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懲役4000年の魔女⑪


「よし! これで逃げられる!」


 崩壊したシャワールームから瓦礫を踏み、続いていたのはアバグネイルの目論見通りの下水道。

 これを見て気をよくしたアバグネイルは、大きな声をあげた。

 無論、今の爆発に気付いた看守たちが二号棟に駆けつけてきているのは知っている。知っているが、海にさえ出れば彼ら二人の勝利は揺るがなかった。


「早いところ逃げようじゃないか、これで準備は整った」


 下水道の海へと繋がる出口から飛んできた木の鳥を自身の腕に着地させるフェヴラーも、勝利を確信して笑みがこぼれる。


「あの高さから落ちて無事ってのも考えたくないが、どうせあの化け物は生きてるだろうしな」

「まったく、あの獄長も厄介な飼い犬を残したものだ」


 鬼蛮族のキサラギさえいなければ、もっとスムーズかつ安全に事を運べていただろう。

 そんなことを考えた二人の深いため息が、偶然にも重なった。


「なあ、お前島を出たら……残りの神器を探すんだろ?」

「そうとも、それが今の私の生きる意味だからね」

「親友との約束、か」

「ああ」


 さきほどの爆発で破裂した水道管のもとへ歩く二人。

 大方、水道管から溢れ出す大量の水の上に船を乗せて、勢いで島から遠ざかろうとでも考えているに違いない。


「ウルの話じゃ、帝国も神器を狙ってやがる」

「そのようだね」

「その約束ってのは、命をかけるようなもんか?」


 水の勢いが最も強い地点にたどり着いたフェヴラーの足が止まった。


「親友というのは、そういうものだろう? 違うかい?」


 彼女の単純な答えに、アバグネイルは笑った。笑いが堪えられなかった。

 そして、


「違いねぇや」


 満足気に言い放った。


「さあ、無駄話の時間は終わりだ」

「おう」


 互いに頷きあい、激流の中に放り投げた船に乗り込む二人。

 水と水が激しくぶつかる音と、飛び散る水しぶきの中を、二人を乗せた小さな船が走る。

 なんとか二人分の体が入るほどの小さな船の中で腰を屈め、急速に動く船が転覆しないようバランスを保つのに精一杯のようで、船の縁を握る二人の手が力んだ。


「速っ!」

「しっかり掴まっていることだね!」


 外から差し込む日光だけが頼りの、仄暗い下水道を走る船の行く先に待っていたのは、輝き。

 空で燦々と輝く太陽の輝き。島の外で待つ自由に見た輝き。

 生憎、二人は船の縁にしがみついていて手を伸ばすことはできないが、もう手の届くところまできたそれに内心歓喜していたことだろう。

 目に映る輝きは徐々に大きさを増し、そして二人の体を優しく呑み込んだ。


「アバ、知っているかい?」

「なにが?」


 船の勢いは下水道を抜けて海に出ても止まらず、忌まわしき監獄島を背に段々遠ざかっていく。


「この監獄島は七百年の間、ただの一人の脱獄も許さない脱獄不能の監獄だったそうだぞ」

「だった、な」


 前に乗るフェヴラーの後ろ姿を見てアバグネイルがの顔がほころぶ。


「ああ、だった。私たちは記念すべき脱獄囚第一号と二号となるわけだが……先頭に乗っていた私が第一号の名を頂戴するとしよう」

「はぁ? それはセコくね!?」


 勢いが尽き、速度を落としていく船の上で一人一本ずつ船の中に備えつけてあったオールを持って海面をかく。

 勿論、激流に背を押してもらった時ほど速くはないが、それでも着実に少しずつ監獄島から離れていった。


「しかたないだろう、私の方が先に監獄島を出たのは確かなのだから」

「それで前乗ったのかよ。流石魔女、やることがきたねぇぞ」


 なんとか先頭に立ち、第一号の座をもぎ取ろうとアバグネイルが動き出したせいで船が横に大きく揺らぐ。


「なっ、待て! 揺れてる! 揺れている!」

「そこ代われって!」

「わかった、わかった! さっきの発言は撤回────」


 揺れる船の上で顔を真っ青にしたフェヴラーの顔が、後ろのアバグネイルの方に向けられた時だった。


「アバ、君はあれをどう見る?」


 フェヴラーの顔から血色というものが消え去り、細い指が監獄島のほうを向く。


「どう見るって何……を……」


 白く細長い指にアバグネイル視線を合わせると、そこには────、


「あれ、おかしいな。あの時計塔動いてないか?」


 巨人の一撃で破壊し、倒れた時計塔の先端が動いている。それも、二人のいる海へ近付いているようにも見える。


「私の目にもそう見えるが……いかんいかん、脱獄で喜ぶあまり、ありもしないものが見えているのかもしれないね」

「そうみたいだな、あのデカい時計塔が動くはずないもんな。気をしっかり引き締めていこうぜ」

「ああ」


 二人して自分の頰をつねってみた。

 それでは足りないと、互いの頰をつねってみた。

 これは幻覚。喜びのあまり見てしまった、どうしようもない幻覚。

 しかし、痛い。


「おい……おいおいおい! 冗談だろ!」


 よく見れば時計塔を両腕で持ち運んでいるのは、キサラギ。

 幾ら鬼蛮族で、馬鹿力とはいえ、これは規格外。


「サァァァァバァァァァトォォォォ!」


 ドスのきいた低い声で唸ると、あろうことか海の上に浮かぶ船目掛け、キサラギは全身の筋肉という筋肉をフル稼働して時計塔をぶん投げた。

 放られた時計塔は陽光を遮断し、海に浮かぶ二人の姿を陰らせる。


「どどどどど!」

「落ち着きたまえ! 島から出たここならば、魔術の使用制限もないはずだ!」


 だらだらと汗を流し、死すらも覚悟してフェヴラーにしがみつくアバグネイル。

 対照的にフェヴラーは動揺を口から溢れる寸前のところで引き留め、杖を時計塔の降ってくる空にかざした。


「死にたくなければ、しっかり掴まっていることだ」


 何度も頷き、指示通り船の縁にしがみつくアバグネイルの視線の先で、縦横無尽あらゆる方面からの風が収束する。

 波風立て、船を大きく揺らす暴風は船と時計塔の間に集まって壁となった。

 揺れる船の中でフェヴラーは片手をしっかり縁にかけ、杖先に意識を集中させる。


「急ごしらえでは少々キツいか」


 時計塔と風圧の壁がぶつかった瞬間、耳をかきむしるような騒音に紛れてフェヴラーが声をもらす。

 五百年という長過ぎるブランクでこしらえた風圧の壁にぶつかった時計塔は衝撃で崩壊。

 当初のフェヴラーの予定では弾き返すつもりだったが、それほど強力な風圧の壁を作ることは叶わず、崩壊した時計塔の瓦礫が海面にぶつかった。

 幾つも、何度も、瓦礫は海面にぶつかり、大波を起こす。


「やばいって!」

「わかっているさ!」


 最早バランス感覚でどうこうできる許容を遥かに超えて揺れる船。

 幾度となく海面から船底を飛ばされながら、なんとか維持していたのも束の間、大波は船ごと二人を空へ投げ出した。


 しみる海水に小さく唸りながらアバグネイルが目を開けると、そこは澄んだ海の中。

 遠巻きに海中をせわしなく泳ぐ大型のワニの姿がいくつも見える。


(海にワニかよ)


 必死に水をかき、なんとか呼吸をしようと海面を目指すアバグネイルだったが、彼の視界の隅でワニ以上にせわしなく動く見覚えのある姿が──。

 杖だけはしっかり握りながらも、水の中でどうすることもできずひたすら暴れるフェヴラーだ。


(あいつまさか……)


 乱暴に動いたって、水の中を移動できるはずなんてない。

 そう思ったアバグネイルの脳裏をよぎったのは、船の揺れで顔を青ざめさせたフェヴラー。


(魔女のくせに、カナヅチかよ)


 暴れるのをやめ、両手で大事そうに杖を抱くとフェヴラーの口から大量の空気が泡となって溢れ出す。

 刹那、海中のワニたちがついに二人の姿を捉えた。

 しかしながら、目元がしわくちゃになるまで力いっぱいまぶたを閉ざすフェヴラーがその影に気付くはずもない。


(くそっ)


 アバグネイルは、海面へ向かう体を沈んでいくフェヴラーの方へ転換させると、彼女のもとへ急いだ。

 なんとか、ワニよりも速く。フェヴラーの息が完全に途絶えるよりも──速く。

 前へ前へ。


 めいっぱいのばしたアバグネイルの手が、ようやくフェヴラーの腕を掴む。

 だが、周囲には自身らの肉を狙う飢えたワニども。

 状況の悪化は著しかった。


(どうする、考えろ俺)


 フェヴラーを連れ、海面を目指すアバグネイルのもとに逸早く到着したワニが大口をあけて襲いかかる。

 寸前のところで下顎を蹴り、なんとか抵抗するもワニは増える一方。

 最初は片手で数えられるほどだったものの、今となっては両手でも数えられない。


(真実の眼は役に立たん)


 何か縋れるものはないかと、意識を失うフェヴラーの首もとで光る真実の眼を見るが、すぐに視線を逸らす。


(生誕の杖は使い方がわからんし、肝心のこいつがこのザマじゃ……)


 縋れそうな十の神器のうち、二つはお役御免。


(模倣の仮面なら使い方はわかるが、こんな時に誰を模倣する。獄長にでもなれば、ビビってくれるか)


 残る一つはアバグネイル自身が懐に隠している模倣の仮面。


(構造を理解さえしていれば、同質量の制限付きで肉質や骨格も模倣できる……か)


 足を使ってワニを払っていたアバグネイルの傍から、さらに別のワニが襲いかかった。

 なんとか反応はできたものの、その距離はほぼゼロ距離。

 勢いよく閉ざされたワニの口に、左腕の肘から先が食われてしまう。

 痛みのあまり空気を吐き出し、自らの血で濁る水を睨むアバグネイル。その時、アバグネイルの頭を一つの打開策が過った。


(博打もいいとこだが、やるしかねぇ)


 左腕を喰らい、海の奥深くへ引きずり込もうとするワニの顎を足で押さえつける。

 万が一にも、激痛で気を失わないよう歯をグッと食いしばったアバグネイルは、自ら腕を引き千切った。


「ぐぬぬぬぬ」


 息苦しさと激痛に悶えながら、溢れ出した血で視界の悪くなった水の中を海面目指して泳いでいく。

 もう酸素は目と鼻の先というところで、ようやくフェヴラーの目が薄っすらと開くが、自身を連れて泳ぐアバグネイルの姿に愕然とした。

 彼の左腕の肘から先がないではないか──。


 水しぶきをあげ、ようやく海面へと顔を出したアバグネイルの右腕が、フェヴラーの体を強く抱き寄せる。


「アバ! その腕はっ!」


 酸素を口にしたフェヴラーが鬼気迫る顔で叫ぶ。


「気にすんな、それより聞きたいことがある」

「気にっ、はぁ?」


 腕のことなんかどうでもいいと言わんばかりのアバグネイルに物申してやりたい気持ちもあったが、こんな状況だ。

 フェヴラーは言いたいことを全て呑み込み、自分を抱き寄せる彼の顔を見上げた。


「模倣の仮面で人間以外を模倣することは可能か?」

「それは……肉質や骨格の理解と質量制限の条件をクリアしていれば、理論上は可能なはずだが」

「それが聞けただけで充分だ」

「まさか、君は……」


 アバグネイルの不適な笑みを目にし、フェヴラーは呆気にとられる。


「まさか諦めたとか言うんじゃねぇよな。親友との約束だろ、最後の最後まで足掻くぜ」

「……わかった。君には本当、感謝してもしきれないな」

「俺の服の中に仮面がある、腕ねぇからつけてくれよ」

「これだな」


 アバグネイルの囚人服の胸元から手を入れ、仮面を取ったフェヴラー。

 その白い仮面を彼の顔につけるや否や、彼の姿はイルカへと豹変する。

 質量制限の条件により、本物よりはやや小さめだが泳ぎは力強く、ワニたちを尻目にどんどん海を進んでいく。


「水は大の苦手でね」


 イルカにしがみつき、悠々泳ぐフェヴラーは海面から顔を出してクスクス笑った。


「でもこうしていると、海というのも悪くない気がしてきた……君のお陰だよ」


 監獄島から離れた二人の視界に、ようやく大陸が姿を現す。


「今は喋れないのか、だったら聞いているだけでも構わない」


 イルカの柔らかい肌に頰を寄せ、ゆっくりとまぶたを閉じるフェヴラー。


「魔術では失った腕を完全に復元するのは不可能だ。しかし、私は誓おう……必ず君の腕を取り戻してみせる」


 真上にあったはずの太陽はいつしか沈み始め、水平線の向こう側から優しく温かな陽光が美麗に二人を照らした。



「その時は、両腕で私を抱いてくれ」



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