懲役4000年の魔女①
近頃、毎晩のように夢の中で美女を抱く。
そう言ったアバグネイルのほころんだ顔を見て、テーブルを挟んだ向こう側にいる彼と同じ囚人服の男は、ゲラゲラと品のかけらもなく笑った。
よほど面白かったのだろう。スープを飲んでいた匙を皿の中に落としたことにも気付かず、腹を抱えて笑っている。
「信じてないな?」
自分を嘲る笑いだというのは、美女の夢を語るアバグネイルにも分かった。
「信じるさ、信じる。監獄島にはむさ苦しい男ばっかだからな、欲求不満にもなるさ」
「だけど、毎晩毎晩同じ女ばかりが夢に出てくるんだぜ?」
両手首を繋ぐ金具の錠をつけられたまま、不自由そうに匙でスープを飲んだアバグネイルは、口を尖らせて反論する。
「誰だ? シャバに女でも残してきたか?」
まだ顔をニヤつかせながら、対面の男が面白半分に問いかけた。
「あんな綺麗な女、見たこともねぇよ。けどありゃエルフだな、小さい顔に首も耳も細くて長い」
「確かに、エルフなんて機会がありゃ一度は抱いてみたいもんだ」
女性であれば美しい出で立ちの者が多いというエルフ族。それを一度でいいから抱いてみたいと思うのは、人間の男なら考えてみるもの。
しかし、外界と遮断して社会を形成するエルフ族との交流は困難を極め、男が抱く夢は夢のままで終わる。
ただでさえ、色のない隔離された監獄島に押し込められているのだ。たとえそれが眠っている間に見た夢だろうとも、対面の男からすれば少し羨ましかったのかもしれない。
「あの夢に出てくる美女のためなら、俺は脱獄だってするね」
「どうやって? そりゃ、エルフの女を抱くより難しいかもしれないぜ」
すっかり夢の虜になるアバグネイルを再び嘲り、器の中に落ちてしまった匙を黒ずんだ汚い指で拾いあげる。
澄んでいたスープの色に少々の濁りが見えたが、こんな鯖ついた空気の中で十年近くは暮らしているのだ。清潔感なんて無縁。
スープをすくう木製の匙だって、いつから使っているのか分からないほどボロボロで、落ちた木クズも野菜と一緒にガリガリ噛み砕いて食べている。
「冗談だよ、冗談」
そう言って夢を語っていたアバグネイルも、対面の男につられて笑った。
しかしどうしてか、対面に座りスープを食す男には目の前で「冗談」と笑う彼の目が笑っているようには見えない。
「どうだかな……。まぁ俺からすれば、おたくがどうしようと関係ない話だ」
今日会ったばかりの男が夢の中に現れた女を求めて、脱獄しようが看守に射殺されようが彼にとっては心底どうでもよかった。
食堂の囚人たちが次から次へ立ち上がり、看守の誘導のもと作業場へと連れていかれる。
無論、それは夢の話をする二人も例外ではなく、食堂のざわめきの中で一際目立つ革靴の足音が近づいた。
「囚人アバグネイル、囚人ベラモス、さっさと食事をすませ」
高圧的な看守の男の態度に「はいはい」と二人の囚人の声が重なる。
「アバグネイル、か。その女、長い白髪のエルフだろ」
「なんでそれを」
スープを全て飲み干した男・ベラモスの言葉に、アバグネイルは素直に驚きの色を顔ににじませた。
「この島のウワサだよ。夢に出てくる白髪のエルフに取り憑かれたやつらは、頭がおかしくなって脱獄を試みたり看守に噛みついたりして殺されたか、よくて一生独房か」
「島の、ウワサ」
「三号棟のリカルドとかいう爺さん、お姫さま寝取って無期懲役くらってる元帝国騎士さまらしいが……その爺さんが可哀想にイカレちまって、そんなありもしねぇウワサを流したんだとさ」
「詳しいんだな」
すっと立ち上がり、さっさと歩いていってしまった看守の後を追おうと踵を返すアバグネイル。その顔は、少しだけ笑っていた。
「十年もいりゃ、島のイカレ野郎の話なんか嫌でも耳に入るさ」
対照的に、ベラモスはスープを飲み干しても重い腰をあげようとはせず、ケタケタと笑う。
「そうか、じゃあ俺のこともイカレ野郎の話として島の中に広げてくれよ」
ベラモスに背を向けたまま、一歩も踏み出さないアバグネイルが背中越しに告げた。
「冗談じゃなかったのか?」
「いると分かれば話は別さ、欲しいものは何だろうと手に入れてぇ性分でな」
やはり自分の目は狂っていなかったと、ベラモスは心底思う。
ただの馬鹿げた淫夢の話にしては、アバグネイルという男の目はあまりに真剣。
嘲るように笑ってみせた時だって、目は笑っていなかった。
「おたくがこの島にブチ込まれた理由が分かった気がするよ」
「なに、ただのコソ泥さ」
最後に不敵な笑みを浮かべて言い残し、アバグネイルは早歩きで作業場へ向かった。