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エンジェル  作者: えんまる
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第1章

魔物の住み処を突き進む僧服姿の男が一人。彼の目的とは?

 降る。

 降りつのる。

 とめどなく、ひたすらに。

辺りにわだかまる暗闇が、

耳朶を打つ小やみない雨音がまた、

粛々と繰り広げられる惨劇のうえに、ただただ厚く覆い被さっていた。

 暗闇に翻る白刃が次の獲物をとらえると、大剣を通して、肉を裂き、骨を断つ手応えが伝わってくる。斬られた方は、突然その身に降りかかった死にとまどいの表情を浮かべて、声もなくくずおれてゆくばかり。

 すでに累々たる死体の山を後に残してきたファントムだったが、次々とおどりかかる襲撃者を前にしても、その足取りを緩めることはなかった。

 林立する見上げんばかりの巨木群。その幹にしがみつくようにして、入れ子状に粗末な造りのデッキが設けられている。大水をくり返すガンダルージ地方にはよく見られる空中集落のかたちだったが、背丈の小さな小鬼(ホブゴブリン)に合わせた構造は、長身のファントムには少し窮屈すぎた。

 先手を打っておいて正解だった。もしもこの狭苦しい環境で彼らと正面切ってやり合おうものなら、地の利は向こうに味方していただろう。

 階段を上り詰めた先に建屋があり、その陰に二体の小鬼がそれぞれ大振りの得物を持って待ち構えている。

 その様子がファントムの目にはっきりと映し出されていた。

 しかしファントムがそれを直接目視しているわけない。

 左手上方に設けられたデッキから、一人の小鬼がこちらを見下ろしている。

 彼の名はギース。

 こうしている今現在、彼はギースでもあり、ファントムでもあった。

 同調(フェーズ)と呼ばれる強烈な催眠をかけられたギースは、術者であるファントムに自我を奪われ、一種の昏睡状態に陥っている。ファントムの目には、自分自身が見ている光景とは別の次元で、もうひとつの視覚が反映されており、傀儡となったギースの首を動かせば視界がそれに連動して動き出すし、まばたきなどの動作ひとつとっても容易に操作することができる。

 感覚の共有は視覚だけでなく、聴覚、嗅覚、触覚、味覚にまでおよび、催眠の状態によっては、対象の記憶を読み取ることも可能だった。

 そのため、ファントムはギースを使って集落内で事前に情報収集を行い、要所々々における破壊活動の先鞭をつけておいた。

 彼らにとっては信頼していた仲間に裏切られる格好となるわけだが、ギースには裏切りの意識は微塵もなければ、自分が今なにをしているのかさえ正しく理解することができないはずだ。

因果な話ではあるが、崇高なる目的を達するには致し方ない犠牲と言えるだろう。

 彼らは罪を犯した。

 断罪されるのは至極当然の成り行きである。

 ファントムは剣を使って足下に落ちているランプを拾い上げると、前方にたたずむ建屋に向かって躊躇なく放り投げた。

 ランプが壁にあたって砕けると、敵の気配と勘違いした小鬼が建物の陰から飛び出してきた。

 ファントムは、相手の得物に切っ先を当て、軽く頭上に跳ね上げると、逆手に持ち替えた大剣を一気呵成に振り捌いた。胴体を斬り裂かれた小鬼が闇の底へと落ちると見るや、ファントムは息つく間もなく、振りかざした大剣で取り残された小鬼の首をあっさりと袈裟斬りに伏した。

 血しぶきを上げてきりもみする小鬼の体は、すぐそばの樽にぶつかって、あらぬ姿勢のままくずおれた。

 ふたたびギースの視線を操作する。

 ファントムのいるデッキには動く者の気配とてない。

 遠く下方のデッキで、小さな灯りがともっている。

 だが、彼らには頭上のデッキでなにが行われているのか知る由もないだろう。

 宴に供された食事にはじゅうぶんな量の薬を盛っておいたが、極度の酩酊状態にあった小鬼どもには少々効きが弱かったのかもしれない。

 ファントムは大剣を背中の鞘に仕舞うと、暗いデッキを横断して、隣接するデッキへとつづく吊り橋を大股で渡りはじめた。

 彼らの語で言うところの中央居住棟(アルカシ)は、この村の政治の中枢であると同時に宝物庫もかねている。

そのため、橋のまわりにはいくつかの見張り台が設けられていたが、そこに詰めているはずの見張り役は、事前の破壊工作によって、とうに事切れて冷たくなっていた。

ファントムはギースを見た。

ギースもまた、ファントムを見下ろしていた。

雨に濡れた銀色の髪。

同じ色をした目の表情までは読み取ることができなかったが、大振りのフロックを纏い、

異形の僧衣(カソック)を着込んだ長身の姿は、数々の惨劇を繰り広げてきた歴戦の猛者には到底見えない。

それでも、

とファントムは思った。

背中に負った大剣が夥しい数の血を吸ってきたことに違いはない。

血塗られたその手はしかし、崇高な目的をもってこれからも大鉈を振るいつづけることだろう。

今日という日を忘れまいと心に誓いながらも、名もなき犠牲者の顔を思い出すことはこの先もあり得ないのだと高をくくっている自分がいた。

ギースが意識を取り戻したとき、彼はわたしを見て嗤うだろうか。

いや、彼が目覚めることはもうないだろう。

階段を上りきったとみるや、ファントムはふたたび大剣を手にとって、有無を言わさずギースの体を薙ぎ払った。

ギースとの繋がり(リンク)を解除する寸前、彼の意識の奥底で、後悔にも似たかすかな感情の揺らぎが垣間見えたように思われた。

それは考えが過ぎるだろうか。

実際にはギースはなにも感じなかったにちがいない。

痛みはもちろん、自分の死を理解することさえなかっただろう。

「ギース、そこにいるのか?」

小屋の中から声がした。

通常なら限られた者以外の立ち入りをかたく禁じられているはずの首長室(ジラー)だ。

「答えてくれ。いったいなにがお前をそうさせたのか……」

 ファントムが入り口にかかっている簾を分けると、その姿を見た首長たちのあいだにどよめきが起こった。

「ファントム……」

 ここにいたって、小鬼の首長たちは本当の敵を知ったのだ。

「なぜあなたがこんなところに……」

 室の中央には石造りの祭壇が据えられており、そのまわりに手足を縛られた首長たちが車座にさせられていた。その中にただ一人だけ、体中に入れ墨をあしらった青い肌の男が捕らえられている。これがガンダルージ地方を巡回しているシャーマンであることはギースの記憶を読むまでもなく明らかだった。

 祭壇の上に吊されているランプが淡い灯りを投げかけて、壁際に飾られた獣の骨や毛皮、商隊(キャラバン)から奪ったものとされる宝物の類いを照らし出している。

 その雑多な戦利品の中に、皮を剥いだばかりと思われる真新しい人間の頭蓋骨がまぎれこんでおり、そこだけ禍々しい異彩を放っていることにファントムは気がついた。

握りしめていた拳にいっそう力が入る。

 祭壇は主に獲物を捌くために用いられる。彼らにとって捕食とは生命を奪う神聖な行為であり、空腹を満たすことの他に、犠牲となった獲物の魂を救済する意味も含まれているという。

ファントムは外套の内ポケットから分厚い書物を取り出すと、かたわらの卓上に音を立てて置いた。

 それを目にしたとたん、咎人たちの表情が一瞬にして強ばった。

「アダイーの民よ」

 窓から吹き込む風によって、壁に投げかけられたファントムの影が大きく踊った。

「これより異端審問を開始する」


 その少年は、たった一人で異形の森をさまよっていた。

 彼を発見したのは、狩りに出ていたアダイーの若者だった。村ではこのところ不猟がつづいており、彼らは、この日もまた収穫を得られぬままにあてどなく密林をさまよっていた。諦めて帰ろうかと相談しかけたちょうどそのとき、まるで彼らを嘲笑うかのように、けたたましい啼き声が闇を切り裂いて響き渡った。

凶鳥(コカトリス)

 凶鳥といえば身の丈五メートルにもおよぶ鳥類の王である。小柄な小鬼が立ち向かうには無謀すぎる。本来なら尻尾を巻いて逃げ出すところだったが、彼らの胃袋は、しばらく振りの獲物を前にして、その肉を激しく欲していた。

 しかし、当初の目論見は外れ、鬱蒼と生い茂る羊歯の叢で見つけたのは、まだ年端もいかない白衣の少年だった。意識を失って昏倒した少年を集落へと連れて帰るのは、赤子の手をひねるよりなお簡単だった。

 少年は、身ぐるみを剥がされた状態で儀式のただ中へと引き立てられ、そこで全身に灰色の泥を塗りたくられた。つづいて極彩色の塗料によって複雑な紋様を施され、子供一人がやっと入れるだけの狭苦しい檻に幽閉されたのだという。

 燃えさかる松明には〝デロ〟と呼ばれる没薬が投じられ、子供から大人までもが我を忘れて狂態を演じた。獣の皮を張り合わせてつくった太鼓を打ち鳴らし、皆が声を合わせて祝い事の歌をうたった。

 やがて舞台の中心に禍々しい仮面をつけたシャーマンが登場し、独特な旋律の祈祷を唱えながら檻の周囲を歩き回り、三昼夜にもわたる長い饗宴が執り行われた。

 少年が味わった恐怖に想いをはせる。見たこともない奇怪な生き物に、聞き慣れない言語、剥き出しの敵意にさらされたとき、幼い少年はいったい何を思っただろう。

「ミシェル・アギレラ……」

 ファントムの一言で場の雰囲気が変わった。

「聞き覚えがあるだろう。お前たちが殺した天使の名だ」

 人身御供には地域によって特色がある。ここガンダルージで過去に執り行われた儀式では、生け贄は術式を施されたうえで解体され、まだ新鮮なうちにその肉体を食餌するのだと記録されていた。

 ファントムがギースの体を借りてアダイーの村に潜入したとき、すでに儀式は終盤にさしかかっており、生け贄に捧げられた天使は解体処理が済んだあとだった。

 あと一歩早ければ救えたかもしれない命を、みすみす犠牲にしてしまったのだ。

 ファントムは、極度の興奮状態に陥り、狂態を演じている小鬼どもを尻目に、犠牲となった天使の情報を集めるとともに、異端審問をとどこおりなく行えるよう手はずを整えていった。

〝天使を食らわば不死を得ん〟

 取るに足らない迷信に踊らされ、数え切れないほどの天使が命を落とし、夥しい数の土着民が異端として処分された。掟を破った代償として、あるいは周辺の部族に対する見せしめとして、この世からどれほどの部族が消滅させられたことか。

 今回のアダイー討伐もまた、そういった伝承のひとつとなるだろう。

 聖皇庁は人身御供によって主の祝福を得られるという民間伝承をすべからく否定している。神聖な存在である天使への冒涜は許されざる罪であり、彼らの存在を認めた者はただちに聖皇庁に報告するよう定められている。

 審問局は聖皇庁に寄せられた情報を元にただちに現地へと異端審問官を派遣し、しかるべく天使の身柄を保護しなければならない。

 もしも現地住民らによって天使に危害が加えられていたり、異端を匿うような素振りを見せる者があった場合、それらすべてが異端信仰に関与していると判断され、審問官の独断によってただちに裁きが下される。

 異端審問官とはすなわち、天使を保護する聖職者でもあり、異端にかかる者を取り締まる処刑人の役目をもかねているのだった。

 審問が終わると、ファントムはなんのためらいも見せずに大剣を振るった。尊い犠牲の果てに不死を得たはずの小鬼どもはあっけなく命を絶たれた。

 異端信仰はいともたやすく伝播する甘い汁だ。

 天使に仇なそうとする不貞の輩をこれ以上生まないためにも、一度異端を冒した者は誰一人として生かしておくことはできない。

 首長室を出たファントムは、ガンダルージの上空を見上げると、軽く吐息をついてから瞼を閉じた。

〝ジギ〟

 ファントムは心の中で火竜(サラマンドラ)の名前を呼ばわった。

 意識の同調を試みたことで、ファントムの視界に新たな視点が生まれ、細かな塵や火山性のガス、雨雲が入り混じった暗い雲海が目の前に展開した。

 雲の内部は猛烈な嵐だった。吹き荒ぶ風にあおられて、火竜の翼が大きくたわむ。立てつづけに稲光が閃いたかと思うと、耳をつんざく雷鳴がすぐそばでとどろき渡った。

 ファントム=ジギが巨大な翼を傾けて大空を滑空し、雲海の下に飛び出すと、後につづけと言わんばかりに二十頭にものぼる火竜の群れがアダイーの上空に飛来した。その様子を見守るファントムの前で、ジギの体が巨木の樹冠をかすめ、スピードを殺しながらアダイーの空中集落に飛び込んできた。

 デッキに舞い降りた三頭のうち、一際大きな体格を備えているのがジギだった。

 ファントムがジギを従わせてその背中にまたがろうとしたとき、暗闇の向こう側から風切り音とともに一本の矢が目の前を疾った。矢はジギの翼の付け根付近にあたったものの、火竜の堅い皮膚を貫くことはできず、そのままひしゃげて地に落ちた。

 村の異変を察知した小鬼が奇襲をかけたのだ。

 思ったより早い。

 ファントムはしかし、アダイーの戦士に意をかけることもなく、そのまま火竜の手綱をとって、デッキから空高く舞い上がった。

 同調を介してファントムの意向を察したジギが一声勇猛な咆哮を上げると、火竜の群れはいっせいにアダイーに向けて下降をはじめ、集落のいたるところに高温の火炎を浴びせかけた。

 これがアダイー討伐のあらましである。

 またひとつの部落が歴史の闇に葬られたのだった。


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