十の神器を追う者たち⑧
*
ノエル・ギャラックは士官学校の訓練生だった時から、期待された女だった。
騎士ラウネによる女性のみで編成された軍隊の登場から、軍内部における女性の位置付けは大きく変わってきたとはいえ、やはりまだ男尊女卑の概念が残る軍という組織。
そんな中でも将来を期待された女性訓練生のノエルの存在は、同期であるクリス・ナイトホークにとって誇らしくもあった。
「プランティス卿の部隊を志願するのか?」
全寮制だった士官学校の女子寮にあるテラスで、ノエルにクリスが問いかける。
「ええ、あなたもでしょ? クリス」
白く豪華な装飾が施されたテラスから帝都の街並みを一望し、ノエルが言った。
「そのつもりだが、私はまだ入隊できるかわからない。主席のお前とは違うからな」
「銃の扱いなら、あなたは現役軍人にだって負けないでしょ?」
ノエルに優しく笑みを向けられたクリスだったが、彼女はゆっくり首を横にふる。
「あんなものは所詮人殺しの道具だ。いくら扱いが上手くたって、何も守れないさ」
「そんなことないわ」
ふと、どこか遠いところを見るような目で告げた彼女を前に、クリスは思わず「ノエル?」と首を傾げた。
「私たちは法を作るわけじゃない、食べ物を育てるわけでもない。人殺しの道具や技術を手にして、それを人に向けるのが仕事よ」
「仕事、か」
卒業が目と鼻の先まで迫ったこの時期ですら、まだ訓練生気分が抜けていない者たちなど幾らでもいる。むしろ、そちらの方が大多数を占めているに違いない。
訓練生として互いに高め合い、時にいがみ合い、時にわかり合う。その繰り返しで、なんとなく充実した二年間だったのだ。それは仕方のないこと。
しかし、目の前ですっかり自分が軍人として振る舞う姿をイメージできているノエルに、クリスは感心せざるを得なかった。
「だから一人を殺すたびに、私たちは少なくとも二人以上を守らなければならない。たとえ相手が凶悪なテロリストだったとしても、それが人の命を奪う者に課せられる責任なのだから」
「もっと肩の力を抜いたらどうだ? 周りもお前を怖がってる」
「そうしたいのは山々なんだけどね、私平民の出だから。そういう子が虐げられるのを何度も見てるからね」
そう言うと、ノエルはおどけたように笑う。
「それに、家も貧しかったの。両親は死んじゃったけど、まだ弟がいる……あの子のためにも私が頑張らないとって思うと気張っちゃって」
「私がいないからって、無理しすぎるんじゃないぞ?」
「どうだろう、クリス小姑みたいだったし」
小さな口を手で隠してクスクス笑い声をあげるノエルだったが、そんな彼女の姿を見てクリスは対照的に呆れ混じりのため息を漏らした。
「お前なぁ、私は心配して──」
「わかってる。二年間、平民なんかの私に構ってくれて嬉しかった」
軍人の両親を持ち、帝国という大きなくくりの中でも上層階級で生きてきたクリスには、平民という出自に苦しむノエルの痛みがわからない。
おそらく、それを本当の意味で理解することなどできないのだろう。
「出自は関係ない。私はひたむきに頑張るお前だから、憧れたんだ。いつか体を壊さないよう、お前が頑張れるために手を貸したくなったんだ」
しかし違うからこそクリスは彼女に憧れたし、二人はわかり合うことができた。
微笑むノエルに、クリスも優しく微笑んで返す。すると、ノエルが何かに気付いて目を丸くした。
「クリス、髪伸ばしてるの?」
いつもと何処か雰囲気が違うとは思っていたが、ショートカットだったクリスの銀髪が肩につくまで長くなっているではないか。
「あ、いや……卒業前で筆記試験や課題が多かったからな。切るのを忘れていた」
「似合ってるよ、そのまま伸ばしちゃえばいいのに」
指先で乱雑に伸びきった髪の毛をつまみ、複雑そうな表情を浮かべるクリス。
「長いと銃を撃つ時に邪魔になる」
「だったら……」
自らの長い茶髪を後ろで一つに束ねていた髪紐を解くと、ノエルは広がった自分の髪の毛など気にすることなくクリスの背後に回った。
なんとなく何をするかは想像できたが、クリスはこれといって嫌がることもなくノエルの行動をジッと受け入れる。
「できた、これで解決」
「これはお前の髪紐だろ、私はそんなもの持って──」
「じゃあこれあげる。私は家にいっぱいあるから」
いまいち慣れない後頭部に感じる重みと、髪を引っ張られているような毛根の圧迫感に戸惑いながらも、満面の笑みを浮かべたノエルを前にすれば反論の一つも言いだすことはできなかった。
「はぁ……」と肩で大きなため息をつくと、クリスは「ありがとう」と礼を告げる。どうやら、彼女の厚意を受け入れることに決めたらしい。
「もしも同じプランティス隊になっても、新入り同士が同じ小隊に配属されることはないでしょ? だからこれは、私の二年間の感謝を込めたプレゼント」
「それじゃあ、髪を切るわけにはいかないな」
「いつか同じ隊で肩を並べる日が来たら、その髪紐を返してもらおうかな」
「わかったよ、約束する。お互い頑張ろう」
小指を差し出すクリス。そんな彼女の姿を前に、「うん」と嬉しそうに首を頷かせたノエルが自らの小指を絡めた。
まだ訓練生になって少ししか経っていない頃、ノエルが親しくなったクリスに教えた約束のおまじない。これを家族以外とするのはノエルにとっても初のことで、その相手が親友クリスだというのが堪らなく嬉しかったのだろう。
またいつか、共に切磋琢磨できる日々を結んだ小指で誓い合い、二人は寮の自室へ帰っていった。
それが、クリスが覚えている限り最後のノエルと過ごした記憶。
卒業を前にし、首席で卒業を迎えるはずだったノエル。しかし、式で首席として発表されたのは彼女ではなくノエルに次いで成績優秀だった訓練生。
それどころか、プランティス隊への所属が決定したノエルは式にすら姿を見せていなかった。
「座学、戦闘術、魔術適正。全てにおいてノエル・ギャラックは我々五十二期訓練生の中でも秀でてました。そんな彼女がなぜ……」
同じくプランティス隊に所属することとなったクリスは、所属してまもなく当時の小隊長にそう尋ねたことがある。
すると、女性小隊長から返ってきたのは想像を絶する答えだった。
「彼女の才能は誰もが認めていた。だからこそ、プランティス卿はノエル・ギャラックを隊に引き入れたんだ。強いて言うなら、生まれ育つ環境に恵まれなかったのだろう」
「環境、ですか」
それは、誰よりノエル自身がずっと気にしていたこと。
ただでさえ士官学校や軍内部では蔑まれる風習の残る平民出を背景に持つ者。中でも彼女は貧困に苦しむ家だった為、軍関係者や貴族の子が揃う士官学校で独り肩身の狭い思いをしていたのを、クリスはよく知っている。
「ノエル・ギャラックの父親は商人たちの間では有名な盗っ人だったのだ。そんな者の子を首席卒業させたとなれば士官学校だけでなく、軍全体の威厳に関わる」
「そんな……しかし、ノエルの両親はもう死んでいて、何よりそれは彼女には関係ない!」
「盗品を口にして育った人間を、主神アヌの恩恵を授かった神聖な帝国軍は許さない」
「馬鹿な、酷過ぎる……」
おそらくは、ノエル自身も口にしてきたものが盗品だったなんて知らなかったのだろう。
だから士官学校側からそれを告げられた時は非常にショックだったに違いない。父親のことも、自分のことも……。
「しかし安心しろ、彼女の才能を買ったプランティス卿が極秘任務を与えている。内容が我々のような者に伝わることはないだろうが、彼女もお前と同じように帝国のために身を捧げている一人だ」
ノエルに与えられた極秘任務が、一体なんだったのか。彼女や彼女の弟がその後、どんな思いでどんな暮らしを送ったのか、ついにクリスが知ることはなかった。
クリスが再び、懐かしいその名を耳にした時には「反逆者ノエル・ギャラック」となってしまっていたのだから────。
目を覚ますと、クリスはマカとベレッタの眠る宿の一室で椅子に腰をおろしていた。
座って二人の容体を見ているうちに寝てしまっていたのだろう。
「昔の夢、か」
士官学校を卒業してから二年間、一度も切っていない髪は椅子に座っていると地面につきそうでつかない、寸前のあたりをフラフラさまよっている。
艶やかで開放的になっていた銀髪を片手でギュッと束ね、つむじまであと少しという高い位置で結ぶクリス。
二年もの間、大切に使ってきた赤い髪紐でクリスが髪の毛を結んでいると部屋の扉が軋む音をたてて開いた。
「ナイトホーク小隊長殿、いらっしゃいましたか」
部屋の扉を開き、入ってきたのはクリスと同じ帝国軍の軍服に袖を通した女、レナ・ヴァレク。
中で髪を結んでいたクリスに気付くと、ヴァレクは背筋をピンと伸ばして敬礼をした。
「怪我も無事治ったようで何よりです」
両腕を肩より高く上げて髪を結ぶクリス。どうやらアバグネイルに折られた右腕に痛みは残っていないようで、ヴァレクは背筋を張ったまま安堵の表情を浮かべる。
「お前の治癒魔術のお陰だ。これで戦線に復帰できる」
「はい、健闘を祈っております」
クリスが街で本隊に合流して三日、治癒魔術とはいえ細胞の活性化や骨と筋肉の地道な修復を要した彼女の右腕の怪我。
帝都に腰を据える治癒魔術に精通した魔術師ならまだしも、軍の前線で戦うような治癒魔術師が一瞬で治せるはずもなく、度重なる治療がようやく功を奏したのだろう。
「その、失礼でなければですが……」
「どうした?」
髪を結び終えたクリスの前で、ヴァレクが言葉を詰まらせた。
「帝都へ戻った際は、その……髪の手入れの仕方を教授願いたいのですが」
「髪の?」
「はい、小隊長殿の髪は艶やかで理想的と隊の皆も話しておりまして、私も小隊長殿の髪質に憧れる一人であります」
唐突なヴァレクの言葉に、クリスは困り顔で自身の前髪の毛先をいじる。
確かにプランティス隊は女性のみの部隊という特色もあって、軍隊というよりは女子同士の集まりのような会話も目立つのはクリスも知っていたが、まさか自分の髪が話題になっているとは思いもしなかったらしい。
「特別何かしてるわけではないんだがな……多分参考にはならないぞ?」
「ありがとうございます!」
嬉々として頭を下げるヴァレクの予想外な反応に、思わず笑みがこぼれるクリス。
「でも、小隊長殿のように長いと手入れもいささか大変では」
「親友との約束なんだ、あいつと会うまでこの髪は切れない」
「そうでしたか」
クリスの脳裏をよぎったのは訓練生の頃、最後となってしまった親友のノエルの笑顔だった。
自分を嘲るようにまた笑って、クリスは開かれた部屋の扉へ足を向ける。
「プランティス卿がノエル一派の居場所を突き止めたと聞くが」
「は、はい。それを小隊長殿にお伝えに参りました! 現在、プランティス卿が決戦に向け武器と隊員を集めております!」
再び背筋を張って敬礼するヴァレク。
一呼吸おいたクリスが真剣な眼差しを向けたのは、ヴァレクではなくもっと先のほうだった。
部屋の扉ではない。外の廊下でもない。その、もっともっと先。そう遠くはないであろうノエルの背中。
「不死の秘宝は必ず手に入れてくる。それまで、マカとベレッタを頼んだぞ」
「はっ!」
右手を握ったり、広げたり。引き金をひくだけの動きができるか最終確認すると、クリスは宿屋を後にした。
夜更けにも関わらず灯された大量の松明の火で街は明るく、煉瓦通りがある街の中心部に近付けば近付くほど人の行き来も激しくなっていく。
商人、女軍人。それからクリスが最も気になったのは十から二十人に一人は見かける厳つい男の姿だった。
「あれは、軍人か?」
誰にも聞こえないような小さな声で告げるクリス。彼女の視界が捉えたのは、羽織ったマントで全身を隠す男。
まるで素性を隠すようにマントを羽織る男たちは肩幅が広く、腰元で剣の形にマントが膨らんでいる。さらに目のいいクリスには、傷だらけのゴツゴツした手も見えた。
「だとすれば、面倒なことになりそうだな」
視線に気付いたのか、偶然か。自身のほうへ顔を向けられそうになった途端に視線を外し、クリスは夜道を急いだ。
眉をひそめる彼女が懸念したのは、彼らが軍人であった場合の話。当然だがプランティス隊に男性軍人はおらず、もしも彼らが軍人ならラウネではない別の騎士が関与していることになる。
一抹の不安を抱えながらラウネのもとを目指していると、少し先で砂色のマントに身を覆った男の一団が歩いてきた。
「あれは……」
軍人か否かという屈強そうな四人の男のたちを引き連れ、先頭を歩いているのは長く鋭利な角を額から生やした金髪の鬼蛮族の少女ではないか。
背丈も低く、可愛らしい容姿の少女だったが、彼女の満月のような色合いの瞳を見るなりクリスは意図せず視線を外す。
無論、彼女が人型最強の鬼蛮族ということもあるだろうが、それだけではない。とにかく彼女の目の奥に眠る何か恐ろしいものを察し、クリスの反応が警鐘を鳴らしたのだ。
ふてぶてしい態度で男たちを仕切る鬼蛮族の少女と、なるべく彼女と関わるまいと視線を外して歩くクリスがすれ違ったその瞬間────、
「おい」
鬼蛮族の少女が足を止め、すれ違ったクリスへ乱雑に声をかけた。
「なにか?」
呼ばれたクリスも足を止め、くるりと踵を返す。
名も知らない少女とは言うまでもなく初対面。それにも関わらず、妙に高圧的な彼女の態度をもろともせずクリスは凛とした態度で応対する。
「人を探している。白髪の偉そうなエルフの女と黒髪の小汚い人間の男を見なかったか」
内心ではケンカをふっかけられる可能性も警戒していただけに、まさかの少女の問いにクリスは狐につままれたような表情を浮かべる。
そしてもう一つ、クリスの言葉を詰まらせてしまっているのは少女の問いかけの内容だった。
該当する人物に心当たりがないでもなかったが、「知っている」と言ってしまえば余計なことに巻き込まれないだろうか。そんな不安がクリスの脳裏をよぎる。
「知ってるのか?」
体をクリスのほうへ向けると、鬼蛮族の少女はこれまで以上に威圧的な態度で問いかけた。
「いや、ここ最近のことを思い返してみただけだ。少なくとも、そんな二人組は記憶にないな」
眉ひとつ動かさず、クリスは嘘をつく。
あんな奇妙な組み合わせは、そう何組もいるはずがない。だとすれば、男たちを引き連れる鬼蛮族の少女が探しているのはアバグネイルとフェヴラーで概ね間違いないだろう。
「そうか、引き止めて悪かった」
素直にクリスの言葉を聞き入れた鬼蛮族の少女は、一言謝罪すると踵を返して歩き出す。
信じてもらえたのか、それとも問いただしても無駄だと悟ったのか、とにかく手の届くところまで迫っていたであろう面倒ごとを回避できたクリスは安堵の息をもらした。
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煉瓦通りを越えた先にある娼館で、老爺の入った部屋を前にした男たちが小さく笑った。
「あの爺さん、いいカモだな」
「ああ、今頃気持ちよくなってるだろうし、さっさと持ち金全部巻き上げようぜ」
そう言って、中で娼婦を抱く老爺から金を巻き上げようと扉に手をかけた瞬間、男の肩に小さな手がのる。
すぐさま振り返ると、そこにいたのはやや長めの金髪をなびかせた鬼蛮族の少女。
「あぁ? なんだ嬢ちゃん、ウチで働きてぇのか?」
可愛らしい顔をした少女を前に、扉を開ける手を止めて男はゲラゲラと下品に笑う。
「もう働いてる」
「ほう、そいつぁ何処──」
肩を掴む手を振りほどき、今度は踵を返した男が少女に手を伸ばそうとした瞬間、彼の言葉など待たずに少女の強烈な蹴りが男の腹に突き刺さる。
まるで大砲でも放たれたような馬鹿げた威力の蹴りをあびた男の体は扉を突き破り、部屋の中へ転がった。
「貴様らみたいなクズをぶち込むところだ」
あまりにも突然のことで状況を理解できないもう一人の男。
しかし彼に考える猶予などあたえず、その首根っこを掴むと少女は蹴り飛ばした男と同じ方向にいとも容易く成人男性の体を投げ飛ばす。
「なんだ、騒がしい」
気を失う二人の悪巧みしていた男とは別の老いた声が、部屋の中に響く。
「死姦か? クソみたいな趣味だな」
少女が部屋に入ると、そこには複数名の裸の女が泡を吹いて倒れているではないか。
しかも、脱ぎ捨てられた服の中には軍服だってある。
「興奮のあまり首を絞めてしまってな、悪い癖だ」
少女が目を向けた先、部屋の奥で老爺リカルド・エバーノートが笑った。