十の神器を追う者たち①
板張りの壁にあいた隙間から差し込む陽光に目を覚ましたアバグネイルが起き上がる。
ただ寝るためだけに作られた渓谷の狩猟小屋だ。就寝用の毛布と、空っぽの火薬箱と、蜘蛛の巣だけというひどく質素なもの。
それでも、雨風凌げるうえに深い森を抜けた渓谷という場所は逃亡中のアバグネイルにとって都合がよかった。
「島を出てからは移動ばかりだったからね。ゆっくり休めたかい?」
厚底ブーツの重たい足音と共に部屋の中に入ってきたのは、ボロボロの黒いローブをなびかせるフェヴラー。
彼女の手には、彼女のローブと似たような黒い上着をはじめ、男性用の服が一式握られていた。
「お前さ」
「なんだい」
丸めた毛布の上に腰をかける裸のアバグネイルに服を渡すと、フェヴラーは不思議そうに首を傾げる。
「性欲強過ぎんだろ」
「なっ!」
渡された服を右手だけを駆使して着ながら、呆れたように告げられた言葉はフェヴラーの顔を一気に紅潮させた。
「それは君のほうだろ! 相手をさせられた私の身にも──」
「そう言ったのはお前のほうだろ。いや確かにお前とヤりたくて散々無茶したけど、流石にあの乱れっぷりはひくわ」
「まてまてまて! ひいた? ひいたのか!?」
少しボロいのは気になるところだが、囚人服で歩き回るよりはよっぽどマシだとフェヴラーから渡された服を受け入れてゆくアバグネイル。
しかし、意外にも黒い上着はまるで新調したように綺麗で、フードや袖には動物の毛皮をあしらうという凝りよう。
全て着終えたアバグネイルの胸ぐらを掴み、大声をあげるフェヴラーだったが、その瞳は心なしか涙ぐんでいるようにも見えた。
「さすが淫魔ってくらいはな」
自分よりも少し背の低いフェヴラーの頭にポンと手を置くと、アバグネイルは小さく笑って小屋の外へ足を向ける。
「サキュバスの血は半分だけだ! 基本的にはエルフであってだね」
「どうだっていいよ」
「どっ!?」
「美女が抱けさえすりゃ、俺の人生万々歳だ」
木の薄っぺらい扉を開こうとのばした手を止め、踵を返すとアバグネイルはフェヴラーの小さな顎を掴んだ。
自分が何をされるのか、わからないフェヴラーではない。わかっているからこそ、顔を果実のように赤くして目を泳がせた。
案の定、フェヴラーの薄い色をした柔らかい唇はアバグネイルの唇に優しく潰され、その心身は一気に硬直。
「飯食ったら、また移動するんだろ?」
尖った耳の先まで紅潮させ、小さな頭から湯気を出してフラつくフェヴラー。
そんな彼女を尻目に、片方しかない腕で扉を開くとそこには焚き火とその上に乗っかる黒い鍋があった。
「なんだこりゃ、亀?」
鍋を覗き込むと、真っ黒焦げの亀が二匹裏返っている。
興味津々で亀を眺めるアバグネイルの背後で、小屋から出てきたフェヴラーがパチンと指を鳴らせば、鍋を焦がす火は一瞬にして鎮火。
鍋の中から湯気がアバグネイルの顔を覆うほどの湯気が立ち込める。
「谷をおりたところで獲ってきた。この辺は自然豊かで食物に困らない素晴らしいところだよ」
「亀なんて初めて食うぞ」
熱そうに細い指先で鍋の中の亀をとると、フェヴラーは亀を仰向けのまま盛り上がった岩の上に乗せ、ナイフで甲羅を剥ぎ始める。
事前に熱湯をくぐらせ、砂利などの汚れや川臭さを取り除いた亀。その手にあたる部分の身をフェヴラーがナイフの切っ先で掘り出すと、刃で切ってしまわないよう小さな口をめいっぱい広げてかぶりつく。
「こうして食べるんだ、一部の地域では贅沢品として食べられるほどの肉で滋養強壮効果もあるといわれているぞ」
「へ、へぇ……」
なんともグロテスクな食事風景に苦笑いを浮かべていると、アバグネイルにフェヴラーの食いかけの亀が手渡される。
「片腕だけでは甲羅をあけられないだろう? これを食べるといい」
「おう、サンキュー」
近くにあった岩に腰掛け、膝の上に乗せた亀の身を片手に持ったナイフで器用に掘り出すアバグネイル。
少々の抵抗はあったが、食事も生きるために必要不可欠。ナイフの切っ先で突き刺した亀の身を恐る恐る口に運んだ。
「まだ臭みはあるけど……パサパサした感じは鶏肉に近いな」
「この臭みを完全に取り除くのには、時間と手間を要するからね。今のところは我慢してほしい」
「いやまぁ、でもうめぇよ」
二人とも満足気に亀の肉を食べている最中のこと、遠巻きに大きな鳴き声が聞こえた。
甲高いその声は鳥類に近い部分もあったが、微妙に違う。
アバグネイルが鳴き声のしたであろう方角を探していると、フェヴラーが口を開いた。
「小飛竜だね」
「小飛竜?」
聞いたことのない名前に疑問符を浮かべながら、アバグネイルは最後の一口まできれいに食べきる。
「太古の時代に絶滅した竜種の系譜にある小型の竜だよ。あまり獰猛なタイプではないのだが、産卵期を迎えるこの時期は気が立っていてね……縄張りに入るものを容赦なく攻撃する」
「ってことは、ここも縄張りなんじゃ……」
「それを知っていながら、私が凡ミスをすると思うかい? あれは高山地帯に住処をおく、つまり私たちが通っているルートは小飛竜の住処を避けて通っているんだ」
鳴き声が聞こえたであろう、遠くに見える山頂に雲がかかった高山を指し、フェヴラーは得意気に言葉を続けた。
「あっちの山から聞こえたんだろうが、この辺りに住む動物や原住民が小飛竜の住処に近付くとは思えない」
言い終えると、フェヴラーも最後の一口を楽しむ。
「だったら、今その小飛竜とやらに威嚇されたのは……」
「ああ、土地勘のない動物か人間ということになるね」
そうフェヴラーは言ったものの、彼女自身もアバグネイルも「土地勘のない動物」という可能性は潰した。
肉のひとつまみすら残っていない甲羅を鍋の中に投げ捨てると、アバグネイルはおもむろに立ち上がる。
「おい、あれ」
アバグネイルが指すのは、谷底。
フェヴラーが彼の指に視線を合わせると、そこには小さく人影が見えた。
一つや二つなら猟師とも考えたが、十から二十はいるであろう人影は明らかにこちら側へ向かってきているではないか。
「この一週間、音沙汰もなかった追っ手がようやく来やがったってわけか」
「いや、おそらくあれは島からの追っ手ではないよ」
膝に手をおき、ゆっくり立ち上がったフェヴラーが首を横に振って否定する。
「君の上着は私が植物の繊維と染料を集めて魔術で作ったものだが、それ以外は周辺の死体から集めたものだ」
「うっそ! お前そんな汚ねぇもんを!?」
「川で洗濯しておいた、気にすることはないさ」
自分の服が死体から剥ぎ取ったものだと知り、慌てるアバグネイル。
そんな彼とは対照的に、谷底へ下っていく一団を冷ややかに見つめるフェヴラーはさらに口を開いた。
「君の腕を最優先に考えていたんだがね、どうやら事態は考えられる限り最悪な展開になっているらしい」
「最悪って、一体どういう……」
「看守のウルも言っていただろう? 国家規模で神器を探し回っていると、監獄島の下っ端の耳にさえ噂レベルで届いているんだ。他にもどこかで神器と大預言の存在を耳にした者がいてもおかしくはないはずだと思わないかい?」
アバグネイルは言われて初めて、思い出す。
たしかにあの時、ウルは「国家規模で探し回るようなものか?」と言った。
「まさか」
「ああ、私たち以外にも『再生の十字架』を嗅ぎつけてきた連中がいるらしい」
先ほどまでのキスされて生娘のように慌てふためいていた時とはまるで別人のように、神妙な面持ちでフェヴラーが告げる。