十の神器を追う者たち③
アバグネイルの揚々とした態度と言葉の後押しもあってか、命を狙われているというのに薄ら笑いを浮かべるフェヴラーは周囲を見渡す。
しかし、生誕の杖で命を与えて役に立ちそうなものは見当たらず、ローブの懐からナイフを取り出した。
「アバ、さっき君に渡したぶんも欲しい」
「ほらよ」
そう言って要求されたナイフをフェヴラーの小さな手の上にのせるアバグネイル。
ナイフならば、キサラギの時と同様に勢いをつけて造形した肉体を元の姿に戻せば飛び道具となり得る。
確かに良い案だとは思っていたのだが、一方で疑問に思う点もアバグネイルにはあるらしく、彼女にしか聞こえないよう口を開いた。
「木とかいっぱいあんじゃねぇか」
「生誕の杖の能力は命の息吹と造形した肉体を与えることで、新たな生命体を誕生させるというものだ。元より命を持つものへは作用しないよ」
「へぇ、そういうもんなのか」
「しかし、人間の死体や伐採後の丸太には作用する。死んでしまえば、それは生命ではないからね」
この魔女は、淡々と酷なことを言うものだ。
そう思いもしたアバグネイルだったが、ふと彼女の年齢を思い出す。千年以上も生きているのだ、人や動物の生き死には散々見てきただろうし、こうしてドライになるのも無理はない。
アバグネイルの視線の先で、フェヴラーの持つ生誕の杖が二本のナイフに触れ、鉄の肉体を持つ二羽の小鳥が生まれた。
「小鳥?」
鉄という厳ついフォルムをしているものの、全体的に可愛さを未だに残している小鳥を前に、アバグネイルは首を傾げる。
「こいつはヒヨドリといってね、人と生活圏が重なることも多いこいつらの鳴き声は、十人に聞けば十人がうるさいと言う可愛いが少々迷惑な鳥なんだ」
「なんか見たことあるかも」
「五百年の時が経っても、変わらないものも多くあるみたいだね」
銃や発展した魔術、暮らしは五百年という長い間、鎖に繋がれていたフェヴラーには分からない。
でもこうして、自然と人の関係は時間など関係なく続いていき、変わらないものもあるというのが少し嬉しかったのだろう。小さく笑みをこぼす。
「さあ、私たちを狙う者を見つけてきたまえ」
フェヴラーの号令に従い、二羽のヒヨドリは各々異なる方角へ飛び立った。
*
森の奥深くから、アバグネイルたちを見つめていたのは美しい銀色の瞳だった。
艶やかな長い銀髪は射撃の邪魔にならないよう後ろで一つに束ね、森に横たわった直径だけでも人の背丈を越す幹の上でライフルを構える女クリス・ナイトホークは、弾倉に薬きょうを詰め込んでボルトを勢いよく引く。
幼少の頃からライフルを握っていた彼女は、何発も撃った。何人も殺した。
それが軍人の両親を持ち、自らも帝国軍の門をくぐった彼女の使命だったから。
への字に口を噤み、クリスはただひたすらに待った。
銃口と猛禽に似た鋭利な視線の先で、アバグネイルたちが木陰から出てくるのを、黙して待っていた。
────刹那、頭上で響く甲高い笛のような鳴き声が彼女の集中力を乱す。
ここは大自然のど真ん中。動物による阻害は承知の上だったのだが、よりにもよってこんなタイミングでと小さく舌打ち。
確かにやかましいが、頭上にいるのはただの小鳥。そこに危機感の一つさえ覚えることのなかったクリスが、改めてライフルを構える。
すると今度は、視界の隅で森を駆け抜けるハイエナの姿を捉えた。
「ちっ、煩わしい」
素早いハイエナの姿は、不規則に立ち並ぶ木で見えたり見えなかったり。
しかし相手は、害のない小鳥と違って肉食獣。一歩間違えれば自分も食われかねないと思ったのだろう。
クリスは、アバグネイルたちの隠れた大木に向けていた銃口をハイエナに移した。
その瞬間、まるでクリスの動向を察知していたかのように木陰で身を潜めていたフェヴラーが動き出す。
「くそっ!」
慌てて銃口を向けなおし、弾丸を放つが風になびく黒いローブの端を捉えただけでフェヴラー自身には傷一つない。
すぐさま場所を変え、ハイエナもフェヴラーも、未だ木陰に残るアバグネイルも皆殺しにしてやろうと一歩後退った時だった。
真上から垂直に降ってきたナイフが、彼女の左腕を捉える。
「なにっ!?」
運良く身を退いたことで、二の腕に切り傷をつけられる程度で済んだ。
しかし、未だライフルを構えていたならば左肩か、最悪頭に刺さっていた可能性だって十二分にあり得る話。
「魔術師か」
唐突に起こった不可思議な事象を前に、クリスがたどり着いたのは曖昧な答え。
ましてやそのナイフが、今まで頭上を飛んでいた鉄のヒヨドリなどと思うはずもなかった。
赤い血を流す左腕から、ハイエナがいた茂みの中に視線を移すクリス。しかし、もうそこにハイエナの姿はない。
「分が悪い」
場所を変えて攻撃するのではなく、撤退がクリスの頭をよぎったその時────、
「後ろかっ!」
背後から忍び寄る何かの気配を素早く察知し、振り返る。
するとそこにいたのは、横たわった幹のすぐ近くに立つ細長い木の枝からぶら下がり、自身に狙いをつけた大蛇だった。
クリスがライフルのボルトを引くよりも早く大蛇は右腕に巻きつき、彼女の背を目指す。
「くっ、こんな気持ち悪いやつに!」
大蛇の胴体を左手で握り、引き剥がそうと力むクリス。
しかし次の瞬間、クリスは自身の目を疑った。
あろうことか大蛇が次第に姿を変え、まるで人のようになっていくではないか。
「可愛い娘に気持ち悪いとか言われると超ショックなんだけど」
大蛇が人になったのではない。
アバグネイルが、ハイエナと大蛇の姿を模倣したのだ。
「貴様っ!」
「流石の俺も、殺し合いで男女を語るほど甘かねぇよ。軍人さん」
大蛇の姿から元に戻る過程でクリスの背後をとったアバグネイル。
彼の右手がクリスの右腕の肘を握り、そのまま彼女の腕の骨をへし折った。
「あぁあっ!」
激痛に悶え、ライフルを手放すクリスの背を蹴り飛ばし、大木の幹から落とすとその華奢な身は雑草生い茂る大地へ倒れ込んだ。
「帝国軍か、目的はどっちだ? 神器か? 魔女か?」
我流に着崩してはいるが、クリスが着用しているのは帝国軍の軍服。彼女が軍の人間であると判断するのに、時間も思考も必要なかった。
「魔女? 何の話だ」
落ちた際に小石か何かにぶつかったのだろう。額から血を流しながら、ゆっくり起き上がるクリス。
「はぁ? だったらなんで俺たちを狙ったんだよ。マジで殺されかけたわ」
「当然だ。貴様らノエルの下につく連中は、全て粛清対象だからな!」
折れて満足に動かすことのできない右腕を庇っていたかと思いきや、クリスは腰に差した細い剣を抜き取り、大木のおうとつを足場に駆け上がってくる。
「ノエっ、誰!?」
咄嗟にクリスの鋭い突きをかわすも、大木の幹の上という不安定な足場にバランスを崩してしまうアバグネイル。
「私はまだ、こんなところで死ぬわけにはいかない!」
「ちょっ、待てって! 話を聞け!」
斬撃ではなく、突きに特化した細い剣でクリスは素早くアバグネイルの急所を狙う。
不安定なバランスのまま、なんとか寸前で後方へ転がってかわしたアバグネイルの手には先ほどクリスが落としたライフルが握られていた。
幹の上で転がったその一瞬の間に、彼もまた武器を手にしたのだ。
「そいつを返せ!」
「嫌なこった!」
見事なバランス感覚で、幹の上という不安定な足場も感じさせず詰め寄るクリス。
しかしボルトを引いて空の薬きょうを飛ばさずに銃身を握り、まるで鈍器のように振るわれたライフルがクリスの左手を直撃。細い剣を弾き飛ばしてしまった。
「くっ!」
強い衝撃に怯むクリスの姿を、アバグネイルは見逃さない。
彼女の顔面目掛けて、力の限り振るわれたライフル。
武器も何も持たない左腕で防ぐも、咄嗟に出たガードは甘かったらしくライフルの柄が彼女の顔面に直撃し、血と折れた歯が宙を舞った。