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エンジェル  作者: えんまる


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第2章 楽園の泉

少女はまるで楽園のような世界で目を覚ます。はたしてあれは眠っているあいだに見た夢だったのか? 闊達な少年ネロを案内役に、彼女は新たな生活へと一歩を踏み出そうとしていた。

 誰……

 そこにいるのは……

 わたしを……

 わたしのことを呼んでいる……


 夢を見ていた。

 雲の切れ間から射す斜陽。

 まっ白な薔薇を敷き詰めた棺。

 棺のまわりに群れ集う蝶たちが、

 葬列のあいだを縫うように飛び交っている。

 そして、

 あふれ出る涙をぬぐう

その人は……

その人は……。


 明かり……。

 とても明るい。

 まず目に飛び込んできたのは、漆喰塗りの格子天井。

 うっすらと鼻をつくのは、消毒液の香りだろうか。

 そして、ぱりぱりのシーツからはお日様の匂いがした。

「気がついた!」

 目を覚ますと、金髪に碧眼の、抜けるように白い肌をした少年が、わたしの顔をのぞき込んでいた。

「ねえ、シスター! この娘、目を覚ましたよ!」

 あら大変、という声がしたかと思うと、ガチャガチャと琺瑯のぶつかり合う音を鳴らしながら、一人の尼僧が駆け寄ってきた。まだ若い、こちらもまた白磁のような肌の持ち主だった。手には水差しとカップを乗せたトレイを持っている。

「痛っ……」

 慌てて身を起こそうとすると、頭部に鈍痛を感じた。そっと幹部に手をあてがうと、頭を覆う包帯に指先が触れた。

「まだ無理はしないでね。頭を打っているようだから」

 尼僧は素早い所作でサイドテーブルにトレイを置くと、ベッド脇の椅子に腰かけてカップに水を注いだ。

「さあ、これを」

 カップになみなみと注がれた水。水面に映る少女の顔を覗き込んで、わたしはハッと息を呑む。

 ――これが、わたし……?

「気分はどう?」

 カップを見つめたまま呆然としているわたしに向かって、尼僧は言った。

「飲んだ方がいいわ。あなた、三日も眠りつづけてたんだから」

 三日も?

わたしは声に出してそう言おうとしたけれど、口をついて出たのは重い吐息だけだった。わたしは思い切って、カップの水を一息に飲み干した。

「大丈夫? 顔色が優れないようだけど」

「ごめんなさい。わたし、どうしてここにいるのか覚えてないんです」

 喉を絞るようにして出たのは、自分でも驚くほど小さな声だった。

「安心して。外でどんな目にあったのかはわからないけれど、ここは安全よ。あなたに危害を加えるような人はいませんからね」

 ――外? 危害?

 この人はなにを言っているんだろう。

 自分がどうなってしまったのか、その手がかりさえつかめない。

 わからないことが多すぎる。

 だって、わたしは……。

 わたしは……。

なにかを思い出そうとすると、ひどい頭痛に見舞われる。

わたしは訳がわからなくなって、今にも泣き出しそうな気分だった。

「わたし……」

「相当疲れが溜まっているようね。ゆっくり、具合が良くなるのを待ちましょう」

 尼僧はそう言って立ち上がると、かたわらで二人のやりとりを見守っていた少年に声をかけた。

「ネロ。わかったでしょう。あんまり忙しくしてはいけませんよ。わたしはこのことをマザー・テレシアに報告してきます」

「はい。承りました」

 ネロと呼ばれた少年は、胸の前に手を添えて仰々しくお辞儀をすると、顔をこちらに向けてウインクを投げてよこした。わたしは唖然として、好奇心にみなぎる彼の視線を受けとめた。

 一瞬で頬が赤らむのが自分でもわかった。

 尼僧が部屋を後にすると、ネロはすぐさまわたしに詰め寄ってきた。

「きみは誰? どこから来たの?」

 わたしが答えに窮していると、ネロはくるっと体をよじってベッドサイドに腰を掛けた。

「そうだよね。今気がついたばかりだものね。ぼくってどうしてこうも気がまわらないんだろう」

 ネロは右手で頭をかきながら、照れたように微笑んだ。

「わたし、まだ……」

「そうだった! 自己紹介がまだだったね」

 ネロはそう言うと、軽く身なりを整えてから、かしこまった調子で言った。

「ぼくはネロ。サン=ミエール神学校の九回生。今年で十五才になる」

「わたしのは……」

 どうしよう。思い出せない。自分の名前が思い出せないなんて、どうしてしまったというのだろう。

 言葉を失ったわたしの顔を覗き込みながら、ネロはつづけた。

「焦ることはないよ。きっといつか思い出す」

 そう言って屈託なく破顔するネロを見て、わたしはなんだか面映ゆくなった。

「あの……わたし……」

 少しだけ時間がほしい。すぐそこに手がかりがあるような気がする。そうだ、夢の中でわたしはなんと呼ばれていただろう。たしか……。

「わたしは……」

 記憶の中で、彼がささやく。

「マリアンヌ……」

「マリアンヌ!」

 ネロははじかれたように立ち上がると、小さく柏手を打った。

「素敵な名前だね。忘れてしまうのはもったいないくらい、とても素敵だ」

 ネロが急にまじめな顔をして言うものだから、わたしはふたたびどぎまぎしてしまった。

 そこまで話したところで、先ほどの尼僧が果物の入ったバスケットを持って戻ってきた。

「さあ、ネロ。お喋りはそのくらいにして、彼女を少し休ませてあげたら?」

「シスター、彼女、自分の名前を思い出したよ」

「あら。良かったじゃない。あなたには人の話を聞く才能があるのかしらね」

 それからほどなくしてネロは部屋を後にした。

 シスター・ケイトはネロとは対照的に穏やかな女性で、わたしのこれからの身の振り方などについて丁寧に話をしてくれた。

 これから自分がどうなってしまうのかはわからないけれど、少なくとも彼らは悪い人たちではなさそうだし、シスターが向いてくれたまっ赤なリンゴは少しだけ酸っぱかったけれど、優しい甘みを残してわたしのおなかを満たしてくれた。

 ネロ……。

 不思議な子……。

 彼と話をしたことで、なんだか救われたような気持ちになれた。

 とはいえ、漠然とした不安を胸に残したまま今日という一日は過ぎ、サン=ミエールというまだ見ぬ街の上に、また新たな夜明けが訪れようとしていた。


「さあ、ぴったりじゃない」

 シスター・ケイトはそう言うと、わたしが着込んだワンピースの襟ぐりを直してから、よし、と太鼓判を押した。

 側頭部に小さなたんこぶはあったけれど、傷らしい傷がなくて本当に良かった。

 今日をもってわたしの療養所生活は終わりを告げ、新たに用意された女子寮への入室が決まった。

 一日も欠かすことなく見舞いに来てくれたネロから話だけは聞いていたけれど、これがサン=ミエールという街を歩くはじめての日ということになる。

「いいですか、ネロ。マリアンヌはまだ起き上がれるようになって間もないのですから、くれぐれも無理をさせないようにね?」

「わかってるよ、シスター。ぼくがそんな風に見える?」

 シスター・ケイトが訝しげな目を向けると、ネロは自分のことだというのに急に吹き出して声も高らかに笑った。

「信用ないんだなあ。みんなぼくのこと全然わかってないんじゃない?」

 わたしたちはシスター・ケイトにお別れを告げると、療養所を後にした。

 眩しい陽射しがわたしの瞳を正面からとらえ、穏やかな風が二人を優しく包み込んだ。

すり鉢型の地形に沿って建造物が連なり、テラス状の往来は多くの人で賑わっている。カルデラの底には  緑があふれ、その向こうにまっ青な空を映した湖がひとつ、静謐な水をたたえて横たわっていた。

 療養所の窓から見えていたのは、サン=ミエールという街の一隅にしかすぎなかったんだ、とわたしは新鮮な驚きをもってその景色に見入った。

「さあ、きみが暮らす部屋は向こうだよ」

 手を引かれるままにネロの後を追いかける。

 木々のあいだを飛びかう鳥たちがさかんにさえずり、上空に薄くたなびく白い雲のあいだを割って、一筋の虹が架かっていた。

 カランカランという軽快な鐘の音が聞こえたかと思うと、制服姿の少女たちが嬌声を上げながら目の前を駆け抜けていく。

 まるで絵画のような景色を夢中になって追いかけていると、通りすがりの少女たちがネロの姿を認めて 次々に声をかけてくる。どうやら彼は、ここでは相当な有名人のようだ。

「すごいのね、あなた」

「なにがだい?」

「みんなあなたのことを知ってるみたい」

 ネロはちょっとだけ振り返って、ちらりと笑顔を見せた。

「ああ。ぼくはここに来てから長いからね」

「長いって、どれくらい?」

 しかし、ネロはその質問に応じることなく、

「上るよ、足下に気をつけて!」

 噴水を抱く広場を抜けて、石造りの階段を駆け上がる。階段を上り詰めた先に壮大な柱廊が広がっており、見晴台からサン=ミエールの外の景色を見下ろすことができた。

 眼下には、きらびやかな陽射しを受けてまっ白に光り輝く雲海が、どこまでも果てしなく畝をつくっている。

すると、サン=ミエールはどこかの山の頂につくられた都市なのだろうか。

「すごい……。素晴らしいわ、ネロ……」

「きみの部屋からだってこのくらいの景色は見られるさ」

「わたしの部屋からも?」

「そう! きみが来てからというもの、誰がマリアンヌと暮らすのかで話題は持ちきりだったんだ」

「わたしと暮らす?」

「そう。きっと今頃待ちきれなくてうずうずしてるよ」

 いったいどんな娘だろう。

 わたしは同居人の存在を知らされて少し緊張してしまった。

「ごらん」

 アーケードの柱には一面びっしりと蔦のレリーフが施されており、目線を上げると、そこここにラッパを吹く天使像が設えられていた。さらに、頭上の円天井には数々の聖人や女神らしき人物が描かれていて、まるでどこかの宮殿か、豪奢な聖堂の内部を歩いているかのようだった。

 まるで夢みたい。

 わたしはふわふわと夢見心地で歩を進めた。

「さあ、こっちだ」

 サロンと銘打ったドアをくぐって室内に入る。

 そこは天井の高いホールになっており、談笑しながらチェスを指す男の子たちや、ランチボックスを持ち寄って昼食に興ずる人たちなどが思いのままに時を過ごしていた。

 室の中央に設けられた階段状の円形ステージに、お揃いのお仕着せを着た子供たちが整列し、美しいアルトの歌声で賛美歌の練習に精を出している。

 わたしたちがサロンを横切っていると、椅子に腰かけてコントラバスを奏でていた学生がネロに気づいて、演奏の手をとめた。

「やあ、ネロ。その娘が噂の?」

「ええ。彼女はマリアンヌ。マリアンヌ、彼はクリスティアーノ。寮でぼくらの面倒をみてくれているんだ」

「いたずらざかりの子供ばかりをね」

 そう言ってクリスティアーノはネロの腕をつついた。

「さっきエミリアを見かけたよ。大掃除するんだって張り切ってたなあ」

「今から部屋に案内するところなんだ」

「そりゃあいい。きっと今頃部屋中ぴかぴかになっているよ」

 ネロはこちらを振り返って、

「彼女はとてもきれい好きだから、期待していいと思うよ」

「それじゃあ、また後で」

 その場を離れながら、ネロはマリアンヌに言った。

「彼は指揮者を目指して勉強中でね、指揮を執るには色んな楽器に精通してなければならないだろう? だから今日はコントラバスを、明日はヴィオラをっていう具合に、いつも違う楽器を弾いてるんだ」

「そう。大変そうね」

 背後でふたたび奏でられはじめたコントラバスの音色に聞き入りながら、マリアンヌは言った。

「そうでもないさ。好きでやっていることだから、本人にはそういう自覚はないみたいだよ。勝手気ままな生活を送るっていうのがここのモットーだからね」

 ホールの一隅に、主イエス・キリストと聖母マリアを象った巨大なモザイク画が飾られている。その下に受付カウンターがあり、アフリカ系の尼僧が座ってにこやかに微笑んでいた。

「やあ、ジル。入寮許可を申請したいんだけど」

「ええ、いいわよ」

 ジルと呼ばれた女性は、しなやかな動作で棚から書類を取り出すと、それをネロの前に差し出した。

「ここにサインして」

 ネロが名前を書いているあいだに、彼女はわたしの方に笑顔を向けて、

「あなた見かけない娘ね。新しい彼女?」

 わたしはとってもどぎまぎしてしまって、瞬間的に頬を赤らめた。

「いえ、わたしは……」

「彼女はここに来たばかりなんだ。今から部屋に案内するところ。あんまりいじわるを言っちゃいけないよ」

 そしてネロはジルの耳元に顔を寄せると、小声でそっと囁いた。

「彼女との関係はこれからなんだ」

 二人はくすくす笑っていたけれど、わたしはますます顔を赤らめて深くうつむいてしまった。

 まったく、いじわるなのはどっちよ!

 ネロはふたたびわたしの手をつかむと、カウンターの脇にある扉の前で足をとめた。

 暗い色合いの扉には、七色のステンドグラスが嵌め込まれている。

「ここから先は女の子専用の寮になっているんだ。みんなはここのことを僕の庭だなんて言うけれど、そんなにしょっちゅう入り浸ってるわけじゃないから、悪い噂は信用しちゃいけないよ」

 扉を開けると、目の届くかぎりまっ直ぐなアーケードが広がっており、頭上はきらびやかな陽射しが燦々と降りそそぐガラス張りの吹き抜けになっていた。

 通りの中央には街路樹が整然と植わっていて、目の覚めるようなまっ白な花びらが、紺色や灰色の制服に身を包んだ女生徒たちのあいだに彩りを添えていた。辺りにはかぐわしい花の香りが立ちこめている。

「きみの部屋はD-三〇四号室。きっと気に入ると思うよ」

 わたしはネロに導かれるままに階段を上った。

 すれ違う女生徒たちが「ネロ」と声をかけてくる。そのたびにネロもまた快活に挨拶を返すのだった。いったいどれだけ顔が広いのだろう。

 そう言えば、さっき女子寮のことを「ぼくの庭」なんて言っていたっけ……。あながちそれも嘘ではないのかもしれない。

 そんなことを考えているうちに二人は上階にたどり着いた。

 上から見下ろすと、街路樹にはいたるところにかわいらしいデザインの巣箱が設置されていて、中には本当に小鳥が出入りしている姿も垣間見られた。

「ねえ、鳥がいるわ」

「そりゃそうさ。夜鶯鳥(ナイチンゲール)は女子寮のシンボルだからね」

「ここで夜鶯鳥を飼っているの?」

「あまり数は多くないけどね」

 わたしが呆気にとられていると、ネロは笑って、

「そんなに驚かれるとは思わなかったよ。きみ、とってもかわいいね」

 面と向かってかわいいだなんて言われて、わたしはまたしても顔から火が出る思いを味わった。それを見たネロはまたしても面白そうに笑顔を浮かべて見せるのだった。

 ほどなくしてわたしたちはD-三〇四号室にたどり着いた。

 扉には「エミリア」と書かれた表札がかかっている。さきほどの男の子が言っていた名前だ。きれい好きのエミリア……。いったいどんな娘だろう。ウマが合うといいのだけれど……。

 よほど強ばった表情をしていたのか、かたわらでネロが「安心して」とつぶやくのが聞こえた。

 ネロが扉をノックする。

「はあい」

 という少女の甲高い声が応じたかと思うと、内側から扉が開いて、栗色の髪を肩まで垂らしたかわいらしい女の子が顔をのぞかせた。

「あら、ネロじゃない」

「エミリア、部屋はだいぶきれいになったかい?」

「ようやく半分片付いたって感じ」

「それじゃあ早く来すぎちゃったみたいだね」

 そう言ってネロはマリアンヌの方を振り返った。

 わたしがどぎまぎしていると、エミリアがこちらに気づいて、パッと顔を輝かせた。

「マリアンヌ!」

 エミリアはネロを押しのけると、両手でわたしの腕を掴んだ。

「もうそんな時間なのね! さあ、中に入って」

 彼女は扉を手で押さえたまま、二人を中に通した。

 部屋の中はネロが言ったとおりきれいの片付けられていて、落ち着いた色調のカーペットに円いテーブルが置かれ、その上に重厚な装丁の本が数冊積み上げられていた。左右の壁際にベッドが置かれており、片方は整然としたままだったけれど、もう一方のベッドは大きなトランクが開きっぱなしになっていて、まさに今から片付けをはじめようとしているところといった有様だった。

 ベッドの脇には本棚があり、クローゼットやキャビネットなどの収納が一通り取りそろえられている。

「わたし、自分で思っていたより荷物が多くって。この際だからいろいろ整理しながら片づけていたんだけれど、それって時間ばかりかかっちゃってだめね」

 エミリアは腰に手をあてがって、大きくため息をついた。

「ところでマリアンヌ、あなたいくつ?」

「わたし、十五才です」

 すると、彼女は瞳を輝かせて言った。

「同じだわ! 言ったでしょう、ネロ? わたしの目に狂いはないって」

「まいったよ。ぼくはもう一つ年下なのかなって思っていたんだ。顔立ちが幼く見えたからね」

「それを言うなら〝あどけない〟って言わなきゃだめよ。〝幼い〟なんて言うのはレディに失礼でしょ?」

 ネロはわたしに「ごめんね」とつぶやくと、彼女ったらお喋りでさ、と小声で囁いた。

「なにか言った?」

「いやだなあ、謝っただけじゃないか」

 エミリアはいぶかしげにネロをにらみつけると、「まあいいわ」と一言つぶやいて、マリアンヌの方に向き直った。

「お茶を淹れるわね。彼のお喋りに付き合わされて疲れたでしょう?」

 わたしはぎょっとしてネロと顔を合見合わせた。彼は今にも噴き出しそうな顔をしていたけれど、わたしはなんとか笑顔を取り繕って、

「いえ、大丈夫。さっきいただいたばかりだから」

「そう。おいしい紅茶があるから、遠慮せずに言ってね?」

 わたしがお礼を言いかけたとき、大きく開け放たれている窓の外で、耳をつんざくような甲高い音がした。わたしが声もなく驚いていると、二人は窓辺に駆け寄って、風をはらんでふくらんでいるレースのカーテンをめくった。

 部屋の外には石造りの露台があり、色とりどりの花を飾った鉢植えであふれていた。露台はカルデラの内側に向かって張り出していて、あの美しい森と湖を一望できる場所に位置していた。

「またやってる!」

 エミリアは手すりから身を乗り出して、辺りを見まわした。

「このところよくやるわよね、彼ら」

 どこかうれしそうにはしゃいでいるエミリアとは対照的に、ネロは今までに見せたことのない厳しい表情を浮かべて、「ああ」と低くつぶやくだけだった。

 ふたたび甲高い笛のような音が鳴り響き、今度は、火花を散らす光の球が泳ぐように空中を蛇行するのが見てとれた。

 バルコニーの下から、おお、というどよめきが聞こえたかと思うと、二つの光の球が正面衝突を起こしてパッと炸裂し、黄色い歓声が沸き起こった。

「このあいだも男子寮の方でやったらしいじゃない?」

「あれは酷かったね」

「そう? わたしはとってもきれいだったって話を聞いたんだけど」

 ネロはわたしの目を見て、寂しげに語った。

「あのときは小さな子供が怪我をしたんだ」

「でも、それは驚いて転んだって話よ?」

「それでも――」

 それでも、驚かせたのは彼らだし、その責任はとるべきだ、とネロは強い口調で言った。

「あんまり酷いと厳罰の対象にされてしまうものね。でも、今のがそんなに厳しい取り締まりを受けるかしら? だってきれいだったじゃない?」

「でも、怪我人を出すのはもってのほかだよ」

 エミリアは、そうね、とつぶやいてわたしの顔色をうかがった。

「安心して、マリアンヌ。そんなことは滅多に起こらないし、あのときはたまたま運が悪かっただけよ。取り締まりを受けるような酷いことはもう何年も起きてないってシスターが言ってたわ」

 それに――

と、エミリアは語を継いだ。

「この街って平穏なのは素敵だけれど、刺激が少なすぎてときどきつまらなく感じるのよね」

「でも、コンサートや演劇はさかんに開催されているじゃないか」

 ネロは少しすねたような調子で言った。

「そういうことじゃないのよ。もっと、大人をあっと言わせるようなイベントが起きないかなって、みんな言ってるわ」

 エミリアはそう言うと、風で乱れた髪を左手で撫でつけた。

「きみはどう思う?」

 ネロは厳しい表情を浮かべながらこちらを振り向いた。

「わたし……」

 ネロはそこでハッと息を呑み、申し訳なさそうに謝罪した。

「ごめんよ、マリアンヌ。こんなことを聞くのはまだ早かったかな」

 わたしは首を横に振って、気にしないで、とこたえたものの、心の動揺を隠し切ることはできなかった。

「マリアンヌはここに来たばかりなんだし、事情もわからないまま判断を下すことなんかできないわ。そこらへん、男の子って気が回らないのよね!」

「ちょっといたらなかったかな」

 そう言ってネロは破顔し、エミリアと連れだって室内に引き返して行った。

先ほどまでの騒ぎから一転、辺りには静寂が戻り、空高くまっ白なはぐれ雲がひとつ漂っているのが見受けられるだけだった。

 部屋の中から「早くおいでよ」と声をかけられて、わたしは後ろ髪を引かれる思いでバルコニーを後にした。絵に描いたような絶景だけが、その後ろ姿を見送っていた。


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