝らすと、壁のなくなったそこには更に地下へと続く螺旋階段があった。


「そこを抜ければ地下へつながる道へ出る」

「地下には魔女以外に囚人がいない。だから地下への道は、優雅だと思うが……それからはお前さん次第だ」


 リカルドが放った言葉の数々が、アバグネイルの中で急激に現実味を帯びてくる。

 石を加工して作られた螺旋階段を一段一段、確かめながら降りていくこと五分。

 アバグネイルが出てきたのは、囚人たちを収監している牢獄と同じように松明が等間隔で置かれた地下監獄。


「まさか、こんなところがあったとはな」


 松明こそ燃えているが、これは帝国南西部にある世界が始まった場所と伝えられる始祖の火山から調達した永遠焔(とわほむら)

 水をかけたり、強風に吹かれなければ永遠に燃え続けるこの炎に年月など関係ないが、対照的に鉄鉱石を加工して製造した鉄の檻は錆つき、部分的に破損しているものもある。

 勿論、囚人もいないこの場所を興味深そうに眺めながら歩みを進めるアバグネイル。


「こんな湿っぽいところに閉じ込められちゃ、早死にしちまうっての」


 壁を壊せばそこは海。

 肌にまとわりつくジメジメした空気に悪態をつき、アバグネイルが突き当たりの丁字路を曲がったその時、


「止まれ、囚人アバグネイル」


 彼の後頭部に銃口が向く。


「おかしいな、地下には看守がいないって聞いたぜ」


 聞き覚えのある声に足を止め、大人しく両手をあげるアバグネイル。


「ああ、いないさ。普通はな」


 その四歩ほど後ろ、回転式の拳銃(リボルバー)を構えていたのはシャワールームでアバグネイルが声を聞いた看守ウルだった。

 地下監獄の物珍しさと、地下の魔女に会えるという高揚感に心を支配された彼の完全敗北ということだろう。

 アバグネイルの悔しそうに歪めた顔を冷や汗がつたい、反してウルの顔は嬉々として笑った。

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