十の神器を追う者たち②
「何者かは知らないが、余計な小競り合いは避けるとしよう」
遠目に見るだけでは、こちら側へ向かってくる一団を帝国軍か、はたまた別の勢力かを判断するのは難しかった。
ローブの黒いフードを深くかぶり、付近に立てかけていた生誕の杖を手にすると、フェヴラーはさっさと歩き出す。
「なあおい、これ俺持ちっぱなしだけど返さなくていいのか」
小走りでフェヴラーの後を追うアバグネイルが、腰のベルトに紐でくくりつけた模倣の仮面に手をかける。
島で真実の眼を返す際に返しそびれ、それが結果として生存に繋がったのだが、仮面も元はといえばフェヴラーの所有する三つの神器のうちの一つであることには変わりなかった。
「泥棒が誰の持ち物か、なんてことを気にするのかい?」
「これでも協力関係とかはちゃんとしときたほうなんでね」
「ふふ、随分律儀な泥棒もいたものだ。でもそれはしばらく君に預けよう」
「俺に?」
クスクス笑い声をあげるフェヴラーの背を見ながら、アバグネイルは不思議そうに首を傾げる。
「神器は現代魔術で成し得ない無限の可能性を秘めているとは言ったが、それはあくまでポテンシャルの問題だ」
足場を作る岩は爪くらいのサイズから、人の頭くらいのサイズまで大きさも形もバラバラ。
山が近く、かなり上流のほうというのもあって角の取れていないゴツゴツした岩ばかりが目立つ。
「神器の可能性を引き出すのは所有者自身だからね。少なくとも、君は私よりも遥かに模倣の仮面を使いこなしている」
「それじゃあ、お言葉に甘えてこいつは借りとくとするか」
岩から岩に飛び移り、下流のほうを目指す二人。
足場の悪い道をしばらく進むと、谷を降りていた一団の姿は死角に入って見えなくなったが、その代わりに緑生い茂る森が二人の前に姿を現した。
「君は協力関係といったが、それは君の腕を取り戻すためかい?」
「それもあるが、神器を集めて森羅万象の大預言を手に入れるんだろ?」
岩場ですら力強くはった大木の太い根に足をかけ、狐につままれたような顔でフェヴラーが振り返る。
「それは私の目的じゃないか、脱獄した以上君ならば私を裏切ることもできるはずだ」
「真実の眼をつけといて、それを言うか」
フェヴラーの視線の先でアバグネイルが足を止めた。
一度使用経験があるアバグネイルは、彼女が首もとで光らせている真実の眼がある限り嘘は無駄だと、深く理解している。
「思考を読み取る神器ではないからね、口で真実を述べながら腹の中で画策することだってできるはずだよ」
「そう言われてみれば、そうだな」
真実の眼が判断するのは嘘か真か。ただそれだけ。
あくまでそれらを分別する能力を秘めた神器であり、思考を読み取る神器ではない。
フェヴラーの言葉に腕を組み、納得したように頷くアバグネイル。
「けど俺はお前についていくよ、お前も内心じゃそう思ってるから模倣の仮面を俺に預けたんだろ?」
「それは……」
図星だったのだろう。フェヴラーはほんのり顔を赤くし、アバグネイルから視線を逸らした。
「だけど、当初の君の目的は果たしたはずだ。一晩中、流石の私も意識がトビそうなほど相手をしたのだ。満足していないとは言わせないぞ」
「いやぁ、お前の顔芸面白かったぜ」
「顔芸じゃないっ!」
歩き出したアバグネイルはケラケラ笑いながら、フェヴラーの肩をポンと叩く。
「あの島にぶち込まれる前、こんな空っぽな俺を心から信じてくれる女がいてな」
森の中へ入っていったアバグネイルに小走りで追いつき、フェヴラーは彼の顔を興味津々に覗き込みながら隣を歩く。
「結局、俺らは生きる世界が違ったんだけどさ。もう一生、この道があいつと交わることはねぇよ」
「空っぽなのかい?」
「両親の顔は知らん、親代わりは明日の生活すらままならん泥棒。今は死んだそいつから教わったのは盗みだけだった」
「それで泥棒ということかな」
フェヴラーの言葉に頷き、アバグネイルは更に続けた。
「誰かを騙したり、何かを盗んだりすることでしか明日も生きられないようなっちまったわけだ。学も志もない、夢も目標もない。気がつけば、手の中には他人から奪ったもんばかりで俺が俺を証明できるものなんざ、何一つなかった」
隣を歩くフェヴラーの黒フードをかぶった小さな頭に手を置き、優しく撫でると彼女は「ええい、撫でるな」とアバグネイルの手を振り払う。
その姿を見て可笑しそうにアバグネイルが顔をほころばせると、フェヴラーは不満そうに頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。
「そんな俺にあいつは信じるなんて言いやがった。バカみたいだろ? 愛してるから信じるのは当然だってさ」
おそらく彼がフェヴラーを撫でたのは、「愛してるから当然」と真剣に言い張る姿を、「親友だから当然」と言う彼女の姿に重ねたからなのだろう。
「お前が親友のために命を張るつった時、俺はお前の約束が果たされるまでついていこうと思ったよ」
「私の約束が……」
アバグネイルの口から出てくる過去の話も決意も、全ては彼自身の真意。
それは、真実の眼を持っているフェヴラーが一番分かっていた。
「森羅万象の大預言を使ってお前が何をしようが構わない。関係ない。親友との約束のために命をかけるお前の隣でなら、俺の空っぽな人生も少しは満たされそうな気がしただけだよ」
「なんだ、結局は自分のためなんじゃないか」
「ふっ」と吹き出し、笑みを浮かべるフェヴラーが言うと、アバグネイルもつられて笑った。
「だな」
二人して笑いながら森を進んでいると、アバグネイルの視界の隅で木漏れ日に照らされた何かが眩く輝く。
「──伏せろ!」
強く言い放ったアバグネイルの右手がフェヴラーの細い首を後ろから掴み、大木の陰に引き寄せた。
土の地面からせり出す太い根に腰をぶつけ、歯をくいしばるアバグネイルに抱かれるように、フェヴラーのバランスを崩した華奢な体は彼の胸板にぶつかる。
刹那、銃声と共に彼らがいた場所から少し後方の地面が弾け飛んだ。
「ちょ、君はいつも急に!」
アバグネイルの鎖骨にぶつかって赤く腫れた鼻を抑えながら、涙で瞳を潤ませたフェヴラーが口を尖らせる。
「谷をくだってた連中が追いつくわけないよな」
普段、人の立ち入りが少ないこの森には樹齢を重ねた大木が多く、二人の姿を隠してしまうほどの大木も珍しいものではない。
焦げ茶色の幹に身を隠しながら、そっとアバグネイルが顔をのぞかせようとした瞬間、隠れていた大木の樹皮に銃弾がぶつかり、はじけ飛ぶ。
「あぶねっ!」
「銃の扱いが上手いようだが、複数人で狙っているわけではないようだね。猟師かな」
「なんで俺らが猟師に狙われんだよ。こりゃ、熊や鹿と間違われてるわけでもねぇぞ」
姿すら捉えられないほど遠距離からの射撃。おそらく、帝国領内で最も流通する軍仕様のライフルの最大射程距離からの射撃に違いない。
魔術による鉄の加工技術が発展した現代、従来の猟銃よりも入手が容易く高性能な軍仕様のライフルを愛用する猟師は、多数を占めていた。
しかし、二度発砲した狙撃手は明らかに二人が人間だと分かった上で撃ってきているのは間違いない。
「足止めをくらっている場合ではないんだけどね」
「バカ言え、あの腕前の狙撃手だぞ。マジで殺されるって」
「たしかに素晴らしい腕前だと心底思うよ。しかし、私たちには神器があるじゃないか」
素性も居場所も分からない狙撃手に命を狙われる。
この誰の目からも分かる危機的状況で、フェヴラーは嬉々として生誕の杖を見せびらかした。
彼女の意図がすぐに理解できたようで、アバグネイルも揚々と指を鳴らす。
「それな!」