第13章 悪魔憑き
クリスティアーノを捜すマリアンヌたちの前で事件が勃発する
男子寮にはクリスの姿は見あたらなかった。
最後に彼を見かけたという寮生の話にしたがって、わたしたちはグロリアスホールへと足を運んだ。
すでに日は遠く雲海の彼方に沈みかけており、暮れなずむ宵空に、ぽつんと一番星だけが高く、遠く、果てしない灯びを煌めかせていた。
なんという星だろう……。
先を急ぎながら、わたしはふとそんなことを考えていた。
不思議ね……。死後の世界にも、わたしたちが踏みしめている大地があり、果てしない空が広がり、お日様が昇って、夜空には星々が瞬いている。あの星のひとつひとつに、やはりなにかしらの名前が付けられているのかしら……。
硝子が割れるような激しい音がして、わたしはふと我にかえった。
グロリアスホールの窓から明かりが消えて、辺りにけたたましい喚声がこだました。
「なにかあったんだ!」
わたしたちは、恐慌をきたしていっせいに飛び出してくる人波に逆らいながら、泳ぐようにしてグロリアスホールへと向かった。
「おい、危ないぞ! 中に入るな!」
ホールの入口にいた警邏隊に引き留められて、わたしたちは足止めをくった。
「中に友達がいるんです!」
エミリアの悲痛な叫びにも、隊員は決して動じなかった。
「ここは現在封鎖中だ。友達のことは我々に任せて、きみたちは下がっていなさい」
「でも!」
中から意味をなさない喚き声が聞こえたかと思うと、男性が怒鳴り声を上げた。
「そっちに行ったぞ! 取り押さえろ!」
警邏隊の一瞬の隙を突いて、わたしたちは混乱に陥ったホールの中に滑りこんだ。
「クリス! どこにいるの?」
意に反して、ホールの中は完全に暗くなっているわけではなかった。ただ、入口近くのシャンデリアが床に落ちて粉々に砕け散っているだけだ。
群衆は入り乱れ、複数ある出入口へと殺到していた。
「クリス!」
エミリアに気づいた制服姿の男性が、彼女を呼びとめた。
「きみ! いったいなんのつもりだ!」
そんな言葉も耳に入らないといった様子で、エミリアは周囲を見まわして、彼の名前を呼びつづけている。
「わたしたち、友人を探しているだけなんです」
わたしはエミリアの代わりに説明した。
ホールの中央付近に警邏隊が集まっており、捕えられたばかりの少年がはげしく抵抗している姿が目にとまった。
「きみたちはパラダイム・インテントリー楽団と関わりがあるのかね?」
警邏隊が疑わしげな眼でわたしを見つめたとき、ネロがふたりのあいだに割って入った。
「ジョアン、彼女はここに来たばかりのただの女の子だよ」
「ネロ! どうしてお前がここに?」
「クリスを探しにきたんだよ。まさか、彼を疑っているのかい?」
ジョアンと呼ばれた男性は、とても言いづらそうに言葉をつづけた。
「ネロ……。悲しいことだが、こればかりはわたしにもどうにも出来ないんだ。彼の楽団が今回の一件に関わっていることはまず間違いないらしい」
「でも、彼はあんなこと……!」
わたしの言葉を遮ったのは、意外にもネロ自身だった。
「彼のことでなにかわかったら、ぼくにも話してくれるよね?」
「それは約束できない。わかってくれ。我々にも規則というものがあるんだ」
そこまで言葉を交わしたとき、ホールでふたたび一悶着があった。
わたしがそちらに目を向けると、警邏隊に腕をつかまれたクリスティアーノが、着ていたシャツを脱ぎ捨てて逃走を図っているところだった。
「クリス!」
エミリアの悲痛な叫びが届いたのか、クリスは彼女の姿に目をとめて、一瞬だけ足をとめた。
とたんに彼は警邏隊に取り押さえられ、食べ物や飲み物がこぼれて滅茶苦茶になっている床にねじ伏せられた。
「やめて! 彼はなにもしてないわ!」
「エミリア!」
彼を取り囲んだ警邏隊のあいだから、クリスの声が轟いた。
「エミリア……」
ネロは、取り乱した彼女の肩を抱いて、なんとかなだめようと試みた。
「今、ぼくらに出来ることはなにもないんだ……! エミリア、もしもきみまであらぬ疑いをかけられてしまったら、悲しい想いをする人がいるんだってことを忘れないで……」
「ネロ……」
わたしは緊張と不安の入り混じる怖ろしい感情の渦の中で、その言葉を聞いていた。
エミリアにも彼の気持ちが伝わったのだろう、あれほどまでに取り乱していたのがまるで嘘だったとでもいうように、体から力が抜けていくのが傍目にもわかった。
それほどまでにエミリアはクリスのことを愛しているのね……。
わたしはまだ子供だけれど、彼女の強い想いははっきりと伝わってきた。
「司祭様!」
また別のところから男性の叫び声が上がった。
わたしがそちらを見やると、警邏隊の隊員が、ひとりの少年から身を退いて行くところだった。
「司祭様! ご決断を!」
警邏隊の中から雅やかな祭服に身を包んだ老人が進み出てきた。
「いかん、悪魔憑きだ!」
司祭と思しき老人が声を上げると、それまで少年をとり巻いていた警邏隊がいっせいに逃げ出した。
わたしには、ゆっくりと身を起こしつつある少年の顔に見覚えがあった。例の騒動が起きたとき、コンサート会場をうろついていた少年の一人だ……。あの少年もまた、事件に関わっているのだろうか? そして、ホールに取り残されたまま床にへたりこんでいるクリスティアーノの唖然とした表情……。もしも彼らが事件を起こした犯人なのだとしたら、わたしは……わたしは……。
「災厄が起きるぞ! 今すぐホールから身を引きなさい!」
「マリアンヌ!」
ネロがわたしの腕をつかんで言った。
「早くここから出るんだ!」
訳がわからずにただ茫然としていると、ネロはわたしの腕を強く引っ張って、その場から駆け出した。
「どうしたの、ネロ? いったいなにが起きるっていうの?」
「災厄だ!」
さきほどまでネロと話しこんでいたジョアンが、エミリアの肩を抱いて、ホールから連れ出そうとしていた。
〝災厄〟
その言葉がなにを意味するのか、わたしには見当もつかなかった。
ただ、ネロをはじめとして、事情を知っているらしい人々が慌てふためいている様子を見て、わたしもとりあえずホールの出口に向かって走り出すことにした。
「天にまします我らが主よ、聖なる御子イエス・キリストよ! どうかこの子羊をお救いください! 聖なるかな聖なるかな聖なるかな……」
ただひとりその場に残った司祭が祝詞をあげるのが聞こえたけれど、わたしたちが飛び出した直後に、グロリアスホールの扉は警邏隊の手によって固く閉ざされてしまった。
中で何事か不吉なことが起きているらしいことはわかったものの、実際にどのような事態に陥っているのか把握することは出来なかった。
「今すぐにここから避難してください!」
警邏隊が、続々と集まってくる興味深々な群衆に向かって呼びかけた。
「この場にいる者すべてを逮捕する権限が我々にはある! 今すぐにここから離れてください!」
はじめのうちは好奇心に憑かれたようになっていた群衆も、警邏隊のあまりの語調の厳しさに恐れをなしたのか、ゆっくりとではあるが後ろへ後ろへとたじろぎはじめた。
「マリアンヌ! 早く避難しないと、たいへんなことになる!」
いつもは温和なネロの顔にもまた、見るからに悍ましいといったような焦りと動揺があらわれていた。
「なにが起きているの? 災厄って……?」
「その話はあとだ! 一刻を争う! 早くついてきて!」
わたしは訳もわからず、彼のあとにしたがった。
グロリアスホールからはじまったこの混乱が、やがてサン=ミエール全体をも巻きこむ一大事になるとは、このときはまだ予想だにしていなかった……。




