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エンジェル  作者: えんまる


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第18章 ネロ

マリアンヌとネロが潜り込んだ客船になにがあったのか

 光の中で――

 彼はおもむろに腕を広げると、

 海面から飛び出してきた

 火球に向かって

 掌をかざした。

 すさまじい衝撃が走ったかと思うと、

 火球は空中で軌道を変え、

 ゴライアス号の脇をかすめて

 ふたたび

 水中に飛び込んでいった。


「ネロ!」

 降りかかる火の粉をはらいながら、わたしは叫んだ。

 絶え間ない振動が船を襲い、パニックに陥った人々が海へと飛び込んでいく。

 わたしが声を張り上げたところで、彼に届くわけはない。

 そんなことはわかっている。

 でも――

 彼を失いたくなかった。

 危険だから言ってるんじゃない。

 そうではなくて、

 このまま彼が〝力〟を使いつづけたら――

 わたしの脳裡にひらめいたのは、

 あの姿――

 サン=ミエールで見た

 黒い炎と司祭の台詞――

 このままでは、ネロは――

 あの少年と同じ末路をたどるのではないか――

〝悪魔憑き〟

 それがどういうものなのか

 わたしにわからない――

 ただ一つだけわかっているのは、

 彼が

 奇跡を

 起こそうと

 していること――

 それだけだ。

 彼が元からその力を秘めていたのか、

 それともこの状況でとっさに力を発揮したのか

 わからないけれど、

 この途方もない

 凄まじい力を使ったら

 その代償が

 どんなものになるのか――


「ネロ、戻ってきて!」


 空気を振るわせる轟音が、

 わたしの言葉をかき消した。

 灼熱の火の玉が、

 ひとつ

 ふたつと

 水中から飛び出して、

 光をまとう少年を

 立てつづけに

 襲った――


「ネロ!」



   ***


  かえりみて


   ***



 妖艶なドレスをまとった女性や仮面をつけたタキシード姿の男性のあいだを縫うようにして、わたしたちは食堂ホールの片隅をできるだけ目立たないよう小さくなりながら移動していた。

 豪勢な料理で彩られたテーブルの陰に身を滑り込ませると、ネロはわたしにできるだけ平静を装うように言って、小声で話しはじめた。

「これ以上船内を動き回るのはよそう」

「エミリアたちはどうするの?」

 わたしは不安を隠せないまま言った。

「これだけ捜しても見つからないってことは、もしかするとこの船には乗ってないのかもしれない」

 わたしは耳を疑った。

「あなた、この船に彼女たちがいるって言ったじゃない!」

「そうは言ってないよ。ただ、、サン=ミエールで災厄が発生した場合、使徒たちの避難先の第一候補がサン=エルトロだっていう話を聞いたことがあるから、きっと彼女たちもこの船で向かうに違いないって思っただけさ」

「あてずっぽうでこの船に乗り込んだっていうの?」

 これまでは、彼が見せる根拠のない自信や楽観的な言動に救われることがあったけれど、今度ばかりは呆れて物が言えなかった。

「ねえ、お願いだから早く天使を捜しに行きましょう」

「声が大きいよ」

 ネロはわたしの肩を抱いて、窓辺に向かって歩き出した。

 ワイングラスを持った青いドレスの女性がちらりとこちらを振り向いたけれど、それ以上注意を引くことはなかった。

「ここでは天使という言葉は使わない方がいい。彼らにとって天使っていうのは、崇拝というよりも、むしろ異端信仰の対象として見ているからね」

「異端信仰……?」

「彼らは――」

ネロはまわりにいる悪魔たちを見渡しながら言った。

「天使のなれの果てだって前に言ったよね? 一度悪魔に身を落とすと、彼らはもう二度と天上の光を浴びることができなくなってしまうんだ。もしも彼らが陽の光を浴びたら、血は沸騰し、肉体は滅びてしまう。万が一もう一度天使に戻れるとしたら、彼らはどんな手を使ってでもチャンスをつかもうとするだろう」

「そんなことができるの?」

 ネロはわたしの耳元で囁いた。

「天使を生け贄に捧げれば――」

 わたしは息を呑んだ。

「そんな……!」

「もちろんそんな話はでたらめさ。だけど、彼らにとっては、それが事実かどうかなんて問題じゃない。彼らはただ、自分の欲求を満たすことさえできればそれでいいんだ。それだけ、悪魔というものは貪欲な存在だってことさ」

 わたしの胸は高鳴った。彼らに対して抱いていた恐怖心が、明確な形をともなって実感されたことによって、わたしは、今自分が置かれている状況をよりいっそう不気味に感じはじめた。

「ネロ、わたし怖いわ……」

「大丈夫。ぼくがついてるじゃないか」

 わたしは彼の手を握りしめた。この広い世界のただ中で、わたしにはもうネロしか頼みの綱がない。エミリアもクリスティアーノも、シスター・ケイトだって、この船には乗ってさえいないかもしれないのだ……。

「マリアンヌ、きみが――」

 ネロがなにか言いかけたとき、ゴライアス号の船体にはげしい衝撃が走った。

 耳をつんざくような悲鳴が上がり、大きな振動がフロアを縦横に揺さぶった。

 わたしたちは声もなく抱き合い、床にうずくまった。

「あれを!」

 恐る恐る顔を上げたわたしは、窓の外に広がった光景を見て呆気に取られた。

 大きくうねる海原の下で、なにかが赫くぼんやりと輝いている。

「海底火山だ……」

 誰かがぼんやりとつぶやいた言葉を、わたしは頭の中で反芻した。

 今まさに、わたしたちの目の前で海底火山が噴火したのだ。

「いけない!」

 ネロが叫んだのとほぼ同時に、ゴライアス号が大きく傾き、わたしたちは窓の方へと向かって床を転げまわった。

 テーブルから料理を載せた皿やワインのボトル、グラス類が滑り落ちて、派手な音を立てて割れた。

 あちこちでどよめきが起こり、乗客たちはいっせいに混乱をきたした。

「マリアンヌ!」

 テーブルの縁につかまったまま動けないでいるわたしの肩を抱いて、ネロが叫んだ。

「壁際に移動して!」

 それまでの優雅な雰囲気から一転、乗客たちは恐慌を来し、体がぶつかっただとか飲み物が服にかかったなどと言って、いたるところでいがみ合いに発展していった。

「いったいどうなっているの?」

 まっ赤なドレスに身を包んだ女性が、後ろで束ねていた髪を振りほどいて、制服姿の給仕係相手に怒声を張り上げた。

「まさか沈んだりしないでしょうね? わたしはモラレス公の晩餐会に招待されているのよ! あなたたちの道連れなんかごめんだわ!」

「マダム、この船は安全な航路をとって航海しておりますので――」

「だったらこの騒ぎはいったいなんだっていうの!」

 そう叫ぶと、彼女は給仕係の顔を鷲づかみにして、ゆっくりとその体を持ち上げはじめた。彼女の細い腕に痣のようなどす黒い徴が浮き出たかと思うと、足をばたつかせてもがいていた給仕係の体がびくびくと痙攣して、やがて動かなくなった。

「ここは危険だ。外に出よう」

 ネロはわたしの肩を抱いたまま出口に向かって歩き出したけれど、背後から駆けてきた巨漢の男性とぶつかって、あえなく転倒した。

 ぶつかってきた男は、まっ黒な髭に覆われた顔に怒りの表情を浮かべると、立ちすくむわたしに向かって口汚い罵声を浴びせかけた。

「どけ! 薄汚い小童どもめ!」

 慌てふためくわたしを押しのけて、ネロが二人のあいだに割って入った。

「申し訳ありません、伯爵閣下。でも今は、わたしなどにかまうより、ご自分のお部屋にお戻りになられた方がよろしいのではありませんか?」

「貴様! 小僧の分際でこのわたしに指図する気か?」

「そのようなつもりはありません。ただ、すぐにでも大切な荷物を確保しないと――」

 彼は伯爵と呼ばれた男性の耳元でなにごとか囁いた。

「貴様、まさか――」

 伯爵の表情が一変し、唇をわななかせながら一歩二歩と後ずさりしはじめた。

 ネロが足下に手をかざすと、まるで魔法でもかけたかのように、その掌に向かって落ちていた杖が引き寄せられた。彼は杖をつかむと、伯爵の懐に飛び込んで杖の先を相手の鳩尾に叩き込んだ。

 グッという低いうめき声を上げて、伯爵が倒れ込む。

 これほどの巨漢をたった一撃でのしてしまうだなんて……。華奢な体のいったいどこにそんな膂力が秘められているというのだろうか。

 唖然とするわたしの前で、ネロが突然叫んだ。

「マリアンヌ! 伏せて!」

 ネロが叫んだのとほぼ同時に、ばりばりという雷鳴にも似た轟音をともなって、窓の外から巨大な火球が食堂ホールへと飛び込んできた。

 大勢の乗客が、悲鳴を上げる間もなく吹き飛ばされた。

 わたしが背後を振り返ると、火球は天井に大きな穴を穿って上の階へと消えており、壁に空いた穴の縁では、カーテンが燃え上がりながら、音もなく風にひるがえっていた。

「ネロ!」

 わたしはかたわらで倒れ込んでいるネロの体を揺さぶった。

 うめき声を上げる彼の体を仰向けに返したとき、わたしは思わず息を呑んだ。

 彼の左の脇腹に深い傷ができており、大量の血が流れ出ている。

「マリアンヌ……」

 わたしはネロの体を抱き起こした。

「ネロ……。そんな――」

 彼は痛みに顔をしかめながら少し笑った。

「避けられなかった……」

「そんなの無茶よ」

「マリアンヌ。これから言うことをよく聞いてほしい」

 わたしはとめどなく溢れ出てくる血をとめようと傷口を手で押さえたけれど、ネロが大きくうめいたため、ふたたび手を離してしまった。

「いいかい、マリアンヌ。きみは船が目的地に着くまで、どこかに身を隠しているんだ」

「あなたは? あなたはどうするの?」

 ネロは、痛みを堪えながら笑みを浮かべた。

「自分のことは自分でどうにかするさ……」

「ばかを言わないで!」

「船が港に着いたら、誰にも見つからないように外に出て、教会に向かってほしい」

「教会……?」

「間違っても悪魔や魔物の類いに助けを求めてはいけない。彼らはきみを――天使を欺くことをためらったりしないだろう。教会に行って、神父の保護を受けることさえできれば、きみはもう一度エミリアたちにだって会えるかもしれない」

 ネロは顔をそむけて、苦しげに咳をした。

「あなたを連れて行くわ。一緒に逃げましょう」

「ぼくはもう動けない……!」

 ネロはわたしの頤に手を添えて強く言い放った。

「痛みが酷いんだ。どうかきみだけでも無事でいてほしい」

「ネロ――」

 わたしがネロに話しかけようとしたとき、ゴライアス号がはげしく振動し、めくれ上がった天井板がわたしたちに向かって崩れ落ちてきた。

「マリアンヌ!」

 ネロが右手をかざすと、落ちてきた瓦礫が空中で動きを止めた。

 彼が手を右に振ると、天井板はわたしたちを逸れて、かたわらでひっくり返っているテーブルを押し潰すかっこうで傾れ落ちた。

 わたしが呆然としていると、ネロは困ったような顔で言った。

「マリアンヌ。今はまだ説明している暇はない。だけど、ぼくを信じて。きっとまた会えると信じてほしい」

 わたしが呆然としていると、窓の外で海面が大きく盛り上がり、赫い火球がぐんぐんと上昇してくるようすがはっきりとわかった。

「マリアンヌ! 早く逃げろ!」

 わたしはネロにどやされて、彼をその場に残したまま廊下へと飛び出した。

 ほどなくして、この世界が丸ごと砕けてしまったのではないかというほどの轟音がこだまして、ゴライアス号が大きく跳ね上がった。わたしは受け身を取ることさえできないまま隔壁に叩きつけられた。

 その直後、眩いばかりの白い光がゴライアス号から飛び立っていくさまを、わたしは遠のく意識のはざまでぼんやりと見つめていた。その光を放っているのが見覚えのある一人の少年であることに気がついて、わたしは心の中で彼の名前を呼んだ。

「ネロ……!」

 そして――


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