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ヒロインは困惑中

作者: 豊川颯希

 その日、アデラはいきなり将来を誓われた。

「ああ、アデラ様……あなたが幸せな日々を送れますよう、非才の身ですが粉骨砕身いたしますので、どうか憂いなきよう」

 アデラ・マリアールの目の前には、彼女と同じ年の少年が、王宮の騎士もかくやという恭しさで跪いている。その少年──ゼオンに会ったのは今日がはじめてだ。確か、とアデラは先程ゼオンが紹介された時のことを思い返す。今日はマリアール家でお茶会が開かれ、親交のある貴族がその子弟を連れて集まっていた。ゼオンは、宮廷魔術師を数多く輩出するレストア伯爵家がその魔力を見出だして養子にしたとか……。少なくとも、初対面でこのように畏まられるほど、アデラはゼオンと接点を持った覚えはない。

「あの、ゼオン様?」

「敬称など、不要です。どうぞ、ゼオンとお呼びください」

「でも……」

 アデラは戸惑い、辺りを見回した。周囲の表情も、ほぼアデラと似たもので、ぽかんとゼオンを見ている。

「さあアデラ様、どうぞゼオンと!」

「え、ええ……それじゃあ、ゼオン」

 勢いに押され、アデラが思わずゼオンの名前を口にすると、ゼオンの顔がぱっと輝いた。どちらかといえば、地味で大人しめな少年の顔があんまりにもあどけなく笑うのだから、アデラはついうっかり魅入られてしまった。

 これが、アデラとゼオンのはじまりだった。

 

 


「こらアデラ! まだ掃除は終わらないのかい!」

「申し訳ありません、すぐに」

「お母様、私のネックレスどこ?」

「私の靴もないわ!」

「そんなもの、また買えば良いじゃないか」

「まあお父様、新しいものを買ってくれるの?」

「それはそれで嬉しいけど、あれはお気に入りなの! ……というわけでアデラ、今日中に探しておくのよ!」

「はい、お従姉(ねえ)様」

 アデラが頭を下げると、叔父夫婦はアデラを忌々しげに見やってから、踵を返す。その後に続いた従姉たちは、くすくすと嘲るように笑ってから、両親の後についていった。嫌がらせに、雑巾を置いていたバケツを蹴飛ばしていくのも忘れない。あのはしゃぎっぷりでは、今日もどこかのお茶会に呼ばれているのだろう。

 アデラは、つと窓から屋敷の外を見やった。かつて、大勢の貴族が訪れていた庭園は雑草が生い茂り、見る影もない。

 アデラがゼオンに会ってから10年。マリアール伯爵家は、没落の一途を辿っていた。あのお茶会から間もなく伯爵夫妻は事故に遭い、アデラを残して亡くなった。まだ幼いアデラに伯爵家の運営は荷が重いと、訳知り顔でやって来たのは叔父夫婦とその娘たち二人。表向きはアデラを養子として後見、という立場を装っているが事実上マリアール伯爵家の実権は叔父夫妻が握り、アデラは気付けば使用人のように扱われていた。はじめこそ、アデラの両親が健在の頃から仕えていた使用人たちが庇ってくれたが、見せしめに何人もやめさせられ、今では一人も残っていない。新たに雇おうにも、叔父の事業の失敗と叔母と従姉たちの浪費癖のせいで、財産はほぼ底をついていた。

 アデラは無理矢理窓から視線を外すと、掃除の続きをはじめた。

 



 従姉たちの装飾品を探し終えたアデラは、ほっと息をついた。まだ、外が明るい。雪もちらつきかけたこの頃、日の入り前と後では気温がかなり違う。夕飯の材料を買い込むため、アデラは屋敷を出た。

 そんなアデラに、底抜けに明るい声がかかる。

「アデラ様!」

 アデラが顔を上げると、道の真ん中でぶんぶんと大きく手を振る姿が見えた。それが小さな子供なら周囲も微笑ましい顔で見守るだろうが、当の本人はひょろりと背の高い、成人間近の男性だ。極めつけに、陰気な黒いローブを纏っている。彼の横を通った子供が「死神だぁ!」と悲鳴を上げて泣き出した。

「ゼオン」

 アデラがその名を呼ぶと、彼はぱっと顔を輝かせて走り寄ってきた。忠犬も裸足で逃げ出すなつきっぷりである。

 彼──ゼオンは昔の使用人たちと同じく、アデラに対する態度が変わらない人の一人だった。彼はアデラの両親が亡くなった後も、暇を見つけてはアデラに会いに来てくれていた。そればかりか、アデラが叔父夫婦に暴力をふるわれそうになった時、何故かそれを予め察知して、防御の魔術をかけてくれていた。アデラを叩こうとした腕を弾かれたことから、叔父夫婦はゼオンの存在に勘づいたものの、魔術の名門レストア伯爵家の庇護の元、着々と魔術師として力をつけているゼオンには楯突く気は流石に無いらしく、ゼオンがアデラに接触するのを苦々しく思いながらも放置している。

「アデラ様、夕食の買い出しですか?」

「そうよ」

「僕もご一緒しても良いですか?」

「ええ」

「やったあ!」

 アデラの許しに、ゼオンは声を上げてはしゃぐ。見た目は陰気な魔術師、といった風体なのに、そうした仕草は子供の頃から変わらない。アデラが微笑ましくそれを見ていることに気付くと、ゼオンは咳払いし、両手を掲げた。

「その前に、防御魔術をかけ直しますね……全く、アデラ様のようなお優しい方に手を上げるなど言語道断でうひゃっ!?」

 アデラは出し抜けに、ゼオンの手を握った。その指は、先程屋敷を出たばかりのアデラとは違い、冷たくなっていた。それを確かめるように、アデラは一層強く握りしめる。アデラの柳眉が曇った。

「……やっぱり、ずっと私を待ってたのね?」

 疑問というよりは断定に近いアデラの指摘に、ゼオンは瞳を泳がせた。明言はしないものの、明らかな肯定に、アデラはため息をつく。そんなアデラを、ゼオンはおろおろと見下ろした。まるで捨てられる前の子犬だ。叔父夫婦のアデラに対する暴力の時もそうだが、ゼオンは時節アデラの未来が分かっていた、としか思えない行動を取る。どうしてそれができるのか、またなぜアデラの未来だけ分かるのか、ゼオンに聞いても明確な答えをもらったことはない。その癖ゼオン自身、そのからくりが分かっていないのかと思いきや、問い詰めるとやけに狼狽えて言葉を濁すので、ゼオン本人は知っているようだ。また、ゼオンは一度としてアデラに分かっている未来を教えてくれたことはない。傍目にも不可解なほどアデラに従順なゼオンが、その一点だけは、決してアデラに語ろうとしなかった。正直、勝手に自分の未来を知られているのは、あまり気分の良いものではない。けれど、ゼオンはいつだってアデラのために最善を尽くそうとしてくれていて、アデラにはそこに悪意を感じなかった。

「あの、アデラ様」

「私が今日買い出しに出るの、知ってたわね?」

「えっと、その…………はい」

 冬だというのに冷や汗を流すゼオンに、アデラは再びため息をついた。びくりと首をすくませたゼオンを、アデラは見上げる。

「待っててくれたのは嬉しいわ、ありがとう」

 分かりやすくゼオンの顔が綻んだ。その無邪気な表情に、アデラの心も暖かくなる。

「でも、だからといってこんな寒い中待ってたら、あなたが風邪を引いてしまうでしょう?」

「そんなアデラ様、ご心配なさられずとも、僕はこれでも丈夫なので!」

 だから大丈夫です、とてんで的外れな太鼓判を押すゼオンに、アデラは真顔になった。ゼオンの黒い瞳が、ぱちぱちと瞬く。ゼオンとしては、アデラに安心してほしくて太鼓判を押したのに、どうやらアデラが納得していないのが不思議らしい。しきりに首を捻っているゼオンに、アデラはくすりと笑いをもらした。

「あなたの未来視、もうちょっと精度が上がればいいのに。そうしたら、私が屋敷を出るときに合わせて、あなたも偶然通りかかれるでしょう?」

「えっと…………」

 明後日の方向を向くゼオンの腕を引き、アデラは言った。

「ゼオン、一つだけ約束してくれる?」

「一つと言わずなんなりと」

「それじゃあ、私と同じくらい、あなた自身のことも大切にすること」

「はい、分かりました! ……え?」

 反射で答えてから首を傾げるゼオンに、アデラはふわりと笑った。それから、繋いでいたゼオンの手を片方、自分の頬に寄せる。面白いくらい、ゼオンの肩がびくついた。

「あっあ、あああああアデラ様!?」

「ちょっとは熱をわけあってあたたかくなったと思ったのだけど、……だめね。冷えきる前に買い物、済ませましょうか」

 

 


「あらかた、買い終えたわね……あら?」

 市場で材料を買い集め、アデラが籠の中を覗き込んだ一瞬で、ゼオンの姿が消えていた。アデラは周りを見回すも、馴染んだローブ姿はちっとも見当たらない。普段、ゼオンはアデラが屋敷に戻るまで護衛よろしくついてくるのが常だったが、たまにこうして姿をくらますことがあった。こういう場合、必ずと言っていいほどアデラには何かが起こる。具体的には、やたら美形の男に道案内を頼まれ一目惚れされたり、やたら美形な男にお使いを頼まれ引き受けたらそのやたら美形な主人にお礼にとかなり高価なネックレスを渡されかけたり、スリにあってやたら美形な騎士に助けられたり、等々──やたら美形の男と縁のある出来事に遭遇していた。

「今度は何かしら」

 アデラが呟いて籠を持ち直した後、やにわに市場の端が騒がしくなった。アデラをはじめ、周囲の耳目が一斉にそちらを向く。

「避けろ、暴れ馬だ!」

 どこの貴族のものか知らないが、口元に泡を噴いている馬が凄まじい速度で迫ってきていた。市場は一瞬にして混乱の渦に巻き込まれ、人々は我先に逃げていく。

「坊や!」

 鋭く悲鳴が上がった。人々は逃げ惑いながら、束の間そちらに目を向ける。障害物をなぎ倒しながら進む馬の進行方向に、子供が取り残されている。小さな背中は呆然と、迫り来る馬をただ見上げていた。

「おい、お嬢さん!?」

 誰かの伸ばした手が腕を掠め、籠がぼとりと手から落ちたが、アデラは気にせず一目散に子供に走り寄る。アデラが子供の前に滑り込んだとき、馬はもう目前で、その蹄の音が木霊した。アデラは覚悟を決めて子供を抱える。ぎゅっと子供を抱き締め、目を閉じた。自分には今、ゼオンの防御魔術がかかっている。どのくらいの衝撃まで耐えられるかなんて、知らない。けれど、ゼオンを信じることは、容易かった。

 ──ずっと、ゼオンはアデラを守ってきてくれたから。

 馬の嘶きが一際大きく聞こえた瞬間、子供ごとアデラの体が掬われた。間近に感じたがっしりした体つきにアデラは目を開く。日の光をすかした金髪に、碧眼の瞳。息遣いさえ届きそうな距離にある秀麗な顔ごしに、アデラの瞳はゼオンの姿を見付けた。

 ゼオン、とアデラは唇だけで呟く。

 ゼオンは、痛そうな、苦しそうな、辛そうな、──寂しそうな、そんな様々な感情がない交ぜになった表情でこちらを見ていた。

 ゼオンのそんな顔、見たことない。

 時間にして一秒にも満たない時間、確かにゼオンとアデラの視線は交わったと思ったのに。

 ガタゴト、と蹄を石畳で打つ音が遠ざかる頃になって、アデラははっと我に返った。慌ててアデラがゼオンのいた方を見ると、ローブの端が路地に消えていくところだった。

「おい貴様、無謀にも程があるだろう! 俺がお前を助けなければ、今頃──」

 アデラと子供をすんでのところで抱えて馬の通り道から避けさせた金髪の男は、ひとまず危機が去った安堵もあってか、無茶な行動をとったとしか見えないアデラを叱り付ける。

「ありがとうございます、すみませんが急いでおりますので」

 アデラはお礼もそこそこに頭を下げると、ゼオンの後を追って路地に入った。背後で彼女を呼び止める声が上がったが、アデラにはもう聞こえていない。

「ゼオン、ゼオン!」

 路地に入ると、アデラはひたすらゼオンを呼んだ。いつもなら、アデラの呼び掛けに食い気味に現れ、アデラの言葉を待っているというのに。

「ゼオンっ…………ゼオンってば!」

「はい、アデラ様」

 あまりにもごく自然にゼオンが背後に立っていたものだから、驚きのあまりアデラの心臓がどくりと弾んだ。ゼオンは、先程の胸を掴まれるような表情は嘘だったかのように、いつもと変わらない。

「いやあ、市場って人多いですね……僕としたことが、ついうっかりはぐれてしまって」

 ああこれ落ちてたので、拾っておきました、と何でもないことのように、ゼオンは籠を差し出す。あれだけ大きな騒ぎがあったというのに、籠は変形もせず、中身も無事だ。

 無言のまま籠を受け取らないアデラに、ゼオンは頬をかいた。更に何か言い重ねようとしたゼオンに、アデラはぴしゃりと言った。

「おかしいわね、ゼオン」

「はい?」

「考えてみれば、分かるでしょう。あなた、私とはぐれて、私の姿がなくって籠だけ見付けたら、普段のあなたならどうなるかしら?」

「……」

「私の考えでは、“アデラ様!?”って大慌てで私を探してくれると思うのだけれど」

「……」

 何も答えないゼオンに、アデラは自嘲気味に笑った。

「私の、思い上がりかしら?」

「そんなことは、……」

 否定しかけたゼオンは、自らの失態に気付いたのだろう、半端に開いた口を閉じた。重ねて、アデラは訊ねる。

「今回も、知っていたのでしょう?」

「それは」

「知っていて、あなたはただ見ていた。私が別の誰かに助けられるのを」

 ゼオンは、はっと息を呑み込んだ。慌てて弁明する。

「僕は! ……僕は、決してあなたが危険な目にあうのを望んでいた訳ではなくて」

「それは、わかってる」

「……え?」

 ぽかんと、ゼオンの目が見開かれた。

「あなたが私に未来を告げないのはいつものこと。それで私が大変な目にあった回数とあなたが守ってくれた回数、どちらが多いかしら?」

 言うまでもなく後者ね、とアデラは笑った。アデラの微笑みに、ゼオンはたじろぐ。

「……僕にとって、あなたの幸せが全てですから」

「そう」

「アデラ様、嘘をついていたのは謝ります。ですが、これだけは本当に」

「ねえ私、今日あなたと約束したわよね?」

「はい? ……ええまあ、しましたが……」

「なら、どうして守ってくれないの?」

「え?」

「私が助けられるときのあなた、とってもひどい顔をしてた」

 アデラはゼオンの頬に触れる。それは冷たく、強張っていた。

「ゼオン」

「アデラ様、僕は」

「ねえ、あなたはどうして、あなた自身が苦しむことになっても、私を助けてくれるの?」

 アデラが瞬きすると、景色は一変していた。どうやらゼオンの転送魔術で強制的に送られたらしい。屋敷の前にぽつりと佇み、アデラは唇を噛んだ。

「いつか、話してくれるかしら」

 

 


 アデラが思っていたより、いつかは来なかった。あれっきり、ゼオンがやって来ることはない。

「お父様、どう?」

「おお、我が娘ながら美しい! これなら、王太子殿下もほうっておくまい!」

「お母様、髪飾りは赤と青、どっちが良いかしら?」

「どちらも、お前によく似合っていますよ」

 従姉たちの仕度を整えるのを手伝うと、アデラは無言で部屋の隅に下がった。その顔色が優れないのを見て、叔母は勝ち誇ったように笑う。

「おやまあ、辛気臭い顔をして……まあ、あのおかしなお友達が顔を見せないから無理もないのでしょうが?」

「何だ、とうとう見捨てられたのか、お前」

 叔父が叔母の言葉を聞き付け、じろじろとアデラを見た。その値踏みするような視線に、アデラは僅かに身をすくませる。

「アデラ、お前いくつになった?」

 唐突に、叔父が聞いてきた。

「今月で、18です」

 アデラの答えに、叔父はそうかと膝を打った。

「そういえば、お前の嫁ぎ先も探してやらんとな……フェイベル子爵とかどうだ?」

「やだあお父様、フェイベル子爵っておじいちゃんじゃない!」

「何、フェイベル子爵は資産もたくさん持っておられるからな……ここまで養ってやった分、マリアール家へきちんと恩返ししてくれよ?」

 そう高笑いを残し、叔父夫婦と従姉たちは、王宮で開かれるという舞踏会へ出掛けていった。

 一人残されたアデラは、従姉たちが広げたままのドレスや宝飾品を片付けると、自分の部屋に戻った。屋敷の部屋でもとりわけ狭く、粗末な屋根裏部屋がアデラにあてがわれた部屋だ。窓からは、こうこうとあかりの灯された王宮が夜空に浮かび上がっているのが見える。今日の舞踏会は、従姉たち曰く、若い王太子の妃選びも兼ねているらしい。妃選びに興味はないが、王宮にいける従姉たちを羨ましく思った。王宮にいけば、王宮魔術師候補であるゼオンに会える可能性があるからだ。

 窓辺に置かれた椅子に腰掛けながら、アデラは呟いた。

「……ゼオン」

「えっ? どうして分かったんですか、アデラ様?」

 窓辺のすぐ外に現れたローブ姿を、アデラは一瞬夢かと思った。しかし、夢ではないようで、驚いた拍子に屋根から落ちそうになった彼を見て、慌てて窓を開けて招き入れる。

「……ありがとうございます、アデラ様」

「ゼオン」

 アデラの不安げなまなざしに気付いたのだろう。ゼオンは安心させるように笑ってから、彼女の前に恭しく跪いた。

「僕の力がいたらないせいで、今まで苦労をしいてしまったこと、誠に申し訳ありません」

「ゼオン、急に何を」

「ですが、それも今日で終わりです」

 ゼオンは立ち上がると、窓の外を指し示した。

「あそこに──王宮に、あなたを幸せにしてくれる方がいます」

 はじめて事前に告げられた未来に、アデラは息を吞む。アデラが何か言う前に、ゼオンは呪文を唱えた。アデラの体を光が取り巻き、あまりの眩しさにアデラは瞳を閉じる。

「アデラ様、もう目を開けて大丈夫ですよ」

 優しく声がかけられ、恐る恐る目を開けたアデラは言葉を失った。

 アデラはいつもの継ぎはぎだらけの服ではなく、王族が着るような上等なドレスに身を包んでいた。髪から靴に至るまで最高級品で飾り立てられ、アデラの美しさを余すことなく引き立てているその姿に、ゼオンは満足そうなため息をついた。ゼオンは立ち上がると、アデラの手をやや強引に引く。その手が最後に会った日のように冷たいことに、アデラは気付いた。

「さあアデラ様、行きましょう」

「待って、ゼオン」

「あまり遅くなっては」

「あなた、また私を待っていたのでしょう?」

 アデラの言葉に、ゼオンの動きが止まった。どのくらい長く待っていたのだろう、ゼオンの手は芯まで凍っているかのように冷えていた。

「ゼオン、教えて」

 アデラの脳裏に、あの日のゼオンの表情が浮かぶ。もしかして彼は、迷っていたのかもしれない。見えた未来のとおり、アデラを王宮へ連れていくかどうかを。未来視を実現させようとするあまり、無理をしているようにしか見えないゼオンに、アデラは訊ねる。 

「ゼオン、あなたはどうして私の未来が叶うように助けてくれるの?」

「今は時間が」

「答えて!」

「それは……あなたを幸せにすると、誓ったからです」

 アデラの必死さに、ゼオンは折れた。それでも視線は城の方へ向けられていて、アデラと合わせようとしない。時間を気にしているのか、──それともそうしないと、彼の決意が鈍ってしまうからか。

「なぜ、そんな誓いをしたの?」

「俺があなたを幸せにするために力を尽くすと、──そういう存在だと理解しているからです」

「それは、そういう未来を知っていたから?」

「……そう受け取ってもらって構いません」

 言葉を濁したゼオンに、アデラは聞く。呟くような声量だが、それははっきりとゼオンの耳に届いた。

「あなたは、それでいいの?」

 はっとゼオンがアデラを見る。その虚を突かれたような表情を見て、アデラは自分の考えが全くの自惚れではないことを悟った。アデラの心に、わずかながら希望が生まれる。

「……それでいい、とは?」

 ゼオンはなおもとぼけようとする。ゼオンの中の誓いは、どうしてここまで彼自身の気持ちを押し殺させて、行動させるのだろう。胸を締め付けられるような痛みを感じながら、アデラは言った。

「私が王宮の誰かと結ばれることになっても、あなたは後悔しない?」

「それは! それは……」

 アデラに正面から問いかけられて、一瞬彼の中の激情が顔を出す。じっとアデラが自分を見ていることに気付いたらしいゼオンは、無理に笑顔を作った。それがどれだけ痛々しいか、彼自身だけが分かっていない。

「後悔なんて、しませんよ。あなたが幸せになるのなら」

 ゼオンはあくまで平静を装おうとした。これだけ言っても、彼がそう振舞うのなら。アデラの決心は固まった。

「分かったわゼオン」

「はい?」

「私、舞踏会に行くわね」

 アデラが宣言すると、彼の目が伏せられる。諦め慣れたようなその顔に手をあてて目線を合わせてから、アデラはある事を告げた。それを聞いたゼオンの目が丸くなる。

「──さあ、そうと決まったらさっさと行くわよ! 案内してゼオン」

 ゼオンが今の言葉を問い質すより早く歩き出したアデラは、ゼオンが慌てて魔術で出した馬車に乗り込み、王宮へ向かった。





 その夜、王宮で開かれた舞踏会で話題をさらったのは、謎の女性だった。彼女は大広間の誰よりも美しく、人々の注目を浴び、当然舞踏会の主催である王太子にダンスに誘われた。女性はそれを受け、見事なステップで踊り出す。

 ただ、優雅にダンスを踊る二人の間で交わされた言葉を聞き取った者はいなかった。

「貴様、以前馬の前に飛び込んだ馬鹿者だな」

 王太子の金髪と碧眼を見て、相手も思い出したらしい。

「ああ、あの時の……その節は助けていただき、ありがとうございました」

 平然と礼を述べた彼女を、王太子は物珍しげに見る。

「あれだけ密着しておいて、俺に媚びない奴は滅多にいない」

「そうですか」

 ますますつれない態度の彼女に、王太子は興味を覚えたようだった。

「冷たい奴だな」

「私、一つ賭けをしているんです」

「賭け?」

「ええ」

 ここで彼女は、美しく微笑んだ。古今東西の美女を見慣れている王太子も一瞬、引き込まれてしまうような美しい笑みだった。

「私が誰の求婚も受け入れずに帰ったら、告白させてほしい、と」

「はあ、それはまた……」

 難儀な賭けだ。仮に求婚をはね除けて帰っても、振られるという散々な結果さえ考えられる。だというのに、彼女は悲壮感は全くなく、泰然としていた。

「それで、どうします?」

「ん? どう、とは?」

 急に問い掛けられて、王太子は首を捻った。

「私に、求婚なさいますか?」

 どこか挑戦するような彼女の問いに、王太子は顔をしかめる。

「……ぬかせ、貴様のような得体の知れない者を嫁にするほど、軽い身分ではない」

 王太子の返答に、彼女はくすくすと笑った。その笑みを見ながら、王太子は直感する。意中の相手を想って溢れ出たあの美しい笑み。その視線の先が自分ではないことを悟らないような朴念仁は、この場にはいないだろう、と。

 王太子と踊り終えた彼女は、続けて大臣の息子、騎士団の有望株、他国の要人などと踊ったあと、豪奢な馬車に乗って風のように去っていった。

 いったい彼女は何者だったのか。

 後日、暇をもて余した女神が降臨しただとか、王家のご落胤だとか様々な噂が流れたが、いずれも正解からは程遠いものだった。




「ゼオン、帰ってきたわ」

 屋敷に着いた途端、馬車は消えアデラの衣服も元に戻っていた。アデラが屋敷の門をくぐると、所在無げに立っていたゼオンが顔を上げる。その手をとり、ちっともあたたかくない指にアデラは苦笑した。

「……私の部屋で待っていればよかったのに」

「そんな、アデラ様の部屋でなんておそれ多くて……」

 ゼオンはじっとアデラを見下ろした。そのどこか信じられないようなものを見る目付きを、アデラは堂々と見返す。

「……本当に、戻ってきたんですね」

「ええ、もちろん誰の求婚も受け入れなかったわ。……もっとも、誰にも求婚されなかったけれど」

「そんなはずは!」

 驚きのあまり大声を上げたゼオンに、アデラの肩がびくりと跳ねる。直ぐ様それを謝りつつも、ゼオンはぶつぶつと呟いた。

「誰のルートにも入らなかったのか……? いや、一度でもイベントをこなせば、好感度最低でもランダムで入るはず……」

 そのまま考え事をはじめそうなゼオンの袖をアデラは引っ張った。ゼオンの発言の意味はよく分からないが、彼の未来視にはこんな未来は映っていなかったらしい。でも、ここでうやむやにする気は毛頭なかった。

「ゼオン、私が舞踏会に行く前に言ったこと、忘れてないわよね?」

 アデラの問いかけに、目に見えてゼオンは動揺した。わなないたゼオンの唇を、アデラはじっと見つめる。

「覚えて、います」

「よかった」

 ゼオンの冷たい手をしっかりと握って、アデラは微笑んだ。ずっと言いたかった言葉を、視線を合わせながらはっきりと口にする。

「ゼオン、私はあなたが好き」

「……本気、ですか?」

 ゼオンの返答は弱々しいものだった。彼はまだ信じきれないらしい。そうやって、彼は何度も自分の本心を押さえつけてきたのだろう。彼が見たというアデラの未来(幸せ)を願って。

 だからこそアデラは、彼の不安を和らげるように穏やかに言った。

「あなたが色々お膳たてしてくれていたのは知ってるわ。でも、それでも……私はあなたがいいの」

 アデラがきっぱりと告げると、ゼオンの顔がくしゃりと歪んだ。

「これから先の未来は、一切分かりませんよ」

「それが普通よ。……ううん、むしろあなたが余分に苦しむ必要がない分、よりいいわ」

「……これまでに会った攻略者──いえ、僕じゃない誰かの手をとれば、あなたは幸せになることが確定しているのに」

「私はあなたとなら、不幸でもいいの」

 アデラが言い切った瞬間、ゼオンは彼女を抱きしめていた。

「好きです、アデラ様。……ずっと、ずっと、あなたに焦がれていました」

 苦しいくらいの強さで抱擁してくる彼が、かすれた声で言った。

「もう離すことはできません。やっぱり別の人が、とか言っても遅いですからね」

「私がどれだけ一途か、まだ証明が必要なの?」

「いえ、もう充分です。これ以上は、嫉妬でおかしくなりそうです」

「あなた自身も大切にするって約束、果たせそう?」

「……それは、善処します」

「あなたも幸せじゃなきゃ、意味がないのよ」

ようやく触れられたあたたかさに浸りながら、アデラは言った。

「一緒に幸せになりましょう、ゼオン」



 王宮で舞踏会が開催された数日後。

 マリアール伯爵家が、レストア伯爵家を誘拐の容疑で訴えた。

 マリアール家曰く、レストア家の者がマリアール家の養女を連れ去ったとのことだが、マリアール家には伯爵の実子である二人の姉妹以外娘にあたる者はおらず、また犯人だというレストア家の者も架空の人物であった。

 マリアール伯爵は「そんなはずはない、アデラは確かにいた、レストアのいかれた魔術師が拐ったのだ」と再三主張していたが、マリアール家は財政的に逼迫しており、虚偽の誘拐騒ぎをでっち上げ、レストア家から賠償金をせしめようとしたのではないかと言われている。

 言うまでもなく訴えは却下となり、貴族社会で“法螺吹き”と噂され、完全に信用をなくしたマリアール家は間もなく凋落した。




 時を同じくして、とある街に薬屋ができた。腕は良いがどこか抜けている店主と、しっかり者で愛嬌のある妻の二人が営む店は大きく繁盛はしないものの、街の人々に重宝され以後何代も続いていったという。


1/9誤字修正。

ご報告してくださった方、ありがとうございました。

7/18誤字修正。

ご報告してくださった方、ありがとうございました。

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