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エンジェル  作者: えんまる


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第22章

飛行船エクスカリバー号で起きた不審死事件。その背後には……


 伝達官が死んでいることに気づいたのは、夜更け過ぎのことだった。

 エクスカリバー号に乗り組んでいる伝達官は、予備を含めて三名。

 この三名全員が、通信室の中で息絶えていた。

 顔色は紫に変色しており、口角から白い泡を吹いていた。

「いったいなにが起きたというんだ……」

ファントムの言葉にこたえる者はなく、みな一様に驚きと不安を隠せない様子だった。

 伝達官にはあらかじめ、ロキからの通信以外には応じないよう託けてあったが、それが原因で死亡したとでもいうのか?

 通信を制限したから絶命したのか、ロキからの通信が伝達官に死をもたらしたのか、そのどちらにしろ前代未聞の事件であることに間違いなかった。

「死因は?」

 ファントムは船医のカウバーンに問いかけた。

「窒息です。チアノーゼが出ている」

「なぜ窒息したのかわかるか?」

 カウバーンは首を横に振り、

「わかりません。三人同時に窒息死するような要因はなにひとつ見あたりませんな」

「騎士様……」

 マリアンヌの声を聞いて、ファントムは振り返った。

「なにかあったのですか?」

「マリアンヌ、きみには関係のないことだ」

「でも、誰かが亡くなったとか……」

 彼女は伝達官の遺体に目を止めて、息を呑んだ。

ファントムは己の迂闊さを呪った。

「きみは自分の部屋に戻っていなさい。カウバーン、彼女のことを頼めるかな」

「御意のままに」

 マリアンヌが立ち去ったのを見て、ファントムは通信室にとって返した。

「他の者たちは持ち場に戻ってくれ」

ファントムは現場から人手を遠ざけると、しんと静まりかえった通信室の中で、三人の遺体と対峙した。

亡くなった伝達官の中で最も老齢だったハインの額に右手をかざす。

 うまくいけば記憶の残渣を励起して、彼らのあいだになにが起こったのか知ることができるはずだった。ハインの記憶は死にかかっており、バラバラに崩壊していたものの、ファントムはそのシナプスが再結合するのを助けながら、どうにかして記憶を読み取ることに成功した。

 ――ハインは見た。

 伝達官の一人、マグアが通信を受け取っているところだ。

 通信の相手はわからない。

 しかし、通信に応答したということは、話している相手はロキのはずである。

〝当機の現在位置は――〟

 そこまで言ったところで、マグアは言葉を呑み、うめき声を上げながら大きく背中を仰け反った。

 隣りで様子を見守っていた副伝達官のケールが座席を立ってマグアに歩み寄ると、彼の方にもなんらかの通信が入ったらしく、耳を押さえながら相手に向かって応答を開始した。

 そのあいだにマグアは口から泡を吹き出しはじめたため、ハインは急いでシートベルトを外しにかかった。

 そのとき、唐突にハインの目が見えなくなった。

 いや。見えなくなったのではない。

 目の前に暗黒の渦が現れたかと思うと、その向こうからロキの声でエクスカリバーを呼ぶ声が聞こえてきた。

〝エクスカリバー、こちらロキ・デルフィス〟

〝エクスカリバー、こちらロキ・デルフィス〟

〝エクスカリバー……〟

 ハインは通信チャンネルを開けてロキに応答しようとした。

 しかし、話そうとしたとたん、ハインの意識は何者かの魔の手に掴まれ、まともな言葉を話すことができなくなってしまった。

 ファントムはこの闇の背後に蠢く存在に気がつき、慌てて記憶の走査を中断し、現実世界に立ち返った。

「ネロ!」

 彼の名前を呼んだとたんに、通信室の扉が大きな音を立ててひしゃげた。

 ファントムは背中の大剣に手をかけると、大声で叫んだ。

「ネロ・バルトローだな?」

「驚いたな、異端審問官……」

 扉の向こうでネロの声がした。消え入るような小さな声だった。

「彼らの記憶はぼくがバラバラにしたはずなのに、そんな記憶のかけらから真相に近づくことができるだなんて、まさに驚きだ……」

「どうやってエクスカリバーに――」

「異端審問官……。済まないことをしたね……」

「なんのことだ」

「二等審問官のことさ……」

「ロキになにをした」

「彼が悪いんだ……。安易にぼくに近づこうとしたから……」

「殺したのか?」

 ファントムは息を呑んだ。

 ロキに命令したのはネロの所在と状態の確認、そして身柄の保護だ。それ以上のことは指示していない。

 通常、悪魔憑きを起こした堕天使は、状態が安定するのを待ってから接触し、悪魔としての身の処し方などを粘り強く言い聞かせなければならない。

無理な接触などしないはずだ。

「ファントム!」

 ネロが叫んだとたん、通信室の扉が吹き飛び、ファントムを襲った。

 ファントムは扉を右手ではじくと、その手で大剣を抜き放った。

 驚いたことに、そこに立っていたのは飛行船の整備士をしているカルツだった。

 しかし、彼の存在は空間の揺らぎの中にあり、カルツの姿とネロの姿が交互に現れては消えるという不安定な状態にあった。

「カルツ!」

 ファントムは整備士の名前を呼んだ。

 エクスカリバーの乗員は全員堕天使である。

たとえ強力な魔力を秘めた悪魔であろうとも、堕天使の意識を乗っ取ることなどそう容易くできるはずがなかった。

 しかし――

 ファントムは我が目を疑った。

 これは意識を乗っ取るなどというものではない。

 これではまるで存在自体を乗っ取ろうとしているかのようだ。

 カルツはネロになり、ネロはカルツになった。

「ネロ・バルトロー! カルツを解放しろ!」

「異端審問官……。それではぼくがここにきた意味がないじゃないか……」

 カルツの体を闇の炎が包み込み、ネロ・バルトローの姿がより鮮明に浮き彫りになりつつあった。

 ネロがエクスカリバーに乗り込む隙はなかったはずだ。

 ハインの記憶から読み取ったかぎりでは、ロキは船外からエクルカリバーに連絡してきたと思われる。だとしたらネロは――ロキの存在を乗っ取った状態で連絡官同士を通信チャンネルで結合させ、通信波を通して連絡官の意識を乗っ取ったとでも言うのだろうか。

 そして今、彼は整備士であるカルツの体を乗っ取ろうとしている。意識だけでなく、その存在自体をだ。

 ファントムは地面を蹴ってネロ=カルツとの間合いを一気に詰めた。

 抜き放った大剣を大きく振りかぶったところで、ネロ=カルツが右手を払い、強烈な衝撃波がファントムを襲った。

 ファントムが体勢を整えて振り返ると、そこにいたのはまぎれもなくネロ・バルトローその人だった。カルツの存在がネロに完全に乗っ取られたとでも言うのだろうか。

「カルツ!」

 ネロは血の気の引いたまっ青な顔に笑みを浮かべてファントムを見た。

「ぼくはネロだ。きみがそう言ったんじゃないか」

 ファントムが大剣を構えようとした次の瞬間、ネロはファントムの右手を指さしてその動きを止めた。

 ファントムは麻痺したかのように動かなくなった右手をもう一方の手で押さえながらうめき声を上げた。手にしていた大剣が乾いた音を立てて通信室の床に落ちた。

「ファントム。もうきみは用済みだ」

「ネロ・バルトロー……!」

「ぼくは感謝しているんだよ、ファントム。あのとき、ゴライアス号でもしもマリアンヌがぼくと一緒にいたなら、彼女は災厄に巻き込まれて悪魔憑きを起こしていただろう。きみの判断は正しかった、ぼくはそう思う」

「たとえ今彼女との再会を果たしたところで、結果は変わらない! マリアンヌを悪魔憑きにするつもりか!」

「それは違う、異端審問官」

 そう言うと、ネロは静かに目をつむって、フウッと小さく息を吐いた。

 彼のまわりで燃えさかっていた黒い炎が穏やかに波を引き、ネロの胸の中に吸い込まれるように消えていった。

 まぎれもなく、そこにいたのは、堕天使そのものだった。

「どういうことだ……」

 通常、悪魔憑きを起こした堕天使は悪魔となり、ふたたび堕天使に戻ることは不可能なはずだ。それではいったいどうして、ネロは堕天使に戻ることができたというのか……?

「これなら不満はないだろう、ファントム。それとも、まだ文句があるのかね?」

 ネロは勝ち誇ったような表情でファントムを見下ろしていた。

「彼女をどうするつもりだ、ネロ・バルトロー」

「聖地に連れ戻すさ。そこで彼女はぼくと一緒に暮らすんだ。きみにとってそれがなにか不満だとでも言うのかい?」

「お前は悪魔憑きを起こした」

「そうだ、ぼくは悪魔憑きを起こした」

「一見堕天使に戻ったように見えるが、そんなはずはない!」

「見ての通りだよ、ファントム。ぼくは堕天使だ」

「そのような不安定な存在にマリアンヌを渡すわけにはいかない!」

 ファントムは大剣を蹴り上げた。

 大剣はくるくると回転しながらネロに向かって飛んでいったが、見えない力で軌道を逸らされ、通信室の壁に突き刺さった。

「ファントム。ばかな真似は――」

 ネロが口を開いたのとほぼ同時に、ファントムはふたたび床を蹴って彼我の間合いを詰めつつ、ホルスターから抜き放った銃を立てつづけに発砲した。

「無駄だ!」

 ネロはそう叫ぶと、すべての銃弾を空中で制止させた。

 しかし、ファントムは歩調を緩めることなくそのままネロに向かって跳躍し、渾身の力をこめた右の拳で彼の顔面を強打した。

 倒れ込むネロを尻目に、ファントムは壁に刺さった大剣を抜き、ネロの首を目がけて大きく振りかぶった。

 そのとき、床にうずくまったままのネロからふたたび衝撃波が放たれ、ファントムは通信室の外に向かってはじき飛ばされた。

「よくも――!」

 ネロの体のまわりに黒い炎が立ち上っている。

 ファントムは叫んだ。

「ネロ・バルトロー! 汝の魂に安らぎあれ!」

 通信室の窓を破って、火竜の顎がエクスカリバーを襲った。

 ネロは完全に不意を突かれて、火竜の顎に咥えこまれ、そのまま一緒に船外に放り出された。

 ファントムは火竜の顎に力を加えたままその首を二度三度と振り乱した後、ネロの小さな体を空中に放り出した。

 そして、血まみれのネロに向かって紅蓮の炎を噴きかけると、長大な翼をはばたいてその場を後にした。

 ファントムはジギの意識を解放すると、飛行船に開けられた穴の縁から墜ちてゆくネロの姿を確認した。

「マリアンヌ……」

 ファントムはエクスカリバー号の船員を集めて、他に異常がないか確認すると、マリアンヌの安否をたしかめるために一等船室へと向かった。


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